オスカー・ワイルドに学ぶこと

 

本で溢れてしまった部屋を片付けようと決断するも、

結局、座り込んでアレコレと読みふけってしまった。

 

さっさと整理して、ブック・オフに売りに行くつもりだったが…

 

この調子だと当分片付きそうにないが、

いくつか気になる本がみつかった。

 

ということで、今回はそのなかの一冊を紹介する。

 

「オスカー・ワイルドに学ぶ人生の教訓」(サンマーク出版)。

教訓などというとちょっと引くが、読むとそうでもない。

まあまあ面白い。

 

教訓というより、結構ひねくれた表現ばかりが目につく。

オスカー・ワイルドの人となりが色濃く出ている。

 

この人は、18×4年の10月××日にこの世に生を受けた。

なんでここを強調するかというと、実は私と誕生日が同じだからだ。

それもキッチリ100年違う。

100年後の同年同月に、私が生まれた訳だ。

それがこの本を買った理由なのだ。

きっかけはそれだけ。

イージーといえばイージーだけど、

本との出会いなんてそんなもんだと思う。

 

さて、オスカー・ワイルドは詩人であり作家・劇作家なのだが、

服装の奇抜さとか妙な言動とか同性愛者であるとか、

そんなことばかりが噂として流布する人物だったようだ。

 

文学的傾向としては、耽美的・退廃的・懐疑的など、

なんだか後ろ向きかつネガティブな印象。

 

作品は「サロメ」「ラヴェンナ」をはじめ著名なものが多い。

日本では森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎など、

そうそうたる作家に影響を与えたとも言われている。

この人物を知るほど複雑な気分になるのも確かだ。

 

オスカー・ワイルドは46歳の若さで亡くなっている。

死因は、梅毒による髄膜炎。

葬式には、友人が数人集まっただけだったというから、

客観的にみれば寂しい最後だった。

 

で、この本には彼の放ったとする教訓のようなものが

最初から最後までびっしりと記されている。

たとえば、こんなのがある。

 

「実年齢を教えてくれる女を信用してはならない。

実年齢を言ってしまうような女性は何でも話してしまうのだ」

で、対抗ページの解説にはこう記されている。

 

「聞いてもいないのに自分から実年齢を言ってしまう女性には、

口外してほしくないことを話すのはやめたほうが無難である。

彼女たちに秘密を話すときは、宣伝して欲しい秘密や、

作り話に限る。男でも女でも、年齢をかたくなにごまかす人間は、

秘密は守れるかもしれないが、個人的なつきあいにおいては、

あまり誠実でない可能性が高い。もったいぶっていくつにみえる?

などという女性は、面倒なのでつきあわないほうがよい」

 

これは誰の意見なのだろうと思うも、著者のグレース宮田という

方のオスカー・ワイルドに対する深読みだろうと想像する。

さらにその文の横に解説のようなものが記されている。

 

「彼自身が、当初は2歳若く年齢を公表していました。

彼の母親の年齢詐称も有名な話です」

 

以上を読んで、うーんと唸ってしまいましたね。

 

結局この本の内容が教訓なのかどうか、よく分からない。

ときとしてなるほどと思えたりもするが、皮肉が効き過ぎていたり、

誇大解釈ではないかと推測したり、用心が過ぎるなぁと引いたり、

しまいにはコイツは少し変なのではと思ったり、

とにかく複雑な気持ちにさせられる。

 

そうした意味に於いては飽きがこない一冊ではある。

 

で、この本をペラペラと読んでの私なりの教訓なのだが、

誕生日が同じだとか、星座が一緒だとか、同郷だとか、

同姓同名であるとかの理由などで、

自分と著名人を重ね合わせても何もみつからない、

という仮説を得たことだ。

 

それが今回の大発見と言えるだろう。

 

という訳で一応の収穫はあったのだが、

いい加減に読むのをやめてさっさと片付けないと、

この先ろくな事はないと思ったね。

なにしろやらぬばならない事は、

他にも山積している訳だし…

 

 

