「19才の旅」 No.1

 

東京・竹芝さん橋で、新・さくら丸に

親友の丸山と乗船した。

ふたりとも、船旅は初めてだ。

 

船は、本州に沿って航行を続けるという。

360度、どこを見ても海というのは、

とても新鮮な体験だった。

が、伊豆大島を過ぎ、三河湾あたりで

そろそろ海の景色にも飽きてきた。

 

デッキで潮風にあたりながら、

ずっとビールをラッパ飲みしていたので、

少し吐き気を催してきたみたいだ。

 

初めての船酔い。

 

ボクと丸山は船室に戻って、ベッドに横になった。

そこで、ボクは吐き気を抑えながら、

必死で何かを考えようとしていた。

丸山もきっとそうだったと思う。

 

(この先、ボクはどこへ行こうとしているんだろう?

いったい、ボクは何をめざしているのだろう?)

 

その問いは、この船旅ではなく、

自分のこれからの身の振り方だった。

 

この頃、ボクたちは自身でもイラつくほどに、

自分のことが分からなくなっていた。

そして日々、迷ってばかりいたのだ。

 

ボクは、大学の付属校へ通っていたにもかかわらず、

カメラマンになるのが夢だったので、

大学への進学は2年の秋ごろから辞退していた。

が、その意思を学校へ提出した後で分かったことなのだが、

カメラマンになるには、それなりの高い学費と、

高額なカメラ機材を買う費用、

そして自宅に現像室を設置しなくてはならなかった。

 

何をやるにも事前の準備不足が、

ボクの欠点だった。

 

そのことを一応両親に話してはみたが、

予想どおりの回答が返ってきた。

父は母にこう話したそうだ。

「あんな極道息子に出す金はない」

 

この文句は、ボクも予想していた。

当然といえば当然の報いとも言える。

なにしろ、高校時代のボクに、

褒められたところは、ひとつもないのだから。

 

一年で吹奏楽の部活をやめてしまったボクは、

地元の友達といつも街をふらふらとしていたし、

そうした仲間と酒を飲み、タバコをふかし、

ディスコで朝まで踊ったりしていたのだ。

 

一応、なんとか高校は卒業したものの、

まともな就職もあきらめて、

いろいろなバイトで生計を立てていたが、

空虚な毎日で、行き場をなくしていた。

 

一方、中学で同級生だった丸山も、

家の事情で普通高校をあきらめ、

自衛隊の少年工科学校の寄宿舎へ入ったものの、

キツい学業と訓練に明け暮れた毎日に嫌気が差し、

バイク事故でケガをして入院したことも重なり、

学校を中退し、疲れ果てていた。

 

やはりボクと同様、鬱屈した毎日を送っていた。

 

ヒマで退屈なあの夏。

 

ボクは、永遠にどこまでも、

何の目的も希望もない毎日が続くのではないか、

という恐怖に幾度も襲われた。

 

その夏は、とにかく24時間がとても長く、

朝も昼も夜もつねに憂鬱だった。

 

汗が止めどなく流れる、とても暑い夏。

ボクは丸山のアパートで過ごす日が多くなった。

 

しかし、お互いに何もすることがなかった。

そんな日が幾日も続いた。

 

ふたりはあたりが暗くなると、

だるい身体を引きづるように、

連れだって近所の居酒屋へでかけた。

 

そこで安いアルコールを飲み、

酔いがまわってくると、

ふたりは真剣な顔つきになってしまうのだ。

 

「俺たちは一体なにものなのか、

この先、何がしたいのか?」

 

そんな全く結論の出ない議論のようなものを、

延々としていたのだ。

 

当然、出口のようなものはみつからない。

それは、まるで明日へと繋がる時間が、

完全に閉ざされたような失望感を伴っていた。

 

そんなやるせない毎日が続いた。

 

相変わらず強い陽が照りつける或る日の夕方、

ボクと丸山はいつものように、

近所の商店街をだらだらと歩いていた。

と、新しいビルの一階に、

オープンしたばかりの旅行代理店が目に入った。

 

