夢みがちな雑誌は、やはり面白い!

この夏、ちょっと体調を崩して床に伏してしまった。

が、少し調子が良くなると暇になる。

で、こんなとき、

日頃から気になっていた雑誌をゆったりと眺めるという、

絶好の機会を得られた。

まあ、重要な案件他、雑多な用を吹っ飛ばして寝ている訳だから、

こっちもいろいろ辛いが、とりあえず暇というのが嬉しかった。

「カーサ」「ビーパル」「ターンズ」「ウオモ」etc…

まずは「レオン」という雑誌をセレクトする。

初夏に出た号なので、メインはやはりこの夏のファッション。

ちなみに、このレオンという雑誌は、男性ファッション誌。

私も初めて買った雑誌だ。

表紙のジローラモが、ニカッと笑っている。

カッコつけのミラーサングラス。

うーん、オヤジ雑誌である。

目を引くコピーが、

究極! オヤジは「青」と「白」、との言い切り。

この号では、ジローラモが表紙だけでなく、

他の誌面でもかなり活躍している。

ちょい悪オヤジのジローラモという設定で、

こうした雑誌では重宝するタレントなのだろう。

例えば表紙では、

ブルーの背広に白いTシャツ姿で、

奴がシガーを咥えている。

タバコではない。シガーだ。

これからは、シガーなのだ。

カッコイイ!

で、ページをめくると、皆さん素足。

靴下なんかはかないのだ。

ここは石田君とおんなじ。

妙にサマになっている。

が、なんだろう、この現実感のなさ。

例えば、パリとかミラノの街中を歩く、

青と白ファッションのオトコたちのスナップがあるが、

うーん、どいつもこいつも、カッコ良すぎ。

ホントかよ?

で、青と白ってホントに流行っているんだ!

と思ってしまう。

が、こっちも曲者の一人だ。

ああそうですか、へぇーとはいかないのである。

この手の雑誌特有の、そこはかとない嘘くささ。

しかし、ふと気がついた。

これはなんというか、床に伏している身としては、

夢を見ているようで、心地良いなと…

それは、誌面で紹介されている時計でも証明された。

最低50万円は下らないみのばかりが、ズラリと並ぶ。

クルマも、カマロやベンツを始め、派手目のガイシャで攻めてくる。

もう、この辺りで、相当の現実感ゼロが嬉しくなってくる。

下着だって、パンツ1枚8,000円ですからね!

で、キメ技は、ミサンガだった。

こうしたファッションに包まれたオヤジは、

腕だか足だかに、ミサンガを付けているらしいのである。

夏だからかラテン気取りか、

はたまた悪ふざけ?

これは、正直どん引きしてしまったが…

この手の雑誌の重要ポイントは、

やはり現実感喪失プラス胡散臭さ、ですかね?

こんなオヤジが何処にいる!

世の中、芸能人ばかりじゃあるまいし、な!

が、これが「レオン」ならではの世界なのである。

現実を見ているだけじゃ、面白くもなんともない。

そんな人は、ネットでも見ていなさいと言わんばかり。

はい、レオンはあなたの無茶な夢を、誌面で叶えます!

