明日は晴れるかな?

 

 

考え過ぎか分からないが、最近、変な天気が続いている。

気温も異常に高い日が続いた。

また、天気予報で晴れと言っても土砂降りだったり、
またその逆もあったりで、
まぁ予報自体が当たらない。

ボクもこの夏、台風とか線状降水帯とかの予報で、
信州行きを1度キャンセルしたが、
結局のところ、現地は通り雨が降っただけだったらしい。

翻って、能登の雨はホントに酷い。
家もクルマも流され、どうしたらいいんだろうって、
他人事ながら考え込んでしまう。

まだ復興半ばだというのに…

 

とにかく、最近の天気は異常だ。

 

 

YouTubeで知ったが、土の時代から風の時代へ変わったとか、
地球の地軸がズレ始めたとか、けっこうみんな妙なことを言っている。

ボクは個人的にだけど、最近の月や太陽が
以前より明るいのではないかと感じている 汗

こんな言い方をするとコイツ変じゃないかと言われそうだけど、
むかし行ったことのある赤道直下の島々で浴びた陽射しと、
最近の日本の陽射しが、ほぼ同じ感じなんだよね!

うーんこの感覚、伝わるかな?

湘南の真夏とも違う、与論島の強い太陽光線とも違う、
南太平洋でしか感じられないあの刺激なんです。

白い太陽光線とでも言おうか…

で、山の別荘も例年になく売れているそうで、
いつもなら敬遠される標高が高すぎる物件もどんどん売れ、
超品薄状態との情報。

このままだと関東地方の夏も熱帯化しそう。
だけでなく、列島の平地がすべて高温化するのだろうか?

という訳で、いまボクが目をつけているのが、
八ヶ岳南麓の標高1000~1300メートルあたりの物件か、
佐久平あたりの山の中の古い小屋。

その話を、先日友人に熱く語ったら、
「その年でお前は少しイカれている」と言われてしまった。(年不相応)

むかしからまわりとズレているのを、自分でも感じてはいた。 笑

よって、その友人のことばに別に驚きもしなったが…

 

友人のライブへでかける

 

友人と言ってもボクよりずっと年下で、

まだまだ若い。

彼は、ブランド服の販売のプロなのだが、

なんだか性格が自由過ぎて、いままでに3度くらいかな、

職場をクビになっている。

 

忙しい職場が嫌いで、いつも妄想に耽り、

詩をつくったり絵を描いたり、

ギターの練習をしたりしている、らしい。

 

ライブハウスは小田急線の百合ヶ丘駅近く。

古いビルの地下だった。

ボクは閉所恐怖症なので、3時間近くいたけれど、

正直、少し息苦しかったような気がする。

 

この日、彼の歌とギターをはじめて聴いた。

詩が繊細でいい。

メロディーもギターテクニックもなかなか。

うぬぼれるからあまり言いたくはないけれど、

ちょっとボブ・ディランを思い出してしまった。

 

歌う格好も、1960年代に流行ったような、

ヒッピースタイル。

なんか笑ってしまった。

 

が、歌もファッションも

彼の手にかかると決して古くない。

感覚は鋭く、むしろ最先端なのではないか。

 

こんなひとときを体験すると、

こちらも不思議な感覚を得られる。

 

最近、レコーディグも済ませ、

オンラインで有料配信をすると聞いた。

 

最初、彼の絵を見せられ、

惚れ込んで個展をひらいた。

なかなか好評だった。

 

作品のタッチは、

やはりアメリカの60年代のにおいがぷんぷんしていて、

パワフルかつショッキングカラーで仕上がっている。

 

彼と待ち合わせると、必ず遅刻する。

何度目かに、遅れてきた彼に説教をしたら、

緊張すればするほど遅れてしまうという、

意味がよく分からない言い訳を涙目でしていたので、

ボクはあぁと理解した。

 

ボクも幼い頃は多動性っぽかったし

閉所恐怖症だし、

まあ人はいろいろなのだと

いつも思っている。

 

とにかくアートって楽しい。

くだらないこころの壁を

なんなく乗り越えてくれるからね!

