このところ、トヨタのCMを観ていて、
なんか腑に落ちない。
他の人はどうか知らないが、私的にかんに障るというか、
観ていて不愉快になる。
それは、ピンクのクラウンがデビューしたあたりから。
ドラえもん編がスタートだったと思うが、
その頃はまだ良かった。
しかし、たけしが秀吉、キムタクが信長役のCMが始まった頃から、
違和感が出る。
確か千利休役の鶴瓶も出ていたから、
話もでかいが、ギャラだけでも凄いだろう。
さすが、トヨタだ。
スケールが違う。
このシリーズのバージョンは多彩だが、
ひょっこりひょうたん島編では、
3人の偉人?が東北・岩手の海沿いを眺めて、エラソーに話す。
で、キムタクがひょっこりひょうたん島のテーマソングを歌うのだが、
そのヒューマンな歌詞に、この3人が浮いている感じ。
そもそも、生臭い歴史を生き抜いた3人の役柄から、
それは醸し出されるのかも知れない。
こうしてクラウンのCMは、
いろいろなモチーフを使って天下人がロマンを語ってゆくのだが、
CMが新しくなる程に、相変わらずというか、更に偉そうなのだ。
で、今度は松嶋菜々子だ。
彼女が例のピンクのクラウンを運転していると、
後ろから黒塗りのクラウンが追いつき並走する。
秀吉の亡霊のように、
黒いクラウンを運転しているたけしがつぶやく。
「人間は体力が衰えると他の力が欲しくなるんだよ」
「だから男って偉くなりたがるんだ」(松島菜々子)
「でも気がついた。衰えない力もあるって」(たけし)
「まさか愛なんて言わないでしょうね?
いつからそんなハイブリッドな人になっちゃったの。
クラウンみたい」(松島)
「スイマセン」(たけし)
まず、秀吉にもの申す松島は、一体誰なのか?
そこは、実は私はどうでもいいのだが、
きっとたけしにもの言う訳だから、
単純に松島菜々子あたりの大物女優?を充てたのだろう。
で、思い起こすに、
このクラウンのキャンペーンコピーは、
「権力より愛だね」だった。
しかし、私に言わせればこのCMの根底に流れているのは、
欲深い奴のいやらしさだ。
クラウンからは、やはり権力の臭いは消えない。
だって、いまさら愛かよ…
クラウンが生まれ変わったということだが、
実は、それがもはや困難なことを、このCMは教えてくれる。
だから、妙な違和感が残るのだ。
ここで言う、ハイブリッドな人というのは、
実は「権力も愛も、何もかも手に入れたい」という、
そんな人のことを指しているようにも聞こえる。
だから、秀吉なのだ。
なるほど、クラウンなのかと合点がゆく。
繰り返すが、今度のクラウンのコンセプトコピーは、
権力より愛だね
の筈。
しかし、何故このCMがかんに障るのかが、
私はだいぶ後になって分かったのだ。
それは、
クラウンに乗る人が、
実は「権力も愛もすべて欲しい」人と、
本音ではささやいている。
そのようにしか受け取れないのだ。
同類の仕事をしているので、
広告類は割と好意的に観ているつもりだし、
その苦労も分からないでもない。
だからこそ、クラウンのポジションが如何に難しいか、
そこがひしひしと伝わるし、このCMの狙いは良くとも、
戦術でコケているように思える。
だから、相変わらずのクラウン。
実は、なにも変わっちゃいないのではないか、と。
まったく同感です。
“さまよえるクラウン” という気がします。
秀吉とか、信長とか、日本人に人気のある過去のヒーローを出すのは、確かに「権力者のクルマ」 というイメージを確保するにはてっとり早い。
しかし、せっかく 「権力」 のイメージを付与させようとしながら、自らそれをギャグ化して、安っぽいものにしている。
さらにいえば、そのギャグが 「笑い」 に結びついていない。
そのチグハグ感が、「違和感」 の正体のような気がします。
第一、ビートたけしがクラウンとミスマッチ。
たけしのキャラを使いこなせていない。
今のクラウンのスタイルとあのカラーリングなら、むしろアメリカン・アニメのヒーロー (スパイダーマンとかバットマン) などを使った方が、よほどしっくり合うのではないでしょうか。
「愛」 という言葉も唐突すぎる。
何をもって 「愛」 というのか、それを考察した気配が見えてこない。
トヨタを愛しているがゆえに言いたいのですが、「トヨタさん、大丈夫 ? 」 。
結局、クラウンが車社会におけるヒエラルキーの頂点に立っていた時代と、今を比べると、現代社会ではあのヒエラルキーの構造がすでに成り立たなくなっているんでしょうね。
町田さん)
私たちの若い頃、クラウンはいわば成功した人のクルマとでも言いましょうか?
なので、「いつかは、クラウン」でした。上がりを象徴するクルマでしたよね?
が、時代は変わり、ガイシャに乗ることがスタンダードになり、トヨタでは新高級ブランド、
レクサスが登場。マーケットもガラリと変わりました。
まず、クラウンは手を打つのが遅かったとも言えますね。
例えば、ガイシャやレクサスとは違う価値観をめざしたクルマとか、
中間車種として生き残る道とか。
そのひとつの選択肢として、アメリカ志向のクラウンというのもアリかも知れません。
であるなら、所ジョージとか、町田さんのいわれるようにバットマンカーも、
イメージとしてイケルかも知れませんね?
今回のCMの「愛」というのも、確かに唐突。かつ不明。
言葉が先走りしているように思えてなりません。
企画した方たちは、思うにかなり戦略的かつ緻密と思います。
が、アタマが良すぎてこけた。そんな気がしてなりません。
だって、時代は肌で感じるものですからね?
コメント、ありがとうございます。