花と陽のあたる楽園

 

もういない叔母が

フジ子ヘミングによく似ていて、

あの音色を聴くと、

必ず叔母の顔が浮かぶ。

 

横浜で、ずっと服飾デザイナーをしていて、

小さい頃は叔母の家に行くと、

いつもミシンを踏んで何かを縫っていた。

 

傍らで僕はボビンとか

色とりどりのカラフルな糸を眺めながら、

叔母は仕事をしていて、独身で、

ウチの母は、家庭の主婦で、

ちょっと違うんだと思った。

 

叔母の家の棚には、

とてもきれいな布が、沢山置いてあった。

僕は、よく叔母に服をつくってもらったが、

そのどれもがハイカラ過ぎて、

それを着て小学校へ行くと、

必ずみんなに奇異な顔をされた。

 

あるとき、叔母が編んでくれた

ブルーのラメ入りのセーターを着て教室に入ると、

ある女の子がむっとした顔で、

「まぶしいから、そんな服着ないでよ!」と

詰め寄ってきた。

 

後日、その事を叔母に話すと、

けらけらと笑っていた。

そして「○○(僕の名前)、そんなのはどうでもいいの、

大きくなったら、好きなものだけを着ることよ」

と言って僕の頭を撫でてくれた。

 

叔母はずっと独りで生きている女性で、

とても綺麗で華やかにみえたが、

本人の心情は当時から晩年に至るまで、

私にはよく分からなかった。

 

叔母の最期を看取ったのは僕と奥さんで、

とてもやすらかに目を閉じていた。

それは僕たちが、

とてもほっとできる事だった。

 

叔母の墓地は、花の咲きみだれる公園墓地を選んだ。

僕は此処へくると必ず墓地を一周する。

季節の花々が美しく咲く生け垣をみながら、

陽射しのなかを歩いていると、

生きているなぁって思うのだ。

そして傍らでたばこを一服してから、

元気でな、また来るから…

とおかしな事を必ず口走る。

 

こうした時間はとても救われると、

ふっと気づくことがある。

それは、生きている者も、

もういなくなってしまった者も、

実はたいして違わないじゃないかと、

思えることだ。

 

すぐ隣に、「ありがとう」って

笑っている叔母がいる。

そう思えるだけで、

僕の死生観が変化するのなら、

それは、僕にとって、

いつか必ず救いとなる。

 

 

 

虹の彼方に

 

 

 

朝、窓を開けると南西の空に虹が架かっていた

ぼぉーとしたまましばらく見とれてしまった

 

雨上がりの虹

 

雲も霧もさっと引いてゆくのが分かった

すかさずアイホンで何枚かおさめた

いい写真とは言いがたいが

朝の虹は私は初めて見たし

とても貴重な瞬間のように思えた

そしてなにか良いことの前兆のようにも思えた

 

これは半月くらい前の写真だが

あれからなにかいいことがあったか?

と自分に問う

 

いいことも嫌なこともあった

それはいつもと同じように

変わらずまぜこぜになって

いろいろあって

結局、普段と変わりなく

僕の生活は続いている

 

振り返れば

ざっくりといいこと半分いやなこと半分

 

拝んでも願をかけても

僕の日常は淡々と過ぎてゆくのが分かった

 

しあわせの総量は決まっているが

しかし不幸の総量はよく分からないから

ちょっと怖いのだ

 

だからといってびくびくなんてしていられない

頑張るしかないのだ

きっとそういうことなのだろう

 

 

 

 

 

東京

 

泣きたくなったら

夜中にひとりで泣く

Y男はそう決めている

 

誰に知らせるものではない

後は微塵も残さない

そして生まれかわるかのように

何事もなかったかのように

朝飯を食い

背広を着て家を出る

 

あまり好きではない会社へ

よくよく分からない連中と

挨拶を交わす

 

お客さんのところで

それなりの大きな売買契約を獲得し

帰りの地下鉄のなかで

Y男は考えるのだった

 

この広い都会で

オレの自由って

一体どんなもんなんだろう

たとえば

しあわせってどういうものなのか

こうして地下鉄に乗っている間にも

オレは年をとり

時間は過ぎてゆくのだ

この真っ暗な景色でさえ

微妙に変化してゆくではないか

妙な焦りとあきらめのようなものを

Y男は自分の内に捉えた

 

地下鉄を出ると

けやきの木が並ぶ街に

夕暮れの日差しが降り注いでいる

(とりあえず今日だけでも

笑顔で歩いてみようか)

 

Y男は陽のさす街並みを

さっそうと歩くことにした

こんがらがった糸を解く間に

過ぎ去ってしまうものが愛おしいからと

 

