ジャズ喫茶「ノイズ」のこと

 

町田にノイズというジャズ喫茶があって、

でかけるとちょくちょくコーヒーを飲みに

行ってたんだけど、

突然なくなりまして、狼狽えました。

唯一の憩いの場だったのに…

 

ここは、昔ながらのカフェオレにピザトーストが食えて、

えっと、カフェラテじゃなくカフェオレ。

ここ大事。

 

いまどきのコーヒーショップはどこへ行っても

チェーン店ばかりで、

カフェオレくださいっていうと、

決まってカフェラテですかって

返答するんだよね。

イラッ!

カフェオレとカフェラテの違いくらい

知ってるよっていうの。

 

そういうんじゃないの。

まあいいや、腹立つなぁ。

 

ノイズは、最初から灰皿が普通に置いてあって、

いまどきの風潮を端っから無視している。

店内の音響はまあまあ。

で、スタンゲッツとか、

とてもいいアーティストがアナログで

店内に鳴り響いていて、

客層もみなラフな中年が多くて、

とてもリラックスできる。

 

コーヒーカップは肉厚のでかいやつ。

だいたい分かりますよね?

で、話しちゃいけないとか、

そんな超マニアの集まる

クソうるさい店でもなくて、

雰囲気は、超カジュアル。

ただ、店のある場所が

ギャルファッションが集まっているビルの最上階。

行きづらかったのは確かだった。

 

ネットで調べたら、店の再開めざして、

クラウドファンディングやっていた。

頑張って再開して欲しい!

下北沢の1号店もすでにないし、

やはり時代の趨勢なのかねぇと、

感嘆ひとしきり。

 

にしても、町田のノイズがオープンしたのが、

1980年だから、

なんだかんだで40年弱生きながらえてくれた。

また、あのピザトーストが食いたい、

あのカフェオレが飲みたい、

で、あのパイプ椅子で、ジャズが聴きたい。

 

最近では、こんなことばっかり言っているオヤジのこと、

エア読めないとか、

ワガママとか、

遅っくれているとかってよく見聞するけれど、

他人の青春をバカにする権利は誰にもないから、

放っといくれっていうの!

 

 

 

あやしい心理研究所

 

○○心理研究所って看板をみたら、

そしてそのビルがとても古かったりしたら、

その時点でなにかうさん臭いものが漂っています。

負けず、私はその研究所のブザーを鳴らしました。

 

とてもおだやかそうな白衣を着た、

そうですねぇ、年の頃なら40代とおぼしき

横分け頭の研究者らしき男の人があらわれ、

「××さんですね、さっどうぞ中へ」

と促され、中へ足を踏み入れる。

 

古い緑色のソファに座る。

「少し、待っていてくださいね」

やさしそうな笑顔はそんなにあやしそうではなかった。

 

ソファの前の本棚には、やはり心理学とか臨床…とか、

ハードカバーの書籍がずらっと並んでいる。

その部屋には私以外、誰もいない。

 

隣の部屋は、医者でいえば診療室みたいなものらしく、

女性の相談者が延々となにか話している。

話の中身は分からない。

が、とうとうと何かを訴えているようなのだ。

先生とおぼしき人の相づちだけが、規則正しく聞こえてくる。

 

15分ほどして、その患者さんも納得できたようだ。

先生のボソボソっとした声が聞こえ、

女性の笑い声が響いた。

なんかこっちまでほっとしてしまう。

 

ふたりの足音がこちらへ近づいてきた。

終わったようだ。

茶色のロングヘアの女性があらわれた。

やせ型の美しいひとだった。

続けて先生らしき人が、にこにこしながら、

小さな化粧品のボトルのようなものを、

その女性に手渡した。

 

にこっとして「いつものですね?」と言って、

それを受け取る。

とても自然なやりとりにみえた。

 

と、ここまで書いて、

この話はながーくなりそうなことに気づく。

私がなぜこの○○研究所にでかけたか、

という事情はやたらプライバシーにかかわるので、

割愛させてもらう。

いや、のちほど話すけどね。

 

私は、この研究所で出している、

小さな化粧品のボトルに入っている「水」について

書きたかった。

 

