彼岸花のころに

 

死んじゃっちゃぁ

話しもできねーじゃねえか

なあ

そんなことってあんのかよぉ

なあ

 

 

 

 

地下鉄13番B出口

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地下鉄13番Bの出口を出ると

ひゃっとする風が首筋をなでて僕は覚醒する

そういえばずっと寝ていたんだっけ

ぼおーっとするような生暖かい車内では

誰もが居眠りをしていた

僕は角がくすんで折れた文庫本をずっと読んでいたんだけど

いつの間にか寝てしまったんだ

ふと目が覚めたときも車内は僕以外みんな寝ていた

その古い本はとても面白い物語で

世界が突然消えてしまうという

恐ろしいけれど

最後の最後にヒーローが現れて

僕らをユートピアへ導いてくれる…

いや いまはまだその結末は分からないけれど

きっと助けてくれる

そう信じていままでこの本を読んできた

地下鉄13番Bの出口は

以前は大通りの角にあって賑やかだったけど

いまはもう驚くことにすべてが草原になってしまった

一体なにが起きたのだろう

なにがあったんだっけ

地下鉄13番Bの出口

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そのことはもう誰も知らないし

誰に聞くこともできない

まわりを見渡しても誰もいない

みんなどこかへ消えてしまった

そういえばあれから3度目の冬だ

凍るような風がひっきりなしに吹くので

僕の体温はみるみる低下している

見わたすとあたりに高い建物はなにもない

葦(あし)が群生するその向こうには寒々とした草原が広がり

その遙か先に煙がのぼる火山がみえる

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僕はあの約束どおり

約束の年 決められた日に

地下鉄13番Bの出口に辿り着いたんだ

息を整える

拳をぎゅっと握ってみる

そして僕は

角がくすんで折れた文庫本をぎゅっと握りしめ

葦のなかを歩きはじめた

めざすはあの遠い火山の麓のまち

いま僕がいくところはそこしかない

ところどころがかすれた文字

あやうい物語

なのにいま頼るものはそれしかない

この結末はまだ分からない

けれど僕がこれからつくるストーリーは

きっとやさしいに違いないのだが…

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短編「猿番長殺し」(タイトルパクリ)

あまり大きな声ではいえないが、

先日私は衝撃的な話を小耳に挟んでしまった。

ああ、いまでも悪夢のような光景が頭に浮かぶ。

先日ご近所のAさん宅に上がり込んで、

と言っても頼まれごとで立ち寄っただけだったのだが、

新茶が入ったので一杯飲んでいったらということで、

お邪魔したのだが…

あれやこれやとよもやま話が高じ、

はあとか、そうですかとか私の返答も、

かなり平坦かつ不自然なものになってきた。

ここは山あいの静かな住宅街で、

東京・横浜方面への通勤もなんとか大丈夫という、

一応首都圏の一角ではあるが、

そうは言っても住宅街を一歩離れれば

うっそうとした山々が背後に鎮座する田舎である。

要するにここはトカイナカと呼ばれる地域で、

夜も6時ともなれば人通りも途絶え、

商店も皆無で、最寄りの駅からのバスは、

1時間に2本という不便さである。

という訳で、この住宅街も夕方ともなれば、

黒い山々が覆いかぶさってくるように、

その影を長く伸ばすのだった。

話もそろそろ尽きてきたし、昼も過ぎた。

腹も減ってきたので、

そろそろおいとましようと座敷を立ち上がり、

玄関でスニーカーに足を突っ込んでやれやれと

立ち上がろうとしたときである。

「そういえばさぁ」とAさんの奥さんが、

突然目を見開き、苦虫を潰したような表情で、

前のめりに私の肩を叩くのだ。

(ああ、また始まったなぁ)と

私は胸の内でつぶやく。

「ウチの対面の3軒先の空き家があるじゃない、

Bさんよ、Bさんとこの空き家ね、

あれ、まだ売っていないんだって。

でね、先日あそこの娘さんがあの空き家の掃除に来たんだって。

また住むらしいのよ。娘さん夫婦が。

でね、庭の木の枝や葉も伸びっぱなしだということで、

鎌を持ってきたらしいのよ。

でね、玄関を開けて中に入ったら、あんた、

猿がね、いたんだって。

もうビックリよね。

エライ大きいのがいたんだって。

そしたら向こうも驚いてキィッて歯剥いて」

Aさんの奥さんが金歯だらけの歯を剥いてみせた。

それは普段私が見たこともないおぞましい表情だった。

Aさんの奥さんの顔が上気してきた。

「えっ、それでどうしたんですか?」と私。

「でね、そりゃあもうお互いに驚いちゃってね。

そしたらさ、びっくりした娘さんがね、

無我夢中で手に持っていた、あんた!

