ものがたり

月は幻

夢の丘で寝転がっていると

君だったと分かるまで

その永遠のような

ひとときのこと

いったい君はどこから

降ってきたんだろう

秋雨の降りしきる頃

森の一葉に

落ちてきたとでも

言うのかい

地中から出てきたわけでは

ないだろうに

打ち寄せる波に運ばれた

貝の中に

隠れていたのか

私さえ

なにがどうして

ここにいるのか

だから

出会いはいつだって

不思議に充ちている

私と君が綴る

ものがたりが

目の前のことなのか

夢なのかなんて

誰にも分からない

気づかない

だからいつも

愛は

不思議に充ちている

ものがたりなんだよ

とかくテレビというものは

最近、芸能人の二世の話題が多い。
百恵ちゃの息子とか陽水の娘ほか
まだまだいっぱいいますね?
私が思うに、この人達は恵まれている反面、
親を超えられるかという壁は
常に評価の対象になるのではないか?

私の知る限り、明らかに親越えをしたのは
堺正章さん位しか頭に浮かばない。

で、私が一番衝撃を受けたのは
朝顔を洗っているときにふっと思ったのだが
父親がが矢沢だったら厳しい!

おやじがヤザワだよ?

そこんとこよろしくって言われたってね?

さて

石田純一というタレントがいるが
この人はテレビ番組(ロンブー)のなかで
自分のプロポーズのシーンまでを
ひとつの企画にして売ってしまった。

うーん、常に恋をしているオーラを
売りにしている人だが、この人って
これだけで喰っているところが凄い!

素足のオトコ、イシジュン!

こうなると石田商人だな!

石田商人、恐るべし。

古舘伊知郎。

この人は過去にプロレス実況だの
歌番組だの、かなり面白いトークで
世間を沸かせてくれた。

意味不明だがフムフムと納得してしまう
この人の話術は凄いものがあるし
マシンガントークをやらせたら
この人の右に出る人はいないと思うのだが

例の報道ステーションのこの人は
怖い。

魂のない、夢も希望もない
オッサンにしか見えないトンデモナイ暗さは
どっから湧いてきているのか?

確かにニュースというのは
ネガティブな傾向なものが多いのだが
この人は喋る前からドロンとしてる。

怖い。

もう、このニュースは世界の終わりだよ
なんて言うくらいに深刻なんであり
話すひとつひとつにぞっとするような
疲れが漂っている。

あ~あ、なんて酷い世の中なんだろう
オレは嫌な時代に生まれてきたなとしか
思えない暗さ。

あんたさ、道を間違えてんじゃないの?

で、
最近、麻薬で捕まる芸能人の話題が
テレビを席巻している。

で、こういうテレビを四六時中観ている人というのは
どういう人なのだろうと考えたが
やたら暇な人以外には思い浮かばない。

ノー天気か幸せ者ですね?

そこでふと思ったのだが
テレビって暇な人のものなのか?

この事件で特番を組んだ局もあったが
仕掛けたプロデューサー氏はあざといと同時に
テレビの自死を早めたとしか思えない。

視聴率を当て込む。イケルと思う。
ここでコイツは墓穴を掘った。

視聴率はかなりのものだったらしいが
テレビなんてこんなものしかやらないよ
という人間も着実に増えているでしょ?

つまらない、面白いではなく
悲しいほどの志の低さ

他人の不幸は蜜の味というコンセプト?

こういう制作姿勢は、
例えば毎週閉店セールをして人を欺いている
前のウチの近所にあった家具屋に似ているな。

その家具屋は、当たり前だけど潰れました(涙)

