愛の、クラウン。

トヨタが、遂にピンクのクラウンを登場させた。

TVCMを観たが、正直うーんと唸ってしまう。

ピンクのボディカラーは特別色らしいが、

この色を前面に打ち出すには、当然訳がある。

曰く、ピンクは愛の色らしい。

という訳で、クラウンが突然、愛を語り出したのだ。

このCMには、たけしとジャン・レノという大物が共演。

「愛は勝つ」という唄をモチーフに、

クラウンの新しいコンセプトを、

力技で語っているようにも思える。

キャッチフレーズは、

「権力より、愛だ」

で、ピンクのクラウンなのだ。

それが格好いいかどうか、

そしてクラウンが愛を叫ぶことに、

私のアタマはしばし混乱した。

クラウンといえば、かつては当然ように白だった。

ムカシから白いクラウンは、ある意味、

成功者の乗り物だったのだ。

中小企業の社長さんも、

サラリーマンとして順調に昇進したお父さんも、

最後の「上がり」のクルマとして、

みな白いクラウンを選んだ。

その頃のクラウンのキャッチフレーズは、

「いつかはクラウン」

頑張って努力して、いつの日にか

クラウンに乗れるような人間になりたい…

そういう意味合いが、

「いつかは、クラウン」というコピーに込められていた。

また、

クラウンは成功の証としてのシンボルだけでなく、

日本の代表する高級車であり、

気品と風格も兼ね備えているという点で、

右に並ぶクルマはそうそうなかった時代もあった。

ライバルとして日産セドリックが挙げられるが、

ブランド力として、クラウンの方に軍配は上がった。

これらの評価は、クルマの性能ではなく、

やはり広告によるイメージの力が担っていた、

ように思えるのだが…

そして、

クラウンは今更ながら、権力を捨てた。

権力はレクサスにバトンタッチしたのかな?

はたまたとうの昔に、ベンツに奪われていたのか。

今頃になって愛に気づいたクラウンは、

まずピンクのボディカラーで、

出直す事を決意したのだ。

で、愛はピンクなのかどうか私はよく分からないが、

急にそんな事言われても困りますと、

かつて置いてけぼりを食わされた家族とか恋人からは、

かなり責められそうな気がするクラウンの、

今回の方向転換。

人に例えると、

そんなこといまごろになって言っても遅いわよと、

そっぽを向かれるのが関の山のような…

調子いいゾ!

しかし、

「生まれ変わるためだよ」とたけしが真剣に語る表情に、

トヨタの必死さがみえるのは、私だけか。

ちょっと様子をみようと思う。

※この記事は、弊社サイトのビジネスブログに掲載したものを転載したものです。

炭水化物に関する噂

甘いものや脂っこいもの。

これらで太るのは前々から知っていたので、

おっ、これは避けようなんて思ったりする。

こんなことは、みんな知っているのだ。

で話は、丸亀うどんに移る。

ここのうどんはなかなか旨いので、

一時よく食っていたが、

あるとき、うどんは炭水化物で太ります、みたいな話を

テレビで聞いてしまった。

そう? そうなんだ…

私はいままでこういうことをあまり考えなかったので、

うどんにでかい天ぷらを乗せ、

たまごを混ぜてグダグタにして食うのが好きだった。

そうか、あの旨いうどんは炭水化物だったのか。

で、スパゲティーはどうなのと奥さんに聞いた。

すると、なんとスパも炭水化物ではないか!

ふわぁぁっ、炭水化物は旨いものばかりなのである。

これはミステリー。

で、炭水化物をずっと調べるにつれ、

ご飯もパンも炭水化物だったことが判明してしまった。

こうなると、私はほぼ毎日、主に炭水化物を軸に

砂糖とか塩とか油を摂取していたのである。

うーん、こうなると、敵は手強いと思った。

こいつらを避けるためには、

ほぼ味のない蕎麦を食って暮らすしかないのか?

そんなことを考えた或る日、

どうにもこうにも腹が減ってしまい、

セブンでこってり旨そうなドーナツを買って、

外でぺろっと食ってしまった。

うん、旨い!