その鎌をね、怖いねー、

猿に投げつけたらね、あんた、

その鎌の先が猿に当たったらしいのよ、

でね、それも怖いねー、

猿の頭にグサッてね、

刺さっちゃったんだってよ!」

Aさんの奥さんの顔が、

口いっぱいに梅干を含んだような表情に変化した。

「でさぁ、ぎぃえーとかぎょうえーとか

凄い声がして、あの娘さん、放心状態で

なにがなんだか分からないまま、

一目散に空き家を飛び出して、あんた、

あの家、それっきりなんだってさー」

私の脳裏に、

あの古いプレハブの家の台所が映し出される。

土地の広さは約40坪くらいだろうか。

建物の築年数は約40年くらいの、

当時はカッコよかったであろう、

しかしいまは、肌色の少し傾いた外観には所々に錆が目立ち、

門扉や柵はやはり錆で少し崩れはじめ、

古いブロックの階段の先にガタついた玄関ドアが、

たいした役目も果たさずに立てかけてある、

そんな記憶だ。

更に、私の脳が勝手に台所の様子を描く。

なにもないガランとした薄汚れた台所に薄日が差し、

流し台の下あたりだろうか、

その猿は額から血を流し、

薄い茶色の毛は血で黒ずんで束になって固まり、

両手両足をダランとさせ、

それでいてまだ半目を開け

こちらを見据えているのである。

「うーん、なんだか怖い話ですね。で、

その後あの空き家へは誰か入って、

室内の様子を確認したのですか?」

突然に覆いかぶせられた風呂敷を避けるように、

私の片手が平静を装おうとして勝手に動いている。

これが止まらない。

「冗談じゃないわよ、怖い怖いってね、

あれっきり誰もあの空き家へは行っていないんだって。

嫌だねぇ」

とAさんの奥さんは、もう笑っているではないか。

(この人のメンタルは一体どうなっているんだろう)