歩く

歩く

 

いまオレ

太陽をまぶしいって

そして

久しぶりに心地よい汗が流れている

 

徐々に疲れゆく躯の心地

そうして遠くに消えゆく昨日までのこと

 

まずは

そう感じている

こころをつかむことなのだと

 

 

日常に入り込む違和感

 

最近、結構アタマにきていることがある。

 

朝メシは私にとって至福のときなのであるが、

今朝の朝ドラの録画を再生しながらさあ今日も頑張ろうか、

なんて、遅めの朝飯をのんきにパクついている。

そんなとき、我が家の上を、

軍用ヘリが必ず飛ぶんである。

毎日ね。

だいたい同じ時間。

 

軍用ヘリってもの凄くうるさい。

あれは、人を威嚇する音でもある。

で、皆は知っているかどうか知らないが、

あのローターが真上に来るとさらに質が悪く、

いわゆるハウリング現象が起きて、

我が家のカーポートなんかをブルブルと震わせる。

余計にアタマにきたね。

 

しかしまあ、米軍だか自衛隊だか未確認だけど、

要するにこれらは戦う武器のひとつであろうよ。

国際的な事情とかいろいろ考えると、

私もまあ仕方がないのかなと、

おおらかに聞き逃すよう、己に仕向けてきた。

 

だがだ!

今度は最近、夕飯の時間になると…

事前に断っておくが、私にとっての夕飯は、

今日一日の疲れを癒やし、栄養を補給し、

安らかな睡眠へと誘う、

ひとつの優雅な流れの序章なのであって、

下らないテレビをぶつぶつ言いながら観るのも、

ストレス発散であり、

まあまあ、至福のときなのである。

とまあ、私が最も大切にしているそんな時間に、

またも狙いを定めるように、

我が家の上空を轟音がとどろく訳だ。

 

当初、私はテレビをガンガンつけていて、

最初はなんかどっか外がうるさいな、

くらいに思ってはいたが、

空の状況はそんなもんじゃなかった。

 

爆音と共に、夜の闇空がウーンと唸っているのである。

それは静かな夜の街に、

怪獣でも近づいてきたような恐ろしさなのである。

こうして我が家の朝晩の平和なひとときは、

あの複数の複数回による軍用ヘリの飛来により、

無残にも破壊されている訳だ。

 

そんなことがあって、

アタマがヒートアップしているときであった。

今度は夕方である。

夕焼けでも見ようと近所をのんきに散歩していて、

夏の木々や葉の茂るのを観察しながら、

おお命よ、自然よ!

などと感慨にふけってちょい笑顔で歩いていると、

またまたまた、である。

今度は夕方なのにである。

 

すげぇ爆音が頭上に迫ってきた。

うわぁなんだなんだと上を見上げると、

いつもの軍用ヘリとは違う、

もっと大型の更に変なものが飛んでいるではないか。

 

恐ろしい!

かついつもの奴より更にクソうるさい。

見上げると、小さなプロペラが付いている、

ヘリのようなものが2機。

………?

ああああっ、あれがかのオスプレイかよ!

と、私は怖い珍獣でも発見してしまったような、

かつてないリアクションをしてしまった訳。

飛んでいる姿は不安定な感じ、

かつ不格好である。

 

で、驚きの次に一息ついたら、

いらいらするなぁ、コイツら!

とようやく怒りがあらわになったのだが。

 

行く先は、たぶん横田基地だろう。

そして完全にアタマにきましたね!

 

でですね、こうした場合、

私の政治観とか右だの左だの、

そんな事はどうでもいいと思った訳。

毎日毎日朝晩、いや夕方もだ。

こうした我が家の平和をかき乱す行為自体が、

すべてに優先し、くだらないイデオロギーなど、

この際、どうでもいいと思ったね。

 

私はかつて横浜の田園都市線沿いに住んだことがあるが、

そのときは、近所に米軍の戦闘機が墜落した。

当然、死者も出た。

記憶では、このときもよく軍用ジェットの爆音が聞こえていた。

とても嫌な記憶。

それが何十年ぶりに甦ってきてしまったのだ。

 

今日もみんなが、この広い空の下で、

それぞれの営みを繰り返している。

しかし、一見平和そうな街の上空には、

絶えず、軍用機がけっこう無神経に飛んでいるのだ。

 

考えたって、回答なんか出ない。

こうしたものの根っこというのは、

多次元的に考えれば考えるほど、

どこまでも底なしに深いのだから…

 

