新しい会社の方針はこれだ!

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことは考えていない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

 

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも当然却下。

 

現在最も有力なのが、バニラファッジという社名である。

 

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子。

甘い食いものである。

 

さて、これらの候補は、

すでに気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

 

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」もそうとう良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめることにした。

 

コンセプトなどという難しいものはない。

思想感ゼロである。

発想の根拠が乏しいわりに、アナログ感だけが満載なのだ。

 

で、この新しい会社というか新組織がなぜ必要か、

なのだが、凄い稼いでやろうとか、そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば

その後も前も引き受けます、というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える企業などがあるので、

そこを切り離したいと思った。

(こちらにも意地がある訳)

 

で、ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、多彩な案件を受け入れたい。

 

私たちの仕事は、クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

いつもなんとかしてあげようと、夢中で頑張る訳です。

 

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、広範にわたるからひとことでは

言えないけれど、嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項なのである。

 

イェスマンにはならないぞという決意でもある。

 

さらには、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠なのである。

 

で、好きなことしかやらないとは、

なんと生意気なと言われそうだし、

第一そんな方針で仕事が成り立つのか?

という不安や疑問等が残るのも事実。

 

がしかし、そこは試しである。

実験である。

 

コピーライターという職業は、

ときとして空しくなることがある。

 

全く共感できない企画やプロモーションの依頼。

また、ひとつ間違えばこれは詐欺ではないのか?

と思うようなセールスを頼んでくる企業もある。

 

このような依頼事に、

すがすがしく「ノー」を突きつけることの、

なんと難しかったことか。

 

その反動のようなものが、最近噴出してきたのかなぁ…

 

とにかく、好きなことだけやって生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

(自分の正しいが世間の正しいとは必ずしも一致しないし)

 

が、勘として勝算はある。

 

時代は刻々と変わりつつある。

 

風はかわったと信じている。

 

そして少しでも仕事が動けば、

 

生きる自信に繋がるような気がする。

 

 

片岡義男の「タイトル」はキャッチコピーになる!

作家・片岡義男の本は以前、何冊か読んだ。

映画化された作品も多く、
そのうちの何本かは観た記憶がある。

作品はどれも視覚的、映像的であり、
都会的なタッチのものが多い。

いずれアメリカ西海岸を思わせる舞台装置に加え、
個性的な文体と独特なセリフで、
片岡義男の独自の世界がつくられている。

彼の作品は、とにかくバタ臭い。
これは褒め言葉として。

それまでの日本の小説にはなかった、
カラッとした空気感が特徴的だ。

この作家は、英語に堪能で思考的にも
英語圏でのものの考え方もマスターしている。

彼はまた、時間の切り取りに長け、
ほんの数秒の出来事でも、
ひとつのストーリーとして成立させることのできる、
センスの持ち主である。

写真のプロでもある彼は、
つかの間の時間を、
まるで連続シャッターでも切るように、
物語をつくりあげる。

さらに驚くべきは、彼の作品のタイトルだ。

例をあげよう。

 

「スローなブギにしてくれ」

「人生は野菜スープ」

「彼のオートバイ、彼女の島」

「ホビーに首ったけ」

「マーマレードの朝」

「味噌汁は朝のブルース」

「幸せは白いTシャツ」

「小説のようなひと」

 

いくつか挙げただけでも、センスの良さが光る。

このタイトルに込められた物語性、意味深さ、
そしてそのかっこよさに、
ボクは学ぶべき点がおおいにあると思った。

そしてコピーライティングに欠かせない何かを、
片岡義男はこのタイトルで提示してくれている。

それはいまは使えない武器なのだが、
またいつか使うときが必ずくるので、
必須で習得すべきとも思っている。

いまはテレビを付けてもネットをみても、
「限定販売!いま買うと驚きの○○円でお手元に!」
とか
「売り切れ続出!いまから30分なら買えます!お早く!!」
など、いずれも全く味気なく、
人の裏をかくような煽り広告が溢れている。
でなければ、とうとうと説得を試みようとする、
長い記事のLP広告を読まされるハメに。
(ボクらはランディングと呼んでいるが)

これは、いまのクリエイターが、
人の情緒に近づける術をしらないので、
ただのテクニックだけで売ろうとする広告が
目立っているからだけなのか?

それとも、世知辛い世相の反映としてなのか?

