「19才の旅」No.2

 

やっと掴んだ「旅という逃げ場」で、

ボクらは出ばなをくじかれていた。

 

5,500トンという当時では大型の客船、新・さくら丸。

この船に意気揚々と乗り込んだのはいいが、

ボクらはのっけからその客室A-Bという

ごくスタンダードな部屋のベッドで、

頭痛と吐き気に耐えることとなった。

 

人生初の船酔いは、思ったより重症だった。

ボクは考えることをあきらめた。

(将来のことなど知ったことか!)

 

ひどい目眩がしてきたので、

ここはやはり寝るしかなさそうだ。

布団を被って、目をつむる。

 

時間はどのくらい過ぎたのか。

いつしかボクは寝ることに成功していた。

 

結局ボクらは、朝まで全く何も話せなかった。

そんな余裕などあるハズもなかったのだが。

 

翌朝、なんとか立ち直ったふたりは、

昨日の反省から決めごとをつくった。

 

・アルコール禁止

・デッキに出たらとにかく近くの波を見ない

・船の揺れに逆らわない

・遠くの景色や空だけを眺める

 

浅知恵にしては、以後、酔うこともなく、

この船旅は快適なものとなった。

 

同じ船旅をしている幾つかのグループとも仲良くなれた。

東京から参加した年上の男性ふたり組。

そして東京から来たという同年代とおぼしき3人の女性グループ。

横浜組のボクたちも加わり、なかなか面白いグループができた。

 

7人は不思議と気が合う人ばかりで、

船内ではよく行動を共にした。

 

デッキでバカ騒ぎをしたり、

ラウンジではカップヌードルを食べながら、

みんなでコーラで乾杯をして、

どうでもいい話題で盛り上がっていた。

 

後、東京から参加した年上の男性ふたり組とは、

何年か手紙のやり取りをした。

特に、「イガちゃん」と呼ばれていた人とボクは懇意になり、

船上で、人生の先輩としていろいろな話をしてくれた。

 

彼は長距離トラックのドライバーで、

角刈りでいつも真っ白いBVDのTシャツを着ていた。

日焼けして顔の彫りが深く、口数は少ない。

が、笑うととてもかっこいい笑顔になった。

 

ボクが何気なく、

ちょっと将来に不安があるようなことを

口走ったことがきっかけで、

彼はポツポツと自らの青春を話してくれた。

 

ボクは、イガちゃんが聞かせてくれた

幾つかの体験話に心を惹かれた。

そしていつの間にか、

自分が深く悩んでいたことさえ、

忘れかけようとしていた。

 

彼はとても知的で、

深い洞察をする人だった。

ただ高学歴だけのつまらないインテリとは違い、

ことばに、体験した重みと説得力のようなものがあった。

 

彼はよく気難しい表情で遠くを眺めていた。

それはとても印象的なショットとして、

ボクのアタマのなかで映像化された。

 

イガちゃんのもう一人の相棒は、

身体がでかくて色白でぽっちゃりとした好男子。

アパレル関連で働き、連日帰宅は深夜で、

いい加減疲れたとよくこぼしていた。

彼の名はもう忘れたが、女性あさりはなかなかのもので、

まあそういう人だったが、

このふたりがなぜ親友なのかは謎だった。

 

それにしても旅は不思議なことの連続だと思った。

あの夏、7人はあの船に偶然乗り合わせた。

そして思いがけなくも、皆は波長が合い、

かけがえのない時間を共有することができたのだから。

 

あれから永い年月が経過したが、

あの船上での輝くような時間は、

もう二度と訪れない。

 

旅って、きっとそういうものなのだろう。

 

旅は、偶然がもたらす化学変化だ。

だから、人はときとして旅立つのだ。

 

暑いあの夏。

ボクらはつい数日前まで、

夢をなくして路頭に迷っていた。

が、なんとか旅へでかけるという行動に出た。

 

そしてボクのなかの、丸山のなかの何かが、

めまぐるしく活動を開始したのだ。

(続く)

 

 

 

「19才の旅」 No.1

 

東京・竹芝さん橋で、新・さくら丸に

親友の丸山と乗船した。

ふたりとも、船旅は初めてだ。

 