立ち直りの早いAさんの奥さん宅を後にし、

私はトボトボと歩きながら考えた。

そして確かこのあたりの猿には、

GPSが付いていることを思い出した。

数年前から急増した猿害により、

農家の畑が荒らされるだけでなく、

猿は住宅街にもしばしば出没していた。

これを問題視した地元の有志と

自治体が結束してつくったのが

「とっとと猿帰りなさい隊」だった。

そのとっとと猿帰りなさい隊は、

主な猿グループのボスを捕獲し、

GPSを付けて、再び放したとのこと。

これにより、山の猿たちが現在どこにいるのかが

一目瞭然となり、その傾向と対策によって、

猿害は激減したはずだったのだが…

しかし、猿社会にもやはりはぐれ者がいて、

こいつらはGPS通りに行動することはない。

単独行動でふらついているので、

どこで人が遭遇するか皆目分からないのである。

更に、これは私の経験と農業を営んでいる方から

聞いた話から導き出したはぐれ猿の印象だが、

奴らは人を避けるどころか威嚇するのである。

そして、はぐれ猿ほど、人を翌々観察している。

相手が子供であるとか小柄の女性だったりすると、

容赦なく近寄ってきて歯を剥く。

その被害は、ちょくちょく自治会報でも報告されていた。

私が遭遇したのはとある日の早朝だったが、

ちょうどAさんの奥さんが話していた

例の空き家付近だった。

最初は大きな猫か犬かと思ったのだが、

どうも朝日を浴びたその形容、姿は

まぎれもない大柄な猿だった。

私がその方角へ近づくと、

猿は大きな手を勢いよく上げたかと思うと、

今度は威嚇のためか、胸を膨らませて、

「それ以上俺に近づくなよ」と

警告しているようでもあった。

当然、この姿を見て

私は足早に今きた道を引き返したのだが、

朝日で逆光に映された姿は筋骨隆々で、

体毛がキラキラと光っている。

若き日のアントニオ猪木もかなわないであろう、

という印象だった。

ご近所の隠居しているおじいさんの話によると、

こいつは普段から民家の庭になっている木の実や、

家庭菜園の野菜なんかを食い荒らし、

どうやらその味を覚えたようである。

この大柄の猿が他のはぐれた猿を取りまとめて、

いわば番町のような地位に君臨し、

その縄張りを徐々に

住宅街の中に広げているということであった。

Aさんの奥さんの話を手繰り寄せる。

先のBさんの空き家で娘さんが遭遇した猿も、

相当大柄だったというから、これはひょっとすると、

Bさんの娘さんは、はぐれ猿の番長を

仕留めたのかも知れないとの結論に

私は達した。

今日は夜明け前から雨がしとしとと降っている。

昨日までの5月晴れはどこへやら、

どんよりとした厚く重たい雲が

この山あいの住宅街に垂れこめている。

私は、この季節にしてはめずらしく

厚手のジャンパーを羽織り、

いつもの散歩道を歩く。

散歩のコースは、

途中でBさんの空き家の前を通るのだが、

この朝は、ふとあの猿の死骸が頭に浮かんでしまった。

しかし朝の散歩3000歩をノルマにしている私の足が、

怖気づいて止まることはない。

なんといっても世の中は朝なのである。

これが薄暗い夜であれば当然コースを変えたであろうが、

私は頭に浮かんだ猿を必死で強制的に脳裏から削除し、

あたたかい日差しのなか、美しいバラが咲き乱れる

横浜の山下公園の情景を頭に浮かべた。

足取りは軽い。

ジャンパーに雨がはじく音がして、

グイグイと歩幅が広くなってゆく。

Bさん宅の空き家の横を通り過ぎるとき、

ふと気になってBさん宅の空き家に顔を向ける。

すると、少し開かれた朽ち果てた風呂場の小窓から、

包丁を額に差したままの猿が、

じっと恨めしそうにこちらを

見ていたのである。

これが現実の出来事なのか、

私が勝手に作り上げた妄想なのか、だが、

そうした事柄には一切触れたくないというのが、

現在の私の心境である。

パキラ

武蔵小山の商店街でパキラを買った。

その大きな鉢を抱えて、奥さんと、
まだ幼かった長男を連れて電車に乗った。

葉をぶつけないように、じっとドア近くに立つ。

(幸せになれるかな…)

横に座っている奥さんと長男が、
揺れるパキラの葉をじっとみつめている。

ふたりで、いや3人で、
この観葉植物が育つことに、
将来の想いを込めた。

幸福の樹とか金のなる樹とか、
そのものズバリのものもあったが、
ふたりして、パキラを選んだ。

あのかよわそうな葉が、
私たちの現実に則しているようで、
親近感を感じたからなのか。

住まいはかなり古いマンションで、
朝日と夕陽だけがあたった。
風の抜けが悪い。

東急ハンズで買った白いカモメが、
台所の天井からふわりとぶら下がる。

独立記念にと、
代官山の工房でオーダーした黒いテーブルに座ると、
気が引き締まる。

後ろのサイドボードの上に、
浜辺に無人の椅子があるだけの、
わたせせいぞうのポスターを飾った。
リクライニングになった椅子の布が、
浜風になびいているその絵が気に入っていた。