いつかつづく

風の道

その道はある日

ふっと舞い降りたように

海に続いていた

ざわめく木々

揺れる草花

都会から離れて

ひっそりと海へ続く

ひと筋の道

人の波に疲れ

恋はどうなるのか

生きてゆく意味を知りたくて

人は歩く

あなたと歩く道ではない

みんなで歩く道ではない

ましてや

家族と歩く道でもない

風の道は海へ続く道

風の道は

独りで歩く道

風の道は

涙がこぼれる道

時代なんかパッと変わる

夏を引きずりながら

外の気配は秋めいている

日差しは心なしか斜めに差すも

まだまだ勢いがある

その中を

時折乾いた風がすっと抜ける

空が高い

今年初めての赤とんぼ

こうしてふっと気を抜くと

まばたきする間に

秋なのだ

目を凝らしていないと

分からないものがある

予兆はひたひたと忍び足

ある日恋人にさよならを言われても

それが心変わりなのか

気まぐれなのか

久しぶりに走る道路に

いままでなかった分岐点が現れて

驚いたことがある

何度か通った店の前に立つと

もうそこは私の知っている

イタリアン・レストランではなく

小ぎれいな美容院に変わっていた

それは何事もなかったように

当たり前のように

日常に溶け込むから

関係者や観察者

にしか分からない

明治維新で日本はパッと変わった

昨日までの価値が

今日は色褪せる瞬間

軍国少年は敗戦を経て

狼狽した自分を取り戻そうと

歌をつくろうと決意したという

ある日ベルリンの壁は崩れ

ソ連は崩壊し

世界の地図は変わった

誰もじっとみつめていないと

分からない変化の瞬間がある

自らが立ち上がらないと

ただ流されてしまうだけの

一人の目撃者で終わってしまう

危うさ

今回の選挙で

永年の地盤を築いてきた

政権政党が倒れた

名もなき人々は

その他大勢ではない

誰もかが時代を築いてきた

「時代なんかパッと変わる」

私の尊敬するコピーライター

秋山晶さんの渾身の作品だ

ミニドラマ 「本牧」

クラプトンを聴きながら

オレはお前にこう話すんだ

その指輪イカしているな!

するとお前はこう言うだろう

だってあなたが買ってくれたんじゃない!

そしてふたりは笑って

肩を抱き合って窓の外を見下ろすのさ

ハシケが岸壁を離れてゆく

あなたその煙草

そろそろ止めたほうがいいんじゃない?

ここもね!と言ってオレの頭を指さす

頭にも良くないみたいよ

さて

オレは新しく買った、初めての東京レーベルのレコードを

お前に見せる

どうしたの?

一体どうしたのよ?

気でも変わったの?

そう言ったきり

お前はずっとずっと海をみつめて

コーヒーカップを握りしめている

どの位の時間が流れたのだろう

勘のいいお前の目には

やがて

涙が光っていた

窓から見える本牧の朝が霞んでいた

街にさようならを告げる日は

ついにやって来た

「じゃあな」

仲間によろしく、と伝えてくれ

振り切るように部屋を出ると

外の風がいつになく冷たく頬を叩く

ホントはオレ、ここにいたいんだ

お前と本牧が好きなんだって言いかけて

朝の港の喧噪に消えていった

東京へ向かう朝の根岸線

窓の外に見える景色に

霞んだ雨が

悲しそうに

お前の涙のように

そう

糸のように

落ちていたんだ

愛は尊いが

愛があれば
なんでも乗り越えられる
なんて言うが
世間は
そんなに甘くはない

愛だけでは
腹一杯にならない

割と理想主義(?)の私だが
その性格のおかげで
生活に窮したことも
たびたびあった

私が知らない間に
貯金も底をついた頃
家賃を払っていないことに気がついた

子どもの粉ミルクとオムツがないと
奥さんが言い出した

私は企画書を書く手を止めた

普段は貯金通帳も見ない私だが
このときばかりは
通帳の残高をつぶさに追った

無機質に印字された数字は
入るものより
出る額が上回っている

しかし待てよ!

結構仕事をこなしていると思っていたが
そのギャラはどうなっているの?

