シャガールの夢

 

 

世界にはいろいろな絵があるけれど、

ボクがいつも思い浮かべるのは、

シャガールのあの夢の世界のような絵だ。

 

キャンバスをほぼ独特の深い青で染め、

花束を抱えた男の人が空を飛んでいる。

その横になぜか牛の横顔が大きく描かれ、

虹のような色彩をしている。

 

キャンバスの下方には地上と思われる

黒い台地が描かれていて、

そこに白のドレスの女性が空を見上げている。

 

シャガールの作品のどれもが、

正しい遠近感とかパースのような技法は

一切ない。

 

適当に描かれているかと問われれば、

「いや、そうではない」と素人のボクでも否定できる、

妙に納得させられてしまう、そんな配置なのだ。

 

ぼんやりとした背景はこの世の風景とは異なる、

異世界のような深いブルーが、こちらを引き込もうとする。

 

色合いは、

濃いブルーのなかに浮かび上がるカラフルな花束とか、

暗闇に咲く黄色い花だったりとか、

ちょっと意表を突く唐突さがあって、

それでいて改めて全体を眺めると、

やはりそれは夢のなかの世界のように、

メルヘン的な美しさがある。

 

シャガールは、

当時のロシア帝国(現ベラルーシ)出身のユダヤ人だが、

パリで活動していたときに第二次世界大戦が勃発し、

ナチスの迫害を逃れてアメリカへ亡命した。

 

戦後、再びパリに戻って活動を再開したが、

その頃、最愛の奥さんを亡くした。

 

後、60代になって再婚したが、

結局彼は生涯、

最初の奥さんの絵ばかりを描いていた。

 

それが一連の彼の作品だ。

 

作品のどれもがリアリティーがない。

ディティールが描かれていない。

 

代わりに幻想が漂う。

 

それは、彼の記憶の中に眠っている

奥さんとの思い出を描いているから、

結果、記憶を辿るような、

夢のような絵となって結実している。

 

シャガールの作品はどれも、

文章に例えると、散文であり、詩である。

 

最愛の奥さんとの思い出を、

シャガールはことばでなく、

詩を書く代わりに、

割れたガラスの破片を集めるように、

絵を描いた。

 

そこにゆるぎのない愛を込めて

 

 

幸福な時間とは

 

最近、絵を描くことに挑戦しているが、

ぜんぜん上手くならない。

 

雑誌「一枚の繪」もかなり買い込んだ。

ぺらぺらと眺めていても、どれも上手い絵ばかり。

 

Pinterest(ピンタレスト)という画像アプリで、

仕事の空いた時間に世界の名画とか印象派の絵、

ニューヨークアートなどもけっこう丹念にみているが、

やはりため息しか出ない。

 

そのうち、何のプラスにもならないような気がしてきた。

 

そもそも小さいときから絵は下手だったし、

図画工作の時間も苦痛だった。

なのに、中学一年のときの美術の時間に

クリスマスカードを描くことになり、

そのときアタマにパッと絵が浮かんだのだ。

 

雪のなかをトナカイが、

サンタを乗せたソリを引いて疾走している。

背景には北欧の針葉樹が雪をかぶっている。

遠くに赤い家がポツンと建っている。

 

誰でも思いつきそうな絵柄ではあるけれど、

そのときは我ながら「すごい」と思ったのだ。

そして思いついたからには、それを必死で描いた。

こればかりはかっこよく描かなくちゃ…

 

必死で描く理由が他にもあった。

同じクラスの好きな女の子に、

その絵をプレゼントしようと考えていたからだ。

 

結果、先生にも誰にも褒められなかったし、

ひいき目にみても上手いとは言えない出来だった。

 

結局そのクリスマスカードは好きな子に渡すこともなく、

机の引き出しのなかにしまい込んでしまった。

 

けれど、この創作の時間というものには、

思いがけない収穫があった。

夢中で描いていたあの時間が、

あとでとても幸福だったと気づいたからだ。

 

あの濃密な時間は不思議なひとときだった。

 

それはギターの練習でも味わったし、

高校の吹奏楽部でのトランペットの練習でも、

拳法の鍛錬でも味わった。

受験勉強も仕事でも、たびたび感じることができた。

 

それがいわば集中力というものと同じなのか、

僕には分からない。

 

けれど、その基準はきっと、

「時の過ぎるのも忘れてしまう至福のとき」

だったような気がする。

 

 

そしてもうひとつ気づいたことがある。

 

絵が上手いとはどういうことなのか?

その疑問が今日まで続いている。

 

絵画教室というのもあるけれど、

どうも気が進まない。

そういうところで習ったひとの絵を

幾度となくみたことがある。

皆ホントにみるみる絵が上達するし、

上手いとは思うのだけれど、

どれも一様に惹かれるものがないのだ。

 

そこが分からないのだ。

そのあたりが僕の絵に対する謎であり、

いつまで経っても解くことができない

知恵の輪のようなものになっている。

 

幸福な時間の過ごし方の一端は

掴んだような気がするけれど。

 

 

 

花束をあげよう

 

花束って、

もらうととてもうれしい

あげてもやはりうれしい

 

そこにはきもちっていう

不思議なものを伝える

電気とか空気振動にも似た

見えない伝達機能のようなものが存在していて

ちょっとした感動がうまれたりする

 

赤いバラの花、カーネーション、真っ白なユリのはな

黄色いスィートピー、すがすがしいキキョウの紫

そしてカスミソウ、麦の穂やら

 

いろいろな花でにぎわって

いろいろな色が交りあって

想いが込められて

花束はあたらしい生命に生まれ変わる

 

とても幸せないっしゅんは

きもちを伝える方も

受けとる側も

 

花の命はみじかいけれど

とてもしあわせな命