ユニクロで村上春樹に出会う

      ユニクロの店内をぷらぷらしていて、
このTシャツをみつけた。

他のTシャツに較べていくぶん地味なデザインだが、
その絵柄が旧ソ連が人類最初に打ち上げたロケット
「スプートニク」なので気に入って買った。

人類最初のロケットってとてもシンプルだったんですね。

ちなみにスプートニクは、1号から5号まである。
この図柄は1号だ。

2号では、犬が搭乗した。
が、帰ってはこなかった。

今だったら、動物虐待になる。

この打ち上げの成功がおおいにアメリカを刺激した。
アメリカは、かのニューディール政策より大きな予算をかけた。
威信をかけてアポロ計画を推し進めたのだ。

アポロ11号が月面に降り立ったのが、
私が中学生だったから、
スプートニクはそれに先立つ。
私の生まれた頃なのかも知れない。
とても古い話だ。

小説「スプートニクの恋人」は読んだけれど、
内容がいまひとつ思い出せない。
彼の小説はそういうのが多い。

彼の作品はどれも明快かつ分かりやすいものがない。
精神世界とか時間や場所、生死さえも超えてなお
ストーリーを紡いでいこうとする作家だ。

そこにあるのはおおいなる矛盾であったり、
人知の及ばないような壮大さであったり、
その回答は明確にならないものばかり。

表面的には現代的な衣装をまといつつ、
芯に日本の古典的要素を土台としたような作風も、
理解しづらい要因になっている。

そうした諸々が複雑に絡み合い、
着地点をますます不明確なものにする。

それがどういう訳か、読者に余韻として残るのだ。
そうした仕組みを知って振り返るも、
やはり話の細部が霧で隠れてしまうのだ。

これはある種の高度なマジックのようなものに似ている。

さて、彼の小説のタイトルはなかなか魅力的なものが多い。

私的に印象的なのは「中国行きのスロー・ボート」。
彼の処女作品だが、これはちょっと思いつかないタイトルだ。

がしかし、彼の小説のタイトルは、
どこからかの拝借が多い。

「中国行きのスロー・ボート」はソニー・ロリンズの楽曲
「オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」から、
「ノルウェーの森」はみんな知っているビートルズから。
「1Q84」はジョージ・オーウェルの「1984」からヒントを得ている。

「1Q84」は小説の中身もちょっと拝借した感がある。
がしかし、9がQに変化しただけあって、
かなり迫力のある話になっている。

おっと、横道へ外れた。
Tシャツの話でしたね。

私のはLサイズ。着るとちょうどいい。
着てかっこいいかどうかは不明だけれども。

 

奥さんにはスヌーピーのTシャツSサイズを買った。
これはこれで特別な印象的なものはなにもないけれど、
ほどほどに良いような気がする。

他、ニューヨークアートのリキテンシュタインとか、
アメコミ風のもあったが、いかんせん派手で着れない。

で、こうしたコラボTシャツが売れているのかどうか、
私は全く知らないし、興味もないけれど、
改めて考えると、あまり売れていないと思う。

それはユニクロというポジションだと思う。
ユニクロは現在、おおいなるスタンダードの位置を獲得している。
よってスタンダードファッションに異色・奇抜とかってそぐわない。
ミスマッチを狙わない限り、そういうものを目的に、
そもそもお客さんが来ている訳じゃないから、
というのがその理由の根拠。

ホントのところは分からないけれどね。

そういえば、このTシャツのタグに「村上RADIO」とある。
コラボは正確には「村上RADIO」なのだ。

FM東京で毎週日曜日に放送している。

生の村上春樹がしゃべる。
ちょっと硬い口調が真面目そうで好印象。
セレクトする曲もかなりマニアックで、
他では聴けないものが多いから、聴く価値は十分にある。

にしても、彼はビーチボーイズとかドアーズが
ホントに好きなんだなぁ。

こういうのって、Tシャツにもピタリとフィットするし。

 

 

ゲスネタ6

●サウナでマスク

最近ではサウナが人気らしく、
どこも混んでいるらしい。
で、みんな素っ裸なのにマスクをしている。
で、誰もしゃべらない。
この話は友人の奥さんから聞いたのだけど、
想像してみて大笑いしてしまった。
妙な世の中になったもんだ。

 

●緑のおばさん

ここんとこ、小池都知事のことをこう呼ぶらしい。
確かに、この人はいつも緑の服とか緑のスカーフとかが、
多いような気がする。
私の印象は、いつもパネルを持って登場する姿かな。
そのパネルには、コロナ関連の気の利いたフレーズが書いてある。
このやり方って、私たちのプレゼンに似ている 笑

 

●どんより菅さん

私はニュースとかはちらっとしか観ないのだが、
どうしても菅さんが気になるのだ。
自信があるのかないのかよく分からない表情。
口ごもったような物言い。
そして、いつもどんよりとした目で、
相手を見ている。
それがとてもしたたかそうなのだ。

 