家賃69000円。
当時としても、破格の賃料のマンションだった。

しかし、初月に稼いだギャラは33333円。

こんな日が続くと、つい新聞の求人欄に、
目がいってしまう。

そしてどういう訳か、何かに願をかけたくなる。
それがふたりの選んだパキラだった。

根元にきれいなビー玉が敷いてある。
水やりは多すぎず少なすぎず。
直射日光は厳禁とした。

こうしてパキラの葉が伸びてきた頃、
少しづつ仕事も増えてきた。

が、どうしても生活費が足りない。
息子のおむつ代の捻出さえ苦しい。

とうとう実家に泣きつくと、
私たちの計画のなさ、無謀な独立に、
さんざんな言われ方をした。

私は無言で頭を下げるしかなかった。

先の新聞の求人欄には、
外注求む、というのも時折あったので、
とにかく電話でアポをとり、
毎日毎日、
嫌というほど東京中を歩き回った。

息子は日に日に大きくなる。
服代も馬鹿にならない。
こんなときに、よく深いため息を吐いた。

が、いま思えば、
こんな愛おしい時間はなかった。

3人で、よく近くにある洗足池を歩いた。
桜の季節になると、夜桜を見に行った。
いつも家族一緒だった。

私は、パキラを大切に育てた。

この先、独りでどこまで行けるのだろう。
果たして、この3人に豊かなときは来るのか。

仕事が軌道に乗った頃、
私たちは住まいの狭いのに耐えられなくなり、
新しい街へ引っ越した。

そのアパートの一室を、仕事部屋にした。
和室の畳の上に例のデスクを置き、
窓に黒いブラインドを付け、
その部屋の隅に、更に大きくなったパキラを置いた。

やがて娘が産まれると、
家の中は更ににぎやかになり、
ついつい仕事を放りだして遊ぶこともあった。

背ばかりが伸び、
青々とした葉がダランとしたパキラに、
或る日気がついた。

が、もう私は、
パキラのジンクスを気にする風もなかった。

やがて新築のマンションに引っ越すと、
もうあのパキラの姿はなかった。

自分の人生を、
観葉植物なんかに左右されてはいけない。
少なくとも私は、そう思った。

しかし、やがて東京を離れるときは来た。

そのときも、やはり私と奥さんは、
新天地で新しいパキラを買っていた。

そうやって何度もパキラを買っては、
大事に育て、
それを枯らしては、やはりうなだれるのだ。

年が明け、
近所の花屋をうろうろしていた私たちは、
無言のうちに、
また新たにパキラを買ってしまった。

この単なる植物に対する私の気持ちを、
先日奥さんに初めてまともに話したところ、
彼女も全く同じ気持ちだったと、
深く同感の意を示した。

そんなジンクスなんか、
お互いに、
一度もちゃんと話したことなんかなかったのに…

パキラはいま、
居間のテレビの横で深い緑の葉をピンと張り、
新芽を吹いては、ちいさな幼子のような葉を
次々に開いている。

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キボウ

そのオトコは

腕の傷を隠して町から出て行った

妻に別離を言うことなく

友に挨拶をするでもなく

腕の傷は

自らの過去から現在に至る

朽ち果てた己を悔いる

自傷行為だったのだが…

当て処ない草原を歩く彼の上に

星が瞬いていた

月がまるでオトコを庇うように

クッキリと影を描く

皮のコートにくるまって

枯れ草の上に寝転がると

ひんやりとした感触が

背中を覆う

躰を丸めて

今夜はここで寝ようと

そして

何も思わないように

すべて見ないように

目をつむると

涙が溢れて

それが

草に沁み入る

そうして

月に照らされた涙がつぶやいた

「お前はな、

何も悪いことはしておらん。

悔いることなどなく働いたじゃないか。

運がなかっただけなんじゃ。

それだけのことじゃよ」

陽が昇る頃

オトコは傷の痛みで目覚めた

ふと見上げると

まわりを

妻と友が囲んでいる

オトコはハッとして

再びうつむいてしまった

そしてまた涙が溢れた

朝の光が

皆の影を長く伸ばす

陽を受けた涙の精が

「お前はもう大丈夫、

大丈夫じゃて」

と呟いた

「お腹が空いたでしょ」

妻がサンドイッチを手渡す

友が

「もし俺が死んだなら、

弔ってくれるのはお前しかいない。

だからさっさとお前がいなくなると、

俺が困るんだよ」

と笑って

オトコの帽子をめくり上げる

陽が高くなった

オトコはいままでのすべてを

ようやく受け入れることにした

町に戻ったそのオトコが

人生の成功といえるカケラを掴んだのは

それから15年の後だった

