年をとると、みえてくるもの

 

だいぶ以前の話。

夕飯を食いながらテレビを観ていた。

たまたまつけたチャンネルが、歌番組だった。

 

テレビは、実はどうでも良かった。

気晴らしに観ただけだった。

 

はじめは聴き流していたが、

ふとその歌詞が気になりだした。

そしてじっと聴き入ってしまい、

しまいに、涙が溢れた。

 

ああ、

年をとったなと思った。

 

懐メロは幾度となく聴いてはいたが、

あまり古いものは知らないし、

そうした歌は、私の親の世代の歌のように思われた。

 

二葉百合子の「岸壁の母」も、

私の親の世代がよく唄った歌だろう。

 

敗戦後、ソ連からの引揚船が着くたびに、

岸壁に立って息子の帰りを待ちわびる

母親の姿と心情を歌っている。

(この歌は実話を元につくられた)

 

私は若い頃から、

この歌がテレビから流れると、

陰気な気分にさせられた。

そして、すぐチャンネルを回していた。

大嫌いな歌だった。

 

私は、戦争を知らない子供たち、のひとりだ。

しかし、こうして中年になり、

両親もいなくなり、

また人の親となって永く生きていると、

なにか他の景色がみえてくる。

 

それは流行りものでなく、

浮き沈みするようなものでもなく、

情というか、

人生に対する愛おしさとでもいおうか。

 

人ってつくづく不思議な存在だと思う。

 

いろんなものを背負って

そしていつかは去ってゆく…

 

生きるおかしさも

捨てたい悲哀も、

人は抱えきれないものを

幾つも幾つも背負い、

 

一体、何処へ行くのだろうかと…

 

「19才の旅」No.6

 

南太平洋の島々を、まるで各駅停車のように巡る

コンチネンタル航空機は、ようやく最終目的地である、

パラオ空港に到着した。

 

太陽の陽を受けて白く照り返す、滑走路。

前に降りたヤップ島の空港となんら変わりない。

 

ちなみにボクがパラオ諸島へ行った1981年、

この地は「ベラウ共和国」という国名だった。

不確かだが、ベラウ共和国の頭には

アメリカ領とあったと記憶している。

要はアメリカが統治権をもっていて、

完全な独立国ではなかったのだ。

 

国旗は、海のブルーをバックに、満月。

とてもロマンチックなデザインだ。

これは聞いた話だが、パラオの人たちの評判も

上々とのことだった。

 

この国旗は、ちょっと日本の日の丸に似ていると思った。

日の丸が昼なら、ベラウの国旗は夜を表している。

そこに、不思議な繋がりのようなものを感じた。

 

ボクは、この国旗のデザインがとても気に入ってしまい、

Tシャツの他、この国旗のデザインのおみやげを、

かなり買い込んでしまった。

 

この旅の目的地であるパラオ諸島では、

ボクはいかなる事件も起こさなかった。

慎重な行動を心がけた。

 

自ら起こしたトラブルがきっかけで、

自分を疑うようにもなっていたし。

振る舞いや行動に用心深さも加わり、

それは自分という人間を客観視するための、

良いトリガーとなった。

 

パラオ本島であるコロールには、

スーパーもガソリンスタンドもあり、

ミクロネシアの島々のなかでは、発展しているように思えた。

 

スーパーの棚には、アメリカ製のスナック菓子コーラ類も、

ズラッと並んでいる。

レジの若い女の子は英語または現地のことばしか話さない。

通貨はドルだ。

 

が、そのスーパーを出て歩いていると、

現地のおばあさんと偶然目が合ってしまった。

英語でこんにちわと挨拶をすると、

深いシワの顔をさらにクシャクシャにして、

「日本からかい?」と流暢な日本語で返された。

聞くと、ここは日本の統治が長かったので、

島の年寄りは皆日本語が話せるとのこと。

 

島の人々は、ボクのような日本人に

とても優しく親切に接してくれる。

人の名前も、キンサクとかフミコとか、

日本名の人がたくさんいるとのこと。

これには驚いた。

 

ボクたちが学んだ歴史の教科書には、

戦争中の日本軍に対しては、

ほぼネガティブな記述しかなかった。

よって良い待遇などあるはずもない。

 

が、他の島の人たちにもそのことを聞いて歩いたが、

一様に、日本が統治していた頃の感想は良いものだった。

 

ここで戦った先人たちは、何をめざしていたのか?