●おめでとう、星野源さん

もうキムタクも年取ったし、時代は流れ、
かっこよさの基準も変わってしまった。
同性からみると、この人がかっこいいとは
思わないけれど、やさしそうだ。
やさしい人間、やさしい社会…
これが建前じゃなければ賛成なんだけど…

 

●「おかえり、モネ」

新しい朝ドラが始まった。
役者が豪華だなぁと感じた。
にしても、藤竜也がおじいさん役か。
しょうがない。
で、主役のモネをみていて、
あぁこの子はトラウマがあると即分かったね。
雰囲気、表情、そして東北とい場所と
2014年という設定。
自然に無理なく、
丁寧につくってもらいたいドラマだ。

 

●日本医師会会長が寿司デート

下世話なネタにチャレンジしてみよう。
寿司屋のカウンターで寿司食らっていたらしい。
相手の女性は誰だかは知らない。
そこまで追いかける気もないネタ。
寿司ネタはまぐろかエンガワか?
どうでもいいけど、思うに、
この人たちって何かを隠している。
間違いない。

 

セレブの考察

 

トランプ大統領は、言わずと知れた富豪である。
ZOZOの前澤さんもいまや富豪である。

マイクロソフトのビル・ゲイツ、
ユニクロの柳井さんに至っては大富豪である。

アラブの石油王とかは、金余りである。

では、富豪、大富豪でなく、

セレブと聞いてイメージするのは誰かというと、
ちょっとイメージは変化する。

思い浮かぶのは、アメリカではパリス・ヒルトンとか、
韓国のペ・ヨンジュンとか、フランスのジャン・アレジとか、
で、日本では叶姉妹とかデビ夫人とかだろうか?

セレブレティの語源は、ラテン語なんだそうだ。

意味は、ずばり有名人。

欧米では、有名人のことをセレブと呼ぶそうな。

 

こうなると、貧乏な人でも有名人ならセレブなのである。

日本においての意味合いは少し変化する。

日本のセレブは、 ホントは金持ちかどうか分からないが、
そのような雰囲気を確実に醸しだしている。
で、なによりゴージャスさが前面に出ている、というところか。

ゴージャス?

うん、

確かにセレブという言葉からは、

そんなオーラが発せられている。

成金とは違う訳。
成金は、働き者+ぎらぎら感が漂う。

その点、セレブはきらきらしているのである。

女優の泉ピン子は、全身をシャネルで決めているが、
そのいでたちは、セレブとは程とおい。

そこが訳もなく辛い。

 

さて、正真正銘?のセレブは、

モナコやニースなどで優雅に暮らしていそう。
日本では、鎌倉の披露山とか神戸の芦屋あたりに、生息していそう。

根拠などないが、雰囲気で書いている。

 

ちなみに、セレブってるという言葉があるが、

これはたいした収入もないのに、
高級レストランなどのランチへでかけたりして、

その気分を低料金で味わい、
抜け目なくインスタに上げるとか、
質屋とかで手に入れたバーキンを何気にみせるとか、

結構涙ぐましいらしいのである。

かようにセレブとして世間に認められるには、

大変なんだなぁ。

 

セレブの意味合いがいまひとつ安定しない。

しようがないと思う。

もともと、ふわふわした言葉なんだから。

 

なのに、そこをあいまいにしたまま、

このセレブの話は、さらに難しい領域に突入する。

意識高い系セレブとはどういう人たちか、

というのを検討してみた。
これには、かなりいろいろと気難しい事、

ものが付随しているように思うのだ。

たとえば、である。

1.セレブは1年に2回、セドナでヨガをやってくる。
これは、心身ともに解放された己をめざすセレブなのである。

2.青山、湘南で犬を連れて歩いている。
セレブは一等地に住んでいる証拠を何気にみせるのである。

3.生活がオーガニックに侵されている。
高ければいいという訳じゃなく、己の食うもの・

着るものは素材から吟味するのがセレブなのだ。

4.鎌倉に実家がある。
これはどうでもいいんですが、

ちょっとそんなイメージが出てまいりまして。

5.世田谷は蚊が多いと代官山へ引っ越した 。
これは私が以前住んでいたマンションにいらした方の実話です 。

6.先祖は公家であると言ってはばからない。

かなりあやしい話をされるセレブがいるようで。

7.世俗ごとより、太陽のフレア現象・宇宙嵐のみやたら敏感である。
こういう方が割と多いように思います。

8.デビ夫人のケータイ番号が入っている 。
これは私のジョーク!

9.広尾の明治屋でセレクトしたブルーチーズがいつも冷蔵庫に入っている
ここまでくるともうフツーですね 。

10.いきつけの蕎麦屋では、黙っていても、隠しメニューの国産十割蕎麦が出てくる。
もうこじつけです 汗!

