スパンキーの気まぐれ随筆

もののけ

焚き火をやろうということになり、

数人で丹沢の山奥へでかけたことがある。

薪と斧とランタンやシチューや鍋、

ディレクターチェアや防寒具など、

クルマの荷室は満杯だ。

谷を見下ろす崖っぷちの細い道を、

奥へ奥へと入り込む。

もうこれ以上奥へ行くと、きっと帰れない。

そんな予感がアタマをかすめる頃、

わずかな膨らみのある道端にクルマを止め、

そこを一夜の宿にすることにする。

陽が沈むと、急に冷え込み、

辺りも、暗幕を降ろしたように

視界が閉ざされる。

木が燃えるパチパチという音が懐かしい。

炎を囲んでいるだけで、とても落ち着く自分がいた。

やはり、来て良かった。

やがて、月に雲がかる。

晩秋の夜だった。

数㍍先に、何ひとつ見えない漆黒の闇が広がる。

清水が湧き出る音が、かすかに遠くから聞こえる。

時折、小石らしきものが崖から落ちてくる。

小動物も近くにいるらしい。

私は、なぜか背後の森を凝視していた。

そして、なにか得体の知れないものが、

こちらの様子をうかがっていると感じてしまった。

ああ、やはりここは私たちの来る所ではないのだ。

以来、その場所へは行ってはいない。

カレーについての考察

日本を訪れたインド人が、

レトルトのボンカレーを食べて、こう言ったという。

「こんな美味いカレーを初めて食べました」

「?」と私。

この話をどこで仕入れたのか忘れたが、

それがホントなのかどうか、ずっと気になっていた。

後年、これを裏付けるような番組をたまたま観た。

秋葉原を歩いているインドの方に、

CoCo壱番屋(だったと思う)のカレーを食してもらい、

その感想を尋ねたところ、

「インドのカレーよりおいしいね」と確かに言ったのだ。

私はインドでカレーを食べたことはないが、

日本でインド人がつくるカレーは何度か味わった。

やはり、本場仕込みはうまいと思う。

がしかし、

日本のカレーとどちらがうまいかと問われると、

そこがよく分からない。

別物と考えれば納得がゆくが、

自分には、その明確な基準がないのだ。

だが以前、

二子玉川のカレー店「モティ」で食べたカレーが、

生涯で一番おいしかったように思う。(おおげさ)

ちなみに、この店は、全員インドの方で構成されていた。

思えば、カレーは、ラーメンやビザ・パスタ以上に、

奥深くて不思議な料理だと思う。

それは、香辛料のせいかも知れない。

以前、香辛料メーカーの仕事をしたことがあって、

少しだけ知識をかじったことがあるが、

とにかくその種類は多種多彩であり、

幾度かアタマが混乱したことがある。

結果、私的に香辛料は不思議、とインプットされている。

先日、街でインド人とすれ違ったが、

彼は、香辛料に詳しそうなインテリな眼差しをしていた。

だが、

「チョットイイデスカ?

