森のなかのニューヨーク・アート

 

 

キース・ヘリングは早死にだ。

ペンシルベニアの田舎から

大都会のニューヨークに出てきて、

瞬く間に時代の寵児となったのはいいが、

その余韻を味わう間もなく、

あっという間にエイズで死んでしまったのだから。

 

 

レジェンドの名にふさわしいアーティストだ。

いまでもその人気は衰えない。

生きていたら、現在64才くらいかな。

 

この変革が続く現在の世界を、

彼ならどんな表現を提案してくれるのだろう。

 

それはいくら想像したところで全く分からない。

さほどキースが残こした作品には、

すでにあの時点で、

鮮烈なインパクトとオーラを放っていた。

 

 

いわば完成していたとも言える。

 

キース・ヘリングがつくり出すものは、

地下鉄アートとかストリートアートとか言われるように、

高尚とはほど遠く、

街角の壁だとか塀だとかに、

いわば落書きのようにして描かれた。

 

線はシンプルで単純極まりない。

カラーリングもそれほど複雑な気がしない。

 

 

上手か否かと自問するとよく分からない。

 

けれど惹かれてしまうのだ。

なにか強烈な吸引力のようなもので、

こちらの平常心をかき乱す何かをもっている。

 

 

×××

ここ、中村キース・ヘリング美術館は、

中央高速の小淵沢インターを下りて約15分。

八ヶ岳南麓のとても静かな森のなかにある。

 

 

 

 

鳥の声とそよ風に反応する木々の揺れる音、

日射しの降り注ぐ建物が印象的だ。

なのに結果的に、

外観からは想像もつかないエネルギーが、

この建物のなかに充満していた。

ニューヨークの熱気を、

この静かな森で味わうとは、

とても不思議な気分だった。

 

 

以前でかけたニューヨークアート展は、

神奈川県の横須賀美術館だった。

 

美術館の中庭から東京湾が見渡せた。

それはそれで青く穏やかな景色だった。

 

で、今回は森のなかの美術館。

いずれ双璧をなすシチュエーション。

 

どちらも甲乙付けがたい理想の美術館だが、

今回の中村キース・ヘリング美術館の、

展示と演出が画期的かつ尖っていて、

その工夫に軍配が上がる。

 

 

本人が生きていたら、

きっと「そうだよ、これだよ!

ボクのイメージとズレが全くない。Cool!!」

って満足するに違いない。

 

キース・ヘリングはボクと同世代。

 

 

国だけでなく事情もかなり違うけれど、

その頃その時代に何が流行っていて、

どんな事件があって、

若い人たちが何に飢えていたのか?

 

僭越(せんえつ)ながらボクも少しは共有していた、

そんな気がするのだ。

 

 

そして彼自身の風貌は、

ハッキリ言ってぜんぜんかっこよくない。

(もちろんこのボクもだけれど)

 

だけど、彼のハートは、

間違いなくCoolでかっこいい。

 

それは、彼が生み出したおのおのの作品に、

バッチリと出ているから、

キース、大丈夫さ!

 

 

 

夏は高原でしょ!

 

酷暑なので避暑にでかけました。

山梨~長野のやまなみを横断です。

 

八ヶ岳高原はそこそこ涼しい。

いつもは寒いくらいなのですが、

異常気象ですよね。

 

泊まったログハウスは標高1200㍍くらいの

林のなか。

エアコンはないけどなんとか過ごせました。

というか、朝は長袖を着ないと冷える。

 

都会の喧噪はないけれど、蝉がうるさい。

鳥の声はなかなか心地いい。

夜中に虫と思われるけれど、

なにかが窓ガラスにぶつかってくるのでぎょっとする。

 

日頃は朝食は米まっしぐらだけど、

高原の朝食は窯焼きのパンとジャムとウインナと

卵焼きとレタスとコーヒーとなります。

(どうでもいいけれど)

 

 

清里はなんだか廃れているように思えます。

標高が1500㍍なので、特に冬枯れが酷いのではと思います。

清泉寮は、みるみる高級宿泊施設として、盛況です。

以前は牛がふらふらしていましたが、

最近は土日のみの開放だと知りました。

 

 

途中、中央高速の山梨県内の双葉SAで休憩をとりましたが、

37℃という暑さで焚き火の横にいるようでした。

 

長野県の富士見高原にある

「キース・ヘリング美術館」へも足を運びました。

この報告は次回!