11.飲み水は航空便でくるフランスのペリエしか飲まない。
ここまでくるともういい加減です。

さて、どうでしょうか?

皆さんのお近くにセレブさんは生息しておりますか?
言っておきますが、こうした方々は、はま寿司とか丸亀うどんとか
いきなりステーキとか幸楽には絶対にいませんから!

 

明けましておめでとうございます!

●初夢

今朝は、大きな鳥に頭を突っつかれる夢で

目覚めてしまいました。

今年初の夢だから、初夢でしょうね。

手足をバタバタしたらしく、枕元のスタンドが

床に落ちてしまいました。

家人にその事を話すと、「どんな鳥だった?」

「いや、分からない。必死で頭を抱えてたから」

「鷲なの、鷹なの?」

「うーん、見てないから。それにしてもどんな鳥なんだろう」

「大きいの、凄く大きな鳥?」

「うるせぇなぁ!」

●池坊保子って、でくのぼう?

個人的な恨みでもあるのでしょうか?

貴乃花に厳しい池坊保子ですが、

一見きれい系であった面影が…

しかし、性格は悪そうです。

若い頃裸になったのですがなぜ? という質問が

ネット上に転がってました。

回答は、きれいだと思ったからではないでしょうか?

↑突き放したような良い回答です。

しかし、大相撲ですが、

本当の事は誰も語らない…

特に、この場合のNHKって偏向も甚だしい。

もうだいぶ前だけど、受信料の事でもめたとき、

よくもまあヌケヌケとこの私ををだましてくれたなぁ。

わろてんかって、笑えるか!

●映画「ラ・ラ・ランド」って泣ける

もう去年の映画ですが、年末に観て感動しました。

ミュージカルということで当初ドン引きしてたんですが、

予想に反し、グイグイと引き込まれる。

女優をめざす主人公とミュージシャンの彼との

ちょっと遠回りなラブストーリーなんだけど、

愛し合っているふたりがおのおの夢を実現させるって、

やはり大切な何かを失ってしまう。

夕焼けの公園でのダンスのシーンが美しく

ジャズミュージックのライブシーンは、

本当に間近で聴いているような錯覚に陥る。

ロスの街で夢を実現させようと必死の二人がけなげで

それなのに、人生のタイミングが合わない。

人は立ち止まり、そして振り返る…

人生ってままならないって、ホントです。

●課税業者

この次期って、私の会社の決算時なのですが、

毎年顔が青ざめます。

自分のいい加減な性格が災いしているのですが、

消費税の支払い分をすっかり忘れていて、

税理士さんにそれを指摘され、

年末にハッとするのが恒例になってしまっている。

弊社は全員O型揃いなので、

だあれも気がつかないところが凄い。

支払い期限は2月末日。

使ってしまったものをひねり出すのは結構大変だ。

他社の対策を聞くと、事前に積み立てをしているらしい。

考えてみれば当たり前の事だし…

それをやらない自分が腹だたしい。

●SEKAI NO OWARI

これ、グループ名の事なんだけど、

「SEKAI NO OWARIの皆さんどうぞ!」

なんて司会者に振られてファンタジックな世界を歌う、

このSEKAI NO OWARIってグループ名ってどうなんだろうと。

最近になって結構恐ろしいグループ名だと気づいた。

平和な時代だと幾分余裕があるし、

語感もどこか現実味がない分、

遠く絵空事のように美しく響くけれど、

ミサイルとか地震とかが

どこかリアリティーをもって認識される昨今、

どうも笑えないグループ名になってしまっている。

(いや、SEKAI NO OWARIって、内面的なものとも解釈できる)

どちらにしろ、彼らの歌はもう夢心地のようには聴けないし、

更にはDJのピエロ君が悪魔にみえてくるのは、

被害妄想か。

彼らが守ろうとしている世界観って、

結構好きなんだけどね!

●アメリカン・ジョーク

核のボタンは私の机上にあると、言ったらしいのだ。

これに対してですね、

まあ、子供の喧嘩じゃないんだからとは思うのですが、

「私の核のボタンの方が大きい」

………とは、呆れる。

質の悪い冗談でしょうか?

マジだとしたらセンスゼロですね!

こういうのをアメリカン・ジョークというのかね?