世界に分布するカレーの味に関する傾向とその素材構成や

香辛料について、私とじっくり考察しませんか」 

とは、絶対に言えなかった。

すっぴん美人

もう、すでにオリンピックが懐かしい。

その位、時の流れを早く感じてしまう。

今回の大会でも、

当たり前のように、というか、

圧倒的な強さで金メダルをとった

レスリングの吉田沙保里選手。

なぜか、彼女のことが脳裏から離れないのだ。

好きであるとかファンだとか、

そういうものではない。

以前から、ALSOKのテレビコマーシャルを観る度、

この人は動物っぽいな、とは思っていた。

強いだけでなく、勘のようなものが、

人並み外れているようにみえるのだ。

試合後、この人をどこかのテレビでみかけたが、

割と濃い化粧をしていた。

そのとき、私はなにかとても奇妙な感覚に襲われ、

違う、なにかが違う、と混乱した。

それは、彼女の素養を知るにつけ、

すっぴんが一番似合う人と、

私が勝手に決めつけているからに違いない。

シンボル

横浜のシンボルといえば、

いまはランドマークタワーということになる。

が、私にとっては、山下公園前に建つマリンタワーとなる。

小さいときから眺めていたので、今更、心変わりもない。

但し、

塔の色が赤と白の縞模様からグレーに変更されたのはいただけないが…

同じく、東京の人にとっての東京タワーも同様のような気がする。

いまは東京スカイツリーが幅を利かせているようだが、

当然、ノスタルジーに欠ける。

特別の人を除き、そこには思い出も思い入れも、

まだない訳だから…

で、マリンタワーだが、

いまでもたまに横浜へでかけると、

まず、中華街の萬来亭で肉ソバを食して、

腹ごなしにマリンタワーまで歩くことにしている。

そして、エレベーターでてっぺんまで昇って、

関東平野を見渡す。

望遠鏡で覗くと、

東京タワーも六本木ヒルズも、丹沢の山並みも、湘南の海も

一望できる。

マリンタワーの高さは、たかだか100㍍ちょっとだが、

そんな高さでも、私は充分満足できるのだ。

対岸のみらとみらい地区に、憎きランドマークタワーと

インターコンチネンタルホテルが威風堂々と鎮座しているが、

あんな新参者に、私の心は乱れたりはしないのだ。

そして、近くの老舗ホテルである

ホテル・ニューグランドの旧館のカフェで、

カフェオレを頂く。

ここのカフェオレは、なんとポットで出てくるので、

とてもおいしいのに、2・3杯は頂ける。

で、つい長居をしてしまいます。

このコースを私は、

「横浜ノスタルジーコース」と勝手に呼んでいます。

記憶に変更のない限り、

当分の間、このワンパターンで行きたいと思います。

現役

風呂上がりにテレビを点け、

適当にザッピングしていると、

NHKのEテレに風吹ジュンさんが出ていたので、

ここを観ることにする。

内容より、風吹ジュンさんなのだ。

この方は現在60歳だが、とても綺麗。

遠いムカシは、私たちのアイドルだった。

で、番組タイトルは「団塊スタイル」。

私より年上の方をターゲットにした番組らしいが、

内容は心に残るものだった。

97歳の現役フォトジャーナリストである笹本恒子さんが、

この日のゲスト。

この方の半生を追って番組は進行する。

50代でカメラマンで喰えなくなり、一旦離職。

洋裁やフラワーアレンジメントの仕事に転職したが、

どうしてもカメラの事が忘れられず、

なんと70代で現役復帰を果たす。

古くは、井伏鱒二を始め、

日本の名だたる作家達をフィルムに収め、

近年では、イギリスのサッチャー元首相など、

歴史に名を刻んだ人たちも、多数撮っている。

で、この日の番組のサブタイトルが、

「再出発は何度でも」。

いいタイトルだな、と思った。

外交

いま、日本の領土(島です)を、

中国、ロシア、韓国がちょっかいを出している。

これは単なる偶然なのか連携なのか?

私的には、中国とロシアには密約があると睨んでいる。

お互いは、潜在的に仮想敵国同士だが、

対アメリカということで、利害は一致する。

中国と韓国に関しては、国内情勢も絡んでいるようだが、

ロシアは、アメリカの出方をチェックしているようにも思える。

いずれも不愉快な事柄だが、

野田総理が先日、日本の毅然とした態度を表明した。

先方に言わせると、拳を振り上げたとも受け取れる

メッセージらしい。

で、このままヒートアップすれば、

ひと昔前なら、いざ紛争、

悪くすれば戦争となりかねない様相となる。

が、皆、戦争の愚かさを知らない訳ではない。

外交は、こうした争いを粘り強く解決へと導く、

最も堅い手段だ。

では、明治維新以来、日本の外交はどうだったのか?

第二次世界大戦の勃発の発端、

太平洋戦争の終結の遅延、

戦後の日本に於いて、

外交がどこで貢献し、なにを失敗したのか。

その検証を重ね、後に活かすことが、

この国にとっての急務だと思うのだが。

イマドキの会話

今日一日が面倒くさいと思うあなたが

友人と約束をしている。

気が重いが、まあ、

だいたいこんなことばを発していれば

なんとかなるらしい。

ヤバイ

超ウケル

意味わかんない

ハンパない

マジで?

これは、ネットで拾った話なので、

早速我が娘に聞いたところ、

そうね、なんとかなるよ、うふっ、との

回答を得た。

ダルイときは、

これで乗り切りたいが、

この場合は当然、超若い子限定!

そこで年を喰ったあなたは、

少し工夫とアレンジを加えたい。

そこに知性が感じられればOK。

例えば

その辺りは考える予知があるね

なかなか的を射ていると思うよ

ふむふむ、というと?

それは凄いことだ

で、事の真意は?

とまあ、こんなところ。

ホントに乗り切れるか、

私には自信がありませんが…

以上、会話は中身が薄まり、

ことばはどんどん粗末になり、

貧困なボキャブラリーが、

いまの時代を席巻している。

しっかり考える習慣を身につければ、

色とりどりのことばが見つかりそうなのですが…

では、ことばの鮮度はどうか?

例えば、

そんなの関係ねぇ!

海パン姿の小島よしおがアタマに浮かびますが、

忘れていましたね。

ゲッツ!

きっと幾ら酔っても、イマドキまず言わないギャグ

ラブ注入

気味の悪い顔が浮かんでは消えまして、

うっすら寒い感じがしました。

おっはー

爽やかに起きた朝は、つい口から飛び出しそうな台詞ですが、

言ったその後が辛そうですね。

以上のように、ことばにも鮮度があり、

ここを間違えると失笑を買います。

がしかし、

ガチョーン!

とか

「わたすが変なおじさんです」

とか、恥ずかしげもなく

堂々と言い放つと、

これはまたいぶし銀のような光を放つものです。

化石のようなことばのなかにも、

いまでも通用するものはあるものです。

それは、

パリコレで異彩を放つアフリカの民族衣装のようでもあり

ニューヨーカーに人気のベントーのようでもあり、

日本人の海外旅行に欠かせない梅干しのようなものでもあります。

たとえがいい加減ですが、

なんとなく真意は伝わると思います。

じっといまという時代をみつめ、

そして考える習慣をつけると、

きっとあなたはいつでも、

的確かつ素敵なことばを発する、

ことばのプロになっていることでしょう。

私がコピーライターに成り立ての頃、

いつもこんなことに注力するよう、

先輩に言われていたような気がします。

ふたりなら、なんとかなるさ!

このタイトルは、コピー風につくってみました。

かの名コピーライター中畑貴志さんの作品に

一緒なら、きっと、うまく行くさ。(セゾンカード)

