憧憬の「山下公園」

 

小学校3年のとき両親に連れられ、

初めて山下公園へ行った。

 

ボクがよく遊んでいた近所の小高い丘から、

遠く横浜港がみえた。

その湾に突き出したように位置しているのが

山下公園だった。

 

でかけてみると、

自宅から山下公園までは、

電車の駅にしてたったの4駅だった。

が、当時はとても遠方にでかけたように感じた。

 

山下公園の海側に設置してあった一回10円の望遠鏡で、

ボクは興味津々に、ほうぼうをのぞいた。

 

きらきらとした海。

その波の上をヨロヨロと進むはしけや、

大桟橋に停留している初めてみる大型船。

 

気持ち良さそうに飛んでいるカモメたち。

 

が対岸に望遠鏡を向けると、

そのあたりにあるであろうボクの住む町は、

工場と煙突ばかりだった。

空はどんよりしていて、

スモッグですすけていた。

 

公園を3人でゆっくりと歩いた。

噴水というものを初めてみた。

歩く両脇には珍しい花が咲き乱れている。

停留している氷川丸の白がまぶしい。

 

対岸のボクの住む町とは、

全くの別世界のように思えた。

 

よく自宅から歩いて工場街の先にある岸壁へ行ったが、

そこはゴミが山のように溢れていて水面がみえない。

イヌやネコの死骸がプカプカと浮かんでいることもあった。

 

その近くにはいつも船が数隻停まっていて、

船上で荷仕事をしているおじさんたちが、

不機嫌そうな顔をして働いていた。

 

おじさんたちがボクらをみつけると、

必ずといっていいほどなにか大声で怒鳴っていた。

 

みなボロボロの服を着ていた。

 

× × × × ×

 

そして、時代は変わり、

ボクは学生になり、社会人となり、

時は夢のように過ぎていってしまったのだ。

 

老いが見えはじめた頃から、

その懐かしさ故、よく、みなとみらい線で

山下公園を訪れるようになった。

 

高速道路が複雑に建設され、

騒々しいあの造船所も、とうの昔になくなり、

臨海部は開発に次ぐ開発で、

昔と全く違う街に生まれ変わった。

 

海沿いの通りをレトロな「あかいくつ」バスが走り、

高層ホテルと大きな観覧車の間をゴンドラが通る。

 

が、相変わらず夕暮どきのこの景色が、

昔のままのように思ってしまうのは

なぜなのだろう?

 

そして昔と同じように、

ボクの住んでいたあの町へ目を向けると、

その数はかなり減ったものの、

相変わらず、立ちのぼる煙は上へ上へと風になびいて

天をめざしている。

 

桜にまつわる話

 

あるときは目黒川で、

またあるときは大田区の洗足池あたりで、

桜の咲く時期になると、

アルコールを煽っていた。

 

いまは一切飲まないが、

若い頃は、花見で酒を飲むというのは、

普段は孤独なフリーにとっては、

仲間で集うことで救いにもなっていた。

そんな気がした。

 

しかし、あるときから、

そんなことはどうでもいいことと、

少し強くなった自分がいた。

 

自分の立ち位置を掴んだ時期でもあった。

 

そして後に全く別の理由だけど、

アルコールをやめることとなった。

 

酔いというものがどうゆうものか、

いまではすっかり忘れてしまった。

 

あのむせるようなソメイヨシノが満開の下で、

濃いアルコールをグイグイと飲んでいたのは、

あれは実は私ではないのでないか、

と思ったりもする。

 

あれはきっと、夢なのだ。

そう思うことにしている。

 

こうして桜を眺めていると、

実にいろいろな春を思い出す。

 

とても辛い思い出は小学校のときの転校だった。

親の都合で3月の中頃に引っ越したので、

編入したクラスでも

中途半端な転校生と言われた。

 

知らない町で友達もできないまま、

3学期も終わってしまい、

やることも話す相手もいないので、

自宅のある新興住宅地の裏の山道を

ひとり歩いていると、

木々の間から可憐な山桜がのぞいた。

その淡い色あいや小ぶりな花が、

寂しい私を少し励ましてくれた、

ような気がしたものだ。

 