まあ、確実に品質が落ちているメイド・イン・USA。

私たちには洒落にもなりませんが…

※遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

無粋な広告

こんな広告はイケナイナと思う代表が、

YouTubeに入れ込んだ広告だ。

あれは、なんというかTVCMより腹が立つ。

所詮、TVは受け身の姿勢で観ることの多い媒体だから、

そんな場合はしょうがないねぇ、となる。

別の言い方をすれば、TVCMの歴史は永い。

こっちも体にしみついているから、

まあいいだろう、となる。

一方、YouTubeを聴く場合、

「あっ、あの歌が聴きたいなぁ」などと、

かなり能動的なアクションを起こしている。

なのに、聴きたい曲の前や途中に、

動画広告が挟んである。

最低5秒は我慢しなくてはならない。

これってかなりイライラする。

こんな場面で登場する広告なんぞ、

まずいい印象など残らないだろうと想像するのだが、

しかし、この手のデータの専門家に聞くと、

ソコソコ視聴されているらしい。

が、そのパーセンテージはやはりというか、

俄然低調であるとのこと。

やはりね。

では、すべてアウトかというと、

成功例はしっかりある。

一例をあげるとフォードのCMで、

頭から5秒で、シートベルトをカチャッとしめるCM。

これは好評だそう。

要はシートベルトは5秒あれば締められる、

とアピールしている。

こうなると社会的意義もある。

これは無粋ではない。

ただ、難しい。

YouTubeをしっかり研究しないとつくれない。

ひょっとすると、TVCMを制作するより難しい。

だから、無粋なのが多い。

ひどいのになると、

5秒でスキップすることもできないものもある。

こうなると、私の場合、YouTubeを終了します。

あと、リマーケティング広告と呼ばれるものだが、

これは通称追っかけ広告と言い、

こいつも用もないのに過去にみた広告とはいえ、

いつまでもパソコンのIPアドレスを頼りに出現するいやらしさがある。

当然、成約率(コンバージョン率)は極端に低い。

リマーケ、嫌いだなぁ。

よって、ウチの場合は、リマーケはお客にはすすめない。

やめましょう、と。

その点、検索結果画面に出てくる広告、

いわゆるリスティング広告は、なんだか許せる。

しっかり「広告」とも書いてあるし。

というか、リスティング広告の場合は、

訪問者もかなりの情報を欲して検索してくるので、

そのマッチング度は高い。

有用である場合が多いし、

コンバージョン率も前記した広告に比べ、

飛躍的に数字が上がる。

また、フェイスブック等にみられる広告は、

個人情報、趣味、嗜好に合致したもののみ展開されるので、

そのマッチング精度も高く、

ユーザーの気を惹くものが多い。

(だけど私はなんだか嫌いですがね)

と、ここまで書いて気がついた。

世の中はうまくできたもので、

成約率の高い広告媒体というのは、

やはり広告料金も高い。

そこがなんというか、

世の中甘くないですよ、という訳。

ネット広告で気になるのは、

TVCMのように、まず内容ではなく、

それ以前の問題が多いように思う。

内容はその後の問題で、

そこはTVCMとなんら変わらない。

ネット広告の良し悪しは、

まず、いつ、誰が、どんなときに、という

タイミングなのだと思う。

「こんなときに広告かよ」と思われるタイミングは、

質の良くないTVCM以上に、

ユーザーの広告に対する、

いや、広告主に対する印象が悪化する。

無粋な広告というのは、

広告主も制作側も実はそうとは気がつかず、

お金を使ってまで流している。

これはもう悲劇であり、喜劇でもある。

では、こんなタイミングに、この広告って、
どうでしょうね? ↓

コピーライターって何?

