焚き火へGO!

 

前回の富士付近の旅行あたりから遊び癖がついてしまい、

今度は河原で焚き火です。

 

 

相方は、システム・エンジニアのF君。

シティーボーイながら、頑張って火起こしに挑戦。

(プログラムとは全く違うスキルなのですが)

 

薪も良いのを揃えたので、なかなかの炎になりました。

 

 

場所は、神奈川県の愛川町、中津川の河原です。

ここはよく来ます。

 

横浜の友人によく聞かれるのですが、

バーベキューと焚き火と何が違うのかと。

 

「焚き火ってなんか面白いの?」とも。

 

そうですね、バーベキューがエンタメだとしたら、

焚き火は、ちょっとキザですが「思索」です。

 

よってあの炎を眺めながら、

日頃は埋もれていた自分の内面の気づきとか、

アタマのどこかに隠れていた本能を呼び起こす作用とか。

 

まあ、アウトドア系の瞑想のようなものでしょうか。

 

話が盛り上がるならお互い饒舌にもなるし、

何にも話すことがなくても、炎をみているだけで、

何ら気まずいこともない。

 

焚き火ってなんだか不思議です。

 

単なる外遊びのような、カジュアルな儀式のような…

 

それでいてまた行きたくなる魅力がある。

 

けれど、やはり初冬の河原は冷えます。

陽が落ちると、気温がグングンとつるべ落としのように下がる。

 

 

 

 

この日は愛川町の気温が、夕刻7℃だったので、

おそらく水辺は3℃くらいだったかと思います。

 

河原には、泊まりとおぼしき本格派もいて、

キャンピングカーやジープやバンで来ている。

夕飯の支度に取りかかっている様子です。

 

アマチュア焚き火愛好家のボクたちは、

さっさと火の始末をして、

クルマのヒーターを最強にセット。

 

早々に家路につきました。

 

また来よう!!

 

↑シラサギが集まっていました

 

↑国産の広葉樹の薪が良い炎をみせてくれます

 

↑初冬の水面には沈黙という言葉が似合うような

 

 

富士をめざして

久しぶりに東名高速をかっ飛ばして、富士山をめざした。

 

山中湖畔に着いた頃から、陽ざしが出てきて、

なかなかの旅行日和になる。

 

紅葉が目にしみる。

湖面が光っている。

 

 

いつも夏しか来たことがなかったので、

紅葉の季節もなかなかいいなぁと思った。

 

 

湖畔から山へクルマを走らせると、

三島由紀夫文学館があった。

ここの存在をボクは知らなかった。

この日、宿で読むつもりで持参してきたのが、

偶然にも三島由紀夫の文庫本だったので、

ちょっと驚いた。

 

山中湖は標高が高いところにあるので、

昼間でもかなり寒い。

 

翌朝の気温は3℃だった。

 

 

河口湖をめざす。

新しい道路が複雑怪奇に増え、

ナビをみるのもメンドーになってきたので、

道路標識に従ってテキトーに走る。

 

早朝にもかかわらず、すでに湖畔の駐車場は、

クルマがほぼ満杯。

聞けば、紅葉まつりとか。

 

平日にもかかわらず人出が凄いことに。

ボクら夫婦は人混みと渋滞を避け、

湖畔の反対側へと移動。

富士を真正面にしたポイントに出会う。

ちょっとした横道に逸れただけなのだけどね。

 

 

「あっ、忍野八海に行くのを忘れていた」、

ということで、再びクルマを山中湖方面へ。

 

富士の絶景は、やはり忍野からでないと。

 

 

八海は陽ざしでまぶしく、

ちらちらと魚影がみえる。

 

 

見上げると空がでかい。

そしてやはり富士山はいつみても、

高く雄大だ。

 

山頂にわずかだが白いものがみえる。

 

が、ここも観光バスがひっきりなしに来ては、

人々を排出して、ひとひとひとだ。

バスから降りてくるのは、

ほぼ外人さんばかり。

 

インバウンド再開。

コロナはどうなったっけ?

この日はアメリカの中間選挙。

ウクライナは収まらず。

連日、北朝鮮からミサイルも飛んでいる。

地震も最近多いような。

 

おそらく来年は日本も、突然円高に振れるだろう。

インフレはさらに加速するだろうし、

ボクたちはさらに厳しい生活を強いられる。

 

という訳で、

そんな諸々を忘れるために出かけました。

 

夢のような一時はまさにアワの如く…

 

 

シャガールの夢

 

 

世界にはいろいろな絵があるけれど、

ボクがいつも思い浮かべるのは、

シャガールのあの夢の世界のような絵だ。

 

キャンバスをほぼ独特の深い青で染め、

花束を抱えた男の人が空を飛んでいる。

その横になぜか牛の横顔が大きく描かれ、

虹のような色彩をしている。

 

