かつて、那須に土地を買ったことがある。
お金が溜まったら、そこにログハウスを建てる。
庭で畑を耕し、裏の那珂川で魚を釣り、
その日暮らしをする。
そんなことを考えていたと思う。
那須の土地を買うかどうか、
現地に出向いたのは夏のとても暑い日だった。
東京から東北自動車道をひた走り、
那須インターを降りてめざす販売地に着いたが、
やはりそのあたりも東京都と変わらず暑かった。
めざす土地は別荘地区域とはいえ、
かなり山奥でその付近だけが整地されている。
背後は木々が密集して、
恐ろしくうっそうとしていた。
雑木林が、明るい陽ざしをキッチリと遮っている。
東京より気温は低いらしいのだが、
湿度が異常に高いと感じた。
空気は重くむっとしている。
「なんだかここ、暑いですね?」
私が、立ち会いに来た不動産屋のおっさんに話しかけた。
「そうですか、私はそんな暑くないですね。
ここは高原ですので、かなり涼しい筈なんですがね…」
そして
「でも今日は異常な暑さですね、
○○さん。悪いときに来ちゃいましたね」
敷地は、長方形で地形(土地のかたち)は良かった。
前の道路は4㍍程で狭いがこんなもんだろうと思った。
奥さんが「この辺は買い物はどこへ行くのですか?」
と切り出した。
(言い方にトゲがあるなぁ)
不動産屋のおっさんがしきりに顔の汗を拭いている。
で突然ニカッと笑って、先ほど私たちが来た道を指さして、
「いま来た道を15分程戻った所にスーパーがありますよ。
気がつきませんでした?」
私たちは顔を見合わせた。
家族全員(夫婦と子供ふたり)知らないという顔になった。
この不動産屋のおっさんはかなり焦ったようだ。
店の看板が小さかったから見過ごしたとか、
店が道路から奥まっているとか、
いろいろな言い訳をはじめた。
後にして思えばだんぜんあやしいおっさんなのだが、
当時の私には不動産を見る目がないどころか、
気持ちに焦りがあった。
自然がいっぱいのところで暮らすことが最良と考えていた私は、
早々に引っ越す土地を確保する気持ちばかりが先走っていた。
来る日も来る日もスケジュールに追われ、
徹夜など当たり前なのに報われない…
そんな東京での生活に早くピリオドを打とうと、
私は私なりに必死の土地探しだった。
ひととおりその土地のセールストークを披露すると、
へらへらの白いシャツを着た不動産屋のおっさんは、
汗をふきふき愛想を振りまいて、
とても忙しそうにして先に帰っていった。
不動産屋のボロボロのカローラが印象的だった。
私たちは現地で即答はしなかった。
買うとも買わないとも意思表示はしていない。
残された私たち一家はさしてやることもなく、
またじっとその土地を見ていても
なにも新しい発見もないので、
別荘地のまわりを歩いてウロウロしていた。
そこで小さな川をみつけ、架かる小さな橋から、
考えるでもなく川の流れを眺めていた。
突然、小学生の長男が私を呼ぶ。
橋の下で休んでいるアオダイショウをみつけたのだ。
おおっとみんなで叫ぶと、今度は私と長男とでその蛇に
石を投げはじめていた。
アオダイショウは逃げた。
思えばアオダイショウは私たちより先にあの川岸にいて、
しかものったりと休憩でもしているかのようにうかがえた。
私たちに敵意などをみせた様子もないし、
仮に敵意をみせたとしても、
それは当然のことなのだが。
なんであんなことをしたのか?
それがいま振り返っても全く分からないのだ。
(アオダイショウさん、いまさらだけどごめんなさい)
さて、私はあそこにログハウスを建て、
どのようにして生計を立てようとしていたのか?
そこが全く抜けていることを薄々知っていたのに、
当時の私はそこをあえて全く考えないようにしていた。
なんとかなるとも、ならないとも検討しない。
そんな精神状態は、東京から逃げる、
という言葉がふさわしかった。
きっとそれほど疲れていたのだろう。
奥さんは、この計画が実行されることはないと踏んでいた。
後に聞いたが、私が余りに疲れていたので、
計画に口を挟む余地がなかったと話してくれた。
しかし、この土地を買ってから私に変化が起こった。
(結局、買ってしまった訳)
いつでも逃げられる態勢だけは整えたので、
なにかゆとりのようなものが芽生え、
それが私を楽にしてくれた。
しかしそれから数年も経ち、
その土地を持っているという気も薄れ、
相変わらず仕事に没頭している自分がいた。
が、そろそろ他の要因で限界が来た。
年老いた親の事情も絡んできた。
急遽、私たち一家は神奈川の実家へ引っ越すこととなった。
結局、那須の土地は6年後ぐらいに手放した。
実家行きは、いろいろな事情が絡んでいたので、
めざす所ではなかった筈なのだが…
那須ほどではないが、転居先はやはり
いなかであることに変わりはなかった。
当初は不便を感じて、
生活や仕事の不満ばかりが溜まっていたが、
そのうち慣れてくると、
やはりいなかのほうが自分の性に合っているなぁと、
実感するようになった。
肝心の仕事は運も重なり、
なんとか生きながらえることができた。
(最も、行き先も違うし、
ログハウスも建てられなかったけれど)
結果的に私の東京脱出は成功したことになる。
いや、正確に記すと、実は私は東京を脱出したのではない。
追い出されたと表現したほうが嘘がないように思う。
いまでもそのほうが我ながらしっくりくるから、
きっとそれが本当なのだろう。