小学生の僕は驚いた。
父がテニスラケットを握り、
慣れた風に球を打っている。
それは初めて見る姿だった。
昭和30年代、
テニスはまだ限られた人のものだった。
僕は父をよく知らなかった。
黄ばんだ古い写真。
軍服姿で軍刀を手に、
こちらを正視している浅黒の父。
ロシアと中国の国境あたりと、
以前ぽつんと話したことがある。
日常の中で父は寡黙だった。
口をきくのもはばかられた。
真夏の緑のなか、
銀ヤンマを素手で捕った父が笑った。
一度きりの笑顔。
よその人のような父だったけど、
その視界にいったい僕はいたのだろうか?
いまは、もう遠い人。
僕は父をいまだよく知らない。