キャンバスの下方には地上と思われる

黒い台地が描かれていて、

そこに白のドレスの女性が空を見上げている。

 

シャガールの作品のどれもが、

正しい遠近感とかパースのような技法は

一切ない。

 

適当に描かれているかと問われれば、

「いや、そうではない」と素人のボクでも否定できる、

妙に納得させられてしまう、そんな配置なのだ。

 

ぼんやりとした背景はこの世の風景とは異なる、

異世界のような深いブルーが、こちらを引き込もうとする。

 

色合いは、

濃いブルーのなかに浮かび上がるカラフルな花束とか、

暗闇に咲く黄色い花だったりとか、

ちょっと意表を突く唐突さがあって、

それでいて改めて全体を眺めると、

やはりそれは夢のなかの世界のように、

メルヘン的な美しさがある。

 

シャガールは、

当時のロシア帝国(現ベラルーシ)出身のユダヤ人だが、

パリで活動していたときに第二次世界大戦が勃発し、

ナチスの迫害を逃れてアメリカへ亡命した。

 

戦後、再びパリに戻って活動を再開したが、

その頃、最愛の奥さんを亡くした。

 

後、60代になって再婚したが、

結局彼は生涯、

最初の奥さんの絵ばかりを描いていた。

 

それが一連の彼の作品だ。

 

作品のどれもがリアリティーがない。

ディティールが描かれていない。

 

代わりに幻想が漂う。

 

それは、彼の記憶の中に眠っている

奥さんとの思い出を描いているから、

結果、記憶を辿るような、

夢のような絵となって結実している。

 

シャガールの作品はどれも、

文章に例えると、散文であり、詩である。

 

最愛の奥さんとの思い出を、

シャガールはことばでなく、

詩を書く代わりに、

割れたガラスの破片を集めるように、

絵を描いた。

 

そこにゆるぎのない愛を込めて

 

 

ヒッピー、そして旅人のこと

 

―旅するように生きる―

こうした生き方をする人を

ライフトラベラーと呼ぶらしい。

 

ちょっと難しい。

具体的に書いてゆく。

 

●心の旅

これは例えば机上でもできるから、

物理的移動はないにしても、

もはや精神はそこにはないかも知れない。

 

心は、旅に出かけているので。

遙か宇宙にいるのかも知れないし、

アフリカ沿岸の深海に潜って、

シーラカンスでも眺めているのかも知れない。

 

いや、ひょっとすると未来人と交信中かも…

 

心の旅はまた、

毎日の何気ない生活の中でも続けられている。

 

 

日々の旅

常に動いている心という無形のいきもの。

 

刻一刻と移りゆくのでなかなか休む暇もない。

唯一、夢さえみない夜に眠りにつく。

そして日々、旅は続く。

 

見る、聴く、話す、そして何かを感ずると、

心が動く。

それが嬉しいことだろうと辛いことだろうと、

美しいものだろうと醜いものだろうとも。

 

そんなことを繰り返し、ときは流れ、

心は時間の経過とともに旅を続ける。

 

 

先人の旅

私たちの知る、

「旅」のプロフェッショナルを思い浮かべると、

古くは芭蕉や山頭火あたりだろうか。

 

―月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿―

と芭蕉は詠んだ。

 

山頭火は、

―けふもいちにち風を歩いてきた―

と詠んだ。

 

感じるものが尋常でないので、

やはり熟練した旅人のような気がする。

 

 

海外では、詩人・ランボーも旅にはまっていた。

ヨーロッパ中を放浪し、

道中では商売に精を出したり、

旅芸人一座と寝食を共にしていたともいう。

 

人は旅に憧れを抱く。

旅はなぜか万人を魅了する。

 

 

ヒッピーの旅

ところは1960年代後半のアメリカでの旅の話。

 

この頃、ベトナム戦争の痛手から、

ヒッピーが大量に発生した。

 

彼らはそもそも目の前の現実に嫌気が差していた。

それは当然、戦争であり、

戦争が起きれば兵役の義務が生じ、

若者は銃を担いで海を渡り、

そこでは見知らぬ兵士を殺し、

または自分が殺されるという悲劇しか待っていない。

 

彼らは、巨大な体制と戦うことを諦めたようにみえる。

が、彼らがつくりだした「反戦」のムーブメントは、

世界に拡散されることとなる。

 

そして彼らは、仏教的東洋思想に惹かれる。

それはキリスト教的な神と悪魔、天国と地獄、

一神教という「絶対」ではなく、

東洋の多神・寛容という宗教的な思想に、

心のやすらぎを感じたに違いない。

 

 

時系列に自信がないのだが、

ビートルズのジョン・レノンが、

まずインド巡礼へと旅立ったのではなかったかと

記憶している。

ヒッピーがその後に続く。(いや、その逆もありえるけれど)

