エッセイ | スパンキーの風まかせプログ

長野県の最強パワースポットをめざして(その3)

 

 

 

霧ヶ峰、白樺湖、そして山梨・忍野八海へ

 

諏訪湖を後にして、茅野から大門街道をグングン登る。

むかし、冬のスキーシーズンに通ったとき、

この道のどこかでタイヤチェーンを履かせた。

キツいカーブが増え、タイヤのきしみ音が聞こえる。

山の木々が陽光に照らされて美しい。

豊かに実っているであろう田畑が、

丘陵に沿って、贅沢に大胆に広がる。

真夏の空の下で、やはり一面、輝いている。

 

白樺湖経由で車山へ。

クルマをとめ、休憩。

天候を確認してヴィーナスラインに入る。

以前、この道はバカ高い有料道路だった。

通行量をみて引き返したことを思い出した。

なぜか、現在は無料。

料金所の跡のような建物が残っている。

ヴィーナスラインというからには、

きっとこの美しい道をドローンでみれば、

萌え立つ山々を縫うように

なかなかすてきな曲線を描いているのではないかと

想像する。

 

 

 

 

 

 

同じ目線の高さに、そして眼下に雲が浮かんでいる。

夏の雲は白くとても軽そうで、

確かにふわっと浮かんでいる。

霧ヶ峰の駐車場はほぼ満車。

みな、この美しい景色に笑みがこぼれている。

 

平和だ。

少なくともいまここは平和なのだ。

下界?で起きていることを思うと、

いまここは別世界だ。

確かにそう思えた時間だった。

 

 

 

 

 

 

パンをかじりながらコーヒーを飲み、

しばらくあてもなく高原の道を歩く。

 

この晴天はしばらく続いた。

 

それは女神湖でも白樺湖のホテルでも

高原にしては暑く、風は涼しく、

真夏の透き通る景色は続いた。

 

 

 

 

3日目は帰路へ。

八ヶ岳を横断し、原村あたりの広く舗装された農道を

ゆっくりと走る。

去年も訪れた小淵沢の道の駅で休憩し、

中央高速を一気に走る。

が、山梨で寄り道を思いつき、

河口湖インターを降りて、

忍野八海へ。

 

 

まぁ、家に帰りたくない、

そんな帰路だった訳。

いちおうの目的は、

ここのおいしい水を手に入れたい、

そう思ったからだ。

が、現地に着いてみたものは、

人人人の混雑。

 

やはり富士のまわりは人気がある。

水なんて安いものはどの店でもみかけない。

飲食店は人でごった返している。

おみやげものの値段も高め。

 

忍野八海は、どこも外人観光客で

溢れていた。

 

 

 

 

 

 

ひとつひとつ見るものが増えるたびに、

現実が迫り来る。

 

もうすでに日常の領域に戻ったようなのだ。

 

やはりね、

夢はいつかは醒めるものなのだ。

 

 

 

長野県の最強パワースポットをめざして(その2)

 

 

諏訪湖へ

 

諏訪大社から諏訪湖へクルマを走らせる。

湖畔に宿をとって、湖岸をぷらぷらする。

 

水面を撫でた風が身体を吹き抜ける。

盛暑だが汗も引っ込むほどの涼しい風だ。

 

かつて、この湖はかなり汚れていたと記憶している。

松本の帰りに立ち寄ったことがあるが、

波打ち際に白い泡がたち、

いろいろなものが浮いていた。

 

 

 

が、いまは違う。

湖面を眺めながらそう思った。

 

 

諏訪湖は、長野県のほぼ中央、諏訪盆地に位置する。

諏訪市・岡谷市・下諏訪町の2市1町にまたがる

長野県で最も大きな湖だ。

 

周囲の山々から流れる多くの川の水が集まり、

湖から流れ出す水は天竜川へとつながっている。

 

 

諏訪湖は断層の運動によって地面が沈み込んでできた

断層湖と考えられている。

諏訪大社は中央構造線の上に建っている。

 

それは歴史上、土偶がつくられる以前のできごと。

 

この日本列島の成り立ちに関する鍵のようなものが、

この地には多数存在している。

 

 

そして、諏訪湖の冬は湖面の氷が盛り上がって筋のようになる

「御神渡り(おみわたり)」である。

 

