思えば、平成ってずっと不景気だったような気がする

 

 

最近では、平成も終わりを告げる、ということで、

あちこちで平成という時代の総括やら思い出を振り返る

番組をよくみかける。

 

夕飯の後なんぞ、寝そべってテレビをぼおーっと観ていると、

うーん、なつかしいなという反面、

平成って、結構辛い事が多かったなぁと、

深くため息をつくのだった。

 

平成の時代は、まずバブル後期から始まったように記憶している。

 

日本長期信用銀行に預けてあった50万円を渋谷店で下ろすと、

確か75万くらいになっていて、その金利の高さに歓喜した覚えがある。

しかし後、この銀行は潰れ、山一証券会社も潰れ、

世の中全体が、かなりどんよりしてきたのだ。

 

そこから、日本の不況は徐々に深刻さを増し、

それは伝染病のように社会全体に広がっていった。

 

私たちの業界も同様で、延々と続く不況に、

エッと驚くような酷い話はいくらでも耳に入ってきた。

あの大手が潰れたとか、知り合いの会社の倒産とか、

フリーランスへの未払い金などは優に及ばず、

離婚や自殺まで、枚挙に暇がなかった。

 

最も身近なのは、やはり広告の制作料金のデフレ化だろう。

 

まあ、広告の価格も案件に寄りけりだが、

こちらはわずかな利益の確保に追われる。

どこも経営が厳しいから致し方ないのだが、

業界の価格競争の激化とともに、

人的資源も枯渇して低レベル化が進み、

無駄な制作物が粗製乱造され、

結果、広告というものが大きな信用を失ったことだろうか。

 

現在でも、その余波は残っている。

 

平成はネットの時代に入った訳だが、そこでも同様の事柄は増え、

安かろ悪かろでもしょうがない、という事態が

ここかしこで起きている。

 

「コスパ」が流行ったのが平成の特徴だが、

それはいまも続いている。

 

いあらゆる事柄において、無駄は敵なのである。

如何に安くいいものをつくるか、

ここに心血を注がなければ生き残れない。

 

当然と言えば当然なのだが、

こと広告に関しては、コストはみえるものの、

パフォーマンスが見えづらいという欠点があった。

 

よって、広告も進化し、

結果を示すために、統計とか数字を示すようになった。

ここをしっかり説明しないと、コスパは語れない訳だ。

 

こうして、ただ高いだけ、安いだけの業者は淘汰されていく訳だが、

いまはその過渡期といっても過言ではないだろう。

 

でないと、広告は、出来の良い悪いが見えないのだ。

全くブラックな業界となってしまう恐れがある。

 

それは広告の危機を意味する。

 

よって結果をしっかりと出すことは、

いまやこの業界の鉄則なのかも知れない。

 

作り手の意識は変わる。

 

成功体験は、自信と自負と向上心を育てる。

そして、つまらない価格競争には乗らなくなる。

よって、広告のつくり手は、

あの湖に浮かぶ優雅な白鳥のように、

水面下では手足を常に動かし、

努力を惜しまず向上しなくてはならない。

それが現在の広告の作り手の、

極めてシビアな現状なのである。

 

ずっと以前、

いわゆる昭和における広告などはかなりアナログで、

ざっくりとしていた。

しかし、ヒットを飛ばす心意気は殺気だったものがあり、

それはいわば、正体の見えない宝物を追いかけるような、

摩訶不思議な冒険の世界だった。

 

現在のそれは、数字と統計にキッチリと表れる。

主観の及ばない正しい成績をはじき出してくれる。

ここは、確かなことなのだ。

 

しかし、実はここにも新たな問題がひそんでいた。

それはパラドクス的な話なのだけれど、

単に数字だけを追いかけると、

とてもつまらないものができあがる、という

なんとも皮肉なことが起きているという事実なのだ。

 

この新たな問題に真っ向から取り組んでいる

東京のクリエイティブの作り手を幾つか知っているが、

彼らは新たな開拓者として、そのうちにヒットを飛ばすだろう。

 

そのころ、平成という時代は幕を閉じている。

 

 

 

晩秋のうた

 

 

空を見上げ

鳥になりたいと仰ぐか

その向こうにひろがる宇宙に想念するか、

はて、ロマンチストはどちら…

 

 

 

人の秋と思う。

たわわに実るも腐るも

収穫のうれしさ 逃げてしまった想い

全て己が育てたのだ

 

 

 

冬のイタリア・トスカーナで

全く言葉の通じない少女に話しかけられて。

では真夏の湘南で遭いましょうと

 

 

 

ちょっと腰が重いけれど

人生の再起動だな。

さあ 夢に向かって死に向かって

 

 

 

真っ直ぐな眼で見ていたのは

怨んでいたのか愛しいからか。

それが分からないから

僕はいまでも途方に暮れる

 

 

 

 

時代とコピー感覚

かつて日本が繁栄を極めた80年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れ、

このコピーはまた、当時の時代の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、ほぼ横並びの中流意識は、

