夏のうた

いくつもの夏が過ぎて。

 

若かったボクは年をとって、
思い出だけが積もり積もって心身がおもくなり、
だけどキミはしわの美しいおばあちゃんになり、
そして今年もあいかわらずに、
なんら変わることなく暑い夏がきた。

夏の早朝はそのすべてがうつくしい。
そう思うようになった。

(そういえば母は夏の似合う女性だった。
夏の早朝から丈の高い竿いっぱいに、
白い洗濯物を吊るしていた)

暑い夏でも、
朝は熱いコーヒーなんだ。

(アイスコーヒーなんて…)

なんだかきょうもやれそうな気がしてくる。

早朝は昨夕のメモから。

それを見返し、調べものをしたりする。

そうしているうちに窓の外の明るさに気づく。

「きょうも暑くなりそうね」

「そうなる前に歩きたいけれど、きょうも間に合いそうもない」

パソコンを閉じると、だいたい陽はもう高くなっていて
外は気温30℃に届きそうなようす。

いつも早朝に歩く算段を考えるけれど、
やることは相変わらずで、
まいど同じ後悔をくり返している。

夏はなんといっても
朝がうつくしいのに…

 

 

 

いくつもの夏が過ぎて。(その2)

 

今朝はとくべつに早起きをして、
さっさと戸外へとでかけた。

木々の間を抜けるとき
夜明けを告げる鳥が「生きている印なんだ」と

いっせいに鳴いている。

それはやがてオーケストラの森となった。

田園地帯に出てそこからながめる山なみは、
まだ黒い影を落としていて、
山体をまとわりつくように、
淡くて蒼い気流が流れている。

足元では、
朝つゆをころがす小さなむらさきの花がほうぼうに開いて、
それが途方もなくうつくしい。

夏の陽射しは早朝から
万物をめざめさせるに足る、
それはあふれるほどに、
生命の息吹に満ちている。

ボクは遠い青春のときを想った。

 

新しい会社の方針はこれだ!

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことは考えていない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

 

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも当然却下。

 

現在最も有力なのが、バニラファッジという社名である。

 

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子。

甘い食いものである。

 

さて、これらの候補は、

すでに気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

 

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」もそうとう良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめることにした。

 

コンセプトなどという難しいものはない。

思想感ゼロである。

発想の根拠が乏しいわりに、アナログ感だけが満載なのだ。

 

で、この新しい会社というか新組織がなぜ必要か、

なのだが、凄い稼いでやろうとか、そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば

その後も前も引き受けます、というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える企業などがあるので、

そこを切り離したいと思った。

(こちらにも意地がある訳)

 

で、ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、多彩な案件を受け入れたい。

 

私たちの仕事は、クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

いつもなんとかしてあげようと、夢中で頑張る訳です。

 

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、広範にわたるからひとことでは

言えないけれど、嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項なのである。

 

イェスマンにはならないぞという決意でもある。

 

さらには、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠なのである。

 

で、好きなことしかやらないとは、

なんと生意気なと言われそうだし、

第一そんな方針で仕事が成り立つのか?

という不安や疑問等が残るのも事実。

 

がしかし、そこは試しである。

実験である。

 

コピーライターという職業は、

ときとして空しくなることがある。

 

全く共感できない企画やプロモーションの依頼。

また、ひとつ間違えばこれは詐欺ではないのか?

と思うようなセールスを頼んでくる企業もある。

 

このような依頼事に、

すがすがしく「ノー」を突きつけることの、

なんと難しかったことか。

 

その反動のようなものが、最近噴出してきたのかなぁ…

 

とにかく、好きなことだけやって生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

(自分の正しいが世間の正しいとは必ずしも一致しないし)

 

が、勘として勝算はある。

 

時代は刻々と変わりつつある。

 

風はかわったと信じている。

 

そして少しでも仕事が動けば、

 

生きる自信に繋がるような気がする。

 

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

東京さんぽ

 

久しぶりに東京へでかけた。

人に会うためとの大義名分のもと、

結局は息抜きの時間が欲しかった。

 