 

↓彼の作品

 

 

それでも地球はまわっている

 

夜中にiPhoneから突然の警報音。

警戒レベル4ということで起こされる。

危機迫るのか?

 

外から激しい雨音が聞こえる。

そういえば夕べは停電にもなったなぁ…

 

ウチは神奈川県厚木市。

高台の住宅地なので河川の氾濫は関係ないが、

スマホの地図をみると、

近くに土砂崩れの警戒区域がある。

 

で再度我が家の立地と地形などを思い起こし、

大丈夫だろうと結論づけ、再び寝る。

 

警報音は朝方まで3回鳴った。

 

ウチの奥さんはぜんぜん眠れなかったと、

翌日2度寝をしていた。

 

夜が明けても土砂降りは続き、

今度は厚木市からの警報音。

 

いずれ先日の緊急地震の警報音より

デカい音量なので、その音自体に驚く。

 

テレビをつけると、新幹線が運休、

東名高速が通行止め、○○川が氾濫とか

なんだか緊急事態なのである。

 

ボクは予定を変更して、

普段は時間がなくて聞けない動画をまとめて視聴。

読みかけの本の何冊かを読み進めることができた。

 

で、あいた時間にSNSをいくつかチェックしてみると、

今回の台風のことのほか、

自民党の総裁候補のこと、アメリカの大統領選挙の話題、

ウクライナ戦争、イスラエルによるハマス攻撃の現状、

果ては大地震が迫っているとか、

なかなかドキドキさせてくれる話が満載なのだ。

 

これらを高速で読み飛ばし、

関連動画を2倍速でチェックし、

昼飯を食って昼寝をする。

 

気がつくと外の雨は相変わらずだけど、

普段の雨となんら変わりない。

 

風はおだやかに吹いている。

 

思うに、なかなかたいへんな時代を

ボクたちは生きているのかと考える。

 

先の戦争はボクの父母の時代だった。

 

父は満州で戦い、ソ連の捕虜となり、

戦後数年経過してようやく帰国したという。

母は、戦中、横浜の畑で

アメリカの戦闘機の機銃を浴びるも、

なんとか運良く生き延びたと聞いた。

 

父母は多くは語らなかったが、

その一生を思うと辛くなる。

 

ボクの時代はいずれ検証される。

だけど父母の時代に比べればなんてことはない。

たいしたことはない。

(例外はいくつもあるにせよ)

 

にしてもだ、

いつの時代も

安息などというものは存在しないではないか?

 

いよいよ腹が立ってきた。

 

ボクは、もう時間がないから良いとしても、

息子や娘、そして孫の未来を想像すると、

まだまだ動かなくてはと、

気がせいでしまう。

 

がしかし、

いつもそんな想いを残して、時代は移り変わる。

それでも相変わらず地球はまわっている。

 

 

 

横浜・元町を歩く犬

 

横浜・元町を、プラプラしてみた。

平日の夕刻。

以前ほど賑わっていないなぁ。

 

街のあちこちに廃れた感が漂っている。

道行く人も、買い物というより

ボクと同じく、ひやかしのようにみえる。

 

店に入る客は、あまりいない。

 

がしかしだ、

通りに駐まっているクルマが、

どれもふだんはあまり見ない高級車ばかりで、

クルマ好きのボクとしては、ため息の連続。

と同時にこの街の特異性を感じとれた。

 

ベンツやポルシェは当たり前なんだけど、

ベントレーとか高級SUVのレンジローバーとか、

ふだんは見慣れないクルマがフツーにとまっている。

 

フェラーリやカウンタックのような派手派手のスーパーカーはみかけない。

それがこの街の特異性だ。

 