先日、桜祭りで有名な観光地を通る機会があった。

そこに人気はなく、無駄に大きな「中止」の看板が、

立てられていた。

 

満開の桜の木々の間を車で通り抜けるとき、

前方の景色が、

ほぼピンクの世界に染まっているように思えた。

 

やたらとまぶしい派手なピンクの世界…

 

ううん、やはりこういうのは苦手なんだと、

改めて気づいた。

 

神奈川を一望する―湘南平

だだっ広くて見晴らしのいいところ、ないかな?

閉じこもっていてもいい加減、ストレスが溜まるし。

で、ここがアタマに浮かんだ。

湘南平は、標高約180メートルの高台。

360度のパノラマ。

富士山、丹沢、相模湾と、海も山も一望できる。

「夜景100選」に選ばれているので、夜は絶景だ。

テレビ塔展望台と高麗山公園レストハウス展望台と、

2つの大展望台がある。

春には桜の名所にもなっている。

大磯の海上を飛んでいるヘリコプターが、

展望台から見下ろせるなんて面白い。

木々の間から海がみえる。

普段はあまりないシチュエーションなので、新鮮。

山頂のタワーは、東京タワーからの電波を受けて、

神奈川の山沿いの家々に電波を届ける中継点。

ぐるりと見渡すと、

南はブルーな海がだだっーと広がり、江ノ島がポツンと浮かんでいる。

横浜のランドマークタワーがにょきっと見える。

振り返ると、大山・丹沢山塊に不気味な雲の塊。

富士・箱根方面は霞んでいるなぁ。

伊豆半島は海に張り付いているようだ。

(縁結びの鍵)

 

 

煙となんとかは高いところにのぼる…

とかなんとか陰口が聞こえてきそうだが、

高いところ、好きだなぁ。

そういえばムカシ、占い師にこう言われたことがある。

「あなたの前世は、モンゴルの或る部族の首長で、

いつも高地の平原を馬で駆け巡っていた…」

ホントかよ?

(梅が咲いていました)

 

天国への階段

初めてその夢をみたのは、

確か20代の頃だったように思う。

その後、幾度となくおなじ夢をみた。

その風景に何の意味があるのだろうかと

その都度、考え込んだ。

それとも何かの警告なのか?

 

30代のあるとき、友人と箱根に出かけ、

あちこちをクルマで走り回っていた。

心地のいい陽気。日射しの降り注ぐ日。

季節は春だった。

 

ワインディングロードを走り抜ける。

爽快だった。

が、カーブに差し掛かったとき、

私はこころのなかで「あっ」と叫んだ。

 

そのカーブの先にみえる風景が、

私が夢でみるものと酷似していたからだ。

 

夢のなかで私は、

アスファルトの道をてくてくと歩いている。

どこかの山の中腹あたりの道路らしい。

それがどこの山なのか、そんなことは考えてもいない。

行く先に何があるのかも分からない。

 

陽ざしがとても強くて、暑い。

しかし不思議なことに、全く汗をかいていない。

疲れているという風にも感じない。

 

カーブの先の道の両脇には、

或る一定の間隔で木が植えてある。

その木はどれも背が低くて、

幹が白く乾いている。

太い枝には葉が一枚もない。

 

そのアスファルトの道が、

どこまでも延々と続いていることを、

どうやら私は知っているようなのだ。

 

夢でみた風景が箱根の道ではないことは、

その暑さやとても乾いた空気からも判断できた。

現に箱根のその風景は、

あっという間に旺盛な緑の風景に変わっていたからだ。

 

しかし、それにしても夢でみた景色とそっくりなのが、

不思議でならなかった。

 

夢のなかのその風景は、

メキシコの高地の道路のような気もするし、

南米大陸のどこかの道なのかも知れないと、

あれやこれやと想像をめぐらすのだが、

私が知った風景ではないことは確かだった。

 

つい最近も、仕事の合間のうたた寝の際、

夢の中にその風景が現れた。

 

