なぜ、わざわざ焚き火にいくのか?
よくそんなことをきかれます。
薪とかイスとかバーナーとか
いろいろなものをクルマに積んで、
河原まで行ってじっと火を燃やすだけ。
いったいなにが面白いのかなぁ…って、
よく言われます。
そしてみな同じように、
「バーベキューなら分かるけれど」ってね。
わたし自身でさえ、そのことばに、
そうかそうなのかと、
同調したりしてしまいますから。
確かに、焚き火をしても腹がいっぱいに
なるわけではないし、
みんなでワイワイと騒ぐこともしない。
焚き火をしている人を観察していると、
確かにみな静かです。
で、穏やかな顔をしている。
自分でも、なぜ焚き火なのかについて
自問してみたけれど、
的確なこたえがみつからない。
シャープにはこたえられない。
まぁ、あえて理由づけをすれば、
日頃のメンドーなことを忘れさせてくれる。
いっしょうけんめい火をつけることだけに専念し、
あとは絶えず火の具合をみつつ
薪をくべることに集中する。
あとはまわりの景色を眺めながら、
ぼおっとしたり、
相手がいればぼそっと話したりする。
そんなところでしょうか?
焚き火に行くのは、
いつも一人か二人。
多くて3人くらいが、
焚き火に適していると思う。
大勢だと、なんだか違和感がある。
何かが変わってしまう。
きっとそのあたりに、
そのこたえがあるのだろうと思うのです。
今年になってから厳冬の河原で2回ほど
焚き火をしましたが、
あの陽が沈んだあとの冷え方は、
なかなか耐える価値がありますね。
あまりに寒くて、
雑多なことを考えてる余裕もない。
そこはしびれます。
今回はいい季節になったので、
カラダも楽ですが。
連休も近づいてきたし、
陽ざしが強烈になりました。
水辺の鳥も増えました。
いろいろな虫が飛んでいます。
名も知らない小さな花が
ところどころでいっせいに咲いています。
そして、山々に霞がかかって、
ぼんやりしていて
空気がおだやか。
季節は確実に動いているなと
感じる訳です。
そんなとき、
あまり難しい話はしませんし、
考えることもできやしない。
いま思いついたのですが、
焚き火って日常が入り込まないのが、
とてもいいのかも知れない。
よく焚き火の炎が人間の本能を
呼び起こすとか、
小むずかしいことを言う方がいますが、
私にはよく分からない。
ただ、川を流れる水の音だとか、
揺れる炎の美しさとか、
ひたすらそれだけを感じていると、
なぜだかとても平和な心持になります。
今回の焚き火では、イスにまるめておいた
私の愛用のヨットパーカーに火の粉が飛んで、
大きな焦げ穴が!
大失敗です。
そしていつものように、
服もカラダも煙臭くなる。
自分自身も含めてすべて洗濯です。
またクルマの室内も当然けむり臭い。
荷台には薪の破片が散らかっている。
と、後始末もいろいろと大変なのですが、
時間ができると、また懲りもせず
せっせと薪を買い集めたりして、
河原へと出かける。
うーん、なんなんでしょうね?
焚き火の魅力って。