森の時間

 

早春の山あいを

いっぽいっぽ足を運んで

ボクは頂をめざす

 

まだ冷えた躰は

無骨な木の階段を踏みしめるたび

徐々に上気し

いつか汗も滲むほどになると

おおげさにいえば

生きているという実感

そんな素朴な回答にたどり着く

 

息継ぎもやや荒くなり

早朝の森のなかでひとり

ボクという小さな存在が

無意味とも思えるような

汗を流している

 

こうして

森という大きな存在に溶けてゆくと

この世界はやがてボクを受け入れ

歓迎さえしてくれるのが

分かってくるのだ

 

木々の葉は無作為に

そして不文律に

ひらひらと森の小径に

落ちてゆく

そこにはきっと誰も知らない

森の法則のようなものが働いていて

ある一定の厳格さを伴い

この一帯の調和を保っているのだろう

 

やがて視界がひらけると

突然あちこちから

さまざまな鳥のさえずりが

きこえてくる

 

それは森のうわさ話のようでもあり

話題の主はひょっとすると

このボクなのかも知れない

 

立ち止まって

ペットボトルの水をひとくち

それが格別にうまいので

改めてしみじみとボトルを

眺めてしまう

 

歩くこと45分で頂に到着

 

丹沢山塊の端の展望台から

湘南、横浜、東京を望む

 

そして小さく霞む

きっとあのあたりであろうと

検討をつけた一帯を凝視し

そこで暮らしていた頃のことを

あれこれ思い返す

 

良いことも苦い記憶も

幾年月の時を経て

やがて

この森のなかでは

さらにかすかな苦みさえ消え

無色透明に浄化されてゆく

 

ひと息ついて

さあ引き返そうと

また歩き始めると

あちこちでうっすらと木々が芽吹いている

 

目を落とすと

足元の小さな花が美しい

 

ゆったりとした時間

四季のうつろい

森のリズム

 

若い頃は気にも止めなかった

いや全く分からなかった

そのひとつひとつを

 

この森は

丁寧に教えてくれる

 

 

空ばかりみていた

 

少年の頃から

空ばかりみていた

そして

海沿いのまちで育ったぼくは

よく丘にのぼって

遠くの海をながめていた

 

空と海がまじり合うそのあたりは

おおきな弧を描いて

その境界線へ船が消えたり

船が現れたりした

 

それはぼくにとって

とても不思議なことだった

 

海のうえを飛んでいる鳥をみると

なんだかとても自由であるように

ぼくには思えた

 

空の高いところに

光る機体がみえる

ぼくはその行く先に

あこがれた

 

その機体に人が乗っている

ぼくには考えられないことだったけれど

 

風のつよい日は

白い雲がかたちを変え

ついには人の姿となって

ぼくに手招きをした

 

「いっしょに行かないか、

遠いところへ!」

 

あの水平線のむこうになにがあるのか

ぼくはよく想像した

それはアメリカとか中国とか

テレビを観て知った国ではなく

アフリカとかフランスとかイタリアでもない

 

それはまったくぼくの知らないところだった

 

ぼくがつくりあげたその世界は

すべてでたらめでできていて

空中に浮かんでいる

 

水平線のはるかかなたの

遠い空の上に

ぽかんと浮かんでいる

 

そこはどこもみどりがいっぱいで

大きな木がたんさん生えていた

くだものもたわわだ

 

そこにはいろいろなひとがいて

肌のいろもばらばらで

みなそまつな原始人のようなかっこうをしている

みんな笑いながらいつもくだものを頬ばっている

 

なんてのんきでおだやかなせかいなんだろうと

ぼくはよく思ったものだ

 

でたらめのおとぎのせかい

 

ぼくはいまでも空ばかりみている

 

 

遠い世界に

 

一枚のハガキ届いて

ボクのココロにふたつの風船おどり出す

開け放った窓から飛び込む風に

ふたつの風船おどり出す

 

街へ出て

目ぬき通りのいちばん端のくだもの屋で

小さなオレンジをひとかご買った

 

ステップを踏むように歩いていると

太ったおばさんが笑っているのを

小さな少女がけげんそうに眺めていた

 

街の外れの道を逸れ

柵を乗り越え

牛の背中に飛び乗って

 

流れる白い雲につかまった

 

かごのなかのオレンジ

空に放たれ

黄色の風船も

空のかなたに消えていった

 

一枚のハガキ届いて

ふたつの風船おどり出し

そしてボクは世界を見渡し

ちょっとオトナになっのさ

 

 

夏の夕ぐれ

 

 

 

夏の夕ぐれ

今日の終わり

 

光る雲

遠い空

 

窓辺の椅子に身体を委ねたら

ハニー&ケーキで昼のほてりをしずめましょう

 

窓辺の花が物憂い

けだるい

 

過ぎてゆく時間

陰影のドラマ

 

だから夏の夕ぐれは

誰だって遠いくにの夢をみる

 

 

新月

 

新月の夜に

願いごとをすると叶う

そんな習わし

昔からの言い伝え

 

それはなぜ…

意味など導き出せない

 

とりあえずは願いごとを紙に書いて

すっと夜の窓辺へと差し出してみる

 

もっと楽な仕事がみつかりますように

別れてしまった妻が戻りますように

 

つまらない望みごと

だけどなにかいい予感がするなぁ

ちょっと嬉しい気になっている

 

願いごとをするとはそういうことなのか

 

見上げると夜空は漆黒かつ寒々しく

今夜は星さえでていない

 