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家族

テキトーに生きていた奴が、

まあ結婚というものをして数年。

それなりに真剣ぶってはいたが、

振り返ればそれもどこかユルイ。

相変わらずの甘さで、

その日暮らしのような気楽さが、

奴の性分だった。

細身の奥さんの腹が日に日に大きくなり、

奴はそれがどこか可笑しくて、

腹に耳をあてると、

新しい命が動いているのが分かってはいたが、

それを自分事として依然思わず、

奴は、相変わらず浮ついた毎日を送っていた。

或る日、会社に奴宛の電話が鳴り、

「生まれる」と聞かされたとき、

夜中に突然起こされたような驚きに変わる。

バイクで青山通りを疾走し、

目黒通りを南下するとき、

クルマの間をすり抜けながら、

危ない走り方をしているなと、

気づいた。

「落ち着け、落ち着け」

が、スピードは更に上がっている。

目蒲線の踏切を右折しようとしたら、

警察官に止められ、

右折禁止と踏切の一時停止違反で事情を聞かれた。

事の次第を話すと、その若い警官は、

「落ち着け!気をつけて行け!」と違反を見逃してくれたばかりか、

後から2・3人の警官が、背後から奴に声をかけてくれた。

病院に駆け込み、

ガラス越しに、初めて我が子を見た。

それは奴が知っている綺麗な赤ちゃんなどではなく、

小さくて赤くて、猿のようにしわくちゃな、

ホントの産まれたての我が子だった。

寝たり泣いたりを繰り返し、

そしてたまにアクビをする。

その姿を、奴はずっと眺めていた。

奥さんの疲れた顔を見て、

二言三言話してマンションに帰ると、

更なる心境の変化は突然訪れた。

それは怒濤のように胸に押し寄せ、

しばし混乱し、

過去を振り返り、

これから、という未来を必死で探っていた。

自分を差し置いて、

奴は初めて物事を考え始めた。

そしてこれから、を見据えようと、

初めて必死になった。

自分より優先するのは、

あの赤い猿のような産まれたてのいきものであり、

その赤ん坊を産んでくれた奴の相方。

それが奴が人生で初めて味わう、

家族という不思議な繋がりだった。

奴は、産まれて初めて、

他者が視界に入ったのを自覚した。

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ポインター爺

東京都武蔵野市の閑静な住宅地に住む私は、

まず、朝の散歩からすべてが始まる。

この住宅地の特徴は、なんといっても、

住人同士の繋がりを意識し、

挨拶運動も盛んだ。

これは、防犯上も欠かせないものらしく、

不審者は、その辺りに敏感に反応する。

そんな訳で、私も積極的に挨拶を交わす習慣がついている。

が、しかしだ。

朝っぱらから、あの厳しい目つきはなんだろうと思うのだ。

すれ違う度にイライラするのだが、

例の熟年が連れて歩いているポインターは、

とてもつぶらで、穏やかな目をしているのだが…

あの犬は、きっと性格も良い。

問題は、その素敵な白と黒のポインターを始終連れて歩いている、

買い主たる、あの熟年だ。

定年退職して10年経ちました。

唯一の趣味は、犬を連れて散歩することです。

そのように思う。

そうとしか思い浮かばない。

が、この熟年が周囲を威嚇する、

あの目と警戒心は、どこからくるのだろうか。

きっと此奴は近所に敵意を抱いている。

過去になにかあったのだろう。

それにしても、愛想なさ過ぎだな。

此奴は、雨が強く降る日も、歩いている。

しっかり素敵な雨合羽を羽織っている。

レインブーツも履いている。

準備とやる気は、充分に感じられる。

連れ添うポイン犬も、しっかり前を見て、

黙々と歩く。

台風が近づいた或る日、

私は隣町をクルマで走っていた。

平日午後3時というシチュエーションなのだが、

此奴は例の雨合羽を羽織り、黙々とポイン犬と歩いているではないか。

思うに、私は此奴、

いわば熟年Aの人生や生活のなにも知らない訳だが、

なんでかすべて分かるような気になってしまうのだ。

10年前まで、大手印刷会社の業務管理部長をしていました。

自他ともに認める実直さは度を超し、

まわりから煙たがられるだけでなく、

そろそろ自分で自身が嫌になっていた頃でもありました。

そんなこんなでそろそろ年だし、

会社を辞めることにし、半年ブラブラしていましたが、

なにか自分の現状に実直さが足りないとイライラし、

近所の公民館で開催されているシニアダンス教室を覗きました。

(自分に足りないものは、うーんユーモア?)