これは厳冬期に凍結した湖面が、

昼夜の寒暖差による氷の膨張と収縮を繰り返すことで、

轟音とともに裂けて山脈のようにせり上がる自然現象。

諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへ渡った跡とも伝えられ、

古くから諏訪の人々に大切にされてきたとのこと。

 

このことは古事記にも書かれている。

 

さらに、神話から導かれているのであれば、

興味は尽きることがない。

 

やはりこのあたりは、

謎が謎を呼ぶ不思議なところなのである。

 

 

 

(次回、霧ヶ峰・白樺湖・車山へと続く)

 

 

 

長野県の最強パワースポットをめざして

 

 

去年は中央高速の山梨県・小淵沢インターで降りて

八ヶ岳をめざしたが、

今年はその先の長野県・諏訪をめざす。

途中、八ヶ岳サービスエリアで軽い昼食とコーヒーをいただく。

諏訪インターを降りて、ちょっと分かりにくい道を、

カーナビを頼りに走ると諏訪大社にたどり着く。

 

 

 

諏訪大社は初めて。諏訪湖も過去には通り過ぎていた。

が、今回はこのあたりが旅の第一目標。

 

近年、諏訪大社は御柱祭だけでなく、

その歴史や成り立ちが注目されている。

 

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。

旧称は「諏訪神社」。

通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」とも呼ばれる。

 

 

 

 

境内に入ると、まず風を感じる。

この日の気温は34℃あったが境内は涼やかな風が吹いて、

すっと汗が引く。

境内の景色がうっすら霞がかってみえる。

山の冷気が降りてきてそんな気配を作り出すのだろうか。

参拝を済ませて神社のあちこちを歩き回るも、

たいした暑さを感じない。

それは不思議な感覚だった。

 

 

 

そういえば、このあたりは日本列島の中央構造線上にある。

このライン上には、伊勢神宮や鹿島神宮、石鎚神社、

天河大弁財天社など、多くの有名な神社や聖地が並んでいる。

 

中央構造線は、要するに大きな断層。

そこにかなりの神社が建っていることになる。

それはやはり地震の多いこの日本で、

大地を鎮めることを目的に建てられたものなのか。

 

さらに諏訪地方の古代信仰とも相まって、

雨や風を司る竜神信仰や、黒曜石の出土をはじめとする

縄文土器の縄文遺跡が見つかっており、

自然崇拝やアニミズムといった縄文の精神世界や祭祀のかたちが、

現在に至るまで色濃く受け継がれている。

 

 

 

 

 

私的にではあるが、このあたりから出土された土偶を

以前から幾度となくネットで眺めているけれど、

なんだか宇宙からの来訪者というイメージ。

 

 

縄文のビーナス、仮面の女神等、その名称も神秘的。

とりわけ仮面の女神は、その風貌に異星の雰囲気が漂う。

 

縄文時代の遺跡から見つかったもののなかで、

このあたりから出土された土偶が、初の国宝に指定されている。

 

※上記土偶はAIにて作成。実写がなくてごめんなさい。

実物はとんでもなく美しいのですが…

 

 

(次回、諏訪湖の話に続く)

 

ビジネスに短歌とかが入り込んでしまい…

 

 

しばらく短歌ばかりつくっていたら、

普通の文章が書けなくなってしまった。

 

妙な癖。

 

5・7・5・7・7という制約のなかで、

考えていたことをまとめようとする習慣がついてしまった。

ほんと、困るね。

 

仕事上のメモとか忘れてならないものにもそれが及ぶ。

 

たとえば、

「おとといの ○○の件 AIで レポートつくり みんなに回す」

 

とか

 

「問題は 見積もり感と スケジュール 優先順位 クリアできるか」

 

リズムがあって良いのだけれど、

なんだかビジネスっぽいアタマに切り替わらない。

こうしたメモから無駄にビジュアルを考えていたり、

情緒がないなぁなんて余計なことを思ったり。

 

そこで短歌抜きの習慣を新たに考えた。

メモを小説化することである。

スピード感のある小説風にまとめれば、

迫真に迫るビジネス環境がうまれるのではと考え、試してみた。

 

「確か○月○日の昼過ぎだった。
△社の□課の加山さんよりおもむろにLINEが飛んできた。
運転中の私はふとそれをみてしまった。
前方のクルマが赤信号で急停止したことを見逃した私は、
0.2秒遅れの急ブレーキで衝突を回避した。

クルマを寄せハザードを点滅させ呼吸を整える。
LINEにもう一度目をやる。
やはり嫌な予感が当たった。
風雲急を告げるLINEだった。

3日後の夕方の6時に例の新製品の記者発表が決まったとのこと。
真っ先にレポートを仕上げねばと、夕飯の買い出しをドタキャン、
クルマをUターンさせ事務所へと戻ることにする。

問題はまずその概要づくりなのだが、
今日は誰も手が塞がっている。
Claudeはけさ起きがけに対話し尽くしたし、
最近アップデートを繰り返すチャットGPTに、
素材を投げてみては?

