茅ヶ崎ライブ(南佳孝・ブレッド&バターetc)へ行ってきた!

連休の5月5日、快晴。

久しぶりに海へでかける。

途中、車窓より富士山がかすんでみえた。

うん まだ雪をかぶっている?

平地はご覧のとおり、もう夏なのになぁ…

 

そして茅ヶ崎の浜の日差しも強烈だった。

さらに強風。

砂が、目に口に入ってひどい状態に。

サングラスは絶対必須でした。

あとマスクも…

 

 

会場に近づくとかなりの人混みとなる。

ステージから風に乗ってゆるい感じで、演奏が聞こえる。

みんなもゴロンとリラックスしてビールなんか飲んでいる。

パラソルやテントがあちこちにひらいて、

海にきたなぁと実感できる。

 

 

砂浜を久しぶりに歩くと、かなり足が重い。

歩きづらいけれど、

ロケーションの良いところを探すために、

あちこちをウロウロする。

 

にしても風がうるさくてすべてが聞きづらい。

マイクに風の音が混じっている。

まだ知らないバンドが演奏しているので、

寝転がって久しぶりの海をずっとながめる。

 

このイベントは、情報通の知人が教えてくれた。

あまり大々的に宣伝もしていないので、

ボクも以前は知らなかった。

 

今日のトリは、ブレッド&バター、

そして大トリが南佳孝さん。

全国区だけど、とりわけ湘南の人気ミュージシャンとあって、

年齢は高めの根強いファンが目立つ。

 

タトゥーを入れた70過ぎと思われるおばさんが、

ビール缶を片手にステージに上がって踊っているし、

不思議なレゲェのような服に身を包んだサングラスのおっさんが、

ムームーをひらひらさせたおばさんと抱き合っていたり、

なんだかよく分からない空気の中で、

ボクは「自由」というキーワードがアタマに浮かんだ。

 

あいかわらず富士山がかすんでみえる。

遠く伊豆半島のほうまで見渡せるロケーション。

沖に烏帽子岩、トンビが強風をコントロールして、

私たちの頭上でホバリングしながら、

会場を見下ろしている。

 

空も海もとても良い色をしている。

とにかく、いまここでボクは、

少なからず、自由を満喫しているのではないか。

そして、自由についてのつまらない定義みたいなことを

考えるのをやめた。

 

待ち合わせた知人とは、

ステージはそっちのけで話し込み、

時間は刻々と過ぎて、

そろそろという時間になる。

昼にきたというのに、あっという間にもう夕方。

日が傾いている。

そろそろトリがあらわれる頃だ。

 

ボクたちは場所を移動し、

ステージが垣間見える場所を確保するため、

ステージ裏の垣根の隙間をゲットする。

 

会場から異様な熱気が伝わる。

 

 

ブレッド&バターのふたりが登場した。

地元茅ヶ崎の仲間たちとおぼしき、

個性的な面々が最前列に集まる。

(とても不思議な雰囲気の湘南の方々…)

 

ボルテージは最高となり、

やがてはみんな総立ちとなり、

踊り出す人も。

 

彼らの人気は絶大で、

いつまでもアンコールが鳴り止まず。

(会場の気温が急上昇 笑)

 

そのうち、

楽屋裏に南佳孝さんの姿がちらちらと見え始めた。

で、ブレッド&バターがステージを去ると、

場の空気を一新するためだろうねぇ、

会場のスタッフが興奮した観客たちを座らせ、

最前線にコーンを置いたりしている。

 

南佳孝さんがステージにあらわれる。

全く違う空気感が会場に漂うんだよなぁ。

 

彼がギターのチューニングを神経質にはじめた。

 

で、ステージの雰囲気も一新したところで、

ボサノバ風の「日付変更線」からスタート。

 

このうたを聴いているうちに、

この会場が海岸にあることに、なんだか感激する。

 

 

そして、ウォークマンが発売された当時、

ボクはグアム島からパラオに飛ぶ飛行機のなかで、

まさにこの曲を聴いていたことを思い出した。

 

南佳孝さん自身も、街中のハコのライブより、

こうした海のロケーションが大好きなのだろう。

いつものクールで抑揚を効かせた、

そしてシャイな一面もみせながも、

最後はみんなにスタンドアップOKと、

かなりのってくれた。

「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」まで

披露してくれたのだから…

 

秀逸な曲、心をさらわれるうた、

海に溶けていくようなメロディー、

風に乗って消えてゆくボーカルの響き。

そして五月晴れの茅ヶ崎の砂浜。

 

舞台装置は完璧だった!