「この水は、一見水ではありますが、

私たちの知っている水とは全く違う水です。

味はもちろん無味無臭です。分子構造が全く異なります。

大事に扱ってください。必ず冷暗所に保存してください。」

………

ということなのだ。

 

この水の値段は、一本¥18,000もする。

とても高価なものなのだ。

 

毎食後に数滴なめる。

それだけで、あらゆる症状を軽減させる効果がある。

おっとなめる前にボトルを20回ほど振る、

という儀式があった。

これをやらないと効果があらわれない。

これは、先生とおぼしきひとが言ったことだけど。

 

私は、この水を合計3本購入した。

1本なんかあっという間になくなってしまう。

 

あるとき、この水について考えた。

そのときビールを飲んでいたので、

ボトルをさんざん振り回して

ヤケクソでとくとくとジョッキにたらし、

贅沢に飲み干した。

 

それ以来、その水を買うのをやめた。

そのうち、仕事が忙しくなって、

水のことはすっかり忘れていた。

その研究所のこともすっかり忘れていた。

私の症状はすっかり改善していた。

 

それはとても単純なことで、

辛い貧乏を脱出できたからだった。

簡単にいうとそういうことだと思う。

あんな高価な水の費用を

ひねり出す苦労もなくなった。

 

稼いだお金で、アパートを引っ越した。

今度は、縁起の良さそうな部屋だった。

 

実は、私はてっきり「うつ」だと思って

その研究所を訪ねたのだが、

よくよく思うに貧乏だった、

それしか分からない。

 

うーん、いまでも自らの症状も、

そして突飛な行動も、

全く分析できないでいる。

 

もう30年もむかしのこと。

 

 

金縛り

 

夜中にふと目が覚める。

 

ちょっと驚く。

いつもはそんなことないから。

 

ふとんをかけて寝ようとすると、

なにかがおかしい。

身体が動かない。

ウッと唸ってしまった。

 

どうもベッドのまわり、

部屋の気配が

いつもと違うことに気づく。

 

誰かがいる。

そう思う。

 

そういえば、

少し前にすーっすーっと、

スリッパを擦る音がしたことを思い出す。

 

動かない身体が、

余計に固まってしまっていた。

 

横向きで寝ていたので、

その何者かは私の背後にいる。

目だけは動くので、

目の前に誰もいないことは、

確認していた。

 

どのくらい経っただろうか?

数分間。

いや、ほんの数秒なのかもしれない。

身体は相変わらず動かない。

特に首と腕が顕著だ。

いくら力を込めても全く動かせない。

 

そうこうしているうちに、

今度は、

全くそれを怖がっていない自分に気づく。

 

(おふくろだろう?)

 

その勘は、瞬間的に確信へと変わっていた。

何も話しかけてはくれない。

触れもしない。

 

だけど、じっとこちらを見下ろしているのが、

笑顔で慈しむように見守ってくれているのが、

分かった。

 

この場合の分かった、というのは、

客観的に検証すれば、

私の思い違いなのかも知れない。

そんなことはどうでもいいことと、

いまでも思う。

 

(おふくろ!)

 

声が出ない。

 

もう一度だけ、顔がみたいと思った。

なんだかあったかいものが溢れ出て、

止まらない。

それがほんの一瞬だったのか、

とてもながい時間だったのか、

いくら思い返しても分からない。

 

そして身体がふわっと緩んできた。

 

(相変わらず水くさいなぁ、おふくろ)

 

友人からきいていた金縛りってこれかと、

なんだか深く納得してしまった。

そして、涙を拭いて、

ふとんを被った。

 

むしろというべきか、

サッパリとした心地になっている。

 

(おふくろ、ありがとう)

 

こうしてなにごともなかったように、

朝までよく寝た。

 

3年前の初秋こと。

 

 

カッコイイおとこの見分け方

 

小さなカバンひとつでどこへでもでかける。

そんな人を知っている。

近県でも海外でも荷物の量は同じ。

そこにどんな工夫や技があるのだろうと

あれこれと詮索するが、分からない。

 

着替えは? 髭剃りとか洗面道具は?