とにかく余裕のない日本の経済の合わせ鏡のように、
即物的な広告類は果てしなくつくられている。

たとえば片岡義男的世界を、
いまなんとか広告としてつくりあげられたとしても、
きっとどの広告主も「OK」を出さないだろう。
そして広告主たちはきっとこう言う。

「自己満足もほどほどにしてください」と。

とにかく世の中のスピードは加速している。
結果は即座に数字に出なくてはならない。

よって「この企画は長い目でみてください」
とか、
「この広告はボディブローのように徐々に効いてきます」
などのプレゼンには誰も興味を示さない。

分かるハズもない。

これは皮肉でなく、実感として感じる。

よってボクらの仕事はどんどんつまらなくなっている。

ホントはね、
たまに暇な時間に開く片岡義男の本にこそ、
ボクらの仕事に必要な、
コアな世界が広がっているのだけれど…

かつては誰もがもっていたゆとりと、
文化のかおり高いこの日本である。

いつかまたそんなときがくる…

少なくともボクはそう信じているのだが。

 

 

●片岡義男のプロフィール (以下、ウィキペディアより転載)

1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。
また、植草甚一らと共に草創期の『宝島』編集長としても活躍する。
1974年、野性時代5月号(創刊号[12])に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。
翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。
1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、
オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に1~2ヶ月に1冊のハイペースで新刊小説を量産。
またFM東京の深夜放送番組「FM25時 きまぐれ飛行船〜野性時代〜」のパーソナリティを務めた他、
パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCMのナレーションを担当するなど、
当時の若者の絶大な支持を集めた。
代表作である『スローなブギにしてくれ』(東映と共同製作)、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』、『ボビーに首ったけ』は角川映画で、
また『湾岸道路』は東映で映画化されている。
近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、
写真家としても活躍している。

 

夏の夕ぐれに想うこと

 

 

 

窓のそとの風景が動かない

 

そんな夏の夕ぐれは

きっと少しだけ

ときも止まっているのだろう

 

溶けてしまう前にと

氷のように光る雲が

急ぎ足で過ぎてゆく

 

とおい赤く染まる

その背後の群青色のスクリーンに

過去の残像が映ると

こころ踊り

悲しみ

そして広い空を舞う我が思いで

 

ゆったりと

窓辺のイスに心身をまかせ

アイスティーで

昼のほてりをしずめて

夏の夕ぐれは

いつも同様に回想するも

残像の彼らはやはり口もきかず

笑みだけを残して

いつもとおいくにへと

帰ってしまうのだ

 

今日という

この夕ぐれだけがみせてくれる

陰影のドラマはきっと

いのちが尽きるまで

続くのだろうか

 

夏の夕ぐれは

だから誰だって

遠いくにの夢をみる

 

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

コピーとかことばの不思議ばなし

広告の仕事をしていてよく思うこと。

それは、コピー軽視です。

特に、キャッチコピーを軽んじている人の

なんと多いことか。

 

対して、デザインは比較的分かり易いので、

みなさん、アレコレと口をはさみますし、

こだわっているようにも思えます。

デザインは、誰もが大筋は判断できるのでしょうね。

格好いいとか、都会的とか…

 

がしかし、デザインに於いても、

それがコンセプトに沿ったものかどうか、

本来、そこを考えなくてはいけない。

そんな観点で今一度デザインをみると、

なかなか難しいものです。

 

で、これがコピーとなると、

かなり粗末な扱いとなる訳です。

検討以前となってしまうことも、多々あります。

適当に誰かが書いて、それがそのまま最後まで残り、

掲載されてしまうことも少なくありません。

 

ボディコピーは、作文の添削と同じように考えるひとが多い。

よってそのコピーがその場に相応しいかどうかではなく、

一応、みな校正のようなチェックはしますが、

この場合も日本語として正しいかどうかのみで終わってしまう。

 

制作する側でも、一部でこのコピー軽視の傾向が、

増えているように思います。

 

よって、フツーの人はなおさらでしょう。

しょうがないといえばそんな気もします。

 

では、なぜ人はキャッチコピーを軽視するのか?

そう、答えは簡単。

分からないからです。

割とみな分からない。

で、私たちコピーライターの出番なのですが、

そもそもキャッチコピーの力を信じない人に

その重要性を説いても無駄でして…

 

私も無理強いはしないようにしています。

 

コピーが元々広告の添え物であり、

そこになにか書いてあれば良し、

要はどうでもいいもの…

そう思っている人は多いのではないか?