街の空気感もまた、東京の青山や麻布界隈と何かが違う。

横浜という地域性もあるのだろうが、

やはり海の向こうのにおいがぷんぷんするのだ。

 

それはここにある店の個性なのか街のつくりなのか判然としない。

が、とにかく海外のどこかの街角のような空気なのである。

 

そう、ボクは「舶来」というキーワードにたどり着いた。

 

という訳で、廃れたとはいえ、

いぜん横浜・元町は一種独特の空気で覆われた、

異国のかおり漂う老舗ブランドの街なのである。

 

で、なんだか目についたのが犬を連れた女性。

いや、きれいそうにみえてしまう女性に連れられた

こじゃれた犬なのであった。

 

ボクは犬に関する知識が全くない。

庭に繋いだ雑種しか飼ったことがない。

その雑種はかなりどう猛でよく鎖をちぎって逃走したりしていた。

 

翻って、元町を歩く小型犬はどれも、

素人目にみても、いわゆる高級そうなワンちゃんなのである。

(ボクの飼っていた犬は、野犬だったのであろうか?)

 

大きなリボンを付けたり、服を着てたり、ブーツを履いていたりと、

なんだか人間的でみないちように毛の艶がいい。

夕暮れの日射しに照らされて金色に光っているのだ。

連れている女性もとうぜんセレブなのであった。

(ホントは知らないけれど…)

 

で、ワンちゃんを観察していてふと思ったのが、

並のドッグフードなんか食っていないのではないか?

ということ。

思うに、フランスから輸入したチーズとか

産地限定の無農薬野菜とか、

日本近海でとれた本マグロの中トロとか、

黒毛和牛の炙ったやつとか、

そんなものを口にしているのではないか?

(考えすぎだと思うけれどね)

 

振り返れば、

この街はムカシから近づきがたい街であった。

若いころは当然お金がなかった。

それでもフクゾーのトレーナーとかヨットパーカー欲しさに、

元町をめざす訳。

で、値札をみてはその都度退散ということを繰り返していた。

またこの元町にはフランス料理の老舗「霧笛楼」があるが、

ボクはいまだにこのレストランに入ったことがない。

(レンガチョコしか食ったことがない)

 

という訳で、

ボク的には依然として敷居の高い街。

 

それはとにかく犬をみれば明らかなことなのだ!

 

 

今月の一枚

 

 

最近、発展がめざましい海老名だけど、

この駅をよく使う身としては、

人が異常に増えたことで、疲労度も増した。

 

都内、横浜方面で働く人が増えたと聞く。

みんなの歩く速度も以前より断然早い。

 

もう東京や横浜の街となんら変わりない。

都会的なカフェも次々にオープンし、

マンションが林立し、

クルマの渋滞も以前にも増して激しい。

ナビにない道も次々に生まれている。

 

ああ、このあたりも遂に大都会になってしまった!

 

がしかし、

駅前のららぽーとの屋上も夜になると閑散とし、

そこから眺める丹沢の山並みは雄大で、

昔となんら変わることなくどんと鎮座している。

仰ぐ空は、相変わらず広くてデカい。

 

近くをゆったりと流れる一級河川、

相模川の向こうは厚木の街。

川面は街と橋の灯りをゆらゆらと映しているが、

東京の多摩川や横浜の大岡川と比べると、

いまひとつ明るさに乏しい。

 

ボクの記憶によると、

都会といなかが混在したこの不思議な景色は、

半世紀前の横浜とおおいに重なる。

 

この日、ららぽーとの屋上でカメラを構えるも、

丹沢の山並みに日没はなかなか訪れず、

赤みがかった空がしばらく不気味に光っていた。

 

UFOが飛び出してきても何の違和感のない空。

 

そういえば最近、

この日本という国はなんかあやしい。

いや、中国だって朝鮮半島だって中東だって、

ロシアもヨーロッパもアメリカ大陸も、

地球全体がかなりあやしい…

 