暑さ、寒さ対策はどうしているのか、

いろいろ想像するけれどね。

 

山歩きなどでリュックを背にする。

私の荷物は必ず重くてかさばる。

いろいろと詰め込み過ぎだと分かっていても、

それが最低必要なものと思っているから、

結果、いつも荷物が重い。

かさむ。

 

その度に反省などもするし、

今度はこうしようなどと改善を検討するのだが、

だいたい次回も同じ失敗に陥る。

さらに悪いことに、

必要なものを取り出そうとリュックを開くも、

それがなかなか見つからない。

相当に手間取る。

捜し物をがどのあたりにあるのか、

そもそも全く把握していない。

すっかり覚えていない。

 

そしてさらにまずいことに、

特定のところしか探そうとしない、

他は関知しないという癖が祟って、

結果捜し物がみつからないことが多々ある。

 

こういう自分に、結構うんざりしている。

 

ずっと以前、数人でイタリアに行ったことがあるが、

そのなかのあるおとこの荷物は極端に少なく、

私の大型スーツケースの3分の1ほどのバックのみで、

あとは、カメラの機材関係の荷物だけだった。

帰国して気が付いたのは、

私は、持って行った荷物の中身の、

ほぼ半分ほどしか使っていなかったこと。

そして、そのカメラマンは、

着替えは旅先で調達したり、

使い捨ての下着を使用していたことが判明した。

うーんと私は唸ったね!

 

で、それを経験と呼ぶのは簡単だし、

実際、経験を重ねて皆、旅慣れてゆくのだけれど、

考察を重ねるに、

どうもそれだけではないような気がしている。

よく分からないけれど、

そこにはなにか性格的なものも、

おおいに絡んでいるように思うのだ。

 

世界を飛び回っているメディアで有名なある人は、

紙袋にサンダル履きで飛行機に乗って、

そのまま世界各地へと出かけてゆくのだそうだ。

 

ほほぅと感心しましたね。

しかし、いくら経験を積んでも、

どうも私にはできそうもない。

荷物を小さいカバンひとつにまとめられたとしても、

そのかばんの中から、

やはり探し物は見つからないだろうし。

 

たとえば、コンビニである。

私はTポイントカードさえ出したことがない。

あらかじめ、カードを手に持ってなどと、

周到に準備しなくては、レジでサッと出せないのだ。

他のカードも同様。

小田急系列の店で高島屋のカードを出してみたり、

ここはVISAでしょ、というところで

MASTERを出してみたりと、

かなりひどい状況を生んでいる。

 

なにいってるかわかりますかね?

 

そんな私とて、

キャンプとかたき火が好きでよく行くが、

支度がのろい、荷物がやたらと多いと、

当たり前の如く、やはりここでも不評。

そして、必要なものをサッと出せない、

探せない。

 

病気かね?

経験も役に立たない性癖。

荷物肥大症。

いづれにせよ、

なにかの欠陥があると自分を疑っている。

 

という訳で、何はともあれ

旅慣れたおとこというのは、

私からすると実にカッコイイのである。

とにかく荷物が小さい。

潔い。無駄がない。

 

ああ、そのまま性格診断にも当てはまりそうで、

怖いですね!

 

MRI、怖い!

 

以前から、体のあちこちがしびれていたので、

一度検査しなくてはと思っていた。

脳のなかの何かの異常も考えた。

で、しびれクリニックなるものをネットで発見。

要は脳神経外科なのだが、

そこに行くことにした。

 

新しいビルのワンフロアは、

リゾートの雰囲気を醸し出している。

サーフボードや海にちなんだ小物。

静かに流れるBGMはハワイアン。

ちょっとホテルを思わせるようなリッチさなのであった。

 

血圧とか問診票の記入とか、なかなか忙しい。

で、じっと待つこと20分。

 

医者は、割とかっこいいひとだった。

ヒヤリングのあと、

手足や目の動きなどをチェックされた。

で、いきつくところ、

頭のなかをみないとなんとも、という結論。

で、MRIなのである。

 

これはすでに織り込み済みで、別に驚きもない。

最初からそのつもりで行った訳である。

 

MRIは脳内の血管を映すらしい。

ここに異常がないか調べるのである。

で、そのMRIがある部屋の前で

呼ばれるのを待つ。

 