 

仏教が捉える世界観は宇宙をも内包する。

(それは曼荼羅図をみれば一目瞭然だ)

 

少なくとも西洋にはない東洋の、

静けさの漂う宗教観に、

彼らは傾倒したのだろう。

 

ヒッピーの信条は、自然回帰と愛と平和。

 

それは彼らの新たな旅の始まりだった。

旅の常備品はマリファナやLSDである。

 

マリファナやLSDをやることを「トリップ」とも言う。

彼らは逃避的な旅を模索していたのだろう。

 

これも一種のライフトラベラーだ。

 

 

同時代の旅人たち

そもそも私たちが旅に憧れるのは何故なのだろう。

例え「旅行」などという非日常性などなくても、

私たちは常に旅を続けていると考えると、

人といういきものの不思議にたどり着いてしまう。

 

私たちは物質的な意味合いだけでなく、

この心身のどこかの片隅に、

あらかじめ組み込まれた、

「旅のプログラム」などというものがあるから、

なのだろうか?

 

 

誰も皆、立ち止まることなく旅をする。

私たちは皆、同時代を生きる旅人である。

そこにどんな繋がりがあるのか

検証する術(すべ)などないけれど、

せめて行き交う人に「良い旅を」と伝えたい。

 

そして、

この世を通り過ぎるのもまた、

旅と思うと、

少しは心が軽くなる。

 

 

東京脱出計画

 

かつて、那須に土地を買ったことがある。

お金が溜まったら、そこにログハウスを建てる。

庭で畑を耕し、裏の那珂川で魚を釣り、

その日暮らしをする。

 

そんなことを考えていたと思う。

 

那須の土地を買うかどうか、

現地に出向いたのは夏のとても暑い日だった。

 

東京から東北自動車道をひた走り、

那須インターを降りてめざす販売地に着いたが、

やはりそのあたりも東京都と変わらず暑かった。

 

めざす土地は別荘地区域とはいえ、

かなり山奥でその付近だけが整地されている。

背後は木々が密集して、

恐ろしくうっそうとしていた。

雑木林が、明るい陽ざしをキッチリと遮っている。

 

東京より気温は低いらしいのだが、

湿度が異常に高いと感じた。

空気は重くむっとしている。

 

「なんだかここ、暑いですね?」

私が、立ち会いに来た不動産屋のおっさんに話しかけた。

「そうですか、私はそんな暑くないですね。

ここは高原ですので、かなり涼しい筈なんですがね…」

 

そして

「でも今日は異常な暑さですね、

○○さん。悪いときに来ちゃいましたね」

 

敷地は、長方形で地形(土地のかたち)は良かった。

前の道路は4㍍程で狭いがこんなもんだろうと思った。

 

奥さんが「この辺は買い物はどこへ行くのですか?」

と切り出した。

(言い方にトゲがあるなぁ)

 

不動産屋のおっさんがしきりに顔の汗を拭いている。

で突然ニカッと笑って、先ほど私たちが来た道を指さして、

「いま来た道を15分程戻った所にスーパーがありますよ。

気がつきませんでした?」

 

私たちは顔を見合わせた。

家族全員(夫婦と子供ふたり)知らないという顔になった。

 

この不動産屋のおっさんはかなり焦ったようだ。

店の看板が小さかったから見過ごしたとか、

店が道路から奥まっているとか、

いろいろな言い訳をはじめた。

 

後にして思えばだんぜんあやしいおっさんなのだが、

当時の私には不動産を見る目がないどころか、

気持ちに焦りがあった。

 

自然がいっぱいのところで暮らすことが最良と考えていた私は、

早々に引っ越す土地を確保する気持ちばかりが先走っていた。

 

来る日も来る日もスケジュールに追われ、

徹夜など当たり前なのに報われない…

そんな東京での生活に早くピリオドを打とうと、

私は私なりに必死の土地探しだった。

 

ひととおりその土地のセールストークを披露すると、

へらへらの白いシャツを着た不動産屋のおっさんは、

汗をふきふき愛想を振りまいて、

とても忙しそうにして先に帰っていった。

 

不動産屋のボロボロのカローラが印象的だった。

 

私たちは現地で即答はしなかった。

買うとも買わないとも意思表示はしていない。

 

残された私たち一家はさしてやることもなく、

またじっとその土地を見ていても

なにも新しい発見もないので、

別荘地のまわりを歩いてウロウロしていた。

 

そこで小さな川をみつけ、架かる小さな橋から、

考えるでもなく川の流れを眺めていた。

 

突然、小学生の長男が私を呼ぶ。

橋の下で休んでいるアオダイショウをみつけたのだ。

 

おおっとみんなで叫ぶと、今度は私と長男とでその蛇に

石を投げはじめていた。

アオダイショウは逃げた。

 

思えばアオダイショウは私たちより先にあの川岸にいて、

しかものったりと休憩でもしているかのようにうかがえた。

私たちに敵意などをみせた様子もないし、

仮に敵意をみせたとしても、

それは当然のことなのだが。

 

なんであんなことをしたのか?

