東京ドサ回り

出版社を数年で転職し、広告制作会社に勤め、

そこから独立。

その広告制作会社の仲間4人でつくった新しい会社は、

出だしから羽振りが良かった。

クライアントが固定し、利益も安定していた。

景気の悪い会社はもちろん駄目だが、

景気の良すぎるのも良くないな、

と想い返したのは、その後数年経ってからだった。

要は、個々の思惑がちぐはぐになり、欲の皮が突っ張り、

勝手な暴走が始まった。

悪い遊びを始める奴もいた。

奴はそのとき覚えた女遊びとゴルフを、

いまも欠かしていないという。

こうなると、共同経営というのはもう駄目だ。

堪え性がないというか、執着の弱い私は、

この会社を早々に辞めることにした。

こういうとき、辞める人間は

クライアントの仕事を持って出るのがこの業界の慣習だったが、

当時の私は、こんなことすら知らなかった。

この会社はまた設立して間もないのに、

純利益としての預金も500万円強あり、

それを少し分けてもらうこともできた。

が、うかつにもそのことも気がつかなかった。

当然、向こうから言い出す程、お人好しでもない。

私はどれを要求するでもなく、ふらっと辞めてしまった。

要するに辞めたかったのだ。

いい加減に、くだらない「和」とやらに

愛想が尽きたのかも知れない。

で、これで、ホントの一人っきりになれた。

家では、もう長男が生まれていて、

マンションの家賃も払わなければならない。

預金残高を奥さんに聞くと、さほどあるわけでもなく、

ここからが正念場だと思った。

私のフリーのコピーライターとしての出発は、

こうして当たり前のように、貧乏から始まった。

毎朝、新聞の求人欄に目を通す。

もちろん就職するつもりはないので、

外注とか外部スタッフの募集欄に目を通す。

これは後年まで習慣化してしまい、いまでもたまに、

求人欄とか求人誌とかを、つい見てしまう。

この毎朝の習慣は、私にとっては、いわば真剣勝負だった。

喰うか喰われるか、そんな気迫があったように思う。

当時、クリエィティブ系の求人は、朝日新聞の独壇場だった。

これっと思ったものは、切り抜きファイルに貼り付ける。

そして、仕事開始と思われる時刻まで、

あれこれその会社の仕事を推測する。

そして、深呼吸をして次々に電話でアポを入れるのだ。

午前中は、そんな事に総てを費やした。

アポOKは、ほぼ10社に1件、そんなものだったように思う。

そしてその日の訪問ルートを綿密に練る。

昼飯は、いつも立ち食いそば。マックとかそんなもんは眼中になかった。

それは私のノリが、地味なそばを好んだような気がする。

10㌔位はあっただろうか、

いままでの作品を入れた、ズシンとくるファイルの塊を担いで、

都心の地下鉄を乗り継ぐ。

とにかく、プロダクションからプロダクションへ、

代理店からPR会社へと何でも何処へでも、アポさえとれれば行った。

しかし、初対面で仕事をくれるなんて会社はまずない。

後は、電話でフォローをし続ける、これしか食いつなぐ方法がなかった。

こんなことを繰り返すうちに、地下鉄にはやたらに詳しくなった。

乗り継ぎの駅での車両位置を考え、

前の地下鉄の最適の位置はすぐに頭に入った。

腹が減ったら、あの地下鉄のA出口の上に美味いそば屋があるとか、

つまんないことまで詳しくなってしまった。

当時はネットもパソコンもケータイもなかったので、

固定電話とファクシミリとワープロ、

そして、とにかく動く。

それしかなかった。

私の初仕事のギャラは、税込み¥33、333だった。

当時のマンションの家賃が6万円くらいだっだから、

さすがにこれはマズイと思った。

そんな状態が結構続き、実家に借金を重ねたこともある。

が、あるときから、仕事の注文は徐々に増え始めた。

断った仕事はひとつもない。

なんでもできます。そう答えてから後で悩んだ。

が、やはり仕事のないときもある。

こんな日が続くとイライラが始まった。

しかし、仕事が溢れるくらい忙しくなると、またイライラする。

なにしろ、間に合わせなければならない。

締め切りは絶対だからだ。

徹夜は当たり前の日々だったし、そういう仕事だと覚悟していた。

不健康だし、酒浸りに陥ったこともある。

結局、心の安定なんていうものはなかった、のかも知れない。

