地下鉄13番B出口

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地下鉄13番Bの出口を出ると

ひゃっとする風が首筋をなでて僕は覚醒する

そういえばずっと寝ていたんだっけ

ぼおーっとするような生暖かい車内では

誰もが居眠りをしていた

僕は角がくすんで折れた文庫本をずっと読んでいたんだけど

いつの間にか寝てしまったんだ

ふと目が覚めたときも車内は僕以外みんな寝ていた

その古い本はとても面白い物語で

世界が突然消えてしまうという

恐ろしいけれど

最後の最後にヒーローが現れて

僕らをユートピアへ導いてくれる…

いや いまはまだその結末は分からないけれど

きっと助けてくれる

そう信じていままでこの本を読んできた

地下鉄13番Bの出口は

以前は大通りの角にあって賑やかだったけど

いまはもう驚くことにすべてが草原になってしまった

一体なにが起きたのだろう

なにがあったんだっけ

地下鉄13番Bの出口

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そのことはもう誰も知らないし

誰に聞くこともできない

まわりを見渡しても誰もいない

みんなどこかへ消えてしまった

そういえばあれから3度目の冬だ

凍るような風がひっきりなしに吹くので

僕の体温はみるみる低下している

見わたすとあたりに高い建物はなにもない

葦(あし)が群生するその向こうには寒々とした草原が広がり

その遙か先に煙がのぼる火山がみえる

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僕はあの約束どおり

約束の年 決められた日に

地下鉄13番Bの出口に辿り着いたんだ

息を整える

拳をぎゅっと握ってみる

そして僕は

角がくすんで折れた文庫本をぎゅっと握りしめ

葦のなかを歩きはじめた

めざすはあの遠い火山の麓のまち

いま僕がいくところはそこしかない

ところどころがかすれた文字

あやうい物語

なのにいま頼るものはそれしかない

この結末はまだ分からない

けれど僕がこれからつくるストーリーは

きっとやさしいに違いないのだが…

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夏の夕暮れのウスバカゲロウ

ある夏の夕方のどしゃぶりのあと

新しくオープンしたホームセンターへとでかけた

天候のせいか、店内は人もまばらで

広大な建物のなかはがらんとしている

巨大ホームセンターの周辺はまだたっぷりと水田が広がっている

確か以前ここは見渡す限りの水田だった

店はその真ん中に鎮座する

蛍光灯の強い光りのもと

広い売り場をとぼとぼと歩くが

溢れる商品の多さに

目的の探し物が何だったのか忘れてしまった

誰もいない膨大な商品棚の通路を

なにを間違えたのか

ウスバカゲロウがひらひらと浮遊している

不安定で頼りないその飛行は

徐々に高さを失う

心許ない命の終さえ予感させる

ここはもう水田じゃない

そして君の帰る場所などもうないのに…

ウスバカゲロウは

プラスチックのキッチン用品にとまり

次第に飛ぶ力も果てて

テカテカに光っているタイルの上ほぼ10㎝あたりを

彷徨っていた

あれから僕もいろいろなことがあって

季節はすとんと

まるで手品みたいに移り変わる

あちこちに赤とんぼが現れたススキの頃

涼しい風に吹かれて

高い空に吸い込まれるように

心地よく歩いていると

やはり秋は思索を誘うから

あの夏の夕暮れに遭遇した

巨大ショッピングセンターのウスバカゲロウの行く先を

つい考えてしまうのだ

「人間なんて所詮は

この世の窓辺にとまるウスバカゲロウみたいなもの」

作家ケストナーが放ったことばが刹那的だ

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計らい

泣きながら産まれたこの世は

如何でした

そんなこたぁ分からねぇなと

ビールをひったくって飲んでいる

姿が忘れられない

あなたを

泣きながら皆が送り出すさきには

何があるのでしょう

いったい

何処へ行くのでしょう

あなたが産まれたとき

きっと嬉し涙を流したひとが

いるのです

そして皆腹をかかえて

大声で笑って

祝って

賑やかになったことでしょう

あなたを

泣きながら皆が送り出すさきには

何があるのでしょう

いったい

何処へ行くのでしょう

遠い国

碧い星

見えないかなた

雲のうえ

空のむこう

遙かむかし

いえ

いいえ

そこ

そこ

となりで涙を流しています

さあ、ココロの趣くままに

2016年最後の仕事は、

いや、仕事になるのか否かはまだ分からないが、

私とディレクターは神奈川県のとある重度障害者施設にいた。

それまで、こうした施設の依頼は幾度かあり、

それぞれに仕事をさせて頂いたが、

今回の施設は、とびきり大変な仕事と分かった。

それでもお子さま方への愛情が充分過ぎるほど伝わる

私たちを呼んでくれたその女性が、

天使のように思えたのだった。

そんな直感は、いままでにないものだった。