船は、本州に沿って航行を続けるという。

360度、どこを見ても海というのは、

とても新鮮な体験だった。

が、伊豆大島を過ぎ、三河湾あたりで

そろそろ海の景色にも飽きてきた。

 

デッキで潮風にあたりながら、

ずっとビールをラッパ飲みしていたので、

少し吐き気を催してきたみたいだ。

 

初めての船酔い。

 

ボクと丸山は船室に戻って、ベッドに横になった。

そこで、ボクは吐き気を抑えながら、

必死で何かを考えようとしていた。

丸山もきっとそうだったと思う。

 

(この先、ボクはどこへ行こうとしているんだろう?

いったい、ボクは何をめざしているのだろう?)

 

その問いは、この船旅ではなく、

自分のこれからの身の振り方だった。

 

この頃、ボクたちは自身でもイラつくほどに、

自分のことが分からなくなっていた。

そして日々、迷ってばかりいたのだ。

 

ボクは、大学の付属校へ通っていたにもかかわらず、

カメラマンになるのが夢だったので、

大学への進学は2年の秋ごろから辞退していた。

が、その意思を学校へ提出した後で分かったことなのだが、

カメラマンになるには、それなりの高い学費と、

高額なカメラ機材を買う費用、

そして自宅に現像室を設置しなくてはならなかった。

 

何をやるにも事前の準備不足が、

ボクの欠点だった。

 

そのことを一応両親に話してはみたが、

予想どおりの回答が返ってきた。

父は母にこう話したそうだ。

「あんな極道息子に出す金はない」

 

この文句は、ボクも予想していた。

当然といえば当然の報いとも言える。

なにしろ、高校時代のボクに、

褒められたところは、ひとつもないのだから。

 

一年で吹奏楽の部活をやめてしまったボクは、

地元の友達といつも街をふらふらとしていたし、

そうした仲間と酒を飲み、タバコをふかし、

ディスコで朝まで踊ったりしていたのだ。

 

一応、なんとか高校は卒業したものの、

まともな就職もあきらめて、

いろいろなバイトで生計を立てていたが、

空虚な毎日で、行き場をなくしていた。

 

一方、中学で同級生だった丸山も、

家の事情で普通高校をあきらめ、

自衛隊の少年工科学校の寄宿舎へ入ったものの、

キツい学業と訓練に明け暮れた毎日に嫌気が差し、

バイク事故でケガをして入院したことも重なり、

学校を中退し、疲れ果てていた。

 

やはりボクと同様、鬱屈した毎日を送っていた。

 

ヒマで退屈なあの夏。

 

ボクは、永遠にどこまでも、

何の目的も希望もない毎日が続くのではないか、

という恐怖に幾度も襲われた。

 

その夏は、とにかく24時間がとても長く、

朝も昼も夜もつねに憂鬱だった。

 

汗が止めどなく流れる、とても暑い夏。

ボクは丸山のアパートで過ごす日が多くなった。

 

しかし、お互いに何もすることがなかった。

そんな日が幾日も続いた。

 

ふたりはあたりが暗くなると、

だるい身体を引きづるように、

連れだって近所の居酒屋へでかけた。

 

そこで安いアルコールを飲み、

酔いがまわってくると、

ふたりは真剣な顔つきになってしまうのだ。

 

「俺たちは一体なにものなのか、

この先、何がしたいのか?」

 

そんな全く結論の出ない議論のようなものを、

延々としていたのだ。

 

当然、出口のようなものはみつからない。

それは、まるで明日へと繋がる時間が、

完全に閉ざされたような失望感を伴っていた。

 

そんなやるせない毎日が続いた。

 

相変わらず強い陽が照りつける或る日の夕方、

ボクと丸山はいつものように、

近所の商店街をだらだらと歩いていた。

と、新しいビルの一階に、

オープンしたばかりの旅行代理店が目に入った。

 

通りから眺めるガラスのウィンドウには、

北海道3泊○万○千円~とかアメリカ横断7日○○万~とか

いろいろな手書きの紙がペタペタと貼ってある。

そのチラシのような張り紙を、

ふたりでぼおっーと眺めていた。

 

