新年明けましておめでとうございます

 

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

最近は、古い映画や音楽ばかり観たり聴いたりしています。

やはり感度のいい時期に接したものは忘れませんね。

 

映画では、クリント・イーストウッドの「許されざる者」が

良かったですね。

彼の当たり役である「ダーティーハリー」シリーズより

もっと古いけれど、まだ観ていない方にはおすすめです。

筋はシンプルだけど、見応えがあります。

 

音楽は、歌謡曲、フォークソングからグループサウンズ、

ソウルミュージック、ジャズ、フュージョンと、

テキトーというかデタラメに聴いています。

 

ここ数日は映画「フットルース」の主題曲にはまってます。

フットルースってどういう意味なのか気になって調べてみたら、

まあ「足のおもむくまま気ままな」でした。

あえて肉付けするなら、

 

―夢ばかり追いかけている風来坊―

―気ままな旅行者―

―好きな所へ行けて好きなことができて…―

 

というような英語の例文が出ていました。

なんかいいですね。

若かりし頃、まさに自身が描いた理想です。

この映画、余計に好きになりました。

 

と言うわけで、

みなさまにとっても良い年でありますように!

 

 

フジコ・ヘミングのコンサートへ行ってきた

 

 

 

クラシック音楽、好きですかと聞かれると、

それほどでもとこたえるだろう。

正直、クラシックという柄じやない。

 

以前のブログでも書いたけれど、

リストという作曲家のラ・カンパネラを弾く、

フジコ・ヘミングは別である。

 

イタリア語で鐘を意味するラ・カンパネラ。

 

ピアノの高音が魅力的でなければ、

あの美しく荘厳な欧州の教会の鐘の音は、

再現できない。

そして、その音に哀愁のようなものがなければ、

ただの音になってしまう。

 

僕は、ん十年前イタリアのフィレンツェでこの鐘の音を

間近で耳にしたことがある。

 

夕暮れだった。

 

それは、日本の寺院から聞こえる鐘の音と、

ある意味で双璧を成す、

美しくも厳かな響きだった。

 

フジコ・ヘミングは、その鐘の音に

心を宿したといっても過言ではない。

 

ラ・カンパネラという曲をピアノで弾くのは、

超絶技巧である。

それは演奏を観ているシロウトの私でも分かる。

 

リストは、この曲をピアノで弾く際に、

器用さに加え、大きい跳躍における正確さ、

指の機敏さを鍛える練習曲としても、

考えて作曲したというから、

天才のアタマは複雑すぎて分からない。

 

この難曲を正確無比に弾くという点では、

辻井伸行の右に出るピアニストはいない。

彼もこの曲に心を宿しているひとりに違いない。

 

 

では、フジコ・ヘミングの何が僕を惹きつけるのか?

 

それは、人生を賭けたピアニストという職業に

すべてを捧げたフジコ・ヘミングが、

ラ・カンパネラが自身に最もふさわしい曲と、

ある時期、確信したからと想像する。

 

真っ白なガウンのような豪華な衣装で彼女が登場すると、

当然のように満場の拍手がわく。

杖をついている姿はこちらも折り込み済みだけど、

もう90歳近いこのピアニストの演奏を

いつまで聴けるのだろうかと、ふと不安がよぎる。

 

しかし、彼女が弾き始めると会場の空気が、

いつものようにガラッと変わる。

これはどう表現したらよいのか分からないが、

とても強いエネルギーのような旋律が、

その場を別の次元にでも移動させてしまうほどの、

力をもっている。

 

興味のない人でも、たかがピアノなのにと、

平静を装うことはまずできない。

そんなパワーのようなものをこの人はもっている。

 

レコードやCDで聴くのとはなにかが違う。

いや、全く違う。

そっくりだけど別物の存在なのだ。

 

僕はクラシックがあまり好きではないし、

知識も素養もない。

 

だけどフジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは、

どういう訳か、とても深い感動を得ることができるのだ。

 

 

 

歌があるじゃないか

 

深夜の絶望というものは、

ほぼ手の施しようがない。

たとえそれが、限定的な絶望だとしても…

 

