万有引力

 

シビアな打ち合わせを

立て続けに2件こなすというのも、

結構つらい。

 

話の中身が会社を左右するとか、

多額の金銭に係わることとなると、

心労も激しい。

 

いや、この例えはちょっとおおげさ。

 

しかし、もうそんなにタフじゃない。

 

喉が渇いた。腹もぺこぺこだ。

砂漠で見つけたオアシスのように、

やっと見つけたコーヒーショップで

ようやくひと息つく。

 

熱いコーヒーとサンドイッチで腹を満たす。

 

途端に頭が痛いことに気づく。

15分ほど目をつむっても治らない。

しょうがないので、

首を揉みながら店を出る。

だらだら雑踏を歩く。

 

夜なのに心なしか

いつもより明るく感じる。

見上げると、

ビルの谷間に満月がぽかり。

 

それを見てなぜかほっとした。

そして納得。

 

私の場合、

だいたい満月の頃は、

頭が重かったり痛くなったりする習性がある。

 

その理由は全く不明だが。

 

とにかく安堵のため息。

 

万有引力を身をもって知るとは、

自分らしくないデリケートさで笑える。

 

それにしても

月と地球の引き合う力か…

と考えてみる。

 

―壮大な宇宙の呼吸―

いや、違うな。

 

―悠久の月と地球の恋心―

ここは妙に美しく検討してみた。

 

それにしても

引き合う力って、

惹き合うことだから。

 

ああ、頭が痛い。

 

月夜の晩だからといって、

ロマンチックが過ぎるなぁ。

 

 

 

 

 

秋を探しに

 

 

 

 

 

 

 

秋の気配を探しに出かけました。

陽はまだ強い。

が、風はひんやりとしている。

ちょっと立ち止まると冷えるようです。

そして空は高く、空気は澄んでいる。

ひたすら川沿いを歩く。

セイタカアワダチソウが盛んに咲いている。

季節は確実に進んでいて、

あちこちで夏とは違った、

秋の芳醇さがあります。

稲の収穫は順調と思いました。

推測だけど。

都会と違い、ここのススキは、

いくら採ってもタダです。

川でヘロンを見つけました。

ヘロンは青サギのこと。

数年前から住み着いているようです。

青サギって朝を象徴する鳥だそうで、

泣きながら飛ぶと雨が降ると言われている。

達郎の曲「ヘロン」って、

上の言い伝えを受けて、

雨を降らさないでくれと歌っている。

ちょっと哲学的です。

きょうはこの辺で。

 

 

 

 

 

 

彼岸花のころに

 

死んじゃっちゃぁ

話しもできねーじゃねえか

なあ

そんなことってあんのかよぉ

なあ

 

 

 

 

花と陽のあたる楽園

 

もういない叔母が

フジ子ヘミングによく似ていて、

あの音色を聴くと、

必ず叔母の顔が浮かぶ。

 

横浜で、ずっと服飾デザイナーをしていて、

小さい頃は叔母の家に行くと、

いつもミシンを踏んで何かを縫っていた。

 

傍らで僕はボビンとか

色とりどりのカラフルな糸を眺めながら、

叔母は仕事をしていて、独身で、

ウチの母は、家庭の主婦で、

ちょっと違うんだと思った。

 

叔母の家の棚には、

とてもきれいな布が、沢山置いてあった。

僕は、よく叔母に服をつくってもらったが、

そのどれもがハイカラ過ぎて、

それを着て小学校へ行くと、

必ずみんなに奇異な顔をされた。

 

あるとき、叔母が編んでくれた

ブルーのラメ入りのセーターを着て教室に入ると、

ある女の子がむっとした顔で、

「まぶしいから、そんな服着ないでよ!」と

詰め寄ってきた。

 

後日、その事を叔母に話すと、

けらけらと笑っていた。

そして「○○(僕の名前)、そんなのはどうでもいいの、

大きくなったら、好きなものだけを着ることよ」

と言って僕の頭を撫でてくれた。

 

叔母はずっと独りで生きている女性で、

とても綺麗で華やかにみえたが、

本人の心情は当時から晩年に至るまで、

私にはよく分からなかった。

 

叔母の最期を看取ったのは僕と奥さんで、

とてもやすらかに目を閉じていた。

それは僕たちが、

とてもほっとできる事だった。

 

叔母の墓地は、花の咲きみだれる公園墓地を選んだ。

僕は此処へくると必ず墓地を一周する。

季節の花々が美しく咲く生け垣をみながら、

陽射しのなかを歩いていると、

生きているなぁって思うのだ。

そして傍らでたばこを一服してから、

元気でな、また来るから…

とおかしな事を必ず口走る。

 

こうした時間はとても救われると、

ふっと気づくことがある。

それは、生きている者も、

もういなくなってしまった者も、

実はたいして違わないじゃないかと、

思えることだ。

 

