ジャコウネコのコーヒーってどうよ

 

ジャコウネコのコーヒーを親戚からいただきました。

と言っても、

ジャコウネコとコーヒーの関係性がよく分からないので、

素直にナニコレって聞きました。

と、親戚がニヤニヤと笑っています。

 

んんん? 何で笑うかな?

 

このコーヒー、コピ・ルアクって言うらしい。

インドネシア語。

 

「猫がね、ジャコウネコがコーヒー豆を食べてね、

それが未消化のままウンチとして出るよね。

それをキレイに洗ったのが、このコーヒーなの」

「うん? いまウンチっ言った?」

「言いましたよ」

何でまた、猫がコーヒー豆を食うわけ?

で、よりによってその猫が脱糞したものを

なんでみんな飲むのだろうよ?

 

「ジャコウってあの香水なんかにも使われている

ジャコウだって。ジャコウジカもだけど、

いわゆるムスクとしていちじ流行ったよね?

むかしのサーファーがよくつけていたアレ。

本物はあのシャネルの5番にも使われているらしいよ」

「ふーん」

「でね、これが美味しい訳」

「……そう、それならまあ飲んでみようか」

 

私ら夫婦は疑っている。

埼玉から来た義理の妹夫婦は、海外通である。

今回のジャコウネコのコーヒーは、

そこの娘さんが仕事の研修か何かで

インドネシアに滞在していたときに、

観光客相手でなく、現地の通なお店から買ったという。

聞けば、とても希少で高価なコーヒーとか。

 

信じられないなぁ、と私。

 

仕方がないので、

さっそく我が家のフレンチプレスで4人分のコーヒーを入れ、

しみじみ、いや恐る恐るそれをいただく。

 

うーん、凄い薫りが我が家の居間に充満する。

美味い、というより何というか

南方の匂いと表現したらいいのかなぁ。

とにかくインドネシアっぽい。

(インドネシア、行ったことないけどね)

 

味も薫りも濃いね! (我ながら表現が稚拙だなぁ)

香水の混じった濃いコーヒーをいただいた感じ?

いや違うなあ。

 

不思議かつ不気味なコーヒーであることには違いない。

 

けど、彼らの前で私ら夫婦はニコニコしていたけどね。

ここはしょうがない。

 

後日、我が家ではフツーのコーヒーに一割ほど、

このジャコウネコのコーヒーをブレンドして

いただいています。

だってさ、100㌫のジャコウネココーヒーって、

厳しい訳です。

朝にいただくと、

その日一日がジャコウな一日になってしまう。

なので、一割ブレンドで妥結。

 

アフリカにはモンキー・コーヒーなるものが存在するらしい。

タイでは、ゾウにコーヒー豆を食べさせ、糞から集めたコーヒー豆で作

るブラック・アイボリー(黒い象牙)なるものがあるらしい。

 

うーん、世界はあやしさに満ちているなぁ。

それにしても、

希少かつ高価なものだからって、

それが美味いかというと、甚だ疑問が残る。

 

フカヒレだって、白も黒トリュフも然り。

フォアグラもキャビアもそうなんだけど、

世間で騒ぐほど、そんなに美味いか?

というのが、私の目下の要検討事項。

 

コーヒーは、小川珈琲でいいんじゃん。

 

食い物はそうですね、疲れた夏の朝に食う、

新鮮な大根とわかめの入った赤味噌のおじやとお新香が、

私はこの世で一番うまいと思うけどね。

 

 

雨漏りのする車

 

国道1号線の鶴見あたりを走っていた。

友人が車を運転、僕は助手席で外を眺めている。

窓に飛び込んでくる陽射しとふわっとした風が

とても気持ちのいい春の日。

 

先方に中古車屋さんが見えたので、二人して目を凝らす。

僕はその頃、車を探していた。

以前はトヨタのセリカに乗っていたが、

金が尽きて、川崎の中古車屋に売り払ってしまい、

徒歩生活をしていた。

それから心機一転、無駄遣いをやめた。

 

呑みに行く回数を減らして喫茶店にも寄らず、

たばこの本数を減らし、

必死でトラックの運転手のバイトをして貯めた50万で、

再びマイカーを手に入れようと計画していた。

 

前日、東名の横浜インター近くの中古車屋で、

格好いいワーゲンのカルマン・ギヤを発見。

が、売値が高すぎて手が出ないなと悩んでいた矢先だった。

 

助手席から僕が見たその車は、

陽を浴びてこちらに盛んにアピールしているかのように、

ピカピカに輝いてみえた。

 

オレンジ色のワーゲン・ビートル。

 

「いまの見た?」

「見た、あんな色のビートルってやたらにないぜ」

 

興奮した二人は、途中の信号を左折し、

Uターンして右折して本線に戻り、

その中古屋のビートルを再度確認してから、

次の信号を右折して再びUターンして左折、

もう一度いま来た道を慎重に走る。

 

「行ってみようか?」

「だよな!」

 

国道沿いの小さなその店には、

外車がずらりと並んでいる。

珍しい車ばかりを集めている店らしく、

どれも年式は古いものばかりだった。

クラシックなボルボやベンツ、BMWが、

ぎゅっと固まって置いてある。

 

オーソドックスな車は、

オレンジ色のビートルだけだった。

美しい曲線の車体のあちこちには、

クロームメッキが施され、

魅力的な光を放っている。

 

値札に103万とあった。

(うわぁ、103万か!)