陽平はそういう類のものを

なるべく避けるようにしている。

「夜は寝るに限る」

そして昼間にアレコレと悩む。

いずれロクな結論が出ないにしろ、である。

 

意識すれば避けられる絶望もあるのだ。

 

70年代の或る冬の夜、陽平はあることから

絶望というものを初めて味わうこととなる。

 

高校生だった。

それは彼と彼の父親との、

全く相容れない性格の違いからくる、

日々のいさかいであり、

付き合っていた彼女から

ある日とつぜん告げられた別離であり、

将来に対する不安も重なり、

陽平の心の中でそれらが複雑に絡み合っていた。

 

根深い悩みが複数重なると、

ひとは絶望してしまうのだろう。

絶望はいとも簡単に近づいてきた。

ひとの様子を、ずっと以前から

観察していたかのように。

 

ときは深夜、

いや朝方だったのかも知れない。

ともかく、絶望はやってきたのだ。

 

陽平にとっては初めての経験だった。

彼は酒屋で買ったウィスキーを、

夕刻からずっと飲んでいた。

母親には頭痛がすると言って、

夕食も食べず、ずっと二階の自室にこもっていた。

 

机の横の棚に置いたラジオから、

次々とヒット曲が流れている。

ディスクジョッキーがリスナーのハガキを読み上げ、

そのリクエストに応えるラジオ番組だ。

 

どれも陳腐な歌だった。

そのときは、彼にはそのように聞こえた。

 

夜半、耐え切れなくなった陽平は、

立ち上がると突然、

ウィスキーグラスを机に放り投げた。

そして、荒ぶった勢いで、

ガタガタと煮立っている石油ストーブの上のヤカンを、

おもむろに窓の外へ放り投げた。

 

冬の張り詰めた空気のなかを、

ヤカンはキラッと光を帯び、

蒸気は放物線を描いた。

そして一階の庭の暗闇に消えた。

 

ガチャンという音が聞こえた。

程なく辺りは元の静寂に戻った。

親は気づいていないようだった。

 

手に火傷を負った。

真っ赤に膨れ上がっている手を押さえながら、

陽平はベッドにうつ伏せになって、

痛みをこらえて目をつむった。

 

ひとは絶望に陥ると

自ら逃げ道を閉ざしてしまう。

そして、退路のない鬱屈した場所で、

動けなくなる。

 

絶望は質の悪い病に似ている。

もうお前は治癒しないと、背後でささやく。

お前にもう逃げ場はない、と告げてくる。

 

絶望はひとの弱い箇所を心得ている。

それはまるで疫病神のしわざのようだった。

 

がしかし、不思議なことは起こるものなのだ。

 

そのときラジオから流れてくる或る曲が、

陽平の気を、不意に逸らせてくれたのだ。

不思議な魅力を放つメロディライン。

彼は瞬間、聴き入っていた。

気づくと、絶望は驚くほど素早く去っていた。

それは魔法のようだったと、彼は記憶している。

 

窓の外に少しの明るさがみえた。

あちこちで鳥が鳴いている。

彼は我に返り、

わずかだがそのまま眠りについた。

そして目覚めると早々に顔を洗い、

手に火傷の薬を塗って包帯を巻き、

母のつくってくれた朝食をとり、

駅へと向かった。

そういえば、母は包帯のことを何も聞かなかったと、

陽平は思った。

 

高校の教室では、

何人かが例の深夜放送の話をしていた。

「あの曲、いいよなぁ」

「オレも同感、いままで聴いたことがないね」

 

当然のように、陽平もその会話に混じることにした。

 

最近になって陽平はその曲をよく聴くようになった。

もっともいまでは、極めて冷静に聴いている。

 

過去に起きたあの幻のような一瞬に、

このうたが流れていた…

 

陽平はそのことをよく思い出すのだが、

なぜか他人事のように、

つい遠い目をしてしまうのだ。

 