 

「いまこの瞬間、ボクは間違いなく自由だ!」

そう感じたボクの感覚は、間違っていない。

 

いまもそう確信している。

 

 

オスカー・ワイルドの審美眼

 

アイルランド出身の詩人で作家、劇作家である

オスカー・ワイルドは、

「サロメ」「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」など、

著名な作品を多数残しているが、その生きざまはすさまじく、

ボクなんかが到底ついてゆけないハチャメチャぶりで、

世間をアッと言わせる数々のエピソードを残している。

 

同性愛がバレて牢屋に入ったり、日々酒に溺れたり、

で梅毒による髄膜炎で死んでしまうのだが、

その死の前日に、彼はカソリックに入信している。

 

本人にしてみればとても真摯な生き方をしたと

ボクなんか思うのだが、

裏腹の評判となってしまうのはなんとも皮肉な話である。

 

ちなみに、かのオスカー賞受賞者に手渡される像のモデルが、

オスカー・ワイルドその人ともいわれている。

彼は、1923年にノーベル文学賞も受賞している。

 

彼はいつも人間や人生の本質というものを探求していたのだが、

そのまなざしの角度が人とはかなり隔っていて、

結果、その真実を掴んでしまった彼は、

心の深い井戸に突き落とされたのでないかと

ボクは推測する。

 

それがやがて日常の退廃や懐疑に繋がったのではないかと思う。

 

彼は、日本の文人である森鷗外、夏目漱石、芥川龍之介、

谷崎潤一郎などにも多大な影響を与えている。

 

そんなオスカー・ワイルドが、こんなことばを残している。

 

―――↓―――

 

「男は愛する女の最初の男になる事を願い、

女は愛する男の最後の女になる事を願う」

 

「流行とは、見るに堪えられないほど醜い外貌をしているので、

六ヶ月ごとに変えなければならないのだ」

 

「社会はしばしば罪人のことは許すものだよ。

しかし、夢見る人のことは決してゆるさない」

 

犯罪者というものはときに許されるものである。

しかし、夢見る人というのは決して許されない。

あなたが夢を語ると、それは無理だ、とすぐいう人はいないか。

いい年をして夢を追うのはいい加減にしろよ、

などと訳知り顔でいう人があなたのまわりにいないか。

彼らはみな、自分に自信がなかったり、強さがなかったりで、

夢をはるか遠い昔にあきらめてしまった人たちである。

あなたが夢を実現してしまうのではないかと不安を感じ、

悔しくて仕方がないから、ただ足を引っ張っていると思って

間違いない。

「オスカー・ワイルドに学ぶ人生の教訓」グレース宮田 著より引用

 

というように、オスカー・ワイルドという人は、

神がかり的に人の総てを見抜いていた。

友人、恋人、社会の入り組んだ糸の仕掛けが、

彼にはくっきりと見えていた。

 

彼の残したことばは、だから色褪せない。

真実を掴んだことばは、時代を軽々と超越してしまう。

 

それに引き換え、

おおかたの政治家や大金持ちが吐くことばの

なんと薄っぺらいことか。

まるで気の抜けた夕べのビール、出がらしのお茶、

冷めたラーメン…のようなことばを、

恥ずかしげもなく使い捨て続けている。

 

↑ホントはこっちを書きたいのか? 最近、かなり腹が立っているからね!

 

上を向いて歩こう

 

ボクがまだ幼かったころ

家族4人で暮らしていた我が家は

とても小さくて狭くて粗末で

つよい風が吹けば

ふわっと浮かんで

どこかへ飛んでいってしまいそうな

あばら屋だった

 

けれどボクにとっては

まぎれもなく唯一安心できる我が家だった

 

ある年の元旦の朝に

和服の女性が男の子を連れ

我が家を尋ねてきた

 

突然の来訪者に母は驚き

つつましいおせちを出して

精一杯もてなした

 

「お姉ちゃん あの人たちだれ?」

ボクが姉にきく

「知らない」

 

姉は何かを察知したのだろう

とても不機嫌だった

 

和服の女性は

キツネのような目をしていた

男の子はボクよりひとつ年上で

ボクが苦労してつくった戦車のプラモデルを

壁に投げつけたりして笑っていた

 

松飾りがとれるころ

父と母のどなり合う声で

夜中に目が覚めた

 

そんな日が幾日も続いた

それでも姉は

いつもと変わらず

毎朝小学校へ走ってでかけた

 

眠りが浅くなってしまったボクは

毎夜毎夜つづく

父と母のののしり合いをきくことになる

 

「離婚しかないでしょ」

「そうだな」

 

ボクはそのたび

となりで寝ている姉の手をぎゅっと握った

 

