片岡義男の「タイトル」はキャッチコピーになる!

作家・片岡義男の本は以前、何冊か読んだ。

映画化された作品も多く、
そのうちの何本かは観た記憶がある。

作品はどれも視覚的、映像的であり、
都会的なタッチのものが多い。

いずれアメリカ西海岸を思わせる舞台装置に加え、
個性的な文体と独特なセリフで、
片岡義男の独自の世界がつくられている。

彼の作品は、とにかくバタ臭い。
これは褒め言葉として。

それまでの日本の小説にはなかった、
カラッとした空気感が特徴的だ。

この作家は、英語に堪能で思考的にも
英語圏でのものの考え方もマスターしている。

彼はまた、時間の切り取りに長け、
ほんの数秒の出来事でも、
ひとつのストーリーとして成立させることのできる、
センスの持ち主である。

写真のプロでもある彼は、
つかの間の時間を、
まるで連続シャッターでも切るように、
物語をつくりあげる。

さらに驚くべきは、彼の作品のタイトルだ。

例をあげよう。

 

「スローなブギにしてくれ」

「人生は野菜スープ」

「彼のオートバイ、彼女の島」

「ホビーに首ったけ」

「マーマレードの朝」

「味噌汁は朝のブルース」

「幸せは白いTシャツ」

「小説のようなひと」

 

いくつか挙げただけでも、センスの良さが光る。

このタイトルに込められた物語性、意味深さ、
そしてそのかっこよさに、
ボクは学ぶべき点がおおいにあると思った。

そしてコピーライティングに欠かせない何かを、
片岡義男はこのタイトルで提示してくれている。

それはいまは使えない武器なのだが、
またいつか使うときが必ずくるので、
必須で習得すべきとも思っている。

いまはテレビを付けてもネットをみても、
「限定販売!いま買うと驚きの○○円でお手元に!」
とか
「売り切れ続出!いまから30分なら買えます!お早く!!」
など、いずれも全く味気なく、
人の裏をかくような煽り広告が溢れている。
でなければ、とうとうと説得を試みようとする、
長い記事のLP広告を読まされるハメに。
(ボクらはランディングと呼んでいるが)

これは、いまのクリエイターが、
人の情緒に近づける術をしらないので、
ただのテクニックだけで売ろうとする広告が
目立っているからだけなのか?

それとも、世知辛い世相の反映としてなのか?

とにかく余裕のない日本の経済の合わせ鏡のように、
即物的な広告類は果てしなくつくられている。

たとえば片岡義男的世界を、
いまなんとか広告としてつくりあげられたとしても、
きっとどの広告主も「OK」を出さないだろう。
そして広告主たちはきっとこう言う。

「自己満足もほどほどにしてください」と。

とにかく世の中のスピードは加速している。
結果は即座に数字に出なくてはならない。

よって「この企画は長い目でみてください」
とか、
「この広告はボディブローのように徐々に効いてきます」
などのプレゼンには誰も興味を示さない。

分かるハズもない。

これは皮肉でなく、実感として感じる。

よってボクらの仕事はどんどんつまらなくなっている。

ホントはね、
たまに暇な時間に開く片岡義男の本にこそ、
ボクらの仕事に必要な、
コアな世界が広がっているのだけれど…

かつては誰もがもっていたゆとりと、
文化のかおり高いこの日本である。

いつかまたそんなときがくる…

少なくともボクはそう信じているのだが。

 

 

●片岡義男のプロフィール (以下、ウィキペディアより転載)

1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。
また、植草甚一らと共に草創期の『宝島』編集長としても活躍する。
1974年、野性時代5月号(創刊号[12])に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。
翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。
1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、
オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に1~2ヶ月に1冊のハイペースで新刊小説を量産。
またFM東京の深夜放送番組「FM25時 きまぐれ飛行船〜野性時代〜」のパーソナリティを務めた他、
パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCMのナレーションを担当するなど、
当時の若者の絶大な支持を集めた。
代表作である『スローなブギにしてくれ』(東映と共同製作)、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』、『ボビーに首ったけ』は角川映画で、
また『湾岸道路』は東映で映画化されている。
近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、
写真家としても活躍している。

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

ライカは面白いか

 

 

最近、カメラを手に入れた。

いぜんから狙っていたカメラなので、

獲物を捕らえた、そんな感覚がある。

 

ずっとiPhoneで撮っていたが、

あるときから一種のつまらなさを感じていた。

 

どうつまらないのか?

