ハズキルーペって何がすごいのか?

 

ハズキルーペが人気だ。

勢いが止まらない。

それはコマーシャルの出稿数からも判断できるし、

豪華なキャスティングからも分かることだ。

売り上げは急激な右肩上がり、だろう。

 

火が付いたのは、渡辺謙と菊川怜のコマーシャルあたりからか。

菊川がきゃっと言ってハズキルーペをお尻で踏んづけるも、

メイドインジャパンの堅牢なハズキルーペである。

何ともない。

丈夫にできている。

で、菊川のヒップが評判になった。

堅牢なルーペに、さらに色気を付けた訳。

 

かくしてコマーシャルは成功。

最近ではバージョンアップ版に変わった。

 

銀座にでもありそうなクラブに小泉孝太郎が入店する。

おしぼりを顔に当て、

パソコンで相当目が疲れている、という設定。

すかさず、ママ役の武井咲が、

ハズキルーペがいいわよ、とがち押し。

「字が小さくて読めない」と言っておしぼりを投げ、

謙さんの真似をする小泉。

そして「謙さんには内緒だよ」と、

ちょっとしたギャグを飛ばす。

常連にありがちだなぁ。

 

武井ママも新製品を見せびらかす。

と隣の席にまたまたハズキの新製品である

サングラス仕様をかけた気取ったミドルがいて、

かなりすかしているではないか。

適役、舘ひろしである。

でなんか、気が付くと、

店の女の子も全員がハズキを装着している。

 

で、ここで絶対に逃せないのが、

店の女の子が、ハズキを置いてある椅子に、

次々に座るシーン。

悩ましいヒップのクローズアップ。

このシーンを2回繰り返す念のいれようなのである。

前回から色気も数倍バージョンアップした訳。

 

おっと何のコマーシャルだったっけ?

と我にかえる。

まるで、通販の臨場感を意識したつくりなのだ。

 

制作者は、このシーンを最初に思い浮かべた。

これがやりたくてこのコマーシャルを考えたとしか、

私には思えません。

世間がうるさいイマドキ、勝負に出た感がある。

ハラスメント?

エンターテインメントに徹したので、

なんとか納まっている感はある。

 

こうなるとだ、ハズキルーペの勢いは止まらない。

物事には勢いというものがある。

そこをハズキは逃さない。

いままさに、黄金期。

観ているほうも、

「ワシもそろそろハズキルーペ買おう」と、

無意識に購買を予定しているおっさんがいっぱいいると、

私は踏んでいる。

ちなみにおばさんは、

かなりの不信を抱いているように思うがね。

 

そもそもハズキルーペって、

中高年を中心に、こまかいものを大きくして見るための

虫眼鏡じゃなかったっけ。

むしめがね…だよなぁ

そこにファッション性と堅牢と色気をふりかけると、

摩訶不思議にヒットした。

 

こうしたエグいコマーシャルって結構多い。

私も割とノってしまう性格なので、

過去にかなり不要なものを買いためている。

家中にすでに使わないものが溢れている。

冷静に考えると、

金は使うは、家はどんどん狭くなるわ、

なんで買ったんだろうと反省する訳です。

そんな事をさんざん繰り返していると、

いい加減、いろいろと気づくものです。

財布の紐も堅くなる。

 

コマーシャルとか通販って要するに、

仕掛けが透けて見えるようになってしまったら、

終焉を迎えます。

ながらく続いた消費文化の限界も見えるようです。

そして人はますます手堅くなる。

 

しかし、広告のスタイルは尚も進化するのだろう。

広告って雑草のように強いから。

 

とりあえず、罪な広告ではある。

 

 

