明けましておめでとうございます!

 

明けましておめでとうございます!

するっと年が明けてしまいました。

朝から快晴です。
早朝、庭の榊(さかき)の葉を採り、
米と酒と塩とを神棚に供え、
今年一年の祈願をしました。

仏壇に線香をたき、
ご先祖様に新年の挨拶。

こう書くと、堅苦しいようですが、
両親がやっていたことを見よう見まねで、
続けているだけです。

そしてお屠蘇(おとそ)とお雑煮をいただき、
LINEで新年のやりとりとか、
年賀状に目をとおして、
合わずじまいの友人を懐かしんだり、
近況報告をいただいたりと、
いつもとちょっと違う時間です。

午後は近所の鎮守さまにお札をもらいに。

ついでに陽射しの川沿いを歩いて、
サギが飛ぶすがたやカモが泳ぐ池をのぞいて、
やれやれと帰ってきました。

若い頃は家に居たくなくて、
年越しはいろいろなところへ出かけました。

新宿や渋谷での年越し。
横浜港近くのクラシックホテルで
汽笛をききながらの年越し。
歩いての年またぎ箱根越え。
富士の麓で極寒に耐える年越し。
東名高速を走り続けての年越え…
(なんかスケールが小さいですね)

そうこうしているうちに年をとってしまい、
家がいちばん良いと思うようになりました。

で、両親がやっていたことがいつのまにか習慣になり、
それは正月だけでなく、日常のいろいろな場面でも
同様のことを続けるようになりました。

ボクは生まれてから十数回引っ越しをしていて、
いつの間にかふるさとと呼べるところも、
遂になくなってしまいました。

よって浮き草のような旅人のような人生観が、
いつの間にか身についたようです。

だからなのか。
何か確かなものを欲していて、
それが先の慣習なのかも知れない…

アイディンティティーの拠り所となっているようなのです。

さて、いま日本の人口はどんどん減り続けているそうです。

現時点で山積する諸々の社会問題も、
今後はさらに加速すると予想されています。

たとえば、近所の荒れた休耕田をみるにつけ、
農業も危機ではといらぬことも考えるようになりました。

と知ったところで、ボクたちにできることは限られている。
守りたいものすら見過ごしてしまっている状態です。

待ったなしの状態ですが、大きな視点からの問題は、
彼ら(政治家や行政なんですがね)に期待するしかない。

彼らが鳥の視点なら、
ボクたちは虫の視点で、
盲点に気づくように、
目を凝らすしかありません。

できることからひとつひとつ。

些細なものでも積み重ねれば、
いずれは歴史となります。

これってとても大事なことのように思います。

自分がたまたま生まれ育った国ですが、
実はたまたまとか偶然なんてない。

そこには100㌫の必然しか存在しない。

それがボクたちの存在理由だと思いたいのです。

 

 

江ノ島のサザエ(その2)

 

 

忙中閑あり。

雑用を投げ出して江ノ島をぷらついてみた。

結果、どこもとても混んでいる。

 

おおげさに言うと島中が人だらけ。

インバウンドの外国人がやたら目に付く。

きっと日本を紹介するサイトや冊子などに、

江ノ島が載っているのだろう。

 

 

 

ところで江ノ島か江の島か?

諸説あるらしいが、今回は江ノ島でいきたい。

 

久しぶりに海の幸でも食おうと思ったが、

サザエのつぼ焼き¥1700円で萎えた。

とても小柄なサザエがふたつだよ?

 

腹の足しにもならない。

で、ボクはサザエのあの先のほうの黒いのが、

どうしても食えない。

 

我にかえったボクは、そもそもサザエって、

好きでも嫌いでもないということに気づき、

その場を去った。

(勘だがサザエってむかしほど捕れないのかねぇ、

きっと貴重な海のダイヤモンドなのかも知れない)

 

で、やっすい江ノ島バーガーで済ます。

確か¥1200だったかな?

