追悼「フジコ・ヘミング」

 

ピアニストのフジコ・ヘミングさんが、
去る4月に亡くなりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

数年前にようやくコンサートチケットが手に入り、
直にお聴きできる機会を得ました。
足が悪く辛そうで、歩行器につかまっての登場でした。

が、彼女がピアノに向かうと、会場の空気が一変しました。
それは不思議な体験でした。
一瞬で別の空間に連れていかれたかのような、
疑似トリップとでもいうべきものです。

聴衆が最も期待している「ラ・カンパネラ」。

右手が奏でるそのピアノの音は、
題名にふさわしく、まさにヨーロッパの古い教会の鐘の音
そのものでした。

この音は彼女にしか出せない…
それは技術やテクニックでは届かない、
他の何かなのだろうと。

きっと彼女には神様がついているに違いない━
そんな気すらさせるのですから。

そしてピアニストになるためにこの人は生れてきたんだと
思うに至りました。

フジコヘミングはスウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれ、
幼少期からピアノに親しんで育ちました。
彼女はまた生涯をつうじて多くの困難に遭遇しましたが、
それでも音楽に対する情熱を失わずに歩んできました。

彼女はまず若くして片側の聴力を失うという
大きなハンディキャップを抱えました。

が人生の中ほどで、
人生最大のチャンスを掴むのです。
あの世界的指揮者であるバーンスタインに認められ、
将来を約束されたのです。

しかしヨーロッパデビュー本番の数日前から
彼女は原因不明の高熱におかされ、
反対の耳の聴力も失ってしまいます。
(その後60%くらい聞こえるようになるのですが)

こうして二度とない大きなチャンスを逃してしまいます。

のち彼女の不遇は長く続き、
ようやく世界に認められたのは、
60代の半ばからです。

そして怒涛のオファーが舞い込むのです。

その多忙は、90才前半のつい最近まで
途切れることがありませんでした。

彼女の演奏するものはどれも人々の心を揺さぶり、
深い感動を与えました。

彼女の奏でる音色には、
苦難を乗り越えた自身の強さと繊細さが感じられ、
聴く人々に勇気と希望を与えてくれます。

このように彼女の生涯は、
音楽を通じて人々に感動を届けるという使命を
全うしたものでした。

ボクがとりわけこの人に好感を抱き、
身近に感じるのは訳がありまして、
彼女が稀代のピアニストである以前に、
なにしろボクの伯母にそっくりだからなのです。

外見、顔の表情、そしてことばや服装のセンスまで、
ことごとくふたりは似ています。

伯母は服飾デザイナーだったので、
ボクにいろいろな服を縫ってくれました。
横浜の高島屋の特別食堂で、
よくチョコレートパフェをごちそうしてくれました。

その伯母のやさしさが彼女に重なってしまうのです。

伯母もまたフジコ・ヘミングと同様、生涯独身でした。

そして彼女(フジコ・ヘミング)がタバコを吸う姿はまた、
まったく嫌味がないばかりか、カッコよささえ漂うのです。
時代の風を超越した彼女自身の強い生き方を、
その姿で示しているような気がするのです。
(伯母はタバコを吸いませんでしたが)

「私だってよく間違えるわよ。だって機械じゃないんだから」
彼女がよく口走るせりふです。

演奏のできばえの良かった後のインタビューで、
彼女はこうこたえていました。

「神様も今日の私の演奏をきっとほめてくれているわよ」

━神に愛されたピアニスト━

フジコ・ヘミングは、これからも多くの人々の心に
響き続けることでしょう。
そして彼女の残した音楽の遺産は、
ボクたちの心に生き続ける━

そう思いませんか?

 

 

 

老化についての考察

 

最近、歩くのが遅くなった気がする。

気がする…とのあいまいな言い回しは、

自分以外はそんなことはないのか、とも思ったからだ。

 

先日、早朝に横浜の官庁街を歩いていたとき、

後ろから来る人にドンドン追い越されていくことにハタと気づいた。

(年取ったのかなぁ)

けっこう嫌な気分になりましたね。

 

新宿駅でも以前、同じような経験をした。

がしかし、これは年のせいではなく、場所が悪いのではないか?