すぐ隣に、「ありがとう」って

笑っている叔母がいる。

そう思えるだけで、

僕の死生観が変化するのなら、

それは、僕にとって、

いつか必ず救いとなる。

 

 

 

虹の彼方に

 

 

 

朝、窓を開けると南西の空に虹が架かっていた

ぼぉーとしたまましばらく見とれてしまった

 

雨上がりの虹

 

雲も霧もさっと引いてゆくのが分かった

すかさずアイホンで何枚かおさめた

いい写真とは言いがたいが

朝の虹は私は初めて見たし

とても貴重な瞬間のように思えた

そしてなにか良いことの前兆のようにも思えた

 

これは半月くらい前の写真だが

あれからなにかいいことがあったか?

と自分に問う

 

いいことも嫌なこともあった

それはいつもと同じように

変わらずまぜこぜになって

いろいろあって

結局、普段と変わりなく

僕の生活は続いている

 

振り返れば

ざっくりといいこと半分いやなこと半分

 

拝んでも願をかけても

僕の日常は淡々と過ぎてゆくのが分かった

 

しあわせの総量は決まっているが

しかし不幸の総量はよく分からないから

ちょっと怖いのだ

 

だからといってびくびくなんてしていられない

頑張るしかないのだ

きっとそういうことなのだろう

 

 

 

 

 

こちら、ゲス芸能デスク!

 

 

■元「歌のお兄さん」覚醒剤使用の疑いで逮捕

「歌舞伎町のサウナで使用した」(スポニチ)

 

●コメント

歌のお兄さんは、番組を下りた後も良いお兄さんかというと、

そんなことは誰も保証できない。

いろいろな苦労もしただろうし、仕事がうまくいかない、金がない、

彼女にふられた、行き詰まった…。そんなときに妙な奴から

「楽になるから…」って貰ったのが覚醒剤だったのかも知れないし。

もちろんイケナイ、違法だから彼は捕まったのだが、

元の職業が仇となった。

元芸能人が覚醒剤云々というより、

元「歌のお兄さん」が覚醒剤という一点においてのニュース性が、

この件を拡大させた。

人生がどうにも分からないのは、何処も同じ。

が、良くないよな、覚醒剤は、でこの話は締めたい訳。

 

 

■船越英一郎、不起訴の元妻・松居一代を

「今回に限り宥恕する」 代理人がコメント(スポニチアネックス)

 

●コメント

船越が訴えて、松居一代不起訴!

船越さんは相当モテる方だそうです。

松居さんはそういう旦那に対して、

常に疑いをもっていたそうな。もちろん女性関係。

真偽のほどは私は何も知りませんし、

そんなことはどうでもいい。

ただ、夫婦で親権とかそういうのでなく、

名誉毀損のようなことで争うのは、やはり芸能人ならでは。

松居さんに異常さを感じたのは、私だけではないだろう。

船越の淡々としたとぼけ具合はキャラなのか。

で、今回の船越さんの「許す」というコメント。

そこを「宥恕(ゆうじょ)する」という一点において取りあげた訳。

こんな難しいことば、どっから探してきた?

忖度と同レベル。

 

 

■剛力彩芽は月に行かない?

ZOZO前澤氏との関係に心配の声(女性自身)

 

●コメント

いまノリにノっているZOZOTOWNの前澤さんだが、

米宇宙ベンチャー「スペースX」が、開発中の大型ロケット

「ビッグ・ファルコン・ロケット(BFR)」での月旅行について

発表した。

で、同社が初めての旅行者として契約したのが、前澤さんだ。

推定費用1000億円ともいわれている。

私には、全く縁もゆかりもない数字。

で、月旅行へ飛ぶのは2023年。このとき、

芸術家を7.8人連れて行くという。

太っ腹というか、この前澤という人のスケールが、

小さすぎの私には、なんとも奇妙に映る。

うらやましいとか思わない。

ただ不思議。

恋人の女優の剛力彩芽(26)さんは、

この件に関し「月に行く予定はない」。

この記事の問題は、ずばりタイトル。

一緒に行かないから「心配」なのであるらしい。

ここ、ポイント。

端的に言ってしまえば、誰も数年先の事なんか、

いまの時代にはなかなかリアルにイメージできない。

剛力さんにフツーさを感じる。

前澤さんに桁外れのパワーを感じる、というか、

ホントはちょっと変な奴を感じる。

 

 

■美川憲一、結婚考えた相手いたと告白も…

「子供できたら美川でいられるかなあと」(ライブドアニュース)

 

●コメント

このニュースの見出しをみたとき、私は一瞬考え込んでしまった。

一体このニュースに興味を示すひとがどのくらいいるのだろうかと。

ひとことでいってしまえば、どうでもいい話である。

断りを入れると私にはどうでもいい記事に思えた。

美川さんて、男の人ですよね?