が、

なぜか自分のなかでは充実していた日々だったように思う。

それは、私が元々宮仕えが駄目なことに起因する。

協調性と人間関係。

おおかたの企業は、ほぼこんなことで回っていた。

そして、自分の将来を、

上司とか会社に預けるというのが、私は我慢ならなかった。

それはいまでも変わらない。

自分の仕事は、結果で評価してもらう。

自分の責任は、自分でしっかりとる。

回りに振り回されない。

これしかないと思っていた。

こうした荒々しい日々は、2年続いた。

家では、子供と奥さんが私を癒してくれた。

しかし、さすがに離婚の話しを切り出されたこともある。

身内、親戚にも相当の迷惑をかけた。

かなり困難と苦痛の、私の独立だった。

いまでも想い出すと、

我ながら突っ張っていたなと可笑しくなる。

その頃の話になると、いまは奥さんも笑ってくれる。

ああ、やっと笑い話になったのだ。

が、ときどき思うのだ。

…一人の男が東京で何も知らず何も見えずに刀を振り回していた…

と、こんなことを。

地上はチミモーリョー

街を歩いていて、目を凝らすと、

ホントいろいろな人がいるなと思う。

服装もお洒落な方々から、ザックリな方、

貧しそうな服装なのに、福耳の方とか…

人相、背丈も違えば、顔つきも二つと同じものなし。

そんなことより、ああそうだ、

私が言いたかったのは、街ですれ違う方々は、

なにも真っ当な人間ばかりではありませんよ、ということ。

でしょ?

アタマが変、とかイキガっているとか、
そういう人の話ではないんですが…

例えば、すでに死んでいるハズの人が歩いている…

なんてことがあるらしい。

この世に残した未練が、影となって歩いている。

亡霊ですね。

この場合、後をつけてゆくと、路地を曲がったところで、

すっと消えたりする(恐)

また、年をとった動物が、人間の格好で歩いたりもする。

こいつら、ウィンドウ・ショッピングを楽しんだり、

公園でくつろいで、人間の振りをしている。

彼らは油断すると、尻尾をだしたりするので、

すぐばれたりします。

あと、宇宙人は、普通にいます(キッパリ)

みんな、いろんな星から来ていますからね。

テレビのコマーシャルにも出ていますが(ボスというコーヒー)

あれくらい、いまやスタンダードなんですね?

地球って、住みやすいのかな?

彼らの姿は、ホントはとんでもないんですが、

上手く人間になりきっています。

が、希に交通事故なんかに遭っても、

怪我なんかしません。

青い血がたらたら流れて、

それでおしまい。

平気なんです。

また、これも不思議な話なのですが、

背広をビシッと着込んだサラリーマン風の

「神様」なんかがいたりすることもあるそうです。

うそつけ!とお思いかも知れませんが、

いるんですね?

これは、私が実際に見た訳ではありませんが、

この話は、

とある神道系のお偉い方から聞いた話でした。

私も最初、この話を聞いたときは信じませんでした。

が、幾つかこの方に質問を繰り返しているうちに、

ふむふむと思ってしまいました。

では、何故、

神様がサラーリマン風な格好をして歩いているのか?

変ですよね? 不思議です。

その御方がおっしゃるには、神様というのは、

とにかく忙しいらしい。

で、全世界、いや全宇宙を見て回っているので、

かなり過酷な仕事らしいんです。

で、これは神様一人では無理ということになり、

次々に右腕を増やしている。

で、新しく育った神様が、

宇宙の各所をテリトリー分けして、

見て回ることになったらしいんです。

例えば、街なんかにでるとき、

時代がかった白い「尊風」だと、やたらに目立ってしまう。

で、考えたのが、

サラリーマンファッションだったということ

らしいんです。

らしいんですが、やたらと多いな?
(自信なさげ)

また、戸籍のない方なんかも、相当数歩いていらっしゃる。

名前のない方、というのもいるそうです。

だから、自己紹介なんかできない(爆)

日本は、まだまだ外国の方が少ないし、

モンゴロイド系で固まっている国なので、

外人さんなんかが歩いていると、まだまだ

相手に垣根なんかをつくってしまいそうですが、

こんなの先程の方々に較べれば、

なんてことない人たちですよ!