立ち枯れた木がずっと続くその道の先は、

きっとその山の頂上に続いているのだろうと、

ようやくこのとき私は想像したのだった。

 

酷似した箱根のあの道の先には、

瀟洒なホテルが建っている。

夢に出てくる景色ととても似てはいるが、

やはり違う。

 

ただ、現実にみたその景色が、

私のなかの何かを呼び出したことは、

確かなことなのだ。

 

そこに意味があるように思えた。

「あなたがみた夢を決して忘れないように」と。

 

夢のなかでは、怖さも辛さも感じない。

とても強い陽ざし。

暑さと乾燥した空気。

あたりに風は一切吹いていない。

それは異国のようでもあり、

とても穏やかで静かな時間だった。

 

覚醒した私は思った。

 

頂上にたどり着いた私は、

やがて、空へと続く一本の階段を発見する。

そして、誘われるように、

その階段をテクテクと昇ってゆくのだろうと。

 

もちろん、その階段は天国まで続いている。

 

河原で久々のたき火です

 

例の騒ぎで閉鎖されていた河原がやっと解放されました。

 

 

近所の知人と、薪を5束と着火剤とイスとテーブルと

サンドイッチとコーヒーをもって、久しぶりに河原におりる。

 

この日の河原の気温は、推定3度くらい。

さっさと火をつけないと底冷えと湿気が身体にまとわりつく。

ユニクロのヒートテック、いまひとつのような気がしましたね。

 

 

火が安定するとホッとひと息つけます。

イスに身体を沈めて、コーヒー&サンドイッチ。

で、後は世間話をするだけなんですが。

 

 

僕がたき火に行ったと話すと、

たき火未経験の友人、知人は必ずこういうのだ。

 

「たき火だけ? なにか面白いことあるの?」

 

僕もそう思っていました。

 

 

たき火初体験は、丹沢の山の中でした。

アウトドア・ベテランの知り合いに連れてってもらいました。

このときは数人で夜中まで火を囲みました。

話すこともなくなると、みんなおのおの星空を仰いだり、

薪をくべながら火をじっとみていたり。

僕は、背後の木々のあたりから、赤い目がふたつ光っていたのが

忘れられません。

 

火をみていると、黙っていてもなんだか間がいい。

話し続ける必要もないし、それより沈黙がよかったりする。

 

 

刻々と変化する山のようすだとか空の色だとか、

時の移り変わりを身体で感じることができる。

 

火をじっとみていると、なんというか、

とても古い先人たちのことを僕はアタマに描く。

 

火を扱うことを覚えた古代のひとたちは、

肉なんかを焼いたりすることで、

とても感動したんじゃないか…

 

そんな遠い遠い記憶が、

僕たちにも刻まれているのだろうか?

 

 

牧場へGO!

 

いい加減、視界の狭い室内にずっといるのはよくない、

ということで、人気のない牧場をめざしました。

 

暑い。

けれどちょっと涼しい風がほどよく吹いて、

全身を通り過ぎる。

久々に味わう心地よさでした。

陽はジリジリとくる。

この焼ける感じが夏なんだと実感。

 

視界が広いってホントにうれしい。

気が休まります。

 

よくよく足元をのぞくと、

草の上をいろんな虫が歩いています。

 

「君たちは自由そうだね」

「いや、そんことはないんだ。だって

いつ鳥に食われちゃうか分からないからね」

「そういうもんか。みんな大変だなぁ。」

と勝手に無言の会話を交わしてから、

無造作に草を踏んづけて売店へ。

 

 

ハムとかチーズとかいろいろな乳製品を売っている。

ここで牧場特製のアイスクリームを買う。

結構おいしい。

けれど甘ーい、甘過ぎだろ。

 

ペロペロとやりながらほっつき歩いていると、

汗が止めどなく流れる。

いい感じ。その調子だ。

いつもの夏が帰ってきた。

 

 

ヒツジがメヘェェーってなくんだけど、

こっちの勘違いなのか、

テレビで観たもの真似芸人のそれと、

ほぼ変わらないんだよね。

 