姉は寝息をたてていた

 

お父さんとお母さんが離婚するって

いったいどういうことだろう

ボクはこの家にいられないんだ

もういまの学校へは通えない

ボクも姉も

みんなバラバラになってしまう

そしてボクはひとりになってしまう…

 

ひとりになったらどうしたらいいんだろう

 

いろいろな不安がとめどなく溢れる

 

そのうちボクは寝られなくなって

よく朝まで起きていた

 

小学校で授業が終わってみんなが下校し

誰もいなくなると

ボクは学校の裏庭でよく泣いた

 

それはいまでも忘れない

 

けっきょく父と母の離婚はなかったが

あの日以来

家のなかは

永年霧がかかったような湿気が残った

 

それから幾度か引っ越しをした

けれどその湿気はいつまでも残った

 

ボクは小学校を卒業しても

漠然とした不安は解消しなかった

いつも最悪の場面を想像し

その対応策を必死で考えるのが

癖になってしまった

 

そして浅はかではあったけれど

とにかく「さっさと独り立ちしたい」

というようなことを強く心に念じた

 

 

昭和30年代の終わりのころ

我が家のテレビはまだ白黒テレビだった

いや、どの家もそうだった

 

夕飯を食べながらテレビを観ていたら

坂本九という歌手が

「上を向いて歩こう」を唄っていた

 

―上を向いて歩こう

涙がこぼれないように―

 

あの日以来

幾度も幾度も

辛いことがあったけれど

そのたびにボクのなかで

あの歌が流れるのだ

 

それはいまでも変わらない

 

 

 

ショートストーリー「流星」

 

 

 

「アジル流星群が見れるのは、

次はずっと先の298年後らしいよ」

高次が暗い夜空を睨みながらつぶやく。

 

「そのころ私たち、当然だけどこの世にいないわね。

かけらもないわ」

 

草むらから身体を起こしながら、

多恵が笑って高次のほうを向いた。

 

小春日和の12月の中旬、

ふたりはクルマを飛ばして、

海が見える丘をめざした。

 

海からの風が、

あたりの草をざわつかせ、

ふたりの身体は一気に冷えた。

 

高次が多恵の肩に手をかけて

「大丈夫か、冷えないか、多恵」

と顔をのぞく。

 

「今日はなんだか良いみたいなんだ」

 

多恵の長い髪が風になびいて、

群青色の海を背景に

格好のシルエットとして映る。

 

高次はそれをじっとみつめた。

 

多恵は、9月の初めに病院を退院し、

ずっとマンションに籠もる生活を強いられていた。

パートナーの高次は、

そんな多恵を見守りながら、

彼女を表に連れ出すチャンスを伺っていた。

 

 

多恵が完治する見込みは、

いまのところないと、

幾つかの病院で指摘された。

 

(難治性心筋膜壊死症候群)

 

多恵が発病したのは、

ふたりが一緒に暮らし始めてから、

2年目の夏だった。

 

診断の結果に、ふたりの気持ちは塞いだ。

憂鬱な日が幾日も続いた。

 

が、ふたりは或る日を境に、再び歩きはじめる。

 

前を向いて生きよう、

そしてこれからのことについて、

現実的な解決策を考えようと。

 

ふたりは、

新たなスタート地点に、

再び立ったのだ。

 

 

憂鬱な日々は去った。

ふたりは、テレビを消し、

ネットを避け、

無駄な時間を一切排除して、

毎日毎日話し合いを続けた。

 

それはふたりの隙間を埋めてもまだ足りない、

濃密な語り合いに変わる。

 

残された時間を惜しむように、

相手を慈しむように、

そんな時間を重ねた。

 

―現実的な解決策など

見いだすことができない―

 

それは、お互いがあらかじめ

じゅうぶん承知していることだった。

 

ただ、いまさらながら

「いま」という瞬間の貴重さについて、

ふたりは改めて気づかされたのだ。

 

過去ではなく未来でもなく、いま。

この瞬間瞬間を精一杯生きていこうと、

誓い合った。

 

 

高次は、仕事の合間を縫ってネットだけでなく、

図書館でいろいろと文献をあさってみたが、

やはりかんばしいこたえを探し出すことができなかった。

症例が希で予後は良くないとの、

専門医のことばだけが記憶に残った。

 

現実的な解決策は、やはり見いだせない。

 

高次は日を追う毎に

焦りのようなものを感じるようになった。

 

 

(海辺の丘にて)

 

ふたりが真夜中の空を凝視する。

 

あたりは誰もいない。

海風だけがうるさく木々を揺らしている。

 