その理由は、前述したように分からないから。

 

が、これは甚だしい間違いです。

 

本来、人はことばで動いています。

たとえば、自らの日頃のコミュニケーションを

振り返っても、

ことばひとつで勇気づけられたり、

傷ついたりした経験はないでしょうか?

 

ものの言い方、ことば使いって、

実は難しい。

とてもデリケートなんですね。

 

或るひとことで愛しあう。

或るひとことで涙を流す。

或るひとことで怒る。

 

かように、人の心もことばで動くのです。

ことばって、わりとパワーがあります。

 

おおげさですが、

そのあたりを突き詰めたのが経典とか、

呪文なのかも知れませんよ。

 

人が本気で口にしたものには不思議な力が備わる。

また、そうしたことばが、ひとり歩きをしたりもする。

これを、人は言霊と呼ぶ…

 

コピーはいきものです。

活きもの!!

本気のことばには、魂が宿ります。

よって、コピーは添え物ではありません。

本気で考えたコピーには、不思議なパワーがあるのです。

 

このことを広告に携わる方だけでなく、

毎日を暮らす皆さんに知っていただきたい。

但し、考えすぎると、

不思議な世界に迷い込んでしまいますがね!

 

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

フリーの現場シリーズその2

 

発作的にフリーになったいきさつ

 

同僚とつくった会社は、当初から順調な滑り出しをみせた。

売り上げは安定し、仕事に必要な備品など難なく買えた。

社員旅行へも行った。伊豆カニ食い放題とかいろいろ。

みんなで流行りの飲み屋へもよく行った。

これらはすべて領収書、経費で落した。

のんきで抑揚のない日が続いた。

 

企画・コピーは私ひとり。

あとの3人はデザイナー。

クライアントは〇〇製作所のみ。

いわば〇〇製作所の宣伝部・制作分室のような位置づけである。

ひと月に幾度か、宣伝部のお偉いさんから飲み会の誘いがあった。

要は、料亭とかクラブへお供して金を払え、

で、帰りはタクシーを呼んでくれというものだ。

 

これには、結構アタマにきた。

その後もひんな人間に何人もであったが、

だいたいタイプは決まっている。

要は、セコイことに精を出して、他はテキトーなのだ。

仕事に於いてそれは顕著に出る。

 

こうした接待のとき、幾度か同僚に付き添ったが、

あまりにもバカバカしくて時間の無駄なので、

後は辞退した。

あるとき仕事の勤務時間に関して、

社長に据えた人間から不満を言われた。

私が他のみんなより働いていないと。

私がみんなより必ず早く帰るからと。

変なことを言う奴だなぁと思っていたところ、

他のデザイナーからも同じようなことを言われた。

 

私は日頃から、昼間は近くのコーヒーショップで仕事をしたり、

神宮外苑を歩いたりと、

確かに見た目は遊んでいるようにみえたかも知れない。

しかし、帰るのが早いとか、

いや昼間にぷらぷらしている件もだが、

そもそも仕事の内容が違うではないか、

と反論した。

 

職種の異なるものを時間で比べるものではない。

外で仕事をするのも、歩くのも、

それはそれで結構考えている訳なのだが、

どうもそれがうまく説明できない。

 

思えば、デザイナーの仕事は、

デスクに張り付いていなければできない仕事であり、

絶対時間は彼らのほうが圧倒的に長い。

そこまで彼らに合わせることもなかろうと、高をくくっていた。

 

加えて、その頃、

私が他の領域の営業を始めようと提案したところ、

みんなの反対にあった。

これが私のいらいらに拍車をかけた。

彼ら曰く、順当に仕事が入ってきているのだから、

余計なことをするな、ということらしい。

 

私は毎日まいにち、

同じ広告主から依頼される同じようなコンセプト、

似た寄ったりのポスターやパンフレットづくりに、

いい加減にうんざりしていた。

だから街をプラプラしていたし、

外で仕事をしていた節も、確かにある。

それに、あの陽の当たらない陰鬱なビルにいるのが、

どうしても嫌だった。

 

あるとき、4人で話し合いをすることとなり、

私はこうした領域の仕事は、

そもそも時間ではかっても意味がない、

というような話をした。

こうした考えは、私のなかでは当たり前と思っていたが、

デザイナー連中は納得しなかった。

ではと、私がなぜあなたたちは

他の分野の仕事を伸ばそうとしないのかと問い詰めると、

そのなかのひとりが「それは楽だからでしょ」とつぶやいた、

未知の仕事はちょっと自信がないともほざいたので、

私はいきなりぶち切れてしまった。

 