というのがある。

これを頂いてみたが、センスが雲泥の差。

しょうがない。

で、このふたつのフレーズから漂う共通項は、

アバウトな楽観の匂いであり、

計算でははじき出せないものを肯定しているという点。

そして複数(恋人とか夫婦)のキーワード。

これらに綿密な計画は感じられないが、

希望のあることばではある。

最近あちこち、特にビジネス、いや人生に至るまで、

綿密な計画性が求められているような気がする。

私もそうした話を聞く度に、「そうだろうな」とうなずき、

最も…と感心すらさせられる話が多い。

要は、

行き当たりばったりで生きていると、

ろくなことがないということらしい。

成功する人間は、

そもそも立派な志と綿密な計画を立てることから始まるらしいのだ。

そういう意味からすると、私は即失格。

こうした仕事をしている割に、計画性に乏しく、

気がつくと気ままに考え、行動しているところがあり、

特に、予約とか、先ざきのことまて決めなくてはいけない

日常のさまざまな行為が、最も苦痛だ。

そんな適当なやり方で、なんとか今日まで生きている訳だが、

振り返るに、

ろくなことはないこともあったし、

ろくなことはないなんてことはないこともあるのだ。

仕事の場合は、当然のように計画性を求められる。

でないと、相手も不安だろうし、物事が計画通りに進まないと、

いろいろなところに支障が出る。

この場合、自分以外の人のために、一応計画をたてることにしている。

無計画で良い結果は得られないというのも、定説だし。

で、ついでにいわせてもらえば、世の中はすべて予約制だ。

ホテル、歯医者、美容院…なんでもそう。

行き当たりばったりは、ほぼ許されない世の中なのだ。

いまの世の中は、計画性が必須。

で、計画とは、いわば目的・成功に至るロードマップ。

ここがしっかりしないと、目的とか成功は達成されないといわれている。

ホントのような気もする。

だがしかし、そうでもなさそうな気もしている。

相当ムカシのことだが、旅行の日程を分単位で決めている奴がいて、

そいつにスケジュールを任せて出掛けたのだが、

ほぼ修学旅行と変わらない雰囲気の旅行になってしまったことがある。

また、遠い友人に10代で子供をつくったのがいて、

当時彼に「これから大変だな」といったところ、

「いや、俺が30代でこの子が成人して独立、俺とかみさんは悠々自適だよ」

と自慢されたことがあり、私はたいそう驚いたことがある。

立派だなと、つい思ってしまった。

が、この友人は、数年後に奥さんに浮気されて離婚。

いまは再婚して、全然違う人生を歩んでいる。

お互いに中年になって、彼にこのときのことを話したところ、

まるで他人事のように、

「そんなこともあったな、へへっ」でした。

さて、世の中には、

なんとなく生きているうちに良いところへ辿り着くような人もいる。

これも私の友人の例だが、

なんだかいつも飄々としていて、

若い頃から上昇志向のかけらもないない男なのだが、

最近彼と話していたら、

「なんだかさ、所長になっちゃってさ」と聞かせられた。

彼も、一応名の知れた上場会社努めなのだから、

世の中、よく分からない。

という訳で、私の回りだけでも、

いろいろなケースをみることができる。

これらを分析したところで、答えがはじき出せるものでもない。

かように、世の中とはよく分からないものであり、

人生とは、不確実なものに満ちているような気がするのだ。

保険、年金、老後。これらを考えると、

いまの私にとってかなり深刻な問題なのだが、

そのシミュレーションなどをみていると、

理解しようにも疑わしい匂いを放つ。

備えあればそれに越したことはないが、

防災などの計画と違い、こと人生等において、

やりすぎ・考えすぎのシミュレーション予想は、

たいして当たらないような気がするのだ。

それは不確定要素の先に、なんだかもっと得体の知れない

なにかが潜んでいるからに他ならない。

それが運であり星であり、

心であり宇宙の法則なのかも知れない。

思えば、地球だって偶然の産物。

一寸先は闇か光かなんて、誰にも分からないことだし、

いまこの国に於いてさえ、

なにが起こるか分からない。

こんなときに、こんな時代に

より不確実なもの、みえないもの…

例えば、愛だとかを信じてみること、

そしてそれを語ることはかなりクサイ。

しかし、私はこの辺りに、

なにか大切なものが眠っているような、

隠れているような気がしています。

ふたりなら、なんとかなるさ!

一緒なら、きっと、うまく行くさ。

そのムカシ、

私たちが若かりし頃は、みんな

こんな感じでスタートしたように思う。

妙なシミュレーションや綿密な計算より、

この先、再びこんなことばの方がぐっとくる世の中になれば、

それは、かなり素敵なことと思いますが…

梅ちゃん先生の違和感

NHKの朝ドラを観るのが習慣になっているが、

梅ちゃん先生は、どうもあっちこっちひっかかるな。

妙に平和で安定した筋書きは、まあそうかなとも思うが、

この先も事の流れは読めそうな気がしてくるから、

安心して観れるといえばその通り。

が、なんだかひと味足りない。

このままだと梅ちゃん先生がどんだけ良い人で、

その上、如何に周囲の人の役に立ったかで終わりそうな気がする。

だとすると、全く印象に残らない梅ちゃんだな?

梅ちゃんは、元々アタマもイマイチでおっとりしている性格、という設定だ。

が、彼女の凄いところは、医大へまぐれで入学できたところから始まる。

まぐれなのに運良く卒業してしまうから、ただのウスラではない。

就職も、親父のコネも使わず、帝大付属病院の面接で、

この大学病院の定食が美味いという発言がきっかけで就職できてしまう。

これには私、正直驚きました!

梅ちゃんは、その日本一の帝大付属病院で働くうち、

自分の街の下々の人を見るにつけ、黙っていられなくなる。

主人公の正義感は半端ない。

で、なんと独立を決意し、この人たちのために医院を開業してしまう。

梅ちゃんは度胸もある、まっすぐな性格です。

開業資金ですか?

まあ、新築した自宅の隣の敷地に以前住んでいた小屋が残っていたので、

そこを改装して新規オープン!

