脊柱管狭窄症からやっと解放された。

 

夏の初め、腰が痛くなり、

整形外科で脊柱管狭窄症と診断された。

 

酷いときは杖をついて歩いた。

自宅の2階に寝室があって、四つん這いで階段をのぼった。

洗面所で歯を磨くのもままならない。

 

痛みで行動範囲が狭まり、

まあそれでも一日一回はおもてに出るようにした。

数百メートル歩くと、痛くて立ち止まる。

真夏なので直射日光もきつい。加えて痛みを堪えていると、

その我慢も身体を熱くする。

 

医者によると、初期は安静だがじっとしているのも良くないという。

よく分からない。

 

とにかくこんな辛い夏はなかった。

いろいろな事をあきらめようと考えた。

それは、旅行をはじめとする移動。

「歩く」に関するすべてに思いが及んだ。

近くのスーパーへの買い出しまで考える始末。

 

治療は、短期間であらゆることを試した。

まず、整形外科でのリハビリ。

そして整体数カ所。

あんまさんと呼ばれる人のところも通った。

鍼治療2箇所。

他○○療法とか…

 

書籍も数冊買い、即実践した。

(おじぎをする体操とか)

 

あと、京都の知り合いから腰痛に効くという、

東洋のサプリのようなものをいただき、

それはいまでも服用している。

 

結果、なにが効いたのかよく分からないのだが、

少しづつ痛みが減り、元の日常の生活に近づいた。

 

ひとつだけ、効いたと思われるのは、

2番目に出かけた鍼だった。

 

この先生は、私の症状を詳しくきき、

生活スタイルや仕事の中身もきいたうえで、

脈と舌を診ながら、鍼を打った。

 

あるとき、この先生は、

私の四肢の指先に鍼を刺して血を抜いた。

あぜんとしている私に、

「この治療の方が早くなおる」

と笑って言った。

 

ネットで調べると井穴刺絡(せいけつしらく)という

鍼治療法だった。

 

症状が少し回復し出した頃、

近所のスーパーへ出かけた。

なんとか普通に歩いて買い物ができるようになった。

そんな自分がうれしくて、このときばかりは、

スーバーがワンダーランドに思えた。

 

今回の私の最大の収穫は、

歩けることの素晴らしさに気づいたことだ。

歩けることって実は当たり前なのでは決してない、

のではないかということ。

 

とにかく歩けるだけで「感謝」できるようになった。

この収穫を得るために、私は患った。

そう考えるようになった。

 

まあ、そう思考することにより、

これからの人生の黄昏を、

多少気楽に歩むことができるのではないかと。

 

 

 

きょうの短歌

 

路面電車に揺られてゆく病院父を知らないおじさんと呼び

 

 

「最近ついてない…」ので、寒川神社にお参りしてきました

最近、どうにも運が悪い。
良くないことが続いている。

車は突然動かなくなるし、腰は痛むし、先日はテレビまで壊れた。
しかも買ってからそんなに経っていないのに、急に映らなくなってしまったのだ。
これは何かあるな…と思わずにはいられず、「お祓いしてもらった方がいいのでは」と本気で考え始めた。

そこで思い出したのが、ふたたびの相模国一之宮「寒川神社」だ。
(数ヶ月前にも行ったのだけどね)

深読みすれば、以前も寒川さんにでかけたので、この程度で済んだと言えなくもない。
そんなの迷信だよと笑い飛ばすほどの勇気が、僕にはない訳で…

寒川神社は、全国的にも珍しい「八方除(はっぽうよけ)」の守護神として知られ、
すべての方位の災厄を祓ってくれるという神社である。
車や家の厄除けで訪れる人も多く、建設業者や運送業の方々の信仰も厚い。
そういえば、以前知人が「寒川神社でお祓いしてもらってから仕事が順調にいっている」
と話していたのを思い出したが、それは迷信なのではと思った自分がいた。

というわけで、ある晴れた酷暑の夕方、車で寒川神社へ向かった。
厚木からは小一時間ほど。
途中、道も比較的空いていて、気持ちよくドライブできた。
もちろん、車のトラブルも皆無。