更に最近、日本はついに陸上イージスというものに、

5000億円もの金をつぎこむというニュースをやっていた。

数字のイメージがうまく湧かない金額である。

 

いまという時代情勢と地政学的な見地から考えれば、

日本にとって防衛の強化は欠かせないと私も思う。

しかし、単に防衛費だからといって、

相手の言い値のようにもとれる見積もりを、

こちらの政府も鵜呑みにしてOKなどと即答してもらっては、

これはこれで大問題である。

 

5000億っといったら、いまの日本に最優先すべき事柄は、

他にも山積しているように私は思う。

誰かに、あなたはこの防衛構想を知らないからだ、

とか言われそうだが、そんなことは承知の上だ。

この数字は、極めていろいろな意味をもっていると、

私は思っている。

 

うーん、今回は書いていて、なんか不愉快!

いらいらするよ。

でね、クソ暑い。

今日の最高気温は35度らしい。

 

アタマでも冷やそう!

 

 

雨漏りのする車

 

国道1号線の鶴見あたりを走っていた。

友人が車を運転、僕は助手席で外を眺めている。

窓に飛び込んでくる陽射しとふわっとした風が

とても気持ちのいい春の日。

 

先方に中古車屋さんが見えたので、二人して目を凝らす。

僕はその頃、車を探していた。

以前はトヨタのセリカに乗っていたが、

金が尽きて、川崎の中古車屋に売り払ってしまい、

徒歩生活をしていた。

それから心機一転、無駄遣いをやめた。

 

呑みに行く回数を減らして喫茶店にも寄らず、

たばこの本数を減らし、

必死でトラックの運転手のバイトをして貯めた50万で、

再びマイカーを手に入れようと計画していた。

 

前日、東名の横浜インター近くの中古車屋で、

格好いいワーゲンのカルマン・ギヤを発見。

が、売値が高すぎて手が出ないなと悩んでいた矢先だった。

 

助手席から僕が見たその車は、

陽を浴びてこちらに盛んにアピールしているかのように、

ピカピカに輝いてみえた。

 

オレンジ色のワーゲン・ビートル。

 

「いまの見た?」

「見た、あんな色のビートルってやたらにないぜ」

 

興奮した二人は、途中の信号を左折し、

Uターンして右折して本線に戻り、

その中古屋のビートルを再度確認してから、

次の信号を右折して再びUターンして左折、

もう一度いま来た道を慎重に走る。

 

「行ってみようか?」

「だよな!」

 

国道沿いの小さなその店には、

外車がずらりと並んでいる。

珍しい車ばかりを集めている店らしく、

どれも年式は古いものばかりだった。

クラシックなボルボやベンツ、BMWが、

ぎゅっと固まって置いてある。

 

オーソドックスな車は、

オレンジ色のビートルだけだった。

美しい曲線の車体のあちこちには、

クロームメッキが施され、

魅力的な光を放っている。

 

値札に103万とあった。

(うわぁ、103万か!)

 

その日は結局決断できず、

翌朝、意を決して今度は暇そうな別の友人と、

鶴見の例の中古車屋へとでかける。

 

車を眺めながら、借金はなんとかなるだろうと、

甘い観測を立てる。

しかし、本当はもうこの車を逃したら俺は後々後悔する…

ひとめぼれで、ええぃと勢いで買ってしまった。

 

この車で乗り継ぎは3台目となるが、

初のガイシャなので結構気を使ったが、

乗ってみると外観に似合わず、

内装も計器類も何もかもが素っ気なくできていて、

庶民的という言葉がぴたっとくる。

それがまた良いなどと勝手に思い込み、

楽しいビートルとの日々と共に、

地獄の借金生活が始まった。

 

この車にとんでもないことが発覚したのは、

なんと長野県の蓼科の山中でだった。

中央高速の大雨のなかを走り抜けてきたビートルは、

結構快調に走っている。

 

僕たちはとても満足だった。

カセットテープからは、ジャクソンファイブのABCが流れる。

なかなか快適なドライブ。

 

だが、中央高速の小淵沢インターを降りて、

長い上り坂をのぼっていると、

どこからか、ぽちゃんと言う水の音が聞こえてくる。

助手席にちょこんと座っているガールフレンドに、

「なんか水の音、しない?」と尋ねると、

「うん、するする。変な音するよね」

とすでに気づいているようでもあった。

 

雨上がりの蓼科は、雨雲がいきもののように動いて、

それが山の上へとどんどんとせり上がっている。

それは、ちょうど劇場のどんちょうのように、

ばっと、八ヶ岳山麓の鮮やかな緑と夏空を映し出した。

 