このドーナツの油と砂糖は、すでに折り込みの太る成分なので、

ここんとこ、我ながら許すというおおらかさ。

しかし、ドーナツの主成分を考えるにつれ、

あれって炭水化物じゃねーのと思い始め、

その日、えらく後悔した覚えがある。

となぜか私は、炭水化物に対して厳しい一面がありまして、

簡単にいうと、炭水化物を敵視していたときがあります。

炭水化物はいろいろなものに姿を変え、

ぱっぱっと私の前で旨いものに変わる。

ここがイライラする。

例えば、せんべいの主成分が炭水化物だったと知ったとき、

私は炭水化物のあこぎなやり方に激怒し、

もう騙されてなるものかと徹底的に調べたのであります。

するとです、驚くなかれ、

食い物って、主にほぼ炭水化物でして、

これを食っていかないと死んでしまうほど、

人類にとって大事なものらしいということを、

知ってしまうのでありました。

ほほぅ、そうでしたかということで、

私は炭水化物に対する見方が変わり、

とりあえず怒りの鉾を納めました。

で炭水化物を徐々に理解し、

彼らに対する人類貢献の度合いを少々認識し、

そしてそれは、

後に尊敬の念に変化したのでありました。

炭水化物万歳!

今日も私は炭水化物と仲良くやっています。

炭水化物は、いい奴です。

ぜんぜん痩せませんが、

とりあえず丸亀うどん、万歳!

