もういない叔母が
フジ子ヘミングによく似ていて、
あの音色を聴くと、
必ず叔母の顔が浮かぶ。
横浜で、ずっと服飾デザイナーをしていて、
小さい頃は叔母の家に行くと、
いつもミシンを踏んで何かを縫っていた。
傍らで僕はボビンとか
色とりどりのカラフルな糸を眺めながら、
叔母は仕事をしていて、独身で、
ウチの母は、家庭の主婦で、
ちょっと違うんだと思った。
叔母の家の棚には、
とてもきれいな布が、沢山置いてあった。
僕は、よく叔母に服をつくってもらったが、
そのどれもがハイカラ過ぎて、
それを着て小学校へ行くと、
必ずみんなに奇異な顔をされた。
あるとき、叔母が編んでくれた
ブルーのラメ入りのセーターを着て教室に入ると、
ある女の子がむっとした顔で、
「まぶしいから、そんな服着ないでよ!」と
詰め寄ってきた。
後日、その事を叔母に話すと、
けらけらと笑っていた。
そして「○○(僕の名前)、そんなのはどうでもいいの、
大きくなったら、好きなものだけを着ることよ」
と言って僕の頭を撫でてくれた。
叔母はずっと独りで生きている女性で、
とても綺麗で華やかにみえたが、
本人の心情は当時から晩年に至るまで、
私にはよく分からなかった。
叔母の最期を看取ったのは僕と奥さんで、
とてもやすらかに目を閉じていた。
それは僕たちが、
とてもほっとできる事だった。
叔母の墓地は、花の咲きみだれる公園墓地を選んだ。
僕は此処へくると必ず墓地を一周する。
季節の花々が美しく咲く生け垣をみながら、
陽射しのなかを歩いていると、
生きているなぁって思うのだ。
そして傍らでたばこを一服してから、
元気でな、また来るから…
とおかしな事を必ず口走る。
こうした時間はとても救われると、
ふっと気づくことがある。
それは、生きている者も、
もういなくなってしまった者も、
実はたいして違わないじゃないかと、
思えることだ。
すぐ隣に、「ありがとう」って
笑っている叔母がいる。
そう思えるだけで、
僕の死生観が変化するのなら、
それは、僕にとって、
いつか必ず救いとなる。