その流星は南西の夜空に明るく降り注ぐと

テレビでは話していたが、

こうして夜空を見ていると、

流星は決してシャワーのように現れたりはしない。

 

或る間隔をあけてスーッと光っては消えてしまう。

それはとても控えめで静かな星の軌道だった。

 

「多恵、もう眠いだろう?」

「うん、眠い。もう疲れたね」

「そろそろ帰るか?」

「うん」

ボクらは草を払いながら立ち上がった。

 

「もう2時間もいたんだよ」

あくびをした多恵の口が少し尖っている。

時計を覗き込むと、午前2時を差していた。

 

「高次は、明日の仕事キツイね」

「なんとかなるさ」

 

帰り際に南西の空をもう一度見上げると、

線香花火のようなオレンジ色の光が

暗闇に現れた。

その光が漆黒の空にスッと一筋の弧を描いて、

次の瞬間、濃い群青色の海に消えた。

 

「いまの見た?」

「見た、見たよ」

 

高次はそのとき不思議なことを思った。

 

―この地上って、いろいろな人間やいきものがいて、

みんな一様になんだかいろいろと大変な事情を抱えていて、

それでもなんとか生きているんだ―

 

誰も彼も、よろこびはほんの一瞬なのではないかと。

 

高次は多恵の肩を抱いた。

「寒いな」

「うん」

 

そして高次は、

ある約束のようなものを、

自分自身に誓った。

 

いつか再びこの丘で

多恵とこの流星を見るのだ…

 

(なあ多恵、もし生まれ変わっても、

君さえ良かったら、また一緒になろう。

そしてこの流星をいっしょに見よう)

 

いつかまた多恵と出会い

同じ時代を生きてみたいと

高次は本気で考えた。

 

 

あの流星を見に出かけた日いらい、

多恵はまた床に伏してしまった。

 

「無理させてしまってゴメンな」

「そんなことない。とても素敵な夜だったよ」

 

多恵の細いうなじが、

日に日にハリを失ってきているのが、

高次にも分かった。

今夜は足もおぼつかない。

「大丈夫か?」

「…」

 

多恵の辛そうな身体が、

まるで背後の暗さに溶けていくかのように、

か弱く小刻みに震えている。

 

 

高次は病院にいくたびに、

無駄と知りながら、何度も医者に食い下がった。

医者はむずかしい表情で、

その度に薬を変えた。

 

が、多恵の衰えは止まらない。

 

或る日高次は、

「またあの流星を一緒に見たいな」

とベッドの多恵に話しかけた。

 

「ええ」

多恵が微笑んだ。

「だけど298年後でしょ?」

 

「そのときが来たら、

また多恵と一緒にあの流星を見るって、

ボクは決めたよ」

 

多恵の目が潤んだ。

そして多恵が、

「高次ってホントに空が好きだね。

なんで?」

 

「なんでって…」

 

「だってムカシから空ばかり見ているじゃない」

 

「それはこの空だけが、ボクたちのことを

ずっと覚えていてくれると思うからさ」

 

多恵の目から涙がこぼれた。

 

「高次、死んだら私どこへ行くのかな?」

 

「つまらないことをいうなよ」

 

高次が多恵に語りかける。

 

「いいか多恵、よく聞けよ。

何処にも行くな。

いつもボクが近くにいると

強く信じていてくれ」

 

「独りになるって寂しいね」

 

高次は一瞬押し黙った。

そしてゆっくりと話し始めた。

 

「多恵、キミを独りにはさせない。

ボクから離れるんじゃないぞ。

ボクから離れるんじゃない」

 

 

多恵の病状は徐々に悪化し、

その年の暮れ、再び入院することとなった。

 

そして年が明けた翌1月の冷え込んだ朝に、

多恵は二度と微笑むこともなく、

あっけなく逝ってしまった。

 

 

高次はそれ以来、

永い日を放心して過ごすこととなった。

身体にあいた大きな空洞のようなものが、

彼を虚無の世界に閉じ込めたのだ。

 

 

半年の後、高次はようやく仕事に復帰した。

 

高次はとあるごとに、

自分に誓ったあの約束のことばかりを、

一心に考えるようになった。

 

多恵、

キミにまた会えることを信じて、

ボクはいまもその手がかりをさがしている。

それはとても非科学的な考えなのかも知れない。

けれど、ボクたちは或る何かを超えて、

再び会えるような気がするんだ。

 

だから多恵、298年後なんてすぐ来るような気がする。

 

「ボクの声が聞こえるかい?」

 

(完)

 

 

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

ライカは面白いか

 

 

最近、カメラを手に入れた。

いぜんから狙っていたカメラなので、

獲物を捕らえた、そんな感覚がある。

 

ずっとiPhoneで撮っていたが、

あるときから一種のつまらなさを感じていた。

 

どうつまらないのか?