なんとか安くて良い記念誌をつくってあげたい。

話は変わって、大晦日だったか、たまたま観たテレビに

懐かしいイエモン(THE YELLOW MONKEY)が出ていて、

再結成のいきさつを話していた。

リーダーの吉井が、

イギリスで70才のミックジャーガーのコンサートをみたとき、

とても感動したそうである。

そして閃いた。

解散していた自分がこれからなにをやるべきかが。

歌、そしてロックが好きだから、もう一度バンドを再結成しよう、

70才になっても頑張ろうと。

要するに見えたのだ。

イエモンは紅白に出ていた。

宇多田ヒカルも良かったけれど、

同じようにイエモンも良かったなぁ。

年は変わって、元旦。

近くの神社へ初詣にでかけた。

午後遅くだったので、盛大に燃やしたと思われる焚き火も、

もう消えかかりそうで、誰ももう薪をくべない。

そのフツフツと灰色にくすぶる最後の薪が、

なんだか自分に被る。

でふと思ったのだ。

このままでは違和感は拭えないなぁと。

地続きのように何も変わりなく、

今年も仕事を続けていく、ということ。

いまからでも遅くはないのでないか?

あの天使のような女性もイエモンも、

私の知らない何かを知っている。

掴んでいる。

見逃さず見過ごさず、自分に問うことは、

やはり勇気のいることではあるのだが…

ある大晦日の記憶      

                   西條八十

その夜は粉雪がふっていた、

わたしは独り書斎の机の前に座って

遠い除夜の鐘を聴いていた。

風の中に断続するその寂しい音に聴き入るうち、

わたしはいつかうたた寝したように想った、

と、誰かが背後からそっと羽織を着せてくれた。

わたしは眼をひらいた、

と、そこには誰もいなかった、

羽織だと想ったのは

静かに私の軀に積もった一つの歳の重みであった。

          (一部現代仮名遣いに変えました)

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

心のキャロル・キング

ありがたいことなのだけれど、

プレス原稿、スローガン、ランディングサイト他が重なり、

頭が忙殺されているうち、ブログの更新が止まってしまった。

相変わらず世の中は忙しく、

トランプとかプーチンとかで世界はめまぐるしく動いている。

或る夜遅く、

そうだボブ・ディランを聴いてみようと思い立ち、

アプリを開いてみた。

      「風に吹かれて」

  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  男と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  ほんとの空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

(壺齋散人さんによる歌詞の日本語訳より引用)

彼の音楽はやはり素朴だなあ、

それにしても、小節にことばが詰め込まれている。

そして音符に彩られたことばが呼びかけるのだ。

溢れるのは詞なのか、

いや詩だな。

これがノーベル文学賞なんだと思うと、

そうだろうなと納得した気持ちと、

いや、と思い、

そこは村上春樹だよとは思ってはいないが、

やはり私はキャロル・キングが頭に浮かんだ。

私の世代は、あまりボブ・ディランに馴染みがないのか、

彼の歌を聴くと、

中学校時代に耳にした、

日本のフォーク・ソングと被ってしまう。

―岡林信康とか高田渡とか、

吉田拓郎とか泉谷しげる―

みんなボブ・ディランに憧れていたんだと改めて納得。

最も、日本で歌われたフォークに、

それほど政治の色彩はないのだが。

初めてギターを手にしたとき、教本は「ガッツ」、

曲はジョーン・バエズの「ドンナドンナ」だった。

ジョーンバエズもボブ・ディランも同時代だと思うが、

なぜかジョーン・バエズのほうが記憶に残っている。

有名になる前のボブ・ディランを、

公の場で紹介したのもジョーン・バエズと聞いた。

当時はベトナム戦争という無慈悲が進行していた時代。

メッセージ色が強い。

(最もジョーン・バエズの歌は公民権運動の色合いとも言われている)

メロディーに包み込まれた詩に、

当時のやるせなさが綴られている。

そのことばひとつひとつが浮いていない。

♪風に吹かれて♪のフレーズに、

そのもどかしさまでもが、届いてしまう。

だから、ボブ・ディランなのだろう。

最も、詩の成り立ちは、

思えば小説などよりその歴史も古いから、

文学の礎ではある。

彼のノーベル賞受賞は、

なんら不自然ではないと思う。

しかし、前述のように、この時代のアーティストで、

私を掴んだのは、やはりキャロル・キングだった。

「君の友達」という歌は、こんな感じ。

あなたが困っているとき、

辛いとき

そして私を必要としているなら

すぐに呼んで!

私はすぐにでもあなたの元へ行く

それが冬でも春でも夏でも秋でも

ただ私の名を呼べばいいの

わたしがどこにいようと

あなたに会うためなら

走ってゆく

だって友達だもの

友達がいるって素敵なこと

そう思わない?