さつま揚げとしらすがなかなか。

空腹だったので助かる。

 

ついでに江ノ島コーヒーというのもいただいた。

こちらは完熟豆で香ばしいとの触れ込みだが、ボク的に味はフツー。

 

 

あとはとにかく高い。

インフレに加えて、観光地価格でしょ。

が、こうした観光地では皆、ケチなことは考えない。

店はどこも客でいっぱいなのであった。

(ここで自虐的に己のセコさに笑ってしまったが)

 

10代で初めてクルマを手に入れたとき、

江ノ島を訪れたことを思い出した。

振り返ると、あのころ江ノ島って閑散としていた。

 

だだ広い駐車場には、神奈川、東京、千葉の走り屋たちが

集まっていたくらいで、山の上にのぼる人もとても少なかったと

記憶している。

 

 

当時の湘南の人気スポットは、

葉山の茶屋とか材木座海岸のタダのパーキング、

七里ヶ浜あたりで寝そべったり、

鵠沼海岸・茅ヶ崎のサーフ・ポイント近くのお店とか。

 

とりわけ逗子の渚ホテルと江ノ島の対岸にあった湘南ホテルは、

もういまはないけれど、みんなの憧れでもあった。

 

で、ときは流れて時代が移り変わり、

寺社仏閣巡りが流行りはじめて、

御朱印帳を手にした方々が、

鎌倉を始め、湘南各地に眠っていた各所に、

訪れるようになった。

 

現在、江島神社の社殿にまつられているのは弁天様で、

それはいまもむかしも変わらないのだけれど、

以前はカップルで来ると弁天様が焼きもちを焼いて

わかれると言ういわれのようなものがあったので、

誰も彼女を連れてきたりはしなかった。

 

 

が、いつの間にかいまは「縁結びの神」だそうなので、

まあ、どこもカップルだらけなのであった。

(ポジティブな効果のほうが人は集まるよね)

 

江ノ島をフルに歩くとけっこう疲れるけれど、

海を眺めながらだとそれほどでもないから、不思議。

(この日ボクの歩数計は軽く1万を超していた)

 

 

また、山の上の灯台よこのサムエル・コッキング苑は

夜はライトアップされていて、とても幻想的なのでおすすめです。

(シーキャンドルと言うそうな)

年明けよりは更に混むだろうから、行くなら年末!

 

この一年の自分に感謝の意を込めて、

サザエでもどうですかね?

 

 

 

なぜTVは衰退してしまったのか?

 

 

最近のテレビのコマーシャルって面白くない。

年々つまらなくなっている。

その原因が商品・製品にあるのか、

それともコマーシャルをつくる側にあるのか?

いくつかCMをチェックしてみた。

 

で、気づいたのは、

無機質かつ損得訴求広告が多いこと。

よく言えば無駄がない。

 

そこにはもちろん、

愛も青春も勇気も感動もなければ笑いもない。

驚くほど物質的である。

 

悠長なむかしのコマーシャルは、

愛も青春も勇気も感動も笑いも、

つくる側が必死にひねり出して、

そこにひとつのものがたりを描いていた。

 

いま、そんなCMはほぼ駆逐されてしまった。

 

いまという時代は皆、

テレビCMにそんなものを求めていない。

知りたいのは機能であり価格であり、

それが受け手にとってどのくらい得なのか、

そういうことらしい。

 

要するに、テレビCMは動くチラシになったのである。

新聞に挟まっているチラシ…あれだ。

(世知辛い世相の合わせ鏡のようにも思えてくるのだが)

 

で、肝心の番組なんだけれど、

以前からいろいろいと指摘されているように、

相変わらず中身の劣化が激しい。

どこもアイデアが出尽くした感があり、

おおむね似たような番組ばかり。

このあたりもテレビの凋落の一因になっていると思う。

 

クイズ、食べ歩き、バラエティー…

そしてつまらない芸人のオンパレード。

良質の番組も散見されるけれど、ごくわずか。

あとは、エンドレステープのように流れる番組が、

ボクたちの思考を鈍らせる。

 

おおげさだけど、人生って短い。

時間は限られているのだ。

 

むかしの話だけど、あるキー局のバラエティー担当のディレクターと

打ち合わせる機会があって、そのディレクターは昼の番組をもっていて、

2度目の打ち合わせのとき、「○○ちゃん、この時間にテレビ観ているやつって

なんにも考えていないから、そこ外さないでコピー考えてよ。テキトーに!」

とアドバイスされた覚えがある。

(若いボクには衝撃だった)