大きな赤い字で注意書きがしてある。

無断立ち入りとか、あと禁止マークとか。

雰囲気として危ない印象のMRIであった。

ドアの向こうからは、ビーだかゴーだか、

なんかすごい音が聞こえてくる。

 

むむ、なんだこのすごい音は。

「うーん、なんか雰囲気がやばいなぁ…」

 

この体験は、実は今年の春のことで、

まだ肌寒かった。

私はユニクロのヒートテックを着ていた。

で、あとで知ったことだが、

MRIはヒートテックに反応するらしく、

汗をかいたりすると火傷の恐れもあるとか。

この真偽はいまだに定かではないが、

MRIに対する印象は、

さらに良くないものになっている。

私はこの日、結構汗をかいていました…怖

 

で、いよいよ私の番。

全く無表情のおんなに案内される。

広い部屋の真ん中にドーム状の筒のようなベッドがある。

これは、ネットでみて知っていた。

 

ベッドが細っそい。

その看護師だかが、なんだかメンドーそうに、

MRIの説明をする。

ふんふん。

で、ベッドに横になる。

ベルトで固定される。

ん、なんで結わくの?

で、頭部はもっとハードだった。

頭が動かないようタオルで狭くしてあり、

そこになおもぎゅぎゅとヘッドホンをだ、

無表情おんなが無理から押し付けてくる。

痛い痛い。

ちょっときついですねと言うと

無表情が「そういうもんです」

 

極めつけは、

最後にの仕上げに、

アメフトのような鉄仮面を顔に固定された。

視界が異様に狭まる。

(うーん、なんか体も頭も

窮屈だし、まわりがよくみえないなぁ)

 

さあ、そのまま筒状に入れられ、

そこで15分じっとしている訳だ。

 

(棺桶に入るってこんな感じなのかな?)

我ながら、いやーなことを考え始めた。

で、いやーなイメージはさらに加速をはじめる。

1.池の底に沈められているような圧迫感…

2.「そこからお前は二度と這い出すことができない」と、
誰かがつぶやいているような幻聴 汗!

急に脈が速くなる。

血圧もがんがん上がっているのだろう。

息が浅く荒くなる。

 

おっと忘れていたが、

私は元々閉所恐怖症だったのだ。

あの丸い筒状のなかに押し込められたら、

もう中止はできない。

誰も助けてはくれない。

いや、いまなら間に合うかも知れない。

 

「すいません!」

と大声で助けを呼んでみる。

「やめます、中止しまーす!」

 

MRIは既にうなり始めている。

それはヘッドホンをしていても、

そこから優雅なハワイアンを流していても、

消せるような音ではなく、

いままさに動く寸前のうなりだった。

 

私は、顔面鉄仮面を外してもらい、

固定ベルトを外してもらい、

まあその間いろいろあって、

汗を拭き、深呼吸をして部屋を出た。

 

結局、この日は、

検査をCTスキャンに切り替えてもらい、

結果は異常なしと言われた。

CTスキャンをやっている最中に技師の方が

話してくれたのは、

MRIを受ける人のほぼ3分の1くらいが、

中止を求めるとのこと。

彼は世間話をするように笑って話す。

「ホントですか?」

「そうですね。なかには、

ずっと寝ているひともたまにいますが…」

「ふふん」

 

残念ながら、MRI初体験は失敗に終わった。

よって脳内の血管の様子は、いまだによく分からない。

一応、医者に促されながら、

次回の予約をとり、真新しいビルを出る。

 

外は午後の日差しが降り注いでいて、

ビルからながい影が伸びている。

 

町ゆくひとが平和そうにみえた。

彼らは少なくとも、

いま体験してきたこちらの恐怖を知らない。

 

おもむろに目の前にあった喫茶店に入る。

コーヒーにミルクをたっぷり入れて口にする。

うーん、なんてうまいんだ。

なんだか、健康とか平和っていいなぁって、

つくづく思い知らされた午後なのであった。

 

東京詩人

 

詩人はいつも

ビルの谷間を歩き

3番線のホームに立ち

そして地下鉄東西線に乗って

暗闇のなかの景色から

着想したりしていた

 

あるとき

野山を吹く風のように

詩人は海を渡り

砂漠を横断し

ヒマラヤで眠りについた

 