よーく、心の眼をひらいて、

街を歩いてみてください。

一見平和そうな人たちを、

よーくカッと見て見てください。

地上はすでに、魑魅魍魎ですぞ!

ところで質問ですが…

このブログを読んでいるあなたは、

一体、何者ですか?

仕事がひと息ついた昨日の夕方、

裏の高台にある丘を歩いた。

傾いたとはいえ陽はまだ強く、

丘にたなびく樹木の陰影が濃い。

空は薄い水色だが、雲ひとつない。

快晴だ。

西に傾いた陽が赤くまぶしい。

東南の空には、上弦の月が見える。

吹きぬける風が、

暑さも程よいと思えるように、心地よい。

14年いた東京のマンションを引き上げ、

親の縁で、この地に辿り着いた。

当初はこんな田舎、と思っていたが、

ここで子供を育て、

まがりなりにも付き合いも増え、

ついに、東京暮らしより長くなってしまった。

いまでも時々、東京や、

私のふるさとである横浜に行くが、

人の多さや、隙間のない街に疲れ、

ここに戻るとほっとする。

変わった、と自分でも思う。

今年の夏は、自宅の庭で

ゴーヤを育てることにした。

プランターを駆け上がるように、

グリーンのネットを這うゴーヤ。

いまに、

よしずを乗せたテラスの屋根を越え、

8月には

2階のベランダに到達するのではないかと思うほど、

成長が早い。

そのベランダにロゴスのサマーベッドを置き、

最近ではここから、夕景を眺めている。

暮れゆく空。陽に光る山の稜線。

丘へ出かけた、その夜、

月をじっくり眺めることにした。

空は、夏にめずらしく青に澄み、

快晴の空にぽっかりと浮かんだ月は、

とても心が落ち着くものだと、

真から思った。

震災の数日後、計画停電の夜も、

外を黙々と歩き回り、

初めて体験する闇のなかから、

ぽっと光る青い月を見た。

とても寒い夜で、物音もなく、

ただ、自分の足音を聞いていた。

先のことが、何が何だかよく分からず、

予測不能な事態は、

頭を混乱させるだけだった。

静けさのなかの精神の喧騒。

それを現すかのような、

とても青い月だった。

昨日は、

あの震災よりやっと4ヶ月が経った。

いや、まだ4ヶ月なんだと思った。

おっさんが最近思うこと。

おっさんは、最近いろんなことを考えすぎて、
書くことがまとまらなかったらしい。
で、更新もまばら。
おまけに、おっさんには妄想と虚言癖があった。

妄想・虚言癖その1

原発のストレステスト?

こんなの世界中のどの原発もアウトじゃないだろうか?

要するに、軍需から派生したエコの皮を被ったオオカミは、

暴走すると止まらないということを証明している。

世界の潮流は、原発産業に見切りをつけた流れ。

要は、原発はもう儲からないよ、という

経済中心の発想から出た結論。

フランスは残存利益を模索するだろうが、

いつまで稼げるとかというのが、

サルコジさんの心配の種なんだろうな。

日本の今回の地震に伴う原発事故は、

世界にとても重要なメッセージを残すこととなった。

妄想・虚言癖その2

AKB48というユニットは、一体何なんだろうと

私は常々思っている。

オタク狙いの金儲けは分かっているが、

その魂胆が丸見えなのが、なんとも可笑しい。

48人もいれば、一人くらい気になる子はいるだろうし、

スターにほど遠いオーラのなさも、

逆に親近感が湧いて、プロデュース側の思うツボなのかな!