当初はそうしてでき上がったレポートを企画の今野にみせ、
次の戦略を練るという算段をつけていたが、
いまはとにかく時間がないとの判断から、
この私が今夜中にやるしかないのではないか」

 

上記のようにメモをストーリー仕立てにしてみた。
が、如何せんこのメモは長い。長すぎる。
こんなメモは読まない。印象に残るフレーズもない。
なにより伝えたい事柄は、
今夜中に急いで己がレポートをまとめなさいよ、
それだけの内容なのだ。

そしてなによりちっとも面白くない。
そんなの書く暇があったらさっさと仕事しろよ!
なのである。

 

という訳でこの話は、

そう、あなたの想像したとおり、

全く使えない。

 

いま私は引退の憂き目に遭っている訳です。

 

 

 

星のきれいな場所

 

星のきれいな場所というフレーズを

ネットで偶然にみてしまった。

何かの記事か、広告のコピーなのかは忘れたが、

ただ通り過ぎるには惜しいと思った。

簡単そうで、わりと思いつかない。

良いフレーズなのだ。

 

星のきれいな場所は、

想像だけど、小高い丘のうえだったり誰もいない海岸だったりする。

もちろん街からはだいぶ離れている。

 

クルマで行くところ。

が、山奥ではないし無人島の浜でもない。

そこまでストイックに想像を絞るほどではないような気がする。

 

星のきれいな場所は、

誰もがプラッと出かけられる距離にあったりするので、

日常にちょっと疲れたとき、気分が沈んでいる、

メンドーな仕事が片付いて…

そんな疲労感を一掃してくれるのが、

星のきれいな場所だったりする。

 

このあたりでたとえると、そう、

湘南平とか大磯の海岸とか?

 

星のきれいな場所は、日本各地にいくつもあって、

そのどこもが何故か、

救われるとか心のよりどころだったりする。

今夜もそんな星のきれいな場所に出かける人が、

ぽつぽつと現れるから、

やはりそこには、特別な何かが宿っているのかも知れない。

 

 

オススメ映画「ブランカとギター弾き」

 

無料、ただで映画を観るのは、要するに時間の無駄だった。

 

某テレビの午後のロードショーを録画して観ていたが、

いい映画がホントに少ない。

週に一本あるかないか。

その程度の確率だから、映画が終わってうなだれてしまう日が続いた。

寝る時間が遅くなるだけで何にもいいことがない。

 

ひとつ分かったことがある。

ハリウッド映画といっても、実は数打てば当たる、

というつくり方をしている。

ヒット作の下には無数の駄作がうごめいている。

それを流す午後ロードは、予算の問題なんだろう。

地上波初登場なんて宣伝されている映画は、

通常では流せないというレベルのものだ。

 

あと、気づいたこと。

どれもスパイもの、陰謀もの、殴り合う、銃を撃ちまくる…

そんなものばかりなのだ。

それがスカッとするかというとそんなことはない。

心がすさんでしまうのであった。

おかげで夢にまで悪党が出てきて、こちらの眠りを脅かすありさま。

 

ではということで、アマゾンプライムでアドベンチャーという

キーワードで検索すると出てくる出てくる。

映画ってホントに無数にあるんですね。

で、ずっとスクロールをしていると、

アドベンチャーとはほど遠い映画に出くわした。

偶然の出会い。

 

 

非ハリウッド映画で、フィリピン、日本、イタリアの合作映画が、

表題の映画だったのである。

 

映画の舞台はマニラのスモーキーマウンテンだと思う。

かなりひどい貧民街である。

ちなみにスモーキーマウンテンの名は、

街に溢れているゴミが自然発火して、

いつも煙に包まれているかららしい。

 

ここで暮らす?ブランカは、8~9歳くらいの女の子。

親がいない。ストリートチルドレン。

盗みとかいろいろ悪いこともやっている。

夜は公園とかで寝ている。

 