何の興味も湧かないのだが、

ふたりはなにしろ暇なので、

その張り紙を隅から読み始めた。

が、時間がどのくらいか経過した頃、

ボクのアタマに何かがひらめいたのだ。

 

丸山をのぞくと、

彼の横顔にも同様の表情が見て取れた。

 

ふたりは、その小さな店舗のガラス扉を開け、

相手の説明もたいして聞かないまま、

沖縄行きの予約をした。

 

店を出ると、陽はとっくに暮れていた。

相変わらず熱気が身体にまとわりついて、

また汗が噴き出す。

 

ボクらは商店街を再び歩き出すのだが、

それは自分たちでも驚くほど軽快な足取りだった。

 

その日を境に、ボクたちの気持ちに、

ある変化が生じていた。

(続く)

憧憬の「山下公園」

 

小学校3年のとき両親に連れられ、

初めて山下公園へ行った。

 

ボクがよく遊んでいた近所の小高い丘から、

遠く横浜港がみえた。

その湾に突き出したように位置しているのが

山下公園だった。

 

でかけてみると、

自宅から山下公園までは、

電車の駅にしてたったの4駅だった。

が、当時はとても遠方にでかけたように感じた。

 

山下公園の海側に設置してあった一回10円の望遠鏡で、

ボクは興味津々に、ほうぼうをのぞいた。

 

きらきらとした海。

その波の上をヨロヨロと進むはしけや、

大桟橋に停留している初めてみる大型船。

 

気持ち良さそうに飛んでいるカモメたち。

 

が対岸に望遠鏡を向けると、

そのあたりにあるであろうボクの住む町は、

工場と煙突ばかりだった。

空はどんよりしていて、

スモッグですすけていた。

 

公園を3人でゆっくりと歩いた。

噴水というものを初めてみた。

歩く両脇には珍しい花が咲き乱れている。

停留している氷川丸の白がまぶしい。

 

対岸のボクの住む町とは、

全くの別世界のように思えた。

 

よく自宅から歩いて工場街の先にある岸壁へ行ったが、

そこはゴミが山のように溢れていて水面がみえない。

イヌやネコの死骸がプカプカと浮かんでいることもあった。

 

その近くにはいつも船が数隻停まっていて、

船上で荷仕事をしているおじさんたちが、

不機嫌そうな顔をして働いていた。

 

おじさんたちがボクらをみつけると、

必ずといっていいほどなにか大声で怒鳴っていた。

 

みなボロボロの服を着ていた。

 

× × × × ×

 

そして、時代は変わり、

ボクは学生になり、社会人となり、

時は夢のように過ぎていってしまったのだ。

 

老いが見えはじめた頃から、

その懐かしさ故、よく、みなとみらい線で

山下公園を訪れるようになった。

 

高速道路が複雑に建設され、

騒々しいあの造船所も、とうの昔になくなり、

臨海部は開発に次ぐ開発で、

昔と全く違う街に生まれ変わった。

 

海沿いの通りをレトロな「あかいくつ」バスが走り、

高層ホテルと大きな観覧車の間をゴンドラが通る。

 

が、相変わらず夕暮どきのこの景色が、

昔のままのように思ってしまうのは

なぜなのだろう?

 

そして昔と同じように、

ボクの住んでいたあの町へ目を向けると、

その数はかなり減ったものの、

相変わらず、立ちのぼる煙は上へ上へと風になびいて

天をめざしている。

 

桜にまつわる話

 

あるときは目黒川で、

またあるときは大田区の洗足池あたりで、

桜の咲く時期になると、

アルコールを煽っていた。

 

いまは一切飲まないが、

若い頃は、花見で酒を飲むというのは、

普段は孤独なフリーにとっては、

仲間で集うことで救いにもなっていた。

そんな気がした。

 

しかし、あるときから、

そんなことはどうでもいいことと、

少し強くなった自分がいた。

 

自分の立ち位置を掴んだ時期でもあった。

 

そして後に全く別の理由だけど、

アルコールをやめることとなった。

 

酔いというものがどうゆうものか、

いまではすっかり忘れてしまった。

 