 

とここまで書いて、ボクはテレビをリアルではほぼ観ない。

たまにニュースをすこしだけ観る程度で、

あとは観たい番組のみ録画している。

 

そこに映ったいくつかのCMを元にこれを書いている。

よってこの記事もボクの単なる感想に過ぎないのだけれど、

数字の裏付けだけはある。

 

それは広告費の統計の推移である。

広告枠の価格もだいたい把握できる。

また広告出稿企業名などをざっと眺めているだけでも、

あらかたの傾向・推測がたつ。

 

新聞に続き、いまテレビの凋落が表面化しているのは、

前記の状況に加え、ネットというライバルの存在が外せないのは、

周知の事実。

それは数字に如実に表れている。

 

XやYouTubeやインスタグラム、

ニコニコ動画の他、Netflix、フェイスブック…

挙げればキリがないほどメディアは増え続けている。

 

ボクはテレビにも頑張ってもらいたいと思う。

が、如何せん前述したような状態なので、

なかなか難しいと思う。

(ボクがテレビを観なくなった原因もそこにある)

 

さらに新聞は深刻で、報道のスピードや正確性に於いても

前時代的なので、もはや手のつけように思える。

 

オールドメディアなどと呼ばれる所以だ。

 

オールドメディアはその名が示すとおり、そろそろ寿命なのだろうか?

立て直しなど、単なる延命処置にしかならないのだろうか?

 

 

さて、今日もボクはテレビをつけていない。

もちろん新聞も取っていない。

が、なんの不自由もない。

(ここが問題なのだが)

 

ボクが、いやボクらがいまメディアに求めているのは、

偏りのない報道であり、

真実の追究であり、

ものごとの深掘りであり、

こころの揺り起こしであり、

笑いであり、

感動を呼び起こすものがたりであり、

そしてなにより「自由」なのだ。

 

オールドメディアにはそれらが決定的に欠如している。

(もちろんネットも同様の事象が数多く見受けられるけれど)

 

オールドメディアの衰退の主因は、

そのあたりにあるのではないだろうか。

 

だから寿命が尽きてしまうのだ。

 

トランプのアメリカは蘇るのか?

 

アメリカは、トランプで決まり。
下馬評どおり、オッズどおりだった。

(オッズはアメリカの賭けサイトで、みんな自らの現金をかけているので
情勢の分析は真剣で、偏ったメディア情報よりずっと正確だと思う)

が、日本のメディアは連日、民主党のカマラ・ハリスとトランプが接戦と報じていた。

これは、アメリカの偏ったメディアの情報をそのまま垂れ流していたに過ぎない。

まぁそれが日本のテレビの現状なのだ。

本当のことなどどうでもいい。
真実の報道などというものは、
この国では軽んじられているのだから…
ということになる。

アメリカはいまインフレが酷い。
原因はバイデン政権にある。
カマラ・ハリスは、現副大統領である。

選挙期間中、彼女は政策らしきものを
なんにも披露しなかった。
バイデン政権の踏襲ともとられた。

というより、急遽大統領候補となった彼女に、
政策などというものを練る時間もなかったのか?

バイデン政権は移民政策も推進していたが、
ついでに不法移民も大量に入れてしまった。
(不法って、理屈抜きで良くない訳です)

しつこいが国境を開放したのはバイデン政権であり、
その直接の国境担当がカマラ・ハリスだったので、
まぁ何をか言わんやでしょ?

こうした報道を日本ではいっさい流さない。
(が、現地の人たちはこうした状況を肌身で感じてる)

インフレも同様。

アメリカの有権者はよく見ている。馬鹿じゃない。

では、いっぽうのトランプ氏はどういう人物なのか?