 

街を歩く親子を、彼女はいつもじっとみつめている。

 

或る日、公園で目の見えないギター弾きの老人と知り合いになる。

ピーターというその老人はブランカにちょっと歌ってみないかと誘う。

ブランカが恥ずかしそうにして歌い始めると、

まわりの人たちが徐々に彼女に注目し始める。

 

ブランカの歌がなかなかいいのだ。

 

シンプルなギターとメロディ、素朴で透き通る歌声。

それをたまたま聴いていたクラブの経営者に、

ウチで歌わないかとスカウトされる。

ピーター老人とブランカは、ひさしぶりにシャワーを浴び、

初めてベッドでぐっすりと眠ることができた。

 

 

まあ、これから観る方のためにストーリーははしょるけれど、

或るシーンで、彼女がニワトリを掴んで、

走るトラックから飛べ飛べとはしゃぐシーンがある。

 

鳥なのになぜ飛ばないのかと彼女は疑問に思う。

乗り合わせた大人がこう言う。

飛ばなくても良くなったから。

それは人間に飼い慣らされたからという皮肉でもあると私は理解した。

 

登場人物は、役者というより素人に近い。

映る街並みはどこもゴミだらけでひどいありさまだ。

 

僕は、生まれ育ったずっとずっとムカシ、

昭和30年代の横浜の外れの、

灰色の空の下に広がる雑然とした町を、

不意に思いだしていた。

 

 

ブランカとピーター老人のストーリーはこの先も全然甘くない。

下手をすれば死と隣り合わせの毎日。

が、悲劇のようでもない。

ハッピーエンドでもないのだ。

けれど、このふたりの必死に生きてゆく姿をみて、

僕は忘れていた何かを思い起こしていた。

 

考えてみればこの街の誰もが悪い奴のようでもあり、

実は誰も悪くはないようにも思えてくる。

ピーター老人の奏でるギターの音と、

ブランカの透き通る声が、

公園に吹く風に乗って街を過ぎるとき、

人の原点は実はシンプルなんだと知らされる。

もしそこに、信頼とか愛とかがあれば、

(実はここが肝心なのだが)

それに勝るものはなにもないのではないか。

それは実に当たり前のことなのだが…

 

ひとの気持ちというものはときどき洗濯をしないと

どんどんと汚れていくものなのだ。

そうした忘れかけていた大切なひとつひとつを、

押しつけがましくもなく、

凝ったりひねったりのストーリーがある訳でもなく、

さりとて過剰な演出などとは無縁なのに、

こちらにしっかりと伝わる映画なのだ。

 

こういう映画にいまハリウッドは勝てない。

むしろ日本映画のほうがいい。

 

「ブランカとギター弾き」はその先を行く。

 

 

↑は以前投稿した記事を編集して、再掲載したものです。

 

正月は茅ヶ崎の海へ

 

 

茅ヶ崎の海をみるのは久しぶりだ。

自宅から小1時間なのに。

 

 

僕は山沿いに住んでいるので

窓を開けると、まず山を眺めて、

天気だとかの見当をつける。

海沿いに住んでいる人は、空はもちろん波の具合とかで、

その日の見当をつけるのだろう。

 

 

 

正月の4日は快晴で、海も山も風は強いけれど、

陽はさんさんと照っていて、雪化粧の富士山もみえた。

早朝の気温は1度だが徐々に上昇。

が、二桁までは伸びず、

風と相まって海岸沿いはかなり寒い。

 

この海岸から烏帽子岩がよく見える。

茅ヶ崎漁港付近をうろついていると、

地元の方たちが仕事に精を出している。

それが釣り船だったり漁だったり、

年初から忙しそうだ。

 

 

 

近くの店でサンドイッチとコーヒーをいただき、

クルマを辻堂へと走らせる。

休日とあって、なかなかしゃれたクルマが突っ走っている。

ときおり、バリバリバリと騒音をまき散らした

バイクの一団が爆走していたりする。

 

辻堂海浜公園は、サーファーがクルマを停め、

この寒いなか、海へ出ている。

「このクソ寒いのに…」

若いひとはすごいなぁって感心してしまう。

 

 

ここからあとひと息で江ノ島なのだが、

あそこはむかしと違い、

いまでは一大観光スポットなので、

近寄らないことにする。

 

 