そこで空を昇る術を手に入れ

詩人は大気圏を脱出し

天を垣間見たりした

 

ときに詩人は

そうして天の川に身を浸し

ほうぼうを思索したりした

 

そんな話を誰にもしたことがない

妻や子供にも言わなかった

 

詩人は実は一編の詩も

まともにかけない詩人だったが

あなたの夢に

すっと入り込むことはできる

 

しあわせな朝が

訪れますようにと

 

 

詩人の詩人たる所以である

 

友も奥さんも孫もワンコも まとめてバーベキュー

   

 

まさか、大雨がやむとは思わず、

他の方々は残念ながら、

諦めたのだろうよ。

 

 

前日にキャンセル続出の、

宮ヶ瀬湖のバーベキュー場。

 

しかし、朝からピーカンです。

会場は、晴れを信じた私たちしかいない。

まわりは賑わいどころか、

まず人っ気がない。

山あいはしんと静まり返っている。

ちょっと異様だ。

 

雨上がりは、冷気が残っている。

炭をがんがん入れ、肉を焼き、

やがて食うほどに陽も高くなり、

体温も気温も上昇し、

ようやく夏っぽくなってくる。

 

 

しかし、肉を食うペースが

みんな遅い。

以前はなかった漬物が、

数年前から登場。

なかなかの人気を博しているから、

可笑しい。

野菜も年々増えて、

なんか健康度がアップしているなぁ。

アルコールを飲む人も極端に減った。

 

数年前から、

大学時代の仲間と集まるようになった。

最初は、横浜のイタリアンレストランで、

10人くらいで再会した。

なかなか面白いので、

いろいろ趣向を凝らそうと、

次回の企画をあれこれと立てるも、

孫もワンコも小雨でも、

との希望をまるごと引き受けてくれるところがない。

結局、ここのバーベキュー場が残った。

消去法で決まった訳。

 

いい加減、お腹が膨れたところで、

みんな歩きたがっているのが分かる。

じっとしていると、

本当に固まっちゃうからね。

 

午後、陽射しが強烈になる。

雨上がりだからか、

風が透き通っているって、

みんなが口々に。

空気、見えないけどね。

 

 

孫も増えて愛犬もいて、

顔ぶれがどんどん増えて、

内輪だけでも結構な大所帯。

 

山あいに、

60~70年代のロックやポップスが、

風に乗って吸い込まれてゆく。

音楽は、一行の共通項でもあるから、

みんな言わなくても、

各自あれこれ想いを馳せながら、

聴き流している様子。

 

 

 

とても平和なひととき。

 

振り返れば、

40年来のつきあいになる。

この仲間たちと、

確か77年に野沢にスキー合宿へ行った。

 

あの頃は全く疲れなかった、

といえばおおげさだけど、

やはり時の流れを感じるなぁ。

そして大学の卒業式の日は、

みんなまともには帰らず、

横浜駅近くのディスコ、ソウルトレインで、

朝方まで踊り狂った。

誰も休まず、

連続して踊り続けていた。

 

飲んだビールの水分とアルコールが、

汗となって体中の汗腺から、

凄い勢いで抜けてゆくのを実感した。

 

若いっていうのは、

なんか素晴らしいな、良かったなと、

つくづく思う。

 

帰りにみんなで近くの温泉でも、

と思ったが、

ワンコがかわいそう、

ということで現地解散。

 

さぁて、次は?

との話になるも、

やはりここ、同じところか…

 

他にないかね?

 

 

いきなり「人生100年時代」

 

地元の同窓会へ行ったら、

約半数の同級生がリタイアしていた。

彼らの集合場所は、パチンコ屋と聞いた。

ほう、いいねぇ、地元に残った方々よ。

 

で、今度は大学時代の友人たちと集まったら、

約半数が再就職していて、

給料が現役時代の約半分ほどで働いているらしい。

うーん、こちらは厳しいなぁ。

 

どちらも、盛り上がる話題は病気のことで、

血糖値高い自慢とか、手術の話とか、

ちょっと気がかりな体験談が多い。

 