 

その日は結局決断できず、

翌朝、意を決して今度は暇そうな別の友人と、

鶴見の例の中古車屋へとでかける。

 

車を眺めながら、借金はなんとかなるだろうと、

甘い観測を立てる。

しかし、本当はもうこの車を逃したら俺は後々後悔する…

ひとめぼれで、ええぃと勢いで買ってしまった。

 

この車で乗り継ぎは3台目となるが、

初のガイシャなので結構気を使ったが、

乗ってみると外観に似合わず、

内装も計器類も何もかもが素っ気なくできていて、

庶民的という言葉がぴたっとくる。

それがまた良いなどと勝手に思い込み、

楽しいビートルとの日々と共に、

地獄の借金生活が始まった。

 

この車にとんでもないことが発覚したのは、

なんと長野県の蓼科の山中でだった。

中央高速の大雨のなかを走り抜けてきたビートルは、

結構快調に走っている。

 

僕たちはとても満足だった。

カセットテープからは、ジャクソンファイブのABCが流れる。

なかなか快適なドライブ。

 

だが、中央高速の小淵沢インターを降りて、

長い上り坂をのぼっていると、

どこからか、ぽちゃんと言う水の音が聞こえてくる。

助手席にちょこんと座っているガールフレンドに、

「なんか水の音、しない?」と尋ねると、

「うん、するする。変な音するよね」

とすでに気づいているようでもあった。

 

雨上がりの蓼科は、雨雲がいきもののように動いて、

それが山の上へとどんどんとせり上がっている。

それは、ちょうど劇場のどんちょうのように、

ばっと、八ヶ岳山麓の鮮やかな緑と夏空を映し出した。

 

エンジンを止めるとしんとしている。

遠くで山鳥が鳴いている。

夏の雲がぽかんと浮いている。

 

車のまわりをぐるっと見回すも、なんの異常も見当たらない。

初夏の蓼科の景色を眺めながら、

「気のせいか」と笑って車に乗り込んだ瞬間、

躰の重みで、そのぽちゃんという音が再び聞こえた。

 

どうも、後部座席のほうからのようだ。

床をよくよく見下ろすと、なんと、かなりの水が、

後部座席の足元に溜まっているではないか。

 

軽い戦慄が僕の躰を走り抜けた。

この美しい蓼科の景色を眺めていた幸福なときは、

戯言のように一瞬で吹き飛んでしまった。

 

ガールフレンドは驚き、あきれかえり、

かといって僕のショックの表情を目の当たりにして、

どうしようもなくなったらしい。

水をくみ出す作業を手伝うハメとなった。

 

バッテリーが近くに設置してあるので、

僕は焦っていた。

トランクにあった布類をすべてその床に敷く。

とんでもない量の汗をかいていた。

その後の事は、いまでもよく覚えていない。

こうして、夏の初のロングドライブは終わったのだ。

 

後、数回に渡ってこの車は同じ事象を起こす。

水漏れの原因を突き止めようと例の中古車屋へも出かけ、

ホースで水をかけたりあれこれと試し、

果ては、ドアまわりのパッキンをすべて交換したりもした。

 

しかし、結果は芳しくなく、

遂に原因を突き止めることはできなかった。

 

この車をどう処分しようかとも悩んだが、

金銭的にも買い換えも不可であるし…

 

しかし、僕は実はこの車を気に入っていたらしい。

手放す気などさらさらない、

という自分の心境に、ある日、気づいたのだった。

 

雨の日の翌日は気になるが、

そのうち、そんなことはどうでもよくなった。

 

それよりシンプルな運転席まわりに喝を入れるべく、

ワーゲン専門店でみつけたタコメーターを取り付け、

足回りを強化サスペンションへと変更し、

マフラーを交換、高速用のエアクリーナーを取り付け、

タイヤとホイールもスポーツ仕様に交換する。

 

おかげで、とんでもなくユニークなオレンジのビートルができあがり、

バイト代はすべてそれに消え、さらに返済が厳しくなるも、

学生時代の僕の経済状態は、

超低空飛行のまま横ばいを持続していた。

 

一目惚れした女性と一緒になって、

実はその人が欠点だらけだったら

というような事と似ているなぁと、

後に僕はつくづく思ったものだ。

くだらない車の話なんだけど、

例え話として面白いと思った。

 

完璧を求める人にはイラつくように思うし、

最初から新車を買っとけよとか言われそうだ。

 

一目惚れって結構危ない。

 

 

湖の不思議

 

連日暑くて、去年はどんなことをしていたのか、

ふと思い出したのが、カヌーに乗ったときのことだった。

 

7月の中頃だったか、こっち(神奈川県)は暑くて、

いい加減にうんざりしたので、

道志村のある国道413号線から山中湖へ向かった。

 