 

思うに、最近の歩く速度って、むかしよりスピードアップしていないか?

(競技の速歩のような気がするなぁ)

 

とこの話は他人のせいにしておくとして、

それでもなお老化に気づくことがある。

 

たとえば最近、どうも飲み込みが良くないなぁと気づいた。

さらにすぐむせたりする。

原因はよく分からないが、老化なのだろうと思う。

我ながら腹が立つ。

 

で、飲み込みというのは、

理解するとかそういう場合に使われることもあるけれど、

そのあたりはまだなんとか大丈夫のような気がする。

 

で、飲み込む力だが、これを嚥下力と言うらしい。

年をとると、この力が低下してくる。

よって、食いもんの摂取も真剣であらねばならない。

 

だって、命がけなんだぜ!

 

で、嚥下力向上のための方策などをいろいろと調べた。

結果、なんとカラオケが良いとか。

(ほんとかよ?)

 

という訳で、先日カラオケに出かけました (単純思考)

 

カラオケ専用のiPadのようなものをのぞくと、

懐かしのヒット曲というジャンルがあって、

年代別にヒットした懐かしい歌がずらっと出てくる。

 

「この順番でいこう!」とスタート。

初っぱなは1950年代に流行った坂本九の

「上を向いて歩こう」から歌いはじめた。

 

各年代の代表的なヒット曲を3曲熱唱。

そして順に年代を上げてゆく。

 

勢い西暦2000年まで歌い続けようと、

休むことなく歌い続けてみた。

 

途中、歌いながらパンをかじり、

アイスコーヒーを流し込み、

踊り始めて汗が噴き出し、

ソフトクリームを摂取する。

(なんか体に悪そう)

 

演歌、グループサウンズ、フォークソング、

ニューポップスとか懐かしい歌ばかりを、

その頃を思い出しながら歌っていると、

なんだか若い頃に戻ったようで、

不思議と心身が絶好調となり、

そのまま湘南に出かけても

泳げそうな気がしてくる。

 

が、しかしだ、

調子にのり過ぎたのか、

連続で30曲くらい歌ったころから、

疲労と酸欠でふらふらになってしまった 笑

(やりすぎるのも老化の特徴)

 

でかえって憂鬱になり、

やはり年をとるとなんか面白くないな、となる。

さらに心身のリスクもどんどん増えてゆくから危険なのだと、

この嚥下力向上企画を反省した。

 

で、あれから嚥下力がアップしたかどうかは、

まだ分からないけれど、

さっきの夕食のとき一回むせた。

 

あと、眼力も低下してきた気がする。

眼力とはいっても物事を判断する能力のことではない。

単なる老眼なんだけれど。

いや、判断力も落ちてきているかも?

 

いずれろくなもんじゃない。

 

で老眼だが、端的な症状として

たとえば文庫本を読もうとするも、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと気持ち悪い (おおげさかな)

 

いっぽう老眼のいいところも、あるにはある。

見たくないものはそもそも目を凝らしても見えないので、

さっさとスルーできる。

読みたくないものは読まないで済む。

 

聴力にしても同様で、

面倒な話なども聞こえてこないと良いのだが、

耳はまだ衰えていないので、

けっこう雑音が多いのがたまに嫌になる。

よって聞こえないふりをしたりしている。

 

あと年をとるとですね、

自然とアタマが光ったりする訳です。

(ああ、これはただ禿げてくるってゆうこと)

 

ある日、鏡を見てあっと驚いたとか、

家人に指摘されたとか、

禿げと薄毛は、或る日の午後、

稲妻のようにとつぜん訪れるのだった。

 

そして意識は額やツムジに集中するのだ。

これってある意味、老化する己の確認でもあるので、

これだけで、或る人は意識しすぎて

頭痛持ちとなってしまうらしいのだ。

(これは嘘です)

 

だかしかし、年々ひどくなる物忘れが幸いして、

己の禿げているのも忘れて、

他人の禿げアタマを冷静に眺める自分がいた。

(これも嘘です)

 

いずれ、つい最近まで他人事だったことが、

ある日とつぜん我が身に起こるのが老化である。

 

老化は対岸の火事ではない。

いつか己に確実に降りかかる災難のようなものなのだ 笑

 

君にも必ず訪れる老化。

よって老化をバカにしてはいけない。

これは誰もがいつか通る道なのである。

老化からは何人たりとも逃れることはできないのだ。

 

それは「死」とて同様…

 

老化も死も生命の単なる循環のひとつなのであり、

たとえば季節が巡るような自然なものごとだと思えば、

客観視でき、かつ冷静に受け入れることができる。

 

どうだろう?