月は明らかにそっぽを向いている

いや 宇宙の果てなどへでかけて

留守にしているに決まっている

 

この闇夜に乗じたのか

家のまわりを狐がうろつく

異様に光る複数の目

よそ者はかえれと警告している

しまいに雨さえ降ってきて

 

ああ そろそろ町へ下ろうか

 

 

まだ若い君へ

 

まどろみから生まれたものは
明快ではないが新鮮だ

熟考される前の
熱い力がほとばしっている

青春という季節は
朝露のころがる青葉の如く
新鮮でみずみずしくもある

しかしそのさなか
その様は誰ひとりとして
気づかない

やることなすことが
どれも虚しく

悩み 悲しみ 怒り

そのすべてが激しく
ふつふつと動いている

青春は
赤い血のいろ
そのものでもある

そして経年し
ひとは誰も色あせ

やがて人知れず枯れてゆく

 

さて
チマチマしてもしょうがないではないか

いまこの時代は
歴史の大きなうねりである

君はまだ若いから

君の勘違いは許されるから

まずは小志大志をもって
疾風のように
いまを駆け抜けてみてはどうだろう

君が生きていたという証は
心のなかに一生宿り続ける

たかが百年のいのち

されど百年のいのち

生きるとは燃焼すること

生きるとはまた
死ぬことなのだから

 

 

風のテラス

 

遠いあの山の向こうの

遙か彼方にあるという

風のテラス

紺碧の空に包まれて

木々は囁き

蜜蜂に愛され

誰もいない波間に漂うという

風のテラス

 

水平線に浮かび

潮に洗われ

トビウオの休む所

いにしえの場所

そこに

椎の木のテーブルと

二脚の真鍮の椅子

 

風は歌い

微笑み

風は嫉妬し

うつむき

そして通り過ぎる

 

向き合ったふたりに

椎の木は黙って

テーブルに一房の葡萄と

恋物語

 

ひとりが去れば

ひとり訪れ

ふたり去れば

ふたりが訪れる

 

風のテラスは

空を見下ろし

風のテラスは

水底を見通し

風のテラスは

人を惑わせ

そこには只

椎の木のテーブルと

二脚の真鍮の椅子

 

陽を浴びて

星が降り

ジリジリと焼け

凍てついて

蘇る

可笑しくて

悲しくて

悔しくて

恨んで

愛おしい

 

風のテラスは

誰もが

一度は訪れる

 

考えるほどに

思いだすほどに

彼方に消えてしまう

 

そこは

風のテラス

幻の忘れ物

恋の記憶

 

 

花束をあげよう

 

花束って、

もらうととてもうれしい

あげてもやはりうれしい

 

そこにはきもちっていう

不思議なものを伝える

電気とか空気振動にも似た

見えない伝達機能のようなものが存在していて

ちょっとした感動がうまれたりする

 

赤いバラの花、カーネーション、真っ白なユリのはな

黄色いスィートピー、すがすがしいキキョウの紫

そしてカスミソウ、麦の穂やら

 

いろいろな花でにぎわって

いろいろな色が交りあって

想いが込められて

花束はあたらしい生命に生まれ変わる

 

とても幸せないっしゅんは

きもちを伝える方も

受けとる側も

 

花の命はみじかいけれど

とてもしあわせな命

 

 

夏の少年

 

半ズボンのポケットのなか

ビー玉がジャラジャラと重くて

手を突っ込んでそのひとつをつまむと

指にひんやりとまあるい感触

 

強い陽ざしにそのガラスを照らし

屈折が放つ光の不思議に魅せられて

しばらくそれを眺めていた

 

猛烈にうるさい蝉の音が響き回る境内

 

水道水をゴクゴク飲んで

頭から水をかぶり

汗だか水だか

びしょびしょのままで

境内のわき道をぬけ

再び竹やぶに分け入る

そんな夏を過ごしていた

 

陽も傾いて

気がつくと猛烈に腹が減っている

 

銀ヤンマがスイスイと目の前を横切っても

のっそりと葉の上を歩くカミキリムシにも

もう興味はうせて

空腹のことしか頭にないから

みんなトボトボと歩きだす

 

道ばたの民家から

魚を焼くけむりとにおい

かまどから立ちのぼる湯気

とたんに家が恋しくなって

疲れた躰で足早に山をくだる

 

あの頃のぼくらの世界は

たったそれだけだった

きのうあしたは

意識の外のじかんだった

今日という日だけを

精いっぱい生きていた

 

町内のあの山の向こうはわからない

あの川の先になにがあるのか知らない

 

僕らの信じられる世界は

たったそれだけで完結していた

 

 

 

夜の饒舌

 

常識や日常

いや信仰さえも崩れ落ち

世界は誰もが終末を口にし

神さえ疑わしい日から

幾年 幾月が過ぎた

 

月ってきれいだなと

ある日ベッドを窓辺に移し

文庫本ひとつを手に

和室の灯りを消し

すだれ越しに夜空を見あげれば

平安の時代から変わらないであろう

月あかりはやはり穏やかで

雲の流れる様が

ロマンチックなスクリーンのように

真夜中の空は饒舌だった

 

思わず本を置いて

見とれていると

どこからともなく

静かに 静かに

草の音 虫の音

 

なんと

平和な音じゃないか

平安の夜である

 

指揮者が不在でも

月夜の晩に必ずひらかれる

夜会

 

いまだ混沌の世の中で

誰もが疲れているけれど

このひととき

この瞬間

 

やはり神に祈ろうかと