湖畔は強風が吹いていて、

夏だというのに、少し寒ささえ感じた。

さすが避暑地というべきか。

 

富士五湖の魅力は、おのおのだが、

その親しみ度から考えると、

好みはやはり山中湖に落ち着く。

 

中学3年の夏休みにはじめてここでキャンプをしたとき、

湖畔のスピーカーから流れていた歌は、

カルメン・マキの「時には母のない子のように」と、

森山良子の「禁じられた恋」だった。

だからいまだに好きなのかも知れない。

他の湖もなかなか良いのだが、

好きだった歌から思い浮かべる湖というのは、

他を圧倒してしまう。

そういうものだと思う。

 

さて、その頃は泳いで山中湖横断とか、

結構無茶なことをしていた。

みな水泳部の連中だったので、かなり調子にのっていたと思う。

水中の藻が足に絡みついても、刻々と変わる湖の水温も、

その頃はなんとも思わなかった。

 

しかし、おとなになってから知ったことだが、

湖で泳ぐときは、海や河川とは違った注意が必要らしい。

実際、湖の藻に足を取られて亡くなった方もいる。

湖特有の水温の急激な変化による心臓麻痺というのもある。

 

で、去年の夏。

湖の新たな怖さを知った。

 

湖畔からカヌーを出したが、

強風でどうも思うように進めない。

まあ、こうしたときはななめにジグザグに、

目的をめざすもことにした。

 

相当、沖に出ると、

その風は水面を動かすほどに強くなっていた。

湖だからと甘くみていた私は、

オールを上げ、そうした状況も気にせず、

iPhoneを取り出して、

水面から撮る富士山の景色はいいなぁと、

夢中になっていた。

そして、いま船がどのあたりにいるのかさえ、

確かめるのを忘れていた。

 

と、船体がドンと何かにぶつかり、

その衝撃で私も倒れてしまった。

幸い、カナディアンスタイルのカヌーだったので、

船幅も広く、水面に放り出されずに済んだが、

我に返った私は、

何が起きたのか全く把握できなかった。

 

起き上がって船のまわりをみると、

水面から突き出た木の枝のようなものが、

あたりにびっしりと顔を出している。

座礁した船体には、強い波が幾度も押し寄せ、

船がひっくり返りそうになっていた。

船の縁につかまって水面をのぞき込むと、

濁った水中からにょきにょきと白く太い枝が、

不気味にこちらを向いて伸びている。

 

近くには誰もいない。

いや、離れたところにも、

山中湖名物の白鳥さえいないではないか。

 

山中湖は、賑やかな表の湖岸と、

人影さえまばらな裏の湖岸がある。

私は静かな方で、

ゆったりと浮かんでいようと思ったので、

それが裏目に出てしまった。

 

力任せに水中の白い枝をオールで押し、

そこを脱出しようと試みた。

次々に水中から顔を出す、無数の白い枝。

それらにオールを押し当て、

少しづつ進みはしたが、

しかし強い波によってまた押し戻され、

そんなことでかなりの体力を消耗してしまった。

 

注意深く観察すると、

私が乗っているカヌーのまわりは、

そうした水中林がかなりの範囲で広がっていた。

その真ん中あたりに私のカヌーがあったのだ。

 

強風と押し寄せる波に逆らって進めば、

岸はそれほど遠くはない。

しかし、幾ら頑張っても、

その威力には全く歯が立たなかった。

 

いい加減に力が尽きそうになり、

さっと乾いてしまう汗も尽きた頃、

一艘のボートがこちらに近づいてくるのが見えた。

エビアンのペットボトルの水もほぼなくなっていた。

 

そのボートには、地元の方とおぼしき

陽に焼けた高年のおじさんが乗っていた。

岸から湖を見ていて、

私の船をみつけてくれたらしい。

 

結局、この方にえい航してもらい、

その魔の水域を脱出することができた。

 

この方は地元の方で、

私の状況をすぐに把握したらしい。

結局おおげさにいえば私の命の恩人である。

 

岸に上がって、

開口一番「湖ほど怖いところはないんだよ」と、

この地元のおじさんが

にこにこしながらつぶやいた。

そうして、

湖にまつわるいろいろな話をしてくれた。

 

湖は、先の水温の急変や、

藻が人の足に絡みつくことのほか、

水底に引き込まれる水域とか、

よく分からない生き物が生息している噂とか、

いろいろな話をしてくれた。

 

そして、こうも話してくれた。

「湖には生き物のようなところがある」と。

 

それがどうゆうものなのか、

私もいまだ計りかねているが、

このおじさんは、不思議な人の死を、

さんざん見てきたそうである。

 

例えば、夜の湖畔で、

複数の人がいきなり湖に飛び込み、

そのままいなくなってしまったという話。

この人たちはそれ以前からよく来ていた方たちらしく、

湖に入ることなどまずしない慎重な方たちだった、と。

いま思い返してもつじつまが合わないと、

おじさんがしみじみと話す。

 

ふーむ、

では、湖に意思があるのだとしたら、

それはアニミズムのようなものの進化したものなのか。

超自然的な生命体のようなものなのか。

そして、万物の意思がネガティブに動くとき、

人はだいたい良くないことをしでかしているとか。

 

まあ、幾ら考えても結論は出ないのだが、

またひとつ、私の知らない不思議が増えた。

 

さて今年はまた、

あの怖いほどに魅力的な湖に出かけようか…

と思っている。

 

そう思ってしまうのも、あの湖が放つあやしさなのだろうか。

 

 

フリーになるとはどういう事なのか?

