トランプのアメリカは蘇るのか?

 

アメリカは、トランプで決まり。
下馬評どおり、オッズどおりだった。

(オッズはアメリカの賭けサイトで、みんな自らの現金をかけているので
情勢の分析は真剣で、偏ったメディア情報よりずっと正確だと思う)

が、日本のメディアは連日、民主党のカマラ・ハリスとトランプが接戦と報じていた。

これは、アメリカの偏ったメディアの情報をそのまま垂れ流していたに過ぎない。

まぁそれが日本のテレビの現状なのだ。

本当のことなどどうでもいい。
真実の報道などというものは、
この国では軽んじられているのだから…
ということになる。

アメリカはいまインフレが酷い。
原因はバイデン政権にある。
カマラ・ハリスは、現副大統領である。

選挙期間中、彼女は政策らしきものを
なんにも披露しなかった。
バイデン政権の踏襲ともとられた。

というより、急遽大統領候補となった彼女に、
政策などというものを練る時間もなかったのか?

バイデン政権は移民政策も推進していたが、
ついでに不法移民も大量に入れてしまった。
(不法って、理屈抜きで良くない訳です)

しつこいが国境を開放したのはバイデン政権であり、
その直接の国境担当がカマラ・ハリスだったので、
まぁ何をか言わんやでしょ?

こうした報道を日本ではいっさい流さない。
(が、現地の人たちはこうした状況を肌身で感じてる)

インフレも同様。

アメリカの有権者はよく見ている。馬鹿じゃない。

では、いっぽうのトランプ氏はどういう人物なのか?

日本の報道から垣間みえる彼は、
横暴で自国のことしか考えない、
他国はどうなったって知ったことではない、
というような人物である。

これは本当なのだろうか。
また、彼が日本に与える影響はどんなものなのか。

アメリカは現在借金でにっちもさっちもいかない状態であり、
この先もこの超赤字財政は解消しないのではないか、
というのが本当のところなのだが、
なにをどう間違えたのか、誤魔化したのか、
S&P500に代表されるアメリカのインデックスファンドなどは、
いっけん好調を続けているようにみえる。

この化けの皮が剥がれるのがいつなのか?
それが問題なのだが、ここに注目している人は、
かなりの少数だと言われている。

このことをトランプも、もちろん承知している。

彼は、諸外国に高い関税をかけて、
この難局を切り抜けようとしているのか。
が、時既に遅し。
いまの状況では、いつ恐慌がおきてもおかしくないと囁かれている。

日本のテレビや新聞、名だたるネットメディアをみても、
そんなネガティブな話はいっさい伝わってこない。

が、トランプの周辺からはこうした情報が語られている。
(怖いですよね)

また、トランプはああ見えて、戦争が嫌いな人物である。
前回の大統領の任期中でも戦争は控えていた。
(バイデン政権では戦争ばかりやっていたけれど)

では彼はなぜ、ああみえるのか?

横暴で自国のことしか考えない、
他国はどうなったって知ったことではない、
というような人物であると。

これがたとえばだが、
メディアのつくりだした虚像だとするとどうだろうか?

メディアだって食っていかなくてはならない。
稼がなくてはならない。

よって、正義や真実とはほど遠い情報だって、
すました顔で大量に流したりしている。

よってある意味、現在のメディアは、
自ら公共性を毀損している。

Q.ではそもそもメディアとは何なのか?
A.強大な権力です。

Q.メディアって誰のものなのか?
A.少なくとも私たちのものではないことは確かなことのような気がする。

Q.メディアの経営はどうなっているのか?
A.ここはお金の流れなどを追っていくと
かなり視界がクリアになるのだけれど、
膨大な時間と情報リテラシーが要求される。

話を戻そう。

実際トランプは嫌われているのは事実なのだが、
ではそれはいったいどんな相手なのか?

これもこたえは簡単至極。

彼の政策と利益相反する企業やそうした集団、
立場の人間たちである。

先に、彼は戦争が嫌いだと書いたが、
さぁ、利益の相反する相手とは?

そういうことなのである。

さて、このままトランプが大統領になると、
きっと日本製品にも高い関税をかけるのだろう。
(アメリカは世界一の消費国だからマーケットもデカい)

日本だけでなく諸外国もその回避策として、
工場をアメリカに移転するとか、あれこれと対策を練っている。

トランプはアメリカを再び蘇らせると考えているのだ。

ここでよく世間では、
アメリカファーストと叫ぶトランプを悪く言うが、
日本の政治家が外国のためにあくせくしていたら、
みんな怒りますよね。

日本の政治家にはジャパンファーストでいてもらいたい。

当たり前のことなんですがね。

で、このままいけば、2025年の1月20日にトランプ政権が誕生する。
予想では、戦争、紛争はとりあえずは減る。

が、景気、とりわけ日本の経済状況はよくみえない。

分かっているのは、トランプ次第で日本もその余波を受けるということ。
これは明白なのですね。

日本もそろそろ独立自尊の道を模索する時期にきている。

それはとても良いことだと思うのだけれど…

 

 

村上作品にみるオリジナルとは何か?

