時代のうねりに気づいてください!

 

政治が荒れている。

ここ数年、日本も世界も同時多発的に政局不安が起きている。

 

特に、西側とされている国々でだ。

きっと同じ課題が潜んでいるに違いない。

 

日本では、自民党・保守派といわれる高市さんが総理の座に就いた。

日本の憲政史上初の女性として内閣総理大臣に就任した訳だ。

 

一時は米騒動のときにチャンスとばかり登場した小泉進次郎氏が

自民党総裁の最有力候補ともくされていたが、

事前にシナリオがあったのではと思えるほど

みえみえの活躍ぶりだった。

 

以前だったら成功した「小泉劇場」だった。

しかし、今回は事情が違い、お父さんのようにはいかなかった。

 

もう新聞やテレビで、国民は動かなくなった。

そろそろ皆が気づきはじめたのだ。

よって、時代なんかパッとかわる―

―かも知れない。

 

アメリカではいち早くトランプが再登場。

アメリカ・ファーストのスローガンのもと、

関税で各国を困惑させている。

勝手と言えばそのように思えるが、

まあ自国ファーストなので国民の支持を得ている。

 

いま、全米では反トランプ運動が起きているが、

あの広い国のどこにフォーカスするかで、

報道なんか、どうにでも料理できる。

 

フランスでは、マクロン大統領がいまにも失脚しそう。

イギリスでも労働党のスターマー政権の支持率が

急落・低迷している。

両国とも、極右と報道されている政党が支持率を上げている。

イタリアは早々と、

やはり極右とされているジョルジャ・メローニが首相の座に付き、

トランプとはいろいろな政策で意気投合している。

 

ウクライナのゼレンスキーは戦時内閣なので、

対ロシアとの戦いが終わり、次の選挙になれば、

必ず負けると言われている。

 

イスラエルのネタニアフ首相だが、

この人も国内で収賄・背任・詐欺で起訴されている。

やはり終戦になれば、裁判にかけられる。

 

よって両者ともなかなか紛争をやめる気がない。

 

中東情勢に詳しいあるジャーナリストの話によると、

イスラエルの国民の半分が

海外に移住したいと考えているのだそうだ。

 

ウクライナ国民も、ガザの人々も、

耐えがたい犠牲と苦痛を強いられている。

 

世界の事情をこうして羅列してみると、

常に誰かがこの世界を操ろうとしている。

嘘と欺瞞で、私たちを欺いているのが分かる。

 

そしていつも犠牲になるのは、いつも無名の市民なのである。

 

夕方のテレビなんかで流れているニュースを観ていると、

肝心の話はしない。

真実の報道というものを放棄している。

現象面ばかりを煽り、決して深掘りをすることを避ける。

ワイドショーに至ってはさらに偏向が激しく、

全く違う世界の姿をみせられることとなる。

 

よっていま世界は2分している。

いわば時代感覚の異なる人間が、

同時に暮らしているということになる。

 

さて、ボクたちは何を信じて行けば良いのか?

真実はどこにあるのか?

そんなことなど知ろうが知るまいが、実はどうでも良いことなのか。

 

真に問題なのは、実はそこなのだが…

 

 

きょうの短歌

 

 

ひとのゆくみち交差点まじわって秋の日差しに笑えあえたら

 

 

ことばの壁にぶつかって我ひとり立ち尽くすローマのまち寒く

 

 

濃いいろ淡色まだらの秋けしき僕の収穫ひとつ老いたり

 

 

 

亡父に謝っておきたかった事

 

もう、親父がいなくなって20年くらい経つ。

暑い夏になると、その日のことを思い出す。

 

喪主の私が親父の骨壺を抱えて、車に乗る。

その日もピーカンの天気で、軽く30℃を越えていた。

骨壺が熱くて抱えていられない。

運転手に頼んでクーラーを最強にしてもらう。

口数の少なかった親父がこの日ばかりは、

「熱い熱い」と饒舌だったような気がする。

 

学生時代、私は左翼がかった本ばかり読んでいた。

とにかく親父が軍国主義の塊のようにみえた。

 

親父は戦争中、満州で戦っていた。

そしてソ連の捕虜になり、シベリアで強制労働をさせられた。

戦争が終わって3年くらい経ってから帰国した。

 

親父は極端に口数の少ない男だった。

私との会話は一生のうちで、一ヶ月もなかったような短さだ。

それが戦争のせいなのか、生来の性格なのか、

ホントのところはよく分からない。

 

一度、母にそのことを聞くと不満そうな顔で

「知らないよ」と切り捨てられた。

 

或る休日の午後、親父に向かって、

「人を殺したことがあるだろ?」と心ないことを聞いた。

親父は一瞬目を細めてとても難しい表情をした。

次の瞬間、唇をかみしめてため息をひとつ吐いて、

ステテコ姿で立ち上がり、

もう一度こちらをチラッと振り返って、

庭に出て行った。

 

それから親父とは一切口をきかなくなった。

 

