関東圏の或る都市のファッションビルデパートから、
代理店経由でプロモーションを依頼されたことがある。
施設としての規模は小振りで、若者志向のテナントが多く、
来店者数が落ちているとのこと。
早速現地にでかけてみた。
事前に、この地域の人口と構成比、人の流れ、施設、
競合他店やその傾向、地域性などを調べた。
また、過去の広告類も見せてもらい、予備知識を蓄積した。
現地で地図を広げると、駅からかなり遠い。
さらに、メイン道路から少し引っ込んでおり、
道路づけも良くない。
要は、入り口付近に広がりがないように思えた。
更に、各階のフロアを歩いてみると、各テナントの殺風景さが目立った。
これは、ディスプレイの問題の他、
広々とした通路が逆に仇となっていた。
売られている商品の品質やトレンド性、プライス等もチェック。
館長さんや各店長さんにヒヤリングを開始する。
いろいろと聞くと、どうもこのデパートに蔓延しているものが、
「諦め」という空気だった。
諸条件の悪さはあるが、オープン時は良かったという。
広告もかなり打ったらしい。
その後、徐々に売り上げを落とし、
幾つかのプロモーションを仕掛けたが、
なにをやっても駄目ということで、
館内に「諦め」ムードが広がっていた。
オープン当時からの広告を更に細かくチェックすると、
ずっと新規オープンを謳っている。
時間の経過とともになにを語るでもなく、
このデパートは、ずっと新しさで推していた。
後に残るウリは、どこを見ても、やはり値段の安さのみだった。
事前に分かってはいたが、これはひどいなと私は思った。
どこの広告会社が手がけたのかを事前に聞かなかった私は、
そのとき初めて東京の某大手広告代理店の仕事と聞いて驚いた。
季節やシーズン、いろいろな節目のなかで広告は打たれるが、
館内のポスターやサイン、まかれたチラシ、
外にかけられた懸垂幕を見ても、
問題はそれ以前と判断し、店長会を呼びかけることにした。
私が企画したテーマは、当然のように、にぎわい、だった。
それを「エキサイティング・マーケット」と名付けた。
アタマのなかで、アジアの活気溢れる露天をイメージした。
店長会の会場で、
リニューアル・コンセプトを私は熱く語った。
その具体案として、通路に並べるよりどりの商品や陳列のノウハウ、
時代の先端をゆくその店の服装や小物を身につけることの徹底、
そして館内の全員には「笑顔」をお願いした。
このとき、私もちょっとヒートアップしてしまい、
店長さんたちの反応も考えず、
その企画内容がホントに伝わったのかどうか、
後日心配になってしまった。
広告関係もこのノリを踏襲して制作し、
私としてはかなりの手応えを予想していた。
リニューアルオープン前に、
確認のため、もう一度現地で店長会を開いた。
そこで、再度、当然のように私の企画意図を話すと、
数人から手が挙がった。
彼らからの質問は、おおむねこういうものだった。
「アジアに行ったことがないので、どうも分からない。
イメージできない」
それを聞いて、ええっと私はのけぞってしまった。
言い遅れたが、この話はいまから20年くらい前の話である。
ネット以前だが、
みな情報はもっていると私が勝手に思っていた。
その会場で、私はアジアの市場について、
その様子を細かく語ったが、
いくら話してもピンとくる人は少ないように思われた。
で、その夜は徹夜で各店舗を見て回り、
一店一店アドバイスして回ることとなった。
数日後のオープンは、上々の入りだった。
売り上げも伸びた。
私は一応安堵したが、
これはなにかが欠けていると思った。
長続きはしない予感があった。
それは、館長から聞いた財務面の憂鬱な話と、
各店舗の従業員のモチベーションの問題だった。
後日聞いた話だが、
私の考えた店舗づくりのせいで従業員の手間と作業が増え、
店長さんが数人、店員さんから吊し上げをくったと言う。
「やってられない」という嫌な声も耳に入った。
財務面の心配も、現実のものとなった。
結局、後にこのデパートは人手に渡り、
安売りの大型スーパーになってしまったのだ。
去年、旅行の帰りにここに立ち寄ったが、
見る影もないほど閑散とした疲れたビルが
そこにひっそりと建っていた。
結局、この仕事に次はなかった。
私は、中途半端な気分になった。
このやるせなさは、後も引きづった。
しかし、後年、あるテレビで、
とても人気のあるお店の特集をしていて、
そのひとつが、当時、急伸していたドン・キホーテだった。
中年になった私は、店内の映像を見て驚いた。
以前、あのデパートで展開しようとしていたビジュアルが
再現されていたのだ。
あの猥雑さ、あの賑わい。
ああっと、私は溜息をついた。
そして、思った。
時代の読みの難しさというもの。
とにかく、これが身に染みた。