この戦争の真相は一体どこにあるのか?

 

この島の方たちのボクたちへの接し方をつぶさに振り返ると、

ボクは解明できない歴史の難問にぶつかったと感じた。

 

 

本島と隣の島バベルダオブ島にかかる橋は、

ピカピカの出来たてで大きくとても立派だが、

ジャングルが深いこのあたりでは、返って異様さを放っている。

 

ボクが滞在したホテル・ニッコー・パラオは、

そのバベルダオブ島にあった。

バベルダオブ島には店が一軒もないので、

ボクはこのふたつの島の行き来を、

島の若者から借りたバイクで済ますことにした。

 

バイクはホンダ製。

ボクが東京でも乗り回しているバイクもトレール車だったので、

不満も不自由さもなかった。

 

レンタルの金額はとても安かった。

ボクが提示した金額と彼が提示した金額が、

ほぼ同じだったことで、

よけいこの島に住む人に親近感を覚えた。

 

パラオの先駆的なホテルともいえるホテル・ニッコー・パラオは、

以前はコンチネンタル・ホテルという名だった。

従業員も米国人と現地のひとたちで構成されている。

 

ホテルはおのおの2階建てヴィラのような形態で、

湾を望む丘陵のヤシの木々の間に

ほどよい間隔を保って建てられている。

 

室内に入ると、南の島にふさわしく、

天井付近で大きなプロペラが回っている。

籐でつくられたベッドに、更紗のベッドカバー。

ベランダに出ると、ミントブルーの内海が望めた。

 

3日後、この島でスコールというものを初体験した。

暑さが極まると、あたりが暗くなり、

そして突然の豪雨になる。

が、数分で止むと、

また何もなかったように再び快晴になり、

カラフルな鳥が鳴き出すのだ。

 

 

ボクは、赤道を越え、南半球にいる。

日付変更線を越え、いまは電話も通じないこの島にいる。

 

ホテルのフロントの人の説明によると、

海底ケーブルはサメにでもかじられたんだろうとのこと。

そんな事情もあってか、ボクはかつてないほどの

リラックスというものを体験した。

もちろん異国であるとの緊張と用心はあるのだが、

東京での毎日の暮らしを思うと、

全く次元の違う、いわば幸福感のようなものに包まれた。

 

 

ホテルの裏山を歩いていると、

錆びて端はしが崩れている大砲が鎮座していた。

旧日本軍の大砲だ。

 

それは、当初ボクがイメージしていた南の島の平和な風景を

打ち砕くのに、充分過ぎる効果があった。

戦後の風雨に耐え、そして朽ちながらも、

ボクについ数十年前に起きた戦争のリアルを、

突きつけてきた。

 

サンゴの島々を巡り、海に潜り、

海を眺めながら新鮮なシャコ貝も平らげたし、

ホテルでは大きくて真っ赤なロブスターも食した。

 

100パーセントの楽しみがあるのなら、

ボクはその100パーセントをまるごと楽しんだような、

気がするのだ。

 

が、夜になって、現地のビールを飲みながら、

テラスへ出て夜空を眺めるとき、

日本では見ることのできない南十字星がみえると教えられ、

毎夜、それを仰ぎ見ていた。

そんなとき、どうも気持ちが淀んでいる自分に気づくのだ。

 

南十字星のことは、戦争映画を観てボクも知っていた。

先の戦争で南方に行った兵隊は、

皆、この星をみて大半が死んでしまったのだ。

 

このあたりの島々には、

ボクたちの先人の悲しい痕跡が多すぎた。

 