 

いまどき、どの分野でもフリーは溢れるほどいる。

割と気楽に独立できるらしい。

とにかく、フリーの時代に突入したようだ。

 

しかし、フリーってそんなに簡単になれるものなのだろうか?

 

フリーになったら自由になった、

なんて話はまず聞かない。

勤め人時代からあらかじめ収入が約束された、

お客様付きの保証型フリーは別として、

だいたいがまず、経済的に貧することとなる。

あてもなく無計画に独立したりすると、

大やけどを負ってしまう。

羅針盤もなく航海するのと、同じである。

 

私が経験者なので、間違いない。

ここはしつこく念を押してしまおう。

 

―清水の舞台から飛び降りてしまった―

当時、私にはそんな自覚はなかったが、

後々、あの独立は無謀だったなぁと、幾度となく述懐した。

 

フリーになると、まず慣れない営業活動をしなくてはならない。

金銭の管理なども自分でしなくてはならない。

営業は未経験だからとか、

私の専門はクリエーターだから営業はできないとか、

そんな悠長な事は言ってられない。

金銭の出納記録も、地味な作業ながらついて回る。

 

とここまで書いて気づいたのだが、

ここで述べる事は、

潤沢な資金を持って独立する人には無関係なので、

その限りではないことを、一応断っておく。

 

話を戻そう。

勤め人クリエーターは、社内の営業が仕事を持ってきてくれる。

経理に領収書を出せば、金銭は戻ってくる。

仕事が面白くないと、同僚と文句のひとつも言い放ち、

テキトーに流す仕事もあるだろうが、

フリーとなるとそうはいかない。

 

私も勤め人時代は、

会社の業績に関する事を多々耳にしたが、

そのことは全く気にならなかった。

私とは関係がないと考えていたフシもある。

それは、要は他人事だったからだ。

そもそも経営なんていうものもよく分からないし、

責任もなにもなかった。

よって無頓着でいられたに違いない。

 

私がフリーになるとき、

それは嬉しくて意気揚々としていた。

独立の記念にと、なけなしのお金をはたいて、

自らにオーダーの机を新調した。

黒の天板で脚がステンレスの、

いまどきはめずらしくもない机だが、

私にとっては、とても愛すべき机だった。

そこにワープロとプリンターを設置し、

来たるべき仕事の注文に胸は膨らんだ。

 

しかしだ、仕事はいっこうにこない。

 

私の家ではすでに長男が生まれていたので、

日に日にお金がかかるようになっていた。

おむつ代、ミルク代だけでなく、

みるみる成長してくれるのはとても嬉しいことではあったが、

次々に新しい子供服も買わねばならない。

 

そして、預金残高がみるみる減ってゆくのが、

なにより恐ろしかった。

 

来る日も来る日も新聞の求人欄をみるのが、

習慣になっていた。

そのなかで、外部スタッフの募集をみつけると、

即電話をかけ、作品をもって東京中を駆け回った。

業界の知り合いや、そのまた知り合いにまで、

いろいろな頼み事をしたこともある。

 

思えば、プライドも何もない。

そこに残っていたのは恥以外、何もなかった。

 

ときは80年代中頃。

 

世間は金余りでバブルだったが、

私はやっと、どうにかこうにか食える状態になろうかと、

わずかに光明がさしかかった程度の経済状態だった。

ただ、この頃のコピーライティング料や広告の制作料は、

現在のようなアドメニューのデフレ化がなかったので、

私みたいな者でも救われたと思う。

 

思い起こせば、当時のフリーになった人たちは、

それなりに知名度も実力も兼ね備えている、

一握りの一流人ばかりだった。

そうでなければ、先に述べたように、

当時のフリーは、あらかじめお客様を抱えている

保証型フリーとでもいおうか、

まあ、食える見込みがある人たちのみに許された、

職の形態だったように思う。

 

一介の無名な私がやるような事柄ではなかったのだ。

まあ、元々いろいろと無謀な勘違いをする気性なので、

いまでは笑える事ではあるのだが。

 

では、なぜフリーをめざしたのか?