しかし、そんな土地ありましたっけ? 古屋、残っていたんですね。

こうしたストーリーって連ドラによくありがち。

朝のひとときには微笑ましい。

が、私のなかの違和感は日に日に膨れあがっている。

それは、

一人の女性が生き抜いたというリアリティの欠如なのかも知れないし、

ほのぼのしたこのドラマの味を大切にする余り、

ただのお伽噺にはなっていないだろうかという点だ。

少なくとも、先のゲゲゲの女房やカーネーションに較べて

ワクワクドキドキ感は失せ、

フィクションなので致し方ないが、

人物とストーリーの描き方が平坦すぎる気がする。

自分はさておき、まわりの幸せを第一に考える、

明るくて一途な主人公は梅ちゃんこと、堀北真希。

絵に描いたように分かり安い頑固な親父は、

演技していますとでも言うように、高橋克実が演じる。

また、なんでも「はいはい」と言って微笑んでいる南果歩演じる奥さん。

この人の正体が私はよく分からないのだが、

義母(倍賞美津子)とのコンビで、

割と軽薄な性格付けに終始しているのが違和感。

このドラマは、いわば水戸黄門のような安定感を狙っているのかも知れないし、

戦後風景のなかで、さざえさんのような微笑ましさが欲しかったのかも知れない。

それはしかしときに、

スマップでも観ているかのような見え透いたエンタメ感に終わってしまう危うさもある。

作者は、相手がNHKということで、ホームランは敢えて狙わず、バントに固執し、

必ず点を取る作戦に出た模様とも思えるのだが、こうした冒険のなさが逆に作用し、

ストーリーのあちこちに歪みを生んでしまったようだ。

また、初頭だったと思うが、

戦後の廃墟のなかを米軍がジープで表れ、汚い子供たちが

「ギブミーチョコレート」というシーンがあった。

これは、分かりやすいといえばそうだろうし、

そうしたシーンは日本の敗戦の伝説風景にもなっている。

いわばひとつの記号なので、誰もが理解できるように使われたのかも知れないが、

こんなシーンをよく使ったものだと、今更ながらNHKの感性を疑う。

つくり手は、こうして物語をスタートさせ、

戦後の日本はどんどん良くなり、女性の生きる場が増えたとでも言いたいのでしょうか?

私は、このシーンに関して、

この国の人間としてのプライドはないのかと、つくり手に問いたいのですが…

梅ちゃんは、今日もこれからも日毎に偉くなっていくし、

主人公役の堀北真希の人気もうなぎのぼりの現在、

私はただのひねくれた感想を書いているに違いないが、

こんな平和な話がいまの私たちに残すものは、

果たして安心・平和なのか?

この時代だからこその梅ちゃん先生なのか、

こんな時代に梅ちゃん先生なのかよ、なのか、

毎朝そこを計りかねている私は、

やはりただの変わり者なのかな。

親父の誕生日

今日は死んだ親父の誕生日だ。

蟹座のB型ーーー

これが何を意味するのか分からないが、

私のアタマにインプットされている親父のデータだ。

元帝国陸軍上等兵ーーー

生き残ってくれてありがとうと親父に感謝したい。

公務員として一家を支えてくれた。

思えば、人と馴染まないクセに、人一倍集団のなかで

生きていたように思う。

思い出すと、60代の親父の姿が浮かぶ。

いや、40代か。

白いシャツに太い綿の作業ズボン。

腰に手ぬぐいをぶら下げている。

笑っているが、喋らない。

サツキの盆栽の手入れをしている。

元々喋らない人だった。

いや、死んだ人は喋らないものだ。

でも、

笑っている親父が、サツキの手入れをしている。

私の手帳には、親父の遺言のようなものが挟まっていて、

たまに見る。

書道の師範免許をもっていたので字にはうるさかったが、

私が手にしている手紙は、誤字が多い。

晩年に書いた、その衰えがみてとれる。

この手紙を書いた1年後に死んでしまったが、

親父は、自分が建てた最後の家を、お袋の或る事情で

手放さなければならないことに、未練を残していた。

そして、生涯のなかで唯一、

お袋のことを真剣に思いやった時期でもあった。

先日、姉とお袋が住むマンションから、親父のメモがみつかった。

親父がお袋に宛てた手紙だ。

生まれ変わってもお袋と結婚したい、とあった。

お袋を定期的に病院へ連れて行くが、

お袋は一度、

「あの人」という呼称で親父の話をしていて、

遠い知り合いの話でもするかのようだった。

思えば、親父はずっと外の人だったように思う。

お袋は親父の後を付いて歩く人だったが、

裏切られた人でもあった。

晩年、親父がお袋をみていたとき、

お袋はそっぽを向いた。

私はいまになって、親父もお袋も心底好きだし、

親父もお袋も私のことを好きでいてくれている、

と思っている。

ホントに、家族なんだ。

今日は親父の誕生日なので、線香をあげようと思う。

「お袋には、よく言って聞かせるよ、親父!」

冬景色宗介、沿線の景色を斬る!

ご無沙汰です。

田舎住まいの自営業

景色評論家の冬景色です。

このところ、事務仕事が増え閉じこもっておりました。

イケマセンネ?

私は元々、何処へ行くにもクルマでした。

が、最近クルマの運転が面倒でして、

先日も奥さんよりパスモというものを貰い、

説明を受け、用を足しにでかけたのでありました。

何のことはない、

最寄りの駅より電車に乗って出掛けたのですが、

まあ、驚き、疲れた一日でした。

私の場合、最初の難関は改札。

ちょっと緊張しました。

で、恐る恐るパスモをかざすと、

ピッで通れちゃうんですね?

ああ、この話はまた、後日致します。

でですね、

クルマでよく通る景色を電車より眺めていますと、

明らかに首都圏の景色の変貌に驚く訳です。

クルマを運転しているときはチラ見ですが、

電車の場合はガン見ですから…

変貌というのは、ここ10年とみましても、

首都圏からあからさまに緑が減り、

更に土を掘り起こしたりして、

わずかな余白を埋めるように、

マンションや建て売りが、

これでもかというほどに建てられています。

日本の人口は減っていますが、

首都圏では明らかに増えていますね?

でないと、こんな状態にはなり得ない訳でして、

私からすると、息の詰まる景色となる訳です。

極めつけは、敷地10坪、日当たりゼロの建て売りとか、

いま流行の駅前のタワーマンションでしょうか?

見上げて思うに、

私はあんなところで安眠できない!です。

この景色に住むことを想像するに、

私的に考えますと尋常ではない、となります。

都市の美しさというものを通り越し、

ブロイラー都市という皮肉も出て参ります。

「大きなお世話だ」との声が聞こえますが、

いや、この状態はまずいです。

防災上の問題はその道の専門家の言われる通りですが、

何というか、人としての勘ですかね?