寒川神社に到着すると、夏の陽も傾く時刻ということもあって、
少し涼しい風に変わっていた。

 

 

 

鳥居をくぐり、手水舎で身を清めてから、本殿へ。
どっしりとした佇まいの本殿は荘厳な空気をまとっていて、
自然と背筋が伸びる。

参拝を終えた後、社務所で「八方除け」のお守りをいただいた。
迷った末、車用と身につけるものの両方を購入。
これで少しでも不運が遠のいてくれればと、心の中で祈る。

境内には「神嶽山神苑(しんがくさんしんえん)」という美しい庭園もあり、
今回は閉鎖されていて立ち寄れなかったが、次回はぜひ訪れたいと思っている。
庭園の中には茶屋もあり、抹茶とお菓子をいただきながら、
静かなひとときを過ごせるそうだ。

 

 

帰り道、なぜか心が少し軽くなっている自分に気づいた。
神社のご利益というのは、もちろん霊験あらたかであることを信じているが、
こうして「何かに守られている」と実感できること自体が、
気持ちを前向きにしてくれるのかもしれない。

ちなみに寒川神社は、元旦の初詣では大変な賑わいを見せる神社でもあるが、
平日、まして暑い季節に訪れると、荘厳な空気のなかで
ゆっくりと参拝できるのでおすすめだ。

春には桜、秋には紅葉と、季節ごとの風景も楽しめる。

というわけで、今回は「最近ついてない」ことのリセットも兼ねて
寒川神社にお参りに行ってきたという話でした。

願わくば、これ以上家電が壊れませんように。
そして、腰痛も和らぎますように。

 

 

 

 

 

旅行の帰りはレッカー車

前々回に載せた旅行記事「八ヶ岳逃避行」ですが、
最終日の午前まではホントに良かった!

実はその後がたいへんだった訳です。

2泊3日の最終日。

小淵沢のこじゃれた中華レストランで
優雅に昼食を摂り、日曜ということもあり、
混雑を懸念して早めに帰路につきました。

中央高速はまだ混雑もなく、
車はほどよい間隔で走行している。

で、甲府を過ぎた頃、
帰りに富士五湖でも寄ろうということで、
山梨の大月ジャンクションから大きく道を逸れようと、
奥さんと話しながら走行していました。

車は絶好調、と思ったんですがね…

あの長くて有名な笹子トンネルを通過しているときでした。
突然、警告灯が点灯しました。
ん? なんだなんだ。

最初は「空気圧が低下している」
次に「ラジエターの水量が足りない」
「横滑り防止装置が機能しない」
「すみやかにエンジンを停止してください」

トンネルのなかで、これらの警告メッセージが、
めくるめく表示され点滅なんかしている。

僕は即座にハザードを点滅させ、
減速して横と後部の車に異常を知らせました。

即判断しなくてはならないのは、
この全長5キロの笹子トンネルのなかで、
果たして停車していいものなのか?
だった。

みんな飛ばしているので、
スピードダウンもかなり危険だ。

左側に等間隔であらわれる緊急用のスペースを
確認するも、狭すぎてうまく停車できないと判断。

トンネルはあと4キロは続く。
トンネルは上り勾配でエンジンは高回転。

オーバーヒートが頭をよぎる。

が、こんなトンネルで止まる訳にはいかない。
奥さんはパニクると黙ってしまう癖がある。

水温計に目をやると数値は正常値をさしている。

僕はやけくそでトンネルを出るまで
突っ走ることに決めた。

前方が白々とみえたときはホッとしたが、
外に出ると、そこから急な下り坂だと分かった途端、
ブレーキの警告も出ていたことを思い出す。

ふたたび僕は緊張を強いられた。

逃げられる路肩を探しながら、
僕はふたたびハザードを点滅させ、
ブレーキをテストしてみた。

思い起こすと、このときが一番怖かったのかな、
と思う。

幸運にもブレーキは効いてくれた。

車には真空倍力装置なるものが付いていて、
電気系統がイカれると、普通に踏んだだけでは、
ブレーキなんか効かない。

僕はこの一瞬にすべてを賭けたといっても過言ではない。

やがて左前方にバスの停留所のようなものを発見。
車を減速して、僕はそのスペースに飛び込んだ。

保険会社に電話するまで5分は放心していた 笑

レッカー車がくるまで40分、僕ら夫婦は山梨県大月の
山中で時間を潰した。

さいわいエアコンは効いてくれていたし、
腹は減っていないし、
ペットボトルも何本か座席に放ってあったので、
それが幸運だった。

 