 

そこを考えると、かなり面倒でややこしい事になるのだが、

一言で済ますとなると、

それは性格なのだろうと言うしかない。

 

生まれもったものであるとか、

家庭環境、幼児・思春期に受けた影響などが、

きっと多分に作用しているのだろう。

 

私の家庭は、ほぼ放任だったので、

勝手に何でもやってなさいというところがあった。

おかげさまで、勝手に思うがままに育つ訳で、

そこに歯止めなどは一切なかったし、

それが自由だと信じて疑わないところはあった。

 

よって人から束縛される事を極端に嫌う性格だった。

 

また、父は典型的な公務員だったので、

その姿を幼い頃から観察していた私は、

或る年頃になって感づいた事だが、

父が本来もっていたであろう個性が、

全く私からは見えなかったことだ。

とにかく始終難しい顔をしている。

すべてが時間どおりに過ごす窮屈さ。

幼い私から話しかけられない、役人特有の奇妙な威厳。

そうした印象も、

少なからず私に影響を与えているのかも知れない。

 

あと、これは私独自の性格からくるものだが、

勤め人時代、タイムカードを通して出社する訳だが、

私はあのタイムカードという存在に、

なぜか毎日いらいらしていた。

 

目に見えない束縛とでもいおうか。

あの管理のされ方は、

いまでも嫌な記憶として残っている。

 

しかし、永くいたい会社もあったし、

ユートピアのような会社もあった。

なのに、どうもそのぬるま湯的な雰囲気が、

いつか自分を駄目にするような予感がした。

 

とんでもない会社を転々とした事もある。

それは代表の愛人が社内にいて、

社内の雰囲気が極端におかしい会社だったり、

人を人として扱っていない会社だったり、

専門職として採用されたにもかかわらず、

全く違う部署の手伝いばかりをさせられたり…

 

ちょっと長くなってしまったが、

いろいろな事が重なって、

結局、私は独りを選んだのだろう。

 

そうした傾向をある意味、

社会不適応とでも言うのだろうか?

そこは、いまもって分からない判断なのだが。

 

さて、職業的フリーとは何かだが、

不自由この上ないフリーという名のこの形態は、

いまも社会に増殖している。

 

それは、リスクを取ってでも得たい、

危うく魅力的な何かがあることだけは、

確かなことなのだ。

 

不安定な経済状態を覚悟で臨むフリーという形態。

そこには、金銭を超えるものがなければ、増殖するハズもない。

 

金銭に置き換えられない何か…

その価値がその人にとって大きな存在であればあるほど、

その若者は、そのシニアは、

やはりフリーをめざすのだろう。

 

独りはとてもしんどい。

辛い、苦しい。

けれど、

喜びも愛しさも織り混ざった幾年月なのである。

 

私は遠い昔にフリーからはじめていまに至ったことを

ほぼほぼ良かったと、いまでも思っている。

 

そこには、金銭ではまず解決がつかない何かが横たわっている。

 

―己の船の舵を、人任せにしてはならない―

 

そう、人生観にまで関わる秘密が眠っているからだ。

 

 

おやつの問題

 

最近は、昼メシにみんなは何をくってるか、

興味あるらしい。

よってそんな番組が複数あって、

ちょっと観たけど、すぐ飽きてしまった。

まあ、だいたい想定内のものを食している。

果物だけとか、ケーキのみ食いまくってる人って、

いないのか?

虫を食っている人とか。

だと面白いんだけど。

いや、問題はおやつなのだ。

私の場合は間食と呼んでもいいだろう。

昼メシと夕メシの間って結構長い。

腹が減るんだよね。

あるとき、ポケットのお金がみるみる減るので、

おやつをやめたことがあるが、

結果、身も心もヘラヘラになってしまい、

目の前が暗くなったことがある。

(ホントに暗くなるんだって)

で、おやつ続行と相成った。

原因はどうも血糖値の低下にあるらしい。

ちょっと病的ではあるな。

これって、現代人に多いらしいのだ。

知っている医者に聞いたことがあるが、

高血糖の症状はよく問題になるけれど、

低血糖の問題はあまり扱われないとか。

飽食の時代の飽食の国の問題なのである。

どちらもインシュリンが関係している。

それをコントロールするのは膵臓だが、

現代人はここがかなりやられている、

ということもその医者から聞いた。

話を続けよう。

あるときから炭水化物だけでも減らそうと、

セブンイレブンとかファミマのチキンばっかり

摂取していたことがあった。

が、これは連日同じものばかりを食い過ぎたのだろう、

或る日吐き気がきたのですっぱりやめた。

次に米に照準を合わせた。

で、鮭のおにぎりばかりを食ってたこともある。

この場合、コーヒーが合わないので、

「おーい、お茶」とかを飲んでいた。

これはまあまあだったが、

しかし、なんでか飽きてしまう。

在宅時は、冷凍のたこ焼きとかチヂミとかを、

ずっと食い続けた。

で、案の定飽きてしまい、いまはパスしている。

次回は生協の肉まんにすることにした。

(きっとすぐ飽きるけどね)

また、街のパン屋で惣菜パンばかり

食していたこともある。

が、指から流れる油がすげえんで、

これもやめることにした。

惣菜パンって、以外に油過多。

おいしいんだけどね。

喫茶店で「今日のブレンド」なんかをいただきながら

いろいろなサンドも試したが、

これも、かなり飽きがくるのが早かった。

ハンバーガー類もいろいろと試したが、

いまはチーズバーガー以外はあまり見たくもない。

とまあ、要するにあれこれと食ってるうち、

どいつもこいつも飽きてしまったのだ。

この場合、個人的に飽きっぽいというのが

明快な理由なのか否か、そこが分からないのだ。

いろいろと振り返って気づいたのだが、

おやつは圧倒的にパン系が多かった。

パンはうまいものはうまいのだが、

油が過多。

で、パンでもまずいのは、ホントにまずいよ!