このような思考が、

いわゆる年を取った者の

「智恵」なのではあるまいか?

と机上では言えるのだがね!

 

 

オスカー・ワイルドの審美眼

 

アイルランド出身の詩人で作家、劇作家である

オスカー・ワイルドは、

「サロメ」「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」など、

著名な作品を多数残しているが、その生きざまはすさまじく、

ボクなんかが到底ついてゆけないハチャメチャぶりで、

世間をアッと言わせる数々のエピソードを残している。

 

同性愛がバレて牢屋に入ったり、日々酒に溺れたり、

で梅毒による髄膜炎で死んでしまうのだが、

その死の前日に、彼はカソリックに入信している。

 

本人にしてみればとても真摯な生き方をしたと

ボクなんか思うのだが、

裏腹の評判となってしまうのはなんとも皮肉な話である。

 

ちなみに、かのオスカー賞受賞者に手渡される像のモデルが、

オスカー・ワイルドその人ともいわれている。

彼は、1923年にノーベル文学賞も受賞している。

 

彼はいつも人間や人生の本質というものを探求していたのだが、

そのまなざしの角度が人とはかなり隔っていて、

結果、その真実を掴んでしまった彼は、

心の深い井戸に突き落とされたのでないかと

ボクは推測する。

 

それがやがて日常の退廃や懐疑に繋がったのではないかと思う。

 

彼は、日本の文人である森鷗外、夏目漱石、芥川龍之介、

谷崎潤一郎などにも多大な影響を与えている。

 

そんなオスカー・ワイルドが、こんなことばを残している。

 

―――↓―――

 

「男は愛する女の最初の男になる事を願い、

女は愛する男の最後の女になる事を願う」

 

「流行とは、見るに堪えられないほど醜い外貌をしているので、

六ヶ月ごとに変えなければならないのだ」

 

「社会はしばしば罪人のことは許すものだよ。

しかし、夢見る人のことは決してゆるさない」

 

犯罪者というものはときに許されるものである。

しかし、夢見る人というのは決して許されない。

あなたが夢を語ると、それは無理だ、とすぐいう人はいないか。

いい年をして夢を追うのはいい加減にしろよ、

などと訳知り顔でいう人があなたのまわりにいないか。

彼らはみな、自分に自信がなかったり、強さがなかったりで、

夢をはるか遠い昔にあきらめてしまった人たちである。

あなたが夢を実現してしまうのではないかと不安を感じ、

悔しくて仕方がないから、ただ足を引っ張っていると思って

間違いない。

「オスカー・ワイルドに学ぶ人生の教訓」グレース宮田 著より引用

 

というように、オスカー・ワイルドという人は、

神がかり的に人の総てを見抜いていた。

友人、恋人、社会の入り組んだ糸の仕掛けが、

彼にはくっきりと見えていた。

 

彼の残したことばは、だから色褪せない。

真実を掴んだことばは、時代を軽々と超越してしまう。

 

それに引き換え、

おおかたの政治家や大金持ちが吐くことばの

なんと薄っぺらいことか。

まるで気の抜けた夕べのビール、出がらしのお茶、

冷めたラーメン…のようなことばを、

恥ずかしげもなく使い捨て続けている。

 

↑ホントはこっちを書きたいのか? 最近、かなり腹が立っているからね!

 

新しい会社の方針はこれだ!

