いまでは広告も日々進化し、
正直、専門の私たちも追いつかない所があるのが現状だ。
特に、ネットメディア手法の移り変わりは早く、
最新の情報が半年で陳腐化することも、ままある。
が、そうした事例はさておき、
広告が、常に人相手であることに変わりはない。
そこには、当然のように感情がつきまとう。
ではなぜ感情なのかだが、
総じて人の心を動かすのは理屈ではない、というのが、
広告の歴史から得られた答えである。
例えば、クルマなどはスペックが重要な要素を占めるが、
ならばスペックの優れたクルマが一番売れるハズ。
だが、実際はそうではない。
それはデザインかも知れない。価格の可能性もある。
いや、メーカーで選んでいるのかも知れないし、
ひょっとすると広告や販促物で決めた場合もあるだろう。
選ぶエレメントは、実に多彩だ。
ただの理屈だけで、人はモノを買わないのだ。
人の感情が介在する限り、
広告が一筋縄ではいかない難しさがここにある。
話は変わるが、先日NHKのクローズアップ現代を観ていたら、
NPOに携わる方たちの苦悩が語られていた。
曰く、寄付金が集まらない、人が集まらない…
志高く、困った人たちをサポートすることを旨とする彼らにも、
やはり或る特定の手法が必要と、
アメリカで活躍している現役のプロが語っていた。
彼の名はマーシャル・ガンツ博士(ハーバード大)。
アメリカで人種差別撤廃に向けた活動や、
数多くの草の根運動を成功させ、
オバマ大統領の再選にも係わった人として名高い。
そして、その彼が日本の活動家に語るその手法は、
実にシンプルなものだった。
そのアウトラインを話すと、まず「物語」を語れ、
ということであった。
ここでいう物語とは、
例えば差別された経験やいじめられた過去を躊躇なく皆に披露し、
まず自らがオープンになること。
そして、その経験から、話は「あなた」へと移行する。
あなたもそんな経験のひとつやふたつありませんか?
と、共有を図ってみることだと言う。
そして、私とあなた方と共有するものがあれば、
これは他人事ではなく、一緒に問題解決に向けて、
動きませんか、と。
こうして物語は、次第に人の心を揺さぶり、
そして徐々に広がってゆくというのである。
このテレビを観いて感じたことだが、
内容が実に古典的な広告的手法であるということだった。
ゲストの糸井重里さんも、やはりそのような内容の話をしていた。
思うに、広告の手法とは、
なにもモノを売るだけの手法ではない、ということ。
いかなる場面でも、転用が可能なのだ。
「人は感情で動く」
そこに普遍性がある訳だ。
そのことを理解していれば、後はトライ&エラーを繰り返すのみ。
それしかない。
なぜなら、広告を学ぶことは、よく人間というものを知る、
ということに他ならない。
だからタチが悪い、
終わりがない、
いや、だから面白いではないか。