ユニクロで村上春樹に出会う

      ユニクロの店内をぷらぷらしていて、
このTシャツをみつけた。

他のTシャツに較べていくぶん地味なデザインだが、
その絵柄が旧ソ連が人類最初に打ち上げたロケット
「スプートニク」なので気に入って買った。

人類最初のロケットってとてもシンプルだったんですね。

ちなみにスプートニクは、1号から5号まである。
この図柄は1号だ。

2号では、犬が搭乗した。
が、帰ってはこなかった。

今だったら、動物虐待になる。

この打ち上げの成功がおおいにアメリカを刺激した。
アメリカは、かのニューディール政策より大きな予算をかけた。
威信をかけてアポロ計画を推し進めたのだ。

アポロ11号が月面に降り立ったのが、
私が中学生だったから、
スプートニクはそれに先立つ。
私の生まれた頃なのかも知れない。
とても古い話だ。

小説「スプートニクの恋人」は読んだけれど、
内容がいまひとつ思い出せない。
彼の小説はそういうのが多い。

彼の作品はどれも明快かつ分かりやすいものがない。
精神世界とか時間や場所、生死さえも超えてなお
ストーリーを紡いでいこうとする作家だ。

そこにあるのはおおいなる矛盾であったり、
人知の及ばないような壮大さであったり、
その回答は明確にならないものばかり。

表面的には現代的な衣装をまといつつ、
芯に日本の古典的要素を土台としたような作風も、
理解しづらい要因になっている。

そうした諸々が複雑に絡み合い、
着地点をますます不明確なものにする。

それがどういう訳か、読者に余韻として残るのだ。
そうした仕組みを知って振り返るも、
やはり話の細部が霧で隠れてしまうのだ。

これはある種の高度なマジックのようなものに似ている。

さて、彼の小説のタイトルはなかなか魅力的なものが多い。

私的に印象的なのは「中国行きのスロー・ボート」。
彼の処女作品だが、これはちょっと思いつかないタイトルだ。

がしかし、彼の小説のタイトルは、
どこからかの拝借が多い。

「中国行きのスロー・ボート」はソニー・ロリンズの楽曲
「オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」から、
「ノルウェーの森」はみんな知っているビートルズから。
「1Q84」はジョージ・オーウェルの「1984」からヒントを得ている。

「1Q84」は小説の中身もちょっと拝借した感がある。
がしかし、9がQに変化しただけあって、
かなり迫力のある話になっている。

おっと、横道へ外れた。
Tシャツの話でしたね。

私のはLサイズ。着るとちょうどいい。
着てかっこいいかどうかは不明だけれども。

 

奥さんにはスヌーピーのTシャツSサイズを買った。
これはこれで特別な印象的なものはなにもないけれど、
ほどほどに良いような気がする。

他、ニューヨークアートのリキテンシュタインとか、
アメコミ風のもあったが、いかんせん派手で着れない。

で、こうしたコラボTシャツが売れているのかどうか、
私は全く知らないし、興味もないけれど、
改めて考えると、あまり売れていないと思う。

それはユニクロというポジションだと思う。
ユニクロは現在、おおいなるスタンダードの位置を獲得している。
よってスタンダードファッションに異色・奇抜とかってそぐわない。
ミスマッチを狙わない限り、そういうものを目的に、
そもそもお客さんが来ている訳じゃないから、
というのがその理由の根拠。

ホントのところは分からないけれどね。

そういえば、このTシャツのタグに「村上RADIO」とある。
コラボは正確には「村上RADIO」なのだ。

FM東京で毎週日曜日に放送している。

生の村上春樹がしゃべる。
ちょっと硬い口調が真面目そうで好印象。
セレクトする曲もかなりマニアックで、
他では聴けないものが多いから、聴く価値は十分にある。

にしても、彼はビーチボーイズとかドアーズが
ホントに好きなんだなぁ。

こういうのって、Tシャツにもピタリとフィットするし。

 

 

平山みき71歳

 

ユーチューブでナツメロを聴いていたら、

関連曲つながりで、

「真夏の出来事」が出てきた。

我、高校生のときのヒット曲である。

いい歌だなぁ。

 

歌詞のなかでこういう一節がある。

♪悲しい出来事が起こらないように♪

当時はテキトーに聴いていたので、

理解していなかったが、

この歌って、わかれの歌なんですね。

いまさら、いい加減な自分に驚きました。

雰囲気だけで聴いていました。

 