日本の報道から垣間みえる彼は、
横暴で自国のことしか考えない、
他国はどうなったって知ったことではない、
というような人物である。

これは本当なのだろうか。
また、彼が日本に与える影響はどんなものなのか。

アメリカは現在借金でにっちもさっちもいかない状態であり、
この先もこの超赤字財政は解消しないのではないか、
というのが本当のところなのだが、
なにをどう間違えたのか、誤魔化したのか、
S&P500に代表されるアメリカのインデックスファンドなどは、
いっけん好調を続けているようにみえる。

この化けの皮が剥がれるのがいつなのか?
それが問題なのだが、ここに注目している人は、
かなりの少数だと言われている。

このことをトランプも、もちろん承知している。

彼は、諸外国に高い関税をかけて、
この難局を切り抜けようとしているのか。
が、時既に遅し。
いまの状況では、いつ恐慌がおきてもおかしくないと囁かれている。

日本のテレビや新聞、名だたるネットメディアをみても、
そんなネガティブな話はいっさい伝わってこない。

が、トランプの周辺からはこうした情報が語られている。
(怖いですよね)

また、トランプはああ見えて、戦争が嫌いな人物である。
前回の大統領の任期中でも戦争は控えていた。
(バイデン政権では戦争ばかりやっていたけれど)

では彼はなぜ、ああみえるのか?

横暴で自国のことしか考えない、
他国はどうなったって知ったことではない、
というような人物であると。

これがたとえばだが、
メディアのつくりだした虚像だとするとどうだろうか?

メディアだって食っていかなくてはならない。
稼がなくてはならない。

よって、正義や真実とはほど遠い情報だって、
すました顔で大量に流したりしている。

よってある意味、現在のメディアは、
自ら公共性を毀損している。

Q.ではそもそもメディアとは何なのか?
A.強大な権力です。

Q.メディアって誰のものなのか?
A.少なくとも私たちのものではないことは確かなことのような気がする。

Q.メディアの経営はどうなっているのか?
A.ここはお金の流れなどを追っていくと
かなり視界がクリアになるのだけれど、
膨大な時間と情報リテラシーが要求される。

話を戻そう。

実際トランプは嫌われているのは事実なのだが、
ではそれはいったいどんな相手なのか?

これもこたえは簡単至極。

彼の政策と利益相反する企業やそうした集団、
立場の人間たちである。

先に、彼は戦争が嫌いだと書いたが、
さぁ、利益の相反する相手とは?

そういうことなのである。

さて、このままトランプが大統領になると、
きっと日本製品にも高い関税をかけるのだろう。
(アメリカは世界一の消費国だからマーケットもデカい)

日本だけでなく諸外国もその回避策として、
工場をアメリカに移転するとか、あれこれと対策を練っている。

トランプはアメリカを再び蘇らせると考えているのだ。

ここでよく世間では、
アメリカファーストと叫ぶトランプを悪く言うが、
日本の政治家が外国のためにあくせくしていたら、
みんな怒りますよね。

日本の政治家にはジャパンファーストでいてもらいたい。

当たり前のことなんですがね。

で、このままいけば、2025年の1月20日にトランプ政権が誕生する。
予想では、戦争、紛争はとりあえずは減る。

が、景気、とりわけ日本の経済状況はよくみえない。

分かっているのは、トランプ次第で日本もその余波を受けるということ。
これは明白なのですね。

日本もそろそろ独立自尊の道を模索する時期にきている。

それはとても良いことだと思うのだけれど…

 

 

怒りの総選挙

 

選挙も終わり、みんな本気で怒っているのが分かった。

よって自民・公明ボロ負け。

立民、国民民主、れいわが伸びたけれど、

とりわけ立民は訳あり。

この党が決して良いわけではなく、

自民とかへの批判票という意で、

行くところがない迷子の行く先が立民なのであった。

しばらく政界は混乱が続くのだろうが、

ボクたち平民は粛々と以前と変わらずの生活が続く。

にしても、最近は情報もかなり多様かつ深掘りになってきたので、

ロクでもない人間が多数政治家になっていることが分かった。

政治家って志をもってなるもの、ではないのか?

金儲けなら、人に迷惑をかけず、ビジネスをめざせばいいのに。

そんな彼らに街も自治体はもちろん国なんて到底任せられませんね。

早急に消費税下げてくれないかな?

社会保険料って高すぎやしませんか?