「○○さん、そんなこと言っていると、

いまに他のことを全くできない

どうしようもないデザイナーになっちゃうぜ」

と私は吐き捨てるように言った。

 

思えば、私は組む相手を間違えていた。

彼らは、ただ収入が安定すれば良かったのだ。

これじゃ、志望動機が不純な公務員となんら変わらない。

潰れてしまった以前の会社のほうがスリリングで面白かった。

仕事の幅は広かったし、営業は新鮮な仕事をよくもってきた。

よってやるときは徹夜してでもやったし、

寝たいときは昼間からデスクで寝ていたけれど、

仕事に関しては真摯だった。

 

後で判明したことだが、私が嫌われた本当の原因は、

徹底的にクライアントの接待を嫌ったことだったらしい。

まあ、それは認めざるを得ないのだが。

(これは難しい話ではあるのだが)

 

こうして私は自らつくった会社を発作的に辞めることとなった。

このとき、会社の預金は4桁の万単位の金があったらしい。

(私はこのときもそれ以前も通帳をみていないので断言はできないが)

 

よって、私はこの会社から一銭も受け取らずに辞めてしまった。

一応「ハシタ金はいらねぇよ」と啖呵を切った。

社長に据えた人間が「当然でしょ」とほざいたのを、

いまでもずっと覚えている。

忘れないなぁ。

(結局この会社は数年後に内紛で解散した)

 

※教訓:共同経営を長続きさせるって至難の業だと思うよ!

 

 

風のテラス

 

遠いあの山の向こうの

遙か彼方にあるという

風のテラス

紺碧の空に包まれて

木々は囁き

蜜蜂に愛され

誰もいない波間に漂うという

風のテラス

 

水平線に浮かび

潮に洗われ

トビウオの休む所

いにしえの場所

そこに

椎の木のテーブルと

二脚の真鍮の椅子

 

風は歌い

微笑み

風は嫉妬し

うつむき

そして通り過ぎる

 

向き合ったふたりに

椎の木は黙って

テーブルに一房の葡萄と

恋物語

 

ひとりが去れば

ひとり訪れ

ふたり去れば

ふたりが訪れる

 

風のテラスは

空を見下ろし

風のテラスは

水底を見通し

風のテラスは

人を惑わせ

そこには只

椎の木のテーブルと

二脚の真鍮の椅子

 

陽を浴びて

星が降り

ジリジリと焼け

凍てついて

蘇る

可笑しくて

悲しくて

悔しくて

恨んで

愛おしい

 

風のテラスは

誰もが

一度は訪れる

 

考えるほどに

思いだすほどに

彼方に消えてしまう

 

そこは

風のテラス

幻の忘れ物

恋の記憶

 

 

グラスの向こうの夏

 

「月と太陽ってお互いを知らないみたい」

「おのおの昼と夜の主役。

だけど、すれ違いの毎日だしね」

 

「スタンダールの『赤と黒』って

確か軍人と聖職者の話だったよね」

「そう、対照的な職業」

 

「南の海のエンジェルフィッシュと

北の海のスケソウダラが一緒に泳ぐ、

なんてことがあり得ないのと同じ」

「そうね、いずれ相容れない何かがありそうだね」

「なんだか私たちと同じ」

「そういうことになる」

 

仲のいい友人、夫婦、親子、兄弟、姉妹でも、

あらゆる面で相反するというのは、

多々ある事なのかも知れない。

私たちもそのような関係と思える。

 

それはお互いの思惑の違いから、

(それは恒例ではあるのだけれど)

たとえば夏の旅行の計画などの話になると、

途端に方向性が異なる。

相容れない。

行きたいところだけでなく、

趣味が全く違うのだ。

そしてお互いに譲らない。

そこは同じなのにね…と彼女は思う。

 

片方が海といえば、

相手は山へ行きたいと言い張る。

話は平行線のまま。

決して交わることはない。

やがて意地の張り合いになり、

ひどい喧嘩となって、

結局いつものように沈黙が続く。

 

やはり月と太陽

赤と黒か

エンジェルフィッシュとスケソウダラみたいに

相容れない。

 

しかし「今年こそは」とふたりは願っている。

そこは似ているなと、

ふたりはつい最近になって気づいた。

 

グラスの氷がカタンと鳴って、

そして静かに沈む。

トニックウォーターが震えるように揺れる。

ふたりはため息のあとでそれを口に含む。

庭の木で蝉が鳴いている。

とても暑い鳴き方をするミンミン蝉だ、

とふたりは同時に思った。

 