エンジンを止めるとしんとしている。

遠くで山鳥が鳴いている。

夏の雲がぽかんと浮いている。

 

車のまわりをぐるっと見回すも、なんの異常も見当たらない。

初夏の蓼科の景色を眺めながら、

「気のせいか」と笑って車に乗り込んだ瞬間、

躰の重みで、そのぽちゃんという音が再び聞こえた。

 

どうも、後部座席のほうからのようだ。

床をよくよく見下ろすと、なんと、かなりの水が、

後部座席の足元に溜まっているではないか。

 

軽い戦慄が僕の躰を走り抜けた。

この美しい蓼科の景色を眺めていた幸福なときは、

戯言のように一瞬で吹き飛んでしまった。

 

ガールフレンドは驚き、あきれかえり、

かといって僕のショックの表情を目の当たりにして、

どうしようもなくなったらしい。

水をくみ出す作業を手伝うハメとなった。

 

バッテリーが近くに設置してあるので、

僕は焦っていた。

トランクにあった布類をすべてその床に敷く。

とんでもない量の汗をかいていた。

その後の事は、いまでもよく覚えていない。

こうして、夏の初のロングドライブは終わったのだ。

 

後、数回に渡ってこの車は同じ事象を起こす。

水漏れの原因を突き止めようと例の中古車屋へも出かけ、

ホースで水をかけたりあれこれと試し、

果ては、ドアまわりのパッキンをすべて交換したりもした。

 

しかし、結果は芳しくなく、

遂に原因を突き止めることはできなかった。

 

この車をどう処分しようかとも悩んだが、

金銭的にも買い換えも不可であるし…

 

しかし、僕は実はこの車を気に入っていたらしい。

手放す気などさらさらない、

という自分の心境に、ある日、気づいたのだった。

 

雨の日の翌日は気になるが、

そのうち、そんなことはどうでもよくなった。

 

それよりシンプルな運転席まわりに喝を入れるべく、

ワーゲン専門店でみつけたタコメーターを取り付け、

足回りを強化サスペンションへと変更し、

マフラーを交換、高速用のエアクリーナーを取り付け、

タイヤとホイールもスポーツ仕様に交換する。

 

おかげで、とんでもなくユニークなオレンジのビートルができあがり、

バイト代はすべてそれに消え、さらに返済が厳しくなるも、

学生時代の僕の経済状態は、

超低空飛行のまま横ばいを持続していた。

 

一目惚れした女性と一緒になって、

実はその人が欠点だらけだったら

というような事と似ているなぁと、

後に僕はつくづく思ったものだ。

くだらない車の話なんだけど、

例え話として面白いと思った。

 

完璧を求める人にはイラつくように思うし、

最初から新車を買っとけよとか言われそうだ。

 

一目惚れって結構危ない。

 

 

湖の不思議

 

連日暑くて、去年はどんなことをしていたのか、

ふと思い出したのが、カヌーに乗ったときのことだった。

 

7月の中頃だったか、こっち(神奈川県)は暑くて、

いい加減にうんざりしたので、

道志村のある国道413号線から山中湖へ向かった。

 

湖畔は強風が吹いていて、

夏だというのに、少し寒ささえ感じた。

さすが避暑地というべきか。

 

富士五湖の魅力は、おのおのだが、

その親しみ度から考えると、

好みはやはり山中湖に落ち着く。

 

中学3年の夏休みにはじめてここでキャンプをしたとき、

湖畔のスピーカーから流れていた歌は、

カルメン・マキの「時には母のない子のように」と、

森山良子の「禁じられた恋」だった。

だからいまだに好きなのかも知れない。

他の湖もなかなか良いのだが、

好きだった歌から思い浮かべる湖というのは、

他を圧倒してしまう。

そういうものだと思う。

 

さて、その頃は泳いで山中湖横断とか、

結構無茶なことをしていた。

みな水泳部の連中だったので、かなり調子にのっていたと思う。

水中の藻が足に絡みついても、刻々と変わる湖の水温も、

その頃はなんとも思わなかった。

 

しかし、おとなになってから知ったことだが、

湖で泳ぐときは、海や河川とは違った注意が必要らしい。

実際、湖の藻に足を取られて亡くなった方もいる。

湖特有の水温の急激な変化による心臓麻痺というのもある。

 

で、去年の夏。

湖の新たな怖さを知った。

 

湖畔からカヌーを出したが、

強風でどうも思うように進めない。

まあ、こうしたときはななめにジグザグに、

目的をめざすもことにした。

 

