新会社、妄想中

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことではない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空中で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも却下。

 

現在最も有力なのが、

バニラファッジという名前である。

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子である。

名前のとおり、甘い食いものである。

 

で、これらの候補は、

気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

 

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」も相当良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめた。

 

で、この新しい会社というか

新組織はなぜ必要か、なのだが、

凄い稼いでやろうとか、

そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、

嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

 

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば、

その後も前も引き受けます、

というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える

企業などがあるので

そこを切り離したいと思った。

 

ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、

多彩な案件を受け入れたい。

 

また、ネット上のライターたちとの違いを、

価格と品質においてもバッティングしないよう整備し、

一線を引きたいとも考えている。

 

私たちの仕事は、

クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、

広範にわたるからひとことでは言えないが。

 

嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項である。

さらに、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠となってきた。

 

あるときから、好きなことしかやらないが、

嫌なことはやらないという心境より優勢となり、

これが基本方針に変わった。

 

好きなことしかやらないとは生意気な、

と言われそうだが、

そして、そんな仕事が成り立つのかとの

疑問も起きるが、

そこは、試しである。

 

実験である。

 

とにかく、好きなことだけやって、

生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

こういう場合、果たしてAIは、

この問いにどんな回答をだすのだろう?

 

この世界には、魑魅魍魎が跋扈している。

しかし、勘としての勝算はある。

 

まあ、少しでも仕事が動けば、

生きる自信に繋がるような気がする。

 

フリーになるとはどういう事なのか?

 

いまどき、どの分野でもフリーは溢れるほどいる。

割と気楽に独立できるらしい。

とにかく、フリーの時代に突入したようだ。

 

しかし、フリーってそんなに簡単になれるものなのだろうか?

 

フリーになったら自由になった、

なんて話はまず聞かない。

勤め人時代からあらかじめ収入が約束された、

お客様付きの保証型フリーは別として、

だいたいがまず、経済的に貧することとなる。

あてもなく無計画に独立したりすると、

大やけどを負ってしまう。

羅針盤もなく航海するのと、同じである。

 

私が経験者なので、間違いない。

ここはしつこく念を押してしまおう。

 

―清水の舞台から飛び降りてしまった―

当時、私にはそんな自覚はなかったが、

後々、あの独立は無謀だったなぁと、幾度となく述懐した。

 

フリーになると、まず慣れない営業活動をしなくてはならない。

金銭の管理なども自分でしなくてはならない。

営業は未経験だからとか、

私の専門はクリエーターだから営業はできないとか、

そんな悠長な事は言ってられない。

金銭の出納記録も、地味な作業ながらついて回る。

 

とここまで書いて気づいたのだが、

ここで述べる事は、

潤沢な資金を持って独立する人には無関係なので、

その限りではないことを、一応断っておく。

 

話を戻そう。

勤め人クリエーターは、社内の営業が仕事を持ってきてくれる。

経理に領収書を出せば、金銭は戻ってくる。

仕事が面白くないと、同僚と文句のひとつも言い放ち、

テキトーに流す仕事もあるだろうが、

フリーとなるとそうはいかない。

 

私も勤め人時代は、

会社の業績に関する事を多々耳にしたが、

そのことは全く気にならなかった。

私とは関係がないと考えていたフシもある。

それは、要は他人事だったからだ。

そもそも経営なんていうものもよく分からないし、

責任もなにもなかった。

よって無頓着でいられたに違いない。

 

私がフリーになるとき、

それは嬉しくて意気揚々としていた。

独立の記念にと、なけなしのお金をはたいて、

自らにオーダーの机を新調した。

黒の天板で脚がステンレスの、

いまどきはめずらしくもない机だが、

私にとっては、とても愛すべき机だった。

そこにワープロとプリンターを設置し、

来たるべき仕事の注文に胸は膨らんだ。

 

しかしだ、仕事はいっこうにこない。

 

私の家ではすでに長男が生まれていたので、

日に日にお金がかかるようになっていた。

おむつ代、ミルク代だけでなく、

みるみる成長してくれるのはとても嬉しいことではあったが、

次々に新しい子供服も買わねばならない。

 

