<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	
	xmlns:georss="http://www.georss.org/georss"
	xmlns:geo="http://www.w3.org/2003/01/geo/wgs84_pos#"
	
	>
<channel>
	<title>
	或る虚人の告白 へのコメント	</title>
	<atom:link href="https://pair-factory.com/d-blog/column/51803412/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://pair-factory.com/d-blog/column/51803412/</link>
	<description>コピーライターが綴る広告とメディアと日々の雑感</description>
	<lastBuildDate>Sat, 03 Dec 2011 20:30:43 +0000</lastBuildDate>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	
			<item>
				<title>
				スパンキー より				</title>
				<link>https://pair-factory.com/d-blog/column/51803412/#comment-3442</link>
		<dc:creator><![CDATA[スパンキー]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 03 Dec 2011 20:30:43 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://pair-factory.com/d-blog/%e5%ba%83%e5%91%8a%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3/51803412/#comment-3442</guid>
					<description><![CDATA[町田さん)
---信仰の世界に入らないかぎり、それは 「答のない問い」 を探すための、
荒野の旅であるように感じています---確かにおっしゃる通りです。
---そして、私は、その 「荒野の旅」 が好きです。別の言葉に置き換えれば、
それは 「哲学に挑むこと」 であるかのように思います---私もそのように思います。
きっかけやアプローチは、人それぞれですが、誰もが一度は通り過ぎるテーマのような
気がします。
答えのない問題、やすらぎのない荒野。ここを通るとき、人は何かに試されているような気もします。
そもそも、足りない想像力と知識で考える神的なものは、その取っ掛かりからして間違っている---
そのようにも思うのですが、町田さんの言われるように、神さまの影・気配のようなものは、感じることがあるので、
とても探求心をそそられます。
ホーキング博士のように、「神はいない」と断言される方もおられますが、彼は特別。この問題はいつも
迷宮ですね?
だだ、有限な私たちが、なにかよく分からない、得体の知れないものを感じて掴むとき、
それは心中に一種、悟りのようなものが得られるかも知れない。それは、
人としては画期的に面白い体験ではないかと思うのですが。
いつも、コメントありがとうございます。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>町田さん)<br />
&#8212;信仰の世界に入らないかぎり、それは 「答のない問い」 を探すための、<br />
荒野の旅であるように感じています&#8212;確かにおっしゃる通りです。<br />
&#8212;そして、私は、その 「荒野の旅」 が好きです。別の言葉に置き換えれば、<br />
それは 「哲学に挑むこと」 であるかのように思います&#8212;私もそのように思います。<br />
きっかけやアプローチは、人それぞれですが、誰もが一度は通り過ぎるテーマのような<br />
気がします。<br />
答えのない問題、やすらぎのない荒野。ここを通るとき、人は何かに試されているような気もします。<br />
そもそも、足りない想像力と知識で考える神的なものは、その取っ掛かりからして間違っている&#8212;<br />
そのようにも思うのですが、町田さんの言われるように、神さまの影・気配のようなものは、感じることがあるので、<br />
とても探求心をそそられます。<br />
ホーキング博士のように、「神はいない」と断言される方もおられますが、彼は特別。この問題はいつも<br />
迷宮ですね?<br />
だだ、有限な私たちが、なにかよく分からない、得体の知れないものを感じて掴むとき、<br />
それは心中に一種、悟りのようなものが得られるかも知れない。それは、<br />
人としては画期的に面白い体験ではないかと思うのですが。<br />
いつも、コメントありがとうございます。</p>
]]></content:encoded>
						</item>
						<item>
				<title>
				町田 より				</title>
				<link>https://pair-factory.com/d-blog/column/51803412/#comment-3441</link>
		<dc:creator><![CDATA[町田]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 02 Dec 2011 19:56:37 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://pair-factory.com/d-blog/%e5%ba%83%e5%91%8a%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3/51803412/#comment-3441</guid>
					<description><![CDATA[　
スパンキーさんとしては、かなり異色のテーマに挑戦されたようですね。
しかし、宗教というもの、神様というものに対して真っ向からぶつかっていく姿勢に、共感するものを感じました。
そして、ものを考えるときの、いくつかのヒントをいただきました。　
個人的には、 「宗教とは何か」 を考えることは、永遠の迷路に入り込むようなものではないか、という気がしています。
信仰を持てば、その問い自体が消えるのでしょうが、信仰の世界に入らないかぎり、それは 「答のない問い」 を探すための、荒野の旅であるように感じています。
そして、私は、その 「荒野の旅」 が好きです。
別の言葉に置き換えれば、それは 「哲学に挑むこと」 であるかのように思います。
私は、最近ある本を読んでいて、キリスト教とか仏教の経典に描かれているような 「神様」 や 「仏様」 と、実際のキリストや釈迦が視ていた 「神様・仏様」 とはまったく違うものではないかと考えるようになりました。
彼らが視た 「神」 というのは、たぶん、われわれが、いろいろな物語とかドラマからイメージする 「神様」 とは、違うものではないかと思うのです。
もちろん、それがどんなものであるのか、私の乏しい想像力では理解できませんし、また実際に信仰を持っている多くの信者たちも、きっと把握できていないでしょう。
ただ、ふとしたときに感じる 「神の影」 。
おそらく、そんな気配としてのみ、神は姿を現す。
それは、命においても、思考においても 「有限」 である人間には、誰も把握できないし、想像することさえできない。
「無限」 という観念を手に入れたときだけ、それは解かる。
でも、「有限」 の人間には、その 「無限」 が想像的できない。
スパンキーさんの考察を拝読し、自分はそんなことを考えることができました。
　
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
スパンキーさんとしては、かなり異色のテーマに挑戦されたようですね。<br />
しかし、宗教というもの、神様というものに対して真っ向からぶつかっていく姿勢に、共感するものを感じました。<br />
そして、ものを考えるときの、いくつかのヒントをいただきました。　<br />
個人的には、 「宗教とは何か」 を考えることは、永遠の迷路に入り込むようなものではないか、という気がしています。<br />
信仰を持てば、その問い自体が消えるのでしょうが、信仰の世界に入らないかぎり、それは 「答のない問い」 を探すための、荒野の旅であるように感じています。<br />
そして、私は、その 「荒野の旅」 が好きです。<br />
別の言葉に置き換えれば、それは 「哲学に挑むこと」 であるかのように思います。<br />
私は、最近ある本を読んでいて、キリスト教とか仏教の経典に描かれているような 「神様」 や 「仏様」 と、実際のキリストや釈迦が視ていた 「神様・仏様」 とはまったく違うものではないかと考えるようになりました。<br />
彼らが視た 「神」 というのは、たぶん、われわれが、いろいろな物語とかドラマからイメージする 「神様」 とは、違うものではないかと思うのです。<br />
もちろん、それがどんなものであるのか、私の乏しい想像力では理解できませんし、また実際に信仰を持っている多くの信者たちも、きっと把握できていないでしょう。<br />
ただ、ふとしたときに感じる 「神の影」 。<br />
おそらく、そんな気配としてのみ、神は姿を現す。<br />
それは、命においても、思考においても 「有限」 である人間には、誰も把握できないし、想像することさえできない。<br />
「無限」 という観念を手に入れたときだけ、それは解かる。<br />
でも、「有限」 の人間には、その 「無限」 が想像的できない。<br />
スパンキーさんの考察を拝読し、自分はそんなことを考えることができました。<br />
　</p>
]]></content:encoded>
						</item>
			</channel>
</rss>
