なぜTVは衰退してしまったのか?

 

 

最近のテレビのコマーシャルって面白くない。

年々つまらなくなっている。

その原因が商品・製品にあるのか、

それともコマーシャルをつくる側にあるのか?

いくつかCMをチェックしてみた。

 

で、気づいたのは、

無機質かつ損得訴求広告が多いこと。

よく言えば無駄がない。

 

そこにはもちろん、

愛も青春も勇気も感動もなければ笑いもない。

驚くほど物質的である。

 

悠長なむかしのコマーシャルは、

愛も青春も勇気も感動も笑いも、

つくる側が必死にひねり出して、

そこにひとつのものがたりを描いていた。

 

いま、そんなCMはほぼ駆逐されてしまった。

 

いまという時代は皆、

テレビCMにそんなものを求めていない。

知りたいのは機能であり価格であり、

それが受け手にとってどのくらい得なのか、

そういうことらしい。

 

要するに、テレビCMは動くチラシになったのである。

新聞に挟まっているチラシ…あれだ。

(世知辛い世相の合わせ鏡のようにも思えてくるのだが)

 

で、肝心の番組なんだけれど、

以前からいろいろいと指摘されているように、

相変わらず中身の劣化が激しい。

どこもアイデアが出尽くした感があり、

おおむね似たような番組ばかり。

このあたりもテレビの凋落の一因になっていると思う。

 

クイズ、食べ歩き、バラエティー…

そしてつまらない芸人のオンパレード。

良質の番組も散見されるけれど、ごくわずか。

あとは、エンドレステープのように流れる番組が、

ボクたちの思考を鈍らせる。

 

おおげさだけど、人生って短い。

時間は限られているのだ。

 

むかしの話だけど、あるキー局のバラエティー担当のディレクターと

打ち合わせる機会があって、そのディレクターは昼の番組をもっていて、

2度目の打ち合わせのとき、「○○ちゃん、この時間にテレビ観ているやつって

なんにも考えていないから、そこ外さないでコピー考えてよ。テキトーに!」

とアドバイスされた覚えがある。

(若いボクには衝撃だった)

 

とここまで書いて、ボクはテレビをリアルではほぼ観ない。

たまにニュースをすこしだけ観る程度で、

あとは観たい番組のみ録画している。

 

そこに映ったいくつかのCMを元にこれを書いている。

よってこの記事もボクの単なる感想に過ぎないのだけれど、

数字の裏付けだけはある。

 

それは広告費の統計の推移である。

広告枠の価格もだいたい把握できる。

また広告出稿企業名などをざっと眺めているだけでも、

あらかたの傾向・推測がたつ。

 

新聞に続き、いまテレビの凋落が表面化しているのは、

前記の状況に加え、ネットというライバルの存在が外せないのは、

周知の事実。

それは数字に如実に表れている。

 

XやYouTubeやインスタグラム、

ニコニコ動画の他、Netflix、フェイスブック…

挙げればキリがないほどメディアは増え続けている。

 

ボクはテレビにも頑張ってもらいたいと思う。

が、如何せん前述したような状態なので、

なかなか難しいと思う。

(ボクがテレビを観なくなった原因もそこにある)

 

さらに新聞は深刻で、報道のスピードや正確性に於いても

前時代的なので、もはや手のつけように思える。

 

オールドメディアなどと呼ばれる所以だ。

 

オールドメディアはその名が示すとおり、そろそろ寿命なのだろうか?

立て直しなど、単なる延命処置にしかならないのだろうか?

 

 

さて、今日もボクはテレビをつけていない。

もちろん新聞も取っていない。

が、なんの不自由もない。

(ここが問題なのだが)

 

ボクが、いやボクらがいまメディアに求めているのは、

偏りのない報道であり、

真実の追究であり、

ものごとの深掘りであり、

こころの揺り起こしであり、

笑いであり、

感動を呼び起こすものがたりであり、

そしてなにより「自由」なのだ。

 

オールドメディアにはそれらが決定的に欠如している。

(もちろんネットも同様の事象が数多く見受けられるけれど)

 

オールドメディアの衰退の主因は、

そのあたりにあるのではないだろうか。

 

だから寿命が尽きてしまうのだ。

 

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