これ、マーケティング的に考えると鉄板なのだが、

それをやるか否かは、まず誠実であるかどうかが鍵。

あと、立ち上げの資金の問題。

AKBの場合は、誠実な経済活動から考え始めたとは、

到底思えない。

資金を融通した人間たちの大人のえげつなさが、

そのまま出る結果となった。

総選挙なんていうのは、うすらなTV局も一緒になって、

もう国民的アイドルのような…

そんな訳ないだろうと思う。

妄想・虚言癖その3

普段から、私は星の動きとか月の満ち欠けが気になる質だ。

星の動きといえば、占星術。これは東洋・西洋いろいろある。

一応、天文学とか統計学などが基礎になっているので、

単なるまやかしでもないと、私は思っている。

暇なときに占い等をざっとチェックしてみると、

東洋・西洋を問わず、だいだい似たようなものが出るときが

多々あることに、最近になって気がついた。

で、月だが、新月に新しい事を始めると良いとかいろいろあって

この辺りの本も幾つか読み、実行したが、

未だにその裏が採れていない。

で、昔の中国の環境学から派生した風水なども、

一応私なりにチェックもしてみたが、

どうもよく分からない。

で、アレコレ動きが制約されることに、

更にイラッとくる。

ここいら辺に、はまってしまった人を私は知っているが、

自身の行動なのに、全く自由がない。

今月はあっちへ行ってはいけない。金運が下がる。

今日は東南の方向は吉。交際運が上がる!…

毎日、同じ方向へ出勤する勤め人の方は、端っからアウト!

金持ちの運勢学であって、庶民の味方ではないのが、

風水なんじゃないのかと思う。

くうねるあそぶ

震災後、風呂にゆったり浸かることもなく、

さっと出る習慣が身に付いた。

飯も素早く喰うようになった。

で、よく喰う。

寝る時間も長くなった。

明らかに太った。

自然に備わっていたカラダの危機管理システムが

稼働し始めたと、自分では考えている。

生き延びようとする本能。

このところは、喰う量も減り、

睡眠時間も短縮され、

風呂も少しのんびり入るようになった。

が、カラダは元にもどっていない。

腹の肉をつまみながらベッドにごろんとしていた先日、

ふと、くうねるあそぶ、というフレーズが頭に浮かんだ。

くうねるあそぶ?

ん、これはコピーライターの糸井重里さんが80年代の

クルマのコマーシャルで披露したコピーだった。

くうねるあそぶ。

要は、喰う、寝る、遊ぶ、だ!

それをひらがなにしてコピーにした。

いまでは信じられないが、こんなコピーが、

当時の一世を風靡した。

この頃、イメージを重視したコマーシャルが、

主流だった。

ビジュアルは、

クルマに乗った井上陽水さんが笑いながら

「みなさ~ん、お元気ですか~」と言って走りすぎてゆく、

というだけのもの。

他と較べても、このコマーシャルは、

相当ぶっとんでいたと思う。

クルマと、喰う、寝る、遊ぶ?