 

写真を撮るという行為があまりにも気軽すぎて

日常的すぎること。

写りもそこそこでほぼ失敗しないという緊張感のなさ、

なにかを写すという行為とか出来に、

しまいにはなんのありがたみも感じなくなっていた。

 

それは心底まずい、

とてもいい精神状態ではないと思った。

 

撮ることがつまらなくなると、

なにか自分のなかの大切な感覚を

失ってしまった気分になる。

それを取り返さなくてはならない。

 

そんな訳で、

一歩踏み出してみたのだ。

 

以前から仕事ではニコンの一眼レフを使用していたが、

これがとにかく機能がアレコレと付いていて、

おまけにかなり重く、機動性に欠ける。

扱いづらい。

狂いなど一切ないし交換レンズも豊富なのだけれど。

 

よって的確に設定すれば、そのとおりに映る。

仕上がりもある一定のレベル以上である。

だがそれが面白いかとなると、

そこは全くの別問題であって、

個人的には面白さに欠け、

無味乾燥さだけが残っていた。

 

そこでiPhoneほど気軽じゃなくてもいいから、

ニコンの一眼レフほど

おおげさで的確じゃなくてもいいから、

なにかいいカメラはないものか。

そんな観点からカメラを検討し始めた。

 

マトはまずコンパクトなコンデジに絞られ、

操作と写りを調べるうちにこのカメラが浮上してきた。

が、ライカを狙ったもうひとつの大きな理由は、

あるテレビ番組を観てからだ。

 

「東京漂流」というベストセラーを書いた、

作家で写真家の藤原新也が、

幼年時代に暮らしていたふるさとを半世紀ぶりに訪ねる

という趣旨のドキュメンタリーのなかで、

彼が自分のふるさとの記憶を頼りに

まちじゅうを撮りながらほっつき歩く過程で手にしていたのが、

このカメラだったのだ。

 

 

彼は気が向くと、このカメラでなんでも撮る。

もちろん彼はプロなので簡単そうに撮ってはいるが、

その写したものを見返すと、

そのどれもがある種の物語性を帯びている。

 

美しいとか上手いという印象はないけれど、

いずれもが「ドラマ性」を帯びている。

 

それがプロゆえの出来なのか、

カメラが良いのか、

そこは判然とはしないのだが、

とにかくその番組を観てから

やはりライカだなと確信してしまった。

 

ライカはもともと自分のなかのあこがれのカメラでもあったし、

コンデジならなんとか予算も合う。

という訳で機種も一気に絞った。

もう他の機種は調べさえしなかった。

 

で、どうせ買うなら正規代理店でと決め、

神奈川県に一店しかない、横浜駅至近のそごうへと出かける。

 

そのライカの正規代理店で、

簡単な設定と操作を教えてもらったが、

ニコンなどとは全く違う操作がいくつかあって

それを感覚で覚えるまで戸惑いの連続が続いた。

逆に普通の一眼レフなどにあるべき機能などが

省かれているので、そこはスパッと忘れることができた。

さらには交換レンズも一切ないので、

いちいち考える必要もない。

 

構造はいたってシンプルで、

いわば感覚的に操作するカメラ、

そんな操作に徹している気がした。

 

 

あとは慣れしかない。

 

とにかくレンズがとても明るいので、

開放で撮れば、ボケ足がきれいに出る。

暗がりを狙えば、何気ない暗がりが

やはりというべきか、

少々ドラマチックな場面に映る気がする。

 

とにかく、

つまらないを面白く、

そして日常をドラマチックに!