どうも、そう囁いているようである。

主婦と生活社がつくるこのレオン、

その社名からは程遠い誌面づくりが特徴。

思うに、金も時間も体力もないオトコたちを、

いともたやすく現実逃避させてくれる、

夢のようなアイテムなのである。

これは寝込んだからこその、

新たな発見であった。

_SS500_

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

風呂場の怪

風呂でシャンプーでもしようものなら、

まず数ある容器からシャンプーを探さねばならない。

そんなにあるのか? と聞かれそうなので、

そうです、いっぱいあります。

実際、私はよく分からない。

なぜ、風呂場にこんな沢山のケミカル製品があるのかが。

で、よくよく観察していると、

その容器は微妙に増えたり消えたりする。

あっ、あの花柄がない、おやっ、バラの新製品だ。

何かがなくなり、何かが増えたのだ。

こんなことはよくあるが、私には詳細は分からない。

日本語の製品はほぼないので、

正確にはなにが置いてあるのかも分からない。

石鹸、シャンプー、リンス。

まあその辺りは私でも知っているが、

コンディショナーとかフェィスマスクとか、メイク落としとか、

他にもいろいろあるらしいのである。

これは、奥さんと娘の仕業なので、

私はどうこう言わないが、

他に半身浴用という妙な椅子もあって、

コイツは飛騨産のひのきとみかげ石でできている。

重い。で、遠赤外線効果があるものらしい。

ふーん。

で、入浴剤も洒落たのになると英文で書かれていて、

あるとき適当にぶんまいたら、もの凄い泡が出て、

慌てたことがある。

ということで、風呂に入るときは、

あらかじめ自分がなにでカラダを洗い、

どれがシャンプーであるか、

それをしっかり確認してから入らないと、

なにもできなくなってしまう。

一度、娘の使っているシャンプーで顔を洗ってしまったことがある。

良い香り、がぬめぬめしている。そんな感じ。

またあるとき、ヘアコンディショナーというもので、

カラダを洗ったことがある。

まあ、それなりに清潔になったような気がする。

私は老眼なので、容器に書いてある字が、

ほぼ読めない。

読む気もない…

って、くやしい!

ウチの風呂は、いわば外国だ。

治外法権だ!

私の権力が及ばないところでもある。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

世界遺産のマウント富士が気になるなぁ。

去る6月、富士山が世界遺産に登録された。

これは皆さんもご存知の通り。

富士山は古来より神の山といわれ、崇められてきた。

全国に点在する浅間神社は、そもそもここが発祥なのだ。

ご神体は、富士の山そのもの。

古くから修験者の集まる山でもあったようだ。

日本の自然信仰を語る上で欠かせない、霊峰なのである。

江戸時代には、かの浮世絵師・葛飾北斎が、

富嶽三十六景に赤富士をはじめとする、

富士山コレクションを収めた。

この絵はやがて世界を巡り、マウント富士は日本のシンボルとなる。

続く広重も富士の山を多角的に描いている。

更に遡れば、古くは万葉集にも詠われている。

また、竹取物語にも富士山が登場するというから、

思えば、いろいろと凄い山なのだ。

しかし、富士山は言わずと知れた活火山。

いつ爆発してもおかしくないと言うのが、

いまでは定説になっている。

先日テレビを観ていたら、

富士山の山体崩壊についての解説をしていて、

思わず見入ってしまった。

私は神奈川在住なので、

万が一富士山が噴火すれば、かなり被害を受けると予想される。

思えば2年前の夏、富士の麓の湖でキャンプを楽しみ、

朝方には、おめでたいとされる赤富士の写真を収めたというのに、

なんか不吉。

最悪の場合は、富士山全体が崩れ落ち、

あの美しい姿もなくなってしまう程、様相が変わってしまうと言う。

ええっ、世界遺産だぜ!

どのタイミングで世界遺産が山体崩壊なんだ。

人気が高まる一方で危機が迫っているとは、なんとも皮肉だ。

私の回りでも富士登山経験者やこれから行くぜ、

という人が増えている。

今年の登山者は、去年の1.5倍とも言われている。

が、私はこの時期は、正直怖いなぁ。

富士山の最後の噴火は、江戸時代の宝永大噴火だが、

このときの噴煙は成層圏にまで達し、

江戸の町にも数センチの火山灰が降り積もったという。

震災以降、本当に地球は動いている、生きているんだ、

ということを実感させられる。

その上でシコシコ、いや偉そうに暮らしている私たちだが、

その実、人間なんてとても小さな存在なんだなぁと思い知らされる。

安全・安心などという保証など何処にもないことも分かってきたし…

未来予想に神がかりな話。ガスマスクと倒れない家。

最低限の食料と水と、あと、

未来って、本当にあるのかなぁという不安。

だから、これ以上のリスクは勘弁して欲しいのに、

人間が起こす戦争・紛争の類いは一向に減っていない。

冷静に考えると、これは馬鹿げている話なのだが、

今後、地球のどこかで戦争でも始める奴がいたら、

俺たち人間は、本当の馬鹿なのだ!