そして、預金残高がみるみる減ってゆくのが、

なにより恐ろしかった。

 

来る日も来る日も新聞の求人欄をみるのが、

習慣になっていた。

そのなかで、外部スタッフの募集をみつけると、

即電話をかけ、作品をもって東京中を駆け回った。

業界の知り合いや、そのまた知り合いにまで、

いろいろな頼み事をしたこともある。

 

思えば、プライドも何もない。

そこに残っていたのは恥以外、何もなかった。

 

ときは80年代中頃。

 

世間は金余りでバブルだったが、

私はやっと、どうにかこうにか食える状態になろうかと、

わずかに光明がさしかかった程度の経済状態だった。

ただ、この頃のコピーライティング料や広告の制作料は、

現在のようなアドメニューのデフレ化がなかったので、

私みたいな者でも救われたと思う。

 

思い起こせば、当時のフリーになった人たちは、

それなりに知名度も実力も兼ね備えている、

一握りの一流人ばかりだった。

そうでなければ、先に述べたように、

当時のフリーは、あらかじめお客様を抱えている

保証型フリーとでもいおうか、

まあ、食える見込みがある人たちのみに許された、

職の形態だったように思う。

 

一介の無名な私がやるような事柄ではなかったのだ。

まあ、元々いろいろと無謀な勘違いをする気性なので、

いまでは笑える事ではあるのだが。

 

では、なぜフリーをめざしたのか?

 

そこを考えると、かなり面倒でややこしい事になるのだが、

一言で済ますとなると、

それは性格なのだろうと言うしかない。

 

生まれもったものであるとか、

家庭環境、幼児・思春期に受けた影響などが、

きっと多分に作用しているのだろう。

 

私の家庭は、ほぼ放任だったので、

勝手に何でもやってなさいというところがあった。

おかげさまで、勝手に思うがままに育つ訳で、

そこに歯止めなどは一切なかったし、

それが自由だと信じて疑わないところはあった。

 

よって人から束縛される事を極端に嫌う性格だった。

 

また、父は典型的な公務員だったので、

その姿を幼い頃から観察していた私は、

或る年頃になって感づいた事だが、

父が本来もっていたであろう個性が、

全く私からは見えなかったことだ。

とにかく始終難しい顔をしている。

すべてが時間どおりに過ごす窮屈さ。

幼い私から話しかけられない、役人特有の奇妙な威厳。

そうした印象も、

少なからず私に影響を与えているのかも知れない。

 

あと、これは私独自の性格からくるものだが、

勤め人時代、タイムカードを通して出社する訳だが、

私はあのタイムカードという存在に、

なぜか毎日いらいらしていた。

 

目に見えない束縛とでもいおうか。

あの管理のされ方は、

いまでも嫌な記憶として残っている。

 

しかし、永くいたい会社もあったし、

ユートピアのような会社もあった。

なのに、どうもそのぬるま湯的な雰囲気が、

いつか自分を駄目にするような予感がした。

 

とんでもない会社を転々とした事もある。

それは代表の愛人が社内にいて、

社内の雰囲気が極端におかしい会社だったり、

人を人として扱っていない会社だったり、

専門職として採用されたにもかかわらず、

全く違う部署の手伝いばかりをさせられたり…

 

ちょっと長くなってしまったが、

いろいろな事が重なって、

結局、私は独りを選んだのだろう。

 

そうした傾向をある意味、

社会不適応とでも言うのだろうか?

そこは、いまもって分からない判断なのだが。

 

さて、職業的フリーとは何かだが、

不自由この上ないフリーという名のこの形態は、

いまも社会に増殖している。

 

それは、リスクを取ってでも得たい、

危うく魅力的な何かがあることだけは、

確かなことなのだ。

 

不安定な経済状態を覚悟で臨むフリーという形態。

そこには、金銭を超えるものがなければ、増殖するハズもない。

 

金銭に置き換えられない何か…

その価値がその人にとって大きな存在であればあるほど、

その若者は、そのシニアは、

やはりフリーをめざすのだろう。

 

独りはとてもしんどい。

辛い、苦しい。

けれど、

喜びも愛しさも織り混ざった幾年月なのである。

 

