たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

青春レーベル「男の世界」

 

高校の頃に流行った歌といえば、

まず思い出すのが「男の世界」。

男性化粧品のCMから火がついた。

商品ブランドは「マンダム」。

歌うのはジェリー・ウォレス。

 

このヒットで丹頂株式会社は

社名をマンダムに変更した。

それくらいヒットした。

だって、みんなマンダム使ってましたからね。

一方、ジェリー・ウォレスは、

その後のヒットはなかったと思う。

一発屋だった。

 

マンダムも歌も売れに売れた。

その要因だが、これはひとえに

CMに出ていたチャールズ・ブロンソンが、

カッコ良すぎたから。

そう言い切れる。

イマドキはいない渋い役者。

男臭さが全身から漂っていた。

二枚目のアラン・ドロンとは

全く違う方向性をみせてくれた。

 

ちなみに私たちの時代はというのは

男らしさに重きが置かれていた。

喧嘩して殴られても「泣くな!」なんです。

男は黙って…の時代だった。

 

よって高校時代は私もまわりも

ほぼみんななんだか殺気立っていたっけ。

それが青春というものだったのかどうか、

いまでもよく分からないけれどね。

思い出せば、

町田の商店街でよく他校の奴ともめた。

横浜駅近くでもよく殴られた。

殴り返したら、向こうに

刃物を出されたこともある。

理由は些細で実にくだらない。

イマドキはダサいとなる。

 

まあそんな時代だったが

街にはかわいい子もいっぱいいたし

海もディスコも楽しかったし、

なかなかいい時代だった。

 

そういえば、女の子は女の子で、

まだ女性らしさというものが求められていた。

このらしさというのがなかなか難しい。

いまだによく理解できていないけれど、

それはこちらの鈍さか…

 

とにかく「らしさ」が求められる時代でした。

そんな時代です。

それに合わせるように、

あの渋いオトコの中のオトコ、チャールズ・ブロンソンが

「男の世界」の音楽に合わせて登場、

顎に手をあてて、「うーん、マンダム」と言う訳だ。

コレ、売れない訳がない。

 

イマと違ってヒットの方程式は、

意外と簡単につくれた。

 

でですね、この「男の世界」という歌とか、

チャールズ・ブロンソンという役者とかだが、

イマドキだと全く世間に相手にされない訳です。

干されてもおかしくないベクトルをもっている。

イマは誰もそんなものは求めていない。

というか、差別とかいう単語がちらつきます。

 

そんな世の中になりました、ハイ!

 

 

改編・時代とコピーと普遍性について

 

かつて日本が繁栄を極めた1980年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れた。

 

「おいしい生活」?

いまきくとピンとこないが、

その時代にライブで知った身としては、

当然ピンときた。

 

ロジックで語るには面倒なコピーだ。

おいしい、という何の変哲もない言葉に、

生活というやはり何の変哲もない言葉をつなげると、

とても新鮮なコピーに仕上がった。

 

このコピーが、当時の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、更なる繁栄を信じ、

仕事に精を出していた時代。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という、

アメリカの社会学者が書いた本も、

世界でバカ売れした。

 

日本に、そんな時代があったのだ。

 

で、このコピーの広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターは、やはりあの糸井重里さんだった。

 

いま「おいしい生活」というコピーを、

大々的に発信したとしても失敗するだろう。

「おいしい生活」という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すら漂う。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

あなたの素敵な生活はすぐそこにあります、

とでも言わんばかりに。

 

商品の向こうにあるライフスタイルを提案する―

そうした企業が現れた点で、

この広告は最先端に位置していた。

 

経済的背景、語感からくる意味合い、市場の成熟度など、

いまと全く違う日本が、そこにあった。

それが「おいしい生活」だったのだ。

 

同じ80年代の同時期に、

とても美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告で、

 

「恋は遠い日の花火ではない」

 

このコピーは、当時の中年のおじさんの心を、

わしづかみにした。

世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく

奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのだろうか。

 

忘れかけていた恋というキーワードが蘇る。

もうひと花咲かせようと…

それは不倫なのかも知れないし、

遠い昔好きだった人に、

もう一回アタックしてみようか、などと。

 

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かない。

受け手に伝わらない。

いわゆる不発である。

 

なんせ、コピーが美し過ぎるし。

時代は移り変わっているのだ。

 

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」とか

「テロは…」とすると、

いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

皮肉な事ではある。

 

更に時代を遡ると、もっと分かり易い事例がある。

「隣のクルマが小さく見えます」

というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告主はトヨタ、クルマはカローラだった。

 

最大のライバルである日産サニーに対抗すべく、

できたのがこのコピーだった。

日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式が世界のスタンダードだった。

 

とても分かり易い例。

 

もうひとつ。

この時代に流行ったコピーに、

「いつかはクラウン」というのがある。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現法とも思うが、

この程度で、皆が満足できる時代でもあったのだ。

 

このように、過去のコピーを検証すると、

それは、時代とともに変化する、

いわばナマモノであることが分かる。

 

ヒットしたコピーというのは、

そうした時代を的確に捉えている。

相反するように、時代とズレたコピーはまずヒットしない。

 

しかし、例外的に時代を問わず普遍的であり、

いまでも魅力的に響くコピーがある。

 

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

 

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

 

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した」(キャノン)

 

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

 

 

これらのコピーは、広告という概念を離れ、

時代に左右されない力をもっている。

使い方次第では、いまでも人の心をすっと射貫く。

 

死ぬまで言葉と格闘した詩人の寺山修司に言わせると、

こうしていつまでも古びないコピー(言葉)には、

時代を超越した「実存」が眠っている、

という解説が成り立つらしいのだが。

 

 

 

内田と田口とアイドルを探せ!