相当、沖に出ると、

その風は水面を動かすほどに強くなっていた。

湖だからと甘くみていた私は、

オールを上げ、そうした状況も気にせず、

iPhoneを取り出して、

水面から撮る富士山の景色はいいなぁと、

夢中になっていた。

そして、いま船がどのあたりにいるのかさえ、

確かめるのを忘れていた。

 

と、船体がドンと何かにぶつかり、

その衝撃で私も倒れてしまった。

幸い、カナディアンスタイルのカヌーだったので、

船幅も広く、水面に放り出されずに済んだが、

我に返った私は、

何が起きたのか全く把握できなかった。

 

起き上がって船のまわりをみると、

水面から突き出た木の枝のようなものが、

あたりにびっしりと顔を出している。

座礁した船体には、強い波が幾度も押し寄せ、

船がひっくり返りそうになっていた。

船の縁につかまって水面をのぞき込むと、

濁った水中からにょきにょきと白く太い枝が、

不気味にこちらを向いて伸びている。

 

近くには誰もいない。

いや、離れたところにも、

山中湖名物の白鳥さえいないではないか。

 

山中湖は、賑やかな表の湖岸と、

人影さえまばらな裏の湖岸がある。

私は静かな方で、

ゆったりと浮かんでいようと思ったので、

それが裏目に出てしまった。

 

力任せに水中の白い枝をオールで押し、

そこを脱出しようと試みた。

次々に水中から顔を出す、無数の白い枝。

それらにオールを押し当て、

少しづつ進みはしたが、

しかし強い波によってまた押し戻され、

そんなことでかなりの体力を消耗してしまった。

 

注意深く観察すると、

私が乗っているカヌーのまわりは、

そうした水中林がかなりの範囲で広がっていた。

その真ん中あたりに私のカヌーがあったのだ。

 

強風と押し寄せる波に逆らって進めば、

岸はそれほど遠くはない。

しかし、幾ら頑張っても、

その威力には全く歯が立たなかった。

 

いい加減に力が尽きそうになり、

さっと乾いてしまう汗も尽きた頃、

一艘のボートがこちらに近づいてくるのが見えた。

エビアンのペットボトルの水もほぼなくなっていた。

 

そのボートには、地元の方とおぼしき

陽に焼けた高年のおじさんが乗っていた。

岸から湖を見ていて、

私の船をみつけてくれたらしい。

 

結局、この方にえい航してもらい、

その魔の水域を脱出することができた。

 

この方は地元の方で、

私の状況をすぐに把握したらしい。

結局おおげさにいえば私の命の恩人である。

 

岸に上がって、

開口一番「湖ほど怖いところはないんだよ」と、

この地元のおじさんが

にこにこしながらつぶやいた。

そうして、

湖にまつわるいろいろな話をしてくれた。

 

湖は、先の水温の急変や、

藻が人の足に絡みつくことのほか、

水底に引き込まれる水域とか、

よく分からない生き物が生息している噂とか、

いろいろな話をしてくれた。

 

そして、こうも話してくれた。

「湖には生き物のようなところがある」と。

 

それがどうゆうものなのか、

私もいまだ計りかねているが、

このおじさんは、不思議な人の死を、

さんざん見てきたそうである。

 

例えば、夜の湖畔で、

複数の人がいきなり湖に飛び込み、

そのままいなくなってしまったという話。

この人たちはそれ以前からよく来ていた方たちらしく、

湖に入ることなどまずしない慎重な方たちだった、と。

いま思い返してもつじつまが合わないと、

おじさんがしみじみと話す。

 

ふーむ、

では、湖に意思があるのだとしたら、

それはアニミズムのようなものの進化したものなのか。

超自然的な生命体のようなものなのか。

そして、万物の意思がネガティブに動くとき、

人はだいたい良くないことをしでかしているとか。

 

まあ、幾ら考えても結論は出ないのだが、

またひとつ、私の知らない不思議が増えた。

 

さて今年はまた、

あの怖いほどに魅力的な湖に出かけようか…

と思っている。

 

そう思ってしまうのも、あの湖が放つあやしさなのだろうか。

 

 

おやつの問題

 

最近は、昼メシにみんなは何をくってるか、

興味あるらしい。

よってそんな番組が複数あって、

ちょっと観たけど、すぐ飽きてしまった。

まあ、だいたい想定内のものを食している。

果物だけとか、ケーキのみ食いまくってる人って、

いないのか?