 

テクニックのなさは十分承知しているので、

このカメラにはかなりの期待をしてしまう自分がいる。

 

 

東京さんぽ

 

久しぶりに東京へでかけた。

人に会うためとの大義名分のもと、

結局は息抜きの時間が欲しかった。

 

普段は神奈川の山間部で暮らしているので、

街の空気がたまに恋しくなる。

 

久しぶりに新宿駅で降りる。

なかなかの雑踏ぶり。

誰もあくせく急いでいる。

これぞ都会だ。

 

青山一丁目駅へは大江戸線が最短とわかり、

乗り場を探してウロウロするも、

気がつくと新宿3丁目あたりに来てしまった。

表示板に従って歩いたのになぁ。

 

で、大江戸線をあきらめる。

至近に千代田線の乗り口を発見。

そこから乗り換えて

青山へと向かうことにする。

 

それにしても大江戸線だ。

ネットで調べると

新宿駅から大江戸線に乗り換えるのは、

かなり難しい、

分からないとの書き込みが多い。

 

いつも思うのだが、

この国の鉄道をはじめ道路の標識サインなど、

とても不親切かつ分かりづらい。

そのくせ余計なサインが氾濫し、猥雑。

大切なサインを見逃してしまう原因になっている。

 

文句はこのくらいでやめにする。

 

久しぶりの青山・ツインタワービル。

地下のラーメン屋で、

野菜たっぷりの塩ラーメンを食す。

 

ここのラーメン屋は

かれこれ30年以上営業している。

ボクが友人3人と初めて会社を興したのが、

この青山一丁目なので、

ここはかなりお世話になった店だ。

 

そのオフィスは、赤坂郵便局の裏手にあった。

ラーメン屋を出て、そのビルへ足を運ぶ。

が、既に新しいビルに建て替えられていた。

 

当時を思い起こしても、

そのときからかなり古びていた。

夜はねずみの巣のようなビルだったので、

もうないだろうな、とは思っていたが。

 

付近を見渡すと全く見知らぬ街の風景が

広がっていた。

 

アジア会館で人と待ち合わせていたので、

そこで打ち合わせを2時間で済ませ、

早々に六本木方面へと歩く。

 

元防衛庁があったあたりは、

東京ミッドタウンとして、

なかなかハイカラな街に変貌している。

 

テナントをのぞきながら歩くも、

なんだかこちらに全く縁の無いブランドものの店が

ズラッと並んでいる。

 

↓イルミネーションもしゃれている東京ミッドタウン

↑東京ミッドタウンのビルはデカい

 

居心地がすこぶる悪いので、

六本木交差点を右折し、

霞町方面へとぷらぷらする。

 

すでに陽は落ち、

街は仕事帰りのひとひとひとで、

ごった返している。

 

外人率が異常に高いことに気づく。

歩道を疾走する自転車通勤の人も、

相当数いる。

皆、かなりおしゃれにみえる。

 

ムカシはこのあたりものんきで、

安い焼き鳥屋なども数件あったが、

いまはそんな商売は成り立たないのか、

とにかく単価の高そうな高級店ばかりが目立つ。

 

走るクルマは、ベンツ、BMW、アウディが、

なんのプレミアム感も感じないほど

普通に走っている。

我が家のまわりを走っている軽自動車率は、

ほぼ皆無。

 

なんか変だぞ、東京。

 

↓乃木坂あたりから見える六本木ヒルズ

 

翌日は朝から根津美術館へ足を運ぶ。

開催中の企画展に興味はないので、

かなり長い間、館のまわりをうろつく。

 

以前から、この美術館の建物に興味があったので、

やっと現物を見ることができた訳だ

 

↓根津美術館の軒下はなかなかの風情

 

 

↑都会にあってなかなかいい雰囲気

 

ここの外観を嫌というほど見分して

ふたたび表参道へ戻り、

待ち合わせた友人と昼飯を食う。

どこも人出が多くて、

そろそろうんざりする。

 

友人はこのあたりを根城にしている

アパレル系のバイヤーなので、

一年中このあたりに生息している。

 

ボクがこの街の感想を述べると、

ふふっと笑うだけだった。

 

ボクもかつてこの街で3年働いていたが、

そのころはとても良い街だった。

コーヒーは伝説の店「大坊」があったし、

四つ角の交差点近くには、

サンマ定食を500円で食わせてくれる、

おばあさんの経営する定食屋があったし、

夜食は「青山ラーメン」があったしなぁ。

 

同潤会アパートは表参道ヒルズとなり、

道路沿いはハイブランド店がズラリと並ぶ。

 

神南に用があったのでそのまま原宿まで歩くも、

やはり異常ともいうべき人の波に、

いい加減いらいらしてきた。

 

↑いちばん派手なプロモーションはやはりルイ・ヴィトンだった

 

山の手線の陸橋を越えて

明治神宮までくると、

ようやく静けさが戻る。

 

いやぁ、疲れる東京さんぽである。

 