普段は神奈川の山間部で暮らしているので、

街の空気がたまに恋しくなる。

 

久しぶりに新宿駅で降りる。

なかなかの雑踏ぶり。

誰もあくせく急いでいる。

これぞ都会だ。

 

青山一丁目駅へは大江戸線が最短とわかり、

乗り場を探してウロウロするも、

気がつくと新宿3丁目あたりに来てしまった。

表示板に従って歩いたのになぁ。

 

で、大江戸線をあきらめる。

至近に千代田線の乗り口を発見。

そこから乗り換えて

青山へと向かうことにする。

 

それにしても大江戸線だ。

ネットで調べると

新宿駅から大江戸線に乗り換えるのは、

かなり難しい、

分からないとの書き込みが多い。

 

いつも思うのだが、

この国の鉄道をはじめ道路の標識サインなど、

とても不親切かつ分かりづらい。

そのくせ余計なサインが氾濫し、猥雑。

大切なサインを見逃してしまう原因になっている。

 

文句はこのくらいでやめにする。

 

久しぶりの青山・ツインタワービル。

地下のラーメン屋で、

野菜たっぷりの塩ラーメンを食す。

 

ここのラーメン屋は

かれこれ30年以上営業している。

ボクが友人3人と初めて会社を興したのが、

この青山一丁目なので、

ここはかなりお世話になった店だ。

 

そのオフィスは、赤坂郵便局の裏手にあった。

ラーメン屋を出て、そのビルへ足を運ぶ。

が、既に新しいビルに建て替えられていた。

 

当時を思い起こしても、

そのときからかなり古びていた。

夜はねずみの巣のようなビルだったので、

もうないだろうな、とは思っていたが。

 

付近を見渡すと全く見知らぬ街の風景が

広がっていた。

 

アジア会館で人と待ち合わせていたので、

そこで打ち合わせを2時間で済ませ、

早々に六本木方面へと歩く。

 

元防衛庁があったあたりは、

東京ミッドタウンとして、

なかなかハイカラな街に変貌している。

 

テナントをのぞきながら歩くも、

なんだかこちらに全く縁の無いブランドものの店が

ズラッと並んでいる。

 

↓イルミネーションもしゃれている東京ミッドタウン

↑東京ミッドタウンのビルはデカい

 

居心地がすこぶる悪いので、

六本木交差点を右折し、

霞町方面へとぷらぷらする。

 

すでに陽は落ち、

街は仕事帰りのひとひとひとで、

ごった返している。

 

外人率が異常に高いことに気づく。

歩道を疾走する自転車通勤の人も、

相当数いる。

皆、かなりおしゃれにみえる。

 

ムカシはこのあたりものんきで、

安い焼き鳥屋なども数件あったが、

いまはそんな商売は成り立たないのか、

とにかく単価の高そうな高級店ばかりが目立つ。

 

走るクルマは、ベンツ、BMW、アウディが、

なんのプレミアム感も感じないほど

普通に走っている。

我が家のまわりを走っている軽自動車率は、

ほぼ皆無。

 

なんか変だぞ、東京。

 

↓乃木坂あたりから見える六本木ヒルズ

 

翌日は朝から根津美術館へ足を運ぶ。

開催中の企画展に興味はないので、

かなり長い間、館のまわりをうろつく。

 

以前から、この美術館の建物に興味があったので、

やっと現物を見ることができた訳だ

 

↓根津美術館の軒下はなかなかの風情

 

 

↑都会にあってなかなかいい雰囲気

 

ここの外観を嫌というほど見分して

ふたたび表参道へ戻り、

待ち合わせた友人と昼飯を食う。

どこも人出が多くて、

そろそろうんざりする。

 

友人はこのあたりを根城にしている

アパレル系のバイヤーなので、

一年中このあたりに生息している。

 

ボクがこの街の感想を述べると、

ふふっと笑うだけだった。

 

ボクもかつてこの街で3年働いていたが、

そのころはとても良い街だった。

コーヒーは伝説の店「大坊」があったし、

四つ角の交差点近くには、

サンマ定食を500円で食わせてくれる、

おばあさんの経営する定食屋があったし、

夜食は「青山ラーメン」があったしなぁ。

 