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことは考えていない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

 

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも当然却下。

 

現在最も有力なのが、バニラファッジという社名である。

 

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子。

甘い食いものである。

 

さて、これらの候補は、

すでに気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

 

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」もそうとう良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめることにした。

 

コンセプトなどという難しいものはない。

思想感ゼロである。

発想の根拠が乏しいわりに、アナログ感だけが満載なのだ。

 

で、この新しい会社というか新組織がなぜ必要か、

なのだが、凄い稼いでやろうとか、そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば

その後も前も引き受けます、というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える企業などがあるので、

そこを切り離したいと思った。

(こちらにも意地がある訳)

 

で、ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、多彩な案件を受け入れたい。

 

私たちの仕事は、クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

いつもなんとかしてあげようと、夢中で頑張る訳です。

 

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、広範にわたるからひとことでは

言えないけれど、嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項なのである。

 

イェスマンにはならないぞという決意でもある。

 

さらには、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠なのである。

 

で、好きなことしかやらないとは、

なんと生意気なと言われそうだし、

第一そんな方針で仕事が成り立つのか?

という不安や疑問等が残るのも事実。

 

がしかし、そこは試しである。

実験である。

 

コピーライターという職業は、

ときとして空しくなることがある。

 

全く共感できない企画やプロモーションの依頼。

また、ひとつ間違えばこれは詐欺ではないのか?

と思うようなセールスを頼んでくる企業もある。

 

このような依頼事に、

すがすがしく「ノー」を突きつけることの、

なんと難しかったことか。

 

その反動のようなものが、最近噴出してきたのかなぁ…

 

とにかく、好きなことだけやって生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

(自分の正しいが世間の正しいとは必ずしも一致しないし)

 

が、勘として勝算はある。

 

時代は刻々と変わりつつある。

 

風はかわったと信じている。

 

そして少しでも仕事が動けば、

 

生きる自信に繋がるような気がする。

 

 

片岡義男の「タイトル」はキャッチコピーになる!

作家・片岡義男の本は以前、何冊か読んだ。

映画化された作品も多く、
そのうちの何本かは観た記憶がある。

作品はどれも視覚的、映像的であり、
都会的なタッチのものが多い。

いずれアメリカ西海岸を思わせる舞台装置に加え、
個性的な文体と独特なセリフで、
片岡義男の独自の世界がつくられている。

彼の作品は、とにかくバタ臭い。
これは褒め言葉として。

それまでの日本の小説にはなかった、
カラッとした空気感が特徴的だ。

この作家は、英語に堪能で思考的にも
英語圏でのものの考え方もマスターしている。

彼はまた、時間の切り取りに長け、
ほんの数秒の出来事でも、
ひとつのストーリーとして成立させることのできる、
センスの持ち主である。

写真のプロでもある彼は、
つかの間の時間を、
まるで連続シャッターでも切るように、
物語をつくりあげる。

さらに驚くべきは、彼の作品のタイトルだ。

例をあげよう。

 

「スローなブギにしてくれ」

「人生は野菜スープ」

「彼のオートバイ、彼女の島」

「ホビーに首ったけ」

「マーマレードの朝」

「味噌汁は朝のブルース」

「幸せは白いTシャツ」

「小説のようなひと」

 

いくつか挙げただけでも、センスの良さが光る。

このタイトルに込められた物語性、意味深さ、
そしてそのかっこよさに、
ボクは学ぶべき点がおおいにあると思った。

そしてコピーライティングに欠かせない何かを、
片岡義男はこのタイトルで提示してくれている。

それはいまは使えない武器なのだが、
またいつか使うときが必ずくるので、
必須で習得すべきとも思っている。

いまはテレビを付けてもネットをみても、
「限定販売!いま買うと驚きの○○円でお手元に!」
とか
「売り切れ続出!いまから30分なら買えます!お早く!!」
など、いずれも全く味気なく、
人の裏をかくような煽り広告が溢れている。
でなければ、とうとうと説得を試みようとする、
長い記事のLP広告を読まされるハメに。
(ボクらはランディングと呼んでいるが)

これは、いまのクリエイターが、
人の情緒に近づける術をしらないので、
ただのテクニックだけで売ろうとする広告が
目立っているからだけなのか?

それとも、世知辛い世相の反映としてなのか?