ずっと自覚はしていたので、まずは社交性を磨かないとと、

自ずとダンスを目標に致しましたが、

教室内では、すでにできあがった仲良しグループで構成されていまして、

熟年Aは、どうも馴染めない自分に失望すると共に、

この排他的なダンス教室に敵意を抱いたのでありました。

あっ、そうだ。

熟年Aには、とてもできた奥様がいます。

奥様は、「あなたのやりたいこと、なんでもなすったら」

と、いつもやさしくAを応援し、

自らは永年勤めている近所のお菓子工場へ、

いそいそと出かけるのでありました。

が、実はこの奥様はこのパート先に仲良しがいっぱいいまして、

中には若いイケメンのボーイフレンドも混じっております。

Aが、その臭いを嗅ぎつけたのは、

退職後3ヶ月余りの或る夕食での会話でした。

当然Aは、このことを妻に告げるつもりもありませんし、

その気力も失せております。

子供は二人いますが、現在はどちらも片付いて、

いまはそれぞれ家庭を持ち、

遠くで暮らしています。

そんな或る家族を長い間眺めて暮らしていたのが、

利発なポインターです。

ポインは奥様にやさしく育てられました。

二人のお子様も、この家でやさしく育てられました。

そんなポインもそろそろ中年にさしかかった頃です。

のんきにひなたぼっこする毎日から、

いきなり熟年Aに連れ回されることになったのですから!

最初は、毎日毎日出かけられるうれしさで、

くんくん鼻を鳴らしていたものです。

が、さすがの猟犬ポインも中年です。

だらんとした毎日を過ごしてきた訳です。

毎回3キロ~5キロ、そして朝晩と回数も距離も増えますと、

さすがに中年のポインもバテ始めます。

が、熟年Aは、実直かつ、まわりに敵意を抱く、

まさに歩くロボットです。

そんなポインの具合や体調などに配慮するデリカシーなど、

端っからありません。

気の良い奥様に育てられたポインは、

まあそんなことも分かっていましたので、

まあいいかと今日も此奴に連れられ、

真っ直ぐ前を見て、

ただただ黙々と歩くのでした。

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遠い夏の日に

白い砂浜

淡いピンク色の貝殻が

ひとつ

忘れられたように落ちていて

まるでルビーでもみつけたかのように

ボクはそれを拾い上げる

空にかざすと

貝殻が透けて光る

渦のなかに

溢れるばかりの光をためて

貝殻は白い幻をつくり

ボクを招いたんだ

浜辺に寝転がり

今度は貝殻を耳にあて

そして

ボクは遠い夢をみた

あの町の雑踏と遠い潮騒が

きこえる

それは

町のはずれの

海辺の商店街だった

一軒の店の軒先で

のぼり旗が風になびく

「氷」と書かれた赤い文字

縁側に

ランニングと半ズボンの男の子

(ボクだった)

向かいで

キミはレモン色のかき氷をすくって食べている

二人の姿だけが

夏の日の景色のなかで

ぽつんと浮かび上がる

立てかけの葦簀に

おでん

どれでも5円の貼り紙

僕はちくわぶの汁をすすり

潮で冷えた躰を温めていて

脇にブリキの自動車のオモチャが

転がっている

まだ幼いけれど

ボクは初めてキミと二人になれたことに

胸が高鳴り

だけど

なにも話せない

(こんなボクのことを

キミは薄々知っていたんだろうね)

店の後ろの林で

相変わらずみんみん蝉が鳴いている

レモン色のかき氷をスプーンに乗せて

キミがボクの口元に運ぶ仕草をした

その後のことは

ボクはもうなにも覚えていないけれど…

二人はあの町で生まれ

やがて中学を出ると

僕は隣町へ引っ越し

数年ののち

キミのことを尋ねたら

どこかへ引っ越したらしいと…

いつも大きななみだ目

小さい唇

くるくるの髪の毛の

まるでお人形さんみたいなキミが

いなくなった

だけどね

いつかキミも

この砂浜で

この貝殻をみつけて

ボクのことを

きっと思い出すだろう

それは

いくら考えても

不思議な話だけれど

そういう事ってあるのよと

貝殻が

ボクに教えてくれんだ

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流星

アジル流星群が見られるのは

次は98年後らしいよ

日本という国の春の丘に寝そべって

アタマに手を組み

僕らは

真夜中の宇宙を凝視する

(光りの流れる方へ瞬時に反応するよう

夕方少し目を休めたんだ)

その流星は

だいたい南西に降り注ぐ

テレビの事前情報だが

こうして見ていると

決してシャワーのように

現れたりはしない

目を休めたのね?