あるとき、ホンダのバイクで島を走っていると、

上下真っ白い服を着てお札を下げた一団をみかけた。

この人たちは、日本から来た遺骨収集団とのこと。

これからセスナ機でペリリュー島まで遺骨収集に行くのだと言う。

皆、年を召した方々で、

思うに、一緒にこの島で戦った仲間なのかも知れないし、

または戦死した家族の遺骨を探しに来たのかも知れない。

 

また後日、海上をボートで走っていると、

サンゴの海の浅瀬に横たわっているゼロ戦があった。

このとき初めて、ボクはあのゼロ戦の実際の姿をみた。

水がきれいなので、機体がすべて見通せる。

機体からは誰かが立てたのであろう、

竹の棒がスッと立っていて、

そこに千羽鶴が海面の上にびっしりと結わかれ、

海風に大きくなびいている。

 

これをみたとき、ボクは遂に耐えられなくなった。

そしてボクは再び混乱してしまった。

 

この旅の帰路、ボクは飛行機のなかで、

ここ数週間に起きたこと、見たことを、

まるで走馬灯のように、アタマのなかで巡らしていた。

そして、ボクは沖縄のひめゆりの塔のことを

再び思い出していた。

 

あのお年寄りが語ってくれた実話が、

ひしひしと身に迫ってくるようになるまで、

ボクには時間がかかり過ぎた感がある。

 

島のあのおばあさんが話してくれたこと

あの悲しみの一部始終の一端が、

少しづつ見え始めてきた。

それは染み入るように、

身体を通して、

徐々に理解できるようになっていた。

 

いかほどの時間をかけ、

それは偶然を装い、

実は誰かの巧みな計算によって仕掛けられた物事のように、

ボクの心に刻み込まれたのだ。

ボクが戦争というものを、

また改めて、歴史も含めて遡るようになったのは、

こうした経験を経てからだった。

 

 

―やはり世界は常に緊張している。

戦争は実はいつもどこかで起きている。

そしていつもどこかで起きようとしていた。

それは皮肉なことに、

いまも変わらないまま続いている―

 

 

(続く)

 

 

「19才の旅」No.4

 

船旅で、念願の沖縄へ到着したボクたちは、

2日目にひめゆりの塔へ出かけ、

島のおばあさんから、悲惨な戦争の話を聞かされた。

 

なのに、それは申し訳のないほどに、

聞けば聞くほど非日常的な気がした。

話はとても悲惨な出来事ばかりなのに、

どこか自分の体験や生活からかけ離れすぎていて、

どうしても身体に馴染んでこないのだ。

 

その驚くほどのリアリティーのなさが、

かえって後々の記憶として残った。

それは、後年になって自分なりに

いろいろなものごとを知り、触れるにつれ、

不思議なほど妙なリアリティーをもって、

我が身に迫ってきたのだから。

 

そんな予兆のかけらを、

ボクは後年、グアム島とトラック諸島のヤップ島で、

体験することとなる。

 

(ここまでは前号に掲載)

 

沖縄の旅から5.6年後だったろうか、

南の島好きのボクはパラオをめざしていた。

途中、グアムに行く手前で、

ボクの乗る727はサイパンへ降り立った。

機内にあったパンフレットをパラパラとやると、

バンザイクリフという場所が目に入った。

 

「バンザイクリフ?」

 

バンザイはあの万歳なのか?

実はボクの思考はそこまでだった。

その時分、ボクはあまりにも無学に過ぎた。

何も知らないことは、罪である。

 

戦争の末期、アメリカ軍に追い詰められた

日本軍及び島に住む民間人約1万人が、

アメリカ軍の投降に応じることなく

「バンザイ」と叫びながら

この島の崖から海に身を投げた。

 

あたりの海は赤く染まったという。

 

そこがバンザイクリフなのだ。

 

ボクは時間の都合で、

バンザイクリフへは行かなかった。

いや、そもそも興味がなかった。

戦争の歴史さえ、ボクは知らなかったのだ。

 

後、パラオでその話を知ったとき、

ボクの思考は、観光という目的を見失い、

しばらく混乱に陥ってしまった。

 

