偉い人に、聞いてみた。

一休

この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん

あんた生きているの、と尋ねたくなるような、無難な生き方ばかりしている。
そんな人が多いような気がする。バランスをとるのも良いけれど、
振り切った生き方も、たまには良いんじゃないか。
それが、生きているという実感。

モンテーニュ

この世は絶え間のないシーソーだ。

楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。
人生の総量は、不幸が多い。いや、幸せが勝っている。
要は心もち次第なのですが、それでもシーソーだよな。
運も絶え間なく動いている証拠。

マルティアリス

すべての日がそれぞれの贈り物をもっている。

憂鬱な朝を迎えたら、上のことばを思い出してください。
ちょっと機嫌が直る。
一日のうちに、良い事のひとつくらいあるでしょ?
ないという人は、きっと探し方が上手くない。
今日のギフトを丁寧に扱う。そうしてギフトを積み上げて、幸福になろう。

ソロー

すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。

このくらいポジティブになりたいと思うのであります。
ネバーギブアップの精神は、怒りと悔しさではなく、
こうした未来志向が根底にないと乗り越えられませんからね。
しかし、この心境に達するのに、まず修行かもね。

ラ・ロシュフーコー

うぬぼれというものがついぞなかったら、人生はてんで楽しくあるまい。

今日からみんな、自己評価を上げましょう。うぬぼれも才能のウチ。
自分は駄目な奴だ…と常に悩んでいる方に差し上げたいことばです。
だって、そういう人ってたいてい才能あるでしょ?
が、過ぎたるは…という人もなかにいて、こういう人には、謙虚さを
学んで欲しい。

セネカ

過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ぬ。

過ぎた日のあれこれに、ひきづるものもなし。明日は明日の風が吹く。
だって本当に分からないのが、未来。
だから、いまでしょ! 目の前の事を精一杯やる。
ホントの意味での自由闊達な精神というものは、
こうしたことばにヒントがあるものです。

メーソン・クーリー

「それも、いいじゃないか」は、おもしろい人生のスローガン。

私はよく、いいんじゃないの、というのが口癖。
なにも考えていないときに発している。
もっと、心を広くして、自他の意見を受けとめられるようになりたい。
それも、いいじゃないか―選択肢の数は可能性の数ですからね…

エマーソン

貴方が今、夢中になっているものを大切にしなさい。それは貴方が真に求めているものだから。

それがパチンコや女だったらどうしようと思う私なのでありました。
いや、それが要はなんでも良いのだろうと考えると、
人にはいろいろな可能性が見えてきます。
オタクなんてその最たるもので、それはそれで、その道の専門家となり得るのです。

シェイクスピア

貴方がたとえ氷のように潔癖で雪のように潔白であろうとも、世の悪口はまぬがれまい。

そんなもんです。良くも悪くも、人は評価したがるいきものです。
いや、評価ではなく、悪口もね。それがいきものの自己防衛ですから…
ゴーイングマイウェイ! 我が道を突っ走れ。
それより、強いものなし。それしか生きる道なしと思って。

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iPhoneとiPadの使用感

数ヶ月前、ガラケーをiPhoneに換えた。

ガラケーは通話のみと割り切っていたので、

換える必要はなかったのだが、

iPhoneを投げ売りしていたので、

好奇心でゲットしてみた。

一方、iPadは長く使っているので、その良さも

欠点も分かっているつもり。

両者は、まあ似た者同士なので、iPhoneの使い方にも、

別段、違和感はなかった。

iPhoneは、予想どおり軽くてコンパクトで

扱い易い。

が、如何せん文字もアイコンも小さすぎる。

これは分かっていたことだが、

やはり老眼の私には辛い。

だから、まず先んじてiPadを手に入れた訳だが、

こちらの欠点は、やはり重いことだ。

ネットやメールなど、読めない小さな文字などは、

ワンタッチで拡大できるので、高年者にもやさしい。

が、寝転がって見るときなどは、いい加減に腕が痛くなる。

ズシンとくる重みは堪える。

で、この両者の中間に位置するiPadminiに、

一時狙いを定めたことがあった。

と同時に、iPadminiと同等の大きさ・重さの、

ネクサスやKindleも視野にいれたことがある。

しかし、実際手に取ると、その調度良さそうな大きさと重さが、

逆に中途半端なことが分かる。

画面を見るにつけ、

なんというか、納得のいかない中途半端な大きさの画面で、

ここは、やはり重いが、

より画面の大きさなiPadに軍配が上がる。

また、通話のやポケットに入れることを想定すると、

やはりiPadminiでは、大きすぎる。

結果、こちらの用途においては、iPhoneのほうが良い。

で、これら7~8インチのものはあきらめ、

ガラケーとiPadで用途を棲み分け、しばらく利用していたのだ。

今回手にしたiPhoneに話を戻すと、

以前使用していたガラケーと比較すると、

格段に機能的に優れている。

通話音声、カメラ画質も高く、

なによりアプリがふんだんにあるので、

GoogleMapや乗換案内、ラジオとか、

必要なものは、ほぼタダで取り込める。

カーナビとしても使用可能。

そしてなにより、普通にネットが楽しめる。

iPhoneは、自分専用にカスタマイズできて、

オリジナルに使える楽しさがある。

これはiPadも同じだが…

ただ、iPhoneのメールは、

前述のとおり、文字が小さい。

外出先で、いちいちメガネを出す暇もないときは、

困りものである。

が、これらをiPadに同期させればデカ文字で見られるが、

こっちも前述のとおりの重量があるので、

それなりに落ち着いた場所で確認せねばならない。

こうなると、問題は自分自身の視力。

現代は、とにかく目をよく使うことが多い。

情報の大半も、視覚から入る。

自身、この夏は眼精疲労から寝込んだ経験もあるので、

日頃の目の酷使を反省した。

思うに、こうした社会で生き抜くには、

強靱な「目」が欠かせない。

文明の利器は、とかく目を酷使させられる。

こうなると、クルマと同じく、

もうスペックでモノを語る時期ではない。

何馬力出ようが、何キロのスピードで走ろうが、

それを操る人の感覚に意識が向かわないのであれば、

そのマシンは、ただのモンスターで終わってしまう。

技術が、如何に人に優しくなれるかか?