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

東京脱出計画

かつて、那須に土地を買ったことがある。

お金を貯めて、その土地にログハウスを建てる。

畑を耕し、裏の那珂川で魚を釣り、その日暮らしをする。

そんなことを考えていた、と思う。

那須の土地を見にいった日は、今日のように暑い日だった。

那須インターを降り、めざす販売地に着いても、やはり暑かった。

その土地は山奥で、付近一帯だけが整地されていた。

まわりは、うっそうとしている。

雑木林が、明るい陽を遮っている。

が、暑い。東京より気温は低いらしいが、湿度が高い。

むっとする、重い空気だった。

「なんだかここ、暑いですね?」

私が、立ち会いに来た不動産屋のおっさんに話しかけた。

「そうですか、私は別にそんな暑くないですね。

ここは高原ですので、かなり涼しい筈なんですがね…

あっ、でも今日は異常ですね、○○さん。悪いときに来ちゃいましたね」

「……ふーん、そうですか……」

敷地は、長方形で地形は良かった。道路は4㍍程だが、

こんなもんだろうと思った。

奥さんが「この辺は買い物はどこへ行くのですか?」

と切り出した。

不動産屋のおっさんが汗を拭き始めている。

で突然ニカッと笑って、先ほど私たちが来た方を指さす。

「いま来た道を15分程戻った所に、スーパーがありますよ。

気がつきませんでした?」

私たちは顔を見合わせ、知らないという顔になった。

後から思えばだが、このおっさんは焦っていた。

店の看板が小さかったから見過ごしたとか、

店が道路から奥まっているとか、いろいろ言い訳をしていた。

断然怪しいおっさんなのだが、

当時の私には、不動産を見る目が養われていなかった。

加えて、自然がいっぱいのところで暮らすことが最良と考えていた私は、

早く引っ越す土地を確保する気持ちばかりが先走っていた。

来る日も来る日も、スケジュールに追われ、

徹夜など当たり前なのに報われない…

そんな東京での生活に早くピリオドを打とうと、

私は私なりに必死の土地探しだった。

しばらく愛想を振りまいて、

へらへらの白いシャツを着た不動産屋が先に帰った。

ボロのカローラが印象的だった。

私たちはやることもなく、またじっとその土地を見ていても、

なにも新しい発見もないので、

裏の小さな川をみつけ、橋から下を眺めていた。

長男が、橋の下で休んでいるアオダイショウをみつけた。

おおっとみんなで叫ぶと、今度は石を投げた。

私が、まだ幼かった長男と、そのアオダイショウに、

必死で石をぶつけていた。

アオダイショウは逃げたが、

後でなんであんなことをしたのか振り返ったが分からない。

アオダイショウが、

私たちより先にあの川にいたことだけは、確かだった。

田舎で暮らすこととは、こうしたことが考え所と、

私は思ったものだ。

そして、私はあそこにログハウスを建て、

どのようにして生計を立てようとしていたのか、

そこが全く抜けていることを薄々知っていたのに、

全く考えないでいた。

なんとかなるとも、ならないとも検討しない。

そんな精神状態は、東京から逃げる、という言葉がふさわしかった。

それほど疲れていたのだろう。

奥さんは、この計画が実行されることはないと踏んでいた。

後に聞いたが、私が余りに疲れていたので、

計画に口を挟む余地がなかったと言った。

しかし、この土地を買ってから、

私に変化が起こった。

いつでも逃げられる態勢だけは整えたので、

なにかゆとりのようなものが芽生え、

それが私を楽にしてくれたのだ。

そのうち、この土地を持っているという気も薄れ、

再び仕事に没頭するようになった。

が、他の要因で限界が来た。

結局この土地は6年後ぐらいに手放したが、

その頃、すでに私は東京を脱出し、神奈川の実家へ逃げていた。

というと格好良いが、ここは複雑な事情が絡んでいたので、

めざす所ではなかったが…

いま、那須ほどではないが、

やはり田舎暮らしに変わりはない。

東京の便利さは確かに身に染みるが、

まあ、田舎はのんびりしていて、

このほうが自分の性に合っているようだ。

ネットのインフラもここまでくれば、