とにかく余裕のない日本の経済の合わせ鏡のように、
即物的な広告類は果てしなくつくられている。

たとえば片岡義男的世界を、
いまなんとか広告としてつくりあげられたとしても、
きっとどの広告主も「OK」を出さないだろう。
そして広告主たちはきっとこう言う。

「自己満足もほどほどにしてください」と。

とにかく世の中のスピードは加速している。
結果は即座に数字に出なくてはならない。

よって「この企画は長い目でみてください」
とか、
「この広告はボディブローのように徐々に効いてきます」
などのプレゼンには誰も興味を示さない。

分かるハズもない。

これは皮肉でなく、実感として感じる。

よってボクらの仕事はどんどんつまらなくなっている。

ホントはね、
たまに暇な時間に開く片岡義男の本にこそ、
ボクらの仕事に必要な、
コアな世界が広がっているのだけれど…

かつては誰もがもっていたゆとりと、
文化のかおり高いこの日本である。

いつかまたそんなときがくる…

少なくともボクはそう信じているのだが。

 

 

●片岡義男のプロフィール (以下、ウィキペディアより転載)

1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。
また、植草甚一らと共に草創期の『宝島』編集長としても活躍する。
1974年、野性時代5月号(創刊号[12])に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。
翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。
1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、
オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に1~2ヶ月に1冊のハイペースで新刊小説を量産。
またFM東京の深夜放送番組「FM25時 きまぐれ飛行船〜野性時代〜」のパーソナリティを務めた他、
パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCMのナレーションを担当するなど、
当時の若者の絶大な支持を集めた。
代表作である『スローなブギにしてくれ』(東映と共同製作)、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』、『ボビーに首ったけ』は角川映画で、
また『湾岸道路』は東映で映画化されている。
近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、
写真家としても活躍している。

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

ライカは面白いか

 

 

最近、カメラを手に入れた。

いぜんから狙っていたカメラなので、

獲物を捕らえた、そんな感覚がある。

 

ずっとiPhoneで撮っていたが、

あるときから一種のつまらなさを感じていた。

 

どうつまらないのか?

 

写真を撮るという行為があまりにも気軽すぎて

日常的すぎること。

写りもそこそこでほぼ失敗しないという緊張感のなさ、

なにかを写すという行為とか出来に、

しまいにはなんのありがたみも感じなくなっていた。

 

それは心底まずい、

とてもいい精神状態ではないと思った。

 

撮ることがつまらなくなると、

なにか自分のなかの大切な感覚を

失ってしまった気分になる。

それを取り返さなくてはならない。

 

そんな訳で、

一歩踏み出してみたのだ。

 

以前から仕事ではニコンの一眼レフを使用していたが、

これがとにかく機能がアレコレと付いていて、

おまけにかなり重く、機動性に欠ける。

扱いづらい。

狂いなど一切ないし交換レンズも豊富なのだけれど。

 

よって的確に設定すれば、そのとおりに映る。

仕上がりもある一定のレベル以上である。

だがそれが面白いかとなると、

そこは全くの別問題であって、

個人的には面白さに欠け、

無味乾燥さだけが残っていた。

 

そこでiPhoneほど気軽じゃなくてもいいから、

ニコンの一眼レフほど

おおげさで的確じゃなくてもいいから、

なにかいいカメラはないものか。

そんな観点からカメラを検討し始めた。

 

マトはまずコンパクトなコンデジに絞られ、

操作と写りを調べるうちにこのカメラが浮上してきた。

が、ライカを狙ったもうひとつの大きな理由は、

あるテレビ番組を観てからだ。

 

「東京漂流」というベストセラーを書いた、

作家で写真家の藤原新也が、

幼年時代に暮らしていたふるさとを半世紀ぶりに訪ねる

という趣旨のドキュメンタリーのなかで、

彼が自分のふるさとの記憶を頼りに

まちじゅうを撮りながらほっつき歩く過程で手にしていたのが、

このカメラだったのだ。

 

 

彼は気が向くと、このカメラでなんでも撮る。

もちろん彼はプロなので簡単そうに撮ってはいるが、

その写したものを見返すと、

そのどれもがある種の物語性を帯びている。

 

美しいとか上手いという印象はないけれど、

いずれもが「ドラマ性」を帯びている。

 

それがプロゆえの出来なのか、

カメラが良いのか、

そこは判然とはしないのだが、

とにかくその番組を観てから

やはりライカだなと確信してしまった。

 