まあ、そんな私も老後はどうしよう、

幾つか患ったけど、

まだ元気なうちに旅行とかですね、

いろいろ妄想していたが、

ここんとこ、あちこちで「人生100年時代」とか

言い始めていて、えーっとのけ反った訳。

 

働くのは嫌いじゃない。で、金もそんなにない。

じゃ働くか、で現役続行しているのだが、

それにしても人生100年とか人生100年時代って

なんだ? と思う訳。

 

年金支給開始を引き上げる国の算段とか、

人口減少による働き手の不足とか、

まああれこれ思い当たるけどね、

が、人生100年時代とか急に言われると、

身体の力が抜けるんですね。

やっとここまで生きてきたのに、

ストレスいっぱいで働いてきたのに、

まだ残りが40年弱もあるの?

と、なんだかね、

だらーっと身体の力が抜けるんですね。

 

42.195キロを走り抜いた選手に、

「おー君! まだだよ、

ゴールがいましがた変更されたのね。

まだ走るんだよ、君!

ゴールはこのずっとこの先の、

あの山の頂上あたりかな、

見えるだろう?

そう、雲に霞んでいるけど、

旗がたっているからね、

あとひと息だよ、さあ頑張ろうね。

そーれダッシュ!」

 

そんな感じ?

 

もう我々ってそんなに体力ないし、

身体もいたわらなきゃならないし、

みんな患っているし、

んー困った。

 

しかしだ、人生100年時代って、

いったい誰を対象にしているんだろう?

いまの若い人たちなら、

寿命はこれから更に延びるだろうし、

それならなんか分かる。

(にしてもやはり疑問だらけだ)

けど、人生100年時代が

私らに向いたアジテーションならば、

ちょっと現実離れしていると

言えなくもないよなぁ。

 

みんな、早々に患うよ!

10年や20年で、ほぼみんな死んじゃうよ!

 

で、生き延びた奴らは神様扱いか?

冗談です。

 

この先、働き手がどんどんいなくなる。

年金のプール金もどんどん減っている。

さらに国の年金の運用があまり上手くない。

 

わー、なんか未来が怖い、

バラ色の人生なんか、

この先絶対にこないね!

 

100年生きる自信がない。

仮に生きる保証があったとしても、

金がない!

 

さあどうする。

追い詰められた我々よ!

このまま死に向かって、

がむしゃらに働き続けるか?

いーや、海外へ逃亡する、

いや移住する?

 

そんな度胸もない。

 

金の力でなんとかする輩もいるだろう。

で、金のない奴には、

いやー、この先恐ろしい世の中だね。

たとえ健康でも、気は抜けない。

 

なんか寂しい終わり方だなぁ…

 

 

「湘南異論」(架空レポート)

 

1970年代~80初頭の数年間、

 

僕はカリフォルニアのサンディエゴという都市に住んでいた。

 

交換留学生としてこの町に来たのだが、といっても、

 

私立で、ある程度お金を払えば、

 

だれでも行ける程度のものだったので、

 

まわりも遊び目的の留学生が多かった。

 

 

サンディエゴはこの頃、すでに街からヒッピーたちは消え、

 

新たなムーブメントがあちこちで花ひらいた頃だった。

 

 

さんさんと光が降り注ぐ太陽の元、サンディエゴの人たちは、

 

体にいい食事とスポーツにいそしむようになっていた。

 

なかでもヨガは一大ブームとなり、

 

海沿いにはヨガスタジオが林立し、

 

サーフボードを抱えた若者が、立ち止まって内部を眺めていた。

 

 

街ゆく彼らは、一様にオープンな性格で、

 

活動的だったのが印象的だ。

 

 

それが新たなムーブメントの影響なのか、

 

気候風土的なものから来ているのか、

 

リベラルを支持する土地柄からなのか、

 

僕には皆目分からなかった。

 

 

こう書くと、アメリカのお国柄じゃないかと言うひともいるが、

 

それは当たらない。

 

アメリカ中南部の保守的かつ内向的な人々と接すれば、

 

それは明白だった。

 

 

サンディエゴの海岸沿いの道は、年がら年中、

 

バハバグと呼ばれる改造車やバギーカーで、

 

クラクションを鳴らして疾走する若者たちで溢れていた。

 

アメリカ製のムスタングなどの改造車は極端に少なく、

 