 

 

 

 

パフェを食いに、山中へ

 

そのカフェは、

山の中腹を横切る国道を右折し、

谷底へ降りるように下った川沿いにあった。

住所でいうと、神奈川県愛川町半原。

川は一級河川の中津川だ。

 

 

この近くには、宮ヶ瀬ダムもある。

クルマでもう少し奥へ行くと、高尾山にでる。

方向を少し西に向けると、山梨県の富士五湖へも出られる。

首都圏にしては、自然はたっぷりなのだ。

 

 

目の前の緑が濃い。

川を流れる水の音が涼を呼ぶ。

 

都会のカフェがそのまま移動してきたような、

洒落たお店だ。

こんなところにと言っては失礼だが、

お客さんなんて来るのかなと甘くみていたが、

店内はほぼ満員だった。

駐車場が狭いので苦労する。

 

ここに来た目的はパフェ。

以前から種類も豊富でおいしい、

と聞いていた。

 

 

ボクは普段、こういうものを摂取しないけれど、

1年に一度くらいの間隔でモーレツに食いたくなる。

よって、2年ほど前の夏は、

横浜のランドマークタワーにあるパフェの専門店で、

チョコレートパフェを食った覚えがある。

去年はたしか、町田の小田急デパートにある、

西村だったような気がする。

 

で、横浜でいただいたパフェは、

ボクの知っている伝統的なパフェであり、

生クリームと幼い頃を思い出すアイスクリームに、

甘いチョコレートがたっぷりとかかっていた。

 

今回尋ねたこの店のパフェは、

なんというか新しいパフェなんだと思いましたね。

果物がたっぷりと入っていて、

細かい氷のシャリ感とよく合う。

あとはミントのゼリーとアーモンドと

未知の何かがはいっているのだろうか?

んー、よく分からないので、

新しい味とでもしておこう。

そういうことなのだ。

ホントはテラス席で、

川を眺めながら食したかったが、

やはり人気の場所らしく、

室内席で我慢しましたね。

 

帰りに川沿いの道を走ると、

子供たちが川で泳いでいる。

釣りをしている人も多数。

その先にあるマス釣り場は、

クルマが満車だった。

 

強い日射しと白い雲。

夏だなぁって実感。

 

にしてもパフェは冷えるなぁ、

帰ったら熱いお茶でも飲もっと。

おいしかったけれどね!

 

 

夏の夕ぐれに想うこと

 

 

 

窓のそとの風景が動かない

 

そんな夏の夕ぐれは

きっと少しだけ

ときも止まっているのだろう

 

溶けてしまう前にと

氷のように光る雲が

急ぎ足で過ぎてゆく

 

とおい赤く染まる

その背後の群青色のスクリーンに

過去の残像が映ると

こころ踊り

悲しみ

そして広い空を舞う我が思いで

 

ゆったりと

窓辺のイスに心身をまかせ

アイスティーで

昼のほてりをしずめて

夏の夕ぐれは

いつも同様に回想するも

残像の彼らはやはり口もきかず

笑みだけを残して

いつもとおいくにへと

帰ってしまうのだ

 

今日という

この夕ぐれだけがみせてくれる

陰影のドラマはきっと

いのちが尽きるまで

続くのだろうか

 

夏の夕ぐれは

だから誰だって

遠いくにの夢をみる

 

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

焚き火の魅力について語ろうか

 

なぜ、わざわざ焚き火にいくのか?