仕事に支障もない。

こうなると、結果的に東京脱出は成功したことになる。

が、正確に記すと、

私は東京を追い出されたと表現したほうが嘘がなく、

我ながらしっくりくるから、きっとそれが本当なのだろう。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

旅する詩人、ムスタキのこと

我ながら思春期の頃の夢はませていて、

吟遊詩人になりたいと、

人に話したことがある。

きっかけは、ジョルジュ・ムスタキだった。

それは、この人をテレビで観たときからだ。

彼はいつも、

世界のどこかの街角で詩を書いていた。

キリストのような白い服を着ている。

手づくりの詩集が少し売れる。

それで暮らす。

決して沢山は売れない。

それがみじめだとか、

働かないとか、

そんな風には全く見えず、

私は、彼がまさしく

「自由に生きている」と感じたからだ。

ムスタキはヒッピーではない。

物乞いでもない。

風の詩人だ。

だがしかし、

実は本当のムスタキは、

著名なシンガーソングライターだった。

ユダヤ系フランス人で、

「異国の人」という歌でヒットを飛ばしていた。

当時、私がなにも知らなかっただけだ。

異国の人とは格好良い語感だが、

意味合いはよそ者とか、ガイジン。

そんなニュアンスだ。

この歌は、

世間の規律からはみ出した人やロマン主義者、

祖国を亡くした人々、無国籍者、

はたまた無銭旅行者たちを魅了した。

が、彼のこの歌への想いは、

ホントのところ、恋の告白だったらしい。

こうした勘違いって、いいなぁと思う。

詩には、ときに全く異なる解釈がつきまとう。

彼は「ヒロシマ」という歌もつくっている。

また、阪神大震災のときはいち早く日本へ来て、

チャリティーコンサートを開き、

集まった義援金を被災地の兵庫県に贈ったりもしている。

ウィキペディアによると、

彼は、日本人のことをこう評している。

―ヒロシマの敗者が、伝統と精神性を放棄している。

厳格さ、馬鹿丁寧にぺこぺこする、常に自制心を失わない、

能率のよさ、何が何でも時間を厳守する、

これらに対しては何の魅力も感じない

(略~しかし)

冷静な微笑の裏には本物の親切がある…と。

最後のことばが気にかかる。

ここにムスタキの気持ちが集約されている。

彼は日本を愛していたのだと、私は理解したい。

今年の5月、ムスタキは78才の生涯を閉じた。

勝手な勘違いとはいえ、

彼は、多感な時期の私をトリコにした。

中学生のとき、友人の家にみんなが集まり、

ストーブを囲み、

将来について語り合ったことがある。

誰かが社長になりたいと言った。

建築家になると語った友人もいた。

そして、

私はそのとき、吟遊詩人になりたいと…

当然、場がしらけて私は笑われた。

あれからいくつも時代は過ぎたが、

やはりいまでも、

吟遊詩人はいいなと思うことがある。

これって、

ムスタキさんの影響と思うのですが…

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

真夏のエトセトラ

矢沢の夏

♪罪な奴さ、あぁパシフィック…

これってご存知、矢沢永吉の「時間よ止まれ」の出だしの歌詞です。

意味がよく分かりません。しかし、感覚的にいいんですよね。

続いて、

♪西風が笑うけれど…

ええっ、西風って笑うんだ、とからかいたくなりますが、

なるほど笑います、となる。これも聴いているうちに、

分かります。これが矢沢マジックです!

安藤美姫の秘密

週刊文春が、安藤美姫さんの出産についてどう思うか、

というアンケートを募ったそうだ。

そんなことはどうでもいいだろうよ。人には人の事情があるのだから…

これは「悪」を前提にした発想だ。きっと…

それより、あなたのところの林真理子の連載ですが、

毎回、橋にも棒にもかからない内容ですね? 

ついでに思い出しましたが、

この人がまた本を出したそうで、なぜか金スマに出てました。

相変わらず、成り上がる為には…の勢いだけは旺盛。

この人のズレ感凄い。知性とスマートさが全く感じられない。

本のタイトルは「野心のすすめ」だそうだ。

邪心じゃないだろうね?