話を戻すと、

サイパンの次の目的地であるグアム島で、

その事件は起こった。

 

レンタカーを借りて島中を走り回ったとき、

ボクは道に迷ってしまい、適当な道を左折した。

すると大きなゲートに出くわした。

 

そこは米軍基地で、のんきなボクはクルマから降りて、

道を聞こうとゲートに近づいた。

と、ゲートの横から軍服に濃いサングラスをかけた

大柄の女性兵士がこちらに歩いてきた。

 

なんと、この兵士はボクに自動小銃を向けている。

何かがおかしいと思ったボクは、

無意識にホールド・アップをしていた。

 

女性兵士は全く笑っていないし、

とても厳しい表情をしている。

近づくに従い、

兵士は自動小銃を下げるどころか、

こちらにピタリと銃口の照準を定めたように思えた。

 

急に動悸がして、嫌な汗が噴き出した。

 

「すいません、道に迷ってしまって」

ボクが片言の英語で笑顔を絶やさずに話す。

 

すると

「クルマに戻ってバックしろ、さっさと消えろ!」

 

ヒステリーとも思える剣幕で、

この兵士はこちらに銃口を向けて、怒鳴っているのだ。

 

ボクはクルマに戻って、とにかく必死でクルマをUターンさせる。

バックミラーで確かめると、この兵士はボクが元の道に戻るまで、

ずっと銃口を向けていた。

 

一体、何ごとが起きたのか、

ボクはしばらくの間、

理解することができなかった。

 

なんとかホテルにたどり着くと、ボクはベッドに転がり込んで、

しばらくグッタリとしてしまった。

 

ようやく落ち着いてきたところで、

自体が徐々にみえてきた。

 

要するに、ボクやボク以外の誰でもいいけれど…

 

のんきで平和に暮らしていると思える、

そのすぐ隣で、

自体はボクたちの想像の域を超え、

生死にかかわるであろう、

いろいろな出来事が起きている、ということ。

 

世界のどこかで、緊張はずっと続いていたのだ。

 

ボクは自分の無知さに呆れ果てた。

 

―バカな日本人―

 

その代表のような人間が当時のボクだった。

 

戦争は実はいつもどこかで起きていた。

いつもどこかで起きようとしていた。

それは皮肉なことに、

いまも変わらないまま続いている。

 

ボクの繰り出す愚かな行為は、

その後も続いた。

 

(続く)

 

 

長い舌

 

なにが面白いのか

みんなケラケラと笑っている

人だかりの向こうでひとりの男が樽の上に乗り

口から火を吹き

目を見開いているのがみえた

赤い奇妙な衣装を身につけたその男が

今度は槍をみんなに向けて突くマネをする

笑った顔から突き出た長い舌は真っ白で

白目に血管が浮き出ているのが遠目にも分かる

そんな大道芸が

最近町のあちこちに現れては人目を惹いては

人だかりができるのだ

僕はあの火を吹いた男を以前見たことがあるが

それが何処だったか

とんと思い出せない

なぜだか嫌な予感がして

背筋に悪寒が走った

部屋に戻ってテレビをつけると

見慣れない男と女が裸で絡み合っている

男が横になった女に呟いた

「愛しているよ…」

直後に男がカメラに振り返り

ペロっと長い舌を出した

その薄汚れた灰色の舌には

冗談というシールが貼られていた

僕はなんだか息苦しくなり

窓を全開にすると

いままでかいだこともない異臭が鼻をつく

遠くで何かが炸裂する音がしている

窓下の通りを数人の男達が走りながら

「やっちまえ、やっちまえ!」と絶叫していた

胸騒ぎが起きて

洗面所に走って行って顔を洗うと

赤く濁った

いままで見たこともない液体がとめどなく流れ

僕はその場で卒倒してしまった

どのくらい経っただろうか?