先の大戦の歴史は、

私も後年になって少しづつ理解するようになった。

歴史を紐解くことは、新しい真実を知る手がかりとなる。

果たして歴史観は修正され、以前に較べ、

違った方向から政経を解釈することとなった。

 

戦争を生きた親父の青春はほぼなかったに等しいと思う。

親父はソ連に抑留されていたので、

帰国してから就職しようとしても、

共産主義者のレッテルを貼られ、

どの会社からも断られたと聞いた。

 

ふるさとの愛知県の村では、

戦争のただ一人の生き残りとして、

近所のやっかみが酷くてそこにいられず、

意を決して横浜に出てきた。

 

そして、就職難だ。

ようやく公務員になれた親父は、

お袋と結婚し、

毎日毎日、同じ時間に家を出て、

毎日毎日寸分変わらぬ時刻に帰宅した。

 

生前、幾度か親父に謝らなくてはと思ってはいたが、

そもそもその会話を親父が覚えているのか、

いぶかしがる自分がいた。

(忘れる訳などないのに)

 

その後悔が年ごとに、重くのしかかる。

 

 

拝啓

父上さま

今年の夏も猛暑でした。

親父、

ホントはあなたともっと話したかった。

もっとあなたの笑顔がみたかった。

肩車なんかしてほしかったし、

そんな父親が欲しかったのですが…

 

私もあなたの死んだ年齢に年々近づいています。

最近、ようやくあなたのこころの内が

みえるようになってきました。

 

戦争って、やるせないことしか残しませんね。

あと、人ってなかなか理解されないものですね。

最近つくづく思います。

 

親父、ホントにごめんなさい。

いまあなたと無性に話したいです。

 

 

きょうの短歌

 

 

雨空にたちのぼる白龍のよういまこの世界いにしえ(古)の如き

 

 

 

柿食えば幼い頃をおもいだすバナナではないパインでもなく

 

 

 

きょうの短歌

 

 

葉が散りてトンボは群れて空を舞う昨日までの陽はつるべおとし

 

 

 

 

脊柱管狭窄症からやっと解放された。

 

夏の初め、腰が痛くなり、

整形外科で脊柱管狭窄症と診断された。

 

酷いときは杖をついて歩いた。

自宅の2階に寝室があって、四つん這いで階段をのぼった。

洗面所で歯を磨くのもままならない。

 

痛みで行動範囲が狭まり、

まあそれでも一日一回はおもてに出るようにした。

数百メートル歩くと、痛くて立ち止まる。

真夏なので直射日光もきつい。加えて痛みを堪えていると、

その我慢も身体を熱くする。

 

医者によると、初期は安静だがじっとしているのも良くないという。

よく分からない。

 

とにかくこんな辛い夏はなかった。

いろいろな事をあきらめようと考えた。

それは、旅行をはじめとする移動。

「歩く」に関するすべてに思いが及んだ。

近くのスーパーへの買い出しまで考える始末。

 

治療は、短期間であらゆることを試した。

まず、整形外科でのリハビリ。

そして整体数カ所。

あんまさんと呼ばれる人のところも通った。

鍼治療2箇所。

他○○療法とか…

 

書籍も数冊買い、即実践した。

(おじぎをする体操とか)

 

あと、京都の知り合いから腰痛に効くという、

東洋のサプリのようなものをいただき、

それはいまでも服用している。

 

結果、なにが効いたのかよく分からないのだが、

少しづつ痛みが減り、元の日常の生活に近づいた。

 

ひとつだけ、効いたと思われるのは、

2番目に出かけた鍼だった。

 

この先生は、私の症状を詳しくきき、

生活スタイルや仕事の中身もきいたうえで、

脈と舌を診ながら、鍼を打った。

 

あるとき、この先生は、

私の四肢の指先に鍼を刺して血を抜いた。

あぜんとしている私に、

「この治療の方が早くなおる」

と笑って言った。

 

ネットで調べると井穴刺絡(せいけつしらく)という

鍼治療法だった。

 

症状が少し回復し出した頃、

近所のスーパーへ出かけた。

なんとか普通に歩いて買い物ができるようになった。

そんな自分がうれしくて、このときばかりは、

スーバーがワンダーランドに思えた。

 

今回の私の最大の収穫は、

歩けることの素晴らしさに気づいたことだ。

歩けることって実は当たり前なのでは決してない、

のではないかということ。

 

とにかく歩けるだけで「感謝」できるようになった。

この収穫を得るために、私は患った。

そう考えるようになった。

 

まあ、そう思考することにより、

これからの人生の黄昏を、

多少気楽に歩むことができるのではないかと。

 

 

 

きょうの短歌

 

路面電車に揺られてゆく病院父を知らないおじさんと呼び

 

 

きょうの短歌

 

蘇るという言葉を最期まで携えてゆけ僕は信じる

 

 

きょうの短歌

太陽の
味とかおりがすると君
夏のビーチで
わかめラーメン

きょうの短歌

 

 

水底に

深く眠れる葉のように

幸も不幸も

手なずけたなら