太巻って、秋元?

NHKの朝ドラって、実はアイドルドラマだったんですね。

知らなかった。

なかなか面白いのですが、どうも太巻のキャラが気になる。

ドラマ中のアイドルへの道も、AKBと同じノリ。

これは、勘九郎のギャグか、皮肉か?

で、なんで太巻って名にしたかというと、

東京のある寿司屋がいまのところの舞台であるからして、太巻。

これが、クドカンの思考回路と思うのです。

万が一、トンカツ屋が舞台だったら、勝男かな?

スイマセン!

居酒屋モヒート

先日、飲み屋で私の友人がモヒートを頼んだ。

モヒート? そうカリブの方の飲み物だ。

で、名前だけは知っていたが、そのとき、

私もその正体を初めて目撃した。

グリーンがかった液体にミントを浮かべた、

実に洒落たカクテルだ。

ラムベースなので、少しクセがあるらしい。

私の友人は、モヒートのイメージとかけ離れた人物なのだが、

帰りに変な酔い方をしたのか、イトーヨーカドーへ行くと言って聞かない。

何故と問うと、ジャージが欲しい。それしか言わなかった。

ま、夜も遅かったので、ヨーカ堂は当然閉まってましたけれど…

復活、華原朋美

あまり感情移入はしない質。

過去からすべて知っている訳ではないが、この人の

生き方を見ていて思わず「頑張れ!」と応援してしまう自分がいた。

芸能人が、いろいろ身の上を切り売りするが、

華原の場合は、明らかに違う匂いがした。

歌は、一級品。

あれだけ人を愛せたんだから…ね!

ラモスのステテコ

ユニクロのCMで、ラモスがステテコ姿でサッカーボールを操る。

うーん、ステテコか?

格好良くはないねぇ、と年のいった私は思う訳だ。

小学生の頃、時計より正確に帰宅する父は、

まずネクタイを外し、ズボンを脱いだ。

と、しょうもないステテコ姿で、新聞を広げる。

とまあそんな風景が、私は大嫌いだった。

それは親父が嫌いなのではなく、あのステテコ姿の親父が、

どっから見ても美しくはない、

そう思ったのだ。

で、そのステテコを派手にリニューアルして、

ラモスがそれをはいて野外に立っている。

うーん、クソ難しい感じ。

どう判断して良いか分からない。

が、ものは試しだ。

私もひとつ買ってみようかな?

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

未確認飛行物体の教え

私は、UFOを見たことがある!

………?

