追悼「フジコ・ヘミング」

 

ピアニストのフジコ・ヘミングさんが、
去る4月に亡くなりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

数年前にようやくコンサートチケットが手に入り、
直にお聴きできる機会を得ました。
足が悪く辛そうで、歩行器につかまっての登場でした。

が、彼女がピアノに向かうと、会場の空気が一変しました。
それは不思議な体験でした。
一瞬で別の空間に連れていかれたかのような、
疑似トリップとでもいうべきものです。

聴衆が最も期待している「ラ・カンパネラ」。

右手が奏でるそのピアノの音は、
題名にふさわしく、まさにヨーロッパの古い教会の鐘の音
そのものでした。

この音は彼女にしか出せない…
それは技術やテクニックでは届かない、
他の何かなのだろうと。

きっと彼女には神様がついているに違いない━
そんな気すらさせるのですから。

そしてピアニストになるためにこの人は生れてきたんだと
思うに至りました。

フジコヘミングはスウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれ、
幼少期からピアノに親しんで育ちました。
彼女はまた生涯をつうじて多くの困難に遭遇しましたが、
それでも音楽に対する情熱を失わずに歩んできました。

彼女はまず若くして片側の聴力を失うという
大きなハンディキャップを抱えました。

が人生の中ほどで、
人生最大のチャンスを掴むのです。
あの世界的指揮者であるバーンスタインに認められ、
将来を約束されたのです。

しかしヨーロッパデビュー本番の数日前から
彼女は原因不明の高熱におかされ、
反対の耳の聴力も失ってしまいます。
(その後60%くらい聞こえるようになるのですが)

こうして二度とない大きなチャンスを逃してしまいます。

のち彼女の不遇は長く続き、
ようやく世界に認められたのは、
60代の半ばからです。

そして怒涛のオファーが舞い込むのです。

その多忙は、90才前半のつい最近まで
途切れることがありませんでした。

彼女の演奏するものはどれも人々の心を揺さぶり、
深い感動を与えました。

彼女の奏でる音色には、
苦難を乗り越えた自身の強さと繊細さが感じられ、
聴く人々に勇気と希望を与えてくれます。

このように彼女の生涯は、
音楽を通じて人々に感動を届けるという使命を
全うしたものでした。

ボクがとりわけこの人に好感を抱き、
身近に感じるのは訳がありまして、
彼女が稀代のピアニストである以前に、
なにしろボクの伯母にそっくりだからなのです。

外見、顔の表情、そしてことばや服装のセンスまで、
ことごとくふたりは似ています。

伯母は服飾デザイナーだったので、
ボクにいろいろな服を縫ってくれました。
横浜の高島屋の特別食堂で、
よくチョコレートパフェをごちそうしてくれました。

その伯母のやさしさが彼女に重なってしまうのです。

伯母もまたフジコ・ヘミングと同様、生涯独身でした。

そして彼女(フジコ・ヘミング)がタバコを吸う姿はまた、
まったく嫌味がないばかりか、カッコよささえ漂うのです。
時代の風を超越した彼女自身の強い生き方を、
その姿で示しているような気がするのです。
(伯母はタバコを吸いませんでしたが)

「私だってよく間違えるわよ。だって機械じゃないんだから」
彼女がよく口走るせりふです。

演奏のできばえの良かった後のインタビューで、
彼女はこうこたえていました。

「神様も今日の私の演奏をきっとほめてくれているわよ」

━神に愛されたピアニスト━

フジコ・ヘミングは、これからも多くの人々の心に
響き続けることでしょう。
そして彼女の残した音楽の遺産は、
ボクたちの心に生き続ける━

そう思いませんか?

 

 

 

元旦に地震とは!!