よくそんなことをきかれます。

 

薪とかイスとかバーナーとか

いろいろなものをクルマに積んで、

河原まで行ってじっと火を燃やすだけ。

いったいなにが面白いのかなぁ…って、

よく言われます。

そしてみな同じように、

「バーベキューなら分かるけれど」ってね。

 

わたし自身でさえ、そのことばに、

そうかそうなのかと、

同調したりしてしまいますから。

 

確かに、焚き火をしても腹がいっぱいに

なるわけではないし、

みんなでワイワイと騒ぐこともしない。

 

焚き火をしている人を観察していると、

確かにみな静かです。

で、穏やかな顔をしている。

 

自分でも、なぜ焚き火なのかについて

自問してみたけれど、

的確なこたえがみつからない。

シャープにはこたえられない。

 

まぁ、あえて理由づけをすれば、

日頃のメンドーなことを忘れさせてくれる。

いっしょうけんめい火をつけることだけに専念し、

あとは絶えず火の具合をみつつ

薪をくべることに集中する。

あとはまわりの景色を眺めながら、

ぼおっとしたり、

相手がいればぼそっと話したりする。

そんなところでしょうか?

 

 

焚き火に行くのは、

いつも一人か二人。

多くて3人くらいが、

焚き火に適していると思う。

 

大勢だと、なんだか違和感がある。

何かが変わってしまう。

 

きっとそのあたりに、

そのこたえがあるのだろうと思うのです。

 

 

今年になってから厳冬の河原で2回ほど

焚き火をしましたが、

あの陽が沈んだあとの冷え方は、

なかなか耐える価値がありますね。

あまりに寒くて、

雑多なことを考えてる余裕もない。

そこはしびれます。

 

今回はいい季節になったので、

カラダも楽ですが。

 

連休も近づいてきたし、

陽ざしが強烈になりました。

 

水辺の鳥も増えました。

いろいろな虫が飛んでいます。

名も知らない小さな花が

ところどころでいっせいに咲いています。

そして、山々に霞がかかって、

ぼんやりしていて

空気がおだやか。

 

季節は確実に動いているなと

感じる訳です。

 

そんなとき、

あまり難しい話はしませんし、

考えることもできやしない。

 

いま思いついたのですが、

焚き火って日常が入り込まないのが、

とてもいいのかも知れない。

 

 

よく焚き火の炎が人間の本能を

呼び起こすとか、

小むずかしいことを言う方がいますが、

私にはよく分からない。

 

ただ、川を流れる水の音だとか、

揺れる炎の美しさとか、

ひたすらそれだけを感じていると、

なぜだかとても平和な心持になります。

 

今回の焚き火では、イスにまるめておいた

私の愛用のヨットパーカーに火の粉が飛んで、

大きな焦げ穴が!

大失敗です。

 

そしていつものように、

服もカラダも煙臭くなる。

自分自身も含めてすべて洗濯です。

 

またクルマの室内も当然けむり臭い。

荷台には薪の破片が散らかっている。

 

と、後始末もいろいろと大変なのですが、

時間ができると、また懲りもせず

せっせと薪を買い集めたりして、

河原へと出かける。

 

うーん、なんなんでしょうね?

焚き火の魅力って。

 

厚木・七沢でコーヒーブレイク

 

神奈川県の厚木市七沢温泉近くにある、

パイオニアコーヒーにてひと休み。

 

温泉帰りではないですよ。

そんな贅沢は時間が許さないから。

 

 

 

ここは二度目。

ほどよい田舎の風景がいいんです。

コーヒー豆のローストと卸だから、

客の入りはあまり気にしていないようす。

こちらも気兼ねがない。

 

 

 

七沢ブレンドとチョコケーキをいただく。

いつもミルクを入れるけれど、

ストレートでいただいてもスッと飲める。

嫌な渋みもなく、胃にもさわらない。

 