こんなことを書くとホラになるので、

永年ずっと黙っていた。

いままで余り口外していない。

口外したところで、どん引きされるだけなのだ。

これは自分でもよく理解している。

テレビを観ても、UFOを見たという人が、

必ずバカにされているし、キワモノ扱いだ。

ではなぜ、今頃になってこんなことを

ブログに書くのかだが、実は何も意図していない。

記録しておこうと…

ただそれだけだ。

また、検索順位のアップやアクセス集めなら、

まあ、もう少し気の利いたネタを書く。

たとえば、いまならあまちゃんとか、

指原莉乃のスキャンダルとか…

旬のキーワードはビジネス的に考えると

いろいろ使えるが、

気のないものは書きたくないので、

やめた。

で、話を戻すが、

私は「ムー」のような雑誌に傾倒している訳でもないし、

宇宙人はいるかどうかなんてよく分からない。

しかし確かにアレは、UFO以外、説明がつかないのだ。

私と共に目撃した友人二人も、

後にあの体験は恐ろしかったと述懐している。

それは、

真冬の夜明け前の、そう午前4時頃だった。

朝方の冷え込みが半端ない日だったので、

皆コートを着て車中にいた。

時間で、当時の私のいい加減さが分かるが、

学生の頃は、いつもそんな生活をしていた。

その日も旅行の話で盛り上がり、

朝になってしまったのだ。

横浜の高台にある分譲地にクルマを止め、

盛り上がっている話題の中身はなんと、

ユーラシア横断旅行について、だった。

新潟から船に乗ってロシア(当時はソ連)のウラジオストックへ行き、

そこからシベリア鉄道で移動。

杜の都ハバロフスク、モスクワを経由して東ヨーロッパへ出る。

そこから南下し、欧州を縦断してトルコへ入り、

中東、インドを経由して東南アジアへ抜け、

香港から飛行機で帰ってくるという壮大な旅行計画だった。

が、不思議だったのは、

計画を立てている当の本人たちに、まるで実感がないことだった。

ではなぜ、こんなことを計画したかだが、

大学の先輩が実際にこのルートを回り、

帰国したことから触発されたのだが、

その先輩の話が余りに可笑しく、浮き世離れしていたことだった。

それに憧れ、集まった私たちは、

更に絵空事のような感覚に陥ってしまったのだ。

まだ、家がまばらなその高台からは、

現在の横浜ららぽーと辺りが一望できた。

その頃は、まだ田んぼや畑で、ぽつんぽつんと

工場が点在している田舎だった。

3人がクルマの中で話し込んでいると、

外が妙に気になった。

それは私だけでなく、他の二人も同様、

異変に気づいた。

それは不自然な発光体だった。

闇夜の一点が突然明るくなり、

それが徐々に大きくなったのを、

皆見ていたからだ。

旅行の話をやめ、

皆空に見入った。

一瞬、ヘリコプターかなと思った。

が、音が聞こえない。

あのパタパタ音が一切しないのだ。

感覚だが、その発光体は、

我々からそう遠くない距離にいるように思われた。

じっと上空を注視すると、

その光は突然オレンジ色に変わり、

いきなり私たちのクルマを照らしたのだ。

それは、夜すれ違う対向車のライトのようだった。

光りは更に大きくなり、迫ってくるようだった。

しかも無音だ。

突然の恐怖で、

運転席にいた友人が慌ててギヤを入れて発進したが、

気が動転していたのか、草むらに突っ込んでしまい、

その間、何があったのか、

皆記憶にないのだ。

次の記憶は、長い坂を猛スピードで下ったときから始まる。

空を振り返ると、光りは青い発光体に変化し、

北の方向へ一瞬のうちに移動し、

そして消えたのだ。

牛乳配達のおにいちゃんが、

私たちの慌てようを見て、

何事があったのかと怪訝な顔でこちらを見ていたのが、

いまでも印象に残る。

後、一年の内に、皆が次々に患った。

私が急性肝炎になり、一ヶ月を棒に振った。

友人は、それぞれ結核と十二指腸潰瘍になり、

寝込むこととなった。

これも偶然といえばそうとも言えるが、

以後、彼らとこの話をすることは、

タブーとなった。

例の旅行も取りやめとなり、

私たちの壮大なユーラシア横断計画は頓挫した。

この話を或る人に延々と話したことがあるが、

彼が言うには、私たちの旅行計画が余りに無謀だったので、

それをやめさせるため、

或る意志が動いた、と言うことらしい。

この説には幾分納得させられたが、

いまひとつ説得力に欠けるようにも思えた。

まあしかし、

壮大な旅行と引き換えに、この世の不可思議を体験したので、

引き分け、イーブンというところか?

旅行への憧れだけは、やはり永いこと尾を引いたが…

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

遅い。けれど…

彼の第一志望は、かつて弁護士だった。

しかし、当時、父親の死により公務員になる。
以後数十年その職務を全うし、がやはり組織に疲弊して、
最近その職を離れる。

私の夢はルポライターになることだった。
もの言う写真の撮れるルポライター。
しかし、食えないとの現実を知り、
いや、腰が退けての進路変更。
が、フリーな立場だけは堅持するも…

お互いここ数年激務だったが、
最近の彼の落ち着き様に安堵し、
先日の飲み屋会議で、
遅ればせながら東北行きを決める。

何もしなかった自分たちが、
まず現実を見ることから
始めようと…

遅すぎる行動。
その自分に苛立つ。

そして、
もう若くもないし勢いもない、
俺たちってホント腹立つな!

それが合い言葉になってしまった。

………

浜で「お母さん」と叫んでいた、あの女子高生。

なのに、

自死を叫ぶ女性ひとり助けられない現実があった。

言い訳は100思いついても、やはり罪は残る。

せめて向かい風に立っていないと、
いまの自分は、
やがて崩れるだろう。

人が人であるために、できることをいまから…

親父、お袋、

これで良いんだよな?