近いような気もするが遠いとも思う。

イメージとしても、高級そうでもなく、

早そうな感じもしない。

まして、キャンピンカーでもない。

こんなコマーシャルがヒットした80年代は、

要するにこういう呑気でいい時代だったのだと、

最近、私は身に染みて感じている。

いま、遊ぶはとにかく、

喰うことと寝ることは、まさに生きる術、

それが実感できる時代なのだ。

花よりだんごの如く、

見栄えではなく、実利を採ることを最優先する。

生きているものは、もちろん、みんな生きようとするものだ。

よって、イメージではなく、喰う、寝るだ。

あと、住むところがあるか否かという切実な問題。

仕事をなくした方たちも、このままでは立ちゆかなくなる。

喰う、寝るがひとまず落ち着いたら、住むことも考えなくてはならない。

そして、働かなくては生きてゆけない。

震災後、AC(公共広告機構)のコマーシャルが頻繁に流れた。

人を思いやる心の啓発とか、挨拶の重要性を説くもの、

世界の人たちが日本を応援するというもの、等々。

一連のコマーシャルは、昔でいえば、道徳の教えだ。

こうしたものの良い悪いは、あまり考えたくない。

こんな希に起こる災害時に頼れるものは、

人の道徳心なのかも知れないのだから…

また、不況という時節柄、もう何年も前から、

広告というものも様変わりしていた。

簡単に言うと、広告にリアリティが求められる。

数字、裏付け、ユーザーの歓びの声など。

そして、メリットの最大拡大表現なども、

通販の国、アメリカから輸入されたのテクニックだ。

ネット時代に、通販のテクニックは相性がよい。

で、アメリカのマーケティングが日本に上陸、

いまの日本の広告文化を形づくっている。

ここで私が率直に思うのは、いまの時代の広告は、

かなり神経質で細かい。

電卓を片手にコピーを書かなくてはならない、

ような気分にさせられることもある。

で、ダイナミックな表現もない。

併せて、詩のような美しさも消えた。

私は、広告は文化だと思う。

この異常な事態に文化もへったくりもないが、

いつか、文化が語られるときがくる。

今回の震災を機に、私たちは日本という国、

日本人という人の本質も考えたことと思う。

政治の限界もみた。政治家の器もみえる。

官僚のやることも、なんとなく見透かしてしまった。

世界のなかの日本という立ち位置も、

改めて教えられることとなった。

これからの日本は、軍事でも経済でもなく、

やはり人が築き上げる文化なのではないかと思う。

文化には、メンタリティが欠かせない。

メンタリティは、人の心がつくる。

そんなとき、人はアレコレ想像し、創造する。

次の時代をつくる原動力は、何にも増して

精神力は欠かせないのかも知れない。

が、貧困な精神では立ちゆかなくなる。

この国のこれからをイメージする力。

それは経済的にはちょっとお粗末でも、

気持が豊かであれば、限りなく広がるものが、

イメージの力なのだ。

閑話休題的ブログ

庭の梅の花がほころび始めた。

満開の頃にはうぐいすが二羽やってきて
驚いたことがある。

うぐいすってホントにうぐいす色なんだ(笑)

この頃の
晴天の日に見る梅の花は、
白も赤も美しい。

いまはまだ寒いが、表に出ると
遠い景色がかすんで見える。

ああ、春だなと思う。

ピンと張りつめた冬の景色と違い、
何かピントが緩んだようなところが、
春の景色なのかも知れない。

冬の夜空はとても綺麗だが、
春の夜空は
瞬くほどの星も見づらくなる。

総てにフィルターが架かったような
曖昧な季節。

水が温む。

気も緩む。

季節が移ると考え方も変わる。

クルマを変えようかな?と思う。

その昔にやっていた拳法を
再び習いに行こうかと思案する。

今年こそは、マイ・カヤックを買うぞ!
いや、東南アジアに行こうか?

いろいろネットを見てはニヤニヤしている
自分がいる。

ホント、緩んでいるな?

が、去年からすすめていたプロジェクトが
ようやくこの春にスタートを切るのだが、
その反響により、私の力量も試されることを考えると、
心底では、かなり緊張を強いられてもいる。

我が社の損益分岐点でもある。

しかし
ここはひとつ曖昧に考えることにしている。

でないと辛いし、この季節を満喫することもできない。

このフィルターの架かったような結論を、
この春の私の考え方としようと思う。

夢のない時代

政治・経済共に行き詰まってくると、
何もかもがシビアだ。

給料の目減り、失業率の悪化、
そして、
この先に何が待ち受けているのか知らないが、
見通しは暗い。

こんな時代の若者たちは、総じて元気がないと言われる。
(だが、年寄りは元気にみえる?)

私見だが、小さくまとまっている、保守的、
そしてよい子が多い。
これが、現代の若者観だ。
(不良は年寄りに多いような?)

で、草食だの何のと世間では言われているが、
これは時代が生んだ傾向だろう。

追い打ちをかけるように
大人が「夢をもて!」なんてハッパをかけるが、
そこは私も含めて、時代錯誤なのかも知れない。

なかなか夢の描き辛い時代なのだ。

いまは亡き、あの坂本九が「明日があるさ」という歌を
ヒットさせたのは、いまからざっと50年くらい前か?

あの頃、日本は右肩上がりの高度成長時代が始まった頃で、
とにかく誰にも仕事はあった、らしい。

どんな仕事でも
働けば、給料はどんどん上がってゆく。

そこで、テレビや冷蔵庫、クルマやマイホームに至るまで、
買いたいものは買える。

頑張れば、何とかなったのだ。

そんな時代に「明日があるさ」は、当たり前のように
ヒットした。

転じて現在は、
本当に明日があるのかと、
いろいろな人が心底不安に思っているのではないか?

若者だけでなく、私たちは不安の時代を生きている。

明日がある、なんて呑気なことは言っていられない。

だから、今日をないがしろにする者に明日はない、
という程、世間は厳しい。

そんな時代に、私たちは生きている。

せめて、若者だけに重責を負わせるようなことは、
してはならないと思う。

が、しかし
ルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュは
なかなかの名言を残した。

ーーーたとえ世界の終末が明日だろうと、

     私は今日

       リンゴの木を植えるーーー

要するに、
金があろうがなかろうが、
それが夢なのかどうか分からなくても、
せめて、好きなことくらいは、
貫き通そうぜ!