 

写真を撮るという行為があまりにも気軽すぎて

日常的すぎること。

写りもそこそこでほぼ失敗しないという緊張感のなさ、

なにかを写すという行為とか出来に、

しまいにはなんのありがたみも感じなくなっていた。

 

それは心底まずい、

とてもいい精神状態ではないと思った。

 

撮ることがつまらなくなると、

なにか自分のなかの大切な感覚を

失ってしまった気分になる。

それを取り返さなくてはならない。

 

そんな訳で、

一歩踏み出してみたのだ。

 

以前から仕事ではニコンの一眼レフを使用していたが、

これがとにかく機能がアレコレと付いていて、

おまけにかなり重く、機動性に欠ける。

扱いづらい。

狂いなど一切ないし交換レンズも豊富なのだけれど。

 

よって的確に設定すれば、そのとおりに映る。

仕上がりもある一定のレベル以上である。

だがそれが面白いかとなると、

そこは全くの別問題であって、

個人的には面白さに欠け、

無味乾燥さだけが残っていた。

 

そこでiPhoneほど気軽じゃなくてもいいから、

ニコンの一眼レフほど

おおげさで的確じゃなくてもいいから、

なにかいいカメラはないものか。

そんな観点からカメラを検討し始めた。

 

マトはまずコンパクトなコンデジに絞られ、

操作と写りを調べるうちにこのカメラが浮上してきた。

が、ライカを狙ったもうひとつの大きな理由は、

あるテレビ番組を観てからだ。

 

「東京漂流」というベストセラーを書いた、

作家で写真家の藤原新也が、

幼年時代に暮らしていたふるさとを半世紀ぶりに訪ねる

という趣旨のドキュメンタリーのなかで、

彼が自分のふるさとの記憶を頼りに

まちじゅうを撮りながらほっつき歩く過程で手にしていたのが、

このカメラだったのだ。

 

 

彼は気が向くと、このカメラでなんでも撮る。

もちろん彼はプロなので簡単そうに撮ってはいるが、

その写したものを見返すと、

そのどれもがある種の物語性を帯びている。

 

美しいとか上手いという印象はないけれど、

いずれもが「ドラマ性」を帯びている。

 

それがプロゆえの出来なのか、

カメラが良いのか、

そこは判然とはしないのだが、

とにかくその番組を観てから

やはりライカだなと確信してしまった。

 

ライカはもともと自分のなかのあこがれのカメラでもあったし、

コンデジならなんとか予算も合う。

という訳で機種も一気に絞った。

もう他の機種は調べさえしなかった。

 

で、どうせ買うなら正規代理店でと決め、

神奈川県に一店しかない、横浜駅至近のそごうへと出かける。

 

そのライカの正規代理店で、

簡単な設定と操作を教えてもらったが、

ニコンなどとは全く違う操作がいくつかあって

それを感覚で覚えるまで戸惑いの連続が続いた。

逆に普通の一眼レフなどにあるべき機能などが

省かれているので、そこはスパッと忘れることができた。

さらには交換レンズも一切ないので、

いちいち考える必要もない。

 

構造はいたってシンプルで、

いわば感覚的に操作するカメラ、

そんな操作に徹している気がした。

 

 

あとは慣れしかない。

 

とにかくレンズがとても明るいので、

開放で撮れば、ボケ足がきれいに出る。

暗がりを狙えば、何気ない暗がりが

やはりというべきか、

少々ドラマチックな場面に映る気がする。

 

とにかく、

つまらないを面白く、

そして日常をドラマチックに!

 

テクニックのなさは十分承知しているので、

このカメラにはかなりの期待をしてしまう自分がいる。

 

 

激動の時代に

 

自分の身に起こるアレコレ。

それがたとえばケガとか病気、

はたまた宝くじが当たったとか…

 

何でもいい。

 

個々に程度の差こそあれ、

それをどう受け取るかは、

けっきょくその人の個性による。

 

人は感受性で生きている。

 

もろもろの思いが積み重なり、

幸不幸の判断材料とするのだろう。

 

 

人はせいぜい長生きしても、

100年の命。

そのわずかな、

いや永い時の流れのなかで、

日々心の在り方を培っている。

 

楽しいことも苦しみも、

ひっくるめて生きている。

 

決して他人にみえないなにかが、

その人を幸せにも不幸にも導いている。

 

 

―おもしろき こともなき世を おもしろく

すみなしものは 心なりけり―

 

幕末の志士、高杉晋作のことばだ。

「面白くもない世の中なら、

オレが面白くしてやろうではないか!