それがいま振り返っても全く分からないのだ。

(アオダイショウさん、いまさらだけどごめんなさい)

 

さて、私はあそこにログハウスを建て、

どのようにして生計を立てようとしていたのか?

そこが全く抜けていることを薄々知っていたのに、

当時の私はそこをあえて全く考えないようにしていた。

なんとかなるとも、ならないとも検討しない。

 

 

そんな精神状態は、東京から逃げる、

という言葉がふさわしかった。

きっとそれほど疲れていたのだろう。

 

奥さんは、この計画が実行されることはないと踏んでいた。

後に聞いたが、私が余りに疲れていたので、

計画に口を挟む余地がなかったと話してくれた。

 

しかし、この土地を買ってから私に変化が起こった。

(結局、買ってしまった訳)

いつでも逃げられる態勢だけは整えたので、

なにかゆとりのようなものが芽生え、

それが私を楽にしてくれた。

 

しかしそれから数年も経ち、

その土地を持っているという気も薄れ、

相変わらず仕事に没頭している自分がいた。

 

が、そろそろ他の要因で限界が来た。

年老いた親の事情も絡んできた。

 

急遽、私たち一家は神奈川の実家へ引っ越すこととなった。

 

結局、那須の土地は6年後ぐらいに手放した。

実家行きは、いろいろな事情が絡んでいたので、

めざす所ではなかった筈なのだが…

 

那須ほどではないが、転居先はやはり

いなかであることに変わりはなかった。

当初は不便を感じて、

生活や仕事の不満ばかりが溜まっていたが、

そのうち慣れてくると、

やはりいなかのほうが自分の性に合っているなぁと、

実感するようになった。

 

肝心の仕事は運も重なり、

なんとか生きながらえることができた。

(最も、行き先も違うし、

ログハウスも建てられなかったけれど)

 

結果的に私の東京脱出は成功したことになる。

 

いや、正確に記すと、実は私は東京を脱出したのではない。

 

追い出されたと表現したほうが嘘がないように思う。

いまでもそのほうが我ながらしっくりくるから、

きっとそれが本当なのだろう。

 

カリブの休日

ハードワークをこなし、

予定どおりに休暇をとった。

行き先は、もちろんカリブ。

これで3度目だ。

 

タラップを降り、

例のビーチまでタクシーを飛ばす。

 

車窓からの景色がみるみる青に染まるころ、

クルマを止める。

 

「お客さん、お釣りですよ」

「とっといてくれ。奥さんか子供に

チョコレートでも買ってあげなよ」

 

浜辺に腰を下ろすと、

目の前にさまざまなブルーの彩りが

私を出迎えてくれる。

 

バーでチョイスした冷えたカリブーンで喉を潤す。

 

ホワイトラムの香りが夏の風景を揺らす。

フルーツの味わいが深い安堵感に誘う。

 

程よい炭酸の刺激。

透明な氷が解けてゆくゆらぎ。

 

都会を忘れさせるには格好の幻覚だと思った。

 

強すぎる光線が、かえって心地よい。

 

椰子を吹き抜ける風の音がカラダを通り過ぎてゆく。

 

ゆったりと過ぎる午後。

寄せては返す浜辺は眠りさえ呼び寄せる。

 

これは、日頃の疲れを癒やす、

自分へのごほうびなのだ。

 

心身から街の気配が消え、

全身がまるごと自然のなかに溶けてゆく。

 

ボクは思った。

 

人はこんなにもおおらかになれるものなのか…

 

ちょっと酔ったかな?

私は冷えたカリブーンを、

再び口にはこぶ。

 

という、割と長い白昼夢を見たのだが、

ボクがこの風景とか感覚をどこで仕入れたのか、

全く分からない。

 

ボケたとか、イカレたとか、

そういうことではないと思うけれど 汗

 

「19才の旅」No.10(最終回)

 

 

中年にさしかかった頃、

丸山は、半導体関係の会社へ転職していた。

一時期、彼は松本へ転勤し、

そこで家族と暮らしていた。

 

ボクも東京暮らしに限界を感じていた頃だった。

不健康な仕事のサイクル。

息の抜けない人とビルばかりの都会生活。

そして不安定な経済状態。

 

子供の事も真剣に考え、

そこでボクら一家も早々に東京生活にわかれを告げ、

神奈川の郊外に移り住むことにした。

 

新たな土地での仕事の見込みは全くない。

が、ボクは精神的にも追い込まれていたのだ。

 