 

この日の大月の気温は34℃くらいだったので、
いろいろ想像すると怖い結末が待っていたような気がする。

僕は、このレッカーの若いおにいさんに、
この車の異常はセンサー類の故障では?と問うた。
彼はこのクソ暑いのに満面の笑みで「さあ」と
話すと、ものすごい手際の良さで車をレッカーに
積載してくれた。

思えば、この人はレッカーのプロだが、
故障のプロではないのだ。

(後日、この車はセンサーが壊れていたことが判明した)

次のインターでマイカーを積載したレッカー車とお別れし、
僕らは地元のタクシーに乗り、
そこから家路についた訳だが、
いろいろと時間がズレたので、
中央高速は大渋滞となってしまい、
家についたときはすでに夕方になっていた。

この素晴らしい旅行に訪れた、
最後の悪魔のような出来事。

当分はトラウマとして、
僕の脳裏に刻まれることだろう。

奥さんも同様なのは、間違いない。

 

八ヶ岳逃避行

 

2年ぶりの八ヶ岳。

 

前回も猛暑だったことを思い出した。

 

途中、立ち寄った山梨県・双葉サービスエリアで、

車のドアを開けると、

外はたき火の横にいるような熱気に包まれていた。

 

食堂は人の列。

僕は自販機でアイスコーヒーを買い、

そのまま立ち去った。

 

標高1200メートルの山小屋に着いたときはホッとした。

 

その日の夜は肌寒くもあった。

 

 

そして今回の宿は、小淵沢。

山梨県と長野県の県境あたり。

標高600メートルくらいだろうか。

 

昼間はぜんぜん涼しくないが、

夕方になるととても心地の良い風が吹く。

 

近くにサントリーの白州工場がある。

水がおいしくて豊富だからだ。

 

 

八ヶ岳は晴天率も飛び抜けて高い。

首都圏は相当天気が荒れていたらしいが、

こちらは小雨が降った程度で、あとはサッと晴れる。

 

この日は小淵沢へ行く途中の、

中央高速の長坂インターを降りて

まず清里へ向かった。

 

ずっと上り坂なので、

車のエンジンは回転数を上げ、

なかなか良い音と振動が伝わる。

 

山の緑の陰影が美しい。

空がデカい。青い。

 

 

雲がぽかんと浮かんでいる。

 

車を清泉寮の牧場にとめ、

コーヒーを飲みながら、

ずっと雲が流れてゆく様をみていた。

 

陽差しは強いが、

気温は25度くらいだろうか。

 

遠くに人の声。

草のなびく音。

 

近くにいた家族ずれ。

小さな女の子がソフトクリームを頬張っている。

その向こうに、初めてのデートと思われる若いカップル。

ふたりの仕草がなんだかぎこちない。

(懐かしい風景)

 

 

いまこの空に、たとえばペガサスが飛んでいたとしても

何の違和感もないようなひととき。

 

日常と奇跡は、ひょっとして紙一重なのかも知れない…

 

 

僕は思わず居眠りをしてしまった。

 

 

 

↑清里は閑散としている

 

 

イマドキのビジネスホテルをレポート!