また、行こうっと。

冬のキツツキ

最後の枯れた一葉が

枝を離れる

やがて葉の舞が止まると

静子は足元に目をやり

歩きだした

この町は

むかし愛したことのあるおとこが

暮らしていた

駅に向かう歩道の両脇に

街路樹が整列するように植えられている

そのひとつひとつが

静子に冷たい視線を投げているようで

足は徐々に速まる

初めてこの町を歩いたとき

傍らにそのおとこがいて

公園でもいかないかと

静子を誘った

思えば

あのときも冬だった

まる裸の木々の枝の

しなやかな伸び様が

傾く陽に

濃い影を映していた

そして

誰もいないはずの公園に

コンコンコンと乾いた音が

響き渡る

おとこが公園の奥の木を指さす

大きな楡の木が

豊かな枝を広げ

太い幹に

小さな鳥がしがみついた

盛んに嘴を動かす

静子はじっとそれに見入った

おとこはその鳥の姿に慣れている風で

静子を見て笑っていた

その鳥を

静子は

そのとき初めて見た

ひび割れた模様のその幹に

鳥は幾度も幾度も嘴を突く

木片が飛び散る

それがなんという鳥なのか

なにをしているのかと

静子は思うのだが

深く考えようとはしなかった

そして

それをおとこに

尋ねようともしなかった

マフラーに手を絡め

足速に歩きながら

静子はあのときのことを

考えていた

あのおとこは

私のことを本当に

愛してくれていたのだろうか…

駅前のターミナルの雑踏で

静子はふっと我に返った

駅舎に入ると

暖房と人の熱気で

息苦しさを覚えた

改札を抜け

人の列に流されるように階段を降りながら

もうこの駅には二度と降りないだろうなと

静子は思うのだ

無意識に噛みしめた唇から

少し温んだような血の味がした

愛の、クラウン。

トヨタが、遂にピンクのクラウンを登場させた。

TVCMを観たが、正直うーんと唸ってしまう。

ピンクのボディカラーは特別色らしいが、

この色を前面に打ち出すには、当然訳がある。

曰く、ピンクは愛の色らしい。

という訳で、クラウンが突然、愛を語り出したのだ。

このCMには、たけしとジャン・レノという大物が共演。

「愛は勝つ」という唄をモチーフに、

クラウンの新しいコンセプトを、

力技で語っているようにも思える。

キャッチフレーズは、

「権力より、愛だ」

で、ピンクのクラウンなのだ。

それが格好いいかどうか、

そしてクラウンが愛を叫ぶことに、

私のアタマはしばし混乱した。

クラウンといえば、かつては当然ように白だった。

ムカシから白いクラウンは、ある意味、

成功者の乗り物だったのだ。

中小企業の社長さんも、

サラリーマンとして順調に昇進したお父さんも、

最後の「上がり」のクルマとして、

みな白いクラウンを選んだ。

その頃のクラウンのキャッチフレーズは、

「いつかはクラウン」

頑張って努力して、いつの日にか

クラウンに乗れるような人間になりたい…

そういう意味合いが、

「いつかは、クラウン」というコピーに込められていた。

また、

クラウンは成功の証としてのシンボルだけでなく、

日本の代表する高級車であり、

気品と風格も兼ね備えているという点で、

右に並ぶクルマはそうそうなかった時代もあった。

ライバルとして日産セドリックが挙げられるが、

ブランド力として、クラウンの方に軍配は上がった。

これらの評価は、クルマの性能ではなく、

やはり広告によるイメージの力が担っていた、

ように思えるのだが…

そして、

クラウンは今更ながら、権力を捨てた。

権力はレクサスにバトンタッチしたのかな?

はたまたとうの昔に、ベンツに奪われていたのか。

今頃になって愛に気づいたクラウンは、

まずピンクのボディカラーで、

出直す事を決意したのだ。

で、愛はピンクなのかどうか私はよく分からないが、

急にそんな事言われても困りますと、

かつて置いてけぼりを食わされた家族とか恋人からは、

かなり責められそうな気がするクラウンの、

今回の方向転換。

人に例えると、

そんなこといまごろになって言っても遅いわよと、

そっぽを向かれるのが関の山のような…

調子いいゾ!