ということのように、私には解釈できる。

いや、そのようにありたいと思う。

歩く、に目覚めるの記!

かれこれ1年使っている
ケータイをいじり回していたら、
万歩計があることを今更ながら
発見。

普段は、アンドロイドケータイが便利。
で、古いケータイはなおざりだった。

通話できればいいやのケータイに、こんな機能があるとは!

気がつかなかった。

で、ちょっとこれをセットすることにした。

というのも、最近よく喰うお陰で、
腹、通称お腹が出てきているな、と実感。

これは歩くのが一番と思ったからだ。

或る日、
歩数を覗いてみたら、350歩位という
信じられない不健康な日があり、
これではいけない。ということで、
ケータイ万歩計を意識して、歩く日を増やすことにした。

所用で横浜の関内へ出かけたとき、
翌日は休みということで、ふと歩き回ることを計画。
で、そのまま関内に居座り、翌朝から行動に移す。

朝は11時にホテルを出て、関内から石川町までの一駅を
京浜東北線で電車移動。

さあ、歩くぞ!

石川町駅へ降り立つのは、何十年ぶりだろ?

細い道に連なった商店街はまだ、
眠たそう。

あっちこっち寄りながら、歩け歩けの始まりだ。

元町の中程まで来ると、ショーウインドウに
格好いい革のショルダーバッグを発見。

誘われるように店内に入ると、
良さげなデザインのコートや靴のほか
革製品がズラリ。

歩くのを忘れて見とれていると、
中からこれまた格好いいおっさんが出てきて、
私をこちらへこちらへと、奥へ誘う。

そこには、様々な革のジャケットがビッシリ並んでいて、
これまた気になる奴ばかり。

ちょっとその気になり、羽織ってみる。

「これは良いな~」

革の肌触りも良いし、よく見ると縫製も丁寧だ。

で、値札を見て驚いた。18万円!

とっさに歩くことを思いだし、
その店をさっさと逃げるように出る。

歩け歩け!

元町通りの最後まで歩いたところでケータイが鳴る。

やはり仕事の電話。

興ざめするも、
陽差しがまぶしく街がきらきらしているので、
全然OKという気分になる。

このときケータイをチェック!

確か、まだ3000歩位だったような気がする。

で、川を渡り中華街へ。

ここはどこも相変わらずうるさいし、
看板もド派手。

人もぐっと増えて、心地よくは歩けない。

思えば、元町はかなり閑散としていたな?

人混みを早足で歩く。

で、何故かパワートーストーンのお店に目が止まり、
中でアレコレ物色をする。

歩くの、中止。

水晶の原石のようなとがったものと
丸い玉が気になる。
ついでに、何の石だったか、
龍の置物も良いのがある。

えーい、みんなまとめて買ってしまえ!

ここでかなり時間を取りすぎた。

昼も過ぎ、いい加減に腹が減ったので、
前々から行きたかった萬来亭で
メシを喰う。

もう2時だというのに、かなりの混みよう。

ここの上海焼きそばは絶品で、
太っても構わないからガンガン喰う。

ここは、女優の余貴美子さんの
行きつけらしい。

土曜の朝のTVでみたぞ。

で、店を出て上機嫌で歩いていたら、
「占い」の文字が目に飛び込んできた。

「マズイ!」
(オレは占いマニアだったのだ)

ふらふらと立ち寄る。

金の出入り激しい
しっかり貯金しなさい
老後は安泰
死ぬまで仕事するわよ

で、我に帰り、再び歩き出す。
(死ぬまで働く?)

中華街も飽きたし、ここは日陰が多いな。

で、海へと方向を換え、山下公園へ向かって
ひたすら歩く。

やがて視界がひらけ、日差しのありがたさを
たっぷり味わいながら、山下公園着。

ここでケータイチェック!

おお、7000歩かよ!
憧れの一万歩が、射程距離に入ったなと
ニヤニヤする。

公園を一回りして、ベンチに腰掛けると、
その回りをハトが歩いている。

割とかわいい顔立ち。
歩き方も面白い。

こいつ、どっかで見たことあるなと思っていたら、
中学の時の同級生の顔が浮かんだ。

あいつ、生きているかな?