このヒツジかタレントのようにみえるねぇ。

牛もヤギもみな人慣れしている。

全然違和感なし。

そういえば微笑んでないているようにみえる

ヒツジがいたなぁ。

気のせいであればいいのだが 汗

 

 

遠方の山々に目を移す。

神奈川県とはいえ、なかなかいい山並みじゃないかと

感心する。

木々から蝉のミンミンという大合唱。

割と都会面しているけれど、神奈川県は

箱根・丹沢などの山々を抱えている、

山岳県でもある。

 

この牧場をずっと北上すれば、高尾山、

さらに行けば東京の多摩の山奥に出られる。

そこまで行くと、檜原村だとか、御岳山とか、

いやぁ、アウトドアに最適なところがいっぱいある。

 

そこから至近の山梨県境まで足を伸ばせば、

いま話題の小菅村とか大菩薩峠もあるし。

 

―考えてみれば、人間も自然の一部なのだ。―

この名コピーが、心身にが沁みましたね。

 

キャンプへGo!

 

 

キャンプへ行ってきた。

陽気は暖かくなってきたが、

夜はまだまだ冷える。

よって今回はキャビンに宿泊。

エアコンもトイレもシャワーもある。

テレビやネットはないけど、

かなり柔(やわ)なキャンプではある。

 

河原テント派、山中独りキャンプ派から、

笑われそうである。

水際の底冷えする河原で

テント張って寝るのって、

この時期でもかなりキツい。

山中独りキャンプ派となると、

もうこれは一種、

選ばれしキャンパーと言える。

 

河原…、砂浜…は若いころに経験しているが、

独り…はどうしてもできない。

やる勇気もない。

 

私の場合、理由は明快だ。

お化けが出るから!

それも獣系。

ね、怖いでしょ。

私はそういうのには近づかない。

こういうのは若いのに任せよう。

いや、感度の鈍い奴に任せよう。

 

こっちは、霊体験もUFO遭遇も

すでに体験済みなので、

ほんと、もうゴメンです。

1万円あげると言われても断りますね。

 

で、今回のキャンプですが、

場所は、神奈川県相模原市にある

PICAというキャンプ場。

ここはトレーラーもテントもオートキャンプもOK。

キャビンにした理由は、

その設置場所が山のてっぺんにあるから。

そう、見晴らしの良さで決めました。

当日、昼間の下界は20度以上の暖かさだっが、

夕方、ここ山のてっぺんで火をおこすころには、

強風で気温がぐんぐん下がり、

とうとうダウンを着る羽目に。

気温は一ケタに急降下していました。

寒くて腹が減っているけれど、

自分が動かないことには何にも食えない。

それがキャンプなのです。

 

とにかく最短で火をおこすため、

紙切れと割り箸と着火剤を用意し、

まず薪に火をつけることに専念する。

で、徐々に炭を投入し、

火が安定するまでじっと頑張る。

こちらは肉を食いたくてウズウズしてる。

腹が減っている。

が、ここが正念場だ。

落ち着いておいしくじっくり焼こうと、

急いた気を静めながら、

ときに星空を見上げたりしてみる。

火の粉がガンガン飛んでくる。

まだ炎が不安定だが、肉を1枚焼いてみる。

やはり気が急いているなぁ。

予想通り、コゲコゲの失敗作ができあがる。

ああ、普段は食わない高価な肉が…

 

ここはひとつオトナにならねばと、

やっと我にかえり、火が安定するまで、

今度こそじっと耐えることにしましたね。

おかげで、肉、野菜、ホタテ、焼きそば等々、

お馴染みのコースをじっくり焼いて、

おいしく平らげることができた。

近くで、若い2組の子連れ夫婦が、

下界に向かって何か怒鳴っている。

ずっと大声を発している。

相当、酔っているらしい。

にしてもあいつら、

日頃から相当ストレスを溜め込んでいるなぁ。

笑える。

 