同潤会アパートは表参道ヒルズとなり、

道路沿いはハイブランド店がズラリと並ぶ。

 

神南に用があったのでそのまま原宿まで歩くも、

やはり異常ともいうべき人の波に、

いい加減いらいらしてきた。

 

↑いちばん派手なプロモーションはやはりルイ・ヴィトンだった

 

山の手線の陸橋を越えて

明治神宮までくると、

ようやく静けさが戻る。

 

いやぁ、疲れる東京さんぽである。

 

神南の知り合いの店で、

特製の緑茶をいただいて、

しばらく歓談。

どうやらやっと肩の荷が降りたように

思えてきた。

 

疲労こんぱい。

 

そろそろ山へ帰ろう。

それが性に合っていると、

改めて自覚した。

 

↓マリオカートのようなゴーカートが公道を走っている。みな外人。あやしい。

 

↓裕福な知り合いのポルシェ。かっこいいよなぁ

カリブの休日

ハードワークをこなし、

予定どおりに休暇をとった。

行き先は、もちろんカリブ。

これで3度目だ。

 

タラップを降り、

例のビーチまでタクシーを飛ばす。

 

車窓からの景色がみるみる青に染まるころ、

クルマを止める。

 

「お客さん、お釣りですよ」

「とっといてくれ。奥さんか子供に

チョコレートでも買ってあげなよ」

 

浜辺に腰を下ろすと、

目の前にさまざまなブルーの彩りが

私を出迎えてくれる。

 

バーでチョイスした冷えたカリブーンで喉を潤す。

 

ホワイトラムの香りが夏の風景を揺らす。

フルーツの味わいが深い安堵感に誘う。

 

程よい炭酸の刺激。

透明な氷が解けてゆくゆらぎ。

 

都会を忘れさせるには格好の幻覚だと思った。

 

強すぎる光線が、かえって心地よい。

 

椰子を吹き抜ける風の音がカラダを通り過ぎてゆく。

 

ゆったりと過ぎる午後。

寄せては返す浜辺は眠りさえ呼び寄せる。

 

これは、日頃の疲れを癒やす、

自分へのごほうびなのだ。

 

心身から街の気配が消え、

全身がまるごと自然のなかに溶けてゆく。

 

ボクは思った。

 

人はこんなにもおおらかになれるものなのか…

 

ちょっと酔ったかな?

私は冷えたカリブーンを、

再び口にはこぶ。

 

という、割と長い白昼夢を見たのだが、

ボクがこの風景とか感覚をどこで仕入れたのか、

全く分からない。

 

ボケたとか、イカレたとか、

そういうことではないと思うけれど 汗

 

コピーとかことばの不思議ばなし

広告の仕事をしていてよく思うこと。

それは、コピー軽視です。

特に、キャッチコピーを軽んじている人の

なんと多いことか。

 

対して、デザインは比較的分かり易いので、

みなさん、アレコレと口をはさみますし、

こだわっているようにも思えます。

デザインは、誰もが大筋は判断できるのでしょうね。

格好いいとか、都会的とか…

 

がしかし、デザインに於いても、

それがコンセプトに沿ったものかどうか、

本来、そこを考えなくてはいけない。

そんな観点で今一度デザインをみると、

なかなか難しいものです。

 

で、これがコピーとなると、

かなり粗末な扱いとなる訳です。

検討以前となってしまうことも、多々あります。

適当に誰かが書いて、それがそのまま最後まで残り、

掲載されてしまうことも少なくありません。

 

ボディコピーは、作文の添削と同じように考えるひとが多い。

よってそのコピーがその場に相応しいかどうかではなく、

一応、みな校正のようなチェックはしますが、

この場合も日本語として正しいかどうかのみで終わってしまう。

 

制作する側でも、一部でこのコピー軽視の傾向が、

増えているように思います。

 

よって、フツーの人はなおさらでしょう。

しょうがないといえばそんな気もします。

 

では、なぜ人はキャッチコピーを軽視するのか?