「外注さんの支払いが先でしょ
先方さんは手形だからね」

聞けば、その手形は6ヶ月を過ぎないと
割れないとうことらしい

ということで
近くの大手銀行へ相談にでかける

いわゆるつなぎ融資の頼みなのだが
当時の私はどこの馬の骨か分からない
取引実績もないただのフリーだった

いまでも忘れない

銀行の融資係は
バシッっとした背広に銀の縁の眼鏡をかけ
いかにもエリートという感じのまじめそうな男だった

話の途中、私の話を聞いているようで
全く聞いていないことが分かった

しまいに彼は
「そうですか」と言い
薄ら笑いさえ浮かべていた

当時のフリーは、プータローと同義語だ

審査結果はみえていた

一匹狼を標榜する私だったが
このとき以来
法人化の計画を練るようになった

決算書だの前年度比売上げとかなんて
全く興味がなかったが
一応、数字を追う意識が
このとき芽生えた

このときから現在まで
この銀行とは
一切取引はしたことがない

話は逸れるが
私の感覚で言わせてもらうと
一見まじめそうでいて
実は誠実ではない人間が
私はこの世で一番好かない

大嫌いだ

一見まじめなんて糞食らえと思っている

誠実か否かは、人の全く別の所の
奥深いところに宿っている

正直さと誠実さは
いざというときに垣間見えるものだと
私は思っている

人は見た目とは言うが
いやいや
そんなことはない

一筋縄ではいかないのが
人の面白さであり
怖さと思う

話を元に戻す

ときはバブル全盛いやバブル前夜か?

私といえば、働けど働けどなのである

モーレツに仕事をしたのに
いい思いをした記憶が一切ない

世間は羽振りの良さの勢いが止まらない

六本木でタクシーが朝までつかまらない

日産の高級車シーマやBMWがバカ売れしていた

有明のお立ち台では派手なボディコンお姉さん達が
扇子を持って踊り
羽目をハズしていた

浅田彰の「逃走論」をはじめ
ニューアカミデニズムのような思想が
世間に浸透したのもこの頃だった

ときは80年代

私の生活は
こうした風景のなかで
風前の灯だった

いま思えば私の采配ミスと
数字の甘さ
そしてプロデュースミスという
悪い偶然が重なったとしか
言いようがない

要は経験不足
力量がなかったのだ

幸い、最悪の事態を脱した私だったが
このままではまずい

のう天気な私に危機管理能力が身に付いたのも
この頃だ

私は自分の仕事を法人化すると同時に
スタッフの数字にもシビアになった

経験は人を堅くする

自分に厳しく回りに厳しく

と書いたところで
生来の性格が直るものではない

いまでも決算書なるものは
年に数回しか目を通さないし
通帳も奥さん任せ

ともかく総てがだいたいで
決めてゆく性格はそのままだ

が私は
かなりありふれた事に気がついた

愛があれば何でも乗り越えられる
なんて言う甘い言葉は
もう私は信じていない

ありふれたことは案外奥が深いことがある

幸せになるには

愛と

どうしても

あと少々のお金が必要なのだ

夜光虫

弱き者よ飛び回れ

程なく消えるこの手この足

この気持ち

終わりは激しく心昂ぶるように

舞えよ歌えよ

夜の祭りは始まったばかりだ

暗闇から這い出てきた

老いも若きも

その羽を鳴らせ

遠くに明かりがみえたなら

それは命の喝采

祭りだ

祭りだ

おとこはおんなを

おんなはおとこを

羽をふるわせ

昂ぶるのだ

命の本能

命の義務

強き者も飛び回れ

程なく消えるこの手この足

この気持ち

終わりは激しく心昂ぶるように

舞えよ歌えよ

夜はおとことおんなの物語

夜は命の物語

それはそれは

むさっ苦しい蛾のように

飲めよ踊れよ

本能は

こうして私を

紡いだのだ

本能は

こうしてあなたを

紡いだのだ

ラテン系で行こう!

アルファ・ロメオというクルマがある。
イタリアのクルマだ。
ご存じの方も多いと思うが、あのクルマから
降り立ったオトコなら
少々のぶオトコでもなんとかサマになるから不思議だ。
その魅力溢れるアルファ・ロメオというクルマは
他と何が違うのか?

高級車にありがちな重厚さがある訳でもなく、
2シーターでぶっ飛び型の
本格的なスポーツカーの流線型でもない。

でも、格好いい。

特に、赤のジュリエッタという奴は最高でした!

しかし、そんなことを言ったからって
私はアルファを買ったことがない。

一度、知り合いに助手席に乗せてもらった他は
イタリアの高速道路で後部座席にお邪魔した位だ。

お金の問題もあるが、このクルマがよく壊れるため、
私はこのアルファに手を出したことがない。

直す自信も時間もない、というのが正直なところ。

隣に並んで走っているのを眺めているのが、グッドなのだ。

それにしても格好いい、イタリア車だ。

イタリアといえばラテンの国だが、他にもラテンの国は
結構ある。

南米なら、ブラジルなんかが象徴的かな?