ボクの脳裏に「フキツ」という文字が浮かんだ。

 

 

異界が交差する時間

 

夜中の2時にとつぜん目が覚めて、

「んー、なんだ?」とまわりを見渡した。

 

深夜…

しーんとしている。

 

トイレにいきたい訳でもない。

心身はやけにスッキリしている。

勢い起きようかと思ったが、

ああ例のあれかとハタと気づいた。

 

寝たのはつい2時間前だ。

スッキリしているハズがない。

ボクはなるほどと納得し、

いつものように静かに目を閉じて

ふたたび眠りにつくのだった。

(いつもは朝まで爆睡なのに)

 

こんなことがおおよそ年に2回ほどある。

時間は深夜の2時~2時半の間。

そこはきっちりと決まっている。

 

むかし風に言えば、丑三つ時(うしみつどき)である。

そう、妖怪や幽霊が出るという恐ろしい時間なのだ 汗

彼らが最も活発に動くのがこの時間であるらしい。

 

この時間に初めて目が覚めたのはかなり前のこと。

そのときはもちろん初めてなので驚いたけれど、

とても不思議な体験だった。

だってお袋が訪ねてきたんだから。

 

そう、お袋です。

そのときすでにお袋がいなくなってから、

数年はたっていたような気がする。

 

枕元に近づく何ものかの気配。

畳をすーっすーっと擦る音が近づいてくる。

 

意識は覚醒していた。

身体が硬直している。

振り向こうとしても、

首がまったく動かない。

 

小さい頃からお化けとか幽霊とか、

そういう怪しいものには人一倍臆病だったのに、

ボクはそのとき全く怖さを感じなかった。

直感でお袋だと確信したからだ。

 

お袋はボクの枕元ですっととまり、

そしてボクを背後から見下ろしている。

首がまわらないので見たわけではないが、

お袋は笑みを浮かべてボクの髪に触れた…

そんな気がした。

 

「お袋だろ?」と声を発しようとするも、声が出ない。

 

その現象はそのときのたった一回きりだった。

以来、お袋は二度と出てきてくれない。

 

あとで枕元の時計をみると、確かに2時半ごろだった。

以来、ボクは丑三つ時に目を覚ますようになった。

 

いまはもうすっかりと慣れてしまって、

翌朝には忘れてしまうような

ささいな出来事になってしまった。

 

だけどお袋は相変わらず飽きもしないで

ボクを訪ねてきてくれる。

 

なにか話したいことでもあるのかな?

言い忘れたとても大事な話?

ひょっとすると、あちらの世界で再会した

親父へのちっとも変わらない不満かな?

 

小学生だったボクがどこかへでかけるとき、

お袋は必ず忘れず「お天道様はいつもみているよ」と

真顔で言い放つのだった。

 

素朴で信仰心のあついお袋がまたきてくれた…

 

まぁとにかくボクは、そのたびに感謝している。

 

 

夏のうた

いくつもの夏が過ぎて。

 

若かったボクは年をとって、
思い出だけが積もり積もって心身がおもくなり、
だけどキミはしわの美しいおばあちゃんになり、
そして今年もあいかわらずに、
なんら変わることなく暑い夏がきた。

夏の早朝はそのすべてがうつくしい。
そう思うようになった。

(そういえば母は夏の似合う女性だった。
夏の早朝から丈の高い竿いっぱいに、
白い洗濯物を吊るしていた)

暑い夏でも、
朝は熱いコーヒーなんだ。

(アイスコーヒーなんて…)

なんだかきょうもやれそうな気がしてくる。

早朝は昨夕のメモから。

それを見返し、調べものをしたりする。

そうしているうちに窓の外の明るさに気づく。

「きょうも暑くなりそうね」

「そうなる前に歩きたいけれど、きょうも間に合いそうもない」

パソコンを閉じると、だいたい陽はもう高くなっていて
外は気温30℃に届きそうなようす。

いつも早朝に歩く算段を考えるけれど、
やることは相変わらずで、
まいど同じ後悔をくり返している。

夏はなんといっても
朝がうつくしいのに…

 