 

外は風が強く店内にも風が抜ける。

スタンダード・ジャズが流れる店内。

 

 

とてもいい時間だなぁと改めて思う。

この風は海岸沿いの風のようだ。

すぐ近くに海が広がっている…

 

そんな錯覚に陥っても、

何の不思議もないようなひとときだった。

 

 

 

ライカは面白いか

 

 

最近、カメラを手に入れた。

いぜんから狙っていたカメラなので、

獲物を捕らえた、そんな感覚がある。

 

ずっとiPhoneで撮っていたが、

あるときから一種のつまらなさを感じていた。

 

どうつまらないのか?

 

写真を撮るという行為があまりにも気軽すぎて

日常的すぎること。

写りもそこそこでほぼ失敗しないという緊張感のなさ、

なにかを写すという行為とか出来に、

しまいにはなんのありがたみも感じなくなっていた。

 

それは心底まずい、

とてもいい精神状態ではないと思った。

 

撮ることがつまらなくなると、

なにか自分のなかの大切な感覚を

失ってしまった気分になる。

それを取り返さなくてはならない。

 

そんな訳で、

一歩踏み出してみたのだ。

 

以前から仕事ではニコンの一眼レフを使用していたが、

これがとにかく機能がアレコレと付いていて、

おまけにかなり重く、機動性に欠ける。

扱いづらい。

狂いなど一切ないし交換レンズも豊富なのだけれど。

 

よって的確に設定すれば、そのとおりに映る。

仕上がりもある一定のレベル以上である。

だがそれが面白いかとなると、

そこは全くの別問題であって、

個人的には面白さに欠け、

無味乾燥さだけが残っていた。

 

そこでiPhoneほど気軽じゃなくてもいいから、

ニコンの一眼レフほど

おおげさで的確じゃなくてもいいから、

なにかいいカメラはないものか。

そんな観点からカメラを検討し始めた。

 

マトはまずコンパクトなコンデジに絞られ、

操作と写りを調べるうちにこのカメラが浮上してきた。

が、ライカを狙ったもうひとつの大きな理由は、

あるテレビ番組を観てからだ。

 

「東京漂流」というベストセラーを書いた、

作家で写真家の藤原新也が、

幼年時代に暮らしていたふるさとを半世紀ぶりに訪ねる

という趣旨のドキュメンタリーのなかで、

彼が自分のふるさとの記憶を頼りに

まちじゅうを撮りながらほっつき歩く過程で手にしていたのが、

このカメラだったのだ。

 

 

彼は気が向くと、このカメラでなんでも撮る。

もちろん彼はプロなので簡単そうに撮ってはいるが、

その写したものを見返すと、

そのどれもがある種の物語性を帯びている。

 

美しいとか上手いという印象はないけれど、

いずれもが「ドラマ性」を帯びている。

 

それがプロゆえの出来なのか、

カメラが良いのか、

そこは判然とはしないのだが、

とにかくその番組を観てから

やはりライカだなと確信してしまった。

 

ライカはもともと自分のなかのあこがれのカメラでもあったし、

コンデジならなんとか予算も合う。

という訳で機種も一気に絞った。

もう他の機種は調べさえしなかった。

 

で、どうせ買うなら正規代理店でと決め、

神奈川県に一店しかない、横浜駅至近のそごうへと出かける。

 

そのライカの正規代理店で、

簡単な設定と操作を教えてもらったが、

ニコンなどとは全く違う操作がいくつかあって

それを感覚で覚えるまで戸惑いの連続が続いた。

逆に普通の一眼レフなどにあるべき機能などが

省かれているので、そこはスパッと忘れることができた。

さらには交換レンズも一切ないので、

いちいち考える必要もない。

 

構造はいたってシンプルで、

いわば感覚的に操作するカメラ、

そんな操作に徹している気がした。

 

 

あとは慣れしかない。

 

とにかくレンズがとても明るいので、

開放で撮れば、ボケ足がきれいに出る。

暗がりを狙えば、何気ない暗がりが

やはりというべきか、

少々ドラマチックな場面に映る気がする。

 

とにかく、

つまらないを面白く、

そして日常をドラマチックに!