年を取ると、思い出し方もシュールとなる。

こうしちゃ居られない、という訳で、
今度は背後にそびえ立つマリンタワーへと向かう。

確か、マリンタワーは今年で50周年。
エフヨコでそんなことを言っていたのを思いだす。

思えば、私はこの横浜港の対岸の街で生まれ、
いつも丘の上からこちらを見ていた。

懐かしいことこの上ない場所に立っている訳だ。

で、マリンタワーの色も赤白のツートンカラーから
シルバーへと様変わり。
(センスはイマイチ)

下には洒落たオープンカフェもできた。

そこはどうもしっくりこないが、今日は上へ行くぞと、
入場券を買い、エレベーターに乗り込む。

ああ、浜っ子なのに、私はこの上に、
過去1度しか昇ったことがない。
それも幼少の頃なので、今回が初めてのような感じ。

ガラス張りで、外がリアルに見えるエレベーターは、
正直恐いな、と思う。

展望台からは、快晴の首都圏が一望だ。

房総半島あたりから都心のビル群や東京タワーを始め、
いま話題のスカイツリーも見える。

で、神奈川県の平野部とその向こうの丹沢の山、
そして、本牧あたりの工場群から、遠く箱根や富士山まで見える。

絶景だな!

と、私の視界のなかに米軍の大型ヘリが複数。
群れをなし、ゆうゆうと関東平野を飛んでいる。

この一瞬ばかりはかなりムカついた。

思えば、いま私が住んでいる地域も、
どうも米軍の飛行路らしく、
毎日決まった時間に、上空を軍用ヘリが飛ぶ。

横須賀基地と横田基地を結ぶ空路と思われるが、
いろいろな意味でかなり苛つくのだ。

気を取り直して、やれやれとエレベーターを降り、
近くのニューグランドへと向かう。

ここの旧館のカフェは、イケテルので、
パンパンの足を投げ出して、
コーヒーとケーキを頼む。

いやいや、痩せなくてもいい。
私は歩いて健康になるんだと、
自己正当化へと、ひとつの理論をまとめる。
と、コーヒーも美味いがケーキも美味い。

まだイケルがそうもいかず、投げ出した足を
さする始末。

ここでケータイ万歩計をチェックすると、
驚いたことに9000歩を達成。

俄然やる気になってきた。

で、ホテルを後にして歩こうと思ったが、
近くにみなとみらい線があったことをふと思いだし、
そっち方向へと安易な決断を下す。

こうして、何だかんだと私の一万歩は、
その日の夕食時に達成したので、
嬉しくて回転寿司をたらふく喰い、
砂糖のたっぷり入った缶コーヒーを飲みながら、
家路に着いた。

家で最後のケータイチェック時は、一万3000歩!

もう足が痛いし、怠いので、これは疲労したなと思い、
寝る前に明治のチョコをたらふく喰って寝た。

ああ、健康とは何だろう?

アナログ最後の日

テレビをみていると、画面の右上にアナログと出る。
そうだよ、アナログだよ、と私。

いちいちうるさいテロップだな。
画面の下には、地デジの工事は来年になると混み合います、
というような内容のテロップ。

ホント、ウルサイナ!

私は、このでかくて重くてアンティークなテレビが好きなんだ。
ホントは、どうでもいいサンヨーのアナログテレビなんだけどね。

実は、電気屋には何度も足を運んでいる。

テレビ売り場でぼぉーと幾つもの画面を眺めるも、
とっさの判断力と分析に欠ける私は、
みんな同じにみえてしまう。

さて、何がなんだかが、よく分からない。

冷静になって一つひとつ眺めるも、いろいろな機能の意味が、
いまひとつ理解できない。
値札も何枚もあり、どれがホントの値段なのかも不明。

こんなとき、どこからともなく店員さんが近づいてきて、
「どんなものをお探しですか?」とくる。

「四角いの、やはりテレビは四角いのがいいね!」と私。

店員さんは、明らかに引きつったウスラ笑いを浮かべ、
絡みづらい奴だなぁコイツ、みたいな感じになり、
しばらくしてどこかへ消えていく。

私は自分で、この目で、テレビを選びたいんだ!