歌詞を理解すると、さらに好感度アップ。

これを歌っている平山みきさんは、とても人気がありました。

当時ガキだった私からすると、年上のお姉さん。

ガキにはとても手におえそうにありません。

はすっぱという言葉にビタッとおさまる雰囲気が

またよかった。

 

ところで、はすっぱという言葉の意味を

コトバンクで調べたらこう書いてある。

「女性の態度や動作が下品で慎みのないこと、

また浮気で色めいてみだらな女性をいう。

「はすっぱ女」ともいう。」

 

ヒドイことが書いてあります。

私のなかで元祖はすっぱは、

加賀まりこさんなのだが、

なんだか私の思っていたのと、

どうも意味合いが違う。

これは私の間違いなのか。

 

私のなかで、はすっぱというのは、

とてもいい響きであり、褒め言葉なのだ。

なんだか垢抜けていて、ミステリアスで、

全然こちらの言うことを聞いてくれない、

わがままなかっこいい女性。

それがはすっぱなのだ。

 

本来はコトバンクにあるように、

女性を卑下する言葉なのだろうけれど、

当時の私たちはそういう意味合いでは

使っていなかった。

それはひょっとして方言と同じで、

地方により意味合いも変化するとか?

 

まあ、どうでもいいや。

で、はすっぱな女性にはいまでもかなわない。

振り回されそうな気がします。

なにしろはすっぱは、小悪魔ですからね。

そのはすっぱな平山みきさん、

現在71歳だそうです。

 

ンー、あれから半世紀が経ちましたか。

平山みきさん、どうか現在でも

はすっぱなかっこいいおばあちゃんで

いてくださいね!

 

 

 

 

 

なかなかのグループ、みつけました!

 

寝起きに就寝前に欠かさず、

毎日まいにちイーグルスばかり聴いていたら

さすがに飽きた。

 

たとえば幾ら寿司が好きでも、

毎日そればかり食ってたら、

やはりゲンナリするに決まっている。

 

ずっと以前は、T・REXのGet・it・onにはまって、

やはりそればかり聴いていて、

結局嫌いになってしまったことがある。

 

繰り返すも学ばない。

ほどほどという塩梅がはかれない。

我ながら、バカだなぁと思う。

好きなものを自らなくしてしまう行為なんて、

愚かだなぁ。

 

で、ふと思ったのだが、

こうした法則のようなものって、

異性にも当てはまるのだろうかと。

 

想像するに、幾ら愛し合ったふたりでも、

いつかはやはりそうなるような気がする。

飽きるとか、嫌いになるとかね。

 

しかし、お互いに空気のような存在と言わしめる、

そんな域に達すると、

ちょっと違うニュアンスとなる。

 

空気?

そう、空気がないと死んでしまうので、

そのような関係ともなると、

きっともうすでに好きも嫌いも超越した、

その先にある、

ある種、無意識必然の存在ということになると、

ここは美しく解釈しなくてはならない。

 

ええっと何の話だったっけ?

ああっ、そう音楽の話。

最近ではことある毎に、

HSCCというグループの音楽ばかりを

聴いている。

また始まった、悪い性癖が…

 

選曲が良いというか、

ずっと流していて飽きることがない、

とてもハイになれる、

カバーを専門にして活動しているグループ。

 

アンディ・シーモアというボーカルが、

とりわけ良い声でカッコイイ。

詞の内容がグッと伝わってくる、

包容力のある魅力的なボーカリスト。

 

いま良く聴いているのは、

君は僕のすべてさ!

とリズミカルに口説いている

まあ何とも青くさい歌なんだけど、

そこがこちらには返って新鮮でもある。

 

原曲は、70年代に流行ったブリティッシュ・ソウル。

かなり古いけれど、

聴いていて全く古さを感じさせない。

いや、新しいでしょ、となる。

 

例えて言うと、古いポルシェ356を、

いまこの時代のセンスとテクを使って、

ハイカラにレストアしたような…

よく分からない?

 

なんたって40年以上も前の曲ですから。

じゃあ、まず聴きましょう!

 

飽きない程度にね!

 

※削除されたら、ゴメンね!