大半がビートルだった。

 

なぜドイツのビートルだったのか、

 

そのルーツがナチス・ドイツにあることなど

 

誰も気にすることなく、単に構造のシンプルさから

 

人気に火がついたのだろう。

 

 

留学生の中でも、とりわけ地味な僕は、

 

彼らのあっけらかんとしたものの捉え方にかなり引いてしまい、

 

やはり同じ海沿いでも、

 

もう少し落ち着いたシアトルを希望すべきだったと後悔した。

 

 

一方で、そうした若者たちをさげすむ連中も次第に増え、

 

その彼らこそがめざしたものが、

 

もっとまじめで革新的な生活スタイルだった。

 

それがのちに一大ムーブメントとなってゆく。

 

 

彼らは、たとえば自転車を自分たちに相応しい道具と捉え、

 

CO2を排出する車を避けるようになる。

 

自転車のフレームデザインなどを個性的に作り変え、

 

次々とネイチャーカラーに塗り替え、

 

自然志向の暮らし方を模索し始めていた。

 

 

がぶ飲みしていたコーラをやめ、ハンバーガーを控え、

 

糖分や油について考察するようになっていた。

 

彼らは、ハーブティーなどのオーガニックな飲み物と

 

採れ立ての無農薬野菜のサラダをこよなく愛した。

 

 

新たなライフスタイルが、次第に形になり始めていた頃だ。

 

 

そんな彼らをみていて、僕はまだ、その意図がよく分からなかった。

 

 

そうした変化は、やがて思想や人生観までをも揺り動かし、

 

ニューヨークを中心とした東海岸の文化とは異なる、

 

これまでのアメリカにはなかったムーブメントが、

 

西海岸から生まれた。

 

 

そうした光景をまざまざと見せつけられ、

 

それでもなお、僕はハンバーガーとコークに執着した。

 

当時の、僕らの一種のあこがれが、

 

そうしたアメリカの食生活だったので、

 

アメリカ西海岸の新しいムーブメントの目的が、

 

当時はまだ理解できずにいた。

 

 

1982年に帰国した僕は、何かと湘南にでかけていた。

 

そこで目にしたものは、未完成ながら次第に形成されつつある、

 

いまに続く、湘南のカリフォルニア化だった。

 

 

海沿いに次々としゃれたレストランやカフェがオープンし、

 

そのどれもが自然派志向のメニューを取りそろえていた。

 

やはり、ハーブティーや無農薬野菜のサラダにこだわっていたのが

 

印象的だった。

 

 

サーファーたちの多くが、

 

移動手段を車から自転車に変えていたのもこの頃からだった。

 

 

麻の紐と貝がらなど、

 

自然素材でつくるアクセサリー類を売るショップも、

 

この頃からぽつぽつと目につくようになり、

 

そしてやはりというべきか、

 

海を一望できるヨガスタジオというのもオープンした。

 

 

「サンディエゴとまるで同じじゃないか…」

 

僕の素直な感想だった。

 

 

そのつぶやきをせせら笑うように、

 

湘南のそうした流れはさらに加速していった。

 

そして、いまに至っている。

 

 

湘南に住むひとたちは、

 

いまではそうしたナチュラル志向のライフスタイルが、

 

一見、自然と身に付いているように映る。

 

そして、東京や横浜とは価値観を共有しない独自の進化を

 

遂げている。

 

 

結果、湘南はブランドとなり、その人気は不動である。

 

 

しかし、日米のムーブメントをライブで目撃してしまった僕としては、

 

複雑な感情を抱かざるを得ない。

 

 

サンディエゴの街はいま、すでに先見性は薄れてしまったが、

 

そのライフスタイルはいまも確実に根付いていて、

 

かつてのムーブメントとは違った、

 

とても落ち着いた海辺の都市としての魅力を放っている。

 

 

一方、湘南である。

 

いまも言わずと知れた一大観光地として進化しているが、

 

かつてカリフォルニアをコピペしたこの地は、

 

この先、いったいどこへ向かおうとしているのか。

 

 

カリフォルニアスタイルは、湘南スタイルとして、

 

どこまで浸透しているのか。

 

いや、単なるスタイルだけでは危険な匂いがしないでもない。

 