この30年、たいして給料もあがらず、

物価も諸外国に比べればまだ上昇率は高くはないけれど、

税金と保険料は容赦なく上げてます。

もちろん省庁も政治家と同類で、どこを向いて仕事をしているのか?

ホントにこの国のことを真剣に考えている人間の登場をみんな待っている。

世界も混沌としている。

乱世である。

が、この日本にも、

乱世を駆け抜けてくれそうな政治家がちらほらと出てきている。

淡い期待だけれど、いまはその数人の動きに注目している。

そして、そろそろアメリカ大統領選だ。

来月から映画も顔負けのスペクタクルが続きそうだ。

世界はリンクしている。

 

東京ファッションレポート

 

諸用で久しぶりの東京。
新宿から山手線に乗る。

行き先はたった4駅先の恵比寿なのに、
このわずかな時間に新たな発見があったので、
この際共有しようと書いてみた。

まず驚いたのは、ホームで電車を待っている5人に一人ほどが、
外人さんだったこと。
欧米系の方、激増ですね。

次いで驚いたのが、皆さんのファッションの奇抜さです。

もちろん、日本の方も含めてです。

今日はここ中心に話しを進めたい。

 

●気になるファッションその1

気がつくと、座っているボクの前にヌッと立ち尽くしている人がいて、
背は180センチくらいあるかな?
骨張った顔はとても男らしく、銀髪のロングのカツラをかぶっている。
顔にわずかなファンデーションが施されていて、
がっしりとした肩幅の身体に、
スパンコールのようなワンピースをぶら下げている。
超ミニ丈。
あらわな太ももには、紫のできものがいっぱいできていて、
彼は?彼女は、まわりを気にするでもなく、
つり革につかまって、
窓の外の一点に焦点を合わせている。
その姿がなんだか凜々しいのだ。

 

●気になるファッションその2

小柄な女の子がひとり、巨大なリュックを背負い、
スマホで動画を鑑賞している。
全くサイズの合っていないブルージーンズがちょいイマドキなんだけど、
メンズのLLサイズなのかな?
如何せん、やりすぎ感が高じてズタ袋をはいている状態。
ふーせんジーンズ? で、裾はメチャひきづるくらい長いのを、
赤い洗濯バサミのようなものでテキトーに留めてあり、
一部が床に垂れて引きずっていて、ボクは「ん?」と思ったね。
こういうのってかっこいいのかな?

 

●気になるファッションその3

帰りの山手線で。
陽も落ちて窓の外にネオンが光っている。
社内は混んでいて、ボクはいったん降りて車両を移動。
ちょっと空いているドアに滑り込んだ。
ひと息ついて反対側のドアに目をやると、
全身黒ずくめの小柄な男とおぼしき人間が、
ドア横の壁にぴったりと張り付いていてピクリとも動かない。
車両が大きく揺れても、彼?は微動だにしない。
その黒ずくめは、ちょうど外国映画に出てくる
悪魔の儀式に集まる人の衣装にそっくりで、
つなぎの帽子のようなもので顔面・頭部を覆っている。
「何者だ!」とボクは心の中で叫んだね。
手には楽器ケースのようなものをぶら下げている。
仮装パーティーの帰りで、会場でクラリネットでも吹いていたのか?
(せめて着替えろよ)

 

●気になるファッションその4

その女性は欧米系で、確か渋谷で下りたような気がする。
階段を上る姿を見て驚いたのだが、
きちっとした白いジャケットの下はスパッツのみ。
それがなんというか薄すぎたため、この日本に於いては、
如何せん刺激が強すぎた。
その薄くてピンク色のスパッツ姿って、ほぼ下着だろう?
と、まわりをみても誰も驚いたりしない。

↑それが東京の流儀なのだよ、おっさん!
とまわりに諭されているようで、
返って自分の反応を恥じなければならない気分になる。

誰もまわりに無関心を装うのが東京流。

んー、なんだかよく分からないけれど、
手強いなぁ、最近の東京。

もうついて行けないし!