で、何故ぶっ壊れやすいイタ車の話から始めたかというと
ラテン系の方たちの考え方に触れたかったからなんです。

この方たちは、はなっからクルマは壊れるもの、として
つくっているフシがある。

緻密じゃないといえばそれまでなんですが、
ラテン系の方たちの考え方、強いては
彼等の人生観になにか関係があるのかも知れないと
私は考えております。

気にしない。壊れたら直そー。直らなければ
誰かが通り過ぎるまで待っている。
ゆとりもあるのだ。
そうだ!、待っている間にダンスでも踊るか
愛の歌でも唄ってよっと!

簡単に言えば、こんな感じですかね?

近代合理主義とは違う他の思想が
彼等の血に流れていると思うのは
私だけか?

それは物事を適当にやる、というのではなく
彼等は正確性や効率に心血を注ぐ以上に大事なものが
あるに違いないのだ。

それは、
価値観の中心に情熱がほとばしっている生き方
と私は思う。

それは愛なのかも知れないし、恋なのかも知れない。
歌なのかも知れないし、ダンスなのかも知れない。

少なくとも、理知的に考えて生きることより
彼等の優先順位としてはまず「情熱」なのだろう。

負けない情熱、やり抜く情熱というのもある。
考える情熱、書く情熱というのもあるだろう。

サッカーにしたって、イングランドとアルゼンチン
なんかの試合だと、対照的なチームだな、とつくづく思うが
技巧に勝る情熱で試合運びをするのは
いつもラテン系なのだ。

ラテン系は、生きることにどん欲だ。へこたれない。
転んでも転んでも立ち上がる。
過去より、未来に希望を抱く。

だから楽天的にもなれるのであり、
なにより自分の人生を生きている。

だから格好いいのだ。
だから、強い。

そして
踊っても歌っても、
そのなかに人生の素晴らしさを見出す
才能に恵まれてもいる。

現代人もだいぶ飼いならされたような風景を見るにつけ、
私は、常々ラテン系の生き方が気になって仕方がなかった。

悲しいときは思いっきり泣けばいいし、
嬉しいときにも喜びを隠さない。
悔しいときも怒ったときもしっかりと
意思表示をする。

喜怒哀楽を人前で出すのは、悪いことでもなんでもない。
素直でいいじゃないか、とさえ思う。

むしろ、溜まりに溜まった感情を或る日爆発させる
ことの方が遙かに怖いことと思うのだが。

有名なテレビコマーシャルに
男は黙って○○ビール
というのがあったが
あれなんか典型的に格好いいのですが
やはり現代人には
ちょっと無理!

辛いんじゃないですか?

ここはひとつ

ラテン系で行きませんか?

僕は子猫を守れなかった。

僕が子猫を守れなかったのは
小学生のときだ。

飼っていた訳ではないが
校舎の縁の下にいるそのひ弱な
まだ生まれて間もない子猫に
僕は毎日牛乳を運んでいた。

みゃーみゃーと鳴くしかない、
やっとものが見え始めた頃だろうか?

真っ白い毛に薄い茶色が混じった
とても痩せた愛らしい子猫だった。

どうして親とはぐれたのかは分からない。

子猫をみつけて数日の間、
僕はそいつの為なら何でもしたような気がする。

授業の間も、休み時間も、下校のときも
ずっとそいつの事が気になって仕方がなかった。

給食の牛乳やパンは極力残し、休み時間にそいつの所に
持ってゆく。

自宅と学校が近かったので、夕飯も残して新聞紙にくるみ
すぐ学校の縁の下へ運んだ。

確か、その子猫は牛乳しか飲まなかったような気がする。
そして、みゃーみゃーとしか言わなかった。

いま思えば、僕はそいつのことが愛おしかったのだろう。

夜、目をつむっても、そいつのおぼつかない仕草と足取りが
僕を翻弄した。

そんな日が何日続いたのだろうか?