ライカはもともと自分のなかのあこがれのカメラでもあったし、

コンデジならなんとか予算も合う。

という訳で機種も一気に絞った。

もう他の機種は調べさえしなかった。

 

で、どうせ買うなら正規代理店でと決め、

神奈川県に一店しかない、横浜駅至近のそごうへと出かける。

 

そのライカの正規代理店で、

簡単な設定と操作を教えてもらったが、

ニコンなどとは全く違う操作がいくつかあって

それを感覚で覚えるまで戸惑いの連続が続いた。

逆に普通の一眼レフなどにあるべき機能などが

省かれているので、そこはスパッと忘れることができた。

さらには交換レンズも一切ないので、

いちいち考える必要もない。

 

構造はいたってシンプルで、

いわば感覚的に操作するカメラ、

そんな操作に徹している気がした。

 

 

あとは慣れしかない。

 

とにかくレンズがとても明るいので、

開放で撮れば、ボケ足がきれいに出る。

暗がりを狙えば、何気ない暗がりが

やはりというべきか、

少々ドラマチックな場面に映る気がする。

 

とにかく、

つまらないを面白く、

そして日常をドラマチックに!

 

テクニックのなさは十分承知しているので、

このカメラにはかなりの期待をしてしまう自分がいる。

 

 

激動の時代に

 

自分の身に起こるアレコレ。

それがたとえばケガとか病気、

はたまた宝くじが当たったとか…

 

何でもいい。

 

個々に程度の差こそあれ、

それをどう受け取るかは、

けっきょくその人の個性による。

 

人は感受性で生きている。

 

もろもろの思いが積み重なり、

幸不幸の判断材料とするのだろう。

 

 

人はせいぜい長生きしても、

100年の命。

そのわずかな、

いや永い時の流れのなかで、

日々心の在り方を培っている。

 

楽しいことも苦しみも、

ひっくるめて生きている。

 

決して他人にみえないなにかが、

その人を幸せにも不幸にも導いている。

 

 

―おもしろき こともなき世を おもしろく

すみなしものは 心なりけり―

 

幕末の志士、高杉晋作のことばだ。

「面白くもない世の中なら、

オレが面白くしてやろうではないか!

こころひとつでどうにでもなる」

そんな意味合いだと思う。

 

いま、心の在りようが問われている、

まさにそんな時代のような気がする。

 

難問を突きつけられているのは、

紛れもない私たちだ。

「こんな時代」と吐き捨てるか、

いや、と奮起してみるか。

 

それが、

これからの未来を左右する

鍵となるのだろう。

 

センチメンタル・ジャーニー

 

先だって富士におもむき、

初冬の紅葉を見に出かけたことを書いたが、

思えば、あれはあれで綺麗で美しいが、

ちょっと寂しくも感じるのは、

己の行く先を暗示しているようでもあるからだ。

 

 

いきものは、滅する前にもういちど華開くという。

紅葉は、きっとそのようなものなのだ。

 

冬は、万物が眠りにつくとき。

または、いきものの死を意味する。

だからこの季節は美しくも、もの悲しい。

 

永く生きていると、

或るときから死を意識する。

残された時間をどのように過ごすか?

その問いは果てしなく哲学的でもあり、

宗教的でもあるように思う。

 

いきいきと生きている先輩諸氏がいて、

さっさとあの世に行ってしまう

友人や後輩がいたりする。

 

死は知らず知らずのうち、

身近なものとして、

いつも私のまわりをうろついている。

 

若ぶるか、しっかり老け込むか…

分岐点に立つ人間は、そんなことさえ問題なのだ。

 

滅する前にひと花咲かせるとは、

まさに色づく老木の紅葉の如き。

なかなか粋な演出とも思えるけれど。

 

だから、紅葉には死のにおいがする。

紅葉があれほど美しいのは、

「生」というものに対する賛歌でもある。

 

こんなことを考えてしまう私はいま、

まさに生と死の分岐点に立ち尽くす

迷った旅人なのか。

 

いや、

未知の道を行く無名の冒険者として、

考えあぐねている最中なのだと、

肝に銘じている。

 

 

ヒッピー、そして旅人のこと

 

―旅するように生きる―

こうした生き方をする人を

ライフトラベラーと呼ぶらしい。

 

