折り返しも当に過ぎた
いわば人生の終盤とでもいおうか。
ある意味、夕暮れ時に辿り着いて、
ああ明日がある、
そしてその先にバラ色の未来があるなんて、
まずはほぼ思わない。
それは、年齢的なことだけでなく、
回りを取り巻く社会・経済または自然環境が
激変したことも、きっと含まれていると思う。
そのぼんやりとした不安の正体は
いまだ鮮明ではないが、
それは確実に大きく成長しながら、
こちらに徐々に近づいてくる。
現実の夕暮れ時の、
あの僅かな時間に世界を覆うオレンジ色は、
それはそれで感動的ですらある。
そして深い吐息と共に、
気持ちを穏やかにしてくれる。
だけどマジックアワーって、
なんだかとても憂鬱になることもあるよなと、
私の仕事の先輩がつぶやいたことがある。
人生の黄昏時は、
もうゴールがほのかに見えかかってくる。
戦いも競争も、もう遙か遠い日の出来事のように、
穏やかな時でもある。
同時に、どこか物憂げなあの色を仰ぎ見ると、
とても他人事とは思えない何かが胸に迫ってくる。
時間は年を追う毎に何故だか加速するようなのだ。
その瞬きの僅かな間に老いてゆくとは、
それこそ、つい最近知ったばかりだ。
若い頃は何かにときめいて、
それこそ何処かをめざして、
無我夢中で疾走していた。
さていま、どのあたりにいるのか?
それで一体何を成したのかなんて、
さっぱり分からない。
こうなると、
すべての出来事は夢半ばと知る。
それでもなお前進している。
それは納得でなく、まして達観でもない。
ようやく人生のアウトラインが、
かすかだが見えてきた頃に、
私たちはまるで通りすがりの旅人のように、
誰もがこの世界から旅立ってゆかねばならない。
おおよそのあらすじがみえてしまう黄昏時。
夕暮れ時の美しさと、
その穏やかさの底に沈殿している何かを
ほのかに感じ取ってしまう時、
人は誰も「人生の理不尽」を知り、
深いため息を吐く。