いまと違い、当時はまだネットもなく、

ましてフリーランスなど、

誰も鼻にも引っかけないような存在だった。

 

当初は、中目黒の知り合いのカメラマンの事務所に

机を置かせてもらい、

東京の仕事をそこでこなしていた。

そうするうち、運良く

神奈川県内の仕事が次第に広がりはじめた。

 

ボクは中目黒通いをやめることとした。

それはとても不安な決断だったが、

同時に、とても重い荷を下ろしたように、

気持ちが楽になった。

 

松本で支店長として赴任した丸山とは、

よく電話でお互いの状況を話した。

 

「フリーって食っていけるのか?」

と丸山が心配そうに口走った。

「まだよく分からない」

「お前は相変わらず博打のような生き方をするな。

そこは若い頃から変わらない」

「性に合っているのかも知れない」

 

丸山は、転勤先の松本の生活がとてもいい、

とよく話していた。

 

「セカセカしなくなった。

面倒な酒の付き合いも減ったしな。

あと、食い物もなかなかうまい。

冬になると、雄大なものも見られるぞ。

山のほうからタカだかワシだかが、

大きな翼を広げて飛んでくるんだ。

それが空を旋回する。

この光景は都会では味わえない。

なんだかすごく癒やされるんだよ」

 

数年後、丸山は横浜の本社へと栄転し、

肩書きは、系列会社の社長になっていた。

そして半導体を取り巻く世界の事情や、

デバイスに関する話題が増えた。

 

その頃、ボクも会社組織を整えた。

法人としての再出発だ。

そこでは半導体関係の取り引きもあったので、

彼の話題に興味は尽きなかった。

 

そしてお互い、仕事は徐々に激務になっていった。

音信不通が何年も続いた。

 

あるとき丸山から唐突に電話がかかってきた。

どこか、深刻な空気を感じたボクは、

時間をつくり、久しぶりに会う約束をした。

 

数年ぶりに会う彼は、驚くほどやつれて見えた。

(それはこちらも同様なのだが)

 

一通りの世間話のような話の後、

かなり酔ったようにみえた丸山が、

「なあ」と話題を切り替えた。

 

世間はバブル崩壊から全く立ち直ることもなく、

平成の世は相変わらず何もかもが低迷していた。

 

「いま実はオレ、社員のリストラ計画を作っていてな、

リストアップした社員の顔を思い浮かべるたびに、

心底自分にうんざりするんだよな」

 

そして、うつむいてもう嫌だよと吐き捨てた。

 

寿司屋を出たボクたちは気分を転じるため、

ジャズを聴かせるバーへ場所を移した。

 

お互い、もう若くはない。

ムカシのようにロックが鳴り響く店は遠慮した。

話もできないし。

 

店はライブの後らしく、人も引けて閑散としていた。

とても静かな店内に、女性シンガーのバラードが

流れている。

 

「ジャズってなんだか落ち着くよな」

「ああ、確かに。年をとったからかな」

「おとなの音楽、そんなところか」

「そのことをよく考えるんだけれど、

ジャズって、どうも正体が掴めないな」

「そう、ジャズには面倒な哲学があるからさ」

「面倒だ。いまはどうでもいいよな」

「ああ、でもいまはフォークソングよりいい。

フォークは湿度が高い。次回は、吉田拓郎でもいいけれど、なあ」

「そういうことだな」

 

 

酔い覚ましのコーヒーを飲む頃、

丸山がポツンと呟いた。

「戻りたいよな、あの頃に」

「横浜か、いや沖縄のあの旅か?」

「どちらもだ」

「いまは1時間ちょっとで那覇に到着らしい」

「そうか、そうだよな。ジェットだもんな」

「いまどきの船旅って贅沢らしいぜ」

「そういうことになるな」

 

「あの頃はあの頃で、なんだか悩んでいたのにな」

「いま思うと本当に懐かしいよな」

 

「ああ、しかし時間はもう戻せない、

しかも絶対的に止まらないしな」

「確かに。それは絶対的な真理だ」

 

「矢沢も歌っていた、時間よ止まれって」

「みんな思いは一緒なのかな?」

「そうだろうと思う…」

 

世の中が令和に切り替わった頃、

丸山は体調を崩した。

当初、風邪をこじらせたと思った彼は、

町医者に行き、

そこで大学病院へ行け、と言われた。

 

 

 

 

丸山は、いまは墓の下に眠っている。

去年、3回忌だった。

そこは横浜の北部の小高い丘の上で、

近くを国道が走っている。

 

かなりうるさいけれど、

墓のまわりだけは草花が生い茂り、

いろいろな虫も飛んでいる。

 

丸山の墓参りに行くたびに、

いろいろな出来事を思い出す。

そしてボクはこう話しかける。

 

「やっと落ち着けたな」

 

彼の旅は終わったのか、まだ続いているのか。

そんなことは分からない。

 

分かるハズもないけれど、

とりあえず残されたボクはまだ、

旅の途中であることは確かなことなのだ。

 

我々はどこから来て、何者で、どこへ行くのか?