あのむせるようなソメイヨシノが満開の下で、

濃いアルコールをグイグイと飲んでいたのは、

あれは実は私ではないのでないか、

と思ったりもする。

 

あれはきっと、夢なのだ。

そう思うことにしている。

 

こうして桜を眺めていると、

実にいろいろな春を思い出す。

 

とても辛い思い出は小学校のときの転校だった。

親の都合で3月の中頃に引っ越したので、

編入したクラスでも

中途半端な転校生と言われた。

 

知らない町で友達もできないまま、

3学期も終わってしまい、

やることも話す相手もいないので、

自宅のある新興住宅地の裏の山道を

ひとり歩いていると、

木々の間から可憐な山桜がのぞいた。

その淡い色あいや小ぶりな花が、

寂しい私を少し励ましてくれた、

ような気がしたものだ。

 

先日、桜祭りで有名な観光地を通る機会があった。

そこに人気はなく、無駄に大きな「中止」の看板が、

立てられていた。

 

満開の桜の木々の間を車で通り抜けるとき、

前方の景色が、

ほぼピンクの世界に染まっているように思えた。

 

やたらとまぶしい派手なピンクの世界…

 

ううん、やはりこういうのは苦手なんだと、

改めて気づいた。

 

神奈川を一望する―湘南平

だだっ広くて見晴らしのいいところ、ないかな?

閉じこもっていてもいい加減、ストレスが溜まるし。

で、ここがアタマに浮かんだ。

湘南平は、標高約180メートルの高台。

360度のパノラマ。

富士山、丹沢、相模湾と、海も山も一望できる。

「夜景100選」に選ばれているので、夜は絶景だ。

テレビ塔展望台と高麗山公園レストハウス展望台と、

2つの大展望台がある。

春には桜の名所にもなっている。

大磯の海上を飛んでいるヘリコプターが、

展望台から見下ろせるなんて面白い。

木々の間から海がみえる。

普段はあまりないシチュエーションなので、新鮮。

山頂のタワーは、東京タワーからの電波を受けて、

神奈川の山沿いの家々に電波を届ける中継点。

ぐるりと見渡すと、

南はブルーな海がだだっーと広がり、江ノ島がポツンと浮かんでいる。

横浜のランドマークタワーがにょきっと見える。

振り返ると、大山・丹沢山塊に不気味な雲の塊。

富士・箱根方面は霞んでいるなぁ。

伊豆半島は海に張り付いているようだ。

(縁結びの鍵)

 

 

煙となんとかは高いところにのぼる…

とかなんとか陰口が聞こえてきそうだが、

高いところ、好きだなぁ。

そういえばムカシ、占い師にこう言われたことがある。

「あなたの前世は、モンゴルの或る部族の首長で、

いつも高地の平原を馬で駆け巡っていた…」

ホントかよ?

(梅が咲いていました)

 

天国への階段

初めてその夢をみたのは、

確か20代の頃だったように思う。

その後、幾度となくおなじ夢をみた。

その風景に何の意味があるのだろうかと

その都度、考え込んだ。

それとも何かの警告なのか?

 

30代のあるとき、友人と箱根に出かけ、

あちこちをクルマで走り回っていた。

心地のいい陽気。日射しの降り注ぐ日。

季節は春だった。

 

ワインディングロードを走り抜ける。

爽快だった。

が、カーブに差し掛かったとき、

私はこころのなかで「あっ」と叫んだ。

 

そのカーブの先にみえる風景が、

私が夢でみるものと酷似していたからだ。

 

夢のなかで私は、

アスファルトの道をてくてくと歩いている。

どこかの山の中腹あたりの道路らしい。

それがどこの山なのか、そんなことは考えてもいない。

行く先に何があるのかも分からない。

 

陽ざしがとても強くて、暑い。

しかし不思議なことに、全く汗をかいていない。

疲れているという風にも感じない。

 

カーブの先の道の両脇には、

或る一定の間隔で木が植えてある。

その木はどれも背が低くて、

幹が白く乾いている。

太い枝には葉が一枚もない。

 

そのアスファルトの道が、

どこまでも延々と続いていることを、

どうやら私は知っているようなのだ。

 