神南の知り合いの店で、

特製の緑茶をいただいて、

しばらく歓談。

どうやらやっと肩の荷が降りたように

思えてきた。

 

疲労こんぱい。

 

そろそろ山へ帰ろう。

それが性に合っていると、

改めて自覚した。

 

↓マリオカートのようなゴーカートが公道を走っている。みな外人。あやしい。

 

↓裕福な知り合いのポルシェ。かっこいいよなぁ

新年明けましておめでとうございます

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

ここ数年、世の中がかき回されています。

私は、これにはけっこうアタマにきています。

コロナとか戦争…

いろいろな意味でです。

 

加えて、今年は金融もあやしいです。

どうあやしいのか?

 

ひとつの目安は、逆イールドカーブです。

これをひとことで説明すると、

日本国債の長期金利が短期金利を下回っている。

歴史を振り返っても恐慌の前には、

この逆イールド現象が起きているそうです。

 

よって私は、今年の株価の暴落も視野に入れています (怖)

(そもそも投資なんてやってませんが 笑)

 

さらには物不足。

物の価格もインフレ気味に上がっていますが、

いまのところは、欧米よりマシなようです。

が、食料不足が深刻化すると自給率の低い日本は、

かなり深刻になると予想されます。

 

こうしてアレコレと並べると、

嫌な予想ばかりになってしまいました。

(テレビのニュースとは違うなぁ)

 

新年そうそう、縁起でもないですね。

ぜんぜんおめでたくありませんね。

 

このくだらない予想が、どうか当たらないように、

この私自身も願っております。

 

では引き続き

今年もよろしくお願いします!!

 

byスパンキー

 

カリブの休日

ハードワークをこなし、

予定どおりに休暇をとった。

行き先は、もちろんカリブ。

これで3度目だ。

 

タラップを降り、

例のビーチまでタクシーを飛ばす。

 

車窓からの景色がみるみる青に染まるころ、

クルマを止める。

 

「お客さん、お釣りですよ」

「とっといてくれ。奥さんか子供に

チョコレートでも買ってあげなよ」

 

浜辺に腰を下ろすと、

目の前にさまざまなブルーの彩りが

私を出迎えてくれる。

 

バーでチョイスした冷えたカリブーンで喉を潤す。

 

ホワイトラムの香りが夏の風景を揺らす。

フルーツの味わいが深い安堵感に誘う。

 

程よい炭酸の刺激。

透明な氷が解けてゆくゆらぎ。

 

都会を忘れさせるには格好の幻覚だと思った。

 

強すぎる光線が、かえって心地よい。

 

椰子を吹き抜ける風の音がカラダを通り過ぎてゆく。

 

ゆったりと過ぎる午後。

寄せては返す浜辺は眠りさえ呼び寄せる。

 

これは、日頃の疲れを癒やす、

自分へのごほうびなのだ。

 

心身から街の気配が消え、

全身がまるごと自然のなかに溶けてゆく。

 

ボクは思った。

 

人はこんなにもおおらかになれるものなのか…

 

ちょっと酔ったかな?

私は冷えたカリブーンを、

再び口にはこぶ。

 

という、割と長い白昼夢を見たのだが、

ボクがこの風景とか感覚をどこで仕入れたのか、

全く分からない。

 

ボケたとか、イカレたとか、

そういうことではないと思うけれど 汗

 

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

青春レーベル「男の世界」

 

高校の頃に流行った歌といえば、

まず思い出すのが「男の世界」。

男性化粧品のCMから火がついた。

商品ブランドは「マンダム」。

歌うのはジェリー・ウォレス。

 

このヒットで丹頂株式会社は

社名をマンダムに変更した。

それくらいヒットした。

だって、みんなマンダム使ってましたからね。

一方、ジェリー・ウォレスは、

その後のヒットはなかったと思う。

一発屋だった。

 

マンダムも歌も売れに売れた。

その要因だが、これはひとえに

CMに出ていたチャールズ・ブロンソンが、

カッコ良すぎたから。

そう言い切れる。

イマドキはいない渋い役者。

男臭さが全身から漂っていた。

二枚目のアラン・ドロンとは

全く違う方向性をみせてくれた。

 

ちなみに私たちの時代はというのは

男らしさに重きが置かれていた。

喧嘩して殴られても「泣くな!」なんです。

男は黙って…の時代だった。

 