本来、生き物として兼ね備えている本能のようなものを、

こうした環境下で過ごしていると喪失してしまう。

そんな気がしてならないのです。

たまに郊外に出て、自然と触れあい、

「いいねぇ」って感心していてもですね、

やはり人は日頃の環境です。

(元々お住まいの方は、

こうした変化に気づいているような気がしますが…)

「なんか最近だるいなー」とか

「いらいらするなー」とかが過ぎるようでしたら、

あなた、それは都会病かも知れません。

もちろん、全国津々浦々まで、

だるい人やいらいらしている人はいるでしょうが、

その方たちは、処々の不具合でしょう。

そうした方も、もちろん都会にもいます。

が、それを差っ引いても、

環境に起因する病は多いと思います。

よく

「田舎に住むなんて冗談じゃないよ」と息巻いている人がいますが、

この人の言っていることをじっと聞いていますと、

「便利」というキーワードと、

都会に住むステータス感のようなものに酔っているのが

よく分かります。

あと、仕事にまつわる恐怖ですかね?

これらをまぜこぜににして、都会は成り立っているのでしょう。

ああ、飲み屋の数の多さも見逃せませんね。

ここは、私も引っかかるところ。

羨ましい限りです。

で、よくよく考えてみると、

東京なんかでも都心の方が緑が多い。

皇居とか、代々木公園とか新宿御苑とか…

あとは、

余白がない景色が広がる訳です。

(例外は井の頭公園、砧公園、駒沢公園、等々力渓谷とか、

いや結構あるな?)

問題なのは、

都心を中心に広がるドーナツ上の景色でありまして、

ここは通勤圏と見事に重なっていますね。

鑑みるに、その方たちの人生設計は、

この辺りから発想され、限られた価値観の中で、

そこそこの一生を過ごすと推定されるのでありますが、

それは景色を見ても明らかなように、

ちょい損な選択のように私には思えます。

偉そうなことをほざいていますが、

私自身、ドーナツ圏内の横浜生まれの横浜育ちで、

若いときは、仕事のために、

多摩川を沿うように走る大井町線沿いにずっと住んでおりまして、

便利を堪能しておりました。

裏を返せば、それしか選択肢がなかったのであります。

で、このとき、思い起こすにですが、私は無意識下で

田舎を見下したようないやーな人間であったような気がします。

で、ここでやはり浮上するのが、やはり仕事の問題でして、

ここをクリアしない限り、ドーナツからは逃れられない。

(ああ、スイマセン、

逃げたくない方は対象外ですので、スルーしてくださいね!)

言い換えれば、ドーナツの景色の問題は、

就職問題とおおいに被っているのでありまして、

その壁を如何に飛び越えるかで、

新たな選択肢も増えると申せましょう。

例えばですよ、

田舎の海の見える丘の上に居を構え、

午前中は、書斎で潮風に吹かれての本社とのテレビ会議。

午後は、タブレットを片手にぷらっと近所の松林の公園へ出掛け、

或るプロジェクトの企画書を仕上げる。

とか…

(なんか、出来過ぎ。嘘くさいですね?)

いまは社会も企業事情も大きく変わりつつあります。

在宅勤務も増えて参りました。

インフラも、鉄道、道路だけでなく、

ネットを始めとする情報インフラも整いつつあります。

あとは、社会の認知と新たな価値の創造。

これに尽きるのではないかと…

とまあ、

今回は景色から推測する仕事の話にスポットを当てましたが、

景色は人生観で変わるとは、少しおおげさに過ぎますかね?

そんな感慨を抱いたのでありました。

さて、

私たちも、人生の景色を真剣に考えないとイケマセン。

大きなお世話とお思いでしょうが、

この冬景色宗介、割とおせっかい、

真剣です!

安っぽい私のヒューマニズムから考えて

叩かれても、殴られても、なかなか泣かない自分。

まず、過去を遡っても、そうしたところがある。

そして、理性で整理する。論理的に問題を分析し、

問題解決の糸口をみつける。

そんなことを日常的思考でくぐり抜けてきたような自分だが、

そもそも、私はそんな強い人間でもなく、普通のおっさんだと、

強く思うことがある。

それは、

ほんの些細なできごとや、瞬間に訪れる。

砕いて話せば、それは浪花節的な思考を始めたときに、

訪れる。

その辺りを突かれると、弱い自分・弱い私はたちまち戸惑い、

ときに、それは涙という形で現れることもあり、

それが、自分の本来の性格なんじゃないかと

自己分析することがある。

それは例えば、

戦争時のドキュメンタリー映像を観たり、

特に、若い特攻隊の出撃前の様子を映した古いフィルムなどに、

自分はつい丸裸になってしまうのだ。

今日は3月11日。

14時45分に、テレビをつける。

これは意図してつけた。

震災の黙祷の時間だ。

あれから1年が過ぎた。

追悼式でのことばが、とても身に沁みる。

静かな時間。

庭に目を移すと、窓にうっすら陽がさしている。

ああ、

現地の映像はもう観たくないので、テレビを消そう…

こんなものを延々と観るほど、こちらはタフではない。

自分は、たった一年前のこの地震の前後のことを、

よく覚えていない。

震災の後、計画停電に暗い町を歩き回ったこと、

ガソリンを入れに必死に走り回ったこと、

とても寒い日に丘の公園に一人で行き、

群青色の空を眺めていたことなどが

散発的に脳裏に浮かぶ。が、

去年の今日の記憶は、完全に消えている。

私は、今回の震災で亡くなられた方々のことを考えるにつけ、

追悼式で、御霊と呼ばれたことに、

ある種の特別な引き金が、自分のなかで引かれたように思う。

それは、自分がずっと隠していたものなのかも知れないし、

眠っていた無意識が突然吹き出してきた瞬間なのかも知れない。

(私は別段、右翼でも左翼でもなく、強いて挙げれば普段は

自由人をめざしている)

御霊。

私は、この言葉の何を知っているのか、

自分ではよく分からないが、

ただ辛くなる。

それは、先の敗戦にも通ずる、

私たち日本人の共通意識としての

「暗い淵」が見えてしまうこと、ではないかと。

安っぽい私のヒューマニズムから考えて、

今回の震災の犠牲者は、先の戦争犠牲者にも通ずる重さを、

私たちに突きつけている。

東北の方々には、一日も早く復興してもらいたいし、

そこに「絆」は欠かせないだろう。

が、

私はあのとき、

御霊となるものが何を見て、

どう感じて動き、

どうした様子で、

どう苦しんで、

果たして、

この地上から去ってしまったのか?