で、この日の海を巡るドライブは終了。

帰路も行きと同様、

寒川神社付近で大渋滞に巻き込まれる。

この道を避けるのを忘れていた。

 

やはり年をとったなぁって、

新年早々ぼやいてしまう。

 

 

 

ゆれ動く死生観

 

さんざん働いてきたので、

最近では残りの人生を意識し、

時間を爪に火を灯すのごとく

無駄なく有効に使いたいとか、

そんなことを意識しているのではないかと

思えてくる。

 

自分の深層心理は不明なのだけれど、

なにかを急いでいるふしがある。

 

自分は不可解だ。

 

たとえば、夜更けの僅かな時間に、

往年の女優、グレタ・ガルボを観る。

ハービーマンのフルートを聴く。

 

他人からみればくだらない事柄でも、

こっちは譲れないなにかに突き動かされている。

 

昼間は、仕事の合間をみて、

河原へ焚き火にでかける。

写真を撮りにあちこち歩き回わる。

 

夜はジャズを聴きに横浜へ。

 

はちまた書家の先生に教えを請うため、

たびたび目黒へでかけたり。

 

が、こう書くと、

人生は暇つぶしなのか?

とも思えてくる。

 

真剣な暇つぶし。

 

この一連の暇つぶしは、

いまから10年前に検討し始めた。

 

いちおう真剣なのだ。

 

うすうすだが、

死を意識するようになったことが、

そのおおきな要因なのかも知れない。

 

ながい人生でそんな場面には、

幾度となく遭遇したけれど、

最近ではその死さえ確実に近づいてきた訳で、

いよいよ腹を据えての暇つぶしとなる。

 

人生って実はとても単純そう、

と思える記述や映像によく出くわす。

やりたいことをやれなどと、

あちこちで吹聴している人たちがいる。

 

渦中にいるとなかなか

やりたいことなんてやれない。

かつ入り組んでいて、

一見浅いようで、

やはり人生ってどこまでも深遠だ。

 

そして生と死は

一見、こちら側、あちら側と分けることができそうだが、

実は混在していて、

同じ世界の表裏に、または同じ場所に、

いやそれさえ曖昧なまま、

すでにいずれも在るのではないか。

 

なんだか近頃では、

その境界さえこちらの思い込みなのではと

この世の中の成り立ちをあやしんでいる

自分がいたりする。

 

親しい友人ふたりがいなくなってから、

そうした思いはよりつのる。

 

彼らは、どこかにいそうだ。

電話にも出そうだし、

メールさえ返してきそう。

まだ解決していない話がいくつもあるじゃないか。

手を尽くせばなんとか話せそうだ。

死して、相変わらず生きている。

そう感じて仕方がない。

 

さて、今夜はマレーネ・ディートリヒの歌でも聴こうか。

そのうち時が満ちれば、

グレタ・ガルボとも話せそうだし。

 

そして思うのだ。

この生きているっていうこの感覚さえ、

ホントかどうかも分からない。

すべて妄想だったりしてと。

 

亡父に謝っておきたかった事

 

もう、親父がいなくなって20年くらい経つ。

暑い夏になると、その日のことを思い出す。

 

喪主の私が親父の骨壺を抱えて、車に乗る。

その日もピーカンの天気で、軽く30℃を越えていた。

骨壺が熱くて抱えていられない。

運転手に頼んでクーラーを最強にしてもらう。

口数の少なかった親父がこの日ばかりは、

「熱い熱い」と饒舌だったような気がする。

 

学生時代、私は左翼がかった本ばかり読んでいた。

とにかく親父が軍国主義の塊のようにみえた。

 

親父は戦争中、満州で戦っていた。

そしてソ連の捕虜になり、シベリアで強制労働をさせられた。

戦争が終わって3年くらい経ってから帰国した。

 

親父は極端に口数の少ない男だった。

私との会話は一生のうちで、一ヶ月もなかったような短さだ。

それが戦争のせいなのか、生来の性格なのか、

ホントのところはよく分からない。

 

一度、母にそのことを聞くと不満そうな顔で

「知らないよ」と切り捨てられた。

 

或る休日の午後、親父に向かって、

「人を殺したことがあるだろ?」と心ないことを聞いた。

親父は一瞬目を細めてとても難しい表情をした。

次の瞬間、唇をかみしめてため息をひとつ吐いて、

ステテコ姿で立ち上がり、

もう一度こちらをチラッと振り返って、

庭に出て行った。

 