夢でみた風景が箱根の道ではないことは、

その暑さやとても乾いた空気からも判断できた。

現に箱根のその風景は、

あっという間に旺盛な緑の風景に変わっていたからだ。

 

しかし、それにしても夢でみた景色とそっくりなのが、

不思議でならなかった。

 

夢のなかのその風景は、

メキシコの高地の道路のような気もするし、

南米大陸のどこかの道なのかも知れないと、

あれやこれやと想像をめぐらすのだが、

私が知った風景ではないことは確かだった。

 

つい最近も、仕事の合間のうたた寝の際、

夢の中にその風景が現れた。

 

立ち枯れた木がずっと続くその道の先は、

きっとその山の頂上に続いているのだろうと、

ようやくこのとき私は想像したのだった。

 

酷似した箱根のあの道の先には、

瀟洒なホテルが建っている。

夢に出てくる景色ととても似てはいるが、

やはり違う。

 

ただ、現実にみたその景色が、

私のなかの何かを呼び出したことは、

確かなことなのだ。

 

そこに意味があるように思えた。

「あなたがみた夢を決して忘れないように」と。

 

夢のなかでは、怖さも辛さも感じない。

とても強い陽ざし。

暑さと乾燥した空気。

あたりに風は一切吹いていない。

それは異国のようでもあり、

とても穏やかで静かな時間だった。

 

覚醒した私は思った。

 

頂上にたどり着いた私は、

やがて、空へと続く一本の階段を発見する。

そして、誘われるように、

その階段をテクテクと昇ってゆくのだろうと。

 

もちろん、その階段は天国まで続いている。

 

河原で久々のたき火です

 

例の騒ぎで閉鎖されていた河原がやっと解放されました。

 

 

近所の知人と、薪を5束と着火剤とイスとテーブルと

サンドイッチとコーヒーをもって、久しぶりに河原におりる。

 

この日の河原の気温は、推定3度くらい。

さっさと火をつけないと底冷えと湿気が身体にまとわりつく。

ユニクロのヒートテック、いまひとつのような気がしましたね。

 

 

火が安定するとホッとひと息つけます。

イスに身体を沈めて、コーヒー&サンドイッチ。

で、後は世間話をするだけなんですが。

 

 

僕がたき火に行ったと話すと、

たき火未経験の友人、知人は必ずこういうのだ。

 

「たき火だけ? なにか面白いことあるの?」

 

僕もそう思っていました。

 

 

たき火初体験は、丹沢の山の中でした。

アウトドア・ベテランの知り合いに連れてってもらいました。

このときは数人で夜中まで火を囲みました。

話すこともなくなると、みんなおのおの星空を仰いだり、

薪をくべながら火をじっとみていたり。

僕は、背後の木々のあたりから、赤い目がふたつ光っていたのが

忘れられません。

 

火をみていると、黙っていてもなんだか間がいい。

話し続ける必要もないし、それより沈黙がよかったりする。

 

 

刻々と変化する山のようすだとか空の色だとか、

時の移り変わりを身体で感じることができる。

 

火をじっとみていると、なんというか、

とても古い先人たちのことを僕はアタマに描く。

 

火を扱うことを覚えた古代のひとたちは、

肉なんかを焼いたりすることで、

とても感動したんじゃないか…

 

そんな遠い遠い記憶が、

僕たちにも刻まれているのだろうか?

 

 

牧場へGO!

 

いい加減、視界の狭い室内にずっといるのはよくない、

ということで、人気のない牧場をめざしました。

 

暑い。

けれどちょっと涼しい風がほどよく吹いて、

全身を通り過ぎる。

久々に味わう心地よさでした。

陽はジリジリとくる。

この焼ける感じが夏なんだと実感。

 

視界が広いってホントにうれしい。

気が休まります。

 

よくよく足元をのぞくと、

草の上をいろんな虫が歩いています。

 

「君たちは自由そうだね」

「いや、そんことはないんだ。だって

いつ鳥に食われちゃうか分からないからね」

「そういうもんか。みんな大変だなぁ。」

と勝手に無言の会話を交わしてから、

無造作に草を踏んづけて売店へ。

 

 