↓オリジナル

ならず者のうた

デスペラード

ならず者という意味らしい

 

19才も終わろうとする頃

カーラジオで初めて聴いた

この歌の虜になった

 

当時は意味なんて分からなかったけれど

デスペラードだけ聞き取れた

とてもやさしいメロディー

悲しげな歌

運転しながら

寂しさだけが押し寄せてきた

ある事情でみんなとはぐれていたから

話す相手もいなかったし

ガールフレンドとも遠ざかっていったし

この歌も、そんな歌なのだろうと

勝手に解釈することにした

 

ひとり国道246を西へ

どこかへ辿り着こうとか

そういうものはなかった

雑音だらけのラジオの音にすがるように

宛てもなく走った

 

ひとりが寂しいんじゃなくて

回りに壁をつくってしまった自分が

とても辛かった

 

デスペラードの歌詞は

だいたいこうだ

 

「…おい、そろそろまともに戻ったらどうだい?

…お前の、その気難しさやプライドが
お前自身を傷つけているんだよ

(中略)

…時の流れに誰もが逆らえない
なのにお前はたったひとりで
深い闇のなかをただ歩いているじゃないか
それも、もがきながら

(中略)

…ならず者よ、さあ目を開けて
怖がらないで

…雨降りだって
いつか虹がかかることもあるから

…まだ間に合う

この手を掴めよ
まだ間に合うから」

 

10代の終わりのあの遠い日々が

その後の推進力になったことに

いまは感謝しているけれど…

 

 

 

 

夕陽のうた

 

イラストレーターの鈴木英人さんは、

影というものを主役に据え、

大胆な影の描写で夏の日差しの強さを強調し、

そのコントラストの美しさをあらわした。

 

オールドカーが木陰に停車しているイラストなど、

ぐっときます。

 

 

この人の作品は、どれも真夏の昼下がり、

といったものが多い。

 

実は朝なのかも知れないが、

その陰影を観るにつけ、真夏の昼下がり、

と私が勝手に思い込んでいるのかも。

 

まだ世の中がカセットテープ全盛だったころ、

よく英人さんのイラストを切り抜いて

カセットケースに貼り付けていた。

 

中身は、主に山下達郎だったような。

 

 

さらに時代を遡って、

私がちいさい頃に好きだった影絵は、

どれも藤代清治さんの作品だった。

 

 

だいたい夕暮れから夜の世界が多い。

 

笛を吹いている少年のシルエットが心に残った。

作品はどれも上質のステンドグラスにも負けない、

神秘性と物語を内包している。

 

昨年、藤代さんの画集を買って、

時間ができるとぺらぺらと開いている。

もう90歳をとうに過ぎておられると思うが、

この方の作品は常にファンタジー性に溢れていて、

その世界が衰えることはない。

 

 

好きなことに没頭する美学がそこにある。

 

ここは、学びが多いと、自分に言い聞かせている。

 

 

近頃は夜景の写真が人気を集めている。

湾岸に立ち並ぶ工場群も、

ライトに照らされた夜の姿は、

妙な魅力を放っている。

 

 

私は京浜工業地帯で生まれ育ったので、

工場の立ち並ぶ姿にうんざりしていて、

一時は、こうした写真を引き気味にみていたが、

最近はそうした幼い頃のトラウマ?もなくなり、

しっかり鑑賞できるようになった。

 

 

さて、自然の織り成す陰影といえば、

夕暮れ時のマジックアワーである。

 

 

 

夕陽は、ときに緊張した人の心を緩ませる力を

秘めているようだ。

 

私が夕陽の魅力を初めて知ったのは、

小学校の入りたての頃だった。

近所の子と砂場で夢中になって遊んでいて、

さあ帰ろうと思って立ち上がり、

空を見上げたときだった。

 

いままさに沈もうとする太陽がオレンジ色に光って、

手前の丘は大きな黒い影となり、

その丘のふちだけが燃えるように輝いていた。

 

いずれ、光と影の織り成す風景って、

人の琴線のようなものを刺激するのだろう。

 

映画「夕陽のガンマン」、「三丁目の夕日」

 

拓郎の「歌ってよ、夕陽の歌を」

石原裕次郎のヒット曲「夕陽の丘」

 

夕陽は歌になる。

絵になる。ドラマになる。

 

どこか影のある女性…

夕暮れの冬の木立

そんなものばかり追いかけても、

深みにはまるだけ。

ただただ、陽が暮れるだけなのになぁ。

 

 

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

 

 

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

元旦の昼はケンタ食ってました。

では早速ですが、こちらゲス芸能デスク2です!