そして、よーく分かったのは、

パンはすぐ飽きる、ということ。

どうしてだろうよと、己に尋ねるも、

原因は不明なのだ。

で、米系でもコンビニのおにぎりって、

なんでか飽きるんだよね。

先のチキンにしてもやたらに柔らかくて、

変にジューシーさが過ぎる。

あやしいとさえ感じる。

そこで思い出したのが、

ガキの頃のおやつだった。

味噌のみ付けたおにぎりとか

塩だけのおにぎりくらいだった。

夏休みなんかは、

まるごとトマトに塩をふってかぶりつくとか、

ゆでたトウモロコシに水で冷やしたスイカとか。

こういうのって全然飽きなかった。

そして格別にうまかった。

飲み物は、煮出した麦茶。

あとは砂糖水。

貧乏くさいといえばそのような気もするが、

その質素さが、いま思えば、

とても贅沢だったような気がする。

食材はすべてメイド・イン・ジャパンだったろうし、

地産地消が当たり前。

砂糖水もサトウキビから採ったものだったろうし、

塩だって天然物しかなかった。

要は食材。

そういうことだったのだろうか?

いやいや、己が毎朝いただく朝メシは、

なんたってうまい。

なおかつ飽きない。

一応、食材には気を使ってはいるが、

それが理由なのか。

手づくりだからか。

しかし、家の内外を問わず、

うまくて飽きない食いものというのは、

確実にあるにはある訳で、

そこにどんな秘密が隠されているのか、

それが解明できれば、

俺の問題はきれいに解決するのだがね。

 

 

内田と田口とアイドルを探せ!

 

 

日大アメフト問題

あの内田監督という人は、なんだか酷い人ですね。

私と同世代というのがひっかかる。

あるブロガーが、この世代にはろくな人間がいないと書いていた。

記事に安倍首相も含まれていた。

そうですね、何も言えないね。

としておこう。

あるブロガーとは、リクルート出身の40代のやり手なのだが、

この人の「この世代……」というのが、

「いまの若い者は……」のつまらない発想と同根。

なんの新鮮さもない、目立つ事を追求するブロガーは、

今日もアクセス増のみをめざす、

かわいそうな人に思えてくる。

で、先の話。

権力を手にするということがどういうことなのか、

私はそうした立場にないので想像し得ないが、

上り詰めた人間にしか見えない、

よほど熱狂してしまう魔物みたいなものが、

彼らを惹きつけるのだろうよ。

 

 

田口コレクション

田口という実業家がいて、いい絵を収集している。

それを見に平塚市美術館へ行ってきた。

一応、現代アートというかそうしたカテゴリーの絵なので、

ちょっと興味があった。

一方、横浜美術館はいま、「ヌード」という企画が大当たりらしく、

連日満員だとかで、6月の24日最終日前あたりに行こうと思っている。

こちら、ロダンの彫刻がメイン。

私はよく分からないけれど。

で、平塚市美術館。

私的に、主だったアーティストは

アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、

モリーン・ギャレース、ジョナサン・モンク。

デビット・ホックニーをオマージュして描かれたモンクの絵は、

夏のプールなのに、全く動的なものが何一つない静けさがなんとも良い。

水しぶきひとつない。人の気配もない。

絵の中の時間が止まっている。

そこには、ホックニーと似て非なる静止画の情景が描かれている。

私は複製のポスターを探そう。

 

 

シルヴィ・バルタン

夜、なにげにテレビを付けると、

NHKになんとシルヴィ・バルタンが出ているではないか。

最近、夜ごとYouTubeで昔の歌を聴いていて、

そのなかにシルヴィ・バルタンの若かりし頃も含まれていたので、

ちょっと驚いた。

もう70を過ぎた彼女は、相変わらず美しく、素敵だった。

同時に、当時のツィッギーの活躍も、グリコポッキーのCMも、

雑誌「an・an」の創刊号の表紙も、ふわっと頭に浮かぶ。

レナウンの「イエイエ」のかっこいいCMなんか、

私のガキの頃の記憶として永久保存されている。

彼女のヒット曲「アイドルを探せ」は50余年を経て、

いま聴いてもまるで色褪せない。

アメリカンポップスを聞き慣れた耳には、

なんか新鮮なんだよね。

そういえば、やはりこの頃活躍していた歌う詩人というか、

シャンソンのシャルル・アズナヴールはどうしているのだろうと

気になって調べてみると、まだご健在だった。

「帰り来ぬ青春」がもの悲しい。

いまの私の心情とオーバーラップしてるし。

 

 

カラオケ30年

工夫のないタイトルだが他に思い浮かばない。

カラオケに4時間いて、古い順に唄ったら、

30年分唄ったという話なので、

カラオケ30年なのである。

 

私の記憶に残る1960年代から唄ってみた。

この頃のヒット曲は、私もおぼろげなものもある。

「僕は泣いちっち」(唄・守屋浩)は、

親戚のおじさんがよく口ずさんでいたので唄ってみた。

東京に憧れている青年の歌だ。

なんかさみしくて泣いているので「泣いちっち」らしい。

いま、泣いちっちって言わないよね?