先を見ようとする前に、

必ず立ち止まって、そこを考えている自分に、

いまはただ、

嫌気がさしているのだが…

雑感5題

東京ガールズコレクション

上手い商売を考えたもんだ。
旬の芸能人や名の知れたモデルに服を着せ、
話題をつくる。

テレビ、雑誌も相乗り。気にいったものがあれば、
その場で買える。
派手な演出、女の子たちのボルテージも上がる。

まあ、こういうところへ出てくるモデルさんというのは、
抜群にスタイルが良いし、
着ている服が果たして自分に似合うかどうかなんていうのは
どうでも良くて、とにかく売れるらしい。

僕がもし女の子だったら、絶対にこういう所へ行かないし、
同じような服は買わないな。

流行には乗れるかも。が、着させられている感じが溜まらなく
許せない。

女の子だったら、お洒落に命をかける。
その位の意気込みが欲しいな、と思う。

と、こんな考え方が、そもそも男並みなのか?

でですね、あのモデルさんって、なんでみんな同じように、
ハーフ顔なんですかね?

俺さま目線で見ると、全く綺麗ではない。よく分からない。
まっ、いいか!

ほっといてくれよ!

タイトルにした典型が、役所から来るメタボのお知らせだ。

定期検診を受け、まあそこそこの結果。

やれやれ、面倒な病気もなさそうだし、向こう一年間は
難なく働けそう。と気を抜いていると、或る日
ポストに一枚のハガキが届く。

曰く、あなたはメタボという病気です。

うるせぇなあ! 

ほっといてくれよ!

で、コイツらは何が言いたいかというと、あなたは太っているので、
病気へのリスクが高い。ひいては○月○日に健康セミナーをやるので、
いらっしゃい。為になることを教えましょう…こんな具合。

日にちを見ると、すべて平日の、働き時だ。
セミナーは、働く方の為の土日開催は、一切やらない。

こんな税収の減っているときに、役所が何やっているんだか。

ははぁ、受け皿的な部署か団体の仕業だなと勘ぐる。

そんなことはいいから、君らはもっと身のある仕事をしろよ。

で、ほっといてくれよ!

五本指の靴下

あることがきっかけで、靴下を替えました。

シルク100パーセントの五本指の靴下です。

これって、水虫にならないとか体の毒を出すとか言われていまして、
ホントですか、というのが本音。

僕の指の形は変なので、指の一本一本が靴下とフィットしない。

で、履くときと脱ぐときが面倒で嫌になる。

先日、ちょっと食い過ぎたのか、苦しいと思った途端、
まず、この靴下を脱ぎ捨てました。

足の指だって、締め付けられると苦しい。
ウエストではなく、足の指が苦しがっている。

人間の体って、不思議です。

目覚める、に関して

僕は、最近眠くなるのが早くて、まず12時前には
寝てしまう。

早いときは、10時や9時に寝ることもありましたが、
これではさすがに朝が早すぎて、ズラシました。

で、就寝前に読書をするのですが、大好きな藤沢周平の
時代物で、2・3ページが限界です。

全然長く読めないのです。ワクワクする場面でも、
ハイ終わり。気がつくと朝でしたとなってしまう。

最近いろいろ考えまして…

で、僕が思ったのは、僕が寝ているときって
ホントにベッドにいるのかってことであって、
ひょっとすると、僕はこの地球を抜け出し、
M78星雲に帰っているじゃないかってこと。

このことに関して、ふざけている訳ではなく、
僕は割と真剣に思っている節がある。

このきっかけは、お袋。
お袋はいま要介護なんですが、なんだか彼女と話していると、
この世の常人とは違う感じがする。

で、どう違うんだろうと話していると、どうも遠い人たちと
会話を交わして、それを僕に話しているような…

まっ、それがきっかけです。

父のこと

もう、親父が亡くなって8年くらい経ちますが、
生前、僕は彼と全然気が合わなくて、
ろくに口をきいたこともありませんでした。

これは私がちいさいときからでして、親父は僕に無関心。
というか、そもそも家庭内離婚の家だったので、
僕は早く家を出たかった。

とにかく家が落ち着かないので、私は友達の家を泊まり歩いていました。

18のときでしたか、僕が将来の進路を考えたとき、
親父を一度試したことがありまして、
彼に就職の世話を頼んだことがあります。

親父は当時公務員でしたが、その時代はコネなんて話は、
いくらでもありました。

実際、親父は数人の就職の口利きをして、
役所へ送り込んでいましたから。

で、僕にすればデタラメなんですが、就職のお願いに関して、
親父は即座に拒否しまして、後日お袋にこう言ったそうです。

「あいつを世話なんかしたら、俺の恥になる」

なんだか親父のリアクションがおかしくて、
妙に納得してしまう僕でした。

彼は後年、私に遺書を託しました。

その内容は、彼の無念が滲むもので、
彼の一生を覗いたようなものでした。

親父の墓はいま、横浜の高台にありますが、
墓前に向かうと、いまでも涙がでるのは何故なのか、
私にも分かりません。

近況 4題

1.