さきごろ読み終えたスティーヴン・キングの「シャイニング」は、

タイトルを直訳すれば光るとか輝くとかそんな意だが、

人の心のなかにそんなものがあったとしたら…

それが霊力とかスピリチュアルとか呼ばれるものなのかどうかは不明だが、

まず彼はそうしたものをよく書く作家ではある。

「シャイニング」は上・下巻の結構ぶ厚い長編で、

内容はいわば幽霊屋敷もの、と呼ばれているものだ。

そうしたジャンルの話だけあって、

上巻はその怖さを演出するための舞台装置が完璧に準備され、

続く後半は、ジェットコースターのような圧倒的な恐怖の連続となる。

なので取り掛かるには、それなりの覚悟が必要となる。

となると、寝る前に読むには不向きだろうと思われるが、

この小説には、何か恐怖や不安とは別に、

人が抱えるやるせなさとか悲しさみたいなものが漂っていて、

そこがスティーヴン・キングの作品と、

他のホラー小説は決定的に違っている。

という訳で、或る読者にとっては、

寝る前のひとときの適書と言えなくもない。

前述の通り、彼はこのストーリーに或る偉大な存在とでも言おうか、

Great・somethingを盛り込んでいる。

そして彼は、ホラーだけでなく

「スタンド・バイ・ミー」や「グリーン・マイル」と言った

人間味溢れる作品も巧みに描くのである。

とりわけ「グリーン・マイル」は、

ある意味とてもヒューマンな話である。

それは作者の考える、

世の中の理不尽さを表すような設定でもあるし、

悲しみややるせなさが、ことごとく滲み出ている。

そして、人の恐怖や不安だけでなく、

やはり彼はこのストーリーのなかに、

人知を超えたGreat・somethingを描く。

それが「神」なのかどうかは彼自身は語らない。

いや語る必要もないのであろう。

そうしたものを絶望に瀕したものなら誰もが、

やはり一度は信じる。

それが彼のスタンスのように思えてならないからだ。

だからというべきか、

必然的に彼はストーリーの面白さだけでなく、

人を魅力的に描くのが上手い。

それが良い人間であろうと無かろうと…

1980年代、かの村上春樹はすでに彼の虜になっていて、

世間の評価がまだ低かった彼の作品を、多いに評価していた。

その裏付けは、後の村上作品の随所に見られ、

例えば「ダンス・ダンス・ダンス」のいるかホテルの設定なども、

ある意味スティーヴン・キングを模して描いた節がある。

また、村上作品に頻繁に登場する羊男も、

「シャイニング」に登場する犬男のパロディー、

いや、オマージュとして名を冠し、

登場させたのではないかとも思える。

そして「海辺のカフカ」に登場する人物に至っては、

その誰もが魅力的なパーソナリティーをもち、

かつ超能力というべきか、

異次元の力のようなものをもつ人物が登場するのだが、

これは、スティーヴン・キングがよく描く人物像と被る、

と言えなくもない。

こうした点検を重ねる毎に、

村上春樹の世界を形づくる

或る一片の原型の出所が見え隠れする。

最近出された村上春樹の「雑文集」を読むと、

彼のスティーヴン・キングへの強い傾倒がみてとれる。

村上春樹は、それを一切隠そうとはしない。

それどころか、

すでに30年以上前に書いたスティーヴン・キングへの想いを、

今回、再編集して掲載している。

これが村上春樹の懐の広さというか、

そうした素材を更に進化させ、

自分なりの作品へと昇華してしまうところが、

彼のベストセラー作家としての自信なのだろう。

更に、私の手元に30数年前の「ユリイカ」があって、

それは「村上春樹の世界」と題された臨時増刊号である。

そのなかに、「村上春樹とスティーブン・キング」という、

風間賢二(幻想文学)さんが書いた一節が妙に頭に残る。

「前文省略…

60年代の子供たちの同時代感覚ー(絶望)を創作の糧とする

村上春樹とスティーブン・キング。

しかし、彼らの作品を読んで悲観的になったり

不快になったりすることはない。

キングの場合、むしろ勇気づけられることがある。

それは絶望的な状況をサバイバルしようとする人たちを描きながら、

ヒューマニティーを逆説的に語っているからである。

また村上春樹の場合は、読後にやさしい気分になれる。

シニカルな観察者であってもその語り口は

カインドネスに満ちているからである。

おそらくこれが、双方共にベストセラー作家たる由縁だろう」

同時代を生きる、あるいは同世代のいずれかが共鳴するとき、

そこに生まれるのは同質の世界観であり、

その根底に模倣があっても何の不思議もない。

それを意識するにせよ、意識しないにせよだ。

よって、自分だけの世界観を創り上げようとするとき、

それはどこかで影響を受けた誰かを避けて通ることは、

決してできない。

それが歴史上初のオリジナルであるハズもなく、

単に自分というフィルターを通した焼き直しには違いないのだが、

しかし、人はそれでも新たな道を拓くことに余念がないのは、

人が進化しながらとはいえ、継承するいきものだからではあるまいか。

こうしてスティーヴン・キングもまた、

その原点に誰かのオマージュがあったに違いないし、

それは本人が意識しようとしまいと、

彼の世界観、作品に必ず反映されているハズである。

オリジナルの姿とは、

結局のところ、ある意味での模倣を免れることはできないし、

また、これが現代のオリジナルと呼ばれるものの宿命、

とも言えるのではないかと思われる。