 

※今日の画像は失敗作ですな。チャットGPTがボクの要望を受け付けない結果がこれです。

 

雨の日に想うこと

 

朝から雨の土曜日は最高だ。

とても落ち着く。
雨か、しょうがないね。
などと独り言をつぶやいたりして、
だらしなくごろごろしていられる。

こんな日は、バタバタしないで
ゆっくり読書をしたり音楽を聴いたりして、
平日とはまた違う日が過ごせる。

(前記に続いて天気の話になってしまった)

 

以前は、土曜日になると
一週間でやり残した仕事の整理や、
それに付随したことに時間を費やしていた。

また、土曜日でも早朝から陽が出ているのに気づくと、
食事前にさっさと歩いたりしていた。

が、もうあくせくするのはやめようと思った。

雨を言い訳に室内で過ごすのも悪くないことも、
うすうす感ずいていた。

最近では、じっくりとものごとを考える時間が減っている。
それはボクの致命的な悪習慣でもある。

とにかく情報の洪水のなかにあって、
それらを遮断するのは容易ではないし、
どうしても流される自分にも嫌気がさしていた。

主に机がボクの本来の場である。
企画書や文章で食っているのに…

にもかかわらず、ボクはフィールドワークが、
たまらなく好きなのだ。

そもそも写真家が第一志望だったこともあるし、
ひょっとして職業の選択を間違えたのかなと、
いまさらながら深層で考えているフシがある。

という訳で、今日は気づきの多い、
土曜日の雨の日だった。

大雨による災害が頻発している。

なんだか空気を読まない投稿になってしまって、すいません!

 

明日は晴れるかな?

 

 

考え過ぎか分からないが、最近、変な天気が続いている。

気温も異常に高い日が続いた。

また、天気予報で晴れと言っても土砂降りだったり、
またその逆もあったりで、
まぁ予報自体が当たらない。

ボクもこの夏、台風とか線状降水帯とかの予報で、
信州行きを1度キャンセルしたが、
結局のところ、現地は通り雨が降っただけだったらしい。

翻って、能登の雨はホントに酷い。
家もクルマも流され、どうしたらいいんだろうって、
他人事ながら考え込んでしまう。

まだ復興半ばだというのに…

 

とにかく、最近の天気は異常だ。

 

 

YouTubeで知ったが、土の時代から風の時代へ変わったとか、
地球の地軸がズレ始めたとか、けっこうみんな妙なことを言っている。

ボクは個人的にだけど、最近の月や太陽が
以前より明るいのではないかと感じている 汗

こんな言い方をするとコイツ変じゃないかと言われそうだけど、
むかし行ったことのある赤道直下の島々で浴びた陽射しと、
最近の日本の陽射しが、ほぼ同じ感じなんだよね!

うーんこの感覚、伝わるかな?

湘南の真夏とも違う、与論島の強い太陽光線とも違う、
南太平洋でしか感じられないあの刺激なんです。

白い太陽光線とでも言おうか…

で、山の別荘も例年になく売れているそうで、
いつもなら敬遠される標高が高すぎる物件もどんどん売れ、
超品薄状態との情報。

このままだと関東地方の夏も熱帯化しそう。
だけでなく、列島の平地がすべて高温化するのだろうか?

という訳で、いまボクが目をつけているのが、
八ヶ岳南麓の標高1000~1300メートルあたりの物件か、
佐久平あたりの山の中の古い小屋。

その話を、先日友人に熱く語ったら、
「その年でお前は少しイカれている」と言われてしまった。(年不相応)

むかしからまわりとズレているのを、自分でも感じてはいた。 笑

よって、その友人のことばに別に驚きもしなったが…

 

友人のライブへでかける

 

友人と言ってもボクよりずっと年下で、

まだまだ若い。

彼は、ブランド服の販売のプロなのだが、

なんだか性格が自由過ぎて、いままでに3度くらいかな、

職場をクビになっている。

 

忙しい職場が嫌いで、いつも妄想に耽り、

詩をつくったり絵を描いたり、

ギターの練習をしたりしている、らしい。

 

ライブハウスは小田急線の百合ヶ丘駅近く。

古いビルの地下だった。

ボクは閉所恐怖症なので、3時間近くいたけれど、

正直、少し息苦しかったような気がする。

 