私の職業を友人たちに尋ねられた娘が、

「コピーライターよ」というと、

一同口々に「知らないなぁ」と言ったとか。

時代遅れだよと言わんばかりの娘に向かって、

私は、「そいつらはみんなバカか」と言い放った。

しかし、そうは言ったものの、

そうかもなぁと思う自分もいる。

よくよく考えるに、コピーライターって職業は裏方。

そうそう表に出るものでもないのに、

なぜかムカシ騒がれたことがあって、

そのブームが去った後というか、

日本が不景気になって久しく、

それでもコピーライターの残党が、

息も絶え絶えに生き抜いて現在に至っている―

といったイメージなのかなぁと、

我ながらしみじみ思うのだが、

たとえば江戸の提灯を細々とつくっている職人がまだいる、

というテレビを観たりすると、

いいなぁあの頑固さと、不気味に笑う自分が

いまの職業にピタリとくるように思うので、

やはりこれで良しと考えている。

さて、いまから約30年前の名コピーで、

サントリーのバレンタインギフトの広告はこんな感じでした。

―ハートをあげる。ダイヤをちょうだい―

ちょっといい。

ちゃっかりしているけれど、

しっかりハートをあげると宣言しているあたり、

いまでも通用する。

さて、ダイヤを買う金はないけれど、

俺はまごころで返します…と。

だって若い頃って、金もないしね。

ハートをあげる。ダイヤをちょうだいって、

ひょっとしたら、結婚もOKとも受け取れる。

かなり意味深な威力も秘めている。

蛇足はともかく、コピーライターって言葉を駆使して生活している。

なので、一発必中の矢を放つことにかけては、比類無い力を発揮する。

次は、新潮社の新潮文庫のコピー。

― 一冊、同じ本を読んでいれば、 会話することができると思うの。 ―

さりげない女性の話し言葉の美しさ。

気になる女性にこんなことを言われたら、

たとえ百科事典でも岩波の国語辞典でも完読しますね。

1027ページの花の写真はキレイだったね、とか、

○○の五段活用について、君の意見を聞きたいとか…

上記のコピーも80年代と記憶しているが、

いまだ色褪せない。

一瞬のブンガクというか、

一行小説と言っても過言ではない。

で現在では、こうしたコピーはほぼ見かけない。

テレビもネットもこうしたコピーは、

もはや威力がないと考えているのか。

もてはやされているのは、

かなり幼稚で言葉尻だけ捉えたコピーづくりとか、

ヤンキー言葉なんかを使ったりして、

そこはとても自然のようなのだけれど、

後に何も残らない。

そして少し嫌な気分だけが残る。

他は安いのみの強調とか、

奇抜な映像のみでガンガン押してくるから、

押しつけがましい事この上ない。

だからつまらない。

果てはコマーシャルがウザいとなる。

そしてまた、いまはテレビのコンテンツも面白くないから、

問題は一層根深いものとなっている。

こうした負のラビリンスって、

もはや止めることのできない時代の流れでもある。

よって、コピーライターの力量が発揮される出番がない。

いや、受け手がそれを欲していない、または理解しない。

そこに曖昧さが残っているのも事実ではある。

自分の実感として、

まず先方の要望が言葉より他をめざしている場合がある。

たとえばカッコイイデザイン第一主義。

これはこれでアリの場合もあるにはある。

デザインでモノは売れる時代ではあるが、

言葉の強さを信じていない、という点で、

現在の風潮はちょっと寂しい気がする。

総じて皆忙しいから文字なんか読まないんだよなぁ、

という思い込みが蔓延している。

これは一部正解で、他方大きく間違っている。

私は一発で相手を射貫くようなコピーはつくれない。

が、どんな仕事でも最大限それに近づくよう、

努力をしている。

まあ、仕事を受けた時点で、総合的な判断、

次に企画の概要、デザインのアウトライン、

そしてコピーも同時に考えるのが我々の仕事なのだが、

いろいろとサンプルテストを繰り返して分かる事がある。

それは、やはりコピーの出来不出来により、

反響に大きな差が出ること。

これは事実。

目立たないポジションではあるが、

やはりコピーライターの仕事って、

かなり重要だと自覚している。

そしてやがてまた、

言葉なりコピーの時代が来るように思う。

何故って、結局時代は常に巡っているからです。

記憶の海を漂う

あなたの人生を振り返ってみてください、

如何でしたか?