以前、ここのトレーラーに泊まったことがある。

12月初旬だったが、寒くて夜中に目が覚めた。

それに較べると、キャビンは快適だ。

が、一般の住宅のような仕様ではないから、

やはり寒いには寒い訳だ。


夜半、風が凪いだので、

表に出て空を見上げると、

オリオン座が明るく瞬いている。

それも近く大きくみえるではないか。

ちょっと感動する。

 

これだけでも来た甲斐はあった。

今回はわずかな時間だったけれど、

仕事のことはすっかり忘れました。

観てもつまらないテレビもないので、

読書に専念することもできました。

 

キャンプで非日常を体験すると、

日頃の生活の便利さが身に沁みます。

なのにストレスが吹っ飛びます。

心身に生気がみなぎります。

日頃のこびり付いた垢がとれます。

そして、本当に疲れます。

おかげで翌日からさらに深ーい眠りに

つくことができました 笑

さあ、あなたもキャンプへGoです!

 

 

真夜中の訪問者

 

最近、寝るときの

妙な習慣について書きます。

 

本を閉じてさあ寝ますというとき、

下になった一方の手を

反対の肩に乗せてからでないと、

どうも落ち着いて寝られない。

 

この動作、分かりますか。

ややこしいですかね。

 

では。

右肩が下なら、

右手を左の肩にのせる。

これでどうでしょう、

分かりましたか?

 

この動作って変ですよね。

でもそうするとなぜか安心できる。

すっと眠ることができるのだ。

いつからそうなのか忘れたが、

自分でも妙な癖がついたと思っている。

 

まだ寒いので、

冷えた方の肩に手を添えると、

手がとても暖かいので、

ホッとする。

このあたりまでは、物理的な話なんですが。

 

が、それだけではない。

自分の手なのに、

誰かの手のように感じる訳です。

その誰かが、しばらく分からなかった。

なんというか、

とても大きななにかに守られているような。

その感覚に包まれると、

心身ともにやすらぎさえ覚える。

 

数ヶ月が過ぎたころ、

それがとても遠い日の感触だと、

突然気づいたのだ。

 

母が亡くなってから数年後、

私は不思議な体験をしたことがある。

夜中になぜかふと目が覚めた。

2時か3時ごろだったと思う。

部屋の入口にひとの気配がした。

うん?と思い振り向こうとしたが、

首を動かそうにも、全く動かない。

畳を踏む音がして、

僕のベッドに近づいてくる。

 

不思議なことに、

このとき恐怖心などというものはなく、

脱力するような安堵感さえ感じられた。

その気配は僕の枕元でじっとしている。

僕は全く動くことができないでいた。

 

どのくらいの時間が経過したのかは、

全く分からない。

数十秒だったような気がする。

数分だったようにも思う。

 

「おふくろだろ?」

僕は心中で、その気配に話しかけた。

その問いに、気配は笑っているように思えた。

 

なぜ母だと思ったのか、

それは分析できない。

いまでも分からない。

ただ、とても懐かしい感じがしたのだ。

そして母だという確信は、

僕の記憶の底に眠っていた。

 

幼いころ、

母は僕を寝かしつけるのに、

いつも僕の肩に手を添えてくれていた。

僕の最近の変な癖について、

突如として思い出したのは、

その遠い記憶だった。

 

それが自らが作り上げた

こじつけなのか否かは、

自分でもどうもうまく解決できない。

説明がつかない話は、

世の中に幾らでも転がっている。

いまでは、そう思うことにしている。

 

それにしても、

僕がいくら年老いても、

母は依然として母であり続ける。

それは、永遠に変わらない。

妙なことに、それが事実なのだ。

 

そしてそう思うほどに、

生きている限り、頑張らねばならない。

真夜中の訪問者はいまだ変わることなく、

僕にやさしくて厳しい。

 

そういう訳で、

僕の寝しなの妙な儀式のようなものは、

当分続きそうな気がするのだ。

 

たき火のススメ

乾いたマキをクルマに積んで
さあでかけよう

水辺は冷えるので少し厚着をする

化繊は燃えやすいので
綿100㌫のパーカーは必須

夕方から始めるとなかなかいい雰囲気になる

 