そう、寝たのさ

多恵はこのいまの状況を

まるで把握していない

今日のこの夜の天体ショーの意味に

ふたりの相違はある

僕は修正を加えることもしなかった

ただこの宙を

多恵と見たかったのだ

多恵は現実主義者で

常に貯金の残高を気にしている

そこがかわいい

僕はこのときのために

昨夕

走らせていたクルマを脇に止め

弱い夕陽に照らされて

シートを倒し

爽やかな目覚めがくるよう

濃いめのコーヒーを飲み干してから

仮眠していた

そのことを多恵に話すと

ふーんと

頬杖をついた顔をこちらに向け

私はずっとメールしていたのよ

と言った

眠くないのか?

うん、眠い

………

もう疲れたね

そろそろ帰るか?

うん

僕らは立ち上がった

もう2時間もいたんだよ

時計を覗き込むと

午前3時45分を差していた

明日キツイね

帰り際に南西の宙を見上げると

線香花火のような光りが現れ

すっと一筋流れると

遠い海の上の群青色に消えた

見えた!

見た?

見たよ

僕は

そのとき思った

この地上ってなんだか

良いこともなかったような

いろいろあって

面白くもなかったような…

いや

だけど

割と楽しかったし

まあ今日まで暮らしてきたんだしと

そんなことを考えていた

そして多恵の肩に手をのせる

寒いね

うん

ホントは抱きしめたい

多恵

お前と次に再び出会えるのは

何年後かな?

そう考えると

今夜の流星は

僕にとっての約束なのだ

僕はあの流星に約束した

忘れないでくれよ

僕はいつかいなくなるだろうし

多恵だってもう少し…

同じなんだよ

でも僕たちは生まれかわりたい

そして地球の丘で

再び多恵と

この流星を見るのだ

なあ多恵

また一緒だぞ

なあ多恵

また一緒にこの流星を

見ような

98年後に

また同じ時代を生きてみたい

僕は酒を煽っている

毎日毎日

飲んだくれることにしたんだ

(このとき僕は寿命を縮めようと考えていた)

多恵の細いうなじが

日に日に張りを失っていて

今夜は足もおぼつかない

多恵、大丈夫か?

うん

多恵のシルエットは

まるで背景の暗さに溶けていくかのように

真夜中の闇と同化してゆく

多恵

うん

俺、やっぱり酒やめるよ

やり直してみる

頑張るからさ

それがいいよ

またこの流星

一緒に見ようぜ

ええ

だけど98年後でしょ?

一緒に見よう

決めたんだ

うん、分かった

また会えるといいね

また会える

そうするよ

多恵はもう永くはない

けれど

一端捨てたものを

また拾い集めて

僕もなんとかやっていこうと思う

多恵

帰ったら寝てなよ

うん、疲れた

ごめんな

高次ってそらが好きだね

なんで?

なんでって

この宙が

俺たちのことをずっと覚えてくれていると思うからさ

だって他に誰が覚えていてくれる?

いいね、そういうのって

そうだろう

だから俺は好きなんだよ

宙が

高次

死んだらどうなるのかな?

死んだら私どこへ行くのかな?

いいか

よく聞けよ

死んでも俺の近くにいろ

どこへも行くな

そうやって毎日毎日考えるんだ

うん、そうする

俺はまた働いて金貯めて

その金でお前のことなんとかなるように

頑張るよ

そんなことってできるの?

分からない

だけどそうするよ

うん

そうやって生きていれば

なにかこうパッとひらけるっていうか

なにかできる

そんな気がしてきてさ

独りになるって寂しいね

独り?

多恵、お前を独りにはさせない

俺から離れるんじゃないぞ

多恵、いいか

俺から離れるんじゃないぞ

多恵はそれから一ヶ月後に

あっけなく逝ってしまって

僕は泣きながら約束のことばかりを考え

いっそ泣くのをやめようと必死にこらえて

それから多恵にずっと

言い聞かせているんだ

「多恵、どこへも行くんじゃないぞ

ずっとここにいろ」

仕事が終わったあと

僕は細胞のことを調べ

宇宙の研究論文を読みあさり

時間と空間の移動について考え

ある宗教の教えを手がかりに

死後の世界を探索している

「要するに多恵、

お前の復活について

俺はずっとずっと

手がかりを探している」

そしてこう思うんだ

僕はアタマが良くないけれど

人はまた出会えるんじゃないか

強く思えば

また再会できるんじゃないか

とね

僕は科学的人間ではないけれど

非現実的なことを考える人間だけど

ひょっとして

人はもっと簡単にできていて

もっと強くできていて

それが惹き合えば

そうして願っていれば

いつか会える

とね

どうだい?