流行らなかったのか。

 

「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)は、

私もよく覚えていて、小学校でもみんな唄ってた。

激しいリズムと独特なテンポ。

それがドドンパらしい。

日本発のドドンパ、ちょっと南米っぽい。

ウッ!なんてみんなで駆け回っていた当時が懐かしく甦る。

そういえば、あの同級生だった子も、

いまはおばあちゃんになってしまったのだろう。

いや、そもそもこの世にいるのか?

そこが分からない。

 

「夕陽が泣いている」(ザ・スパイダース)

「いつまでもいつまでも」(ザ・サベージ)

「バラが咲いた」(マイク眞木)

 

グループサウンズとかフォークとか、

日本の音楽がどんどん新しく入れ替わる時期だった。

私も、舟木一夫ファンをやめ、新しい音楽に便乗。

中学に入ってからはギターとかドラムを始めましたね。

卒業間際に、中学校で、いまでいうライブを許可してくれたので、

私は友人と3人でフォークグループを結成。

ザ・リガニーズの「海は恋してる」を熱唱しました。

 

60年代の後半は、ヒット曲がものすごく多くて、

ここを歌いきるのに相当時間かかりました。

息もゼイゼイしたのでありました。

ちなみに、この頃のヒット曲を羅列すると下記の通り。

「ブルー・シャトウ」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
「虹色の湖」(中村晃子)
「この広い野原いっぱい」(森山良子)
「バラ色の雲」(ザ・ヴィレッジ・シンガーズ)
「恋」(布施明)
「君に会いたい」(ザ・ジャガーズ)
「帰ってきたヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)
「恋のハレルヤ」(黛ジュン)
「世界は二人のために」(佐良直美)
「好きさ好きさ好きさ」(ザ・カーナビーツ)
「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)
「花と小父さん」(伊東きよ子)
「いとしのマックス」(荒木一郎)

あと、加山雄三とか石原裕次郎とか

もうキリがないんです。

 

ヒット曲は、続く70年代もとても多い。

中島みゆきとかユーミンも出てきます。

アリスも井上陽水もデビューしました。

百恵ちゃんもキャンディーズも全盛でした。

とこうして思い入れのある歌を連続してガンガン唄うのです。

その一曲ごとに想い出が甦るので、いちいち感動してしまう。

よってすげぇ楽しくて、心身が極端に疲れます。

途中、コンビニのおにぎりに食らいついて、

ジュースをごくごく飲んで、

炭水化物と糖分を補給。

もう、こうなるとスポーツです。

 

ノンストップで歌って、

せいぜい30年しかいかない。

よって、1990年代は歌えない。

フリータイム終了は夜の8時なので、

新記録樹立ならず、80年代で終了とあいなりました。

 

過去に、では新しい順から歌おうと歌い始めましたが、

新しい歌がぜんぜん分からない。

GLAYの「グロリアス」が一番新しかった 笑

これ、1990年代か。

ミスチルも、安室ちゃんも90年代までしか分からない。

よって、私のなかでは最新の歌は、2000年を超えていない。

我ながら、古いいきものであることを再認識する。

 

が、なぜか締めはいつもサザンの「ホテルパシフィック」か

柳ジョージの「青い瞳のステラ」となる。

この2曲は、神奈川県人会推薦。

ウソです。

両曲とも、なぜか2000年代にリリースされているが、

私も知っている。

それだけ名曲なのであると勝手に思っている。

 

修学旅行

受験勉強

恋愛

就職

離職

独立

結婚

子供

倒産危機etc…

 

4時間で我が人生を振り返る。

悪くない。

駆け足の30年だったし。

 

 

七輪であじを焼く

嵐の過ぎた夕刻。

日差しが戻ってきて、風が庭の葉を揺らしている。

ベランダに置いてあった七輪を出し、庭に設置。

物置きにストックしてある炭を引っ張り出して、

小さめのものをセレクト。

それを七輪に入れ、セット完了。

 

なんてったってはじめての七輪なので、

わくわくします。

バーナーで炭をあぶり、点火を促すも、

なかなか着火しない。

イワタニのバーナー、頑張れよ。

この七輪遊び、

いきなり思いついたように始めたので、

さざえはないし、たこもいかもない。

が、前に買っておいた冷凍あじが2枚ある。

電子レンジで少々解凍して、

いざ網の上にのせてみる。

おお、なかなか感激する。

まあ、バーベキューで肉をガンガン焼く

というのはときたまやるが、

今日は地味な七輪とあじである。

場所も自宅のセコい庭とあって、

昭和の風情が漂う。

これぞ和風。

 

さかなの油がじゅーじゅー暴れている。

ちょっとつまむと、なんかうまい。

ガスとぜんぜん違うではないか。

スーパーの冷凍あじが、採れたて高級魚に変身だ。

身がほくほくしている。

面倒くさそうに夕飯のメニューを考えてた奥さんが、

私の焼いているあじをみて、

すかさずマイタケを皿にもってきた。

なんでも焼いちゃおう。

そうした勢いが感じられる。

といっても今日はこの二品で終了となった。

めぼしい材料もないし、

なんといってもまだ夜は寒い。

風が身に沁みた訳だ。

で、永年の目的は完了した。

 

奥さんのつくった味噌汁となんとかのアヒージョと

ブロッコリーのでかいのと、そんなのを組み合わせて、

あじをメインディッシュに

居間で夕飯を食う。

なんか質素!