 

仕事柄、ビジネスホテルをよく利用する。

最近は、安かろ悪かろのホテルが目に付く。
築古で極めて狭い部屋が増えた。

コストダウンで洗面道具、特にヒゲ剃りなど
フツーにないところもある。

インバウンド需要で宿泊費も高騰しているし、
こっちは踏んだり蹴ったりなのだ。

あるとき楽天トラベルで、
山の手線沿いのビジネスホテルを探す。
某駅前のビジネスホテルが目に留まる。
サムネ写真を凝視しホテルの外観をチェック。
入り口も豪華で石の素材など使ってある。

この外観なら、部屋もそう酷くなさそう、

という判断から予約を入れた。

当日、そのホテルは確かに駅前にあって、
便利じゃんとうれしくなる。

入り口が写真のとおりかっこいい。

なかに入るとフロントが豪勢なつくりで、
ライティングにも凝っている。

雰囲気いい。

他のチェックイン客とバッティングしたが、
日本人とおぼしき人は私以外誰もいない。
韓国、中国、インドネシア他、
アジア系に混じって欧米系も目に付く。
(皆、ここの便利さと豪華さに惹かれのかな)

フロントの女性は、皆日本人ではない。

が、言葉は通じるのでOK!

でですね、
キーをもらって長い廊下を歩いていると、
途中から建物の雰囲気が変化してきた。

床のリノリウムが古く、めくれが目立ってきた。
廊下の壁紙もかなりくすんでいる。
窓枠をみると、サッシに白錆が浮いている。

と、急に段差があり、
あきらかに隣の建物に入ったと感じた。

私の部屋はフロントから一番遠くにあり、
そこは、このホテルの外観、入り口とフロントの豪華さとは、
全く違う様相を施していた。

扉は、かなり使い込まれていて、
塗装の剥げや錆も目に付く。

推定するに、築後50年以上は経過している。
(大きな地震がきたら死ぬな)

で、部屋に入ると、すえたにおいがするので、
内部を見渡すと、風通しや日当たりが全くない。

カビのにおいだろうと推測する。

部屋は全体に古びていて、
酷く狭いL字型で、Lの出っ張ったところに
バスルーム兼トイレ兼洗面台が詰め込まれている。

とても使いづらいのは一目で分かる。

というのも、ボクはこの手の部屋には、
幾度となく引っかかっている。

懲りないのがボクの欠点なのは承知しているが、
まぁ予算も限られているし、よってこの手の部屋には
時々だけど当たってしまう。

そこでボクはあるときから、
このような酷い部屋で
如何に快適に過ごすかという課題に、
取り組むことに切り替えた。

当初は、空気の入れ換えもできない
窓が壊れた部屋に通されて憤慨し、
フロントにクレームを入れて、
部屋を換えさせたりもした。

が、いい加減な部屋選びをするおのれに
腹が立つようになり、自己責任だろうと
自分に厳しく対峙することに決めた。

以前、山中湖にてキャンピングカーで
寝泊まりしたとき、最初はその狭い車内で、
飯の支度をしたり、それを片付けないと
ベッドがセットできなかったりと、
結構マメにやらないとキャンパーになれないと
実感したことがある。

思えばハズレのビジネスホテルも同様で、
極小空間で過ごすには、アタマの切り替えと
智恵がいるものなのだ。

で、どうアタマを切り替えるのかだが、
たとえばそれを逃げられない運命として捉える。
(なんだか話がおおげさになってきた)

よって、そのなかでなんとかしなくては
生きていけないよとおのれに教え込む。
(それは嘘だと深層心理は知っているが)

そもそも私は閉所恐怖症なので、
このあたりの課題はかなりハードルが高かった。
(自分がつくった壁は自分で壊せ!)

なのに、楽しくなければビジネスホテルじゃないと、
おのれを洗脳し、ホテルの環境の悪さなど
取るに足らないものなのだと、思うようになってきた。
(なんだか怪しいテレビ局のコピーと被る)

こうして、アタマを切り替え、鼻歌を歌いながら、
細かな工夫を繰り返し、
いまでは快適なビジネスホテルライフを
満喫している。

↑〆が嘘くさいですね!