虫を食っている人とか。

だと面白いんだけど。

いや、問題はおやつなのだ。

私の場合は間食と呼んでもいいだろう。

昼メシと夕メシの間って結構長い。

腹が減るんだよね。

あるとき、ポケットのお金がみるみる減るので、

おやつをやめたことがあるが、

結果、身も心もヘラヘラになってしまい、

目の前が暗くなったことがある。

(ホントに暗くなるんだって)

で、おやつ続行と相成った。

原因はどうも血糖値の低下にあるらしい。

ちょっと病的ではあるな。

これって、現代人に多いらしいのだ。

知っている医者に聞いたことがあるが、

高血糖の症状はよく問題になるけれど、

低血糖の問題はあまり扱われないとか。

飽食の時代の飽食の国の問題なのである。

どちらもインシュリンが関係している。

それをコントロールするのは膵臓だが、

現代人はここがかなりやられている、

ということもその医者から聞いた。

話を続けよう。

あるときから炭水化物だけでも減らそうと、

セブンイレブンとかファミマのチキンばっかり

摂取していたことがあった。

が、これは連日同じものばかりを食い過ぎたのだろう、

或る日吐き気がきたのですっぱりやめた。

次に米に照準を合わせた。

で、鮭のおにぎりばかりを食ってたこともある。

この場合、コーヒーが合わないので、

「おーい、お茶」とかを飲んでいた。

これはまあまあだったが、

しかし、なんでか飽きてしまう。

在宅時は、冷凍のたこ焼きとかチヂミとかを、

ずっと食い続けた。

で、案の定飽きてしまい、いまはパスしている。

次回は生協の肉まんにすることにした。

(きっとすぐ飽きるけどね)

また、街のパン屋で惣菜パンばかり

食していたこともある。

が、指から流れる油がすげえんで、

これもやめることにした。

惣菜パンって、以外に油過多。

おいしいんだけどね。

喫茶店で「今日のブレンド」なんかをいただきながら

いろいろなサンドも試したが、

これも、かなり飽きがくるのが早かった。

ハンバーガー類もいろいろと試したが、

いまはチーズバーガー以外はあまり見たくもない。

とまあ、要するにあれこれと食ってるうち、

どいつもこいつも飽きてしまったのだ。

この場合、個人的に飽きっぽいというのが

明快な理由なのか否か、そこが分からないのだ。

いろいろと振り返って気づいたのだが、

おやつは圧倒的にパン系が多かった。

パンはうまいものはうまいのだが、

油が過多。

で、パンでもまずいのは、ホントにまずいよ!

そして、よーく分かったのは、

パンはすぐ飽きる、ということ。

どうしてだろうよと、己に尋ねるも、

原因は不明なのだ。

で、米系でもコンビニのおにぎりって、

なんでか飽きるんだよね。

先のチキンにしてもやたらに柔らかくて、

変にジューシーさが過ぎる。

あやしいとさえ感じる。

そこで思い出したのが、

ガキの頃のおやつだった。

味噌のみ付けたおにぎりとか

塩だけのおにぎりくらいだった。

夏休みなんかは、

まるごとトマトに塩をふってかぶりつくとか、

ゆでたトウモロコシに水で冷やしたスイカとか。

こういうのって全然飽きなかった。

そして格別にうまかった。

飲み物は、煮出した麦茶。

あとは砂糖水。

貧乏くさいといえばそのような気もするが、

その質素さが、いま思えば、

とても贅沢だったような気がする。

食材はすべてメイド・イン・ジャパンだったろうし、

地産地消が当たり前。

砂糖水もサトウキビから採ったものだったろうし、

塩だって天然物しかなかった。

要は食材。

そういうことだったのだろうか?

いやいや、己が毎朝いただく朝メシは、

なんたってうまい。

なおかつ飽きない。

一応、食材には気を使ってはいるが、

それが理由なのか。

手づくりだからか。

しかし、家の内外を問わず、

うまくて飽きない食いものというのは、

確実にあるにはある訳で、

そこにどんな秘密が隠されているのか、

それが解明できれば、

俺の問題はきれいに解決するのだがね。

 

 

「眠い」の真相

この前、我が人生ではじめて

歯医者で治療中に居眠りをしてしまった。床屋でも寝てしまったのだ。

歯医者では、自分のいびきではっとする。

歯科衛生士さん、気がついたかな?

床屋ではマスターの「疲れてるね」のことばで起きる。

おかしいな?