うなるような轟音の音で目が醒めると

外はどんよりと暗くなっている

窓に近寄り空を見上げると

見知らぬ飛行物体が上空を埋め尽くしている

咄嗟に逃げようと駆け出すと

今度は足元から地鳴りがして

部屋全体がガタガタと揺れ

僕は立っていられなくなり

そのまま窓の枠にしがみつく

窓下を

あの大道芸に集まっていた人達が

悲鳴をあげて逃げ惑っている

僕はあの大道芸の男の顔を

やっと思い出したのだが…

 

 

 

「君たちはどう生きるか」

 

 

 

遅まきながら

「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)という本を

読み始めた。

まだ、道半ばだけど。

 

評判が高く、ずっと気にはなっていた。

が、買うのは控え、図書館で借りた。

実はこの手の本を少々疑っていたので、

買わなかった。

 

タイトルからして、

哲学的な課題に真っ向から向き合っている。

私のストライクゾーンは相当狭い。

若い頃から、自身、けっこう悩んだ覚えがあるので、

自分なりのスタンスというものもあるし、

第一いまさらどう生きるか、ということより、

どう生きてきたかと振り返る年である。

よって偏狭な人生観を抱えているので、

ストライクゾーンが狭いと予想をつけた。

 

若い人が読む本なのだろうが、

この本がどういった切り込みをするのか、

そこに興味をもった。

 

寝転んでペラペラと読み始める。

表紙の帯には、

日本を代表する歴史的名著とある。

前書きは池上彰。

とても端的であり、興味を惹く文だった。

 

主人公のコペル君は中学生でいたずらっ子。

学校の成績は、飛びぬけて優秀というのではない。

彼が日常で遭遇するいろいろな出来事を通して、

彼は考え、そして成長してゆく。

親戚の叔父さんというのがいて、

この人はかなりのインテリである。

コペル君はこの叔父さんと仲がよく、

お互いの手紙のやりとりのなかで、

コペル君は次第に、生きるとは、

という難題について丁寧に考える、

という構成になっている。

これは、作者のひとつの仕掛けであり、

とても分かりやすい方法だと思う。

 

コペル君が遭遇するのは、

ほぼ日常に誰にでも起こりうる、

オーソドックスな出来事の数々。

とんでもない事件などない。

しかし、誰もが経験するような悩みが、

次々に出てくる。

 

コペル君も叔父さんも、

とても誠実な人間である。

私も思春期の悩みの数々を思い起こした。

 

しかし、如何せん説教くさい。

進行がまどろっこしい。

ひとつひとつの話が長くて、饒舌に過ぎる。

一応、小説のスタイルをとっているから、

致し方ないのだが、

話の構成が面白さを抑えてしまい、

次第に意欲が萎えてしまった。

 

この本が書かれたのは昭和10年だから、

戦争が始まる2年前である。

時代的に風雲急を告げるときだったが、

やはり時間の流れは、

まだ、ゆっくりと流れていたように思う。

この本を読んでいて、内容の悠長さに、

そんな気がしてしまった。

 

にしても、じっくりと読めないのは、

こちらのせっかちな性格のせいだし、

中身は若い人向けであり、

ピンとこないでもないのだが、

そういう悩みか…と、

ちょっと遠い心持ち。

 

戦争の足音がするなかでの、

正義、誠実、友情、思いやり…

とても大事なこと、大切なことである。

この本は、相当正しい。

 

が、それにしてもである。

生きるという難題である。

明快な回答こそないが、

正論がつらつらと並べられる。

それを息苦しいと感じてしまうのは、

なぜだろう。

正し過ぎるくらい正しい話に、

くらくらとしてしまうのは、

なぜなのだろう。

もう我が子等は成人しているが、

もし年頃だったとしても、

この手の本を読ませようとは思わない。

 

・自分の人生は自分で考える

・自分で考え決断する

・友情

・勇気etc

 

これら、当たり前のことであろうに、

いちいち語らねばならないじれったさと、

本の中身は全くまっとうなのに、

肯定もしたくないこちらは、

やはり、へそ曲がりなのか。

 

正論が正面から風を切って歩いてくると、

参ってしまう。

こうした本に狼狽してしまうのは、

私だけか。

 

それが目下の悩みかなぁ…