デバイスも、

そろそろそうした時期に来ていると思う。

目が疲れないディスプレイの開発、

見づらい画面や文字を感知し、

即座に対応する対応する技術。

近未来のメガネのようなスカウターも開発されてはいるが、

ゆくゆくのヒットの肝は、

軽量・小型化のみでなく、

如何に肉体に負荷をかけないで使用できるか?

案外このあたりにあるような気がするのだが…

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ポインター爺

東京都武蔵野市の閑静な住宅地に住む私は、

まず、朝の散歩からすべてが始まる。

この住宅地の特徴は、なんといっても、

住人同士の繋がりを意識し、

挨拶運動も盛んだ。

これは、防犯上も欠かせないものらしく、

不審者は、その辺りに敏感に反応する。

そんな訳で、私も積極的に挨拶を交わす習慣がついている。

が、しかしだ。

朝っぱらから、あの厳しい目つきはなんだろうと思うのだ。

すれ違う度にイライラするのだが、

例の熟年が連れて歩いているポインターは、

とてもつぶらで、穏やかな目をしているのだが…

あの犬は、きっと性格も良い。

問題は、その素敵な白と黒のポインターを始終連れて歩いている、

買い主たる、あの熟年だ。

定年退職して10年経ちました。

唯一の趣味は、犬を連れて散歩することです。

そのように思う。

そうとしか思い浮かばない。

が、この熟年が周囲を威嚇する、

あの目と警戒心は、どこからくるのだろうか。

きっと此奴は近所に敵意を抱いている。

過去になにかあったのだろう。

それにしても、愛想なさ過ぎだな。

此奴は、雨が強く降る日も、歩いている。

しっかり素敵な雨合羽を羽織っている。

レインブーツも履いている。

準備とやる気は、充分に感じられる。

連れ添うポイン犬も、しっかり前を見て、

黙々と歩く。

台風が近づいた或る日、

私は隣町をクルマで走っていた。

平日午後3時というシチュエーションなのだが、

此奴は例の雨合羽を羽織り、黙々とポイン犬と歩いているではないか。

思うに、私は此奴、

いわば熟年Aの人生や生活のなにも知らない訳だが、

なんでかすべて分かるような気になってしまうのだ。

10年前まで、大手印刷会社の業務管理部長をしていました。

自他ともに認める実直さは度を超し、

まわりから煙たがられるだけでなく、

そろそろ自分で自身が嫌になっていた頃でもありました。

そんなこんなでそろそろ年だし、

会社を辞めることにし、半年ブラブラしていましたが、

なにか自分の現状に実直さが足りないとイライラし、

近所の公民館で開催されているシニアダンス教室を覗きました。

(自分に足りないものは、うーんユーモア?)

ずっと自覚はしていたので、まずは社交性を磨かないとと、

自ずとダンスを目標に致しましたが、

教室内では、すでにできあがった仲良しグループで構成されていまして、

熟年Aは、どうも馴染めない自分に失望すると共に、

この排他的なダンス教室に敵意を抱いたのでありました。

あっ、そうだ。

熟年Aには、とてもできた奥様がいます。

奥様は、「あなたのやりたいこと、なんでもなすったら」

と、いつもやさしくAを応援し、

自らは永年勤めている近所のお菓子工場へ、

いそいそと出かけるのでありました。

が、実はこの奥様はこのパート先に仲良しがいっぱいいまして、

中には若いイケメンのボーイフレンドも混じっております。

Aが、その臭いを嗅ぎつけたのは、

退職後3ヶ月余りの或る夕食での会話でした。

当然Aは、このことを妻に告げるつもりもありませんし、

その気力も失せております。

子供は二人いますが、現在はどちらも片付いて、

いまはそれぞれ家庭を持ち、

遠くで暮らしています。

そんな或る家族を長い間眺めて暮らしていたのが、

利発なポインターです。

ポインは奥様にやさしく育てられました。

二人のお子様も、この家でやさしく育てられました。

そんなポインもそろそろ中年にさしかかった頃です。

のんきにひなたぼっこする毎日から、

いきなり熟年Aに連れ回されることになったのですから!

最初は、毎日毎日出かけられるうれしさで、

くんくん鼻を鳴らしていたものです。

が、さすがの猟犬ポインも中年です。

だらんとした毎日を過ごしてきた訳です。

毎回3キロ~5キロ、そして朝晩と回数も距離も増えますと、

さすがに中年のポインもバテ始めます。

が、熟年Aは、実直かつ、まわりに敵意を抱く、

まさに歩くロボットです。

そんなポインの具合や体調などに配慮するデリカシーなど、

端っからありません。

気の良い奥様に育てられたポインは、

まあそんなことも分かっていましたので、

まあいいかと今日も此奴に連れられ、

真っ直ぐ前を見て、

ただただ黙々と歩くのでした。

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