通りから眺めるガラスのウィンドウには、

北海道3泊○万○千円~とかアメリカ横断7日○○万~とか

いろいろな手書きの紙がペタペタと貼ってある。

そのチラシのような張り紙を、

ふたりでぼおっーと眺めていた。

 

何の興味も湧かないのだが、

ふたりはなにしろ暇なので、

その張り紙を隅から読み始めた。

が、時間がどのくらいか経過した頃、

ボクのアタマに何かがひらめいたのだ。

 

丸山をのぞくと、

彼の横顔にも同様の表情が見て取れた。

 

ふたりは、その小さな店舗のガラス扉を開け、

相手の説明もたいして聞かないまま、

沖縄行きの予約をした。

 

店を出ると、陽はとっくに暮れていた。

相変わらず熱気が身体にまとわりついて、

また汗が噴き出す。

 

ボクらは商店街を再び歩き出すのだが、

それは自分たちでも驚くほど軽快な足取りだった。

 

その日を境に、ボクたちの気持ちに、

ある変化が生じていた。

(続く)

ショーケンれくいえむ

 

 

わかい頃、水谷豊が

「兄貴ぃー!」って呼んでいた。

そこからショーケンこと萩原健一は

ずっと我らの兄貴ぃー!でもあった。

 

ヤザワではない。

高倉健でもない。

 

そもそも芸能人に憧れるガラではないし、

まして同性なのに。

が、唯一ショーケンだけにはたそがれた。

 

グループサウンズでおかしな衣装を着て、

あまり上手くもない歌を歌っていたが、

あれは彼の不本意だった。

よって解散を申し出たのもショーケン自身。

 

彼はそれ以前にブルースのバンドを組んでいて、

その道へ行きたかったらしい。

が、彼はブルースを目指さずに、

役者へ転向する。

 

これが良かったんじゃないかと思う。

 

役どころとしては「傷だらけの天使」のおさむ、

「前略おふくろ様」のサブが印象深い。

前者は、ショーケンのアドリブだらけ。

後者は、倉本聰の台詞とあって、

一字一句、台本のままだという。

 

黒沢映画の他、多彩に活躍したが、

やはり妙に素人っぽかった初期の頃に、

彼の地が滲み出ている。

 

倉本聰の作品は、彼らしくないという

意見もあるが、あれもショーケンのある一面と

言えなくもない。

結構ナイーブなところが発端となって、

騒ぎを起こしているし。

 

ショーケンが追求したのは、

ダンディーとか、男の中の男とか

そんなんじゃない。

 

一見、かっこ悪いと思わせる。

ちょっと親しみやすくて憎めない。

しかし、ふとした瞬間に、

寂しそうな表情を浮かべたり、

とてつもなく凶暴だったりする。

そこがヤザワでも健さんでもなく、

独特かつ不思議なオーラを放っていた。

 

実際、彼はそのような性格だと思う。

ずっと悪のイメージがつきまとっていた。

まあ不良といえばそのようにみえなくもない。

しかしその程度。

 

彼をウォッチしていて気づいたのは、

妙な正直さが仇となって、

逆に悪評が広まったり、

その風貌や態度から、

ネガティブな印象をもたれたりと、

随分とバイアスがかかった部分がある。

 

或る人たちにとっては、

良いところを探すのが

なかなか難しい人ではある。

 

こういった人間は、

我らの身の回りにも数人いて、

それは身近に付き合ってみないと、

みえてはこない。

 

たとえば、意外に正直であるとか、

思いやりがある、

誠実であるとか…

 

ガキの頃からの知り合いに

こういうのが割と多い。

みんな結構付き合える。

いや、いまも付き合いは続いている。

 

共通点は、みな一様に偉い人間や

偉そーに振る舞う奴には

徹底的に逆らう、というところ。

 

もうひとつ共通点があった。

心根がやさしいこと。

チンピラと違うところは、

カッコよく言えば、

強きを挫き弱きを助ける。

なのに、どうでもいいことで、

弱音を吐いたり…

 