こころひとつでどうにでもなる」

そんな意味合いだと思う。

 

いま、心の在りようが問われている、

まさにそんな時代のような気がする。

 

難問を突きつけられているのは、

紛れもない私たちだ。

「こんな時代」と吐き捨てるか、

いや、と奮起してみるか。

 

それが、

これからの未来を左右する

鍵となるのだろう。

 

ヒッピー、そして旅人のこと

 

―旅するように生きる―

こうした生き方をする人を

ライフトラベラーと呼ぶらしい。

 

ちょっと難しい。

具体的に書いてゆく。

 

●心の旅

これは例えば机上でもできるから、

物理的移動はないにしても、

もはや精神はそこにはないかも知れない。

 

心は、旅に出かけているので。

遙か宇宙にいるのかも知れないし、

アフリカ沿岸の深海に潜って、

シーラカンスでも眺めているのかも知れない。

 

いや、ひょっとすると未来人と交信中かも…

 

心の旅はまた、

毎日の何気ない生活の中でも続けられている。

 

 

日々の旅

常に動いている心という無形のいきもの。

 

刻一刻と移りゆくのでなかなか休む暇もない。

唯一、夢さえみない夜に眠りにつく。

そして日々、旅は続く。

 

見る、聴く、話す、そして何かを感ずると、

心が動く。

それが嬉しいことだろうと辛いことだろうと、

美しいものだろうと醜いものだろうとも。

 

そんなことを繰り返し、ときは流れ、

心は時間の経過とともに旅を続ける。

 

 

先人の旅

私たちの知る、

「旅」のプロフェッショナルを思い浮かべると、

古くは芭蕉や山頭火あたりだろうか。

 

―月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿―

と芭蕉は詠んだ。

 

山頭火は、

―けふもいちにち風を歩いてきた―

と詠んだ。

 

感じるものが尋常でないので、

やはり熟練した旅人のような気がする。

 

 

海外では、詩人・ランボーも旅にはまっていた。

ヨーロッパ中を放浪し、

道中では商売に精を出したり、

旅芸人一座と寝食を共にしていたともいう。

 

人は旅に憧れを抱く。

旅はなぜか万人を魅了する。

 

 

ヒッピーの旅

ところは1960年代後半のアメリカでの旅の話。

 

この頃、ベトナム戦争の痛手から、

ヒッピーが大量に発生した。

 

彼らはそもそも目の前の現実に嫌気が差していた。

それは当然、戦争であり、

戦争が起きれば兵役の義務が生じ、

若者は銃を担いで海を渡り、

そこでは見知らぬ兵士を殺し、

または自分が殺されるという悲劇しか待っていない。

 

彼らは、巨大な体制と戦うことを諦めたようにみえる。

が、彼らがつくりだした「反戦」のムーブメントは、

世界に拡散されることとなる。

 

そして彼らは、仏教的東洋思想に惹かれる。

それはキリスト教的な神と悪魔、天国と地獄、

一神教という「絶対」ではなく、

東洋の多神・寛容という宗教的な思想に、

心のやすらぎを感じたに違いない。

 

 

時系列に自信がないのだが、

ビートルズのジョン・レノンが、

まずインド巡礼へと旅立ったのではなかったかと

記憶している。

ヒッピーがその後に続く。(いや、その逆もありえるけれど)

 

仏教が捉える世界観は宇宙をも内包する。

(それは曼荼羅図をみれば一目瞭然だ)

 

少なくとも西洋にはない東洋の、

静けさの漂う宗教観に、

彼らは傾倒したのだろう。

 

ヒッピーの信条は、自然回帰と愛と平和。

 

それは彼らの新たな旅の始まりだった。

旅の常備品はマリファナやLSDである。

 

マリファナやLSDをやることを「トリップ」とも言う。

彼らは逃避的な旅を模索していたのだろう。

 

これも一種のライフトラベラーだ。

 

 

同時代の旅人たち

そもそも私たちが旅に憧れるのは何故なのだろう。

例え「旅行」などという非日常性などなくても、

私たちは常に旅を続けていると考えると、

人といういきものの不思議にたどり着いてしまう。

 

私たちは物質的な意味合いだけでなく、

この心身のどこかの片隅に、

あらかじめ組み込まれた、

「旅のプログラム」などというものがあるから、

なのだろうか?