最近、コンビニへよく行く。主目的はタバコなのだが、

なぜか、ついで買いをしてしまう。

水や雑誌類ならまだ良いが、コーヒーに始まり、おにぎり、

サンドイッチ、肉まん、唐揚げと、私の食べるものは進化している。

おかげで、どこのコンビニのなにが美味いかが分かるようになった。

また、これらをクルマの中で食しながら、iPadでネットをしたり、

メールをチェックしたり、ついでにコーヒーを頂き、タバコを吸ったり…

こうなると、もう自宅の居間の感覚。仕事のデスク感覚ですから。

ケータイもあるし、もう内も外もなし。ONもOFFもない。

これが自由なのか不自由なのか、自分でもよく分からないが、

コンビニの罠にはまっているのは確かだし、確実に太っていることは

自分でも分かっている。

街中へでかけても、同じような行動、形態、食生活。

知らない間に、確実になにかが変わっている。

2.

ちょっと古くなってしまったが、映画館で「三銃士」、

「タンタンの冒険」を観て、レンタルで「ツーリスト」、

「ナルニア国物語3」を鑑賞。

でドキュメンタリー映画「ライフ」と立て続けに観た。

先の「三銃士」とタンタンは、封切り中に行ったにもかかわらず、

なんだか面白くなかった。

三銃士は、ラストに近づくに従い、

パイレーツ・オブ・カリビアンとどこか似ていて、

海から空へ舞台を置き換えただけのような気がした。

ストーリーにも映像にも新鮮さがない。

タンタン…は、スピルバーグが永年あたためてようやく実現した、

という触れ込みになのに、肩すかしをくったように面白くない。

主人公の探偵の少年は、とにかくとんでもない事件に巻き込まれるのだが、

彼と連れの元船長が超人的な生命力で、ビックリ。絶対に死なないし、

疲れない。こうなるとハラハラドキドキを通り越して、安心して観てしまった。

3G映像は秀逸なのに残念だ。

ツーリストはジョニー・デップの正体がラストまで分からず、

思わず唸ってしまった。がナルニア…は、イカン。

で、思ったのだが、神話や童話を原作にしたハリウッド映画は、

奇想天外で特撮も凄いが、こちらがもう驚かない程に、来るとこまで

来てしまったのではないだろうか。

3.

一方、「ライフ」はドキュメンタリー映画。

副題に、いのちをつなぐ物語、とある。

オープニングは、草原に一本の木が立っていて、

背景に美しい星座が回るところから始まる。

そして北極の果てしない氷の大地を空から観たシーン。

カメラは或る一点にフォーカスされる。

四方数キロに誰もいない氷の上で、オットセイがただ一頭で子供を産む。

そして、この親子をモーレツなブリザードが襲う。

母親は子供を守るため、氷ついた体で、吹雪と風の盾となる。

なぜこんな所で子供を産むのか? 答えは簡単だった。

天敵がいないからだ。

アザラシは、いつも集団で生活するものと思っていたが、

そうとも限らないらしい。

さすが、イギリスBBC放送の製作だけあって、

映像が鮮やかかつ精緻。カメラワークを観ても、

どうやってどこから撮ったのかという驚きのシーンが続く。

時間もお金もたっぷりかかっているな。

撮影は、世界にまたがり、

南米、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、中国、ヨーロッパ。

海、陸、空それぞれの映像とさまざまないきものが主人公だ。

この映画のメッセージが秀逸だ。

生きるとは、

食べること、愛すること、家族をつくること、そして守ること。

とてもシンプルなメッセージ。

ひねくれた私に、なぜ生きるか、という問いに、

この映像は明快に答えてくれる。

あと、いきものは、みんな分け合って生きている、といこと。

この分け合って、というのが大事な点で、

我々人間の営みに? がつくところだ。

うまく言えないが、人間以外は皆バランスを知っているように思える。

知らないのは、人間だけなんだろうな…

また、映像のなかの主人公は、ときに強烈な愛をみせる。

それは、時にいのちをかけて闘う覚悟であり、

身を犠牲にしても子供や仲間を守ろうとする強さだ。

それは私たちといういきものも同じだろうが、

遠い何処かへ置いてきたもののような気がしてならない。

たとえば、私たちが普段喰っているタコも、感動の対象だ。

タコのメスは、生涯一度っきり卵を産むが、

この一度にいのちのすべてを賭けている。

卵がふ化し、泳ぎ始めるまで6か月間、

母親はここをピクリとも動かない。

子供がやがて泳ぎ始めると、タコの母親はそれを見届け、

そこでいのちを閉じる。

これは本能だけれども、愛でしょう。

そう思えてくるなにかがある。

理屈を簡単に超えるとは、このことだと思う。

4.

私が尊敬する職業に、登山家というのがある。

登山家はすげぇーと思うのだ。

近所の山へハイキングに行くだけでへたばっている自分がいる。

ああ、情けない。

登山家は、冬山へでもアタックする。

私の知り合いだった方は、ロッククライミング中に事故に遭って

亡くなってしまったが、生前のこの方の日頃のトレーニングは半端なかった。

仕事時間中も、常に小さな動作で、腕・足を動かし、

筋トレを繰り返していた。

自宅の壁には石を埋め込み、そこで毎日崖登りの練習を繰り返していた。

酒はいつも程ほどで、楽しい酔い方をする方だった。

彼の目に、登山家に、山はどのように映っているのだろう。

登山は、帰りの余力を計算に入れ、ぎりぎりの体力と選択のなかで、

前に進む。

冬山のマイナス20度のなかを行くとは、どうゆう世界か。

私のずっと年下だが、登山家の栗城史多さんは、自書のなかで、

こう語っている。

「苦しみを受け入れると楽になる」

ちょっと分かるような分からない言葉とも受け取れるが、

きっと登山家がもつ精神の強さなのだろう。

彼は、日本人初の、単独・無酸素エベレスト登頂を果たしている。

他、世界の山々も単独登頂で制覇。

しかも、自分の行動を逐一ネットで世界に配信する機材も、

自ら運ぶ。

これは、並の登山家にも不可能だと思う。

彼は、選ばれた人間かも知れないし、少し表現を変えれば、

神に一番近い人なのかも知れない。

が、彼の肉体は、日本人男子の標準以下だし、

登山のエリート教育を受けた訳でもなく、

金なしコネなしの普通の大学生から登山のスタートを切った人だ。

彼の本のなかで、満天の星を見下ろす、というくだりがあるが、

これこそ常人には見ることのできない景色。

富士山のご来光も見た方も然り。

羨ましくも、凄いなと思う。

私はこれから死ぬまで、果たしてこうした景色を見ることができるのか?