それが問題だ。

 

 

ひょっとしたら、

 

或る日、私たちが目撃する湘南は、

 

古びた海岸沿いの田舎まちとして映るのかも知れない。

 

 

夢なら、いつかは醒めるのだから。

 

 

ショーケンれくいえむ

 

 

わかい頃、水谷豊が

「兄貴ぃー!」って呼んでいた。

そこからショーケンこと萩原健一は

ずっと我らの兄貴ぃー!でもあった。

 

ヤザワではない。

高倉健でもない。

 

そもそも芸能人に憧れるガラではないし、

まして同性なのに。

が、唯一ショーケンだけにはたそがれた。

 

グループサウンズでおかしな衣装を着て、

あまり上手くもない歌を歌っていたが、

あれは彼の不本意だった。

よって解散を申し出たのもショーケン自身。

 

彼はそれ以前にブルースのバンドを組んでいて、

その道へ行きたかったらしい。

が、彼はブルースを目指さずに、

役者へ転向する。

 

これが良かったんじゃないかと思う。

 

役どころとしては「傷だらけの天使」のおさむ、

「前略おふくろ様」のサブが印象深い。

前者は、ショーケンのアドリブだらけ。

後者は、倉本聰の台詞とあって、

一字一句、台本のままだという。

 

黒沢映画の他、多彩に活躍したが、

やはり妙に素人っぽかった初期の頃に、

彼の地が滲み出ている。

 

倉本聰の作品は、彼らしくないという

意見もあるが、あれもショーケンのある一面と

言えなくもない。

結構ナイーブなところが発端となって、

騒ぎを起こしているし。

 

ショーケンが追求したのは、

ダンディーとか、男の中の男とか

そんなんじゃない。

 

一見、かっこ悪いと思わせる。

ちょっと親しみやすくて憎めない。

しかし、ふとした瞬間に、

寂しそうな表情を浮かべたり、

とてつもなく凶暴だったりする。

そこがヤザワでも健さんでもなく、

独特かつ不思議なオーラを放っていた。

 

実際、彼はそのような性格だと思う。

ずっと悪のイメージがつきまとっていた。

まあ不良といえばそのようにみえなくもない。

しかしその程度。

 

彼をウォッチしていて気づいたのは、

妙な正直さが仇となって、

逆に悪評が広まったり、

その風貌や態度から、

ネガティブな印象をもたれたりと、

随分とバイアスがかかった部分がある。

 

或る人たちにとっては、

良いところを探すのが

なかなか難しい人ではある。

 

こういった人間は、

我らの身の回りにも数人いて、

それは身近に付き合ってみないと、

みえてはこない。

 

たとえば、意外に正直であるとか、

思いやりがある、

誠実であるとか…

 

ガキの頃からの知り合いに

こういうのが割と多い。

みんな結構付き合える。

いや、いまも付き合いは続いている。

 

共通点は、みな一様に偉い人間や

偉そーに振る舞う奴には

徹底的に逆らう、というところ。

 

もうひとつ共通点があった。

心根がやさしいこと。

チンピラと違うところは、

カッコよく言えば、

強きを挫き弱きを助ける。

なのに、どうでもいいことで、

弱音を吐いたり…

 

こんな姿が、ショーケンにも投影される。

彼は何回も捕まったし、

結婚も離婚も数回繰り返した。

けれど、それらを軽々と

飛び越えてしまう魅力が、

彼には備わっていた。

 

ショーケンは実は、

ずっと映画の裏方をやりたかったらしい。

脚本とか、演出とか。

意外。

 

彼が亡くなる8日前の写真が、

「萩原健一最終章」の最期のほうに載っていた。

その写真は、

奥さんが隠し撮りした一枚。

 

そろそろ死期が迫っている。

本人も、死が迫っていることを

うすうす感じている。

 

ほの暗い部屋で机の灯りを点け、

彼の丸まった背中がみえる。

机に向かって、ずっとシナリオを、

声を出して読んでいたという。

 

我らの知る最期の男の背中が、もの悲しい。

 

人生を、

疾風のごとく通り過ぎた男。

やはり、最期までショーケンだった。

 

我ら、こんなに強くはなれないけれど…

 

合掌