 

 

いくつもの夏が過ぎて。(その2)

 

今朝はとくべつに早起きをして、
さっさと戸外へとでかけた。

木々の間を抜けるとき
夜明けを告げる鳥が「生きている印なんだ」と

いっせいに鳴いている。

それはやがてオーケストラの森となった。

田園地帯に出てそこからながめる山なみは、
まだ黒い影を落としていて、
山体をまとわりつくように、
淡くて蒼い気流が流れている。

足元では、
朝つゆをころがす小さなむらさきの花がほうぼうに開いて、
それが途方もなくうつくしい。

夏の陽射しは早朝から
万物をめざめさせるに足る、
それはあふれるほどに、
生命の息吹に満ちている。

ボクは遠い青春のときを想った。

 

スパンキーの時事放談

 

岸田さんは無能か

この人、去年の広島サミットで核廃絶、世界平和を唱えたけれど、ただの常套句。その道筋を示すこともない。ウクライナ紛争においても停戦を呼びかけるのではなく、ウクライナを応援しようと演説している。金も出すとほざいた。戦争の継続だ。広島の地でそんなことを言うか? 相当ズレている。何か裏事情でもあるのかと勘ぐってしまった。現在に至るまでも数々の悪行を働いてくれた。後世に語り継がれる希有な政治家だ。

 

バイデンに次期大統領は無理

この人が岸田さんに何事かを頼んでいるのか命令しているのか? 日米の歩調は根っこのところでピタリと一致しているし。先日海外メディアでバイデン大統領の演説の様子をチェックした。時折変なことを言う。まわりが固まっている。演説の最中なのにとつぜん黙して固まったりする。不自然極まりない。そんなアメリカ大統領っているかね?  誰かがこの人を操っていると推測する。

 

NHKにやる気はあるのか

大事なニュースが満載の昨今なのに、テレビをつけるとおや、今日もたいしたことなかったね、というニュアンスで番組は淡々と流れる。意図的な偏向報道とか報道しない自由とかまでは言わないけれど、ニュースの扱いにはかなりの作為が感じられる。にしても連日の大谷翔平の連呼に何の意味が隠されているのか?

 

東京都知事選挙にうんざり

先日、諸用で目黒から広尾あたりを歩き回っていた。とにかく選挙演説カーがひっきりなしに通る。で絶叫している訳だ。駅前は特に酷いので裏通りに逃れた。けたたましさは追っかけてくる。ボクは神奈川県民なので関係ないのだけれど、都民だったら誰に投票するかかなりアタマをひねらなくてはならないだろう。だって消去法、減点法でしか絞れないほど、くせものの候補者ばかりでしょ?

 

戦争の正体

ボクも長いこと生きているけれど、その間、世界のどこかで必ず戦争をやっていた。それは現在も何も変わらない。これはおかしいと思った。最近、改めて近代史・現代史の本をいくつか読み直しているが、そこでひとつ気づいたことがある。戦争って正義のためにはじまることはまずない。戦争の種をつくる奴がいる。戦争で儲かる人がいる。莫大な利益を上げる企業がある…そこが謎解きのポイントだった。構造があまりに単純かつ巨大過ぎて気づかなかった。

 

 

初夏の山は生命力にあふれている!!

 

山で暮らしていると、季節の移り変わりに敏感になる。

といっても標高100㍍そこそこの住宅地なので、

丘とか台地と呼ぶのがふさわしいような気もする。

 

早朝、あくびなんかしながら窓をあけると、

鋭角な陽射しが目の前にスッとのびる。

戸外の空気はひんやりしている。

気温は街中より3度以上は低いと思う。

 

遠くにそびえる連山を望むと、

中腹から上のほうが朝日で光っているのが見える。

 

いまでは見慣れた景色なんだけれど、

ぜんぜん飽きることがない。

 

最近になって気づいたのだけれど、

人って暮らす環境、とりわけロケーションによって、

心の有りようやライフスタイルに

かなりの影響を与えるのではないか?