 

 

町田のジャズの老舗「Noise」

 

町田はでかい街である。

人も多い。

新しい建物と古い商店街が混在していて、
猥雑で、なんだかとてもエキサイティングなのである。

街をまるごとつくりかえないところが良い。

できすぎた街ほど居づらいところはない。

近くのたまプラーザとか新百合ヶ丘には隙がない。

その点、隙だらけの町田。

 

ブランド服が目的であれば、それもある。

昼間から升飲みしたければ、そうしたお店もある。

いまだに歩きタバコをしている人がいる。

煤けたバーがいくつも軒を連ねる。

大判焼きだってイカ焼きだって、

探せばあるのが町田の魅力でもある。

 

ボクは学生時代の3年間、

JRの町田駅と小田急の町田駅を使っていた。

その頃は「Noise」はまだなかった。

 

 

まあ、高校時代のボクはジャズに縁がなかったし、

ロックしか知らなかった。

それよりなにより部活の帰りに寄る

JR町田駅前にあった立ち食いそばがやたらにうまかった。

 

そしてJRの町田駅が小田急側に移動してから、人の流れも変わった。

この立ち食いそば屋も移動してしまった。

で、駅付近を2階建てのターミナルにし、新しいビルが建ってテナントが増え、

残った猥雑さをそのままにしたのが町田なのだ。

 

もともと「Noise」はジョルナの建物の中にあってその後に引っ越し、

現在の小田急線の町田駅から数分の雑居ビルに落ち着いた。

 

ここに来る客は若年老齢を問わず、

皆ふらっとジャズを聴きに来るようなラフな人たちが多い。

さすがにいま店内は禁煙になったけれど、

店の前に置かれた灰皿の横では常に数人がタバコをふかしている。

 

コーヒーとジャズとタバコ。

ウィスキーとジャズと瞑想。

ビールもシフォンケーキもなかなかイケる。

 

とてもカジュアルな雰囲気が気に入って、

ボクもたまに仲間にいれてもらう。

 

老いも若きもジャズという共通項があるから、

なんだかこの店は落ち着く。

 

しゃれたクラブハウスサンドではなく、昭和のピザトースト。

カフェ・ラテなんて呼ばず、昔ながらのカフェ・オーレ。

 

この町田という不可思議な街に、

なくてはならない店のような気がする。

 

 

 

AIに短歌をつくらせてみた!

 

最近では、すっかりAIに頼っていて、だんだんアタマが悪くなっているのがわかる。

だって、そこそこの質問を投げれば、資料調べから企画の概要~組み立てまで、

けっこう質の高いレポートをつくってくれる。

 

最近まで、AIのことを弟子と呼んでいたが、いまでは格上げされて、

仕事仲間とか、下手すると上司のような回答を出してくるので、

立場的になんだかヤバいと感じている。

 

で、ボク的にはいま短歌にハマっていて、もう30首くらいできた。

本職のコピーライティングは、常にクライアントの要望に添った仕事なので、

永年にわたり未消化のようなモヤモヤが溜まっていたが、

それが短歌で払拭できたのである。

 

短歌をつくるのは、ときに難しくて、なのにふわっとアタマに浮かぶ。

なので短歌ってまるでことばのマジックなのである。

 

ボクたちは まばたきの間を 

走りゆく      切ないほどの ときの旅人

(↑ちなみにボクの最新作です)

 

俳句は短く厳密さが求められる。

小説は短編でさえ驚くほど疲れる。

ほどよいのが短歌だと私的には思っている。

 

で、興味本位でAIに短歌つくれる?って上からエラそーに質問してみた。

で、下記がそのやりとりなので、そのまま掲載する。

 

以下

 

ボク「短歌つくれます?例としてひとつつくってみてくれませんか?」

AI「もちろん、短歌を作れます!では、春の訪れをテーマにした一首を詠みますね。」

風そよぐ 桜の枝に 手を伸ばし
君の笑顔を 花に重ねる

春風に揺れる桜と、大切な人の笑顔を重ねた一首です。
どんなテーマの短歌が欲しいですか?

※うん、まあまあですよね? 頼んでもいないのに歌の説明までする訳です。
ついでに「どんなテーマの短歌が欲しいですか?」とかなりエラそー。

 

ボク 「では春をテーマにもうひとつお願いします」

AI

春雨に 霞む街路の 石畳
足音そっと 季節を刻む

春の雨が降る静かな街で、ゆっくりと歩く様子を詠みました。
春の情景にもいろいろありますが、どんな雰囲気の短歌が好みですか?