こんな姿が、ショーケンにも投影される。

彼は何回も捕まったし、

結婚も離婚も数回繰り返した。

けれど、それらを軽々と

飛び越えてしまう魅力が、

彼には備わっていた。

 

ショーケンは実は、

ずっと映画の裏方をやりたかったらしい。

脚本とか、演出とか。

意外。

 

彼が亡くなる8日前の写真が、

「萩原健一最終章」の最期のほうに載っていた。

その写真は、

奥さんが隠し撮りした一枚。

 

そろそろ死期が迫っている。

本人も、死が迫っていることを

うすうす感じている。

 

ほの暗い部屋で机の灯りを点け、

彼の丸まった背中がみえる。

机に向かって、ずっとシナリオを、

声を出して読んでいたという。

 

我らの知る最期の男の背中が、もの悲しい。

 

人生を、

疾風のごとく通り過ぎた男。

やはり、最期までショーケンだった。

 

我ら、こんなに強くはなれないけれど…

 

合掌

 

夕陽のうた

 

イラストレーターの鈴木英人さんは、

影というものを主役に据え、

大胆な影の描写で夏の日差しの強さを強調し、

そのコントラストの美しさをあらわした。

 

オールドカーが木陰に停車しているイラストなど、

ぐっときます。

 

 

この人の作品は、どれも真夏の昼下がり、

といったものが多い。

 

実は朝なのかも知れないが、

その陰影を観るにつけ、真夏の昼下がり、

と私が勝手に思い込んでいるのかも。

 

まだ世の中がカセットテープ全盛だったころ、

よく英人さんのイラストを切り抜いて

カセットケースに貼り付けていた。

 

中身は、主に山下達郎だったような。

 

 

さらに時代を遡って、

私がちいさい頃に好きだった影絵は、

どれも藤代清治さんの作品だった。

 

 

だいたい夕暮れから夜の世界が多い。

 

笛を吹いている少年のシルエットが心に残った。

作品はどれも上質のステンドグラスにも負けない、

神秘性と物語を内包している。

 

昨年、藤代さんの画集を買って、

時間ができるとぺらぺらと開いている。

もう90歳をとうに過ぎておられると思うが、

この方の作品は常にファンタジー性に溢れていて、

その世界が衰えることはない。

 

 

好きなことに没頭する美学がそこにある。

 

ここは、学びが多いと、自分に言い聞かせている。

 

 

近頃は夜景の写真が人気を集めている。

湾岸に立ち並ぶ工場群も、

ライトに照らされた夜の姿は、

妙な魅力を放っている。

 

 

私は京浜工業地帯で生まれ育ったので、

工場の立ち並ぶ姿にうんざりしていて、

一時は、こうした写真を引き気味にみていたが、

最近はそうした幼い頃のトラウマ?もなくなり、

しっかり鑑賞できるようになった。

 

 

さて、自然の織り成す陰影といえば、

夕暮れ時のマジックアワーである。

 

 

 

夕陽は、ときに緊張した人の心を緩ませる力を

秘めているようだ。

 

私が夕陽の魅力を初めて知ったのは、

小学校の入りたての頃だった。

近所の子と砂場で夢中になって遊んでいて、

さあ帰ろうと思って立ち上がり、

空を見上げたときだった。

 

いままさに沈もうとする太陽がオレンジ色に光って、

手前の丘は大きな黒い影となり、

その丘のふちだけが燃えるように輝いていた。

 

いずれ、光と影の織り成す風景って、

人の琴線のようなものを刺激するのだろう。

 

映画「夕陽のガンマン」、「三丁目の夕日」

 

拓郎の「歌ってよ、夕陽の歌を」

石原裕次郎のヒット曲「夕陽の丘」

 

夕陽は歌になる。

絵になる。ドラマになる。

 

どこか影のある女性…

夕暮れの冬の木立

そんなものばかり追いかけても、

深みにはまるだけ。

ただただ、陽が暮れるだけなのになぁ。

 

 

 

 

 

 

 

彼岸花のころに

 

死んじゃっちゃぁ

話しもできねーじゃねえか

なあ

そんなことってあんのかよぉ

なあ