みんなとても冷たくなってしまって

あなたを傷つけたり見捨てたりする

あなたが油断すれば

それこそ魂までも奪ってしまう

だけど私はそんなことはさせない

私の名前を呼んで!

あなたには友達がいるのよ

ボブ・ディランの詩は他のものとは格が違うというか、

ことばがダイナミックな放物線を描いて、こちらにズシンと届く。

一方、キャロル・キングのこの歌は、

一見身近でやさしい言い回しだが、

これは、この時代の空気を纏った、

一種のレトリックだろう。

勝手に私的にだが、

やはりノーベル心の文学賞はこちらなのだろうと…

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碧く晴れた日々

かつて僕は野党一辺倒だった

アナーキストを気取ったこともある

いや ただの不良だ

父は公務員

規則正しい仕事と生活を繰り返していたように思うが

ものごころつくようになった頃から

彼の粗(あら)がぼんやりみえてきた

彼は始終僕をうっとうしい目でみていた

そんな父が僕に初めて中古車を買ってくれた

20万円の疲れたクルマだったが

僕はいつもそのクルマを撫でるように磨いた

父がクルマを買ってくれたのは

ストライキのときは必ず父を乗せて川崎の職場まで送ること

そういう条件だ

そんな動機はそのときどうでもいいように思えた

父は選挙のとき野党に一票を入れたぞ 

と必ず発表する

父は戦争中はソ連にいたので

日本に帰ったらどこも働かせてくれなかったそうだ

向こうでマルクスを叩き込まれたので

きっと誰もが敬遠したのだろう

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ああ

気持ちのいい秋晴れの朝

僕はクルマでバイパスを走る

もうワクワクするでもなく

ドイツ製の手堅い小型車で

安全が第一だと念じている

あの頃より僕は少し利口になって

確実に太って 皺だらけになって

後ろに年頃の娘を乗せている

この子の未来に何があるのか

この空から続く世界は

これからどうなっていくのか

僕は確実に臆病になってしまって

僕はもはや野党など信じていなくて

このつまらない世界でも

相変わらず

素敵な秋の日はくるのだ

立ち止まる季節

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空は高く

そして広がって

季節が移ろうとしている

乳白色の突き放す光りが

オレンジがかった陰りあるものへと変化し

皮肉なことに

まるで世界が突然

穏やかにでもなってくれたかのようだ

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誰もいない公園

都会の交差点

ビルの窓から

こんな日だから

人は久しぶりに

哲学なんぞを準えるのだろう

ススキに赤トンボ

生きている儚さとか

胸いっぱいにひろがるやすらぎとか

人の想うことって

大きな空に吸い込まれるから

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秋の日は

道行く人の視線さえやさしく

誰も内面をなぞるように

コツコツと歩いてきた道を

これから歩くであろう彼方を胸に抱いて

冷えた風にシャツの襟を立て

ふと思い出したように

通りの隅で

ちょっと立ち止まるのだ

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独りって…



独りってなんだか自由で、

ひどく寂しいときがある

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君をのせて

隙間だらけのイカダに揺られ

ビールなんか飲みながら川下りをしていると

天空にせり出した奇岩が

こっちを脅すように見下ろして

そして雨も降り始め

川の流れが荒れてくる

この旅で幾度も幾度も

激流に飲み込まれ

沈んでときに溺れるし

木の葉のように行き先も知れず

ただ イカダだけがバラバラにならないだけ救われたのか

でも川岸がみえるとそこに上陸して

うまい魚と酒を飲んで

美しい景色とおいしい空気があれば

それだけでこの旅はなんとかなりそうだと‥

こうしてボクの旅の途中に

或るとき孤独がひたひたと訪れると

やはりボクはさみしがり屋だから

君がいてくれるとボクはとてもありがたいと

いつか想うようになって

そうしたらもう一度

このイカダを壊して

新しくつくり直すよ

もっと大きく もっとしっかりと つくるよ

ベッドも備え付けよう

今度は屋根のテントも張ってみるから

強い日射しも雨も凌げるだろう

だからボクは君にのって欲しい

このイカダでボクとの旅をしないか?

いつだって助けるし

辛いときには笑わせるから

ボクはひるまない

きっとボクは君に最もふさわしい男だ

だからあの碧い海がみえるまで

いやそうではなく

いつでも

いつまでも

精一杯 君を守るから

なつやすみ

暗くなると

鈴の音がきこえるという

鎮守のもりも

みんなでいくぞ

蝉とるぞ

首も うでも かたも

蚊と汗でかゆいけど

カゴにあぶら蝉

にぃにぃ蝉いっぱい

こわいから早くかえろうよ

そうだかえろ

おなかがすいて

帰りのあぜ道を

よろよろ歩いていると

だれかついてくるよ

だれかがみているんだよ

ぼくがぷいっとふりかえったら

にゅうどうぐも

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おおきなしろい

入道雲ついてくる