湘南・海辺のホテル

湘南ホテル

以前、鵠沼海岸沿いに湘南ホテルというのがあった。

新しくはないが、結構、建物が洒落ていたので、

私はかなり気に入っていた。

外観は洋風で、重厚。

しかし、威圧感のようなものがない。

薄い緑色の外観が美しかった。

窓からは、国道134号線を隔てて、海が見える。

静かな夏の早朝には、波の音も聞こえた。

小振りだが室内プールもあって、

真夏のカラダを冷やすのに最適だった。

実は、

この海岸沿いの道を学生時代からずっと通っていて、

ホテルの存在を、私は全く知らなかった。

中年になってふとしたきっかけで知ったのだが、

そのときはすでに閉館が決まっていた。

そこそこ繁盛していたように思うが、

このホテルは個人オーナーのものだったので、

閉鎖は、相続の問題も絡んでいたらしい。

とても残念だった。

現在、この跡地に瀟洒なマンションが並らぶ。

時折、前を通ると、

あの夏の日の、家族の笑顔が浮かぶ。

なぎさホテル

逗子のなぎさホテルの外観は小振りで、

見るからに古い洋館の造りだった。

海沿いを走っていると、こんもりとした緑の中に

ポツネンと佇んでいる。

若いひとから見ると、単なる古い洋館だ。

一見、時代に取り残されたように建っている。

しかし、一端中へ入ると、

黒光りする柱や漆喰の美しい壁が、訪れたひとを魅了する。

私はここを、自ら取材と称して選んで泊まったが、

ホテルのスタッフの方々の対応も、そして食事も、

とても満足のゆくものだった。

もうだいぶ前に取り壊されたが、

作家の伊集院静さんが若い頃、

このホテルの居候をしたことがあるという。

そして後年、「なぎさホテル」という本を出版している。

彼にして、それほど思い出深く、

居候になるほど癒やされる、

素敵なホテルだったのだろう。

ホテルパシィフィック

ホテルパシィフィックは、

茅ヶ崎の海沿いに忽然と姿を現すホテルだった。

古いホテルにしてはタワー型で、

当時としては画期的な建築物だったように思う。

このホテルを知ったのは学生時代で、

波乗りのポイントが近所だったことから知った。

高級ホテルだったので、

私は最上階の喫茶しか利用したことはないが、

ここからは、湘南の海が一望できた。

海を見下ろすという感覚は、ここが初めてだったように思う。

一時、あの加山雄三さんのもちものであったし、

また、サザンの桑田さんも歌っているように、

皆に思い出深い、存在感のあるホテルだった。

湘南から姿を消した名ホテルは、

ときを経て、私のなかでより美しさを増す。

現存しているホテルでいまでも気になるのは、

大磯プリンスホテルと鎌倉プリンスホテルだ。

大磯プリンスホテルはクラシックホテルになれず、

ただ建物ばかりが古びている。

まわりにこれといった観光地もない。

しかし、広い敷地がとても贅沢に使われていて、

空と海の広がりを堪能できる。

ここからの海の眺めは、湘南随一。

ホテルの前の西湘バイパスがなければ、

とても静かなのだが…

しかし、希有の景勝地に変わりない。

鎌倉プリンスホテルは、

七里ヶ浜の丘の上の高級住宅地に建っている。

プリンス系列のホテルにしては、こじんまりしている。

プリンスホテルは、どこも高台が好きなようで、

いまはもうない横浜の磯子プリンスホテルも、

横浜の海を見下ろす高台にあった。

鎌倉プリンスは、各部屋がビラのように、

丘の上に長く延びる3階建て。

正面の部屋は、海を真向かいに見て、

他は江ノ島方向を向いている。

どの部屋もハズレがなく、

山側という部屋がないので、たいした格差がないのが良い。

最近、ホテルをまるごとリニューアルして、

全室禁煙にしたので、もう私は行かないが、

あのホテルはなんというか、

隠れ家のような魅力がある。

海辺に建つホテルはどれも美しく、

私の湘南の思い出は、