ある日、いつものように校舎の縁の下を覗くと
鳴き声が聞こえない。

子猫がいない。

校舎の遠く続く暗い縁の下の何処を覗いても
声を張り上げても、子猫がいない。

とても不安になって校庭を歩いていると
学校の脇を流れる川に人垣ができていた。

体の大きな上級生の男子たちが
みんな手に手に石を持って
何かに向かってそれをぶつけている。

みんな笑いながら興奮していた。

何だろうと思って川を覗くと
あいつが、僕だけの子猫が
もう石を相当ぶつけられたらしく
ダランとした体を水面に浮かべていた。

でもまだ口を動かしている。
生きている。

僕は呼吸がうまくできなかった。

なにか叫んだような気がするが
なにも言えなかったような気もする。

ただ、全身全霊で上級生たちに
刃向かったかというと
怖くてできなかった。

子猫はそのまま下流に流れていった。

その後のことは一切何も覚えていない。

弱者をいたわる。

これが社会の本音なのかどうか
私にはいまもって分からない。

人は時に牙を剥く。

弱肉強食。
こんなところも、人間にはある。

ただ、外敵から
守らなければならないものを
守れなかったとき
人は、どうしようもない虚脱に陥る。

あの記憶から、私は誰かを攻撃し
誰かを助け、何かに怯え
何処かへ幾度となく逃げたのだろう。

私の本質は、
あの日と寸分何も変わっていないのかも知れない。

愛する人が助けを呼んだとき
私はどのような態度でどんな風に
何をどう対処するのか?

私はまた
同じあやまちを再び犯すのかどうか?

記憶が私に問いかけている。

私という人間は
それほどのものなのだ。

私のことは

私自身が一番よく知っている。

らしくない都市伝説

その1
都会にいると偉いのか?

この年になると、交際範囲もさまざま、かつ決まった傾向や地域もなく、バラバラ感が否めない。
学生時代のように特定の地域に知り合いが固まっていることもまずない。で、ときには往ったり来たりもあるのだが、何故だか集まる場所は、田舎よりの都会が多い。
当たり前といえばそうだが、なんかしっくり来ないときもある。
都会はちょっとした店が多々ある、みんな土地勘がある他、
こうゆう機会に都会に行こうという人もいるんですかね?
あぜ道の自動販売機の前とか、しまむらで待ち合わせすることってないもんね?
で、いつも新宿!だったり渋谷だったりするじゃないですか?
まあ、電話やメールのなかで何となく決めるんですが、こうした場合、絶対に発言権が強い人は都会にいらっしゃる方、なんです。
この人たち、田舎者の苦労を知らないんです。
私は田舎に住んでいて、なおかつ駅からも遠いので、都会が集合のときはかなりキツイ。
で、往く先で「お前飲まないね。ウーロン茶かよ?」なんて言われてもスイマセン!べろべろにはなれません。
帰れなくなっちゃう訳です。
酔っぱらってバスに乗るのも嫌なので、
駅の近くにクルマを置いてくることもあります。
ああ、もう気持ち的に飲めませんよね?

がしかし、泊まりならOKなんだけどなー。

私どこでも寝られますから(笑)

その2

大きい会社で働いていると偉いのか?

東証一部上場、誰でも知っている社屋の広報室。○○課の××山課長は、今日も気難しい顔をして考えあぐねている。わたし等のつくった広告ラフを前に、眉間にすげぇーシワ。無言の時間は長いのだ。空気がピンと張りつめている。電話の音も人っ気も遠くに消え去る瞬間。考えれば、決断する彼の責任は重いのだ。そうだ、頑張れ××課長!
が、彼は考えすぎるきらいがあった。過去の履歴から、彼の考え過ぎはよくハズれ、課をグルリと回って、結局元の案に戻ることもしばしばあった。というか、彼の思惑は、いつもズレていた。
何故か?
私の観察見るところ、彼はいまの仕事が好きなのだが、また彼も希望してこの課に長く留まり、古株としても回りから一目置かれているのだが、如何せんセンスがねえんだな!
これ言ったらお終い、元も子もないのだが、彼の判断は甘くて不的確。みんななんとかしろよ!
私は心のなかで叫んだが、誰にも聞こえない。
彼は今日も決断を下すことはないだろう。いや、なにか意見を言い、私たちが再びラフ案を再提出したところで、なにも決まらないだろう。

(ラフの修正って結構大変なんだぞ!)

さて、この息を飲む瞬間は何を意味するのかというと、
これは儀式なのだ。彼は偉いのだ。彼が決断者なのだ!
だから儀式が必要なのだ。

こんな人間が、日本中の大企業と呼ばれる所に、
これまたゴロゴロと無数にいるんだな。

参った!