 

 

誰も皆、立ち止まることなく旅をする。

私たちは皆、同時代を生きる旅人である。

そこにどんな繋がりがあるのか

検証する術(すべ)などないけれど、

せめて行き交う人に「良い旅を」と伝えたい。

 

そして、

この世を通り過ぎるのもまた、

旅と思うと、

少しは心が軽くなる。

 

 

「19才の旅」 No.1

 

東京・竹芝さん橋で、新・さくら丸に

親友の丸山と乗船した。

ふたりとも、船旅は初めてだ。

 

船は、本州に沿って航行を続けるという。

360度、どこを見ても海というのは、

とても新鮮な体験だった。

が、伊豆大島を過ぎ、三河湾あたりで

そろそろ海の景色にも飽きてきた。

 

デッキで潮風にあたりながら、

ずっとビールをラッパ飲みしていたので、

少し吐き気を催してきたみたいだ。

 

初めての船酔い。

 

ボクと丸山は船室に戻って、ベッドに横になった。

そこで、ボクは吐き気を抑えながら、

必死で何かを考えようとしていた。

丸山もきっとそうだったと思う。

 

(この先、ボクはどこへ行こうとしているんだろう?

いったい、ボクは何をめざしているのだろう?)

 

その問いは、この船旅ではなく、

自分のこれからの身の振り方だった。

 

この頃、ボクたちは自身でもイラつくほどに、

自分のことが分からなくなっていた。

そして日々、迷ってばかりいたのだ。

 

ボクは、大学の付属校へ通っていたにもかかわらず、

カメラマンになるのが夢だったので、

大学への進学は2年の秋ごろから辞退していた。

が、その意思を学校へ提出した後で分かったことなのだが、

カメラマンになるには、それなりの高い学費と、

高額なカメラ機材を買う費用、

そして自宅に現像室を設置しなくてはならなかった。

 

何をやるにも事前の準備不足が、

ボクの欠点だった。

 

そのことを一応両親に話してはみたが、

予想どおりの回答が返ってきた。

父は母にこう話したそうだ。

「あんな極道息子に出す金はない」

 

この文句は、ボクも予想していた。

当然といえば当然の報いとも言える。

なにしろ、高校時代のボクに、

褒められたところは、ひとつもないのだから。

 

一年で吹奏楽の部活をやめてしまったボクは、

地元の友達といつも街をふらふらとしていたし、

そうした仲間と酒を飲み、タバコをふかし、

ディスコで朝まで踊ったりしていたのだ。

 

一応、なんとか高校は卒業したものの、

まともな就職もあきらめて、

いろいろなバイトで生計を立てていたが、

空虚な毎日で、行き場をなくしていた。

 

一方、中学で同級生だった丸山も、

家の事情で普通高校をあきらめ、

自衛隊の少年工科学校の寄宿舎へ入ったものの、

キツい学業と訓練に明け暮れた毎日に嫌気が差し、

バイク事故でケガをして入院したことも重なり、

学校を中退し、疲れ果てていた。

 

やはりボクと同様、鬱屈した毎日を送っていた。

 

ヒマで退屈なあの夏。

 

ボクは、永遠にどこまでも、

何の目的も希望もない毎日が続くのではないか、

という恐怖に幾度も襲われた。

 

その夏は、とにかく24時間がとても長く、

朝も昼も夜もつねに憂鬱だった。

 

汗が止めどなく流れる、とても暑い夏。

ボクは丸山のアパートで過ごす日が多くなった。

 

しかし、お互いに何もすることがなかった。

そんな日が幾日も続いた。

 

ふたりはあたりが暗くなると、

だるい身体を引きづるように、

連れだって近所の居酒屋へでかけた。

 

そこで安いアルコールを飲み、

酔いがまわってくると、

ふたりは真剣な顔つきになってしまうのだ。

 

「俺たちは一体なにものなのか、

この先、何がしたいのか?」

 

そんな全く結論の出ない議論のようなものを、

延々としていたのだ。

 

当然、出口のようなものはみつからない。

それは、まるで明日へと繋がる時間が、

完全に閉ざされたような失望感を伴っていた。

 

そんなやるせない毎日が続いた。

 

相変わらず強い陽が照りつける或る日の夕方、

ボクと丸山はいつものように、

近所の商店街をだらだらと歩いていた。

と、新しいビルの一階に、

オープンしたばかりの旅行代理店が目に入った。

 

通りから眺めるガラスのウィンドウには、

北海道3泊○万○千円~とかアメリカ横断7日○○万~とか

いろいろな手書きの紙がペタペタと貼ってある。

そのチラシのような張り紙を、

ふたりでぼおっーと眺めていた。

 

何の興味も湧かないのだが、

ふたりはなにしろ暇なので、

その張り紙を隅から読み始めた。

が、時間がどのくらいか経過した頃、

ボクのアタマに何かがひらめいたのだ。

 