こんな小難しい質問を誰かに投げかけられたら…

うーん、皆さんかなり戸惑うことになるでしょう。

ところが、こうした質問に対する回答は皆、

同じ思考を辿ってこたえるらしい。

それは「記憶の集合体」を語ること。

言い換えれば、覚えている過去の記憶を総合的にまとめ、

それを主観で言い表す、とでもいおうか。

NHKのEテレで毎週「TED」という番組を放映している。

アメリカの番組をそのまま持ってきたものだが、

毎週、その道のプロ・専門家が、広い会場でプレゼンテーションを行う。

別称「スーパープレゼンテーション」と呼ばれる所以は、

登場する方々のプレゼンがとても感動するものばかりだからだろう。

最近では、記憶力の世界チャンピオンという方が登場。

物事の覚え方のコツなどを話しているのだが、

これはめずらしくつまらないなぁと思いながら観ていた。

まず記憶力の素質は皆たいして変わらないということ。

そして記憶しておくポイントは、物事を関連づけて、

物語として、または立体的に覚えてゆくこと等々。

こういうことに一切興味がない私は、

フムフムと寝転がって観ていたのだが、

最後の3分という話の総括の頃だろうか、

彼が目からウロコが落ちるような、

ハッとすることを口にした。

曰く、

「人は人生を振り返るとき、それは記憶しかない。

だから皆さん、忘れずに覚えておきましょう」と。

この言葉がやけに気になった私は、

体を起こしてひととき、うーむと考え込んでしまった。

その人の人生がどうであったか、

それは覚えている事以外は当然のことだが、語れない訳だ。

この至極当たり前の事に私はハッとさせられた。

そして私たちは、それが良い思い出だろろうとなかろうと、

月日が経つうちに記憶は変化し、ときに編集され、

更に記憶は進化しながら積み重なってゆく。

この過程での記憶の変化、編集には、

主観が多いにかかわっているので、

それがどのような記憶であろうと、

その人の心理状態というか性格なども大きく影響している。

よって、例えふたりの人間が同じ経験をしても、

それが良い思い出となるのか否かは、

それぞれのパーソナリティにより、

記憶の形態も掛け離れたものになる可能性がある訳で、

そこに後年、記憶の編集などが加わることにより、

それぞれの歩んできた道が大きく異なるように語られる、

ということとなる。

おおざっぱに言えば、

それがどんな事柄であろうと、

記憶とは本人が良しと記憶していれば、

それは良い思い出となるであろうし、

その逆もまた然り、なのである。

なんでもポジティブに、とかいう人がいるが、

私はこういうのがあまり好きではない。

が、こと人生における記憶に関しては、

この考え方を採り入れたほうが良さそうだと、

「TED」を観て以来思うようになった。

これは、私がいままで見落としていた、

とてもシンプルかつ重大な発見だった。

一度きりの人生だと思うからこそ、

やはり振り返るときくらい肯定したい…

こう考えるのは私だけだろうか。

働く、についての考察

60歳も過ぎたきょうこの頃、

「あんあ、じじいになったなぁ」と鏡を見て実感。

シワがメッキリ増えたなぁ、

あれ、こんな所にシミができている!

で、改めて己の事をまじまじと考えた訳だ。

アタマに浮かんだのはリタイアという言葉。

この言葉に、己は良いイメージがない。

しかたなく将棋なんかを打っていたりね。

挟み将棋しかできないので、コレはパス。

時間はタップリとあるので、

図書館でじっと新聞なんかを読みふける。

幾ら読み続けても、2時間余。

喫茶店に入って、今日のオススメのコーヒーなんかを注文する。

顔なじみになってしまったこのこの店のねーちゃんも、

清楚な笑顔で対応してくれるものの、

つくり笑顔が引き攣っている、

お互いにバツが悪い。

と、こんなのは嫌だなぁと思ったが、

よくよく考えるとこうした暇人には、

そもそも金がある、という前提があることに気がついた。

年金は65歳にならないと原則支給されない。

己は自営なので、そもそも年金も少ない。

己はやはり働かねばならない!

という事で現役続行という結論に至ったのだが、

このとき、なんだか暇人というのも

なかなか大変そうな事に気づいた。

ポジティブな暇人というのを

幾度かテレビで観たことがあるが、

豪華客船なんかに乗って、

世界各地を巡る船旅などというものに

夫婦揃って参加したりしている。

もうエンジョイしているんですね!

が、これが己的にどうしても羨ましくないですね?

それが何故なのか原因が全く掴めない。

有り余る財産、有り余る時間…

まあ、そうゆうものに全く縁がない。

他人事と端っから興味がないのか、

どうもそのあたりが原因らしい。

更に考えるに、働くという行為に対して、

己の人生観が喜んでいるフシがある、ということ。

これに気づいてしまった。

そもそも好きで始めた仕事なので、

働かされているという意識もない。

定年もない。

勤め人は30歳くらいで見切りをつけたので、

いま思えば良かったと思う。

誰に文句も言われないし、肩叩きにあう訳でもない。

が、これからも仕事を続けるには、

相当メンタル的な強さが要求される。

きっと、己が自分の肩を叩かねばならない日が、

いつの日かくるのだろう。

その日まで、仕事に対して常にチャレンジしなければ、

己の恥となる。

廻りに迷惑をかけてしまう。

そういえば、数人の占い師さんに、

「あなたは一生働きますよ」と言われた己であるからして、

筋金入りの労働者なのである。

ムカシ、お袋さんからよく言われたのが、

「働かざる者、食うべからず」という

古い伝説のような呪文で、

これがいまだ己に取り憑いていて、

その呪縛が解けないでいる。

嫌々働いている訳でなく、

いまのところは、

たいそうな病気もしていないことを、

神さまだか仏さまに感謝!

