女性ジャズシンガーの方とお話する機会があった。
ジャズに関して私は初心者レベルの知識しかない。
が、ジャズボーカルは以前から興味があったので、
その辺りを尋ねてみた。
一体どんな曲から始めれば、早く上達するのかと。
質問が先走っているのは承知だった。
彼女の回答はこうだった。
「どんな曲でも良いんですよ」
「こころを込めて歌えば…」
なんだか曖昧としてる。
しかし話をはぐらかすようでもない。
適当にこたえている風でもない。
そしてこう切り出した。
「○○さんはビートルズはもちろん知っていますよね?」
「ええ、もちろんです」
「初期の頃の彼らの曲は、
単語もコードもシンプルで歌いやすいので、
私たちもライブでよく歌いますよ」
「えっ、ライブでですか?
だってビートルズってジャズではないですよね?」
と私。
「そうあまりかたく考えないでください。
ジャズ・ボーカルのとっかかりとしては、
最適なんです」
彼女がさらに続ける。
「だけど難しさもあります。
ビートルズの曲はみんな知っているし、
その印象が強烈なので、アレンジが難しいんです。
そこを自分のモノにできれば、
ジャズとして成立します」
「ジャズってそういうものなんですか?」
「そういうものです」
彼女は笑みを浮かべた。
私は正直すこし混乱した。
「ジャズで一番大事なのは、なんと言っても個性、
そのひとがもつ持ち味なんです。
そこがしっかりつくり出せると、
自分なりのジャズが歌えるようになります」
「個性、ですか」
「もちろん。ジャズって個性で歌うものなんです」
「………」
私は、サッチモが歌うジャズを思い出した。
あのダミ声が、あの笑顔が、
誰をも魅了するのがなんとなく理解できた。
そしてゴスペルのようなジャズが
教会に響き渡るようすもアタマに描いてみた。
都会的なフュージョン・ジャズとして、
シャカタクのナイトバーズもなかなか個性的だなと、
そんなことをつらつらと思った。
ボーカルに限らず、
さらに広くジャズを見渡すと、
そこにはとてつもない深みが待ち構えている。
ジャズピアニストのジョージ・シアリング、
ハービー・ハンコック、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、
スタン・ゲッツ、マイルス・デイビス等等、
その個性がまるで、おのおの小宇宙なのだ。
この辺りになると、聴いていてとても心地がいいのだが、
その演奏における技術だとかアレンジの意味合いを考えると
とても難しい。
ジャズ評論家という人たちの文章も過去に散見したが、
どうも敷居が高くて近づけなかった。
それはジャズにおける言語化が、ひとを寄せ付けない…
そのように思うのだ。
さらに例えるなら、哲学を説く哲人の一言ひとことの
その背後に潜んでいる何かを掴むように、
楽譜にはない箇所にジャズの真髄が如何にあるのか、
それを探さねばならないとか…
かようにジャズは底なしなのだ。
そんな内容の話を彼女にぶつけると、
少し笑ってこう話してくれた。
「要は生き方なのではないでしょうか?
皆さんそれぞれにさまざまに考え、
行動して毎日を営んでいます。
ジャズもそれと同じだと思います。
とても単純なことから難解なことまで、
いろいろあるでしょ?」
確かにそのように思う。
「ジャズって大海原のような音楽なんです。
とりとめがないんですよ。
そして掴もうとしても掴めない。
人も同じですよね。
だから自分らしく、すべてに於いて自分らしくです。
それがジャズなんだと思います、
そう思いません?」
ふーん、なんとなく譜に落ちたような気がした。
ではと、
「テネシー・ワルツなら歌えるかも知れませんよ」
と私が図々しく申し出る。
彼女が、
「入り口としてはベストチョイス!
で、江利チエミのテネシー・ワルツ?
パティ・ペイジのテネシー・ワルツ?」
「いや、柳ジョージのテネシー・ワルツが
いいですね」
「それは良いですね、
とにかく一曲でもものにできれば大成功です」
「そういうもんですか、ジャズって?」
「そういうもんです」
ただし、と彼女が言う。
「自然にスイングできたらですよ、
スイングね。
技術やジャンルのスイングではなく、
こころがスイングしたら、ですよ!」
「………」
アタマが少し混乱してきた。
なんだか禅問答の様相を施してきたので、
そろそろ退散することにした。
それにしても、ジャズって、
なんか宗教に似ているなぁ、
というのが、
最近の私の感想である。