元々、私は歯医者とか床屋が大嫌いで、

小さいときから緊張する場所であったハズなのに。

私たちの小さい頃の歯医者さんは、

元軍医が多かったし、

とても威張っていたので、

どんなに痛くても泣いてはいけない。

泣けば、そう、怒鳴るんだよねぇ。

または、顔を押さえつけて、治療続行。

機嫌が悪いと「帰れ!」といって患者を追い返す。

これっ、ホントだよ。

床屋も、かなり緊張する場で、

特に、仕上げに前髪を一直線に揃えるという、

その頃流行っていたのかどうかよく分からないが、

そういう髪型であって、

とにかく一瞬たりとも動いてはいけない。

じっとしていないと、

その一直線切りが上手くいかなくなり、

床屋の親父が舌打ちなんかして怒ってしまい、

もうそこで終了なんていうこともあった訳で、

いま振り返ると、ヒドい時代であったのだ。

で、いまはどこも優しいですね。

みんなにこにこしてくれる。

ソフトな時代になったものです。

それが成熟した文化というものなのか、

民度が高いというのか、

私にはよく分からないが。

とにかく己の場合、

小さい頃から何十年も続いたトラウマが、

じじいになってようやく解消された。

リラックスするにもほどがあると自戒するも、

ゆっくり呼吸して宙をなんとはなしに眺めていると、

やはりすっーと眠くなってしまうのだ。

ちょうど、催眠術にかかったように眠くなるのだ。

(私、退行催眠の経験アリ)

うーん、トラウマが解消された、

あるいは疲れがたまっていたからとか、

いろいろ理屈はつけられるのだが、

どうも釈然としない。

そこで、同世代の仲間幾人かに、

この話を振ってみた。

で、私は驚くべき事実を掴んだ。

彼らは一様に「あるある!」と誰も否定することなく、

回答する。

「そんなもんだよ」と、

いともあっさりと肯定する訳なのである。

ほほう、誰も気にしていないところが、

更に凄いところだと私は思ったね。

さて、この所構わず眠い眠いが、

果たしてじじい特有の症状なのか、

見知らぬ病の知らせなのかと、

私は気を揉むのだが、

そんな情報はいまのところ皆無である。

うーん、謎は深まるばかりだ。

 

15年ぶりにアルコールをなめる

先日、友人と自由が丘で待ち合わせ、

うろうろするうち、

金田という飲み屋へ入る。

久しぶりに、

チェーン店の居酒屋でないところへ入った。

まだ夕方の5時ということで、

店内は人もまばら。

出迎えの女将に笑顔はない。

むしろ怒っているようにもみえるし

キリッとした表情ともいえる。

カウンター席のみでコの字が二つ。

隅っこに座ると、

奥の板場から数人が、

じろっとこちらをみる。

やはり、ぜんぜん笑顔なし。

つまらない笑顔なんて不要

という店なのであった。

ノンアルコールビールをくださいといったら、

女将の目がつり上がったのが分かった。

「ウチにはそういうものはありません」

友人は生ビールを頼んで、

俺の顔をにやにやしてみている。

(コイツ、知っていたのか?)

女将がどうします、いやどうするんだよ、

というつり目をするので、

ビールの小瓶を頼む。

ちょっと参ったなと思った。

なんせここんとこアルコールなんて

全然口にしてないし。

とにかく、酒をやめて15年くらい経つ。

女将と目が合うと、我々の後ろを指さすので、

ウムっと振り返ると、そこに金田酒学校の

立派な一枚板が飾られている。

おおっ、立派な墨文字。

女将が何が言いたいのかは即座に分かった。

酒をたしなむこの店のマナー、

学校の他にも、

ここの掟のようなものが書かれているハズだ。

実際、後で確かめると

そんなもんは書かれてなかったが、

とにかく、酒の学校だったんである。

学校に飲みに入った以上、校則は絶対だしね。

という訳で、15年ぶりのアルコールである。

ついでにタコぽんとか若鶏の焼き鳥、

菜の花のおひたし、しめ鯖、しんじょう揚げといった

酒飲みにはたまらない肴も久~しぶりにいただく。

(これがうまいんだなぁ)

