いくつもの夏が過ぎて。
若かったボクは年をとって、
思い出だけが積もり積もって心身がおもくなり、
だけどキミはしわの美しいおばあちゃんになり、
そして今年もあいかわらずに、
なんら変わることなく暑い夏がきた。
夏の早朝はそのすべてがうつくしい。
そう思うようになった。
(そういえば母は夏の似合う女性だった。
夏の早朝から丈の高い竿いっぱいに、
白い洗濯物を吊るしていた)
暑い夏でも、
朝は熱いコーヒーなんだ。
(アイスコーヒーなんて…)
なんだかきょうもやれそうな気がしてくる。
早朝は昨夕のメモから。
それを見返し、調べものをしたりする。
そうしているうちに窓の外の明るさに気づく。
「きょうも暑くなりそうね」
「そうなる前に歩きたいけれど、きょうも間に合いそうもない」
パソコンを閉じると、だいたい陽はもう高くなっていて
外は気温30℃に届きそうなようす。
いつも早朝に歩く算段を考えるけれど、
やることは相変わらずで、
まいど同じ後悔をくり返している。
夏はなんといっても
朝がうつくしいのに…
いくつもの夏が過ぎて。(その2)
今朝はとくべつに早起きをして、
さっさと戸外へとでかけた。
木々の間を抜けるとき
夜明けを告げる鳥が「生きている印なんだ」と
いっせいに鳴いている。
それはやがてオーケストラの森となった。
田園地帯に出てそこからながめる山なみは、
まだ黒い影を落としていて、
山体をまとわりつくように、
淡くて蒼い気流が流れている。
足元では、
朝つゆをころがす小さなむらさきの花がほうぼうに開いて、
それが途方もなくうつくしい。
夏の陽射しは早朝から
万物をめざめさせるに足る、
それはあふれるほどに、
生命の息吹に満ちている。
ボクは遠い青春のときを想った。