が、ブルーレイだのW録画だのと言ったって、全然分かんないだけどね。

そもそも私は、テレビをあまりみない。

ホントに疲れたときに、テレビをつける。なぜなら、ぼぅーとして
何も考えなくて済むから。

または、ホントに見たいものだけしか観ない。

なので、私にとってのテレビは、日課のなかのほんの一部に過ぎない。

当然、テレビ探しにも気合いが入らない。

だから、ホントはテレビの機能や諸々について知ろうともしないし、
どうでも良いと思っているフシがあるのも認めよう。

併せて、地デジというのがいまひとつ良く分からないのも事実。
地上デジタルなんて、なんで今頃なんでなんすかね?
空には衛生がぶんぶん飛んでいるでしょうに…。

で、こうなると、こっちも持久戦の構えとなってゆく。
テコでも動かない決意。

このダサイ、サンヨーのアナログとずっと付き合っていこう!
と、割と情の深い私。

こうなると、楽しみは来年だ。
アナログ最後の日、デジタル元日の日を、
この目でしっかりと見届けようという希望まで湧いてくる。

たとえば、
ある朝、眠い目でテレビをつけると、
画面いっぱいに砂嵐のような映像?が流れる。
「おっ、アフリカだ!パリ・ダカールラリーだな」と私。
で、いつまで経ってもザーザーという音声と共に、
画面も延々と砂嵐。

これを3時間眺めたあと、私は二度とテレビに近づかなくなり、
後はFMても聴きながら、出かける支度でもするだろう。

こうして私の前からテレビは消え、次第にその必要性さえ感じなくなる。

静かな生活はいいもんだ。
テレビなんかいらない!

が、或る日、好きな映画なんかがテレビでみたくなり、
再びテレビを買おうかな、などとおぞましいことを考える。

このとき、私はとんでもないデカイ奴を買うことにしよう。

で、気に入ったハリウッド映画や世界遺産を扱った番組とか
「生きもの世界紀行」のようなものをじっくりみるのだ。

そんな日が来るのか来ないのか、私自身全く不明だが、
そんなときの私のささやかな希望は、
テレビ画面から、
みの●●や小倉某とかいう司会者とか、
AKB云々とかのド素人女子軍団とか、
エビゾーとかの話題とか、
つまんねぇクイズ番組なんかは、
綺麗さっぱり消えて頂きたい、
ということだ。

(知ってるなぁ!)

恋人

やっと試験合格。
転職が決まって、朝9:00に初出社した。

みんなやさしく僕を迎えてくれて、
ここは長居できそうだと思った。

ここは、コピーライターから作家に転身した
ある有名な女史も在籍していたということで、
自分も頑張らねばと…。

ところが、なんだか面白くもない仕事が
あるもんだなぁ、と企画書を眺める。

しまいには、くだらない仕事だと結論を出すのに、
3時間かかった。

昼時。先輩の方々に飯に誘われ、
西麻布の小洒落たレストランで奢ってもらう。

いまでも濃い味だったこと以外、その店のことは
何も覚えていない。

申し訳ないなと思いながらも、
午後一で、「私、辞めます」と言って、
広尾の駅までとぼとぼと歩く。

外の空気が美味かった。

排気ガスまみれの、
通りの空気が美味かった。

午後の空いた日比谷線に乗り、
こんな電車、二度と乗るもんか、と思った。

自宅のマンションには誰もいないので、
僕は彼女が入院している病院へと
直行する。

「どうしたの?」と、彼女。

「会社、辞めてきた」

「なんで?」

「………」

僕は、つわりで入院している彼女に
早く会いたかった。

調子はどう?

かなり良いよ

そう、良かった

彼女の手を引き、
ふたりで病院の屋上へ出て、
洗足池のあたりを眺める。

また、いつものように
とりとめのない話。

次の日も、また次の日も、
僕は病院へ通い、
彼女の残した食事は
僕がたいらげた。

彼女が退院しても、
しばらく僕は家に居て、
彼女ととりとめのない時間を
過ごした。

あとで気がついた事だが、
僕はあの頃、
働くのが嫌だったのではなく、
あの会社の仕事が気にいらなかっのでもなく、
自分が働いている最中は、
抜け殻だったということだった。

あの頃、僕は彼女と一緒にいたかった。

ただそれだけだった。