ゴーギャンはその疑問に執着し、創作した。

 

それはとても不思議な絵である。

 

我々はどこから来て、何者で、どこへ行くのか?

ゴーギャンの遙か以前の旧約聖書にも、

この言葉があると言う。

 

結局ボクたちは、

あるいは、

この宇宙の旅人なのかも知れない。

 

それは、生と死に全く関係なく…

 

 

(完)

 

 

「19才の旅」No.9

(前号までの大意)

夢も希望もみつからないふたりの男が、

ゆううつな毎日を過ごしていた横浜の街を脱出。

東京・芝浦桟橋から船旅で沖縄をめざすことに。

時は1973年、8月。

沖縄が米国から返還された翌年のことだ。

ふたりの鬱屈した気分は、海と接し、

沖縄の地を巡るうちに、次第に薄らいでゆく。

19才の彼らはいろいろな事を思い描くようになる。

そして行く先々での出会いが、

彼らに新たな何かをもたらすこととなる。

 

(ここから続き)

 

19才の旅は、こうして終わりを迎えるのだが、

この旅をきっかけとして、

ボクたちのなかの何かが少しづつ変わり始めていた。

それは、遅まきながら、

社会というものを意識しはじめた、

ボクたちの新たな旅の始まりだったともいえる。

 

高校時代につまらないことが重なり、

人生につまずいたふたりだったが、

この旅で、「世界はなかなか広いじゃないか、

ボクたちもなにか始めなくては!」

と気づいたのだ。

 

以来、ボクたちは申し合わせたように、

目的もなく街をふらつくことをしなくなった。

 

そして考えはじめた。

 

自分の将来について考えはじめた。

これから何をめざそうか?

漠然とだが、そんな人生の目標について、

おのおの真剣に考えるようになっていた。

 

翌年から丸山は役者をめざして、

横浜の映画専門学校へ通うようになった。

彼は、以前から役者になりたいと話していた。

ただ、その第一歩が踏み出せなかっただけなのだ。

 

ボクは、卒業した高校へ久しぶりに顔を出し、

卒業証明書を手に入れることにした。

いい加減、アルバイト人生から足を洗って、

改めて大学を受験しようと決めたからだ。

 

それから数年が経ち、

当たり前のように誰もが経験するように、

ボクたちも社会という大波に翻弄されていた。

 

いくつもの紆余曲折があり、

相変わらず毎日毎日、

厳しい「旅」を続けていた。

 

丸山はというと、

いくつもの劇団を渡り歩いていた。

が、次第に月日ばかりが経ち、

その行く先々で、

「なかなか芽が出ない」とぼやいていた。

 

あるとき、彼と自由が丘のバーで会ったとき、

ミラーのビール缶を数缶あけた丸山が、

とても疲れた表情で、頭を抱えてこう言った。

「もう、いい加減に役者やめるよ」

 

「………そうか」

 

彼のいきさつをだいたい知っていたボクは、

そのとき気の利いたセリフなど、

なにひとつ浮かばなかった。

 

その後、丸山は小さな旅行会社で、

見習いのツアーコンダクターをしていた。

新大久保の倒れそうな古いアパートで、

彼は必死に仕事に励んでいた。

 

またあるとき、

彼はめでたく結婚をして中目黒に住んでいた。

丸山は毛皮の販売会社で働いていた。

 

 

ボクはといえば、なんとか大学を出て、

中堅の出版社へやっとのことで潜り込み、

場末の編集者としてのスタートは切れたものの、

3年半もすると心身ともに擦り切れてしまい、

会社に辞表を出していた。

 

その頃、ボクはすでに結婚していたが、

編集者からコピーライターへ、

出版社から広告制作会社へと、

職種と会社の同時転向を考えていた。

 

当然、経済的な基盤などできるはずもない。

 

毎日毎日、新聞の求人欄とのにらめっこが続く。

 

ようやく決まった会社もなかにはあったが、

徹夜ばかりとか、告知した給与に全く達しないとか、

そんな会社を幾つか渡り歩いて、

やっとのことで普通の広告会社に落ち着く。

 

そんなさなかに、長男が生まれる。

(このことはボクの人生において、

とても大きな出来事だった)

なぜなら、自分以外の人の為に働くという意識など、

それまでのボクには考えつかない行為だったのだから。

 

彼はとても元気におっぱいもミルクも飲んでくれた。

それはとても嬉しい風景だった。

 

夫婦ふたりで暮らしていたそれまでのアパートは

当然手狭になり、

広いアパートへと引っ越すことになるのだが、

お金のやりくりはいつも大変だった。

 