 

人類に忖度なし。

新年早々の大きな地震が起きてしまった。

自然は容赦ないなぁと改めて思う。

 

被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

太平洋側は常に地震の警戒が言われていたけれど、

能登半島なのかと、虚を突かれた感じだ。

テレビを観ていて3.11を思い出す。

 

とても嫌な記憶が蘇ってきたので、

いい加減にテレビを消す。

 

ハードディスクにためておいた映画に切り替える。

 

「ネバーエンディングストーリー」。

もう2回観ているけれど、

なぜかこの映画には惹かれてしまう。

要約するとこんな映画だ。

 

本の好きないじめられっ子が、古本屋から拝借した本を

読みふけっているうちに、

ストーリーのなかに入り込んでしまい、

もうひとりの勇者と言われる少年とともに、

旅を続け、ようやく世界を救う…

(映画は夢と現実が同時に進行する)

簡単に書くと、そんなストーリーなのだ。

 

いにしえから男の子は困難な旅に出なくてはならない。

そうして誰かを救うことで一人前になり、

やがておとなになる。

 

こうした話は世界中で散見される。

いわば物語の定番であり王道だ。

が、この映画の設定がなかなか良いのだ。

 

この映画で、少年が戦う相手は「虚無」だ。

そう虚無なのだ。

 

映像はわりと幼稚なのだけれど、

虚無というものを敵に設定するところが秀逸。

 

人は夢や希望を失うと心がむなしくなり、

やがて虚無がその人を支配するようになる。

(これは現実に起こることでもある)

それが世界に広がると、やがて世界は崩壊する。

(そうなのかもしれない)

 

夢のない世界、失われた希望…

ふたりの少年の旅は、ある意味で、

人の心に灯りをともす旅であり、

いろいろな困難に打ち勝つことで、

ようやく世界は復活する…

 

一見単純だれど、テーマには、

人間にとって不変の尊い精神性が込められている。

 

現実は、

ロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争、

オイル危機、世界で起こっている災害の数々、

そしてパンデミックから、

いつ起きてもおかしくない金融システムの崩壊などなど、

ボクたちを取り巻く世界だって、

いつ「虚無」が広がるかわからない様相なのだ。

 

容赦ない。

 

という訳で、正月早々なのだけれど、

あまり明るいことは書けなかった。

 

今年はある意味で、

世界も日本も天王山の年になるのではないのか、とも思う。

(アメリカの大統領選も今年である)

 

やはり、気の引き締まる正月である。

 

 

片岡義男の「タイトル」はキャッチコピーになる!

作家・片岡義男の本は以前、何冊か読んだ。

映画化された作品も多く、
そのうちの何本かは観た記憶がある。

作品はどれも視覚的、映像的であり、
都会的なタッチのものが多い。

いずれアメリカ西海岸を思わせる舞台装置に加え、
個性的な文体と独特なセリフで、
片岡義男の独自の世界がつくられている。

彼の作品は、とにかくバタ臭い。
これは褒め言葉として。

それまでの日本の小説にはなかった、
カラッとした空気感が特徴的だ。

この作家は、英語に堪能で思考的にも
英語圏でのものの考え方もマスターしている。

彼はまた、時間の切り取りに長け、
ほんの数秒の出来事でも、
ひとつのストーリーとして成立させることのできる、
センスの持ち主である。

写真のプロでもある彼は、
つかの間の時間を、
まるで連続シャッターでも切るように、
物語をつくりあげる。

さらに驚くべきは、彼の作品のタイトルだ。

例をあげよう。

 

「スローなブギにしてくれ」

「人生は野菜スープ」

「彼のオートバイ、彼女の島」

「ホビーに首ったけ」

「マーマレードの朝」

「味噌汁は朝のブルース」

「幸せは白いTシャツ」

「小説のようなひと」

 

いくつか挙げただけでも、センスの良さが光る。

このタイトルに込められた物語性、意味深さ、
そしてそのかっこよさに、
ボクは学ぶべき点がおおいにあると思った。

そしてコピーライティングに欠かせない何かを、
片岡義男はこのタイトルで提示してくれている。

それはいまは使えない武器なのだが、
またいつか使うときが必ずくるので、
必須で習得すべきとも思っている。

いまはテレビを付けてもネットをみても、
「限定販売!いま買うと驚きの○○円でお手元に!」
とか
「売り切れ続出!いまから30分なら買えます!お早く!!」
など、いずれも全く味気なく、
人の裏をかくような煽り広告が溢れている。
でなければ、とうとうと説得を試みようとする、
長い記事のLP広告を読まされるハメに。
(ボクらはランディングと呼んでいるが)

これは、いまのクリエイターが、
人の情緒に近づける術をしらないので、
ただのテクニックだけで売ろうとする広告が
目立っているからだけなのか?

それとも、世知辛い世相の反映としてなのか?