更なる繁栄を信じ、遊びに仕事に精を出していたのだ。

この広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターはあの糸井重里。

さて、いま「おいしい生活」と聞いても、

現在の私たちにはピンとこない。

それどころか、おいしい生活という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すらある。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

今日より明日、

更に素敵な生活はすぐそこにあります、とした提言、

それが「おいしい生活」だったのだ。

同じ80年代、別の美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告だった。

「恋は遠い日の花火ではない」

このコピーは、当時の中年のおじさんの心をわしづかみにした。

当然のことながら、世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのか。

コピーにつられ、もうひと花咲かせようと…

前向きでポジティブな時代の空気のなかで、

このコピーは何の違和感もなく受け入れられた。

総じて、或る側面から光りをあてれば、

夢のあった時代だったといえる。

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かないだろうし、

受け手は、そうなのかな?程度に終わるように思う。

いわゆる不発である。

過去に優れたコピーでもいまではヒットもおぼつかないほど、

時代は移り変わっているのだ。

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」

とか

「テロは…」

とすると、いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

それが辛いし、皮肉な事である。

では、更に時代を遡り、

「隣のクルマが小さく見えます」というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告はトヨタ、クルマはカローラだが、

日産サニーに対抗すべく、できたのが、

このコピーだった。

まだ日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式の世界だったのだ。

よって、こうした時代に流行ったのが

「いつかはクラウン」であり、

「羊の皮を被った狼」のBMWだった。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現の方法だが、

当時はこの程度で皆が満足できる時代だったともいえる。

コピーを広義に「言葉」として捉えると、

言葉というものもまた、

時代とともに動くナマモノであるし、

なるほど人の世界ってまさしく、

刻々とうごめいているという形容がピタッとくるから、

やはり不思議という他はない。

コピーは、その時代を的確に表しているし、

また相反するように、時代とズレたコピーはヒットもしない。

しかし、例外的に時代を問わず普遍であり、

いまでも魅力的に響くコピーも存在する。

例えば、

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

「あっ風が変わった」(伊勢丹の企業広告)

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

ついでに、

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した。」(キャノン)

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

こうした例は、

もはやコピー・広告という概念を離れ、

時代に左右されない人の心を射貫いているのだろうし、

こうしたコピーは、もはや名言・格言の域に達しているのではないか。

コピーづくりの現場

広告の仕事をしていてよく思うこと。

それは、コピー軽視です。

特に、キャッチコピーを軽んじている人の

なんと多いことか。

対して、デザインは比較的分かり易いので、

皆さん、アレコレ口を挟みますし、

こだわっているようにみえます。

デザインは、誰もが大筋は判断できるのでしょうね。

格好いいとか、都会的とか…

が、デザインに於いても、

それがコンセプトに沿ったものかどうか、

本来、そこを考えなくてはいけないのですが…

しかし、これがコピーとなると、粗末な扱いとなる訳です。

検討以前となってしまうこともあります。

適当に誰かが書いて、それがそのまま最後まで残り、

掲載されてしまうことも少なくありません。

ボディコピーは、作文の添削と同傾向にあるので、

そのコピーがその場に相応しいかどうかではなく、

一応、みなチェックはします。

しかし、この場合も、

日本語として正しいかどうかのみ、で終わってしまう。

制作する側でも、一部でこのコピー軽視の傾向があります。

こうしたクリエーターは、世の中には大勢います。

だから、フツーの人はなおさらでしょう。

しょうがないといえばそんな気もします。

では、なぜ人はキャッチコピーを軽視するのか?

そう、答えは簡単。

分からないからです。

割とみな分からない。

で、私たちコピーライターの出番なのですが、

そもそもキャッチコピーの力を信じない人に

その重要性を説いても無駄なのです。

デリカシーのない人に、私も無理強いはしないようにしています。

コピーが元々広告の添え物であり、

そこになにか書いてあれば良し、

要はどうでもいいもの…

そう思っている人は多いのではないか?