私は遠い昔にフリーからはじめていまに至ったことを

ほぼほぼ良かったと、いまでも思っている。

 

そこには、金銭ではまず解決がつかない何かが横たわっている。

 

―己の船の舵を、人任せにしてはならない―

 

そう、人生観にまで関わる秘密が眠っているからだ。

 

 

時代とコピー感覚

かつて日本が繁栄を極めた80年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れ、

このコピーはまた、当時の時代の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、ほぼ横並びの中流意識は、

更なる繁栄を信じ、遊びに仕事に精を出していたのだ。

この広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターはあの糸井重里。

さて、いま「おいしい生活」と聞いても、

現在の私たちにはピンとこない。

それどころか、おいしい生活という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すらある。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

今日より明日、

更に素敵な生活はすぐそこにあります、とした提言、

それが「おいしい生活」だったのだ。

同じ80年代、別の美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告だった。

「恋は遠い日の花火ではない」

このコピーは、当時の中年のおじさんの心をわしづかみにした。

当然のことながら、世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのか。

コピーにつられ、もうひと花咲かせようと…

前向きでポジティブな時代の空気のなかで、

このコピーは何の違和感もなく受け入れられた。

総じて、或る側面から光りをあてれば、

夢のあった時代だったといえる。

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かないだろうし、

受け手は、そうなのかな?程度に終わるように思う。

いわゆる不発である。

過去に優れたコピーでもいまではヒットもおぼつかないほど、

時代は移り変わっているのだ。

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」

とか

「テロは…」

とすると、いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

それが辛いし、皮肉な事である。

では、更に時代を遡り、

「隣のクルマが小さく見えます」というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告はトヨタ、クルマはカローラだが、

日産サニーに対抗すべく、できたのが、

このコピーだった。

まだ日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式の世界だったのだ。

よって、こうした時代に流行ったのが

「いつかはクラウン」であり、

「羊の皮を被った狼」のBMWだった。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現の方法だが、

当時はこの程度で皆が満足できる時代だったともいえる。

コピーを広義に「言葉」として捉えると、

言葉というものもまた、

時代とともに動くナマモノであるし、

なるほど人の世界ってまさしく、

刻々とうごめいているという形容がピタッとくるから、

やはり不思議という他はない。

コピーは、その時代を的確に表しているし、

また相反するように、時代とズレたコピーはヒットもしない。

しかし、例外的に時代を問わず普遍であり、

いまでも魅力的に響くコピーも存在する。

例えば、

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

「あっ風が変わった」(伊勢丹の企業広告)

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

ついでに、

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した。」(キャノン)

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

こうした例は、

もはやコピー・広告という概念を離れ、

時代に左右されない人の心を射貫いているのだろうし、

こうしたコピーは、もはや名言・格言の域に達しているのではないか。

キャッチコピー狂時代

名作と呼ばれるコピーを集めたサイト、

「キャッチコピー狂時代」を先日アップしました。

題して、

―あの頃の広告には、愛があったな。―

単なる懐古趣味に映りますが、そうではありません。

良いものを再認識し、これからの仕事の糧にしよう、

というのが本サイトのコンセプト。

私も一応コピーライターなので、

名作と呼ばれるコピーを読み返す程に、

やはりなにかが違うと思います。

ことばにオーラがあります。

ベンキョーになります。

あと、このままだと名作が風化してしまう、

忘れ去られてしまうという危機感もありました。

こんな想いで本サイトを企画しましたが、

まずはさわりを…

「きれいなおねえさんは、好きですか」

媒体 TVCM

広告主 松下電工(現・パナソニック)

商品 美容家電

放映 1992年

コピーライター 一倉宏

ドキッとする問いかけである。きれいなおねえさんって、
姉ですか、いえ、年上の女性のことですかね?
水野真紀や松嶋菜々子を起用し、訳あり気な目つきで
コチラを見る仕草が、このコピーと相まって印象的でした。
そう問いかけられて、好きですよって、つぶやきましたが…

