1969

 

 

最近、深夜に聴いている曲が、みな古いものばかり、

 

ということに遅まきながら気がついた。

 

 

ビートルズ、クリーデンス・クリヤウォーター・リバイバル、

 

メリー・ホプキン、ビージーズ、マービン・ゲイ…

 

 

和ものだと、いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」とか、

 

はしだのりひことシューベルツの「風」、

 

ヒデとロザンナの「愛の奇跡」とかね。

 

 

で、その頃何があったのか、振り返ってみた。

 

ときは、1969年。

 

私は中学生だった。

 

 

いまからざっと50年前になってしまう。

 

 

翌1970年は、大阪万博だった。

 

そんな時代に流行った音楽。

 

 

なのに、いまだ全然古びていないと思うのは、私だけか?

 

そこがよく分からない。

 

なんせ、こちらは客観性ゼロだから。

 

 

とにかく、もう50年が過ぎた訳だ。

 

思えば、人生、遠くに来たもんだ、とつくづく思う。

 

 

で、ひとつひとつ聴いていく毎に、

 

中学生時代のいろいろなでき事が思いだされるから、

 

いわば、映像付き音楽というところか。

 

 

水泳の部活、クラスメイト、初恋、受験…

 

一つ一つの歌に、私なりの思い出がリンクされている。

 

よって私にとっては、「良い曲」ばかりだ。

 

もちろん、嫌な事も多々あったが、

 

そこは時間の流れが薄めてくれるからありがたい。

 

 

当時、フィフス・ディメンションの「輝く星座」を

 

初めて聴いたとき、

 

その壮大なスケール感に圧倒されたのを覚えている。

 

そしてロック・ミュージカル「ヘアー」って一体何だとか、

 

音楽の事も去ることながら、

 

世の中のいろいろな事に関心が広がり始めていた。

 

勉強そっちのけで、友達と朝まで話し合ったりもしていた。

 

 

ちょっと前まで歌謡曲しかなかった時代だから、

 

思春期のガキには刺激の強すぎる年であったに違いない。

 

 

ゾンビーズの「ふたりのシーズン」には、

 

そのメロディラインに鳥肌が立つような格好良さを覚えたし、

 

おおっ、世界は広い、洒落ているなぁと感嘆しきりだった。

 

 

国内では、タイガースとかブルーコメッツが全盛で、

 

とにかくヒット曲が次から次へと生まれる。

 

小川知子の「初恋の人」、黛ジュンの「雲にのりたい」が

 

ヒットしたのもこの年だった。

 

 

毎夜、テレビの音楽番組をチェックし、

 

夜中は、受験勉強をしながら、

 

ラジオの深夜放送を聴いて、海外の曲を仕入れた。

 

そして音楽雑誌「ガッツ」を買ってギターを練習し、

 

中古のドラムセットも手に入れ、

 

仲間とバンドのまねごとのような事も始めた。

 

 

1969年は、ヒット曲が洪水のように生まれた年だった。

 

 

しかし、冷静に思い起こしてみると、

 

こうした年は、他にいくらでもあったようにも思うのだ。

 

 

それが1968年かも知れないし、

 

1980年代のどこかのような気もするし、

 

1994年のような気もするのだ。

 

 

1969年は、要するに、

 

ひとつの私的な指標のような年のようにも思う。

 

 

まあ、どれも遠い過去の事なので、

 

記憶は脚色され、改編され、

 

自分の都合の良いような話になっている可能性もある。

 

 

それにしても、ずっと遠いムカシを懐かしむことが、

 

最近はとみに増えている。

 

当然、年をとったことも影響しているだろうし、

 

過去の積み重ねが重くなっているからとも言える。

 

 

しかし、それだけではないような気がする。

 

 

私たちは若い頃、常に前を向け、後ろを振り返るなと、

 

教わってきた。

 

それが生きることであり、人生なのだと。

 

そして「いま」を生きるのが正しい生き方であると。

 

 

しかし、最近よく思うのだけれど、

 

果たしてそれは本当かと。

 

 

ひょっとして、思い出だけが人生のような気がする。

 

人に残るのは、思い出だけなんじゃないかと。

 

 

後は灰になっちまう。

 

 

そして、ホントは実は、

 

過去に森羅万象の真実があるのではないか、

 

思い出のなかに未来の種が眠っている…

 

とか、妙な事を考えるようになった。

 

 

―いまここに存在している自分のルーツが、

 

50年前あたりに眠っている。

 

そいつを掘り起こして、もう一度考える―

 

 

そんなひっくり返った思考法。

 

そういうのってありですかね?

 

と、誰かに問うてみたい気がする。

 

 

そして、「君の原始的かつ根源的なものが、

 

手つかずのまま新鮮なまま眠っているのが、

 

遠い過去にあるのだとしたら、

 

君はそれを果たして探しにいくかい」と

 

尋ねてみたい。