しかし、

「生まれ変わるためだよ」とたけしが真剣に語る表情に、

トヨタの必死さがみえるのは、私だけか。

ちょっと様子をみようと思う。

そういえば、純と愛(いとし)の結末って、気になるなぁ。

意外とNHK朝ドラのファンです。

永く観ているので、

「純と愛」の違和感はかなりのものがある。

純と愛だから、

単純に純愛ものだろうと思っていたが、

そうではなかった。

とにかく最初から、NHKの朝ドラとしてはあり得ない、

訳ありばかりのてんこ盛りで、話は進む。

で、ふと気づいたら、

登場人物の誰をも、私は好きになれないということ。

これって、致命的。

まず、純という主人公は、

綺麗とかかわいいとかの次元ではなく、

とにかく落ち着きがない。

いつもガチャガチャしている。

そして、常に感情的な物言い。

料理が上手くないという設定も、

このドラマの狙いだろう。

彼女の家族も、かなり癖のある性格づけで、

このドラマを、

余計とっつきにくいものにしている。

相手役の愛(いとし)も、

例えば霊感があるとか精神的に病んでいるとか、

作為的に風変わりな奴に仕上げてあるので、

そこが斬新といえばそうなのかなと思う。

そして、弁護士である彼の母親も、

かなり尖った性格の持ち主。

でである。

交わす台詞がいちいち嘘くさい。

この流れで、前半がすでに終わってしまったのだ。

正直、このままだと、

毎朝観るのが、かなり憂鬱になる予想。

なんだか、見終わった後のやるせなさだけが残るような…

いつもの朝ドラとは、明らかに違うな。

例えば、純の母親が吐く台詞のひとつに、こんなのがあった。

「やはり純をあなたと結婚させなければよかった」

愛に向かって、この台詞を平然と言ってのける様は、

かなり異様だ。

このドラマでまず目につくのは、

言ってはいけないことばを、平然と言ってのけることである。

うがった見方をすれば、それが作者のめざすものと想像できる。

脚本の遊川和彦という人は、かなりのベテランだそうで、

調べるといろいろ戦歴が出てくる。

代表的な作品は、やはり「家政婦のミタ」と、

「女王の教室」だろう。

他、田村正和が主演の「オヤジぃ。」や

「演歌の女王」なんていうのもあった。

「家政婦のミタ」は、

鬱屈した家族のなかに家政婦としてミタが入ることにより、

最後はミタの影響で家族がまとまるというような話だったが、

最初からかなりの違和感で、話を強引に引っ張っていった。

そして、その違和感がラストのどんでん返しで、

それまで視聴者がずっと引きずっていた憂鬱を払拭する。

これは、ラストの鮮やかさを際立たせるための、

ドラマの新しい昇華法なのか。

「純と愛」も、この匂いがぷんぷんする。

意図的な環境設定。

あり得ない、登場人物の行動。

救われない台詞の数々。

しかし、作者が、

NHKの朝ドラということを意識してではなく、

故意にあり得ない斬新さを狙うでもなく、

最後のどんでん返しがあるでもなく、

このまま淡々と後半が進むとしたら、

これは救われない話だ。

私の勘ぐりが過ぎたと反省しなければならない。

だとしたら、

このドラマはリアリティをめざしているのか。

それならば、いまはそのような時代なのだと、

作者は警告を鳴らしているのかな。

どうかこのドラマが、

私の勘ぐり通り、斬新でありますように。

最後に、

とんでもないどんでん返しがありますように。

要は、

作者お得意の「お伽話」に仕上げて頂きたいのだ。

ああ、正月から、先行き不安。

ふと、世間というもの、

人の気持ちなんぞが気にかかってしまう訳で…

紅白百景

大好きだな
ゴールデンボンバー
あの女々しさがリアル

うぶな男の子を騙しそうな
一見純情そうですの悪い女たち
AKBー48

毎度の森進一は
松本隆の詩がしびれるが
顔の崩れがちょっと怖い

せっかくの紅白なのに
お前酒飲んでいるだろの
細川たかし

霊長類最強の化粧に
着物あでやか
かんざしは凶器?
吉田沙保里

紙飛行機いい詩だけど
なんでいつもドヤ顔する訳?
コブクロ

つけまつける
なに言ってるのかな?
でやっぱり言えない
キャリーぱみゅばみゅ

おお相変わらず若いし
お元気そうで!
まむしドリンクでも飲んでるのか
郷ひろみ

メインの司会なのに
なんだか遠くを見ているような
嵐の大野君が気にかかるぅ

選曲間違いだよぅ~
上を向いて歩こうは
やはり九ちゃんしかいない
あなたは壊れかけのれぃでぃお
徳永英明

もういまは誰も実感できないだろうの
よいとまけの唄
知っているおばさんに似ていた
美輪明宏

アフリカの砂漠で
衣装も絵になるなぁ
が熱唱感動は金かかる
MISIA

プリプリ大好きだった
僕の東京の生活ダイヤモンドだったね
おばさんになってもイイネ!

大御所矢沢のロックは
やはり圧巻
だけどなんだか札束の匂いが…

キーホルダーのキャラのような
天童さん
あっ、動いた

このスキャットを聴きながら
受験勉強をしておりました
いまでも綺麗
由起さおり

天城越えと津軽海峡
名曲ふたつを交互に使えば
一生食っていけるね
石川さゆり

もうなにも言わない
やっぱり紅白は
紙吹雪の北島だ!

風が吹いているって
なんだか爽やかな気にさせてくれる
いきものがかりに
死角なしです、ハイ

司会で全く動揺しない
梅ちゃん先生
いい度胸しているな
ホントはなに考えてんだろ?

いつも格好いいんだけど
なんだか可笑しい
館ひろし
なんでだろ~

なんでハラハラしなくちゃいけない
大取りの中居スマップの音程
学祭じゃねぇぞ

写真

返答しない写真に話しかけるって

やっぱり俺もやっているじゃん

でも

こうして話すと

昔のはなし

多いよね

だって

思い出しかないもんな

そうそう

帰りに花買ってきたよ

どう

あまり好きじゃない

そういう顔している

そういえば

ドラマも好きじゃなかったし

つくりばなしは嫌いだって

ニュースとか観ていて

世の中いろんなことがあるよ…

そういつも驚いていた

なあ、おふくろ

つくりばなしじゃなくて

オレ

また遠くへ行くよ

海外

いつも言ってたろ

行くって

大丈夫

いつも心配性だった

おふくろだから

今度は

風になって

ついてこいよ

ヒット商品の仕掛け

「太陽のマテ茶」が売れているという。

日本コカ・コーラの久々のヒットでしょうか?