ハムとかチーズとかいろいろな乳製品を売っている。

ここで牧場特製のアイスクリームを買う。

結構おいしい。

けれど甘ーい、甘過ぎだろ。

 

ペロペロとやりながらほっつき歩いていると、

汗が止めどなく流れる。

いい感じ。その調子だ。

いつもの夏が帰ってきた。

 

 

ヒツジがメヘェェーってなくんだけど、

こっちの勘違いなのか、

テレビで観たもの真似芸人のそれと、

ほぼ変わらないんだよね。

 

このヒツジかタレントのようにみえるねぇ。

牛もヤギもみな人慣れしている。

全然違和感なし。

そういえば微笑んでないているようにみえる

ヒツジがいたなぁ。

気のせいであればいいのだが 汗

 

 

遠方の山々に目を移す。

神奈川県とはいえ、なかなかいい山並みじゃないかと

感心する。

木々から蝉のミンミンという大合唱。

割と都会面しているけれど、神奈川県は

箱根・丹沢などの山々を抱えている、

山岳県でもある。

 

この牧場をずっと北上すれば、高尾山、

さらに行けば東京の多摩の山奥に出られる。

そこまで行くと、檜原村だとか、御岳山とか、

いやぁ、アウトドアに最適なところがいっぱいある。

 

そこから至近の山梨県境まで足を伸ばせば、

いま話題の小菅村とか大菩薩峠もあるし。

 

―考えてみれば、人間も自然の一部なのだ。―

この名コピーが、心身にが沁みましたね。

 

キャンプへGo!

 

 

キャンプへ行ってきた。

陽気は暖かくなってきたが、

夜はまだまだ冷える。

よって今回はキャビンに宿泊。

エアコンもトイレもシャワーもある。

テレビやネットはないけど、

かなり柔(やわ)なキャンプではある。

 

河原テント派、山中独りキャンプ派から、

笑われそうである。

水際の底冷えする河原で

テント張って寝るのって、

この時期でもかなりキツい。

山中独りキャンプ派となると、

もうこれは一種、

選ばれしキャンパーと言える。

 

河原…、砂浜…は若いころに経験しているが、

独り…はどうしてもできない。

やる勇気もない。

 

私の場合、理由は明快だ。

お化けが出るから!

それも獣系。

ね、怖いでしょ。

私はそういうのには近づかない。

こういうのは若いのに任せよう。

いや、感度の鈍い奴に任せよう。

 

こっちは、霊体験もUFO遭遇も

すでに体験済みなので、

ほんと、もうゴメンです。

1万円あげると言われても断りますね。

 

で、今回のキャンプですが、

場所は、神奈川県相模原市にある

PICAというキャンプ場。

ここはトレーラーもテントもオートキャンプもOK。

キャビンにした理由は、

その設置場所が山のてっぺんにあるから。

そう、見晴らしの良さで決めました。

当日、昼間の下界は20度以上の暖かさだっが、

夕方、ここ山のてっぺんで火をおこすころには、

強風で気温がぐんぐん下がり、

とうとうダウンを着る羽目に。

気温は一ケタに急降下していました。

寒くて腹が減っているけれど、

自分が動かないことには何にも食えない。

それがキャンプなのです。

 

とにかく最短で火をおこすため、

紙切れと割り箸と着火剤を用意し、

まず薪に火をつけることに専念する。

で、徐々に炭を投入し、

火が安定するまでじっと頑張る。

こちらは肉を食いたくてウズウズしてる。

腹が減っている。

が、ここが正念場だ。

落ち着いておいしくじっくり焼こうと、

急いた気を静めながら、

ときに星空を見上げたりしてみる。

火の粉がガンガン飛んでくる。

まだ炎が不安定だが、肉を1枚焼いてみる。

やはり気が急いているなぁ。

予想通り、コゲコゲの失敗作ができあがる。

ああ、普段は食わない高価な肉が…

 

ここはひとつオトナにならねばと、

やっと我にかえり、火が安定するまで、

今度こそじっと耐えることにしましたね。

おかげで、肉、野菜、ホタテ、焼きそば等々、

お馴染みのコースをじっくり焼いて、

おいしく平らげることができた。

近くで、若い2組の子連れ夫婦が、

下界に向かって何か怒鳴っている。

ずっと大声を発している。

相当、酔っているらしい。

にしてもあいつら、

日頃から相当ストレスを溜め込んでいるなぁ。

笑える。

 