そう、答えは簡単。

分からないからです。

割とみな分からない。

で、私たちコピーライターの出番なのですが、

そもそもキャッチコピーの力を信じない人に

その重要性を説いても無駄でして…

 

私も無理強いはしないようにしています。

 

コピーが元々広告の添え物であり、

そこになにか書いてあれば良し、

要はどうでもいいもの…

そう思っている人は多いのではないか?

その理由は、前述したように分からないから。

 

が、これは甚だしい間違いです。

 

本来、人はことばで動いています。

たとえば、自らの日頃のコミュニケーションを

振り返っても、

ことばひとつで勇気づけられたり、

傷ついたりした経験はないでしょうか?

 

ものの言い方、ことば使いって、

実は難しい。

とてもデリケートなんですね。

 

或るひとことで愛しあう。

或るひとことで涙を流す。

或るひとことで怒る。

 

かように、人の心もことばで動くのです。

ことばって、わりとパワーがあります。

 

おおげさですが、

そのあたりを突き詰めたのが経典とか、

呪文なのかも知れませんよ。

 

人が本気で口にしたものには不思議な力が備わる。

また、そうしたことばが、ひとり歩きをしたりもする。

これを、人は言霊と呼ぶ…

 

コピーはいきものです。

活きもの!!

本気のことばには、魂が宿ります。

よって、コピーは添え物ではありません。

本気で考えたコピーには、不思議なパワーがあるのです。

 

このことを広告に携わる方だけでなく、

毎日を暮らす皆さんに知っていただきたい。

但し、考えすぎると、

不思議な世界に迷い込んでしまいますがね!

 

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

青春レーベル「男の世界」

 

高校の頃に流行った歌といえば、

まず思い出すのが「男の世界」。

男性化粧品のCMから火がついた。

商品ブランドは「マンダム」。

歌うのはジェリー・ウォレス。

 

このヒットで丹頂株式会社は

社名をマンダムに変更した。

それくらいヒットした。

だって、みんなマンダム使ってましたからね。

一方、ジェリー・ウォレスは、

その後のヒットはなかったと思う。

一発屋だった。

 

マンダムも歌も売れに売れた。

その要因だが、これはひとえに

CMに出ていたチャールズ・ブロンソンが、

カッコ良すぎたから。

そう言い切れる。

イマドキはいない渋い役者。

男臭さが全身から漂っていた。

二枚目のアラン・ドロンとは

全く違う方向性をみせてくれた。

 

ちなみに私たちの時代はというのは

男らしさに重きが置かれていた。

喧嘩して殴られても「泣くな!」なんです。

男は黙って…の時代だった。

 

よって高校時代は私もまわりも

ほぼみんななんだか殺気立っていたっけ。

それが青春というものだったのかどうか、

いまでもよく分からないけれどね。

思い出せば、

町田の商店街でよく他校の奴ともめた。

横浜駅近くでもよく殴られた。

殴り返したら、向こうに

刃物を出されたこともある。

理由は些細で実にくだらない。

イマドキはダサいとなる。

 

まあそんな時代だったが

街にはかわいい子もいっぱいいたし

海もディスコも楽しかったし、

なかなかいい時代だった。

 

そういえば、女の子は女の子で、

まだ女性らしさというものが求められていた。

このらしさというのがなかなか難しい。

いまだによく理解できていないけれど、

それはこちらの鈍さか…

 

とにかく「らしさ」が求められる時代でした。

そんな時代です。

それに合わせるように、

あの渋いオトコの中のオトコ、チャールズ・ブロンソンが

「男の世界」の音楽に合わせて登場、

顎に手をあてて、「うーん、マンダム」と言う訳だ。

コレ、売れない訳がない。

 

イマと違ってヒットの方程式は、

意外と簡単につくれた。

 

でですね、この「男の世界」という歌とか、

チャールズ・ブロンソンという役者とかだが、

イマドキだと全く世間に相手にされない訳です。

干されてもおかしくないベクトルをもっている。

イマは誰もそんなものは求めていない。

というか、差別とかいう単語がちらつきます。

 

そんな世の中になりました、ハイ!