まず、マテ茶は、無糖飲料で、ダイエット効果の他、
テレビや雑誌等で健康に良い、というイメージで流れ始めた。

これにはきっと仕掛け人がいる。私はそうにらんでいる。

で、マテ茶?
私は以前からこのお茶を知っていたが、知らない人も多かったに違いない。
(私は個人的にこのお茶を愛飲していた過去がある)

が、ずっと続く日本人の健康ブームに、久々の大物の登場ということで、
マスコミとテレビで火がついたと考えれば合点がゆく。

それが意図したものであるにせよ、
浸透に成功し、市場に認知された。

洋食化が進む日本。
いま人気の草食系だけでなく、やはり肉食系も健在なのだ。

ポジティブに健康になりたいのは、誰もが抱くもので、
コマーシャルも水着姿の健康な方たちに踊って頂く。

で、ネーミングだが、マテ茶だけでは面白くもなんともないので、
太陽の…がこの商品の肝になっている。

売れるネーミングの良い例。
太陽…付けるだけでイメージが広がる

それに付加するように、デザインは陽気なラテンのイメージで太陽を象った。

ここまでやると、不況だろうと「もの」は売れる。

イメージとタイミングの勝利だ。

生きるを、デザインする、ということ。

松尾芭蕉の奥の細道に、

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり

とある。

これを解釈すると、

松尾芭蕉は、自ら旅をしているにもかかわらず、

時の流れを旅人として詠っている。

これは、中国、唐の時代の詩人、李白の『春夜宴桃李園序』の

「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」を意識し、

自分なりにアレンジしたものとして伝えられる。

こうしたことばには、壮大な宇宙観が漂い、

その隅々に至るまで、計り知れないロマンが宿っている。

解釈は違うが、

人が生きていくことの感慨に触れ、

その過程を、旅と解釈することはよくある。

凡人の私には、こちらがしっくりくる。

これをマーケティング的に捉えると、

旅におけるバリューを考える、などとなる。

旅の価値を高めることこそ人生における最大のテーマだ、

と誰かにプレゼンすることもできる。

さて、人生を旅であると定義すると、

旅をするのなら素敵な旅を、と誰もが考える。

そして旅における「素敵」とはを追求すると、

これは高度な話となり、

尚且つ、人それぞれの価値の分だけ多岐に渡る。

そもそも実際の旅とは、

時とともに空間を移動することにある。

そこに感動やよろこびなど人の心が凝縮され、

旅は完成する。

辛い旅もある。が、そんな旅は誰もしたくない。

バリューは、欠かせないのだ。

それを人生に置き換えると、

夢であり、志であり、愛なのかも知れない。

このすべてが、生涯のバリューの素材である。

こう考えると、マーケ的に捉えた旅も、

自分をみつめる上で、試す価値はありそうだ。

またこれを、

旅をデザインする、

人生をデザインする、と言い換えると、

若い人は将来のプランを、

定年退職を迎える人は老後の有意義な過ごし方等を、

かなりビジュアル的に分析することもできる。

落書きでOK。

思いついたことをメモしたりスケッチすることは、

自分のなかに眠っているものを吐露するのに最適だ。

このように、商業的な用語の中にも、

人生考える元となるノウハウは潜んでいる。

「人生をデザインする」とは、

突き詰めれば、これからどう生きるか、

未来の「私」と真剣に向き合うきっかけにもなる。

光陰矢の如し。

芭蕉や李白に迫る必要はなくとも、

時の流れのなかにいる私たちは、

やはり旅人だ。

そこにバリューがあれば、と皆思う。

やはり、生きるデザイン力は必要だ。

エキサイティング・マーケット

関東圏の或る都市のファッションビルデパートから、

代理店経由でプロモーションを依頼されたことがある。

施設としての規模は小振りで、若者志向のテナントが多く、

来店者数が落ちているとのこと。

早速現地にでかけてみた。

事前に、この地域の人口と構成比、人の流れ、施設、

競合他店やその傾向、地域性などを調べた。

また、過去の広告類も見せてもらい、予備知識を蓄積した。

現地で地図を広げると、駅からかなり遠い。

さらに、メイン道路から少し引っ込んでおり、