丸山をのぞくと、

彼の横顔にも同様の表情が見て取れた。

 

ふたりは、その小さな店舗のガラス扉を開け、

相手の説明もたいして聞かないまま、

沖縄行きの予約をした。

 

店を出ると、陽はとっくに暮れていた。

相変わらず熱気が身体にまとわりついて、

また汗が噴き出す。

 

ボクらは商店街を再び歩き出すのだが、

それは自分たちでも驚くほど軽快な足取りだった。

 

その日を境に、ボクたちの気持ちに、

ある変化が生じていた。

(続く)

ショーケンれくいえむ

 

 

わかい頃、水谷豊が

「兄貴ぃー!」って呼んでいた。

そこからショーケンこと萩原健一は

ずっと我らの兄貴ぃー!でもあった。

 

ヤザワではない。

高倉健でもない。

 

そもそも芸能人に憧れるガラではないし、

まして同性なのに。

が、唯一ショーケンだけにはたそがれた。

 

グループサウンズでおかしな衣装を着て、

あまり上手くもない歌を歌っていたが、

あれは彼の不本意だった。

よって解散を申し出たのもショーケン自身。

 

彼はそれ以前にブルースのバンドを組んでいて、

その道へ行きたかったらしい。

が、彼はブルースを目指さずに、

役者へ転向する。

 

これが良かったんじゃないかと思う。

 

役どころとしては「傷だらけの天使」のおさむ、

「前略おふくろ様」のサブが印象深い。

前者は、ショーケンのアドリブだらけ。

後者は、倉本聰の台詞とあって、

一字一句、台本のままだという。

 

黒沢映画の他、多彩に活躍したが、

やはり妙に素人っぽかった初期の頃に、

彼の地が滲み出ている。

 

倉本聰の作品は、彼らしくないという

意見もあるが、あれもショーケンのある一面と

言えなくもない。

結構ナイーブなところが発端となって、

騒ぎを起こしているし。

 

ショーケンが追求したのは、

ダンディーとか、男の中の男とか

そんなんじゃない。

 

一見、かっこ悪いと思わせる。

ちょっと親しみやすくて憎めない。

しかし、ふとした瞬間に、

寂しそうな表情を浮かべたり、

とてつもなく凶暴だったりする。

そこがヤザワでも健さんでもなく、

独特かつ不思議なオーラを放っていた。

 

実際、彼はそのような性格だと思う。

ずっと悪のイメージがつきまとっていた。

まあ不良といえばそのようにみえなくもない。

しかしその程度。

 

彼をウォッチしていて気づいたのは、

妙な正直さが仇となって、

逆に悪評が広まったり、

その風貌や態度から、

ネガティブな印象をもたれたりと、

随分とバイアスがかかった部分がある。

 

或る人たちにとっては、

良いところを探すのが

なかなか難しい人ではある。

 

こういった人間は、

我らの身の回りにも数人いて、

それは身近に付き合ってみないと、

みえてはこない。

 

たとえば、意外に正直であるとか、

思いやりがある、

誠実であるとか…

 

ガキの頃からの知り合いに

こういうのが割と多い。

みんな結構付き合える。

いや、いまも付き合いは続いている。

 

共通点は、みな一様に偉い人間や

偉そーに振る舞う奴には

徹底的に逆らう、というところ。

 

もうひとつ共通点があった。

心根がやさしいこと。

チンピラと違うところは、

カッコよく言えば、

強きを挫き弱きを助ける。

なのに、どうでもいいことで、

弱音を吐いたり…

 

こんな姿が、ショーケンにも投影される。

彼は何回も捕まったし、

結婚も離婚も数回繰り返した。

けれど、それらを軽々と

飛び越えてしまう魅力が、

彼には備わっていた。

 

ショーケンは実は、

ずっと映画の裏方をやりたかったらしい。

脚本とか、演出とか。

意外。

 

彼が亡くなる8日前の写真が、

「萩原健一最終章」の最期のほうに載っていた。

その写真は、

奥さんが隠し撮りした一枚。

 

そろそろ死期が迫っている。

本人も、死が迫っていることを

うすうす感じている。

 

ほの暗い部屋で机の灯りを点け、

彼の丸まった背中がみえる。

机に向かって、ずっとシナリオを、

声を出して読んでいたという。

 

我らの知る最期の男の背中が、もの悲しい。

 

人生を、

疾風のごとく通り過ぎた男。

やはり、最期までショーケンだった。

 

我ら、こんなに強くはなれないけれど…

 

合掌