 

↑コイツ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)でしょ?

なんか人を見下しているようにも思えますよね?

以前よりアタマが良くなっているというか、腕を上げているというか、
口の利き方からしてだんだん性格は悪くなってきた気がする。

AIって、

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

という徳のある人間がもつ謙虚を知らない。

 

という訳で、こいつ(AI)はまだまだだ修業が足りない、

と思うことにしていますがね 汗

 

書アート展へでかける

 

 

懇意にさせていただいている書家の先生より、
展示会をやるので来ないか、とのお誘い。

早速、山の手線大崎駅至近のO美術館へでかけました。

 

            ↑大崎の変貌ぶりがすごい

書家展を観るのは初めてで、
気難しいものであれば行かないのですが、
先生の作風を知っているので、
他の作家さんもそうだろうと、
気楽な気分ででかけました。

 

 

過去、先生はニューヨークやパリにおいて、
書のパフォーマンスも開催。
海外のファンも多いとおききしました。

「海外の方でも書が分かるものなのでしょうか?」

「私の経験から感じたことですが、書の美しさと
その魅力は海を隔てても伝わりますね。
モノクロの色彩とでも言うのかな、
墨の濃淡で色をイメージする。
その過程にアートとしての書の面白さがあるようです」

「海外の方は、漢字、ひらがなをどのように捉えているのでしょうか?」

「もちろんその文字には意味があるので、
それを知り考えることもひとつですが、
文字の造形にどうも皆さん惹かれるらしいのです」

「かたちですか?」

「そうですね」

「日本は引き算の文化とよく言われますが?」

「ええ、それは書に於いても同様でして、
白場を最大限に生かした抑制された文字の配置に、
皆さん興味をもたれますね」

 

 

そして、
「書は歴史や伝統に則っているだけでは廃れてしまう、
そこに新たな息吹を…」

との考えから先生は頑張っていらっしゃる。

造形美としての書。

そして墨以外の色を使っての挑戦、
掛け軸という固定されたものを外して額装に変化をもたせる等々、
新たな書の挑戦は続きます。

 

帰路、ボクは細筆で短歌に挑戦してみようと思い立ちました。
そうですね、墨に変更はありませんが、少し色の付いた和紙に
書いてみたいと思いました。

なんだか、狭い箱庭から飛び出せた、

そんな気にさせてもらいました。

 

短歌、はじめました。

 

せんじつ、「短歌、はじめました。」という文章を書いていたら、
突然PCの画面に英文の警告のようなメッセージが点滅して現れ、
「ん?なんだ」とながめていると次に画面が真っ暗になって、
再起動をはじめてしまった。

ボクの書いたテキストは保存していないので、文章はそれっきり
どこかへ消えてしまった。

1000字以上は書いたと思う。
なんで短歌をはじめたのか、短歌のお師匠さんは誰なのか、
コピーライティングと何がどう違うのかとか、
けっこう書いたのに、すべてはマジックのように消えた。

で、出張に行ったりあれこれと用をこなしたりしているうちに、
何を書いたのか、ほぼ忘れてしまった。

けっこう腹立たしい。

けれど、よくよくかんがえてみると、思いつきから書き始めたものだし、
こんなものなのかも知れないと思うようになった。

PCはそれから何ごともなかったかのようにしれっと稼働している。

しかし、だいじな仕事で締め切りが迫っていたりして、
同じような事態が生じたら、
おそらくこんな悠長なこととは思わない。

PCをぶっ壊すとかね…

で、短歌なんですが、
まず5、7、5、7、7の字づらを意識すると、
なかなか字数が合わない。
全31字に気持ちとか想いを総て入れ込もうとすると、
なにを言おうとしているのかが分からなくなる。

自信もへったくりもないのだけれど、
初心者なので自己の評価さえままならない。

けれど、発表しちゃうんだよね!
せっっかく苦労した第一作なので!

 

この風の におい

あの日の 君がいた

ボクらはいつか

遠い人となり

 

 

もう一首

 

 

凍る朝

黒いハエがぶ んと飛んだ

君も命だ

南へ向かえ

 

 

お粗末さまでした!