だんだんよく分からなくなってきた。

市井の人は、

皆誰もいろいろなものを抱えて生きている、

生きてきた訳で、しかしよほどの事がない限り語らない、

語る相手もいないのが大半である。

まあ、黙して頑張っている。

その点、芸能人というのはよく語るなぁとつくづく思う。

聞く相手がいるから語るのだろうが、

私生活も金になる、という風潮は、

最近あるにはある訳で、

ここに財力はあっても、

格別の品のなさを感じる訳だ。

 

 

 

東京

 

泣きたくなったら

夜中にひとりで泣く

Y男はそう決めている

 

誰に知らせるものではない

後は微塵も残さない

そして生まれかわるかのように

何事もなかったかのように

朝飯を食い

背広を着て家を出る

 

あまり好きではない会社へ

よくよく分からない連中と

挨拶を交わす

 

お客さんのところで

それなりの大きな売買契約を獲得し

帰りの地下鉄のなかで

Y男は考えるのだった

 

この広い都会で

オレの自由って

一体どんなもんなんだろう

たとえば

しあわせってどういうものなのか

こうして地下鉄に乗っている間にも

オレは年をとり

時間は過ぎてゆくのだ

この真っ暗な景色でさえ

微妙に変化してゆくではないか

妙な焦りとあきらめのようなものを

Y男は自分の内に捉えた

 

地下鉄を出ると

けやきの木が並ぶ街に

夕暮れの日差しが降り注いでいる

(とりあえず今日だけでも

笑顔で歩いてみようか)

 

Y男は陽のさす街並みを

さっそうと歩くことにした

こんがらがった糸を解く間に

過ぎ去ってしまうものが愛おしいからと

 

歩く

歩く

 

いまオレ

太陽をまぶしいって

そして

久しぶりに心地よい汗が流れている

 

徐々に疲れゆく躯の心地

そうして遠くに消えゆく昨日までのこと

 

まずは

そう感じている

こころをつかむことなのだと

 

 

なつ雲 ひかる風 とおい世界

 

 

 

 

 

 

 

 

改編・時代とコピーと普遍性について

 

かつて日本が繁栄を極めた1980年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れた。

 

「おいしい生活」?

いまきくとピンとこないが、

その時代にライブで知った身としては、

当然ピンときた。

 

ロジックで語るには面倒なコピーだ。

おいしい、という何の変哲もない言葉に、

生活というやはり何の変哲もない言葉をつなげると、

とても新鮮なコピーに仕上がった。

 

このコピーが、当時の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、更なる繁栄を信じ、

仕事に精を出していた時代。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という、

アメリカの社会学者が書いた本も、

世界でバカ売れした。

 

日本に、そんな時代があったのだ。

 

で、このコピーの広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターは、やはりあの糸井重里さんだった。

 

いま「おいしい生活」というコピーを、

大々的に発信したとしても失敗するだろう。

「おいしい生活」という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すら漂う。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

あなたの素敵な生活はすぐそこにあります、

とでも言わんばかりに。

 

商品の向こうにあるライフスタイルを提案する―

そうした企業が現れた点で、

この広告は最先端に位置していた。

 

経済的背景、語感からくる意味合い、市場の成熟度など、

いまと全く違う日本が、そこにあった。

それが「おいしい生活」だったのだ。

 

同じ80年代の同時期に、

とても美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告で、

 

「恋は遠い日の花火ではない」

 

このコピーは、当時の中年のおじさんの心を、

わしづかみにした。

世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく

奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのだろうか。

 

忘れかけていた恋というキーワードが蘇る。

もうひと花咲かせようと…

それは不倫なのかも知れないし、

遠い昔好きだった人に、

もう一回アタックしてみようか、などと。

 

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かない。

受け手に伝わらない。

いわゆる不発である。

 

なんせ、コピーが美し過ぎるし。

時代は移り変わっているのだ。

 

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」とか

「テロは…」とすると、

いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

皮肉な事ではある。

 

更に時代を遡ると、もっと分かり易い事例がある。

「隣のクルマが小さく見えます」

というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告主はトヨタ、クルマはカローラだった。

 

最大のライバルである日産サニーに対抗すべく、

できたのがこのコピーだった。

日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式が世界のスタンダードだった。

 

とても分かり易い例。

 

もうひとつ。

この時代に流行ったコピーに、

「いつかはクラウン」というのがある。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現法とも思うが、

この程度で、皆が満足できる時代でもあったのだ。

 

このように、過去のコピーを検証すると、

それは、時代とともに変化する、

いわばナマモノであることが分かる。

 

ヒットしたコピーというのは、

そうした時代を的確に捉えている。

相反するように、時代とズレたコピーはまずヒットしない。

 

しかし、例外的に時代を問わず普遍的であり、

いまでも魅力的に響くコピーがある。

 

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

 

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

 

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した」(キャノン)

 

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

 

 

これらのコピーは、広告という概念を離れ、

時代に左右されない力をもっている。

使い方次第では、いまでも人の心をすっと射貫く。

 

死ぬまで言葉と格闘した詩人の寺山修司に言わせると、

こうしていつまでも古びないコピー(言葉)には、

時代を超越した「実存」が眠っている、

という解説が成り立つらしいのだが。

 

 

 

南佳孝さんのライブへ行ってきた!