よって高校時代は私もまわりも

ほぼみんななんだか殺気立っていたっけ。

それが青春というものだったのかどうか、

いまでもよく分からないけれどね。

思い出せば、

町田の商店街でよく他校の奴ともめた。

横浜駅近くでもよく殴られた。

殴り返したら、向こうに

刃物を出されたこともある。

理由は些細で実にくだらない。

イマドキはダサいとなる。

 

まあそんな時代だったが

街にはかわいい子もいっぱいいたし

海もディスコも楽しかったし、

なかなかいい時代だった。

 

そういえば、女の子は女の子で、

まだ女性らしさというものが求められていた。

このらしさというのがなかなか難しい。

いまだによく理解できていないけれど、

それはこちらの鈍さか…

 

とにかく「らしさ」が求められる時代でした。

そんな時代です。

それに合わせるように、

あの渋いオトコの中のオトコ、チャールズ・ブロンソンが

「男の世界」の音楽に合わせて登場、

顎に手をあてて、「うーん、マンダム」と言う訳だ。

コレ、売れない訳がない。

 

イマと違ってヒットの方程式は、

意外と簡単につくれた。

 

でですね、この「男の世界」という歌とか、

チャールズ・ブロンソンという役者とかだが、

イマドキだと全く世間に相手にされない訳です。

干されてもおかしくないベクトルをもっている。

イマは誰もそんなものは求めていない。

というか、差別とかいう単語がちらつきます。

 

そんな世の中になりました、ハイ!

 

 

夏の夕ぐれ

 

 

 

夏の夕ぐれ

今日の終わり

 

光る雲

遠い空

 

窓辺の椅子に身体を委ねたら

ハニー&ケーキで昼のほてりをしずめましょう

 

窓辺の花が物憂い

けだるい

 

過ぎてゆく時間

陰影のドラマ

 

だから夏の夕ぐれは

誰だって遠いくにの夢をみる

 

 

風の時代

 

200年以上続いた「地の時代」が終わり、

いよいよ「風の時代」だそうだ。

これは、ホロスコープの話。

私も最近知った。

「地」の時代は、権威とか地位とかお金、

そうしたものに価値が置かれる。

「風の時代」は、身軽さやコミュニケーション、

個人というものの価値が見いだされるという。

ホントかどうかは知らないが、

なかなかいい時代の到来だ。

地主とか政治家とか○○会長とか、

もうたいした価値も意味もない。

金持ちだからといって、誰もかしずかない。

そもそも当たり前のことなんだけど、

勘違い人間がとても多い。

具体的な例を挙げると、日立・東芝とか電通とか

むかしからの権威が失墜してきている。

早稲田閥とか東大卒とかも同様。

良い家柄の方とか大地主さんには申し訳ないが、

さようなら。

「風の時代」は、旅人が増える。

一カ所にとどまらずにあちこちと移動して生活する。

キャンピングカーがさらに売れる気配。

シェアハウス人気はさらに高まる模様。

フリーの活躍がめざましくなる。

プロジェクトごとにネットワークを組んで、

組織に負けない成果を出す。

ありえそうですね。

仕事のギャランテイーはもちろん重要だけど、

その仕事の価値をそれだけで決めない。

その仕事の先になにがみえるのか?

たとえば、みんなの一助になるとか、

ユーモアが拡散できるとか、

利他的であること。

そうしたものに価値があると考えるようになる。

「風の時代」は文字通り、世の中に良い風が吹く。

誰も偉くない。

誰もさげすまない。

とここまで書いて、

この話はいい加減であるとの話もある。

根拠もないデマであるとも。

スピリチュアル系の拡散に気をつけろ、

と書いている占星術の先生も登場。

そもそもその先生があやしい。

もうカオス状態です。

ホロスコープでの詳細によると、

「地の時代」「風の時代」「水の時代」「火の時代」は、

散発的に訪れているらしいのだ。

我にかえって思うに、

ホロスコープとかってたまに気になるとチェックするけれど、

すぐに忘れてしまう。

みなさんは、ホロスコープで左右されますか。

信じるも八卦レベルなのか。

私的には、自身が風の星座なので、

この際、「風の時代」の到来ということとする。

意味合いで検討しても「風の時代」が性にあっている。

要は自己都合なんだけど。