 

 

夏の夕ぐれ

 

 

 

夏の夕ぐれ

今日の終わり

 

光る雲

遠い空

 

窓辺の椅子に身体を委ねたら

ハニー&ケーキで昼のほてりをしずめましょう

 

窓辺の花が物憂い

けだるい

 

過ぎてゆく時間

陰影のドラマ

 

だから夏の夕ぐれは

誰だって遠いくにの夢をみる

 

 

ハズキルーペって何がすごいのか?

 

ハズキルーペが人気だ。

勢いが止まらない。

それはコマーシャルの出稿数からも判断できるし、

豪華なキャスティングからも分かることだ。

売り上げは急激な右肩上がり、だろう。

 

火が付いたのは、渡辺謙と菊川怜のコマーシャルあたりからか。

菊川がきゃっと言ってハズキルーペをお尻で踏んづけるも、

メイドインジャパンの堅牢なハズキルーペである。

何ともない。

丈夫にできている。

で、菊川のヒップが評判になった。

堅牢なルーペに、さらに色気を付けた訳。

 

かくしてコマーシャルは成功。

最近ではバージョンアップ版に変わった。

 

銀座にでもありそうなクラブに小泉孝太郎が入店する。

おしぼりを顔に当て、

パソコンで相当目が疲れている、という設定。

すかさず、ママ役の武井咲が、

ハズキルーペがいいわよ、とがち押し。

「字が小さくて読めない」と言っておしぼりを投げ、

謙さんの真似をする小泉。

そして「謙さんには内緒だよ」と、

ちょっとしたギャグを飛ばす。

常連にありがちだなぁ。

 

武井ママも新製品を見せびらかす。

と隣の席にまたまたハズキの新製品である

サングラス仕様をかけた気取ったミドルがいて、

かなりすかしているではないか。

適役、舘ひろしである。

でなんか、気が付くと、

店の女の子も全員がハズキを装着している。

 

で、ここで絶対に逃せないのが、

店の女の子が、ハズキを置いてある椅子に、

次々に座るシーン。

悩ましいヒップのクローズアップ。

このシーンを2回繰り返す念のいれようなのである。

前回から色気も数倍バージョンアップした訳。

 

おっと何のコマーシャルだったっけ?

と我にかえる。

まるで、通販の臨場感を意識したつくりなのだ。

 

制作者は、このシーンを最初に思い浮かべた。

これがやりたくてこのコマーシャルを考えたとしか、

私には思えません。

世間がうるさいイマドキ、勝負に出た感がある。

ハラスメント?

エンターテインメントに徹したので、

なんとか納まっている感はある。

 

こうなるとだ、ハズキルーペの勢いは止まらない。

物事には勢いというものがある。

そこをハズキは逃さない。

いままさに、黄金期。

観ているほうも、

「ワシもそろそろハズキルーペ買おう」と、

無意識に購買を予定しているおっさんがいっぱいいると、

私は踏んでいる。

ちなみにおばさんは、

かなりの不信を抱いているように思うがね。

 

そもそもハズキルーペって、

中高年を中心に、こまかいものを大きくして見るための

虫眼鏡じゃなかったっけ。

むしめがね…だよなぁ

そこにファッション性と堅牢と色気をふりかけると、

摩訶不思議にヒットした。

 

こうしたエグいコマーシャルって結構多い。

私も割とノってしまう性格なので、

過去にかなり不要なものを買いためている。

家中にすでに使わないものが溢れている。

冷静に考えると、

金は使うは、家はどんどん狭くなるわ、

なんで買ったんだろうと反省する訳です。

そんな事をさんざん繰り返していると、

いい加減、いろいろと気づくものです。

財布の紐も堅くなる。

 

コマーシャルとか通販って要するに、

仕掛けが透けて見えるようになってしまったら、

終焉を迎えます。

ながらく続いた消費文化の限界も見えるようです。

そして人はますます手堅くなる。

 

しかし、広告のスタイルは尚も進化するのだろう。

広告って雑草のように強いから。

 

とりあえず、罪な広告ではある。