テレビを消せ!

 

先日の地震のときはさすがにNHKをつけました。
携帯ラジオも。

なんだか地震に関する注意テロップがずっと出ていますね。

あれって地震予想のような、万が一に備えてとのアナウンスのような、
要するによく分からないけれど、怖い印象だけが残りますね?

「狼が来るぞ」みたいな。

何回もやると飽きられます。
ホントだと恐ろしいですが。

宮崎に続いてこちら神奈川県でも
震度5の地震があったので油断はできませんがね。

東南海地震、首都圏直下地震、そして富士山爆発とか、
いろいろと言われていますが、
とりあえずの準備だけはしておいたほうがいいですね。

でですね、これは提案ですが
たまにはテレビを消して冷静になって、
いったん自分であれこれと考えてみることも
必要ではないかと思うのです。

テレビってこちらとしては受け身なので
ずっと観ていると、
自分で考えるという作業がない。

中身を吟味しないまま
受け取ってしまう傾向があります。

報道内容に善意があるのか悪意があるのか
という議論は、いまはやめにします。

それは時間の経過がきっと教えてくれますから。

でですね、話はさらに変わりますが、
ボクは仕事上というか職歴からなのか、
マスコミ、出版、放送関係の知り合いが多いので、
とんでもない情報がよく飛び込んできます。

それは政治、経済、芸能、国際関係他諸々です。

そこには信じられない話、嘘くさい噂話から、
なるほどと思う情報まで中身は千差万別なんですが。

で、最近富に多いのが「あの話は本当だった」という事柄。

その一例がジャニーズの事件でしょうか。

思えば、あの噂は20年以上いやもっと前から
漏れ伝わっていた話です。

話をさらに唐突に進めます。

いまこの時代は、思うに、
なんというか何十年どころではなく、
何百年ぶりの大きなうねりを思わせる、
歴史上とても希有な時代なのではないか
ということ。

これは、種々雑多なネタをもとに、
歴史をヒモ解き、点と点をつなぎ、
想像力を思い巡らして仮説を立てて、
検証をしてみると、
過去に自分が教えてもらったものとは、
全く違う事象が多々みえてくるからです。

それはたとえば時代をさかのぼり、
明治維新あたりから調べ直しても
顕著な事例がみつかることもあります。

そこでみえてくる例として、

・最近新紙幣に採用された渋沢栄一はホントは何を日本にもたらしたのか?

・坂本龍馬はいっかいの脱藩武士なのになぜ海援隊などという大組織をつくれたのか?

・芥川龍之介が小説「神々の微笑」は私たちに何を伝えたようとしたのか?

・三島由紀夫はいったい誰と何と戦っていたのか?

話が冒頭からどんどんズレてしまいましたが、
まずはみなさん、たまにはテレビを消しませんか?
という提案がひとつ。

あとですね、
真実というものはホントにみえづらいので、
自分で考えて調べてみませんか?

そんな提案がしたかった訳です。

 

 

テレビを捨てよう!

 

日常のノイズは多々あるが、

最近のテレビから発せられるノイズは、

かなりひどいなぁと思うわけです。

 

報道系に関しては、

事実とは異なると思われるものが多い。

 

よりによってキチンとした服装のアナウンサーが、

マジな顔で話すので、こちらも気を張っていないと、

なるほどなどと、言いくるめられてしまう。

 

で、NHKだけど、

かなり重要なニュースが幾つか流れたその後、

考える間もなく、相撲だ大リーグの大谷が…で

アタマをかき回されてしまう構成。

 

加えて、アメリカの偏ったニュースを、

それをそのまま流していると思える事例が

多いような気がする。

 

ちなみに、

世界のニュースサイトを翻訳にかけてみてください。

西も東も関係なく、

もちろん保守もリベラルも見境なくね。

 

すると改めて世界は広いと分かりますから。

私たちは、あまりにも知らないことが多すぎる。

 

ため息が出てしまうわけです。

 

多角的にものごとを追いかけると、

世の中は「???」の連続だ。

 

日本のテレビ報道は一元的に過ぎるので、

丸呑みは禁物です。

 

あとですね、

ムカシのゴールデンと言われる時間帯の

民放を観て思うこと。

 

すでに皆さんもご存じのとおり、

どこのチャンネル回しても芸人だらけ。

とにかく、多岐に渡ってあらゆる番組に

芸人が生息している。

 

ボクは彼らを観ても、話を聞いても、

ぜんぜん面白くもなんともない。

 

時代は変わったのに、

ネタは変わらず。

しらける。

 

しまいに辛くなるから、テレビを消すハメとなる。

 

これらのノイズは思考能力を低下させるだけでなく、

自分の大切な時間を無駄にしてしまう。

 

がしかしだ、

NHK、民放でも、

映画のセレクトや自然派ドキュメント、

科学番組、そしてアート系などは、

観ていてなかなか優れているつくりだなぁと、

感心するものが多いのも事実。

 

よって、依然テレビは我が家の居間にあるわけなのだが、

それさえリアルタイムでは観れない。

 

必要なものだけを録画して後で観ることとなる。

 

(だっていろいろと忙しくて時間があわないし、

民放となるとつまらないCMが延々と流れるので)

 

というわけで、

そろそろテレビいらないか…

セカンドストリートにでも売り飛ばしてしまおうか、

という衝動にかられてしまう。

 

そのムカシ、

寺山修司は「書を捨て町に出よう」と

ボクたちの先輩方をアジったが、

いまは「テレビを捨て町に出よう」がいい。

または「テレビを捨てYouTubeを観よう」かな?

 

いや、ここは再び「書」に戻っていただきたい。

「深み」のあるものは、やはり書籍にはかなわない。

 

兎にも角にも、

いまのテレビは人をダメにする。

そしてそのうちテレビは国を滅ぼすかも知れないぞ。

(おおげさではないと思いますが)

このままではボクたちの未来はない。

 

なので、

私たちはまず生活を一から見直さなくてはならない。

そして見直しの中枢に、テレビとはそもそも何なのか?

という命題を掲げてみる。

 

まず、そこから自分のアタマで考えてみると、

なんだか新しい世界がみえて来そうだとは思いませんか?

 

メンドーな作業だけれど、情報はみずから探す。

疑問・テーマに沿って、ものごとを多角的に検証してみる。

 

そして自分なりに得たものを起点に、

意見をもち、立ち位置を決める。

 

こういう行為って、

要するに一人ひとりが際立つこと。

それがひとつの「個性」に繋がるのではないかと…

 

いまはそういう時代であるとは、思いませんか?