 

テクニックのなさは十分承知しているので、

このカメラにはかなりの期待をしてしまう自分がいる。

 

 

森の時間

 

早春の山あいを

いっぽいっぽ足を運んで

ボクは頂をめざす

 

まだ冷えた躰は

無骨な木の階段を踏みしめるたび

徐々に上気し

いつか汗も滲むほどになると

おおげさにいえば

生きているという実感

そんな素朴な回答にたどり着く

 

息継ぎもやや荒くなり

早朝の森のなかでひとり

ボクという小さな存在が

無意味とも思えるような

汗を流している

 

こうして

森という大きな存在に溶けてゆくと

この世界はやがてボクを受け入れ

歓迎さえしてくれるのが

分かってくるのだ

 

木々の葉は無作為に

そして不文律に

ひらひらと森の小径に

落ちてゆく

そこにはきっと誰も知らない

森の法則のようなものが働いていて

ある一定の厳格さを伴い

この一帯の調和を保っているのだろう

 

やがて視界がひらけると

突然あちこちから

さまざまな鳥のさえずりが

きこえてくる

 

それは森のうわさ話のようでもあり

話題の主はひょっとすると

このボクなのかも知れない

 

立ち止まって

ペットボトルの水をひとくち

それが格別にうまいので

改めてしみじみとボトルを

眺めてしまう

 

歩くこと45分で頂に到着

 

丹沢山塊の端の展望台から

湘南、横浜、東京を望む

 

そして小さく霞む

きっとあのあたりであろうと

検討をつけた一帯を凝視し

そこで暮らしていた頃のことを

あれこれ思い返す

 

良いことも苦い記憶も

幾年月の時を経て

やがて

この森のなかでは

さらにかすかな苦みさえ消え

無色透明に浄化されてゆく

 

ひと息ついて

さあ引き返そうと

また歩き始めると

あちこちでうっすらと木々が芽吹いている

 

目を落とすと

足元の小さな花が美しい

 

ゆったりとした時間

四季のうつろい

森のリズム

 

若い頃は気にも止めなかった

いや全く分からなかった

そのひとつひとつを

 

この森は

丁寧に教えてくれる

 

 

東京さんぽ

 

久しぶりに東京へでかけた。

人に会うためとの大義名分のもと、

結局は息抜きの時間が欲しかった。

 

普段は神奈川の山間部で暮らしているので、

街の空気がたまに恋しくなる。

 

久しぶりに新宿駅で降りる。

なかなかの雑踏ぶり。

誰もあくせく急いでいる。

これぞ都会だ。

 

青山一丁目駅へは大江戸線が最短とわかり、

乗り場を探してウロウロするも、

気がつくと新宿3丁目あたりに来てしまった。

表示板に従って歩いたのになぁ。

 

で、大江戸線をあきらめる。

至近に千代田線の乗り口を発見。

そこから乗り換えて

青山へと向かうことにする。

 

それにしても大江戸線だ。

ネットで調べると

新宿駅から大江戸線に乗り換えるのは、

かなり難しい、

分からないとの書き込みが多い。

 

いつも思うのだが、

この国の鉄道をはじめ道路の標識サインなど、

とても不親切かつ分かりづらい。

そのくせ余計なサインが氾濫し、猥雑。

大切なサインを見逃してしまう原因になっている。

 

文句はこのくらいでやめにする。

 

久しぶりの青山・ツインタワービル。

地下のラーメン屋で、

野菜たっぷりの塩ラーメンを食す。

 