ということ。

(当然ことなのだけれど)

 

先日でかけた茅ヶ崎のライブでも、

地元のおっさんおばさんたちがみんなおおらかで若い。

陽に焼けた笑顔が印象的でした。

 

横浜の街中で生まれ育って、

社会に出てからずっと東京のマンション暮らしだった身としては、

自然や四季の移り変わりを身近に感じられるところで暮らすことは、

贅沢としか言いようがない訳で、

もう都会に戻ろうなんてぜんぜん思わない。

 

毎朝、出勤する必要もないので、

駅チカであるとかタワマンとか、

どこか遠い価値観のように感じてしまう。

 

東京から引っ越してきた当初は、

毎日のように「不便だなぁ」を連発していた。

(当時は酒呑みだったので、繁華街と盛り場が至近にないと

生きてゆくことができなかったのだろう)

 

いなかはクルマの運転が必須なので、

酒を飲む機会もめっきり減り、

終いにはやめてしまったが…

 

おかげでそれまで医者に指摘されていた肝臓の数値の他、

いろいろな数値が少しづつ正常化してきたし、

時間の使い方も変化し、戸外に出る時間も増えた。

 

山を歩いたり、河原で焚き火をしたり、

近所の農家の畑を見に行ったり、

クルマをいじったり、

そして空いた時間に仕事をしたり…

夜は夜で、映画を観たり本を読んだりと、

実は毎日がけっこう忙しい。

 

話がかなり逸れてしまった。

 

そんな訳で、初夏の緑が目に痛いほどに、

山は生命力に満ちているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重いぞ、村上春樹!

 

寝室の横の棚にずっと放っておいた本を、

ようやく最近になって開いてみた。

1年近く放っておいた気がする。

 

過去に幾度か読もうと思ったのだが、

その本の外見からして、なんとなく拒絶していた。

 

かなり分厚い。だから当然重い。

これを寝床で読むことを考えたら、疲れる。

だからのびのびになっていたんだけどね。

 

この本をキッチンにあった計量器にのせてみた。

700グラム近くある。

フツーの文庫本がだいたい100グラムだから、約7倍。

片手で文庫本を7冊持つとかなり重いでしょ?

 

 

 

という訳で、ここ数日この本で読書しているんだけど、

すげえ気が散る。

フツー読み進むうちに、

内容が良いと物語のなかに入れる訳。

なのに、中身がなかなかアタマに入ってこない。

 

ボクは左右どちらかを向いて読むんだけど、

片方の腕で、いや手首だろうなぁ、

そこに700グラム強の重さがかかると、やすらぎなんかこない。

就寝前なのに、本と格闘しなければならない。

 

そもそも寝る前の読書はボクのなかのサイコーの時間、

しあわせのひとときのハズのだけど…

なのにサイコーの時間なんか訪れない。

 

そのむかし、やはりベッドで藤原新也の「東京漂流」を読んで

ムッときたことを思い出した。

この本も重かったなぁ。

 

「他の本を読めばいいじゃん」との声が聞こえる。

 

だがしかしだ、

読み始めた以上、途中での挫折は許されないのだ。

これは個人的な掟なのでやめる訳にはいかない。

男の意地と言っても良かろうよ。

 

なので、最近ではそろそろ寝ようかなと思う頃、

チラッとこの本がアタマに浮かんで、

「チッ」とやったりする自分がいる。

 

きょう現在で、p103まで読み進めた。

が、先は霞がかかるほどに遠い。

だってp661もあるんだぜ!

 

当分、憂鬱な夜が続きそうだ 涙