 

◆レコード大賞

年末のレコード大賞観てましたが、
大賞は乃木坂46じゃない。違う。
どう考えてもDA PUMPでしょ。
U.S.Aって、歌詞は意味不明だし、
ISSAのヘアはかなりあやしいけれど、
あれだけ人気出たんだからね。
酷い歌詞だけど…

そして番組の大半は、
過去の受賞シーンばかりだった。
それはそれで懐かしいけれど、
過ぎ去った栄光ばかりではね、
現在の音楽シーンの躍動が感じられない。

如何にヒット曲が少なく、
マーケットが萎んでいるのが、
素人の私でも分かる。

最優秀新人賞の辰巳ゆうと
という歌い手さんも、
皆あまり知らないんじゃないか?

受賞、不思議。

唯一、ピンク・レディーが良かった、
というありさま。

ミーちゃんもケイちゃんも還暦を過ぎていて、
あの歌と踊りは凄い。
化粧も凄いけど。
ちょっとハラハラしてしまったよ。

 

◆紅白歌合戦

総体的になかなか面白かったですね。
過去に縛られず、若返りを図ったのが、
功を奏したと思います。
縁故関係で出ているような歌手を退場させたのも勝因。
客席と舞台を一体化させるような演出も冴えました。

さて、永遠のアイドル郷ひろみさんを観ていて
なんというか、プロ意識を感じましたが、
正直イタい。
凄い努力をしているんじゃないかとは思いますが、
このままでは、行く先が辛い。

それにしても、郷さんって何食ってんだろう?

天童よしみの「ソーラン祭り節2018~どさんこver.~」
って、北島三郎の「祭り」とほぼ同じなんじゃないか。

Suchmosっていいですね。

「臭くて汚ねェライブハウスから来ました、よろしく」って

挨拶が気に入った。

ちょっといきがっているのか、照れなのか、負けねえぞっていう

思いがあるのか、いいなぁ。

クラプトンとかが好きらしく、60年代~70年代の空気が伝わる。

内田裕也じゃなく矢沢でもなく、彼らの音楽はなんか伝わる。

 

北島三郎って、紅白引退したんじゃなかったっけ。出てるじゃん。

平成最後だからとかいろいろ理由を述べていたね。

「男」サブちゃんで売っているけれど、二言はある訳だ。

 

サザンとユーミンはね、同世代なので、ホント安心して聴ける。いまじゃ大物になっちゃったけど、やはりハタチの頃の勝手にシンドバットとかあの日に帰りたいのデビュー当時を思うと、自分も若い頃に戻れる。

 

 

◆番外編

秋元康という人は、一応いまは日本の音楽シーンに欠かせない人とは思うが、(ホントはどうでもいいと思っている)彼が生み出すAKBとか欅坂他いろいろいますが、あれって何だろうと思う訳です。ジャニーズの双璧といえばそのようにも思えますが、まあ、学園祭のノリでよくここまで来ました。思えば、80年代の「おニャン子クラブ」から彼の活躍が始まるのですが、女子学生の放課後の仲良しクラブが、どうも彼の思い描いた空気と思えます。そこに脈々といろいろなグループが繋がっていて、彼のコンセプトはいまも不変。○〇46とか〇〇48とかって一クラスの人数に思えなくもない。いろいろなクラスの女の子がいる。それが、彼の生み出すグループなのでしょう。彼はセブンイレブンとかファミマみたいに、フランチャイズ化にも勢力を注いでいて、アジアだけでなく欧米もターゲットに入れているのではないか。なんたって向こうは日本のアニメも浸透しているので、それほど違和感はない。ライバルはKポップグループ。負けるなよ、と言いたいところですが、私的にとても違和感があるので、もうこれ以上はやめておきます。

 

 

南佳孝さんのライブへ行ってきた!

