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	或る秋の日に・・・ へのコメント	</title>
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	<description>コピーライターが綴る広告とメディアと日々の雑感</description>
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				<title>
				スパンキー より				</title>
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		<dc:creator><![CDATA[スパンキー]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 20 Oct 2011 21:20:04 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[町田さん)
町田さんのお母さんの姿を以前ブログで拝見しました。確か、オーニングの下で座って居られたと思いますが、あの写真こそ、町田さんの思い出の一枚なんですね?
私も昨日、おふくろに付き添っていまして、なんとか歩いてもらおうとほぼ抱えながら何度か試しましたが、私の手に負えるものでもないようなので、今日は専門家と今後の方針を決める予定です。
さて、しあわせを考えるという意識は、言い換えれば贅沢な環境下の人間なのかも?という意識が私にはありまして、どうもそこがよく分からない。
どの時代のどの地域の人々が、こうした概念を思いついたのか私には分かりませんが、こうした意識は深く死生観にもかかわるような気がします。
こうなると、宗教とか哲学の出番なのでしょうけれど。
が、こういう事を考えられること事態、しあわせなのかなと思うこともあります。
例えば、先日アフリカのエリトリアという国に関してのレポートを観ましたが、誰もがいつ死んでもしょうがない貧しさと、圧政による労働と抑圧で、とてもしあわせなんて考える状況ではなく、生きているだけでもそれが良いのか悪いのかまで追い込まれるような人たちを見ました。
そういう訳で、私の頭の中は混沌としているのですが、こんなことをクリアにする必要はない、といのも私のいまの心境です。
だって、人間という生き物自体が大きな矛盾をはらんでいるとも思うので、それはそれで業だと観念しております。
コメント、いつもありがとうございます。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>町田さん)<br />
町田さんのお母さんの姿を以前ブログで拝見しました。確か、オーニングの下で座って居られたと思いますが、あの写真こそ、町田さんの思い出の一枚なんですね?<br />
私も昨日、おふくろに付き添っていまして、なんとか歩いてもらおうとほぼ抱えながら何度か試しましたが、私の手に負えるものでもないようなので、今日は専門家と今後の方針を決める予定です。<br />
さて、しあわせを考えるという意識は、言い換えれば贅沢な環境下の人間なのかも?という意識が私にはありまして、どうもそこがよく分からない。<br />
どの時代のどの地域の人々が、こうした概念を思いついたのか私には分かりませんが、こうした意識は深く死生観にもかかわるような気がします。<br />
こうなると、宗教とか哲学の出番なのでしょうけれど。<br />
が、こういう事を考えられること事態、しあわせなのかなと思うこともあります。<br />
例えば、先日アフリカのエリトリアという国に関してのレポートを観ましたが、誰もがいつ死んでもしょうがない貧しさと、圧政による労働と抑圧で、とてもしあわせなんて考える状況ではなく、生きているだけでもそれが良いのか悪いのかまで追い込まれるような人たちを見ました。<br />
そういう訳で、私の頭の中は混沌としているのですが、こんなことをクリアにする必要はない、といのも私のいまの心境です。<br />
だって、人間という生き物自体が大きな矛盾をはらんでいるとも思うので、それはそれで業だと観念しております。<br />
コメント、いつもありがとうございます。</p>
]]></content:encoded>
						</item>
						<item>
				<title>
				町田 より				</title>
				<link>https://pair-factory.com/d-blog/essay/51791704/#comment-3428</link>
		<dc:creator><![CDATA[町田]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 19 Oct 2011 17:46:37 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　
スパンキー様。
これは素晴らしい記事ですね。
コメントを入れるにも、厳粛な気分になります。
　　
何が人間にとって、しあわせなのか。
分からないながら、その 「しあわせ」 たぐり寄せようとしても、つかもうと手を伸ばすと、もう虚空に漂う自分の手を、むなしく眺めているだけ。
　
そんな、微妙な心の動きを、さまざまな情景と小道具を重ねながら、見事にとらえていると感じました。
　
お母さんを大事にしてあげてください。
自分は、キャンピングカーを持ちながら、ついに、母を家族としてキャンプに連れていってやることができませんでした。
　
ただ、たった一度だけ、日帰りでしたが、母と二人だけで、春のキャンプ場を訪れたことがあります。
オーニングを出し、その下に椅子とテーブルをセットして、コーヒーを沸かしました。
母はそれをおいしそうに飲み、花を摘むように、キャンプ場の芝生の上を自由きままに歩いていました。
　
たった一度だけ。
でも、その時間を持てたことが、今としては、せめてもの救いです。
　
年をうまく取るということは、そのような小さな思い出をどれだけ抱えられるかで、決まってしまうのかもしれませんね。
　
このエントリーからは、いろいろなことを考えさせられました。
　
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
スパンキー様。<br />
これは素晴らしい記事ですね。<br />
コメントを入れるにも、厳粛な気分になります。<br />
　　<br />
何が人間にとって、しあわせなのか。<br />
分からないながら、その 「しあわせ」 たぐり寄せようとしても、つかもうと手を伸ばすと、もう虚空に漂う自分の手を、むなしく眺めているだけ。<br />
　<br />
そんな、微妙な心の動きを、さまざまな情景と小道具を重ねながら、見事にとらえていると感じました。<br />
　<br />
お母さんを大事にしてあげてください。<br />
自分は、キャンピングカーを持ちながら、ついに、母を家族としてキャンプに連れていってやることができませんでした。<br />
　<br />
ただ、たった一度だけ、日帰りでしたが、母と二人だけで、春のキャンプ場を訪れたことがあります。<br />
オーニングを出し、その下に椅子とテーブルをセットして、コーヒーを沸かしました。<br />
母はそれをおいしそうに飲み、花を摘むように、キャンプ場の芝生の上を自由きままに歩いていました。<br />
　<br />
たった一度だけ。<br />
でも、その時間を持てたことが、今としては、せめてもの救いです。<br />
　<br />
年をうまく取るということは、そのような小さな思い出をどれだけ抱えられるかで、決まってしまうのかもしれませんね。<br />
　<br />
このエントリーからは、いろいろなことを考えさせられました。<br />
　</p>
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