預金残高は、いつも危険な状態だった。

(いや、いつも誰かに借金をして

その場その場をしのいでいた)

 

そしてコピーライターとして働き始め、

広告会社を渡り歩くうちに、

気の合った数人のデザイナーと、

赤坂で会社を立ち上げることとなる。

が、一年も経たないうちに、

社内がもめはじめてしまう。

 

嫌気が差したボクは、そんなとき、

ふとフリーランスという新たな道を

みつけてしまった。

そしてせっかく立ち上げた会社をふらっと辞めた。

まあその決断が、

後に地獄のような貧乏生活を招くのだけれど…

 

 

沖縄への船旅で何かに気づいたボクらは、

それからの新たな目標をみつけることができた。

それは、ボクの人生にとっても彼の人生にとっても、

なかなか画期的な出来事だったと思う。

 

しかし、やはり現実は厳しかった。

若かったふたりが描いた将来像とは、

全く違った生活を送っていたのだから。

 

しかし結婚をしても子供ができても、

ボクらは相変わらず飲みに出かけていた。

 

結局、ボクたちはどこか似たもの同士だったのだ。

それは、社会や企業というシステム的なものに対して、

全くついていけない質である、ということ。

 

生来のへそ曲がりという性格も加わっていたので、

まわりに合わせることもできないで、

頑として自分のなかの何かを変えようとはしなかったことだ。

 

それは、幼い頃に持っていた理想の何かを、

潔く捨て切れなかったことだと思う。

 

飲み屋でビールを飲む合間に口を付いて出るのは、

「世の中とか会社というところはホントに面倒だなぁ」

 

(続く)

 

 

「19才の旅」No.8

 

与論島を離れるさいごの日、

ボクと親友の丸山は、

サトウキビ畑のなかを歩いた。

 

唄にあるように、確かにサトウキビ畑は、

風に吹かれて「ざわわ」と言った。

 

サトウキビ畑の向こうから波の音が聞こえる。

 

背の高いサトウキビの葉を、

手で必死で払いながら歩き進むと、

突如として目にまぶしい

白い砂浜が広がった。

 

そこにはもちろん誰もいなかった。

いや、ずっと昔から誰もいなかった。

そう思えるような、

とても静かで時間さえも止まっている、

そんな白い小さな浜だった。

 

朽ちた廃船が、

白い砂に半分ほど埋まって、斜めに傾いている。

破れたボロボロの幌だけが、

海からの強風でバタバタと暴れている。

 

遠く珊瑚礁のリーフのあたりで、

白い波が踊っているようにみえた。

その波の砕ける音が、

遙か遠くから聞こえる。

 

サンゴのリーフの向こうは、

まるで別世界の海であるかのように、

深いブルーをたたえている。

 

空と海のそれぞれに意味ありげな、

ブルーの境界線が、

水平線としてスッときれいに引かれている。

 

そこをなぞるように、

まるで水面から少し浮いているように、

一隻の小さな漁船が、

ポンポンという音をたててボクらの視界に入り、

そしてゆっくりと消えていった。

 

この旅で最後の一本となってしまった、

貴重なタバコであるセブンスターを、

ポケットから取り出して一服することにした。

そして遠くを眺めながら、ぼぉーっとする。

 

こんな時間が存在している。

ボクの知らない空間は、

この地上にそれこそ無数に存在している…

 

ボクは、この旅に出かけた自分と丸山に、

とても感謝した。

 

そしてふと手についた白い砂を眺める。

そのうちの幾つかの白い砂が、

星の形をしていることを発見した。

(ああ、これがあの星砂だ!)

 

とっさにボクたちは、

空っぽでクシャクシャになってしまった

セブンスターのパッケージを再び元の形に戻し、

その白い星砂を必死で探してはより分け、

丁寧にパラパラとはたいて、

セブンスターの空き箱へ入れた。

 

そんな地道な作業を、

一体どのくらいやっていたのだろう。

 

時間の感覚は失せていた。

 

それはまるで、

偶然にも砂金をみつけてしまった旅人が

興奮をあえて抑えながら、用心深く息を止め、

そっと金を採っては集めるという行為に

似ていなくもなかった。

 

その星砂を、

ボクは横浜へ帰ったら、

一度は別れてしまった女性になんとかして渡そう…

そんなことを考えていた。

 

なぜなら、そのときのボクにとっての宝物が、

その星砂であり、その人だったからなのだ。

 

しかしその星砂は数年間にわたり、

ボクの机の引き出しに眠り続け、

日の目をみることはなかった。

 

その後、その女性とは一切会うこともなく、

ボクの人生の軌道修正は叶わなかった。

 

机のなかで眠っていた星砂も、

いつの間にか記憶もないまま、

どこかへ消えてしまった。

 

 

(続く)

 

 

「19才の旅」No.7

 

話は再び、1973年の、

ボクと丸山の沖縄の旅へと戻る。

 

那覇空港の近くでハブとマングースの戦いを

見世ものとしてやっていた。

ボクは興味津々だったけれど、

料金が割と高いので、しぶしぶ諦めた。

 

観た人の話によると、「かなり凄い!