さて、アルコールをやめたのは、

確か15年くらい前だった。

最初は医者の忠告だったように思う。

肝臓値、コレステロール、中性脂肪が

軒並み悪い数値だった。

が、あまり気にもせず、

アルコールを少し減らす程度でごまかしていた。

断酒は意外なことがきっかけとなった。

いつものようにビールを飲んでいたら、

やたら鼻が詰まって息苦しい。

そんな日が続くようになった。

日本酒でもワインでも焼酎でも、

とにかくアルコール類を摂取すると鼻が詰まる。

息苦しい、酒がうまくない。

薬屋にも医者にも行ったが明確な回答が出ない。

いろいろな薬なんかを飲んではみたが、

どれも全く効果がない。

次第に飲む日が減った。

なんだか面白くない日が続いた。

だって息が……ですよ。

そうこうするうち、

習慣づいていた飲酒もやめてしまったのだ。

私はついに、

酒と相性の悪い人間になってしまったのだ。

以来、今日まで飲んでないし、

飲みたいとも思わない、で甘い物が好きな、

とてもつまらないおじさんになってしまったのだ。

思うに、私の場合の飲酒は

犬の条件反射と同じで、

食い物をみるとよだれが出る犬のように、

夕方になるとアルコールを摂取していた訳だ。

その際の条件キーワードは「夕方」であった。

で、話を自由が丘の金田に戻すと、

前述した理由から

15年ぶりにアルコールを摂取することとなったが、

結果はなんというか、

身体中を血液が巡るというか騒ぐというか、

妙に身体が暑くなるという、

身体の懐かしい変化が呼び起こされた。

結果、アルコールってなかなか「うまい!」

なのであった。

気分も絶好調。

そして、鼻が詰まらないことも確認したのだ。

さて、では晴れて飲むぞ、

で、もう一度、自由が丘の金田に行って、

酒通になるぞとも一瞬思ったのだが、

あれから数日経ったいまでも、

アルコール類は一切摂ってはいないし、

あのサケも肴もうまい金田にも、

もう行かないだろうなと思っている自分がいる。

特に我慢も無理もしていないのに

なぜだろうと考えるに、

私には現在、チョコを摂取する習慣があることを思い出した。

疲れた日の夕方に摂取するチョコは、

とにかく格別にうまいのだ。

このの心境をたとえていうと、

むかーし別れたおんなの人と再会したが、

もうその頃のようには戻れない。

そんな感じなのである。

ああ、人はどんどん変わってゆくのだ。

好みも変化するし、

習慣も進化してゆくものなのだ!

しかーし、それにしても

久しぶりのビールはうまかったなぁ。

やはりこの先、

どうなるか分からないんである。

100均絵画

中年にさしかかる頃から絵が好きになった。

あちこちの美術館に行くようになった。

それまで、仕事上でイラストとかカット、写真など

いろいろ扱っていたけど、

絵画に目覚めるとは思わなかった。

きっかけは、おそらくだが、

横須賀美術館にニューヨークアート展をやると聞いて、

暇つぶしで観に行ったことだろうと思う。

リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルらの絵が

ずらっと飾ってある。

一枚一枚を間近で観て、心を動かされた。

いずれ広告のポスター的でもあり、

どちらかというと古典的な絵画でないので、

まあ、私的には入り口としてフィットしていた。

それから、各地へでかけ、

ピカソとかレンブラントとかダリとか、

いろいろ観て歩いて、本格的にはまった訳。

とりわけ印象派が好きで、

モネ、カサットなどがいい。

ルノワールも相当いいですね。

光と影の描き方をずっと観てて飽きない。

現在では、デュフィとシャガールが気に入ってて、

たまに、すげぇとつぶやいてしまう。

ある日、私も描きたいと思い、

新宿の世界堂をうろうろしてみたが、

いや、画材って相当高価なんである。

町田に戻って今度は東急ハンズを見て回ったが、

そうそうそういえば、

「おまえ、ほんとに絵やるの?

描くの? 描けるの?」

と問いかける己がいる。

確かにその通りなんだよ、

と自らの問いに納得。

そんなとき、ふと頭に浮かんだのが100円ショップ。

東急ハンズを後にして、

それからは、ダイソーとかセリアとかキャンドゥを

ふらつく日々が始まる。

100円の絵筆、パレット、絵の具、画用紙……

100円なのでどんどん買った。

お金持ちみたいにね 笑

で、くちゃくちゃと描き始めた。

気に入らないと、どんどん捨てる。

破く。

赤貧ではないので、

駄目なスケッチなんぞは

豪快に捨てれる。

とっても愉快。

でもほんとは真剣に、

何回も何回も描いてみたんだ。

しかし線の一本一本が気になったり、

絵の具の色が思うように混ざらなかったり、

発色しなかったり……

結局、全然うまくなんか描けない。

鑑賞しているほうが相当楽だと思い知る。

そこで近くのデパートなんかのアマチュア絵画展などを

観にいくも、生意気にあれこれと批評している己がいる。

では、もう一度描いてみようと、

いまだ続いているが、

上手くなろうと誰かに習うという選択肢は

いまさらない。

上手くなどと思わない。

きみはどう描く?

そう問い掛けて描いている訳。

早い話が自己満足。

今日も超自己流で、飛ばして描いているし。

しかし、絵を描くって結構楽しい。

この格安な趣味を誰かと共有したいね。

という訳で、

あなたもさっそく始めてみてください!

絵1