今日も働かせていただいていると思うと、

「ありがたい、ありがたい」と頭を垂れる、

己なのでありました。

こうした考え方が、

いわゆる日本人の詰まらない人生観らしいことは、

海外からよく指摘されている事は知ってはいるが、

そんな事は大きなお世話。

人生観など、廻りに揶揄される筋合いのものではない。

時の長さと質、その観念について

「パイレーツ・オブ・カリビアン」の映画のなかで、

絶対に死ねない刑を受けた男が出てくる。

その男が死ねない辛さを話すシーンがある。

ジョニー・デップ分するキャプテン・ジャック・スパロウは、

その男の告白を相変わらずへらへらとして聞くのだが、

死ねない刑の辛さをまるで分かってあげようとしない。

それは想像の域を超えているとでも言いたいように。

この映画を観ていて、あるくだらない記憶が蘇った。

勉強などするハズもない高校生の頃の或る夏休み。

その年はえらく暑かった。

気力を失っていたその頃の私は、

いま思えばちょっとどこか患っていたのかも知れない。

部活を辞めた後の毎日は、

生活から何か大事なものが抜け落ちたように、

ポカンと穴のあいた空虚さだけが残った。

とにかく何もしない。したくない。

一日中だるい。

辛うじて毎日昼過ぎに起き、

パチンコ屋に通い、

ひたすらパチンコを打ち続ける。

玉が出ようが出まいが、実はどうでもよかった。

他に何もすることがない。

パチンコには全く集中していない。

が、玉がなくなると、

これはもうどうしていいか分からないほど、

心身が消耗していた。

店を出て炎天下のなかをふらふらと歩く。

で、今度はボーリング場へと行く。

他に行くところが見当たらない。

が、ボーリングなどしない。

あんな重い球を持つのが嫌なので、

ペプシコーラを買ってベンチへへたり込む。

で、夜までまんじりともしないで、

誰かが投げる球の先をぼんやりと見ていた。

いま思えば、

ほとんど思考すらしていなかったのではないか。

ああ、こんな時間が延々と続くのか―

それが永遠に続くように思ったとき、

人生は退屈で憂鬱なものと思ったし、

時間は残酷だなと…

こうして部活を辞めた初めての夏休みは、

私は途方に暮れていた。

いま振り返ると馬鹿者の典型だと自戒できる。

翻って、日々の時間が足りない現在。

あの頃の自分に戻って時間を持ち返りたくなる。

そしてその頃には全く意識もしなかった「死」というものもまた、

最近はぐっと身近な存在として、

私のまわりをうろうろしている。

オヤジは、或る朝、突然逝ってしまったし、

おふくろは施設、病院の入退院を繰り返し、

数年患っていなくなってしまった。

後、自分も目を患い、

一時期危険な状態が続いたことがある。

加えて、この数年の間に、友人・知人の死が続いた。

さて、時間に弄ばれていた、

いや、人生というある種の退屈さを味わったあの夏だが、

どうにも自分というものの存在自体に嫌気が差し、

思い切って友人を誘い、

東海汽船で伊豆大島へ渡った。

泊まる所は砂浜と決めていたので、

テント、飯ごうなどのキャンプ用品を詰め込み、

心機一転を狙った。

そして砂だらけになって一週間を過ごした。

飯は自分でつくらなければならない。

誰もつくってくれないので、

いつもメシと飲み水のことばかりを考えていた。

生きてゆくため、毎日が忙しい。

手応えがあった。

あとは適当に浜に寝て、適当に泳ぐ。

そして時々魚を釣ってメシの足しにした。

かなりひどいキャンプ生活だったが、

こんな些細なことで、

その後の自分が大きく変化したのだから、

我ながら不思議だった。

帰える前日の夜、浜にたたずんでずっと海を見ていると、

月に照らされた波間が自分の足元まで届くように、

ポチャンポチャンと心地良い音を立てていた。

久しぶりに生きている気がした。

そして人生ってそうそう悪くもないなと、思い直した。

それから後、パチンコ生活とは一切縁を切った。

好きだった女の子に思い切ってラブレターを書こうと思った。

それが一生懸命過ぎて、散々書き散らした紙くずが、

たちまち山のようになった。

そうしてなんとか付き合い始めた女の子との時間は、

驚くほど早く過ぎていった。

そう、時間は瞬く間に過ぎていったのである。

時の長さと質、その観念について

相対するこの不思議は、

私がいまもって分からないもののひとつである。