海沿いの134号線を走る度、

それは潮の薫りに乗って浮かんではまた消えてしまう、

蜃気楼のようなものである。

愛しのビートル

大学時代、よく国道一号線を走った。

横浜の鶴見に友人がいたので、

そいつと遊ぶためにせっせと通った道だ。

あるとき一号線を走っていて、

視界のなかに中古屋が見えた。

いままで気がつかなかった店だ。

いつもの癖で、展示されているクルマをチェックすると、

気になるクルマが私を呼んでいる。

で、Uターンして、初めてその中古屋に顔を出した。

フロントフェイスの艶が良い、

そいつは、1303Sという型のフォルクスワーゲン・ビートルだった。

車体は綺麗なオレンジ色で、かなり珍しい。

窓から中を覗くと、メーター類のシンプルさに好感がもてた。

いいなぁ…

一目で気に入ってしまった。

街で理想の女の子にでくわした、そんな感じだ。

ワクワクする気持ちを抑えて、その日はその場を去り、

友人の家へ行く。

そいつにビートルの話をすると、

「ガイシャだろ、やめといた方がいいよ」

と軽くいなされる。

次の日も、鶴見のその中古屋へ出かけた。

クルマをじっと眺めていると、店の主人らしき人が出てきて、

「昨日も来たよね」と笑いながら言った。

なんだか見透かされたようで恥ずかしかったが、

そんなことはすでに私にはどうでもよく、

クルマの前にずっと立ち尽くした。

と、そのカウボーイハットを被った髭のおっさんが、

「昨日、キミの後に一人見に来ていたよ」とのたまったのだ。

「ええっ」

いきなり気が動転した。

現実的にこのクルマを手に入れる算段など、

私は一切考えていなかった。

が、血迷った。

悔しいなぁ!

学生の私にとって、そのビートルはかなり高額だった。

たいした持ちあわせもない。

中古車の気軽なローンの類いもなかった時代だ。

こんな学生に金を貸してくれる仏さまのような人も知らないし…

泣く泣く、振り切るように私はそこから立ち去った。

しかし、国道を走りながら、激しく計算を始める。

いま乗っているクルマを下取りに出すと幾ら。

銀行に預けてある金がわずかにあるのを思い出した。

こうなると意地になってしまうのが、

私の悪い癖だ。

最近はかなりこの性格も改善されたが、

私の金欠の根本は、きっとこんな所にあるのだろう。

このビートルのため、結果、バイトも換えてしまった。

それまで働いていた、のんきで時給の安いコーヒーショップを辞め、

すべて金で動くという、あざとい人間となった。

お陰で、前借りもでき、

当時のサラリーマン並みの稼ぎを得ることもできた。

あるときは、新車の陸送マン。

あるときは、関東一円を走るトラックドライバー。

が、他の散財も重なり、

遂には学校に行くこともままならず、

横浜港での日雇いもやるハメになってしまったのだ。

ああ、俺はなんでこんなキツイ仕事をしているのかぁ。

来る日も来る日も働き詰めなのに、

どうしていつも金欠なんだろ?

ま、答えは分かっていたが…

結局、卒業までオレンジ色のビートルは手放さず、

私はこいつとの付き合いが、学生時代の最大の思い出となった。

出かけるときはいつもビートル。

こいつとは軽井沢、信州、静岡とどこへでもでかけた。

不調のときは、夜中に修理した。

車体の綺麗なオレンジ色を保つため、

近くの板金塗装の親爺とも仲良くなってしまった。

また、ステアリングの他、クリーナー、マフラーと次々に改造を重ね、

借金があるにもかかわらず、

結局このクルマの改造に100万円以上も注ぎ込んでしまった。

前述の友人もこのビートルに惚れ、結局ビートルを買った。

大学ではビートル仲間が増え、

ビートルクラブなるものもできてしまった。

思えば自制のない自分に呆れるが、

良い思い出だけはつくれたような気がする。

「いい女といいクルマには気をつけよう」

これは、私が青春時代に身をもって得た格言だ。