この日、彼の歌とギターをはじめて聴いた。

詩が繊細でいい。

メロディーもギターテクニックもなかなか。

うぬぼれるからあまり言いたくはないけれど、

ちょっとボブ・ディランを思い出してしまった。

 

歌う格好も、1960年代に流行ったような、

ヒッピースタイル。

なんか笑ってしまった。

 

が、歌もファッションも

彼の手にかかると決して古くない。

感覚は鋭く、むしろ最先端なのではないか。

 

こんなひとときを体験すると、

こちらも不思議な感覚を得られる。

 

最近、レコーディグも済ませ、

オンラインで有料配信をすると聞いた。

 

最初、彼の絵を見せられ、

惚れ込んで個展をひらいた。

なかなか好評だった。

 

作品のタッチは、

やはりアメリカの60年代のにおいがぷんぷんしていて、

パワフルかつショッキングカラーで仕上がっている。

 

彼と待ち合わせると、必ず遅刻する。

何度目かに、遅れてきた彼に説教をしたら、

緊張すればするほど遅れてしまうという、

意味がよく分からない言い訳を涙目でしていたので、

ボクはあぁと理解した。

 

ボクも幼い頃は多動性っぽかったし

閉所恐怖症だし、

まあ人はいろいろなのだと

いつも思っている。

 

とにかくアートって楽しい。

くだらないこころの壁を

なんなく乗り越えてくれるからね!

 

↓彼の作品

 

 

それでも地球はまわっている

 

夜中にiPhoneから突然の警報音。

警戒レベル4ということで起こされる。

危機迫るのか?

 

外から激しい雨音が聞こえる。

そういえば夕べは停電にもなったなぁ…

 

ウチは神奈川県厚木市。

高台の住宅地なので河川の氾濫は関係ないが、

スマホの地図をみると、

近くに土砂崩れの警戒区域がある。

 

で再度我が家の立地と地形などを思い起こし、

大丈夫だろうと結論づけ、再び寝る。

 

警報音は朝方まで3回鳴った。

 

ウチの奥さんはぜんぜん眠れなかったと、

翌日2度寝をしていた。

 

夜が明けても土砂降りは続き、

今度は厚木市からの警報音。

 

いずれ先日の緊急地震の警報音より

デカい音量なので、その音自体に驚く。

 

テレビをつけると、新幹線が運休、

東名高速が通行止め、○○川が氾濫とか

なんだか緊急事態なのである。

 

ボクは予定を変更して、

普段は時間がなくて聞けない動画をまとめて視聴。

読みかけの本の何冊かを読み進めることができた。

 

で、あいた時間にSNSをいくつかチェックしてみると、

今回の台風のことのほか、

自民党の総裁候補のこと、アメリカの大統領選挙の話題、

ウクライナ戦争、イスラエルによるハマス攻撃の現状、

果ては大地震が迫っているとか、

なかなかドキドキさせてくれる話が満載なのだ。

 

これらを高速で読み飛ばし、

関連動画を2倍速でチェックし、

昼飯を食って昼寝をする。

 

気がつくと外の雨は相変わらずだけど、

普段の雨となんら変わりない。

 

風はおだやかに吹いている。

 

思うに、なかなかたいへんな時代を

ボクたちは生きているのかと考える。

 

先の戦争はボクの父母の時代だった。

 

父は満州で戦い、ソ連の捕虜となり、

戦後数年経過してようやく帰国したという。

母は、戦中、横浜の畑で

アメリカの戦闘機の機銃を浴びるも、

なんとか運良く生き延びたと聞いた。

 

父母は多くは語らなかったが、

その一生を思うと辛くなる。

 

ボクの時代はいずれ検証される。

だけど父母の時代に比べればなんてことはない。

たいしたことはない。

(例外はいくつもあるにせよ)

 

にしてもだ、

いつの時代も

安息などというものは存在しないではないか?

 

いよいよ腹が立ってきた。

 

ボクは、もう時間がないから良いとしても、

息子や娘、そして孫の未来を想像すると、

まだまだ動かなくてはと、

気がせいでしまう。

 

がしかし、

いつもそんな想いを残して、時代は移り変わる。

それでも相変わらず地球はまわっている。