アイデアはタダではない

仕事の性格上、

いろいろとアイデアを捻らなければならない。

やっとアイデアがうまれても、

それが仕事上ベターなのかベストなのかは、

どうしても相手次第となる。

自信があってもこればかりは、

結果をみないと分からない。

が、一応社内のベストアイデアとして、

依頼主に提案する。

具体的に、それが企画書であったり

デザインまたはキャッチフレーズ等々、

一応カタチとして表す。

仕事の予算にかかわらず、

私たちも同業者も、常にベストを尽くしている。

なぜなら、予算によってアイデアをひねり出す度合いを

調整するなんて、土台無理だからだ。

とりあえずベストを尽くしてしまうのが、

この職業域に生息する人間の性分なのだ。

よって、苦労したアイデアが採用されると、

とてもうれしい。

悩んだ甲斐があるなぁと、しみじみ思う。

向上心も刺激され、社内的にもいい影響を与えてくれる。

より良いアイデアを捻り出すため、

私たちは過去から現在に至るまで、

それなりのベンキョーと経験と実践を積み、

相応の時間を費やしている。

しかし、仕事の性格上、

そこにビジネスの難しさがつきまとうことも知っている。

思うに、アイデアはまずカタチがないものなので、

どうもそのあたりに問題が隠れているようなのだ。

依頼されたとはいえ、そうそうにモノが動く訳ではないし、

発注と同時に金銭授受が発生する訳でもないのが、

この業界の特徴である。

裏を返せば、こうした仕事の依頼と受注前後に、

双方の思い違いやニュアンスのズレなど、

さまざまなトラブルも発生する。

口約束、曖昧な意味合いのメールなども、

後のもめ事の一因になる。

それは私たちのつくりだすものが、

そもそも実体のないものだからである。

依頼者による評価やその価格などにおいても、

個々の判断によって大きく乖離してしまうことがある訳で、

これは私たちの扱うものが、

面倒な商品であることの証左だ。

アイデアを提案したからといっても、

実はそこに正解はない。

具現化したところで、

ベストとはいえないことも多々あるだろう。

価格においても同様のことが起こる。

では適正価格というものを考えた場合、

それは双方が同意すれば、

それはそれでカタがつくハズなのだが…

諸事情が絡んで、現実は複雑怪奇に進行することもある。

そこで最近よく聞くのが、

仕事を始める前に双方で詳細な取り決めをし、

厳密な契約書を取り交わす例などがある。

アイデアを捻り出すのは、かなり心身のエネルギーを使う。

有限的な時間を費やすので、他の時間を圧迫する。

よって、そこに有益な何かが存在しなければならないと

私たちは次第に考えるようになった。

ビジネスとしてのアイデアは、私たちの意識如何で、

しっかりとその権利を生むハズだ。

だから私たちは日々頑張っていけるのだし、

食べてもいける。

(誰がみても陳腐なアイデアは論外だけどね)

アイデアに対するコスト意識は、

後に続く人のためにも、

しっかり定着してもらいたい事柄である。

「アイデアはタダではない」

当たり前のように思われる方も多々いると思うが、

現実はかなり厳しい。

私の実感だ。

だから経済活動を営む誰もが意識してもらいたい、

いや一度は考えていただきたい、

大切な事柄のように思うのだが。

広告業界裏話

電通ブラック

いまさら、ですが、

広告業界はほぼブラックでした(一応過去形)

しかし、現在は働く環境改善がどこも進む中での

この事件ですので、私たちも考えさせられます。

工場のように、キッチリ計れない仕事。

これがいろいろな問題の根源にあるのも確かなこと。

電通だけじゃありません。

私の知り合いで、

電通系の制作を請け負っている会社のボスをやっていた人間がおりますが、

私見ですが、下請けの状況はさらに厳しいと感じました。

私は当時、独立系の制作会社にいましたが、

やはり一週間のうち、2日は会社に泊まり込みで仕事をしておりました。

夜中の3時頃に、事務所の椅子を集めてそこで寝る。

寝付けないときは、近くにあった青山ラーメンで餃子を食い、

事務所に戻って再び寝転がる。

しかし、いいアイデアがでないとき、

締め切りが迫っていると、むくっと起きてデスクに向かう。

そうして夜が明けてしまい、

今度は近くの喫茶店のモーニングを食いながら、

更に状況は悪くなり、憂鬱になる。

そんな日々を過ごしていると、だいたい麻痺します。

アイデアのパクリ

オリジナルの定義がそもそも難しいのだけれど、

明らかにパクられると結構アタマにきます。

コピーテキストは、それ自体に著作権がつきますが、

いざ争いになったとき、その証明が難しいらしい。

まあ、少額訴訟が多いので、まず簡易裁判所扱いとなりますが、

簡易裁判所って行ったこと、あります?