とにかく余裕のない日本の経済の合わせ鏡のように、
即物的な広告類は果てしなくつくられている。

たとえば片岡義男的世界を、
いまなんとか広告としてつくりあげられたとしても、
きっとどの広告主も「OK」を出さないだろう。
そして広告主たちはきっとこう言う。

「自己満足もほどほどにしてください」と。

とにかく世の中のスピードは加速している。
結果は即座に数字に出なくてはならない。

よって「この企画は長い目でみてください」
とか、
「この広告はボディブローのように徐々に効いてきます」
などのプレゼンには誰も興味を示さない。

分かるハズもない。

これは皮肉でなく、実感として感じる。

よってボクらの仕事はどんどんつまらなくなっている。

ホントはね、
たまに暇な時間に開く片岡義男の本にこそ、
ボクらの仕事に必要な、
コアな世界が広がっているのだけれど…

かつては誰もがもっていたゆとりと、
文化のかおり高いこの日本である。

いつかまたそんなときがくる…

少なくともボクはそう信じているのだが。

 

 

●片岡義男のプロフィール (以下、ウィキペディアより転載)

1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。
また、植草甚一らと共に草創期の『宝島』編集長としても活躍する。
1974年、野性時代5月号(創刊号[12])に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。
翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。
1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、
オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に1~2ヶ月に1冊のハイペースで新刊小説を量産。
またFM東京の深夜放送番組「FM25時 きまぐれ飛行船〜野性時代〜」のパーソナリティを務めた他、
パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCMのナレーションを担当するなど、
当時の若者の絶大な支持を集めた。
代表作である『スローなブギにしてくれ』(東映と共同製作)、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』、『ボビーに首ったけ』は角川映画で、
また『湾岸道路』は東映で映画化されている。
近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、
写真家としても活躍している。

 

「君たちはどう生きるか」を観て思ったこと

 

きっと宮崎駿監督の最後の作品だろうと思い、

映画館へでかけた。

平日の夜にもかかわらず、席はそこそこ埋まっている。

関心の高さがうかがえる。

 

感想は、ひとことで言うと良かった。

月並みだけれども。

 

今回、この映画の宣伝はなかった。

噂はいまや瞬時に拡散する。

ジブリの新作、宮崎駿監督作品とあれば、

これだけで十分でしょ?

しっかり集客できている。

但し、ネームバリューとかブランド力がないと、

全く使えない方法。

当たり前だけれどもね。

 

さて、この映画を紹介しよう。

あらすじを話してもしょうがないと思う。

途中からは、ほぼ伝わらないだろうなと、

という自信がある。

 

では、内容を小分けにし、

それを系統立てて伝えようとも思ったが、

それにはまず時系列のメモをつくり、

それらを幾つかのカテゴリーにまとめ、

それを再び組み立てて…

なんて、ボクにそんな技などない。

 

ということでとりあえずは、

出だしと登場人物についての紹介。

 

主人公は眞人という少年。

火事で母親を亡くしている。

戦時中ということもあり、

父親と町を離れて地方に疎開する。

が、そこは父親の再婚相手の家。

さらに、引っ越した家がとても古くて

バカでかいお屋敷で威厳があって、

なんだか怖い。

 

眞人は、

当然のことながらこの義母を好んではいない。

転校先の学校ではいじめられる。

眞人にとっては最悪な状況だ。

そして、もちろん孤独である。

 

彼はあるとき、

屋敷のまわりをうろつく青サギが気になる。

青サギが彼にちょっかいを出すからだ。

眞人は青サギに敵意のようなものを抱く。

その妙なひきよせが、彼を行動にかきたてる。

そして屋敷の裏には、

誰も近寄らない朽ちた塔が建っている。

ここから話はいっきに加速することとなるのだが…

 

この映画のなかで、

映画と同名のタイトルの本が登場する。

「君たちはどう生きるか」(吉田源三郎)だ。

 

意味深かつ難しい問いを投げかける本である。

ストーリーはおのおの違うのだけれど、

その問いかけは同じだと思う。

 

どう生きるか?