それから親父とは一切口をきかなくなった。

 

先の大戦の歴史は、

私も後年になって少しづつ理解するようになった。

歴史を紐解くことは、新しい真実を知る手がかりとなる。

果たして歴史観は修正され、以前に較べ、

違った方向から政経を解釈することとなった。

 

戦争を生きた親父の青春はほぼなかったに等しいと思う。

親父はソ連に抑留されていたので、

帰国してから就職しようとしても、

共産主義者のレッテルを貼られ、

どの会社からも断られたと聞いた。

 

ふるさとの愛知県の村では、

戦争のただ一人の生き残りとして、

近所のやっかみが酷くてそこにいられず、

意を決して横浜に出てきた。

 

そして、就職難だ。

ようやく公務員になれた親父は、

お袋と結婚し、

毎日毎日、同じ時間に家を出て、

毎日毎日寸分変わらぬ時刻に帰宅した。

 

生前、幾度か親父に謝らなくてはと思ってはいたが、

そもそもその会話を親父が覚えているのか、

いぶかしがる自分がいた。

(忘れる訳などないのに)

 

その後悔が年ごとに、重くのしかかる。

 

 

拝啓

父上さま

今年の夏も猛暑でした。

親父、

ホントはあなたともっと話したかった。

もっとあなたの笑顔がみたかった。

肩車なんかしてほしかったし、

そんな父親が欲しかったのですが…

 

私もあなたの死んだ年齢に年々近づいています。

最近、ようやくあなたのこころの内が

みえるようになってきました。

 

戦争って、やるせないことしか残しませんね。

あと、人ってなかなか理解されないものですね。

最近つくづく思います。

 

親父、ホントにごめんなさい。

いまあなたと無性に話したいです。

 

 

脊柱管狭窄症からやっと解放された。

 

夏の初め、腰が痛くなり、

整形外科で脊柱管狭窄症と診断された。

 

酷いときは杖をついて歩いた。

自宅の2階に寝室があって、四つん這いで階段をのぼった。

洗面所で歯を磨くのもままならない。

 

痛みで行動範囲が狭まり、

まあそれでも一日一回はおもてに出るようにした。

数百メートル歩くと、痛くて立ち止まる。

真夏なので直射日光もきつい。加えて痛みを堪えていると、

その我慢も身体を熱くする。

 

医者によると、初期は安静だがじっとしているのも良くないという。

よく分からない。

 

とにかくこんな辛い夏はなかった。

いろいろな事をあきらめようと考えた。

それは、旅行をはじめとする移動。

「歩く」に関するすべてに思いが及んだ。

近くのスーパーへの買い出しまで考える始末。

 

治療は、短期間であらゆることを試した。

まず、整形外科でのリハビリ。

そして整体数カ所。

あんまさんと呼ばれる人のところも通った。

鍼治療2箇所。

他○○療法とか…

 

書籍も数冊買い、即実践した。

(おじぎをする体操とか)

 

あと、京都の知り合いから腰痛に効くという、

東洋のサプリのようなものをいただき、

それはいまでも服用している。

 

結果、なにが効いたのかよく分からないのだが、

少しづつ痛みが減り、元の日常の生活に近づいた。

 

ひとつだけ、効いたと思われるのは、

2番目に出かけた鍼だった。

 

この先生は、私の症状を詳しくきき、

生活スタイルや仕事の中身もきいたうえで、

脈と舌を診ながら、鍼を打った。

 

あるとき、この先生は、

私の四肢の指先に鍼を刺して血を抜いた。

あぜんとしている私に、

「この治療の方が早くなおる」

と笑って言った。

 

ネットで調べると井穴刺絡(せいけつしらく)という

鍼治療法だった。

 

症状が少し回復し出した頃、

近所のスーパーへ出かけた。

なんとか普通に歩いて買い物ができるようになった。

そんな自分がうれしくて、このときばかりは、

スーバーがワンダーランドに思えた。

 

今回の私の最大の収穫は、

歩けることの素晴らしさに気づいたことだ。

歩けることって実は当たり前なのでは決してない、

のではないかということ。

 

とにかく歩けるだけで「感謝」できるようになった。

この収穫を得るために、私は患った。

そう考えるようになった。

 

まあ、そう思考することにより、

これからの人生の黄昏を、

多少気楽に歩むことができるのではないかと。