が、これは甚だしい間違いです。

本来、人はことばで動いています。

自らの過去を振り返っても、

ことばひとつで勇気づけられたり、

傷ついたりした経験がいっぱいあります。

或るひとことで愛しあう。

或るひとことで涙を流す。

かように、人の心も、ことばで動くのです。

ことばって、割とパワーがあります。

それを突き詰めたのが、経典なのかも知れないし、

呪文なのかも知れません。

これを、人は言霊と呼んでいる。

人が本気で口にしたものには不思議な力が備わる。

また、そうしたことばが、ひとり歩きをしたりもする。

一例ですが、

あのお笑いタレントのスギちゃんが流行らせた

「ワイルドだろ~」も、そんな気がしないでもない。

古くは、マラソンの有森裕子さんが、

アトランタ・オリンピックで銅メダルをとったときの、

「…自分で自分をほめたいと思います」も、印象深いことばです。

或る登山家への質問。

「あなたはなぜ山へ登るのですか?」

「そこに山があるからさ」

ことばって、本気で発すると力が増します。

でですね、

例えばあなたがネットショップの店長だったとします。

洋菓子店を経営していると仮定しましょう。

店では、クッキーの詰め合わせなどを売っている。

おいしそうな写真とかわいいデザインで、

売れそうな気がします。

が、オープンしてみると、いまひとつ売り上げが伸びない。

クッキーの写真の下には、

「超甘くておいしいクッキーの詰め合わせセット」

とコピーが添えてある。

さあ、あなたはきっと悩みますね。

どこを修正しようかと。

こんなとき、

私はまずコピーをいじることをオススメ致します。

例えば、このコピーを、

「焼きたてサクサクの手づくりクッキーがぎっしり!」

に書き換えます。

さてこれで、売り上げは上がると思います。

きっと…ですが(汗)

コピーはいきものです。

活きもの!!

本気でいきるものには、魂が宿ります。

よって、コピーは添え物ではありません。

本気で考えたコピーにはパワーが宿ります。

これから、なにかの機会で広告に携わる方は、

ぜひ、コピーをつくる空白の時間をつくってください。

きっと不思議な世界に迷い込むことになりますがね!

初心者が押さえておくべき コピーライティングのツボ

コピーライティングのノウハウといっても、

そう簡単にはまとめられませんが、

この辺りを押さえておけばなんとかなるというポイントを

幾つか書いておこうと思います。

さて、コピーライティングと言っても

要は文章なので、前提として分かり易く簡潔であること。

ここは共通です。ここは外せません。

コピーが他の文と違うのは、ポイントの押さえ方でしょうか。

が、ここが実は難しい。

作文の経験は誰でもあるとは思います。

そこをもう少し掘り下げて、或るもの・ことについて

売ることを前提に書く内容を考える。

簡単にいうと、これがコピーライティングです。

では、ライティング作業の前に、

セールスするもの・ことの情報を、まずメモにまとめてみる。

これはバラバラのメモ帳でも良いので、やってみてください。

で、散らばったメモのなかから、例えば一言でいうと…

という具合に売るもの・ことの情報を基に、

自分なりにその要所要所のピックアップ作業をしてみてください。

このとき、ここは外せないぞというメモにチェックを

入れておきましょう。

上記作業の前提として、セールスするもの・ことの

特長・優位性などは事前に勉強しておく。

そしてベネフィットをアタマに叩き込んでおく。

ああそう、ベネフィットですね?

これは、簡単にいうと、セールスするもの・ことの市場での優位性から

受ける利益とでもいいましょうか。

ここを間違うと、書くことすべてにズレが生じるので、

よくよく検討してください。

例えば、掃除機の場合だったら、業界一の吸引力が売りだとします。

これが特長であり優位性。

で、この掃除機を使うと吸引力が強いので

掃除の時間が短縮できるとか、部屋がより清潔になるので爽快ですとか、

そうしたポイントがベネフィットとなります。

さて優位性のある箇所からピックアップしたメモの重要性を更に絞り、

ベネフィットも付加して眺めていると、

なんとなく語りたい話の流れが見えてこないでしょうか?

それらの断片を考えながら、モザイクを組み合わせるように、

ピースを埋めるように、ひとつのストーリーをつくってみてください。

それができあがると、そうですね

まだ文が饒舌過ぎませんか?

そしたら、それを更に削る。

この際、単語や副詞に気をつけ、更にリアルな表現がないか、

置き換える言葉はないか。

ここは、よーく考えてください。

で、活きの良い言葉と流れができあがりましたら、

ついでに希少性についても考えてみてください。

例えば、そのセールスするもの・ことは数は幾つか?

売り切れる可能性は?

限定○○個だったり限定○○戸だったりしますよね。

ここは、必ず入れましょう。記述しましょう!

もの・ことの希少性は、割と人を惹きつけます。

また、扱うものが鮮魚だったら、日数・時間の特異性もあります。

採れたてとか、産みたてとか、

そういったものも入れたいものです。

この利点を売りに、タイムセールなども考えられます。

以上、このように組み立ててゆくと、なんとなくそれっぽくなります。

そして、それを更に加工するのですが、

最初に話したように、文は簡単・端的にまとめてみてください。

特長はしっかり打ち出してありますか?

ベネフィットは?

希少性もしっかり捉えられましたか?

そして、全体と部分とに分け、何度も読み返しましょう。

これは、大工さんが仕上げに木材にカンナをかけるとか

ペーパーで馴らす行為に似ていなくもありません。

で、一応コピーは完成!!としましょう。

後は、これを繰り返す。

そして、あれこれと工夫しているうちに、次のアイデアや

切り口、発想などもみえてくると思います。

ネットショップの初心者店長さんや、宣伝部新人社員の方などに、

この方法はオススメです。

ぜひ、試してみてください!