すべては、まず挑戦しなくてはなにも始まらないのだが、

まずは、コンビニ通いをやめることから始めなくてはと思う。

裏街

私が生まれ育った横浜の或る街は

物心ついた頃からいろいろ変な奴がいて

小学生の頃すでに同じ学校内に

万引きのグループが存在し

数々の悪行を繰り返していた

友達のなかの何人かは

ガキのクセにすでに学校をサボる奴や

毎年のように苗字が変わる奴とか

山を火事にしちゃうのとか

いろいろいた

外国籍の生徒も多く

そんな仲間同士の争いも多々あったし

女の子もとてもませていた
U

私も大きくなってその街を引っ越し

新しい街で学生を始めた頃

横浜は相変わらずヤバイところで

行くところ行くところで喧嘩が始まる…

ひとことで言えばそんなところだった

当時の私は、遊ぶといえば

横浜の街しか知らなかったので

ざっくりいえば

日本中どこもそんなもんだろうと思っていた

みんなでクルマに分乗し

行き着くところは厚木基地側のディスコか

本牧のディスコと相場は決まっていた

ジルバ、チャチャ

仲間はみなオドリが達者だった

ステージで一列に並んで踊る

とにかくぶんどって踊る

格好つけるだけの夜に

その頃は賭けていた

当時、私たちにとって

伝説と言われていた

ケンタウロスという集団は

ハーレーの野太い音を轟かせ

街を疾走する謎のグループだった

こいつらの正体が分からず

絶対に遭遇したくない存在だった

後に女優の余貴美子さんが

この方たちと遊んでいたときいて

ホントに驚いた

そのケンタウロスが

いまでも活動していると知ったのは

最近のことだ

本牧からほど近い中華街はその頃

夜ともなると豹変し

伊勢佐木町の裏通りと同じように

かなり危ないところだった

それでも私たちはここで酒を飲み

福富町の地下の店にしけ込み

何度も朝を迎えた

チンピラに絡まれ

マンションの屋上で争いになり

もう少しで刺されそうになったことがあるが

いま思えば私も相手のチンピラも

事件にならずにホントに良かったと思う

去年あの辺りを歩いたが

中華街は観光地として明るく生まれ変わったものの

伊勢佐木町の裏通りはやはり廃れ

別の意味で不気味な雰囲気が漂っていた

街の臭いとは不思議なものだ

横浜駅周辺も一歩裏へ入ると

とんでもない奴らが溜まっていた

チンピラに薬漬けの危ない奴

狂ったロックンローラーに

男か女かよく分からない格好をした集団

そんななかをかき分けて

私たちがいつもめざす場所は

横浜駅西口のディスコ「ソウルトレイン」だった

ここのステージも何度か仲間とぶんどって踊ったが

やはりと言うべきか

周りからいろいろ目をつけられ

狙われた

一度ここで他のグループから襲撃にあい

怪我を負った嫌な思い出がある

いまは結構な事件になることだろうが

こんなことが当時は割と多かった

このディスコで知り合った横須賀の友達が

俺の街へ遊びに来いよ、という

その街は横須賀中央駅近くのどぶ板通り

店は「サンタナ2」

名前だけは有名なディスコだった

ここでパーティーだったのだが

踊っているうちにどうも外の様子がおかしい

店にいる連中もザワザワしている

後で聞いた話だが

その日のパーティーを狙った他のチームの連中が

襲撃にくるという話がすでにあったらしい

私がなにも知らずにはしゃいでいると

いきなり入り口から数人のヤバそうな奴らがなだれ込み

そこからいきなり殴り合いが始まり

音楽が止まって騒然となったことがある

事はそれで終わったのだが

まあロクな事ではない

或る日

仲間うちの誰かが「東京ってどうよ」というひと言から

みんなで東京へ遠征することが決まった

国道246を北上し

きったないシャコタンのボロ車の集団が

夜の新宿へと繰り出した

事前情報では

めざす場所に東京の西部一帯を牛耳っている連中が

集まっているということだった

要はなにも知らないガキの集団が

新宿の或るディスコに乗り込み

敵さんと一戦交えて勝利し

調子に乗ってしまったということだ

以来

私はコイツらと距離を置き

自分に嫌悪し

焦り

塞ぎこみ

とにかくなにかを始めなくてはと考え始めた

数年後

私は奇跡的に就職試験で或る一社にパスし

自分を変えた

いや

このままでは絶対に世の中に受け入れられない

みんなに教えられ

いや怒られながら

必死に自分を社会へ馴染ませようと

毎日が必死だった

他からみればどうでも良いことでも

こっちは緊張の連続

精神的にも肉体的にも

追い詰められてゆく毎日だった

いまとなっては笑える話だが

私はここで別の世の中を教えてもらった

ガキの頃の友達も

就職してからの友人も

いまは良いつきあいをさせてもらっている

裏街から出てきた自分の価値観や世界観は

いまでも相当ズレていて

そこは自分でも承知しているつもりだ

しかし人生も後半を過ぎて

老後を考える時期に来た

このズレは死ぬまで治らないし

育ちは消せないものだと最近分かった

せめて残りの人生を

このズレが良い方へと誘ってくれないかと

いつも思っている