「触ってごらん、ウールだよ。」

媒体 TVCM

広告主国際羊毛事務局

商品 ウール素材

放映 1975年

コピーライター 西村佳也

このコピーは、あまりにも有名ですね。
ウールの良さを端的に言いあらわした卓越のことばです。
繊維は肌触りでその良さが分かるから、そこをグダグダいわず、
触ってごらん、とくる。言い方もやさしい。それでいて、直接的。
すっと胸に訴えかけてくる名作です。

「すこし愛して、ながく愛して。」

媒体 TVCM

広告主 サントリー

商品 ウイスキー・レッド

放映 1982年

コピーライター 藤井達朗

愛の総量は決まっているかのようだ。だから、愛は
大晦日に食べる蕎麦のように、細く永く生きられますようにと同じく
小出しにする?いや、そうではなく、永遠に愛が続きますようにと、
しとやかな女性の真心が伝わる、素敵な仕上がりとなっている。
大原麗子さんの演技も光っていました。

キャッチコピー狂時代サイトはコチラ!

http://catch-copy.info/

検索からみる、コピーライターという職業

私はコピーライターなので、

たまにヤフーなどで「コピーライター」で調べてみる。

と、面白いことが分かる。

私の場合は、このキーワードで検索順位を上げようと努力していないので、

頑張っている人や企業に較べ、断然下の順位をウロウロしている。

で、検索の上位は、コピーライターの就職関係が飛び抜けて多い。

これらはだいたい大型サイトなので、SEOも強力です。

あとは、

コピーライターになるための講座や教室のサイトが上位にくる。

検索の上や横のリィスティング広告を眺めても、

ほぼこれらの企業が占めている。

さて、この状態が何を意味するかだが、

私が考えるに、仕事が欲しいからといって、

コピーライターが、

単体のキーワードで対策を施したところで、

無意味ということ。

何故なら、まず上位の大型サイトには勝てない。

そして、仮に上位に来たところで、

検索してきた人とは、マッチングしないということが考えられる。

要は、コピーライターというキーワードで調べる人は、

おおかた就職とか転職とかを考えている同業種の人が多い。

更に、これからコピーライターをめざし、

講座や教室を探している学生も多いと想像できます。

じゃあ、

コピーライターって仕事はどうやって成り立っているのか?

逆にいえば、どうすればネット上で営業するのかだが、

まず、念頭に置く必要があるのは、

素人さんがホームページなりパンフレットを制作したいとき、

まずコピーライターという単語は発想しないだろう、ということ。

卑下する訳ではないが、コピーライターという職業は、

現在、それほど一般化していません。

例えば、仮にですね、あなたが家を建てるとします。

このとき、ハウスメーカーや工務店、注文住宅 地域名などで、

かなりチェックするとは思いますが、

屋根職人とか壁工事とかでは探さないでしょう?

きっとコピーライターという職業も、

屋根職人や壁の工事をする人と同じような位置でみられている…

私はそのように思うのです。

パンフレット作成とかホームページ制作とか、

もう少し具体的に入れますね。

では? 

そうです。

コピーライターで仕事の匂いのする検索者は、実は同業者なのです。

それが、広告会社であったりコピーライターのいないプロダクションであったり、

それはともかく、いわゆるBtoBが圧倒的に多い。

要は、外注を探しているのですね。

めざすターゲットは、業界内ということがいえるのです。

前述のように、BtoCは、圧倒的に少ないと思われます。

では、BtoB向けにどのようなキーワード選定が最適かというと、

そこが難しいところというか考えどころでありまして、

複合、補足でいろいろ試して調査します。

ここまで話をすすめれば、後はだいたい想像できるとは思うのですが、

私たちの仕事は、一時より一般化していない、

また、広告を担う総力の一端を担当する職種。

そのように思われているようです。

しかし、現場ではかなりの負担と責任を任されている訳で、

その守備範囲は広い。

或る意味、報われない仕事といっても過言ではありません。

先方との折衝、コンセプトの構築、全体のデザインイメージ、

そしてコトバに求められる求心力…

私たちの仕事が、今後どのようにしたら理解されるのか?

どうしたら報われるのか?

それは、

とびっきりのキーワードを探し出すのと同じように、

難問かも知れませんが…