ここのラーメン屋は

かれこれ30年以上営業している。

ボクが友人3人と初めて会社を興したのが、

この青山一丁目なので、

ここはかなりお世話になった店だ。

 

そのオフィスは、赤坂郵便局の裏手にあった。

ラーメン屋を出て、そのビルへ足を運ぶ。

が、既に新しいビルに建て替えられていた。

 

当時を思い起こしても、

そのときからかなり古びていた。

夜はねずみの巣のようなビルだったので、

もうないだろうな、とは思っていたが。

 

付近を見渡すと全く見知らぬ街の風景が

広がっていた。

 

アジア会館で人と待ち合わせていたので、

そこで打ち合わせを2時間で済ませ、

早々に六本木方面へと歩く。

 

元防衛庁があったあたりは、

東京ミッドタウンとして、

なかなかハイカラな街に変貌している。

 

テナントをのぞきながら歩くも、

なんだかこちらに全く縁の無いブランドものの店が

ズラッと並んでいる。

 

↓イルミネーションもしゃれている東京ミッドタウン

↑東京ミッドタウンのビルはデカい

 

居心地がすこぶる悪いので、

六本木交差点を右折し、

霞町方面へとぷらぷらする。

 

すでに陽は落ち、

街は仕事帰りのひとひとひとで、

ごった返している。

 

外人率が異常に高いことに気づく。

歩道を疾走する自転車通勤の人も、

相当数いる。

皆、かなりおしゃれにみえる。

 

ムカシはこのあたりものんきで、

安い焼き鳥屋なども数件あったが、

いまはそんな商売は成り立たないのか、

とにかく単価の高そうな高級店ばかりが目立つ。

 

走るクルマは、ベンツ、BMW、アウディが、

なんのプレミアム感も感じないほど

普通に走っている。

我が家のまわりを走っている軽自動車率は、

ほぼ皆無。

 

なんか変だぞ、東京。

 

↓乃木坂あたりから見える六本木ヒルズ

 

翌日は朝から根津美術館へ足を運ぶ。

開催中の企画展に興味はないので、

かなり長い間、館のまわりをうろつく。

 

以前から、この美術館の建物に興味があったので、

やっと現物を見ることができた訳だ

 

↓根津美術館の軒下はなかなかの風情

 

 

↑都会にあってなかなかいい雰囲気

 

ここの外観を嫌というほど見分して

ふたたび表参道へ戻り、

待ち合わせた友人と昼飯を食う。

どこも人出が多くて、

そろそろうんざりする。

 

友人はこのあたりを根城にしている

アパレル系のバイヤーなので、

一年中このあたりに生息している。

 

ボクがこの街の感想を述べると、

ふふっと笑うだけだった。

 

ボクもかつてこの街で3年働いていたが、

そのころはとても良い街だった。

コーヒーは伝説の店「大坊」があったし、

四つ角の交差点近くには、

サンマ定食を500円で食わせてくれる、

おばあさんの経営する定食屋があったし、

夜食は「青山ラーメン」があったしなぁ。

 

同潤会アパートは表参道ヒルズとなり、

道路沿いはハイブランド店がズラリと並ぶ。

 

神南に用があったのでそのまま原宿まで歩くも、

やはり異常ともいうべき人の波に、

いい加減いらいらしてきた。

 

↑いちばん派手なプロモーションはやはりルイ・ヴィトンだった

 

山の手線の陸橋を越えて

明治神宮までくると、

ようやく静けさが戻る。

 

いやぁ、疲れる東京さんぽである。

 

神南の知り合いの店で、

特製の緑茶をいただいて、

しばらく歓談。

どうやらやっと肩の荷が降りたように

思えてきた。

 

疲労こんぱい。

 

そろそろ山へ帰ろう。

それが性に合っていると、

改めて自覚した。

 

↓マリオカートのようなゴーカートが公道を走っている。みな外人。あやしい。

 

↓裕福な知り合いのポルシェ。かっこいいよなぁ