迫力がある。マングースはああ見えて、

なかなか強いからな」とのこと。

 

ハブは沖縄だけど、マングースは

一体どこから連れてこられたのだろう。

妙な疑問が生まれた。

 

その近くでは、

小さいワニの頭部をバックルにしたベルトが、

露天の店頭にずらっと並べて売られている。

 

その光景はかなり異様だった。

 

こうしたイベントやおみやげものは、

その後に開催された「沖縄海洋博」を前に、

すべて打ち切られたとのこと。

 

これは日本だけでなく、世の中の外面は、

だいたいそのようなことが切っ掛けで、

キレイになっていった。

 

が、それらが消滅してしまっのか否かは、

ボクには分からない。

ただ一旦隠れてしまったものは、

もう誰にも文句は言われないので、

制御の働きをするものは取り払われ、

本性だけがむき出しになる。

ハブとマングースの戦いは、

いまもどこかで開催されているのかも知れない。

それももっと高い料金で、

さらに残酷な見世物として。

小さいワニの頭部をバックルにしたベルトは、

その拠点を外国にでも移したのかも知れない。

 

それから数日間、ボクたちは首里城周辺を巡り、

そこから北部へ向かい、

コザのまちを経て再び那覇に戻り、

セスナ機で西表島へ飛ぶため、

空港でキャンセル待ちをしていた。

 

ちょうどお盆休みの時期だったので、

空港もごった返していた。

西表島行きは、何時間待っても駄目だった。

 

いい加減に待ち疲れたボクたちは、

小さな客船が与論島まで行くので、

数時間後に出航するという情報を得た。

 

目的地は違ったがその船に乗ることにした。

そこは船底で窓もなく、

ゴロゴロするしかないスペースだったが、

仮眠している間に隣の与論島へ着いてしまった。

 

 

与論島は、当時はまだ未開発の島だった。

民宿をみつけて、そこでようやくひと息ついていると、

ご主人がわざわざ部屋まで挨拶にきてくれた。

そして食堂にきてくれとのこと。

 

そこで地元の酒である泡盛を飲み干すこととなった。

というより、飲まされたというのが正しい。

 

泡盛を飲み干すのは、

島の歓迎に応えての感謝の意、とのこと。

よって飲み干すのが客の礼儀であった。

 

ここの泡盛はとても強い酒だった。

がしかし、途中で飲むのをやめるとか、

そんなことは礼儀に反する。

 

ボクと丸山は、茶碗に並々と継がれた

その泡盛を一気に飲み干した。

 

着いた草々にアルコール度数の強い

泡盛を飲み干し、

たちまち酔ってしまったボクたちは、

前後のみさかいもないまま、

夜の島をほっつき歩きはじめた。

 

途中、暗闇の先にネオンのあかりをみつけた。

(酔っ払いはネオンに弱い)

ディスコという文字が光っている。

近づくとそこはログハウス造りの建物で、

結構しゃれた店にみえた。

 

ドアを開けると、客がポツポツいる程度で空いている。

誰も踊っていない。

 

島で初のディスコということで、

もの珍しさがウリだったようだ。

 

音楽のボリュームがとにかく異常に高く、

まるで大都会の地下鉄の騒音にも似ていた。

 

会話はできない状態。

 

ボクらはそこでさらに飲んだくれ、

朝方までソウルミュージックにあわせて、

踊り狂っていた。

 

民宿に着くと、倒れ込むように寝た。

が、飲み過ぎと暑さのせいで喉が渇いて、

水を飲むためにたびたび起きてしまう。

結局、よく眠れないまま

夜明け近くになってしまった。

 

船で知り合った、東京から来たという大学生は、

民宿の外の砂浜で寝ていた。

確かに浜で寝た方が海風が涼しい。

 

二日酔いのまま丸山と浜辺を歩いていると、

雲間から朝日が昇る瞬間に出会えた。

 

ボクたちはその突然の風景にみとれていた。

めまいも吐き気も不思議と消え失せていた。

 

遠くの砂浜でヒッピーの男がひとり、

太陽に向かって祈りのような仕草をしている。

 

それから数日の間、ボクらは浜で泳いだり、

島の各所を自転車で巡ったりして過ごした。

宿の天井から落ちてくる大きなイモリに恐怖し、

夜は必ず強い泡盛を飲み、

この異国を巡るような旅に時を忘れた。

 

ふたりの横浜での鬱屈した日々は、

このとき何の跡形もなく、

すでに綺麗に消滅していた。

 

(続く)