道路づけも良くない。

要は、入り口付近に広がりがないように思えた。

更に、各階のフロアを歩いてみると、各テナントの殺風景さが目立った。

これは、ディスプレイの問題の他、

広々とした通路が逆に仇となっていた。

売られている商品の品質やトレンド性、プライス等もチェック。

館長さんや各店長さんにヒヤリングを開始する。

いろいろと聞くと、どうもこのデパートに蔓延しているものが、

「諦め」という空気だった。

諸条件の悪さはあるが、オープン時は良かったという。

広告もかなり打ったらしい。

その後、徐々に売り上げを落とし、

幾つかのプロモーションを仕掛けたが、

なにをやっても駄目ということで、

館内に「諦め」ムードが広がっていた。

オープン当時からの広告を更に細かくチェックすると、

ずっと新規オープンを謳っている。

時間の経過とともになにを語るでもなく、

このデパートは、ずっと新しさで推していた。

後に残るウリは、どこを見ても、やはり値段の安さのみだった。

事前に分かってはいたが、これはひどいなと私は思った。

どこの広告会社が手がけたのかを事前に聞かなかった私は、

そのとき初めて東京の某大手広告代理店の仕事と聞いて驚いた。

季節やシーズン、いろいろな節目のなかで広告は打たれるが、

館内のポスターやサイン、まかれたチラシ、

外にかけられた懸垂幕を見ても、

問題はそれ以前と判断し、店長会を呼びかけることにした。

私が企画したテーマは、当然のように、にぎわい、だった。

それを「エキサイティング・マーケット」と名付けた。

アタマのなかで、アジアの活気溢れる露天をイメージした。

店長会の会場で、

リニューアル・コンセプトを私は熱く語った。

その具体案として、通路に並べるよりどりの商品や陳列のノウハウ、

時代の先端をゆくその店の服装や小物を身につけることの徹底、

そして館内の全員には「笑顔」をお願いした。

このとき、私もちょっとヒートアップしてしまい、

店長さんたちの反応も考えず、

その企画内容がホントに伝わったのかどうか、

後日心配になってしまった。

広告関係もこのノリを踏襲して制作し、

私としてはかなりの手応えを予想していた。

リニューアルオープン前に、

確認のため、もう一度現地で店長会を開いた。

そこで、再度、当然のように私の企画意図を話すと、

数人から手が挙がった。

彼らからの質問は、おおむねこういうものだった。

「アジアに行ったことがないので、どうも分からない。

イメージできない」

それを聞いて、ええっと私はのけぞってしまった。

言い遅れたが、この話はいまから20年くらい前の話である。

ネット以前だが、

みな情報はもっていると私が勝手に思っていた。

その会場で、私はアジアの市場について、

その様子を細かく語ったが、

いくら話してもピンとくる人は少ないように思われた。

で、その夜は徹夜で各店舗を見て回り、

一店一店アドバイスして回ることとなった。

数日後のオープンは、上々の入りだった。

売り上げも伸びた。

私は一応安堵したが、

これはなにかが欠けていると思った。

長続きはしない予感があった。

それは、館長から聞いた財務面の憂鬱な話と、

各店舗の従業員のモチベーションの問題だった。

後日聞いた話だが、

私の考えた店舗づくりのせいで従業員の手間と作業が増え、

店長さんが数人、店員さんから吊し上げをくったと言う。

「やってられない」という嫌な声も耳に入った。

財務面の心配も、現実のものとなった。

結局、後にこのデパートは人手に渡り、

安売りの大型スーパーになってしまったのだ。

去年、旅行の帰りにここに立ち寄ったが、

見る影もないほど閑散とした疲れたビルが

そこにひっそりと建っていた。

結局、この仕事に次はなかった。

私は、中途半端な気分になった。

このやるせなさは、後も引きづった。

しかし、後年、あるテレビで、

とても人気のあるお店の特集をしていて、

そのひとつが、当時、急伸していたドン・キホーテだった。

中年になった私は、店内の映像を見て驚いた。

以前、あのデパートで展開しようとしていたビジュアルが

再現されていたのだ。

あの猥雑さ、あの賑わい。

ああっと、私は溜息をついた。

そして、思った。

時代の読みの難しさというもの。

とにかく、これが身に染みた。