     

 

大磯在住の南佳孝さんは、

いつもラフな格好をしていて、

そのまま海辺を散歩していても

何の違和感もないおっさんである。

そんな服装でそんな雰囲気を引きずって、

「よう!」と言ったノリでライブに現れるから、

ファンもみんなよく知っていて、

知り合いと出会ったように「久しぶり!」

とでも返すような拍手を惜しみなく送る。

 

会場は小さい。

100人くらいでいっぱいの地下空間。

そこに折りたたみの椅子をびっしりと並べて、

彼のアコースティックライブを、

2時間めいっぱい聴かせてくれる。

往年のファンは、いつでも何処にでも

彼を追っていくらしいのだ。

私はこのライブは2回目なので、

まあ、にわかファンの部類。

彼とディープなファンとの距離の近さを知るにつけ、

あの会場のリラックスした雰囲気に、

なるほどと合点がいくのだ。

 

南佳孝が初めてヒットを飛ばしたのは、

1979年の「モンローウォーク」あたり。

郷ひろみが大ヒットさせた「セクシー・ユー」が、

そのカバーといえばわかりやすいか。

アップテンポの曲で、当初は彼も少しステップを踏みながら歌っていた。

アイドル歌手になるつもりだったのだろうか?

そんなことを諦めてくれて良かった。

駄目で良かった。

彼は生粋のミュージシャンだから、

妙な逸れ方をして成功でもされたら、

いまの彼はいなかったし……

 

私が彼の曲を深く好きになったのは、

「日付変更線」を聴いてから。

ちょうど、南の島へ行った頃で、

椰子の木の下で、この曲をウォークマンで聴いた。

前日、日付変更線を超えてきたので、

珊瑚礁のリーフに打ちつける白い波を眺めながら

この曲を聴いていたら、

「心底しあわせじゃん」と本気で思えた。

 

そろそろこの人も70歳くらいと思うが、

最近では斉藤和義とか杉山清貴とか薬師丸ひろ子とか、

いろいろな人とコラボって、新しい試みをしている。

 

相変わらず、前を見ている。

 

最新のシングル「ニュアンス」と

「冒険王」を歌ってくれたが、

どちらもかなりGOOD!

「ニュアンス」はメローで年を重ねた大人の歌。

作曲は来生えつこ。

年相応だからか、親近感を感ずる楽曲だ。

「冒険王」はスローだーかつ迫力のあるメロディライン。

さらに詩がすごく熱い。

胸にぐっとくる。

作曲はもちろん南佳孝だが、作詞は松本隆。

やはりね、深く納得しました。

 

「憧れのラジオ・ガール」って、聴いていてなつかしい。

私たちはある時期、ラジオで育ったようなものだから。

 

「スタンダード・ナンバー」は都会的かつ感傷に浸れる。

♪愛ってよく分からないけど、傷つく感じがいいね♪

 

「スコッチ・アンド・レイン」はやはり渋い。

♪スコッチ雨で割れば言葉がいらなくなる♪

♪頬が濡れて、まなざしが濡れて、心まで濡らした♪

ため息の出るほど、その空気が伝わるフレーズ。

 

ひと通り歌い終わっても、拍手が鳴り止まず。

で、アンコールの彼はなんと坂本九の

「上を向いて歩こう」。

皆で歌おうと。

これが盛り上がりまして、その熱をさらに加熱するように、

最後は、彼の最大のヒット曲「スローなブギにしてくれ (I want you)」

で締めくくってくれた。

 

帰って、熱いコーヒーを飲みながら、もう一度YouTubeを聴いた。

思うに彼は全く偉ぶらない。

出たがりでもない。

やり方次第で、

いまも相当の大物感を漂わすこともできただろうに、

そうした事はダサいと信じているフシがある。

 

彼の言いそうな台詞を考えてみた。

「こういう歌って好きだし、

もっともっといいの、まだまだつくりたいね。

まあ、死ぬまで歌っているよ、

…だって好きだからね」

 

そういう人。

 

歌に声に、色気がある。

奏でるものに生気を吹き込む。

物語を歌う人。

 

ビジュアル的にイケてる人という訳じゃない。

しかし歌っている彼を見ていると、

ほんとにかっこいい。

 

きっと彼の生き方がかっこいいんだろう。