これはおとなになっても、

かなり難しい問題ではある。

ちなみにボクは、

未だにこのこたえを知らないのかも知れない。

いい年をして。

 

けれど、学生の頃は一応、

悔いのない人生を送ろうなどと、

決意した覚えがある。

結果、サラリーマンは続かず、

既定路線をドロップアウト。

自分の希望する職に就いたのはいいが、

独立して仕事を興せば、

おおよそ理想とはかけ離れた生活が待っていた…

 

そんな訳で、

どう生きるかと問われれば、

そのこたえは、

―死んでみなくては分からない―

である。

 

だけど人は或る時期、

この難問にぶち当たるらしいのだ。

思うに、きっと遺伝子レベルで組み込まれているのが、

君たちはどう生きるか?

なのだろう。

 

でこの映画は、

いにしえよりのいい伝えや、

人の生き死にに対する厳格さ、

罪悪感や愛、

そして世界のなりたちなど、

結構考えさせられる話が、

ちりばめられている。

 

良くも悪くも宗教的でさえある。

 

例えばこの映画は青サギだけでなく

ペリカンもインコもさかんに登場する。

そしてしゃべる。

擬人化されている。

 

鳥は、あの世とこの世を繋ぐといわれるいきもの、

といわれる。

 

また、死者が渡るといわれる三途の川らしきものを

眞人が眺めているシーンがある。

その川の遠方を無音で通り過ぎる帆船。

帆船には無数の死者が乗っている。

 

そして映画「十戒」のように、

海が割れるシーンもあるし。

 

ストーリーは絶えず現世と来世が交差し、

入り交じり、同居しながら進行してゆく。

そんな時間軸の違う、

異世界、異次元の人物たちが、

なんの違和感もなく次々に登場する。

 

とりわけ日本的であると思うのは、

江戸時代の上田秋成の作品などにもみられるように、

死者がまるで生きているかのように、

自然に描かれていることだ。

 

私事だけど、

他界したボクのおふくろはときどき、

40才くらいのはつらつとした姿で、

夢のなかにあらわれることがある。

(これはあまり関係ないか)

 

ストーリーの続きだけれど、

主人公の眞人は青サギに導かれるようにして、

こんな時間軸と次元の違う、

まるで夢と現実の入り交じった世界を、

めくるめく旅することとなる。

 

さて、人には誰でも歴史というものがある。

さかのぼれば、それは過去へと延々と続いている。

その繋がった世界にはもはや生と死の境はなく、

すべてが同時に同居しているのか?

 

そして主人公の眞人は、

このめくるめくような旅を通して、

なにかを知り、

何を学び得たのか?

 

それは人にとって一番だいじな事なのだろうと、

つくり手はそれをなんとか伝えようとして、

この映画を制作したのだろうと、

ボクは思うのだが…

 

さて異次元、異世界、いにしえ、

無意識の意識とうとう、

こういうものを一切うけ付けない人は、

この映画を観ないほうが良いのかな、

とも思った。

だって訳が分からなくなるし、

それだけで時間とお金の無駄になるし…

 

がしかし、「不思議の国のアリス」でも

鑑賞するように、好奇心満載で

観たらどうかとも思う訳だ。

 

「君たちはどう生きるか」という

冒険ストーリーだと思えば、

文句なく楽しめる。

 

そしていつか何かのきっかけで、

この映画を思い出すかも知れない。

そうしたらこんどは君の番。

 

君の新しい冒険が待っているハズ。

それがこの映画のめざすところではないか?

 

 

 

残暑お見舞い申し上げます(~_~;)

 

まだまだ暑い日が続きそうですが

お盆も過ぎましたし「残暑です」などと言うと

ちょっと先がみえてきてほっとしませんか?

 

今年は気温が高すぎる。

ボクの小さい頃は最高気温30℃でしたけどね。

 

台風の進路もなんだか変です。

うろうろしたり引き返したりと

過去にはあり得ないような動きです。

 

政治も、どうも希望がもてません。

政治家でなく政治屋が日本を動かしている。

政治屋と呼ばれる人たちは

そもそも日本を愛していませんからね。

 

そんなことはさておき、

そろそろボク的には海へでかける時期がきました。

泳ぐでもなく船に乗る訳でもない。

ただ砂浜で、寄せては返す波を眺める。

 

晩夏の夕暮れの波打ち際には

不思議な哀愁が漂っていますよ。

 

では!

 

 

↓近くの公園にて撮影