 

 

日大アメフト問題

あの内田監督という人は、なんだか酷い人ですね。

私と同世代というのがひっかかる。

あるブロガーが、この世代にはろくな人間がいないと書いていた。

記事に安倍首相も含まれていた。

そうですね、何も言えないね。

としておこう。

あるブロガーとは、リクルート出身の40代のやり手なのだが、

この人の「この世代……」というのが、

「いまの若い者は……」のつまらない発想と同根。

なんの新鮮さもない、目立つ事を追求するブロガーは、

今日もアクセス増のみをめざす、

かわいそうな人に思えてくる。

で、先の話。

権力を手にするということがどういうことなのか、

私はそうした立場にないので想像し得ないが、

上り詰めた人間にしか見えない、

よほど熱狂してしまう魔物みたいなものが、

彼らを惹きつけるのだろうよ。

 

 

田口コレクション

田口という実業家がいて、いい絵を収集している。

それを見に平塚市美術館へ行ってきた。

一応、現代アートというかそうしたカテゴリーの絵なので、

ちょっと興味があった。

一方、横浜美術館はいま、「ヌード」という企画が大当たりらしく、

連日満員だとかで、6月の24日最終日前あたりに行こうと思っている。

こちら、ロダンの彫刻がメイン。

私はよく分からないけれど。

で、平塚市美術館。

私的に、主だったアーティストは

アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、

モリーン・ギャレース、ジョナサン・モンク。

デビット・ホックニーをオマージュして描かれたモンクの絵は、

夏のプールなのに、全く動的なものが何一つない静けさがなんとも良い。

水しぶきひとつない。人の気配もない。

絵の中の時間が止まっている。

そこには、ホックニーと似て非なる静止画の情景が描かれている。

私は複製のポスターを探そう。

 

 

シルヴィ・バルタン

夜、なにげにテレビを付けると、

NHKになんとシルヴィ・バルタンが出ているではないか。

最近、夜ごとYouTubeで昔の歌を聴いていて、

そのなかにシルヴィ・バルタンの若かりし頃も含まれていたので、

ちょっと驚いた。

もう70を過ぎた彼女は、相変わらず美しく、素敵だった。

同時に、当時のツィッギーの活躍も、グリコポッキーのCMも、

雑誌「an・an」の創刊号の表紙も、ふわっと頭に浮かぶ。

レナウンの「イエイエ」のかっこいいCMなんか、

私のガキの頃の記憶として永久保存されている。

彼女のヒット曲「アイドルを探せ」は50余年を経て、

いま聴いてもまるで色褪せない。

アメリカンポップスを聞き慣れた耳には、

なんか新鮮なんだよね。

そういえば、やはりこの頃活躍していた歌う詩人というか、

シャンソンのシャルル・アズナヴールはどうしているのだろうと

気になって調べてみると、まだご健在だった。

「帰り来ぬ青春」がもの悲しい。

いまの私の心情とオーバーラップしてるし。

 

 

時代とコピー感覚

かつて日本が繁栄を極めた80年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れ、

このコピーはまた、当時の時代の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、ほぼ横並びの中流意識は、

更なる繁栄を信じ、遊びに仕事に精を出していたのだ。

この広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターはあの糸井重里。

さて、いま「おいしい生活」と聞いても、

現在の私たちにはピンとこない。

それどころか、おいしい生活という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すらある。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

今日より明日、

更に素敵な生活はすぐそこにあります、とした提言、

それが「おいしい生活」だったのだ。

同じ80年代、別の美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告だった。

「恋は遠い日の花火ではない」

このコピーは、当時の中年のおじさんの心をわしづかみにした。

当然のことながら、世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのか。

コピーにつられ、もうひと花咲かせようと…

前向きでポジティブな時代の空気のなかで、

このコピーは何の違和感もなく受け入れられた。

総じて、或る側面から光りをあてれば、

夢のあった時代だったといえる。

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かないだろうし、

受け手は、そうなのかな?程度に終わるように思う。

いわゆる不発である。

過去に優れたコピーでもいまではヒットもおぼつかないほど、

時代は移り変わっているのだ。

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」

とか

「テロは…」

とすると、いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

それが辛いし、皮肉な事である。

では、更に時代を遡り、

「隣のクルマが小さく見えます」というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告はトヨタ、クルマはカローラだが、