ちょっと難しい。

具体的に書いてゆく。

 

●心の旅

これは例えば机上でもできるから、

物理的移動はないにしても、

もはや精神はそこにはないかも知れない。

 

心は、旅に出かけているので。

遙か宇宙にいるのかも知れないし、

アフリカ沿岸の深海に潜って、

シーラカンスでも眺めているのかも知れない。

 

いや、ひょっとすると未来人と交信中かも…

 

心の旅はまた、

毎日の何気ない生活の中でも続けられている。

 

 

日々の旅

常に動いている心という無形のいきもの。

 

刻一刻と移りゆくのでなかなか休む暇もない。

唯一、夢さえみない夜に眠りにつく。

そして日々、旅は続く。

 

見る、聴く、話す、そして何かを感ずると、

心が動く。

それが嬉しいことだろうと辛いことだろうと、

美しいものだろうと醜いものだろうとも。

 

そんなことを繰り返し、ときは流れ、

心は時間の経過とともに旅を続ける。

 

 

先人の旅

私たちの知る、

「旅」のプロフェッショナルを思い浮かべると、

古くは芭蕉や山頭火あたりだろうか。

 

―月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿―

と芭蕉は詠んだ。

 

山頭火は、

―けふもいちにち風を歩いてきた―

と詠んだ。

 

感じるものが尋常でないので、

やはり熟練した旅人のような気がする。

 

 

海外では、詩人・ランボーも旅にはまっていた。

ヨーロッパ中を放浪し、

道中では商売に精を出したり、

旅芸人一座と寝食を共にしていたともいう。

 

人は旅に憧れを抱く。

旅はなぜか万人を魅了する。

 

 

ヒッピーの旅

ところは1960年代後半のアメリカでの旅の話。

 

この頃、ベトナム戦争の痛手から、

ヒッピーが大量に発生した。

 

彼らはそもそも目の前の現実に嫌気が差していた。

それは当然、戦争であり、

戦争が起きれば兵役の義務が生じ、

若者は銃を担いで海を渡り、

そこでは見知らぬ兵士を殺し、

または自分が殺されるという悲劇しか待っていない。

 

彼らは、巨大な体制と戦うことを諦めたようにみえる。

が、彼らがつくりだした「反戦」のムーブメントは、

世界に拡散されることとなる。

 

そして彼らは、仏教的東洋思想に惹かれる。

それはキリスト教的な神と悪魔、天国と地獄、

一神教という「絶対」ではなく、

東洋の多神・寛容という宗教的な思想に、

心のやすらぎを感じたに違いない。

 

 

時系列に自信がないのだが、

ビートルズのジョン・レノンが、

まずインド巡礼へと旅立ったのではなかったかと

記憶している。

ヒッピーがその後に続く。(いや、その逆もありえるけれど)

 

仏教が捉える世界観は宇宙をも内包する。

(それは曼荼羅図をみれば一目瞭然だ)

 

少なくとも西洋にはない東洋の、

静けさの漂う宗教観に、

彼らは傾倒したのだろう。

 

ヒッピーの信条は、自然回帰と愛と平和。

 

それは彼らの新たな旅の始まりだった。

旅の常備品はマリファナやLSDである。

 

マリファナやLSDをやることを「トリップ」とも言う。

彼らは逃避的な旅を模索していたのだろう。

 

これも一種のライフトラベラーだ。

 

 

同時代の旅人たち

そもそも私たちが旅に憧れるのは何故なのだろう。

例え「旅行」などという非日常性などなくても、

私たちは常に旅を続けていると考えると、

人といういきものの不思議にたどり着いてしまう。

 

私たちは物質的な意味合いだけでなく、

この心身のどこかの片隅に、

あらかじめ組み込まれた、

「旅のプログラム」などというものがあるから、

なのだろうか?

 

 

誰も皆、立ち止まることなく旅をする。

私たちは皆、同時代を生きる旅人である。

そこにどんな繋がりがあるのか

検証する術(すべ)などないけれど、

せめて行き交う人に「良い旅を」と伝えたい。

 

そして、

この世を通り過ぎるのもまた、

旅と思うと、

少しは心が軽くなる。