以前、ここのトレーラーに泊まったことがある。

12月初旬だったが、寒くて夜中に目が覚めた。

それに較べると、キャビンは快適だ。

が、一般の住宅のような仕様ではないから、

やはり寒いには寒い訳だ。


夜半、風が凪いだので、

表に出て空を見上げると、

オリオン座が明るく瞬いている。

それも近く大きくみえるではないか。

ちょっと感動する。

 

これだけでも来た甲斐はあった。

今回はわずかな時間だったけれど、

仕事のことはすっかり忘れました。

観てもつまらないテレビもないので、

読書に専念することもできました。

 

キャンプで非日常を体験すると、

日頃の生活の便利さが身に沁みます。

なのにストレスが吹っ飛びます。

心身に生気がみなぎります。

日頃のこびり付いた垢がとれます。

そして、本当に疲れます。

おかげで翌日からさらに深ーい眠りに

つくことができました 笑

さあ、あなたもキャンプへGoです!

 

 

真夜中の訪問者

 

最近、寝るときの

妙な習慣について書きます。

 

本を閉じてさあ寝ますというとき、

下になった一方の手を

反対の肩に乗せてからでないと、

どうも落ち着いて寝られない。

 

この動作、分かりますか。

ややこしいですかね。

 

では。

右肩が下なら、

右手を左の肩にのせる。

これでどうでしょう、

分かりましたか?

 

この動作って変ですよね。

でもそうするとなぜか安心できる。

すっと眠ることができるのだ。

いつからそうなのか忘れたが、

自分でも妙な癖がついたと思っている。

 

まだ寒いので、

冷えた方の肩に手を添えると、

手がとても暖かいので、

ホッとする。

このあたりまでは、物理的な話なんですが。

 

が、それだけではない。

自分の手なのに、

誰かの手のように感じる訳です。

その誰かが、しばらく分からなかった。

なんというか、

とても大きななにかに守られているような。

その感覚に包まれると、

心身ともにやすらぎさえ覚える。

 

数ヶ月が過ぎたころ、

それがとても遠い日の感触だと、

突然気づいたのだ。

 

母が亡くなってから数年後、

私は不思議な体験をしたことがある。

夜中になぜかふと目が覚めた。

2時か3時ごろだったと思う。

部屋の入口にひとの気配がした。

うん?と思い振り向こうとしたが、

首を動かそうにも、全く動かない。

畳を踏む音がして、

僕のベッドに近づいてくる。

 

不思議なことに、

このとき恐怖心などというものはなく、

脱力するような安堵感さえ感じられた。

その気配は僕の枕元でじっとしている。

僕は全く動くことができないでいた。

 

どのくらいの時間が経過したのかは、

全く分からない。

数十秒だったような気がする。

数分だったようにも思う。

 

「おふくろだろ?」

僕は心中で、その気配に話しかけた。

その問いに、気配は笑っているように思えた。

 

なぜ母だと思ったのか、

それは分析できない。

いまでも分からない。

ただ、とても懐かしい感じがしたのだ。

そして母だという確信は、

僕の記憶の底に眠っていた。

 

幼いころ、

母は僕を寝かしつけるのに、

いつも僕の肩に手を添えてくれていた。

僕の最近の変な癖について、

突如として思い出したのは、

その遠い記憶だった。

 

それが自らが作り上げた

こじつけなのか否かは、

自分でもどうもうまく解決できない。

説明がつかない話は、

世の中に幾らでも転がっている。

いまでは、そう思うことにしている。

 

それにしても、

僕がいくら年老いても、

母は依然として母であり続ける。

それは、永遠に変わらない。

妙なことに、それが事実なのだ。

 

そしてそう思うほどに、

生きている限り、頑張らねばならない。

真夜中の訪問者はいまだ変わることなく、

僕にやさしくて厳しい。

 

そういう訳で、

僕の寝しなの妙な儀式のようなものは、

当分続きそうな気がするのだ。