多恵

俺の声が聞こえるかい

多恵、

俺の声が聞こえるかい?

タイムスリップ

夕方の渋滞はどこも殺気立っていて、

嫌な気が、この街には充満している。

車内にはFMラジオが流れているが、

いまひとつ優雅さに欠けるパーソナリティーが、

消費税のニュースに関して、

どうでも良いようなコメントを話している。

僕はコンソールに手を延ばし、

一枚のMDに触れる。

音はなんでも良かった。

MDをプレーヤーに入れると、

僕の憂鬱はすっと消え、

その古くてぼやけたメロディーは、

街の色を変えた。

そんな気がしたのだった。

交差点を越えるとクルマは流れ始め、

郊外へと続く道は、

その日の、僕の好きなルートへと変わっていた。

ウインドゥを少し開け、新鮮な冷気に触れる。

冬の気配がまだ残る冷たさだ。

車列が減り、前のテールランプが、

しなやかに動くように見える。

軽い登り坂。

アクセルを踏み込む。

そして、くねったような峠にさしかかると、

低速では乱れていたV5気筒のエンジン音も整い、

ストレスなく加速してゆく。

そのぼやけたメロディーは、

数本のエレキギターとドラムの音で構成され、

とてもわかりやすいリズムを刻んでいる。

歌詞は、おとぎ話のようなものばかり。

やはり、愛だとか恋だとかなのだが、

この音に、僕の想い出が眠っていた。

下りのワインディングをノーブレーキで走り抜け、

タイヤのきしみも幾分感じ取りながら、

いまはもう決してしないような走りを、

久しぶりに試してみる。

この曲が流行っていた頃。

あの頃は、まだ免許もなくクルマもなく、

僕はまだ未成年で、期末とか受験とかに忙しく、

それなりに勉強もしていた。

深夜のラジオからその音が流れると、

僕は、しばしシャープペンを止めた。

あの子は、今頃この音を聴いている。

石油ストーブで暖まり過ぎた部屋には、

サイケデリックなポスターが貼られ、

その頃流行った花柄のシールが、

ガラス窓にぺたぺたと張り付いていた。

窓を開け放つと、

夜空がきらめいていた。

星も月も、あの頃の冬の空は美しく、

家々のトタン屋根を、いつも静かに照らしていた。

街の、あの辺り。

あの子の家が、木々の黒いシルエットの向こうに、

かすかに見えるような気がした。

ラジオからは、やはりあの歌が流れていた。

…銀河に浮かべた白い小舟…

…僕がマリーに恋をする…

照れくさいことを平然と歌っていて、

僕はホントはストーンズが好きだったと、

記憶しているのだが…

なのに、

想い出に刻まれたその音とまるで絵空事のような歌詞は、

いまでも僕を魅了する。

とても単純なドラムの刻みと、

つたないエレキギターのテクニック。

そういえば、ボーカルがいつも、

四角い大きなマイクを握りしめていたっけ。

ポンピングブレーキを繰り返して減速し、

まだ門が開いている公園の駐車場へクルマを滑り込ませる。

がらんとした白線の真ん中にクルマを止め、

MDのボリュームをいつになく大きくすると、

暗い夜の公園に、その音が鳴り響く。

音は、そのボリュームのせいで、

ぼやけはさらにひどく、音は割れて、

もし、この広い駐車場に誰かがいたら、

とても迷惑だろうなどと考えてしまう。

キーをつけたまま僕は外に出て、

夜空を見上げる。

5気筒のばらけたアイドリングの音が、

僕は好きだと、そのとき初めて思った。

遠くの山の稜線のすぐ上に、

低い下限の月がぶら下がっている。

その上と下に、寄り添うように、

一等星がきらめく。

あのときも、夜空はいつも瞬いていた。

あの部屋で、僕はなにかを掴んだような気がした。

あのラジオから流れていた音楽を、

あの日の僕が聴いていた。

僕は、あの夜、

あの静かな夜の公園で、

どうやら時を超えることに成功したようだ。