     

 

大磯在住の南佳孝さんは、

いつもラフな格好をしていて、

そのまま海辺を散歩していても

何の違和感もないおっさんである。

そんな服装でそんな雰囲気を引きずって、

「よう!」と言ったノリでライブに現れるから、

ファンもみんなよく知っていて、

知り合いと出会ったように「久しぶり!」

とでも返すような拍手を惜しみなく送る。

 

会場は小さい。

100人くらいでいっぱいの地下空間。

そこに折りたたみの椅子をびっしりと並べて、

彼のアコースティックライブを、

2時間めいっぱい聴かせてくれる。

往年のファンは、いつでも何処にでも

彼を追っていくらしいのだ。

私はこのライブは2回目なので、

まあ、にわかファンの部類。

彼とディープなファンとの距離の近さを知るにつけ、

あの会場のリラックスした雰囲気に、

なるほどと合点がいくのだ。

 

南佳孝が初めてヒットを飛ばしたのは、

1979年の「モンローウォーク」あたり。

郷ひろみが大ヒットさせた「セクシー・ユー」が、

そのカバーといえばわかりやすいか。

アップテンポの曲で、当初は彼も少しステップを踏みながら歌っていた。

アイドル歌手になるつもりだったのだろうか?

そんなことを諦めてくれて良かった。

駄目で良かった。

彼は生粋のミュージシャンだから、

妙な逸れ方をして成功でもされたら、

いまの彼はいなかったし……

 

私が彼の曲を深く好きになったのは、

「日付変更線」を聴いてから。

ちょうど、南の島へ行った頃で、

椰子の木の下で、この曲をウォークマンで聴いた。

前日、日付変更線を超えてきたので、

珊瑚礁のリーフに打ちつける白い波を眺めながら

この曲を聴いていたら、

「心底しあわせじゃん」と本気で思えた。

 

そろそろこの人も70歳くらいと思うが、

最近では斉藤和義とか杉山清貴とか薬師丸ひろ子とか、

いろいろな人とコラボって、新しい試みをしている。

 

相変わらず、前を見ている。

 

最新のシングル「ニュアンス」と

「冒険王」を歌ってくれたが、

どちらもかなりGOOD!

「ニュアンス」はメローで年を重ねた大人の歌。

作曲は来生えつこ。

年相応だからか、親近感を感ずる楽曲だ。

「冒険王」はスローだーかつ迫力のあるメロディライン。

さらに詩がすごく熱い。

胸にぐっとくる。

作曲はもちろん南佳孝だが、作詞は松本隆。

やはりね、深く納得しました。

 

「憧れのラジオ・ガール」って、聴いていてなつかしい。

私たちはある時期、ラジオで育ったようなものだから。

 

「スタンダード・ナンバー」は都会的かつ感傷に浸れる。

♪愛ってよく分からないけど、傷つく感じがいいね♪

 

「スコッチ・アンド・レイン」はやはり渋い。

♪スコッチ雨で割れば言葉がいらなくなる♪

♪頬が濡れて、まなざしが濡れて、心まで濡らした♪

ため息の出るほど、その空気が伝わるフレーズ。

 

ひと通り歌い終わっても、拍手が鳴り止まず。

で、アンコールの彼はなんと坂本九の

「上を向いて歩こう」。

皆で歌おうと。

これが盛り上がりまして、その熱をさらに加熱するように、

最後は、彼の最大のヒット曲「スローなブギにしてくれ (I want you)」

で締めくくってくれた。

 

帰って、熱いコーヒーを飲みながら、もう一度YouTubeを聴いた。

思うに彼は全く偉ぶらない。

出たがりでもない。

やり方次第で、

いまも相当の大物感を漂わすこともできただろうに、

そうした事はダサいと信じているフシがある。

 

彼の言いそうな台詞を考えてみた。

「こういう歌って好きだし、

もっともっといいの、まだまだつくりたいね。

まあ、死ぬまで歌っているよ、

…だって好きだからね」

 

そういう人。

 

歌に声に、色気がある。

奏でるものに生気を吹き込む。

物語を歌う人。

 

ビジュアル的にイケてる人という訳じゃない。

しかし歌っている彼を見ていると、

ほんとにかっこいい。

 

きっと彼の生き方がかっこいいんだろう。