質実剛健。

テレビを観ている間も、

炭はまだ赤々と燃え続けています。

炭は灰になるまで頑張ります。

就寝前に再度確認したら、

ようやく鎮火していました。

 

灰になるまで燃え続けるって、頑張るな。

かっこいい。

人の恋心も、その身が灰になるまでとか。

人間もけっこうすごい。

全身全霊、ロマンチックないきものなんだなぁ。

 

 

夏の少年

半ズボンのポケットの

ビー玉がじゃらじゃらと重くて

手を突っ込んでそのひとつをつまむと

指にひんやりとまあるい感触

陽にそのガラス玉を照らし

屈折の彩りが放つ光と色彩の不思議に魅せられて

しばらくそれを眺めていた

 

猛烈にうるさい蝉の音が響き回る境内

 

水道水をごくごくと飲んで頭から水をかぶり

汗だか水だか びしょびしょのままで

境内の脇道を抜け 再び竹やぶに分け入る

そんな夏を過ごしていた

 

陽も傾いて 気がつくと猛烈に腹が減っている

銀ヤンマがすいすいと目の前を横切っても

のっそりと歩く葉の上のカミキリムシも

もう興味も失せて

空腹のことしか頭にないから

みんなトボトボと家に向かって歩き出す

 

道ばたの民家から魚を焼く煙と匂い

かまどから立ちのぼる湯気

とたんに家が恋しくなって

疲れた躰で足早になる

 

あの頃の僕らの世界はそれだけだった

 

きのうとかあしたとか そうしたものは

どこかよく分からない意識の外の時間で

きょうだけがいきいきと感じられる

 

町内あの山あの川までという範囲が

僕らの信じられる広さの認識だった

 

 

あの頃の僕らの世界は

それだけで完結していた

 

 

「眠い」の真相

この前、我が人生ではじめて

歯医者で治療中に居眠りをしてしまった。床屋でも寝てしまったのだ。

歯医者では、自分のいびきではっとする。

歯科衛生士さん、気がついたかな?

床屋ではマスターの「疲れてるね」のことばで起きる。

おかしいな?

元々、私は歯医者とか床屋が大嫌いで、

小さいときから緊張する場所であったハズなのに。

私たちの小さい頃の歯医者さんは、

元軍医が多かったし、

とても威張っていたので、

どんなに痛くても泣いてはいけない。

泣けば、そう、怒鳴るんだよねぇ。

または、顔を押さえつけて、治療続行。

機嫌が悪いと「帰れ!」といって患者を追い返す。

これっ、ホントだよ。

床屋も、かなり緊張する場で、

特に、仕上げに前髪を一直線に揃えるという、

その頃流行っていたのかどうかよく分からないが、

そういう髪型であって、

とにかく一瞬たりとも動いてはいけない。

じっとしていないと、

その一直線切りが上手くいかなくなり、

床屋の親父が舌打ちなんかして怒ってしまい、

もうそこで終了なんていうこともあった訳で、

いま振り返ると、ヒドい時代であったのだ。

で、いまはどこも優しいですね。

みんなにこにこしてくれる。

ソフトな時代になったものです。

それが成熟した文化というものなのか、

民度が高いというのか、

私にはよく分からないが。

とにかく己の場合、

小さい頃から何十年も続いたトラウマが、

じじいになってようやく解消された。

リラックスするにもほどがあると自戒するも、

ゆっくり呼吸して宙をなんとはなしに眺めていると、

やはりすっーと眠くなってしまうのだ。

ちょうど、催眠術にかかったように眠くなるのだ。

(私、退行催眠の経験アリ)

うーん、トラウマが解消された、

あるいは疲れがたまっていたからとか、

いろいろ理屈はつけられるのだが、

どうも釈然としない。

そこで、同世代の仲間幾人かに、

この話を振ってみた。

で、私は驚くべき事実を掴んだ。

彼らは一様に「あるある!」と誰も否定することなく、

回答する。

「そんなもんだよ」と、

いともあっさりと肯定する訳なのである。

ほほう、誰も気にしていないところが、

更に凄いところだと私は思ったね。

さて、この所構わず眠い眠いが、

果たしてじじい特有の症状なのか、

見知らぬ病の知らせなのかと、

私は気を揉むのだが、

そんな情報はいまのところ皆無である。

うーん、謎は深まるばかりだ。