いままで絵ごころも習ったこともないけれど、
数年前に突然、絵を描いてみたくなった。
もともと絵を観るのが好きで、
あちこちの美術館にでかけたりしていた。
テレビも「美の巨人たち」や「日曜美術館」などは、
毎週録画して、みている。
仕事柄、デザイナーさんたちに企画意図などを説明する際、
どうしても言葉とかテキストだけでは伝わらない場面に出っくわす。
過去、こうした問題にぶつかるたび、
私なりにとても下手なサムネイル(とても小さいデザインラフのようなもの)で
対応していた。
が、あるときあるデザイナーさんのイラストをみて、
「おお、オレも絵が描けたらなぁ」って強く思った訳。
雑誌「一枚の繪」なんかをペラペラとめくっていると、
写実で精緻な絵とか、印象派風の絵とかが、
ゾロゾロと出てくる。
絵の上手なひとはいくらでもいるということだ。
私の好きなアーティストにデイヴィッド・ホックニーがいる。
とてもカジュアルなものを描くのに、
いま世界で一番人気のあるアーティストではないのかな。
彼が数年前からiPadで描いているのを知って、
私も画用紙をやめ、iPadで挑戦してみることにした。
旧型のiPadに対応しているアップルペンシルは、
一万円強で買える。
最新型のiPadとアップルペンシルは、描き味も微妙な色合いも
描き手のイメージを相当リアルに表現するらしいのだが、
そんな精巧なものは、当然私には必要ない。
という訳で、今回は鶴を描いてみた。
ときは夕暮れどき。
遠景が夕陽に染まりだして、
その色が水面にも反射して、
まだ空の青さは残っているものの、
鶴は黒のシルエットとして映る。
観る側としてみれば、かなり雑にみえると思うが、
そうです、描いている本人が結構アバウトなので、
やはりそういうものは、描いているものに反映されてしまいますね。
旧型は、まだ色数もすくなく、色の交りあいの具合も、
重ね塗りなどをする場合においても、
その特性みたいなものを把握しないと、
結果としてかなりイメージと違うものができ上がってしまいます。
今回の鶴の絵の場合は、哀愁が出せればいいかなと、
それだけでした。
これでも鶴の輪郭にはとても苦労していて、
鳩にしか見えなかったり、足の具合が不自然だったりと、
かなり修正しているのです。
やはり絵は相当に難しいです。
しかし、下手でもいいから評論家よりプレーヤーになりたい。
私はムカシから評論家というひとたちがあまり好きではないし、
プレイするひとになりたかった。
下手でも描く。
好きなように描く。
そう自分で決めてしまうと、ガッツが出てきます。
他人の評価より、自分の気もちに素直に…
これが最近の私の信条です。