果たしてグラスの中の氷は彼女の熱を冷ませ、

それは相手も同様だった。

想いが冷めては元も子もないと、

ふたりに囁く誰かが、

この部屋に降りてきて…

 

「とにかく出かけようぜ!」

「そうね、私支度してくる」

やはり似たもの同士なのかも知れない。

 

ようやくお互い、笑みが浮かんだ。

 

 

思えば、平成ってずっと不景気だったような気がする

 

 

最近では、平成も終わりを告げる、ということで、

あちこちで平成という時代の総括やら思い出を振り返る

番組をよくみかける。

 

夕飯の後なんぞ、寝そべってテレビをぼおーっと観ていると、

うーん、なつかしいなという反面、

平成って、結構辛い事が多かったなぁと、

深くため息をつくのだった。

 

平成の時代は、まずバブル後期から始まったように記憶している。

 

日本長期信用銀行に預けてあった50万円を渋谷店で下ろすと、

確か75万くらいになっていて、その金利の高さに歓喜した覚えがある。

しかし後、この銀行は潰れ、山一証券会社も潰れ、

世の中全体が、かなりどんよりしてきたのだ。

 

そこから、日本の不況は徐々に深刻さを増し、

それは伝染病のように社会全体に広がっていった。

 

私たちの業界も同様で、延々と続く不況に、

エッと驚くような酷い話はいくらでも耳に入ってきた。

あの大手が潰れたとか、知り合いの会社の倒産とか、

フリーランスへの未払い金などは優に及ばず、

離婚や自殺まで、枚挙に暇がなかった。

 

最も身近なのは、やはり広告の制作料金のデフレ化だろう。

 

まあ、広告の価格も案件に寄りけりだが、

こちらはわずかな利益の確保に追われる。

どこも経営が厳しいから致し方ないのだが、

業界の価格競争の激化とともに、

人的資源も枯渇して低レベル化が進み、

無駄な制作物が粗製乱造され、

結果、広告というものが大きな信用を失ったことだろうか。

 

現在でも、その余波は残っている。

 

平成はネットの時代に入った訳だが、そこでも同様の事柄は増え、

安かろ悪かろでもしょうがない、という事態が

ここかしこで起きている。

 

「コスパ」が流行ったのが平成の特徴だが、

それはいまも続いている。

 

いあらゆる事柄において、無駄は敵なのである。

如何に安くいいものをつくるか、

ここに心血を注がなければ生き残れない。

 

当然と言えば当然なのだが、

こと広告に関しては、コストはみえるものの、

パフォーマンスが見えづらいという欠点があった。

 

よって、広告も進化し、

結果を示すために、統計とか数字を示すようになった。

ここをしっかり説明しないと、コスパは語れない訳だ。

 

こうして、ただ高いだけ、安いだけの業者は淘汰されていく訳だが、

いまはその過渡期といっても過言ではないだろう。

 

でないと、広告は、出来の良い悪いが見えないのだ。

全くブラックな業界となってしまう恐れがある。

 

それは広告の危機を意味する。

 

よって結果をしっかりと出すことは、

いまやこの業界の鉄則なのかも知れない。

 

作り手の意識は変わる。

 

成功体験は、自信と自負と向上心を育てる。

そして、つまらない価格競争には乗らなくなる。

よって、広告のつくり手は、

あの湖に浮かぶ優雅な白鳥のように、

水面下では手足を常に動かし、

努力を惜しまず向上しなくてはならない。

それが現在の広告の作り手の、

極めてシビアな現状なのである。

 

ずっと以前、

いわゆる昭和における広告などはかなりアナログで、

ざっくりとしていた。

しかし、ヒットを飛ばす心意気は殺気だったものがあり、

それはいわば、正体の見えない宝物を追いかけるような、

摩訶不思議な冒険の世界だった。

 

現在のそれは、数字と統計にキッチリと表れる。

主観の及ばない正しい成績をはじき出してくれる。

ここは、確かなことなのだ。

 

しかし、実はここにも新たな問題がひそんでいた。

それはパラドクス的な話なのだけれど、

単に数字だけを追いかけると、

とてもつまらないものができあがる、という

なんとも皮肉なことが起きているという事実なのだ。

 

この新たな問題に真っ向から取り組んでいる

東京のクリエイティブの作り手を幾つか知っているが、

彼らは新たな開拓者として、そのうちにヒットを飛ばすだろう。

 

そのころ、平成という時代は幕を閉じている。