日産サニーに対抗すべく、できたのが、

このコピーだった。

まだ日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式の世界だったのだ。

よって、こうした時代に流行ったのが

「いつかはクラウン」であり、

「羊の皮を被った狼」のBMWだった。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現の方法だが、

当時はこの程度で皆が満足できる時代だったともいえる。

コピーを広義に「言葉」として捉えると、

言葉というものもまた、

時代とともに動くナマモノであるし、

なるほど人の世界ってまさしく、

刻々とうごめいているという形容がピタッとくるから、

やはり不思議という他はない。

コピーは、その時代を的確に表しているし、

また相反するように、時代とズレたコピーはヒットもしない。

しかし、例外的に時代を問わず普遍であり、

いまでも魅力的に響くコピーも存在する。

例えば、

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

「あっ風が変わった」(伊勢丹の企業広告)

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

ついでに、

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した。」(キャノン)

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

こうした例は、

もはやコピー・広告という概念を離れ、

時代に左右されない人の心を射貫いているのだろうし、

こうしたコピーは、もはや名言・格言の域に達しているのではないか。

モーレツなコマーシャル

Oh! モーレツ

その昔、小川ローザという素敵なモデルさんがいて

クルマが通り過ぎるとスカートがまくれ上がった。

軽快な音楽に乗って、Oh! モーレツ

となる。

このCMは60年代後半に大ヒットして、

それは幼少(?)の頃の私の記憶にも残っている。

商品は、ハイオクガソリン。

丸善石油のCMで、確か「ダッシュ」というハイオクを入れると、

クルマが格段に速くなる、というもの。

それがホントなのか否か、真偽の程は不明だが、

当時はそんな広告が多かったたように思う。

広告表現も途上だったが、このTVCMはインパクトがあった。

当時の日本は高度成長の真っ最中で、景気も年々良くなるばかり。

文字通り、どこのお父さん方の誰もが、猛烈に働いていた。

そこには明日への夢があり、よりよい未来が約束されていたように思う。

きっと現在の中国の景気に似ているのかも知れない。

当時のサラリーマンは、憧れの職業。

みんな自信に満ちていて、数多くの猛者サラリーマンが、

世界に繰り出していた。

そして、日本で売れそうなものを世界の果てまで探しに行って仕入れ、

また、日本の製品を地球の隅々にまで売りに行ったりしていた。

こうして後、この国は世界から、

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるまでに成長したのだ。

まさに日本の経済事態がモーレツに急伸していた時代だ。

「モーレツ」のコマーシャルは的を射ていた。

時代背景をも、的確に表現していたと言える。

私と同世代のサザンの桑田さんも、

このコマーシャルの印象が強かったらしく、

小川ローザの白いミニのワンピースとヘルメット姿がアタマから消えないとみえ、

茅ヶ崎の実在したホテルの思い出を歌った「ホテルパシフィック」で

当時の彼女と同じ格好の女性を登場させている。

これぞ、印象に残るモーレツなコマーシャル。

昔のテレビコマーシャルが如何に影響力があったかという、

典型的な例だ。

君の瞳は10000ボルトか?

堀内孝雄(アリス)のヒット曲「君の瞳は10000ボルト」。

この曲は、資生堂のアイシャドーのCMに使われた。

いや、正確に書くと、この曲はCMのためにつくられ、

思惑通り、商品もヒットしたということになる。

いまから、かれこれ三十数年前の話だ。

そもそもこの楽曲は、或るコピーライターの発案から生まれた。

それに、谷村新司さんがイメージを膨らませて歌詞をつけ、

堀内孝雄さんが曲を作った。

そのコピーライターの名は、土屋耕一。

広告業界に長居していて

この名を知らない人は、まずいないだろう。

彼の代表作に、微笑の法則というのがある。

これも柳ジョージ&レイニーウッドがヒットさせている。

他、ピーチパイ(竹内まりや)、A面で恋をして(大滝詠一)等、

いまでは考えられない、ことばの力をみせつけた人だ。

彼のことばのセンスは、私が思うに、

美的に優れていたこと。

そしてなにより洒落が効いていた。

「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」(誠文堂新光社)を

読むと、彼のことばの操りの妙がみれる。

・なぜ年齢を聞くの

・あ、風がかわったみたい

・肩のチカラを抜くと、夏

・ああ、スポーツの空気だ。

・太るのもいいかなぁ、夏は。

・女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。

これらは、彼のセンスが光る代表的コピー。

何気ない文なのに、気にかかるものがある。

なぜか、心に響いて余韻が残る。

彼が或る雑誌のインタビューに応えていた。

それによると、君の瞳は

1000ボルトではなく100000でも1000000でもなく、

君の瞳は10000ボルトなのだそうだ。

それは理屈ではなく、勘。

そんな主旨のことが書かれていた。

現在は、コピーライティングも

セールスレターのように、

ダイレクト・レスポンスが求められる。

緻密になったといえば、その通り。

実利といえば、致し方ない。

が、余韻が残るものがない。

たとえ、花より団子でも

うまい団子は喰いたい。

それがコピーセンスの差になるのだと思う。