大学時代の友人と20年ぶりに再会した。
奴が私を見て第一声「老けたのう」と言った。
そう言う奴も白髪頭を恥じるように、
相変わらずボソボソと
何か言い訳のようなことをつぶやく。
九州の大分で小さな工場をやっているが、
最近では息子さんを社長にして、
自らは第一線を退いていると言う。
歩き方に元気がない。
聞けば、心臓の手術、糖尿と修羅場をくぐってきたようだ。
しかし、息子さんが後を継ぐというので、
工場の設備費に6000万円位を費やしたとのこと。
「なので、退いたと言ってもまだ仕事はやめられんけん」
なんだか嬉しそうに話す。
「そっちはどうじゃ?」
ああ、そう言えば、この話し方で思いだした。
奴は結局、学生時代から東京で暮らしていても、
九州弁で通していたっけと。
皆が都会に馴染もうと地元の言葉を封じていたのに、
奴は一切お構いなしに方言を貫いた。
なんというか、古い男なのだ。
ムカシ、奴と横浜のキャバレーに行ったことがあるが、
うろ覚えだがロンドンとかそういう、
いまとなっては懐かしい店だったような…
そこでさんざん飲んで騒いで、
帰路、奴の口からはっとするような名言が飛び出した。
「最近のキャバレーには愛がないのう」
「………」
まあ、店の子が金金金と見えたのだろう。
奴曰く、
「ムカシの店はどこも人情も情緒もあってな、
そして気遣いも、愛もあったのに、
もうのうなったわ」
石原裕次郎の名曲「銀座の恋の物語」のような時代は、
その頃でさえとっくになくなっていて、
世の中はほぼ拝金がまかり通っていたことを
奴は痛烈に批判したかったようだ。
あれから30年以上が過ぎたいま、
疲れ老いてしまった中小企業の親爺が二人で、
懐かしの中華街で飯を喰いながら、
もうツベコベ言っても仕方がないのに、
次から次へと世相の話が尽きない。
翌朝、ホテルをチェックアウトし、
お互いの無事・安泰の言葉を掛け合う。
私が横浜みやげを渡すと、
奴もすかさず九州のおみやげを私に手渡した。
「お互い、少しは気が利くようになって、
ようやくオトナらしくなったのう」
奴をみなとならい線の駅に送り、
そのまま山下公園までとぼとぼと歩いて、
ベンチに腰かけ、快晴の海を眺めた。
(ああ、あの頃と何も変わっていないや…)
老いた俺たちだけど、
相変わらず青春の只中にいるんじゃないだろうか?
奴と今度はいつ会えるのか、
それが少々不安になってしまったのだが…