 

たき火ってひとりっきりでもOK

疲れたらとにかく火がいい

 

 

 

それはたとえば
風呂に入るようなもの
とてもいい気分になる

誰にも安息は欠かせない

 

 

火があって
炎のゆらめきに惑わされて
催眠術にかかったような夢をみる

 

夕暮れの川辺では
ときおりシルエットの鳥が鳴く
川のせせらぎも遠くに響いて
やがて夜のとばりが降りる

こうして時間は消滅する

まわりをみると真っ暗だった

ロードショーが終わったときのように
やれやれと立ち上がりさっさと片付け
火の始末は怠らない

再び時間が動き出す

日頃の煩わしさは
いつもついてまわるから
やはり安息は必要だ

その日の夜は
とても穏やかな気分になる

 

 

 

オレだけのロックンロール

 

横浜の場末の店で
カウンター係をやっていたことがある。
高校を卒業したばかりで、
世間のことはまだよく分からなかった。

酒を飲ませる店だったので、
いろいろな酔っぱらいをみた。
自らもアルコールは飲んでいたが、
世の中、質の悪い酔っぱらいの多いのには驚いた。

大学の付属校にいたが、その大学へは進まず、
カメラマンをめざしていたが、資金が足りずで、
あきらめることとなった。
改めて大学をめざすのもなんだかシャクなので、
まずは働くことにした。

それにしても、酔っぱらいの相手は、
気長でなくては身がもたない。
相手とまともに取り合っていると、
そのうちにケンカになる。

一見さんでも常連さんでも、
ケンカはやはり起きるべくして起きる。
このころから、心底酔っぱらいが嫌いになった。
以来、酒を扱うところでは働かないことにした。

カメラマンへの道が閉ざされ、
水商売にどっぷりと浸かっていたころ、
僕の将来はいっさい見通せなかった。

昼に起きて市場にいったり、
店を掃除したり、そして仕込みをする。
店がオープンすると、
そう酔っぱらいの相手だ。

しかし、あとで気づいたことだが、
このころの学びはとても多かった。

おとなといういきもの、世間、
おとことおんな、お金、仕事、
夜の世界、情、ずるさ、かけひき、
誠実、約束、そして不誠実とか。

永年にわたって学ぶことが、
こうした世界にいると、
とても濃縮されているなと思った。

しかし、いくら自分を正当化しても、
やはり耐え難いものは隠せない。
いつも胸のつかえとして留まっている。
そんな憂鬱な日々が続く。

そんなころの唯一の楽しみは、
朝方のドライブだったように記憶している。

気に入った音楽を聴きながら、江ノ島まで走る。
第三京浜をかっ飛ばす。

または、朝までディスコで踊るとか、
山下公園の隅で寝てるとか…
そんなもんだった。

鬱屈してたころ、
突然あらわれたのが、キャロルというグループだった。

「ファンキーモンキーベイビー」が
彼らのデビュー曲だった。
いや、いまだに詳しくは知らないけど。

「ファンキーモンキーベイビー」を聴いたとき、
なかなか表現できないものが僕のなかにうまれた。

歌詞はほとんど意味をなさない。
けれど、感覚としては伝わる。
メロディはイントロから奇抜。
演奏は決して洗練されていなが、
いままで聴いたことのない音楽だった。

この曲を何度も何度も聴いているうち、
なにかよく分からないのだが、
新しい時代がくるような気がした。

胸のつかえがとれてきた。

憂鬱な毎日を早々に壊してやろう。
そんな気になった。
そして将来というものを
再び考えるようになった。

人からみればくだらない、
いや、ささやか過ぎるかもしれない。
しかし、僕にとってのおおいなるきっかけが、
彼らのデビュー曲だったのだ。

そして生活が変わり、
考え方も変わった。

僕は店をやめた。

生活があるのでいろいろなアルバイトを
転々としながら、
とりあえず大学を受験しようと思った。

そしてカメラマンに代わるなんかを探そうと、
夜な夜な、ベンキョーというものを始めた。

それはとても新鮮で真剣な日々だった。