あまりやる気が感じられないこと、この上ないので、

こっちもしらける。

勝てる気がしない。ついでに手間がかかる。

簡易ですまない場合は、地方裁判所。

地裁経験はまだ経験がありませんが、

まああまり行きたいところではない。

しかし、この先は何があるかは分からない。

万が一、行かねばならぬ案件が出たら、

そんな折りは、帰りには近くの中華街で、

うまい飯を食うと決めている。

でないと、人生が暗くなる。

制作費への無理解

カタチのない成果物に全く理解のない方が、

かつてはいっぱいおられました。

そんな経営者がモノを頼んできた場合、

私たちは戦々恐々とした訳です。

どう理解してもらうか。

私たちもアタマに汗して働いているのですが…

しかし、それが分からない。

まず、えいっとひねり出したアイデアとか企画が、

いいか悪いかが分からない。

デザインとかの判断基準が皆無。

コピーライティングに関しては更にひどく、

「日本語なんか誰でも書けるだろ」

ま、最近になってこんなケースはないのですが、

あまりにえげつない価格のダンピングを要求されたりすると、

早々にこちらからお断りです。

もう意地です。

猫に小判ですから。

しかし、こうしたケースでも、

会社に体力がないと媚びてしまいます。

で、そんな仕事を続けていると、こちらが空しくなるばかりか、

同じ仕事で生計を立てているまわりにも影響を及ぼすので、

ここはもう崖っぷちでも頑張るしかない。

割と体力も使います。

出版業界からみると…

自身が出版社からの転職組なのでよく透けて見えるのですが、

出版業界の方々と話をしていると、

そこはかとなく広告業界を見下しているのが分かります。

まあ、この業界はいい加減で軽い奴が多いのも確か。

対して出版関係の方々はインテリ、気難しい系が多い。

で、一体、広告業界のなにを見下しているかというと、

人の金で宣伝をしているとか云々…

ふむふむ、これはね、確かにおっしゃるとおりです。

私も最近では少々疲弊していまして、そのあたりに

何か違和感がありまして脱出口を探しているのですが、

まあ、達成まであと5年はかかりそうです。

内容はいまは言えませんが…

いや、言いたいことはそういうことではなく、

ちょうちん記事ばかりを粗製濫造している出版業界。

あなた方は質が悪い。

人は広告と記事とをしっかり分けて読んで、情報を取り込んでいる。

そしてジャッジする。

だから、これは広告ですと宣言しているものより、

意図的な記事でも人は信用してしまう確率が高い。

こうした記事のなんと多い事か。

これはこれで、自滅。

出版社が沈んでゆく一因かと思います。

賞にまつわる話

若い頃は賞を取ることをかなり意識しまして、

広告の講座などへも頻繁に通いました。

いつか必ずヒットを飛ばすぞと、息巻いていました。

あるとき、広告学校という講座で知り合い、

何度か飯を食った○通に勤める友人が言うには、

参加作品を提出する前に審査員の先生がみてくれると。

うん?

これに私は異常に反応しまして、

よくよく話を聞くと、これはこの会社ではよくある慣習らしく、

だから彼は何の悪気もなく私に話したのですが…

予定通り彼は新人賞みたいなものをとり、

さらに後年、彼はなんとか大賞というのもモノにしました。

こうなると、何が実力かコネか訳が分からなくなる。

私はというと、一応純粋に賞というものを信じ、

目標にしていたので、そのショックは相当なものでした。

以来賞というものに全く興味がなくなり、

全く違うベクトルで仕事をしてきました。

誰かの役に立つ、という行為は、

いわば人の幸せの定義でもあるらしい。

ささやかでもいいので、そんな目標が最善ではないかと…

広告の普遍的手法

いまでは広告も日々進化し、

正直、専門の私たちも追いつかない所があるのが現状だ。

特に、ネットメディア手法の移り変わりは早く、

最新の情報が半年で陳腐化することも、ままある。

が、そうした事例はさておき、

広告が、常に人相手であることに変わりはない。

そこには、当然のように感情がつきまとう。

ではなぜ感情なのかだが、

総じて人の心を動かすのは理屈ではない、というのが、

広告の歴史から得られた答えである。

例えば、クルマなどはスペックが重要な要素を占めるが、

ならばスペックの優れたクルマが一番売れるハズ。

だが、実際はそうではない。

それはデザインかも知れない。価格の可能性もある。

いや、メーカーで選んでいるのかも知れないし、

ひょっとすると広告や販促物で決めた場合もあるだろう。

選ぶエレメントは、実に多彩だ。

ただの理屈だけで、人はモノを買わないのだ。

人の感情が介在する限り、

広告が一筋縄ではいかない難しさがここにある。

話は変わるが、先日NHKのクローズアップ現代を観ていたら、

NPOに携わる方たちの苦悩が語られていた。

曰く、寄付金が集まらない、人が集まらない…

志高く、困った人たちをサポートすることを旨とする彼らにも、

やはり或る特定の手法が必要と、

アメリカで活躍している現役のプロが語っていた。

彼の名はマーシャル・ガンツ博士(ハーバード大)。

アメリカで人種差別撤廃に向けた活動や、

数多くの草の根運動を成功させ、

オバマ大統領の再選にも係わった人として名高い。

そして、その彼が日本の活動家に語るその手法は、

実にシンプルなものだった。

そのアウトラインを話すと、まず「物語」を語れ、

ということであった。

ここでいう物語とは、

例えば差別された経験やいじめられた過去を躊躇なく皆に披露し、

まず自らがオープンになること。

そして、その経験から、話は「あなた」へと移行する。

あなたもそんな経験のひとつやふたつありませんか?

と、共有を図ってみることだと言う。

そして、私とあなた方と共有するものがあれば、

これは他人事ではなく、一緒に問題解決に向けて、

動きませんか、と。

こうして物語は、次第に人の心を揺さぶり、

そして徐々に広がってゆくというのである。

このテレビを観いて感じたことだが、

内容が実に古典的な広告的手法であるということだった。

ゲストの糸井重里さんも、やはりそのような内容の話をしていた。

思うに、広告の手法とは、

なにもモノを売るだけの手法ではない、ということ。

いかなる場面でも、転用が可能なのだ。

「人は感情で動く」

そこに普遍性がある訳だ。

そのことを理解していれば、後はトライ&エラーを繰り返すのみ。

それしかない。

なぜなら、広告を学ぶことは、よく人間というものを知る、

ということに他ならない。

だからタチが悪い、

終わりがない、

いや、だから面白いではないか。